GOD SAVE THE SHINJI!
 
 
 
 
 
第十二話:酔死体が三つ出来上がり、シンジが酔難に遭う事
 
 
 
 
 本来は、まだ仕事が残っていた。指揮官というのは、戦場の駒だけを動かしていればいいわけではないし――そもそも、今日の戦闘で指揮と呼べるものなどしてはいない。
 おまけにネルフ本部内には、現在大穴が開いている。
 シンジの仕業だが、これを一体どうしようかと二人して首を捻っているところへ、コウゾウが姿を見せた。
「シンジ君だそうだな」
「『は、はい…』」
「十年間熟成させて然るのちに尊大」
「はっ?」
「いや、こちらの話だよ。与えられた罰としては…」
 コウゾウはふっと笑った。
「高くもないのかもしれんな」
 十年間ほったらかしにされ、急に呼び出すから何事かと思ったらいきなり死んでこいと言われた――のに近い。よくシンジがあっさり了承してくれたと思うが、おまけに使徒まで殲滅してのけた。
 少々みっともないオブジェだが、この程度は安い物だろう。シンジが敗退していれば、本部そのものが瓦礫を集めたオブジェになっているところだ。
「ラミアス少佐」
「はい」
「さっき、シンジ君と焼き鳥の店がどうのと言っていたが、良い店はみつかったのかね?」
「は、はい一応は」
「そうか。ところで、件の代物はシンジ君に見せられたかね」
「件の代物と言われますと…」
「胸が自慢の女性二人が撮った写真だよ。発送直前でバジルール少尉の検閲が入った代物だ」
「『!?』」
 一瞬にして二人の表情が硬直した。まさかコウゾウに知られているとは思わなかったのだ。
「彼の手に渡った以上、被写体の見当が付かないという事はあるまい――いや、別に咎めているわけではないよ」
 青くなって固まっている二人に、コウゾウは軽く手を挙げた。
「要は、彼がそう言う少年であると言う事だ。シンジ君が潔癖症で、変な趣味を持った変な女だ、と思えば食事に行こうなどとは言うまい。ある意味柔軟なのだろう。少なくとも、綾波レイとはまったく違うタイプだ。君らもそのつもりで接してくれたまえ」
「『は、はい…』」
 頷きはしたが、どうみても理解はしていない。
「君らも知っての通り、初号機の性能というのは他の機体と比べて群を抜いている。最適な操縦者が乗れば、それこそ現存する全ての機体を相手にしてもあっさり勝つだろう。率直に言って、経歴とそこから得た物だけ見れば、君たち二人はバジルール少尉に遠く及ばないし、彼女を指揮官に据えれば済む。だがそうしなかったのは、本部付きのチルドレン達も普段は学生である、と言う事に加えて碇シンジという少年が未知数だったからだ。“戻った後”のシンジ君の状況については知っているかね?」
「『いえ…』」
「MAGIを以てしても、十年間の動向はまったく掴めなかった。無論、MAGIとて完全ではないが、少なくとも――」
 コウゾウは一旦言葉を切り、
「この地球上に於いて、碇シンジと言う少年に関するデータがあれば、MAGIの眼から逃れる事は出来ない。しかも、サブシステムとは言え各支部にあるMAGIまで動員したのだ。つまりこの十年間、彼に関するデータは地球上のどこにも存在していない、と言っていいだろう。羊皮紙にでも記されていれば別だがね。だが、彼の小学校卒業記録は正規の物として残っていた。ついでに言うと、先だっての試験で、彼はトップクラスの成績を取っている。どこにいたにせよ、少なくとも日本の人間社会とは異なる場所の筈だ。その意味では、柔軟な性格だと言えるだろう。しかし、小学校の教師はすべて証言を拒絶したがね」
「拒絶、ですか?」
