GOD SAVE THE SHINJI!
 
 
 
 
 
第十三話:鳥――マジでお勧め。
 
 
 
 
 
「アスラン…」
「うん?」
 キラの声に、アスランはゆっくりと振り向いた。
「ああ、起こしちゃったな」
「ううん、夢を見て…自分で起きたんだ」
「夢?」
「シンジ君が初号機に乗っている夢だった」
「シンジ君が?」
 うん、とキラは頷いて、とことことアスランの側までやってきた。ソファに座っていたアスランの横にちょこんと腰を下ろし、
「初号機に乗ったシンジ君が胡座をかいていた」
「胡座って…初号機に乗ったままか?」
「うん。おまけにその状態で、使徒を片手で殲滅してるんだ」
(なかなかシュールな夢だな)
 思いはしたが口にはしなかった。
「片手で使徒を片づけながらシンジ君が考えていたんだ――僕はどうしてこれに乗ってるんだろうって」
「あ…」
 確かにシンジはエヴァに乗り、しかも華麗と言っても良い位に使徒を倒して見せた。
 だが、ネルフの敗退は人類の滅亡に繋がるから、と言われてシンジが乗った訳ではないだろうと、二人は訊かずとも分かっていたのだ。
 多分気まぐれだろう。乗っても良いと思ったから乗ったのだ。
 しかし次は違う。元より動機がないのだ。
 では何の為に乗る?
「シンジ君は…何の為に乗るのかな…」
 キラが肩に凭せ掛けて来た頭を、アスランは軽く抱いた。
「ゲームだと――」
「え?」
「ゲームだとでも、シンジ君が思ってくれればいいがな…。しかし、総司令があんなに物好きだとは思わなかった」
「物好き?」
「自分の息子をほったらかしにして、あんな人形女を溺愛していたんだ。それも、息子を危険に晒したくないから、なんて考えからじゃない。もう少しで俺たちまで巻き込まれるところだったんだ」
「そうだね」
 本部内を貫いた氷柱を見るまでもなく、シンジがその気になればネルフ本部など、瞬時に灰燼に帰していた事は間違いないだろう。無論、アスランもキラもその中にいたのだ。
「今日、何がシンジ君をその気にさせたのか俺は分からない。でも俺は、その何かにとても感謝している。なかば自分を棄てて、あまつさえ久しぶりに会ってみれば尊大そのものの父親など、俺だったら顔も見たくないかも知れない。むしろ、シンジ君の方がその思いは強いだろうな」
 確かに父への思いでもあれば、炭化させたりはすまい。
「乗ると言うことは、嫌でも自分を放り出した父親のいる組織に属する事になる。シンジ君がここに所属することを承諾する筈はないが、だからと言って形式的には所属する事に変わりはない。ただ何となくだけど…」
「何となくだけど?」
 キラがつぶらな瞳を向けてくる。この眼で見つめられると、押し倒したくてたまらなくなるのだが、なんとか抑えた。
「バジルール少尉が、上手くやってくれるような気がするんだ。バジルール少尉とは、妙に気が合っていたみたいだし」
「うん。そうだといいよねっ」
 キラ自身分かっていないのだが、口調の中に時折、甘えたような物が混ざる事がある。しかも、それが出る時は本人にその気はないとほぼ断言出来る時だ。キラの瞳で点火状態になってアスランに、この口調はとどめであった。
 いきなり唇を奪って強引に押し倒す。
「だ、駄目だよアスラン…あぅっ…」
 アスランに押し倒された時、キラは抵抗した事がない。抵抗しても止めないから、なのか或いは最初からする気がないのか。
「だ、だめ…」
 少女のような声は、すぐにかき消された。
 吸い取られた、と言った方が正解だろう。
 
 
 
 
 
「お、お客様…」
「ああ、大丈夫。僕の従姉妹なんです。すみません、すぐに連れて行きますんで」
 シンジを囲むように三人が倒れている、と言うのはさっきとあまり変わらない状況だが、一つ異なる点がある。
 それは、三人の後頭部に瘤が出来ている事だ。無論、シンジを中心に局地戦を展開した、と言う訳ではない。
「まあおかげさまで助かった訳だが」
「オヤビン何か不満?」
「ううん」
 無論、フロストが作りだした氷柱の一撃だ。それが無ければ、間違いなくシンジは三大怪獣に挟まれた歌姫状態になっていた筈だ。
「今日はナタルと一晩中してようと思ったのにまったくもう…」
 三人を蹌踉と担ぎながらぼやいているシンジを見て、フロストとランタンは顔を見合わせた。
 
(あんな目に遭ってもまだこの娘と抱き合うつもりだったみたいよ)
(オヤビンは、時々理解不能になるな)
(多分、あたし達の知ってる人間とは、どこかの配線構造が違うのよ)
(ソレダ!)
 
