GOD SAVE THE SHINJI!
 
 
 
 
 
第六話:MISATO ATTACK
 
 
 
 
「あ、間違えた。碇シンジです。シンジ様とお呼び下さい」
「『……』」
 二人の視線に、シンジは完全に外した事を知った。
「もうイイ!オウチカエル」
「ご、ごめんね反応できなくて。ちょっと予想の斜め上だったから」
 
 追い打ち。
 
「……」
(ヤバイ間違えた)
 バックに陰を背負ったシンジを見て、ミサトは追い打ちを掛けてしまった事に気付いた。
 こう言う時は、もう何を言っても無駄になる。しかも、アスラン・キラですなどと言われ、これまた顔を赤くして俯いている少年がいるから、車内の雰囲気が沈下している事この上ない。
 ケホン、と咳払いして、
「それでシンジ君。早速で悪いんだけどその…」
「分かってます」
 軽く頷いたシンジの顔はもう戻っている。立ち直りは出来る少年らしいと知り、ミサトは少しほっとした。キラの従兄弟だと聞いていたから、同タイプだったらどうしようかと思ったのだ。
「その何とかっていうロボットのパイロット席が空いていて、そこに僕を座らせようって話ですよね」
「ええ…」
「アスランとキラの顔を見に来ただけなので、別に乗りたくない…というか正直どうでもいいんだけど、呼ばれたのって余程前じゃないんですよね。アスランとキラはずっと訓練してきたんでしょう?」
「ええ、もう何年もやって来ているわ」
 まだ仔細は分からないが、やはりあまり良い感触ではなかった。キラの性格から考えて、エヴァやネルフに悪感情を持たせるような事を書くはずはない。となると、やはり問題はゲンドウだろう。
 ミサトはストレートに訊いてみた。
「あの、シンジ君」
「はい?」
「呼ばれた時、どうして最初は気乗りしなかったの?」
「だって怪しすぎるだもん」
 そう言って、シンジはミサトに三つの物を見せた。
 最初のは、来いとだけ書かれた葉書であり――次は真っ黒に塗られた二枚の写真であった。
(あっ!)
 ミサトの顔がかーっと赤くなる。無論、その怪しすぎる写真の被写体は自分とマリューであり、ナタルに見つかって塗りつぶされた物に間違いなかった。
 が、その表情はすぐ元に戻った。
「その葉書って…もしかして碇司令から?」
「そ。今日からお前はここの子だ、と言われたのが最後の言葉で、次がこれでした。もうね、アボガド、バナナかと」
(アボガド?バナナ??)
 今風の若者言葉だろうと解釈したミサトだが、さすがにその扱いはひどいと感じていた。確かに、理屈から言えばシンジの言うとおり、だいぶ前から呼んで訓練を受けさせるべきではあったろう――シンジが拉致されていた事をミサトは知らない。
「でもそれじゃ…仕方ないわよね…」
 自らが育った境遇のせいもあるが、マリューとミサトはどうしても情とかそういうものを優先してしまう。そこがナタルやリツコと対立する原因にもなっているのだが、それはこの場に於いても同様であった。無理強いは出来ないし、やはりアスランで出撃する準備をとリツコに伝えるべく、携帯を手にしたのだが、
「戻ってからやる事あるんで、さくっと乗ってきますよ」
「『え!?』」
 シンジの言葉はキラまでも復活させた。
「シンジ君いいのっ!?」
「ん」
 シンジは従兄弟に微笑って頷いた。
「ナタ…じゃなかったバジルールさんに聞いた。なんか、僕が一番最適なんでしょ?負けたら人類総ホロコースト状態だって言うし、ナタ…もといアスランとかキラは守ってあげないとね」
 ホロコーストとは、本来は火災等によって家畜などが大量死する事を指していたのだが、いつの間にやら大量虐殺とかその手の事を指すようになった。ホロコースト、と言ったシンジはどちらの意で使ったのか。
「シンジ君…」
 素直に感動しているのはキラだが、ミサトはそう単純ではない。第六感アンテナとも言うべき後ろ髪五本は、ピンッと立っており、シンジとナタルの間に何かあったと見抜いていた。大体あのナタルは、初対面の相手にいきなり名前で呼ばせるような対応をする筈がない。ゲンドウの息子という事で、丁寧には接してもそれまでだ。
 だがシンジは、二度もナタルと言いかけた。しかも、守る対象で従兄弟よりも上に来ていたのである。
(絶対…負けられない)
 自分の知らない所で、一方的にライバル認定されてしまったナタルだが、現在はホテルで熟睡しており、そんな事など知るよしもない。
「じゃシンジ君、急ぐわよ」
「はい」
 猛然と車は加速していったが、運転手の脳内は既に『碇シンジ攻略作戦』を立案するべくフル回転を始めており、使徒の事もエヴァの事も、綺麗さっぱり忘れていた。
 