「そうだ。それも単に嫌がるのではなく、まるで生命に関わるかのように拒むのだ。ただ、脅迫されている風情ではなかった。テストの出来というのは、一夜漬けという手段もあることだし、それを以て成績の優劣を断じることはできまい。それでも、順応性が高い性格なのは確かだよ。その彼がどういう――十年も放置された後、来いの二文字だけで来るのかどうか、そしていきなりこんな機体に乗れと言われて乗るかどうか、結果はともかく碇の大誤算だったことは言うまでもない」
「シンジ君が乗ってくれない、と見ておられたのですか?」
「いや、それは何とも言えない。だが、彼が戻ってからの事は知ろうと思えば知れたのだ。彼が飼っている奇妙な生き物のことはともかく、隠そうともしていない地雷の上でコサックダンスを踊るような真似はしなくても良かろう。おそらく碇は、おどおどして人の目ばかりを気にして、自分を好きになれない惰弱な少年でも予想していたのだろう。結果、この有様だ。さて話を戻そう。バジルール少尉を指揮官に据えた場合、赤木博士と合わせて似たような二人が、上官の立場にいることになる。いずれも、使徒を倒す事を最優先と考え、人命はおそらく四番目位の優先順位に置いている。シンジ君が反対の性格だった場合、一人ならまだしも二人も似たような思考の持ち主がいると、精神衛生上良くないと思ってね。それと、通常兵器の通じぬ使徒相手に従来の戦術論がどれだけ通じるか、と言う事もある。私が君らに求めたいのはその部分だよ」
「戦場での指揮以外の部分、と言う事でしょうか?」
 おそるおそる訊ねたミサトに、コウゾウは頷いた。
「その通りだよ葛城少佐。今日の使徒戦を見ても分かる通り、相手が単体である限りパイロットの力量に左右される部分が大きい。無論訓練は必要だが、レイ以外の三名については、戦場に於いての直接指示をさほど必要としないと思われる。そんなことよりも、早急に武器の手配でもする方が先決だ――特に初号機にはな」
「で、ではやはり初号機に装備は無かったのでしょうか?」
「無い。もっとも、ついこの間までは初号機を使う事になるとは思ってもいなかったのだがね」
「『す、すみません…』」
 元凶の二人が小さくなる。
「今最も重要なのは、シンジ君をその気にさせる事、つまり乗ってもいいかと思わせる事にある。これは私の想像なんだがね――彼は、敗退したら人類全滅と聞いても、さして気乗りしないように思うのだ」
「ふ、副司令それは…」「じ、自分だけは助かるという発想からでしょうか」
「違う。そんな単純ではあるまい。ただ世の中には、若干にして仙人みたいな発想を持つ少年もいたりするという事だ。ここまで言えば、君らのするべき事は自ずと分かるはずだ」
「『はっ』」
 敬礼した二人に、
「ただし、如何に彼が大人びて見えようと、母を失った直後に父に棄てられた事、それは心の中から決して消えてはいない筈だ。その事を忘れないでくれたまえ。彼は未だ、十四歳の少年なのだよ」
「『はい』」
「ただし」
 二人に釘を刺すように、
「親しくとは言え、年の差は考えるように」
「『り、了解…』」
 ちょっと萎んだ辺り、何を想像していたのかは訊くまでもない。
「私の話は以上だ。あまりシンジ君を待たせても悪いからな。ところで、店の名前は何と言ったかな」
「確か、鴉里亭だったかと思いますが」
「そうか」
 コウゾウは軽く頷いて背を向けた。失礼致します、とマリュー達が去った後、見るからに冷たそうな氷柱に軽く触れた。
 軽く叩いてみる。
 直径が一メートル位ありそうな氷の柱は、おそらく火炎放射器をたっぷり三十分浴びせ続けても、解ける事はあるまい。そもそも、この巨大な氷柱が一瞬で解けた場合、水害が発生することは想像に難くないのだが、どんな結果をもたらすかは見当も付かない。
「別に解けなければ、ある意味構わんのだ。このまま…ネルフ本部の名物にでもしてしまうか?」
 呟いたのは、三十秒ほど経ってからの事であった。
 