 ん?とシンジが上を見た。
「今、なんかヒソヒソと悪巧みしてなかった?」
「『ううん、全然』」
「そう。ところで、運ぶ手段と運ぶ先がないので手配よろしくね」
「家はあるんだろ?そっちでいいじゃない」
「思考読むのがめんどくさい。それに、家まで行くと三人とも別々だろうし、勝手に鍵を開けて入ったら明日何言われる事か」
「自分で開けさせればいいじゃない」
「ランタン、それは自分でやったと言わないんだ」
 対象の意識を乗っ取って思うがままに操る、というのはフロストにとって造作もない事だが、無論シンジはそんな事などしたくない。
「じゃオヤビン、どこかホテル泊まり?開いてるところなんて、そんなに無いと思うけど?」
「いいよラブホ…そっか」
 むう、とシンジが考え込んだ。確かにラブホテルなら営業中だろう――ご休憩じゃないから料金は割高、とかそんな問題はあるが。
「意識失った女を三人連れ込むのって、良くてハーレム普通は誘拐に見えるぞ」
「分かってる…」
 シンジがぽむっと手を打った。
「接収しよう。フロストは車の運転を、ランタンは適当にホテルを見繕って接収を」
「『了解!そう来なくっちゃ』」
 地軸のせいもあって今は夜も暖かいから野宿、とか言い出したら女王メイヴの元へ連れ帰って、再教育しなければならないと思っていたところだ。
 一時間後、どうせ客も来ない事だしと、オーナー以下全従業員が避難命令に伴い、そのまま帰宅したホテルが平和裡に接収された。ただし意識がない人間は、それはそれは重いもので、さすがのシンジも巻き込まれて転んだりした結果、三人の服を引っ剥がして洗濯機に放り込む事になった。
 ミサトの携帯が鳴ったのは、それから数時間後の事であった。
 
 
 