 
 
 
 
 話はホテル<NOIR>にさかのぼる。
 シンジをエヴァに乗せる為に呼んだ事、それは間違いない。ただ、主力として使うには、あまりにもアスラン達との訓練時間に差がありすぎる。
 つまり主力ではなく予備ではないかという事だ。普通ならば、父親が息子を危険な目に遭わせたくないからギリギリまで使おうとしなかったのが、やむを得ない事情で使う事になったというものだが、シンジの扱われ方を聞いたナタルの中には、違う思いが浮かび始めていた。
 即ち、大事だからではなくもとより眼中になかったのではないかと。そして今回予備として呼んだのは、あくまでも予備であってそこには息子だからとか、そんな事は一切絡んでいないのではないかという事だ。
 無論、私情を挟まないというのは組織が大きくなればなるほど、そのトップには厳格に求められる。が、ゲンドウの場合には少々異なる気がするのだ。
「エヴァンゲリオン、ねえ」
 シンジは、手でナタルの髪を撫でながら聞いていたが、別段の反応は示さなかった。
 ナタルの手が伸びて、髪を撫でていた手に触れる。
「あ、ごめん嫌だった?」
「いや…悪くない」
 シンジの手にそっと自分の手を重ねたナタルが、
「シンジは…強いのだな…」
「強くないぞ?別に戦闘能力も高くないし」
「表面的な事ではない。ここの問題だ」
 まだ顔をシンジの胸に乗せており、年齢相応でさほど厚くない胸板の下からは、規則正しい鼓動音が聞こえてくる。
「胸?」
「心だよ。私なら…多分耐えられなかっただろうな。しかも組織に所属してもいない少年を、いきなり死地に送り出すなどと…」
 自嘲気味に笑ったナタルの頬に、シンジは軽く指で触れた。
「僕は強くないよ――そっちの意味でもね。決して、一人きりでやってこれた訳じゃない。フロストやランタンに会う事がなければ、僕はとっくに壊れていた。ナタルは、ドラマとか映画は見る事あるの?」
「いや…」
「僕はたまに見るんだけどね、不思議に思う事があるんだ」
「どんな事を?」
「結婚式場で、病める時も健やかなる時もとか永遠の愛をとか言ってるでしょ。確率的には自分の血が半分流れている子でも、育児が面倒になってどこかに預けっぱなしにしたりするのに、どうして赤の他人を終生愛するとか言えるのかなって。勿論、そんな人ばっかりじゃないって分かってはい…ちょっとっ!?」
 不意に、身体がぎゅっと抱きしめられた。
「見るな…見ないでくれ…」
(ナタル…)
 何となく立場が逆のような気もしたが、女からそう言われた場合、男としては侵しにくい。
 ナタルの身体に手を回しはしたが、その顔は見なかった。抱き合った二人は何も言わず、ただ相手の体温だけを感じ合っていた。
 しばらく経って、先に手を離したのはシンジであった。
 きゅ、とナタルの顔を自分の肩に押しつけ、
「じゃ、とりあえず行ってくるね。人間的には駄目駄目でも、そんな組織のトップにいる以上、無能じゃ務まらないでしょ。何の勝算もなく僕を呼んだとも思えないし。僕の始末ならあり得るけど、負けたら人類が総決算になるならそれも無いと思うし」
「…気をつけて」
 声はくぐもって聞こえた。顔を見るなと言うから、見えないように押しつけてみたのだが、悪くはなかったようだ。
「うん…あ、それからナタルはここで待っててね」
「なぜだ?私も行くぞ」
 上がった顔に、涙の痕はなかった。或いは最初から泣いてはおらず、見ないでと言ったのは違う理由だったのかもしれない。
「何でってそれはまあ…ねえ?」
「ねえって私はこの通り立て…立て!?」
 立ち上がろうとした途端、ふらふらと崩れ落ち、慌ててシンジに支えられた。
「ど、どうして…」
 人前でふらつくような醜態など、軍人としての道を選んでからは、一度たりともなかったナタルである。我が身に起きた事が信じられないような顔をしているナタルに、
「えーとそのほら…初めてで感じ過ぎちゃったから」
「なっ…!?」
 言った方と言われた方と、二人揃って赤くなっている。
「ネルフの人に迎えに来てもらうから大丈夫。それに、このまま無理して行っても絶対に怪しまれると思うから」
「そ、そうだな…」
 残念だが、シンジの言うとおりだ。このまま行っても、到底普通に行動できそうにはない。それに今気付いたのだが――まだシンジのペニスが体内にあるような感じさえするのだ。
 不意に、ナタルがかーっと赤くなった。
「あの…だいじょうぶ?」
「だ、大丈夫だ」
 頭を振って何とか立ち上がったナタルが、ビシッと直立不動の姿勢を取った。
 