 
 
 
 
(ミスったな…)
 ナタルは内心で呟いたが、それはレイに対してではなく自分への物であった。レイがシンジを叩くまで動けなかった、と言うのは我ながら褒められるものではない。
 しかもシンジの仲魔たちが発動した場合、どうしたって止めなくてはならないのだ。
(我ながら無様だな)
 一人肩を竦めた時、
「あの人達はあなたと違ってまとも」
 突き刺すようなレイの言葉であった。
(微妙な答えだな…)
 図らずも、シンジとナタルの脳裏に同じ科白が浮かんだ。ただ、シンジはアスランがレイをどう見てるのか何となく知っている。
 どう贔屓目に見ても、好意のそれではなかった。
「片想いってやつだな」
 小さくろくでもない事を呟いてから、
「ここでネンネしてる人がまともか、と言う事はかなり論議の余地がありそうだけど、君がどう思っていようと僕には関係ない。だけど一つ言っておくね」
 シンジの視線がレイを捉えた。
「二度目はないからね」
 それだけ言うと、シンジはさっさと背を向けて歩き出した。
「あ、そうだ」
 ふとその足が止まり、
「モヤスミ、ロリコンの人」
「……」
 出て行くシンジの後ろ姿に憎悪の視線を向けるレイ。
 一方ナタルはと言うと完全に取り残されており、しかもレイにかける言葉も見つからないという有様であった。まるで田原坂の真ん中に取り残された記者みたいなものだ。
 早足で出て行きながら、自分はどうすれば良かったのかとナタルはそればかり考えていた。
 廊下に出ると、まだシンジは歩いていた。まるで自分の事など忘れたかのように。
「シンジ」
 呼んだが返事はない。
 歩みを早めておいつき、
「あの、シンジ」
 もう一度呼んだが、ちょっと弱気になっている。
「なに?」
 数秒経ってから漸く振り向いた。
「何ってその…わ、私に気付いていないみたいだったから」
 シンジは笑って、
「そんなんじゃないよ。ただ、もっと大事な事があったからね」
「大事な事って…うん?」
 ふとシンジの横顔を見たナタルは、そこに汗が浮かんでいるのに気付いた。それも半端な量ではない。
「どこか打ったのか?」
 叩かれた時にぶつけでもしたのかと思ったのだが、
「そんな間抜けじゃないよ」
「そ、そうか…」
「炭化させてやるって息巻くのと、骨の髄まで凍らせてから木っ端微塵にしてやるって息巻くのを、何とか止めてただけ。まったく、強すぎる仲魔を持つと大変だよ」
「あ…」
 シンジの言葉を聞いた瞬間、ナタルの表情が硬直した。さっき、一瞬にして分厚い装甲をぶち破った巨大氷柱の事を思い出したのだ。
 もしもレイがあんな氷柱に貫かれたら…。
 ナタルの思考を読んだかのように、
「大丈夫だって。止めたって言ったでしょ。今はそういうノリじゃないんだ」
「それならいいが…ん?」
「どしたの」
「その…わ、私の時とは随分反応が違うようだが」
「当たり前でしょ」
 何を当然な事を、という風にシンジがぷいとそっぽを向き、
「ナタルはいい女なんだから」
「な、何をっ!?」
 自分で振っておいて勝手に首筋まで染める女――ナタル・バジルール。
「自分でも予想してなかったの?」
 言った途端、きゅっと首が絞められた。
「う、うるさいっ」
 言わいでもの事を言って墓穴を掘る少年――碇シンジ。
 案外、お似合いの二人なのかも知れない。
 シンジの細首が絞められたが、それ以上力は入らず、シンジの頬で小さな音がした。
「え…?」
「そ、その…お、お呪いだ。ま、まだ痛むか?」
「ナタルって、誰かに叩かれた事ある?」
 不意にシンジは奇妙な事を訊いた。
「い、いや私はない」
「叩かれた所だけが痛む場合と、心まで痛くなる場合もある。幸い今回は、両方とも痛くない。イタイ女に叩かれると、何とも感じなくなるみたい」
「そ、そうか…」
「行こ」
 ナタルを促して歩き出しながら、
(不気味な風貌ではあったけど、アスランは外見で判断はしない。やっぱりあのイタイ性格かな?)
 