「ん…うン…」
 ミサトがゆっくりと目を開けた時、既に太陽は就業真っ最中であり、お前はこんな時間まで何をしているのかとブラインド越しに問いつめてくる。
「頭いた…あたしなんでここに?」
 頭の奥がずきずきするが、気分はそんなに悪くない。やけ酒の場合、気分からして悪いのだが、それとは違うらしい。まだ焦点の定まらない視線で辺りを見回したミサトが、自分の格好に気付いた瞬間にその目が見開かれた。
(裸!?あたしやっちゃったのっ!?)
 レイプされれば身体が覚えている。と言う事は和姦だが、パンティだけ穿いた格好というのはどういう事なのか。
 しかもブラは付けていない。胸には自信があっても、そこに残る傷のせいで他の男に見せた事は無かったのだ――ただ一人を除いては。
(これは一体…)
 ミサトの表情が少し険しくなったところへ、
「ミーちゃんおはよう」
 姿を見せたのはシンジであった。手にはミサトの服と下着を持っている。
「シ、シンジ君!?」
 ほんの少し思い出した。確かシンジと飲みに行って…だがそれまでだ。記憶はそこでぷっつりと途絶えている。
「あ、あたしもしかして…?」
「覚えてないんですか?夕べはあんなに情熱的に燃えたのに」
「じょっ、情熱的っ?燃え燃えっ!?」
 14歳の少年相手に自分は一体何をしたのかと、ミサトの顔からすーっと血の気が引いていく。シンジはくすっと笑って、
「冗談ですよ。でもその様子じゃ覚えてないみたいですね。あ、これ服です。汚れちゃったので洗濯しておきました」
(よ、汚れたって…ナニで!?)
「あ、体液とかじゃないですから」
「体液っ!?」
 何があったのかなど、怖くて訊く事も出来ず、震える手で受け取ってから気が付いた。
「シンジ君あたしの胸…」
「ごめんなさい。見えちゃいました。それ、刃物とかじゃないですよね」
「うん。セカンドインパクトの時にちょっちね…」
「あの人災の時に?」
(え?)
 一瞬ミサトの表情が動いた。今、シンジは確かに人災と言った。最近の教育現場になど興味はないが、セカンドインパクトはかつて仲間をNASAに拉致された土星人が、仕返しとして隕石を打ち込んできたとされている筈で、人災の『じ』の字も教科書にはない。ドイツ支部のアスカやフレイ辺りに聞いたならまだしも、それ以外の情報源はない筈だ。
 或いは、キラから何かの拍子に聞いたのだろうか。
「教科書では天災になってるのにって?」
「か、顔に出てた?」
「ええ」
 シンジはにこっと笑った。
「人間って、ある意味小さいんですよ。人間同士で情報管制してれば、悪事は隠匿できるとか思ってるんですから。困ったもんです」
 あまり困ってなさそうに言ってから、
「まさかとは思いますけど、その時中心地にいた訳じゃないですよね?」
「その…そのまさかなのよ」
「なぜ」
 少しシンジの口調がきつくなった、ような気がした。或いは気のせいだったのか。
「その…ちょっとね」
「そうですか」
 あっさり切り上げたシンジに、なぜかシンジとの糸が切れるような気がして、
「ちっ、父の…父の実験に付いていったのよ。連れて行かれた、と言った方が正解だけどね」
 そう言いながら、どうして自分はこんな事をと、ミサトは我ながら分からなかった。ただ、シンジのあっさりした反応を聞いた時、なぜか哀しくなったのだ――理由は自分でも分からない。
「そうですか。すみません、嫌な事思い出させちゃって」
「いいのよ。だってこれは、治療した痕だもの。これから一生付き合って行かないといけないしね」
「ミサトさん…」
「と、ところでシンジ君」
「はい?」
「その…あたしの胸どうだった?やっぱりこんな傷あると、どうしても自信無くしちゃうのよね…」
「うーんと」
 ちょっと考えてから、
「重かったです」
「そっか…」
 ちょっと経ってから、ミサトはにぱっと笑った。満足したらしい。
「ありがと、シンちゃん」
「いえ。ところでそれ、ナタルさんに見せてないんですよね」
「ええ」
「良かった。じゃ、余計なお世話にならずにすみました」
「え?」
「何かそんな気がしたので、ナタルさんとマリューさんは向こうの部屋なんです。ちょっとズルズルと引きずってきました」
「あ、ありがと…」
 シンジが反応する前に、手が勝手に動いていた。シンジを引き寄せ、豊かな胸の間にきゅっと抱きしめる。
「シンジ君って、結構大人びた所あるのねえ。お姉さん感激しちゃった」
「い、いえ…もごっ」
 挟まれた胸の谷間からは甘い匂いが漂ってくる。
 想定外とはいえここまでは良かったが、
「と、ところでミサトさん」
「なあに?」
「加持って誰ですか?」
「!?」
 