 
 
 
 
 使徒は自爆したが、すべてが木っ端微塵になった訳ではない。悪の親玉とその愛人は現在伏せっているが、無論放っておく訳にもいかず、作業服に身を包んだ男達が全力で回収・清掃に取りかかっている。
 その様子を、小高い丘の上から眺めている男達がいた。
「見たところ圧勝という感じだが…どうも気になるな」
「クルーゼ閣下、何かおかしな所でも?」
 クルーゼ閣下、と呼ばれたのは長身の男だが、その面体は異様であった――顔半分を奇妙なマスクで覆っているのだ。
 似合う似合わないは別として――夕暮れに遭遇したくないワースト五位以内には入る事間違いない。
「使徒が自爆を選ぶ寸前まで追いつめた後、あの機体はさっさと帰って行ったが、あれはどう見ても余裕のそれとは違っていた。無論、追いつめられた感じでもなかったがな」
「機体に組み込まれていたプログラムが作動したのでは」
「あんなプログラムを組み込むなど、変人を通り越して狂気の沙汰だ。大体、殲滅すべき敵の最期も確認せずに退却する馬鹿がどこにいる。あれはやはりパイロットの意志と見るべきだ。だがそうなると、なぜそんな事をするのかという話になる」
 変わった性格の少年が搭乗していただけ、と言うのが正解だが、そんな事がクルーゼに分かるはずもない。
 ラウ・ル・クルーゼ。シンジ達と直接の繋がりはないが、立場としてはゲンドウよりも上になる。とある委員会の一員で、棺桶に片足突っ込んだような老人達がメンバーの大半を占める中にあって、年齢は最も若いが随一の切れ者と言われる。
 序でに、妙なマスクさえなければ評価はだいぶ変わっただろうと、専らの噂だ。
「こちらにあるパイロットのデータでは、キラ・ヤマトかアスラン・ザラの内いずれかが搭乗したかと思われます」
「違う」
 部下の言葉を、クルーゼは即時に否定した。
「彼らのデータは知っている。あの少年達にあんな操縦は出来んよ。それに彼らは一応軍属だ。あんな敵前逃亡のような真似などするまい。自動操縦機能を搭載出来たとも思えんが…調べてみる必要はあるな。自動操縦にした、と言うよりは新たなチルドレンを持ってきた可能性が高い。すぐに調べてくれ」
「かしこまりました」
「誰が乗ったか知らんが…さて、自分が何に乗っているのか知っているのやら」
 呟いて、クルーゼはその場を後にした。
 
 
 
 
 