 七変化。
 
 くるくると、まるで夜のネオンのように変化するミサトの顔色を、シンジは楽しそうに眺めていた。
「どどっ、どうしてそれをっ!?」
「加持のバカって言ってましたから…寝言で」
(ミサトのバカバカバカこのタコ!)
 思い切り自分を罵倒してみても、事態は変わらない。
「あーその、だいぶ前に付き合ってた男、なのよ。今はもう完全に切れてるけどね。それと、マリューの前では加持の名前出さないでね」
 ちょっと色々あって、と続けようとしたのだが、
「分かりました」
 こっちが拍子抜けする位、シンジはあっさりと頷いた。
(逃げられちゃった…カナ)
 内心でため息をついたミサトをよそに、
「じゃ、着替えて下さい。僕はあっちの二人を起こしに行ってきますから」
 三十秒後、
「私を裸にして何をしたっ!しかも私のし、し、下着までっ!!」
 聞こえてきたナタルの怒号に、ミサトはうっすらと笑った。
 食堂に四人が揃った時、赤くなっていたのは無論ナタルだ。仲魔達に確認はしなかったのだが、ナタルもマリューも昨夜の事は店に入った時点で、記憶からすっぽりと抜け落ちており、破壊工作は成功したらしい。
 ただし、シンジに膝枕されていた事を知った場合、プラスとマイナスとどちらの方に考えるかは微妙な所だ。
「多分、まだ抜けてないと思ったので野菜ジュースとサラダにしておきました。これならマーちゃんとミーちゃんも大丈夫でしょ」
(マーちゃんとミーちゃん?)
 そう呼ばれた記憶が抜け落ちてるので、彼女たちが訝しく思うのは当然だが、反応は三者二様であった。
(マーちゃんとミーちゃんか…ん、悪くはないかな。何だろ…なんか懐かしい気がする…)
 マリューとミサトは満更でもない感じだが、
(マーちゃんだろうとミーちゃんだろうと、私には関係ない。だが…ムカムカしてくるのはどうしてだ。別に…私には関係ない事だというのに…)
 関係はない、そう割り切っている筈なのだが、シンジからドレッシングを受け取った時、その手を一瞬きゅっとつねった事に、被害者だけは気付いている。但し、どちらかと言えば自分への苛立ちの方が大きかったかもしれない。
 無論、ナタルも例外ではなく、店に入った時点から記憶は抜け落ちているが、その前の事、つまりシンジと抱き合った事は覚えている。マリューとはそんな関係はないのに、自分が裸と知った時、マリューはこう言ったのだ。
「もう、シンジ君ってば大胆なんだから」
 と。それの善し悪しはともかく、自分の姿を見た途端、反射的に大きな声をあげてしまった自分と比して、あまりにも成熟ポイントが違いすぎる。しかも、話を聞けば酔ってダウンした三人を介抱して汚れた服の洗濯までしてくれたというのだ。
(おとなげ…無かったな…)
 食べ終わってから、ミサトがふと思い出したように口を開いた。
「それでシンジ君その…」
「はい?」
「エヴァにはこれからも乗ってくれる、のかな…」
 ミサトの言葉に、ナタルがぴくっと反応した。
「相性が合わない機体に乗るとどうなるか、ちょっと見物してみたくもあるけど、乗るのってアスランかキラだしね。変態とは言え、従兄弟に負担掛けるのも悪いし乗りますよ」
「そう…でも、いきなり乗せる意味は分かってるから、私達で出来る限りの事はするつもり。だからなんでも言って」
「駄目ですよ」
「え?」
「マリューさんもミサトさんも、いわば一将校でしょう?古代の踊り子みたいに、変態ヒゲロリコンの首が欲しいって言ったらどうするんですか?」
 シンジはやんわりと窘めた。
 ローマ時代、美貌と才能に恵まれた踊り子サロメは、予言者ヨハネに恋をしたがあっさりと振られた結果、逆恨みするに至り、舞の褒美として獄中にあったヨハネの首を所望したとされる。生首に頬ずりして想いを遂げたが、幸か不幸か正気に戻ってしまい、自裁して果てたという。
 しかしサロメが所望したのは、予言者というある意味聖職にいた者だが、あくまで他人であり、シンジの場合とはまったく違う。少なくとも、ゲンドウは実父なのだ。
 搭乗の代わりに父親の首を望むというのか!?
 一瞬背筋を走った寒い物を無視して、
「そうね…ごめん」
 ミサトは謝った。
「それで…住むところはどうするの?」
「住むところ?」
「ええ。ずっとホテル暮らしっていう訳にもいかないでしょう?」
「僕はそれでもいいけど…自分で踏んづけても困るしね」
 物騒なジョークを自分で気に入ったのか、シンジはくすっと笑った。
「どこかでアパートか何か借りて、そこで暮らしますよ。家事は大得意、と言うほどでもないけど、一人暮らしに不自由しない位は出来ますから」
(あれそうなんだ…よし!)
 一瞬意外な表情を見せたのは、マリューとミサトであった。てっきりナタルと一緒とか、言い出すかと思っていたのだ。
 スタートラインが一緒なら手の打ちようはあると思った瞬間、
「シンジさん」
「何?」
「私の家で良ければ、来られませんか?あまり広くはありませんが、部屋には空きがありますし」
 伏兵がいきなり機銃を乱射してきた。よもや、自分から誘いはしないだろうと思っていたものだから、マリューもミサトも咄嗟には反応できなかった。
「ナタルさんとこに?」
「ええ」
(ナタルってばあんな笑みでシンちゃん誘惑して!シンジ君もさっさと断ってよっ)
 ほんの少し照れたような表情も、神経を尖らせているとそう見えるらしい。
「僕はいいけど…ナタルさんいいの?」
「ええ私は――」
「『駄目っ』」
 ナタルの声を、綺麗にユニゾンした声が遮った。
「『はい?』」
「あ、いやその…だ、だってナタルは一人暮らしじゃない。いくらなんでもそれはまずいと思うの」
「お言葉ですが、葛城少佐とラミアス少佐も一人暮らしだったかと思いますが」
「残念ね」
 ミサトがにっと笑った。
「手が多い方がいいと思ってね、今は一緒に住んでるのよ。それにうちのフロアの方が部屋数多いしね――碇シンジ君、そう言う訳なんだけど!」
 
 
(フロスト、オヤビンの基準はどこにあると思う?)
(二対一になった場合、どっちを取れば後腐れが少ないか、だな)
(…本気で言ってるの)
(罪のないジョークだ。ま、基準はあれだろうがな)
 
 
 シンジに洗ってもらった服は着てるし、特にボタンを多く外してもいない。それでも素材の差は歴然で、身を乗り出すようにされるといやでも胸がぶるんっと迫ってくる。
(60mmバスト砲って感じ?)
 内心で笑ったシンジが、
「じゃ、ミサトさん達の所にします」
(え…)(やった!)
 内心でガッツポーズしたマリュー達だが、人生是塞翁が馬とはよく言ったもので、女達の表情は一瞬にしてドラスティックに入れ替わった。
「だって、手が多いって事はそれだけ掃除可能って事でしょ」
「『…ふえ?』」
 マリューとミサトの背を、つうっと冷や汗が流れた。毎朝見られるおっぱいの数は多い方が、とかそんな事ならまだしも――と言うよりいくらでも歓迎だが――掃除の手が多いから、とはまったく想定外であった。
「きっとすごく綺麗なんでしょうね。楽しみだな〜」
(う…)
 口調で悪意が無いか位、ミサトにも分かる。おまけに、シンジの双眸はキラキラしているではないか。
 別にミサトが廃墟に住む事を好む訳ではないが、あまり掃除を好まないのは事実だ。マリューの方はもう少し綺麗だが、足して二で割った場合、到底ナタルの家には及ばない。
「あの…ミサトさん?」
「あ、そ、そうね。全然オッケーよ。かんげ――」
 ミサトの言葉を遮るように、
「シンジさん、やはり私の所へお願いします。一人暮らしでは、どうしても防犯に不安がありますから」
(ナタル!?)
「えーと…」
 シンジがちらっと見たのはミサトの顔でも胸でもなく――腕であった。
(い、今腕見なかった?)
「マリューさんとミサトさんなら多分大丈夫だと思うから…ナタルさんの所でいいですか?」
「え?あ、ああいいけど…今シンジ君、あたし達の腕見なかった?」
「腕というか手というか…ミサトさん達は銃が使えるでしょう?ナタルさんって護身術もやってなさそうだから」
「へー、そんなの見ただけで分かるんだ?」
「少し位は」
「じゃ、いいわよナタルの所で。ナタルの事お願いね」
「はい」
 実際に救われたのはミサト達の方だが、どうしても素直に喜べない理由があった。
(ナタル…さっきくすって笑わなかった?)
(何の事でしょう。私はただ、折角手中に収めた玉をみすみす逃すのは勿体ない、と思っただけですが)
(くっ…こ、今回は譲ったけど絶対に奪還するからねっ)
(楽しみにしています――葛城ミサトさん)
 ナタルがミサトの事を、階級を付けずに呼んだのはこれが初めてであり、それはナタルからミサト達への宣戦布告であった。
 円形テーブルの上で危険な火花が散っているが、それを霧消せしめたのはシンジの言葉であった。
「じゃ、僕は買い物とか行ってきます。ナタルさん、この辺の店を教えてもらえますか?」
「買い物でしたら私もご一緒しますが」
 二人の時はシンジと呼んでも、人がいる時はあくまで敬語を崩さないとナタルは決めている。
「いや、マリューさん達と一緒に行ってきて」
「はい?」
「さっきみんなが寝てる時に、フユゲツさんからミサトさんの携帯に電話があったんです。僕が食事用意してるって言ったら、食べ終わってからでいいから三人とも自分の所へ来るようにって言ってました」
 どうしてそれを早く!と言いかけてなんとかミサトは踏みとどまった。コウゾウが食べてからでいい、と言ったのはシンジへの配慮だろうし、食事どころではなく出頭したと聞いても、是とはされまい。
 局地戦状態の三人だったが、表情が一瞬で元に戻った。やっと現状に思い至ったらしい。
「じゃ、じゃあ私たち行ってくるからっ」
「気を付けて」