 ちゅー、はあったが、別に冷やした訳ではない。当然のように、シンジの頬には赤く腫れた痕が残っており、それを見たマリューとミサトは顔色を変えた。
「『シンジ君その顔どうしたのっ』」
 シンジはくすっと笑った。
「やっぱり従姉妹だ。綺麗に声が重なってる。相性良いんですね」
「『誰がこんなのと!』」
 寸分違わぬ動作で、ビシッと相手に指を突きつけてから、
「そ、そんな事言ってる場合じゃなくて」「一体何があったの?」
「三択です」
「『え?』」
「一つ」
 指が一本上がり、
「ナタル・バジルールさんの胸に手を入れて、柔らかい胸をたっぷり揉んだ後で叩かれた」
「『な!?』」
 声はマリューとミサトではなく、マリューとナタルの物だ。揉んだ後で、と言うことはそこまで放っておいたという事になるが、シンジがそこまで計算したかどうか。
「二つめ。ナタル・バジルールさんのスカートに手を入れて、お尻に僕の指の痕を付けた途端に一撃を」
「『お、お尻っ!?』」
 と、これはマリューとミサト。
「三つ目」
 不意にシンジの声が変わったような気が、ナタルにはした。或いは思い過ごしだったのか。
「インディゴブルーみたいな髪と色素が抜けた半死人みたいな肌を持ってて、吸血鬼のような不気味な赤い目をした凶暴な人に叩かれた。さてどれでしょう?」
「『レ、レイに…叩かれたの?』」
「そーゆーこと」
「『……』」
 可能性としてはそれが一番高い、と言うよりそれ以外はあってはならないのだ――そう、二人にとっては。
 だがシンジの言葉を聞きながら、二人はどこか信じられないような面持ちであった。
 レイが、あの綾波レイが人を叩くなど、想像する事すら出来ない。
「い、一体なにが?」
「どうでも良い事です。別に、あのイタイ子に何かした訳じゃないし。さ、それより店の前で呆然と立ってると変に思われますよ」
「え、ええ」「そうね…」
 二人がそれ以上訊けなかったのは、シンジがさっさと切り上げてしまったという事もあるが、その言葉の中に何か壁のような物を感じたからだ。
 触れられたくないから切り上げた、のではなくもっと異質の何かを。
 店内は、質素な和風作りの店であった。
 決して新築ではないが、仄かに檜の匂いが漂ってくる。
 下が掘り炬燵になっているテーブルに座った時、シンジはさっさと一番奥に腰掛けてしまった。
 そうなると当然、誰が何処に座るかというのが問題になる。残った三人の間で、隣席及び正面の位置を巡って局地戦があったのだが、結局ナタルが横で正面はマリューという事で落ち着いた。
 シンジはと言うと、そんな事などまったく我関せずの風情で、珍しそうにメニューを眺めている。
「ご注文はおきまりでしょうか」
 やってきた店員に、
「生ビール四つ」
 ミサトが最初に注文したのはそれであった。
「『な…痛!?』」
 マリューとナタルが何か言いかけたのだが、テーブルの下でミサトに蹴飛ばされた。
「後は任せるわ。盛り合わせで適当に見繕っておいて」
「かしこまりました」
 店員が下がっていった後、
「ミサトあなた何考えてるの。シンジ君に飲ませるつもり?」
「駄目ならあたしが飲むわ。つーかナタルはお子様だから仕方ないとしてマリュー、あんたもう少し空気読みなさいよ」