 マリューとミサトは飛び出して行ったが、ナタルはまだ残っている。二人の足音が遠ざかるのを確認してから、
「今日は夕方、そんなに遅くならないで戻れると思う。もしもシンジが良かったら一緒に…」
「行ってくれる?」
「うん」
「じゃ、お願い」
「分かった。一緒に行こう」
 ちょっと嬉しそうに頷いてから、財布を取り出した。
「ここの払いを――」
 ナタルの手を制し、
「ホテル代は男が持つものでしょ?」
「な、何を…生意気に」
 ちょん、とシンジの頬をつついた。
「さ、もう行かないと。怖い人が待ってるよ」
「ああそうだな。じゃ、行ってくる」
「気をつけてね〜」
 ひらひらと手を振ったシンジに見送られ、歩き出したナタルの足が途中で止まった。
 また戻ってきた。
「さっきはその、すま…いやごめん」
(須磨?)
 済まなかった、と言いかけて止めたのだ。
 ごめん、の方が柔らかいとナタルなりに考えたから。
「何だっけ?」
「その、シンジがここまで運んでくれて服も洗ってくれたのに、私は大きな声をだしてしまって…」
「ああ、気にしてないよ。ナタルって、ホテルにお泊まりとか初めてでしょう?」
「ま、まあ…」
 確かにその通りだが、裏を返せばつい先日まで処女だったしね、という事になる。事実であっても、人から言われるのは複雑なのだ。
「シ、シンジは慣れているみたいだなっ」
 つい余計な事を言ってしまったが、シンジはにっと笑った。
「え?」
「慣れてるよ――接収にね」
「接収!?」
「何でもないよ。行ってらっしゃい、ナタル」
「うん、行ってくる」
 す、と身を屈めたナタルの唇がシンジの頬に触れる。なぜか、ちう、と音を立てた方が赤くなっており、
「じゃ、じゃあっ」
 早足で出て行くその後ろ姿に、
「フユゲツさんには羽毛申請しておいたから」
「羽毛?」
「そ、鳥。行けば分かる」
 何がどう鳥なのか不安になったが、これ以上ミサト達より遅れるのはまずい。早足で出て行くと、意外な事にマリュー達は待っていた。
「いくら恋敵(ライバル)でも、置いてきぼりにして点数稼ぎしようなんて思わないわよ。さ、乗って」
「すみません」
 ナタルが乗るのを待って、車は一気に飛び出した。無論、ハンドルを握るのはミサトである。
「ところでナタル」
「何でしょうか」
「シンジ君に地図を描いていたから遅いのは分かるとして、赤くなった顔と首筋のキスマークって何か関係あるの?」
 さっきしたのは頬だし、そもそもナタルがシンジにしたのだ。そこだけ考えれば、判りやすい空針なのだが、昨晩から空白の時間がある。つい首筋に手を当ててしまったのだが、昨日も同じ手で釣られたと、触れてから思い出した。
「やっぱりナタルって素直よねえ」
(しまった!)
 罠に掛かったと知ったナタルを、二対の視線が捉えた。
 それはひどく、危険なものであった。但し、片方は半分遊んでいる。昨日も同じ手でナタルを釣ったのだが、昨日は釣りが目的で、今日は釣った魚(ナタル)を餌として回遊魚の前に放り出す事にある。
 そしてそれは見事に成功した。
「ミサトが言ったのは真っ赤な嘘よ。それに今、顔を赤くして出てきたわよね。中でシンジ君と何をしていたのかしら」
 マリューの声は妙に低い。
「か、顔が赤いのは中の気温が高かったせいでしょう。は、肌が弱いので蚊に刺された痕が残ったかと思っただけです」
(ナタルそれ無理ありすぎ)
 昨日とは違って今日はマリューがいるので、ミサトには余裕がある。と言うよりも、気分は既に漁夫なのだ。
「バジルール少尉、中の気温はそんなに高くなかったわ。私もミサトも別に汗ばんでいないし。それに、上気するほどの温度なら少なくとも汗はかくでしょう。今になって汗ばんできたように見えるけど?」
「そ、それは体質の違いでしょう」
「体質?私とあなたの後ろめたさの違いだと思うけどね」
「どう取られようとラミアス少佐のご自由です。それと申し上げておきますが、私はシンジさんを強制的に留め置こうとは思っていません。ラミアス少佐が、ご自分の家の方が良いと思われるのならいつでもご自由にどうぞ」
「…何ですって」
 二人のやりとりを聞いていたミサトは思わず笑った。
「ミサト何がおかしいのよ」「何がおかしいのですか」
「だってあんた達、初々しいんだもん」
「『初々しい?』」
「そ。マリューは余裕無さ過ぎるし、現状把握も出来てないんだもの」
「どういう意味よ」
「どう見ても、シンちゃんがナタルをお気になのは間違いないわ。それはしようがないじゃない。でも長続きする訳無いんだから、放っておけばいいのにムキになって張り合っちゃって」
「か、葛城少佐」
「なーにナタル?」
「わ、私は別に…い、碇シンジさんに想われているとは思っていませんが…長続きしない、と言われた根拠をお聞かせ願えませんか」
「何で?気にしてないなら関係ないじゃない」
「こ、後学の為です」
(素直じゃないわねえ)
「単純な事よ。何があったかは知らないけど、シンジ君が一目惚れしたのはナタル・バジルールであって、ナタル・バジルール少尉ではないのよ。と言っても、今のナタルにはまだ分からないでしょうけどね」
 さっぱり分からない。マリューも分かっていない。
「分からないみたいね。でもそれでいいのよ、その間に私が頂いていっちゃうから」
「そっ、そんな事認める訳ないでしょっ」「い、碇さんは絶対に渡しません」
「『…え?』」
「い、いえその…い、今のお二人のお住まいには、引っ越しさせられないという意味で…」
 女三人寄れば云々、とはよく言ったもので、最後は魅力が無いとか夢の島状態よりましだとか、やや個人攻撃を繰り返す三国争乱状態になっていたが、さすがにコウゾウの部屋の前に来た時にはもう戦闘は止んでいた。
 三人とも、そこまで愚かではない。
「か、葛城ミサト少佐参りました」
「マリュ――」
「入りたまえ」
 一人の名乗りで十分だとばかりに、低い声が返ってきた。
「『し、失礼致します…』」
 おそるおそる入ると、コウゾウは執務机に向かっているところであった。
「シンジ君と話したのでね、この時間になった事は問わない。だがその前は別だ。昨夜は随分とお楽しみだったようだね」
「『も、申し訳ありません』」
「まだ酔いが抜けきっていないと見える。プールで泳いできたまえ、と言いたい所だがわざわざ行く事もあるまい」
(へ?)
 奇妙な科白に首を傾げた直後、マリューとミサトはその意味を知る事になった。
「この部屋にもプールはある。ゆっくりと酔い覚ましをするといい」
 天井から紐が下がっており、何かのアクセサリーかと思ったのだが、コウゾウがくいとそれを引っ張った瞬間――マリューとミサトの足元が割れた。
 あっという間に二人の姿が消え、派手な水音があがる。
「私の私設プールだがね」
「ふっ、副司令っ普通のプールには、こ、こんな巨大で八本足を持った生き物はいませーん!」「す、墨よ墨吐いたわこのーっ!!」
(い、一体何が!?)
 すうっと顔から血の気が引いたナタルに、コウゾウは穏やかな視線を向けた。
「バジルール少尉、シンジ君からの伝言を伝えておこう」
「い、碇シンジさんから?」
「鳥。蛸よりは怖くない、マジでお勧め――だそうだ」
「と、鳥っ?ああっ!?」
 どういう仕組みなのか、次の瞬間ナタルの身体も下に落ちていた。なお、引いた紐は一緒である。
「と、鳥がこんなにっ、う、羽毛が…ああーっ!!」
 三人が落ちた穴を見やり、
「さてシンジ君、一目惚れの直感力を見せてもらうとしようか」
 コウゾウは、少し楽しげに呟いた。
 
 
 
 
 
(つづく)

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