「どういう事よ」「…葛城少佐、それはどういう意味ですか」
「子供が飲むから、なんてオーダーしたら店が困るでしょうが。最近は子供の扱いも面倒なんだから。別に無理矢理飲ませる気なんて無いわよ。シンジ君飲めるの?」
 やっとこっちに視線を向けたシンジが、
「いや僕人間界のは…あ」
「『人間界?』」
「い、いえその…じゅ、十四代です」
「十四代とは?」
 訊ねたナタルに、
「十四代 播州山田錦。お、美味しいんですよ」
「『へえ』」
 と、マリュー達から感嘆の声が上がった。
「シンジ君よくそんなの知ってるわねえ。あれ、近頃は殆ど手に入らないのよ。そんなの飲み慣れてるなんて通じゃない」
 誰も慣れてる、などとは言ってないのだが、その方がシンジにとっては都合が良い。
 えへへ、と笑って誤魔化してから、
(フロストありがと。ところでその十四代ってなに?)
(帰ったら教えてやるよ)
 無論シンジにそんな知識はなく、仲魔に救われた事は言うまでもない。
 そこへ、先にビールが運ばれてきた。
「通のシンジ君には物足りないかも知れないけど。いいでしょ?」
 ナタルがくってかからなかったのは、自分の方はもっと後ろめたいからだ。
 
 子供に何をしているんですか。
 
 今日一日の行動を誰かに知られてそう言われたら、メソスフェアの辺りまで3000キロメートル掘り進み、その後に穴の中へ永久に籠もらねばなるまい。
「はい、じゃナタルも…あ」
 ナタルの前にジョッキを置こうとして、
「そう言えばナタル飲めなかったんだっけ」
 別に嫌がらせをした訳ではなく、単純に忘れていたらしい。
「え、ええ私は…」
 酒というのは、何人かで飲んだ場合、飲むよりも酔態を見物する方が面白いと言われている。今日もそうなるかと思われたのだが、
「ナタルさん飲めないんですか?」
 ひくっ。
 予想外の所から触手が伸びてきた。
「の、飲めない訳ではありません。飲まないだけです」
 ちょこんと首を傾げたシンジが、
「でもミサトさんが今飲めないって…」
「飲めます!」
 軍隊に於いて、上官命令には絶対服従とはいえ、命令に唯々諾々と従う人形では所詮兵卒止まりと言われている。
 反骨も必要、ということだが、この場合の反骨は少し違っていたかも知れない。
 とまれ、
「まあまあ二人とも。じゃ、乾杯しましょ」
 ミサトがなだめるようにジョッキを持ち上げ、
「じゃあ、シンジ君の無事な帰還を祝して…乾杯!」
(ミサトさん…)
 シンジが使徒を倒したとか、そんな事には一切触れず、ただ無事に帰ってきたことを祝してとだけ言ったのだ。
(ん…?)
 マリューもナタルも、ミサトのポイントが上がった事には気付いたが、何も言わなかった。
 そう、まだまだ先は長いのだから。
 乾杯の場合、グラスの中身を一気に開けるものではないとされている。マリューもミサトも半分位で止めたのだが、
「んくっ…んく…ふぅ…」
 ただ一人、ナタルは一気に飲み干してしまった。
「ナ、ナタルあなた」「だ、大丈夫なの?」
「こ、これ位自分には何ともありません。だっ、大丈夫であります」
「それならいいけど…あれ!?」
 ミサトの声につられて他の二人の視線も動き、同時にぎょっと目を見張った。
 
 空のジョッキと涼しげな顔の少年。
 
 空になったジョッキは、一つだけではなかったのだ。しかもナタルと違い、いつ飲んだのか分からない。つまり、まるでジュースでも飲むかのように飲み干したということだ。
「シンジ君味は…ど、どう?」
「うーん」
 中の匂いを嗅いでから、
「薄いですね」
「う、薄い?」
「ええ。麦の味がついた水ですね…微妙な薄さです」
「『そ、そう…』」
(麦の味がついた水!?)
「これならどれだけ飲んでも酔うことはないでしょ?」
 無論、シンジはアル中でもないし酒豪でもない――以前に飲んでいた物が濃厚すぎたのだ。しかもアルコールではないと来ている。
 ふとナタルを見たシンジが、
「あれ?ナタルさん赤くなってる。もう酔ったの?」
「誰が!誰がこんなもの…くらいでっ。つ、次だ次!」
「だそうです」
「あ、ああそうね」
 どう見ても、既に酔いの症状が発生しているナタルと、酔うどころか飲んだ風情すら感じられないシンジ。
 新しく運ばれてきたジョッキをキッと見据えたナタルが、
「碇シンジさん、私と勝負して下さい」
「勝負?」
「ええ。もしも私が先に潰れたらなんでも言うことを聞きます。ただしわたしがかっはら…わ、わらしにあま…うをもごっ…」
 語尾が止まったのは、シンジが口をおさえたからだ。何を言おうとしたのか、見当が付いたのである。
(ナタルってこんなに弱かったんだ)(シンジ君なんて飲んだ形跡すらないのにね)
 所々呂律の怪しいナタルを見て、二人がヒソヒソと囁き合っている。
「ねえナタル、何でも言うことを聞くってそれ遠回しな告白〜?」
 ミサトの冷やかすような口調に、ナタルはふっと笑った。
「勝ちが見えている勝負など、何を条件に出そうが同じです。そんな事も分からないのですか」
(ムカッ)
 一瞬ナタルの表情が、素に戻ったような気がしてムカッと来たミサトだが、なんとか堪えた。ここにはシンジがいるのだ。
「僕は別にいいけど。でもナタルさん、もう今にも酔い潰れそうだけど大丈夫?」
「う、うるひゃいっ!逃げるのかっ」
「はいはい」
(酔っぱらいを生で見るのって初めてだ)
 シンジの方は初体験で、ちょっと楽しかったりする。
「じゃ、行きますよ。三・二・一」
 それから五分後、シンジの肩には三杯でダウンしたナタルが寄りかかっていた。それも、気持ちよさそうに寝息を立てている。
 無論、マリューとミサトは体格も違うしと反対したのだが、
「大丈夫ですよ」
 シンジがぶっ倒れたナタルを起こすと、ナタルの方から寄りかかってきた――ように二人には見えた。
「しっかしシンジ君強いのねえ」
「種類が違うんですよ。さてナタルさんは寝ちゃったけど、その方がよかったかな」
「え?」
 少し後ろに下がったシンジが正座して、その膝にナタルの頭を乗せた。
(ひ、膝枕っ!?)
「何か言いました?」
「『う、ううん何でもないわ』」
 笑って首を振ったが、少し霊感のあるものならその背後に燃えている青白い炎に気が付いたろう。なお、シンジは気付いていない。
「ねえマリューさん」
「何?」
「今日、来たばかりの僕をいきなり乗せて出した時、何思ってました?」
「え…シ、シンジ君には申し訳ない事をしたと思ってるわ。本来ならシンジ君に出てもらう必要もなかったのにいきなり、それも死線に送り出すような事になっちゃって…」
「ミサトさんも?」
「ええ…」
 酔いが醒めた、と言うより二人はまだ最初のジョッキも空にしておらず、酔っていない。表情の強張った二人に、
「少しは反省してもらわないとね。だってアスランとキラの機体壊したのって、マーちゃんとミーちゃんだものね」
 シンジはくすっと笑った。
「ミ、ミーちゃん?」「マーちゃん!?」
 どこから洩れたのか、と言うことより呼称の方が気になった。
「違うの?」
「『う、ううんそれでいいわ』」
「でもね、僕が訊きたかったのはそんな事じゃないの」
「え?」
「だって、壊れた物はしようがないわけで、そもそもちょっくら行ってくるって乗ったのは僕からなんだから。感情的な問題じゃなくて、戦術の話」
「それだったらナタルの方が…」
「役に立たないから駄目」
 さらりと酷いことを言ってのけて、
「僕は戦術なんてまるで疎いんだけど、でもいくら機体が強力だからと言って右も左も分からない子供を、それと来たばかりの子を乗せるなんてのが、普通に考えれば勝算ゼロだって事は分かりますよ。ここが問題なんですけどね」
「どういう事?」
「一番足の速い人をリレー選手に選んだけど、怪我しちゃった。でも人数は決まってるので、余ってる人を探したらクラスで一番足が遅い人だった。こういう場合、間違っても勝てるとは思わないでしょ?今日のはそんな感じです。結果的には勝った、でもそれが予測範囲内かと言うことは全く別問題。普通に考えれば絶対無理なのに、あっさりとゴーサインを出した冬月さんは、何を考えていたのかって事です。片道分の燃料と爆弾だけ積んだ飛行機を出撃させる気分ならまだいい――良くはないんですけど――もしも勝算があったのならそれこそ怖いなって」
「『……』」
 確かにシンジの言う通りで、出撃時からして無謀を極めており、しかも見事な戦術の下に華麗な勝利を収めた、と言う訳でもない。
 マリュー達はともかく、コウゾウが何を考えていたのか、とシンジが気になるのも当然だろう。
 と、ふとある事に気付いた。
「シンジ君、それってあたし達は別に考えて無くてもおかしくないって事?」
「ええぜんぜ…ひたた」
 両側にむにっと引っ張られた。なお、左右はそれぞれ担当が違う。
「それって失礼じゃナーイ?」
「す、すびばぜん」
 解放された頬をさすりながら、
「その分じゃ聞いていないみたいですね。まあ…上層部に無能な人が揃ってない事を期待しましょ。ナンバー1は極悪ロリコンで、ナンバー3はホームラン級のお馬鹿さんが確定しました。この上ナンバー2まで神風信奉者じゃ、何人操縦者がいても足りません」
「『そ、そうね』」
「じゃ、お話はこの位で飲みましょ。マリューさん達は、ナタルさんより飲めるんでしょう?」
「あ、あったりまえでしょ。こんなお子様と一緒にしないでよね」
「ナタルさんてそんなに飲めないんですか」
「飲めないわよ。その代わりお菓子大好きだから。相当の酒好きが飲むのと同じくらいの量は食べるわね」
「そ、そんなにですか」
(……)
 お菓子の山に埋もれているナタルを想像してみた。簡単にできた。
 しかも軍服姿だ。
 
 軍服姿でお菓子の山に埋もれて満足げなナタル。
 
(…ウ)
 変な感覚がこみ上げてきそうになったシンジは、慌てて首を振った。
「ねえシンジ君」
「はい?」
「今度は私と賭けしない?シンジ君が勝った時の条件は、シンジ君が出していいわよ」
「ミサトさんが勝ったら?」
 ふ、とミサトは笑った。
 妙に危険な笑みであった。
「大した事じゃないわ。ナタルとの馴れ初め教えて?」
「馴れ初め?」
「どうやってナタルと意気投合したのかって事よ。ナタル・バジルール少尉はシンジ君のお気に入りなんでしょ」
「べ、別にそう言う訳じゃ」
(赤くなった!?)
 使徒を前にしてさえお気楽だったような少年が、明らかに狼狽えている。これはもう何としても勝利して然る後に白状させねばと、二人の背後に今度は赤い炎が燃え上がった。
 
(フロストどう思う?)
(受けるのはオヤビンの勝手だが、オヤビンはもう四杯飲んでいる。ハンデ付ける気もなさそうだし、どう見ても悪徳業者だぞ)
(そうよねえ)
(大体、オヤビンには何のメリットもないだろこれ)
 
 そんなシンジの仲魔達の秘かなツッコミには無論気付かず、ミサトとシンジは運ばれてきたジョッキを手に取った。
 
 午後十一時四十五分。
「お客様、間もなく閉店なんですが…」
「あ、はいはいもう帰ります」
 店員が遠慮がちに声を掛けて来た時、シンジの回りには三つの“酔死体”が転がっていた。ミサトが、ついでマリューが相次いで撃退されたのは、三十分ほど前の事だ。現況はと言うと、シンジの膝にナタルとマリューが頭を乗せており、ミサトは肩により掛かっている。
 一見するとハーレムだが、当の少年はと言うと頼むだけ頼んで殆ど手の付けられなかった焼き鳥を平らげるのに忙しい。
 例え商売とはいえ、折角作ってくれた物を残すのは嫌なのだ。
「オヤビン、大丈夫かい?」
「大丈夫。殆ど水みたいな物だし、さっき一回トイレ行ったから。それよりさ」
「ん?」
「これ、全部僕が払うの?」
「こいつらに払わせるのは無理そうだしなあ。ま、人間の貨幣価値でこの程度なら持ってるから気にすんな。オヤビンほら」
「ありがと」
 ぽい、と無造作に分厚い札束を放り出した。価値、と言うものが全く違うらしい。
「じゃ、先に払って来ちゃおうかな」
 膝上と肩の物体をそっと避けようとした途端、がしっと手が掴まれた。
「シンジきゅん、私を置いてろこにひくのよ〜」
「お金払って来るだけですよ。すぐに戻って来ますから」
「らめっ!」
 酔っぱらっている割に力は強い。
「ろーせうらりるんらから…父さんみたいに…あらひをうらりるんれひょ!」
「そんな事しませんよ。ほらミサトさん手を離して」
 何を言ってるのか分からないが、酔っぱらいに理屈は通用しない。そっと手を解こうとした途端、
「今ひったれひょ…ミサトって言ったでしょ!」
「え?」
「さっひはミーひゃんてよんれくれらのに…シンジきゅんのいひわる!」
 もう手が付けられない。
 仕方がないので、すうと息を吸い込んでから、
「じゃ、ミーちゃん良い子だから待っててね。おねがい」
「ふわーい」
 あっさりと離れた。酔っぱらいの欲求は満たされたらしい。
 後はナタルとマリューだ。先にマリューの頭をそっと降ろすと、こちらは問題なくおりてくれた。
 ナタルはとっくに潰れているから問題あるまいと、頭を抱えて降ろそうとしたその瞬間、ナタルの目がぱちっと開いた。
「……」
「……」
 別に後ろめたい所はなく、ちょっと驚いて声が出なかっただけなのだが、ナタルの目が妙に据わっていることに気が付いた。
(あ、あれ?)
 嫌な予感がした直後、ナタルの赤い唇から出た言葉は、
「…裏切り者」
 であった。
「ハア?」
「どうせシンジは私の…私のことなどどうでもいいのだな。私のことはナタルとしか呼ばないくせに…ミ、ミーちゃんなどと…」
 醒めてるのかと思ったが、まだ正常に戻った感じはない。
 呂律の回る酔っぱらいは手に負えない、と言うことか。
「今日はもう…」
 帰る、と言い出すかと思った次の瞬間、シンジは自分の甘さを呪うことになった。
「もう…十回以上もちゅーしたと言うのに!」
「……」
 ポカーン、とシンジの口が開いていたのは、ある意味本能が次の状況を予測していたのかも知れない。
「会ったばかりの日に」「十回以上もちゅーですってぇ?」
 マリューとミサトがゆらりと起きあがった時、シンジはゴゴゴ、と地響きがしたような気がした。
(これと似たような光景をどこかで…そうだ)
 この間見たDVDを思い出した。
 シンジの脳裏に浮かんだのは、巨大怪獣三匹の間に挟まれた歌姫の図であった。
(やだな…ここまでなの)
 
 
 
 
 
(つづく)

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