 全裸で敬礼。
 
「碇シンジさん、お気を付けて」
「ありがとう、ナタル・バジルールさん。じゃ、行ってきます」
 最後は軍人らしく、直立不動で敬礼したナタルにシンジも軽く返し、扉の方に向かったのだが、ふとその足が止まった。
「あ、そーだ思い出した」
「何でしょう」
「必ず僕は帰ってくる。帰ってきたら、続きをしましょう?」
 シンジは振り向かずに言った。
「あ、ああそうだな…」
 返ってくるまでに、数秒の時間があった。
「私は待っている。だから必ず生きて帰ってきて…シンジ」
 男と女は感じ方が違う為、同時に抱き合った時同時に達するのは難しい。ましてそれが初めてならば尚更だ。しかも、男と違って痛みを伴う女の場合、快感と感じるには数回の経験が必要ともされている。
 初めてで、痛みだけが残ったのなら良かったのかも知れない――そうすれば、自分の知らない感情に気付く事など無かったのに。
 少年が一方的に自分だけ感じ、快感どころか嫌悪感しか残らなければ良かったのかも知れない――そうしたら、罪悪感を感じる事もなく、機械的に死地へ送り出せたのに。
 知ってしまった自らの感情――愛しさと、少年への罪悪感と。
 だがそんな物が自分の中にあるとナタルが認めるには、ナタル・バジルール少尉はあまりにも軍人でありすぎたのだ。
 湧き上がってくる感情をよく制御できぬまま、敬礼した姿勢でシンジを見送るナタルの頬を、滂沱と流れる涙は止まってくれそうにない。
 シンジが振り向かなかったのは、見えたからだ――自分が初めての相手となった女(ひと)の震える肩と、そしてその頬を伝う涙が。
 部屋を出たシンジは呟いた。
「無事に帰ってきて…しかもそのままトンズラできない理由がこれで一つ…」
 と。
 前半はともかく、後半は少々ろくでもない。
 
 
 
 
 
「ミサトさんの運転てさ、ヘタウマだよね」
「何それ?トラウマの一種?」
 呼称が葛城さんでなくミサトさんになっているのは、本人がそれでいいと言ったからであり、うっかり葛城さんと言いかけたら妙に危険な視線を向けられたからだ。わざわざ地雷を踏むほど、シンジは物好きではない。
「違いますよ、ウマしか合ってないじゃないですか。何というかその、下手だけど上手いって言うか」
「何それ?も一回振り回して欲しいって事?」
「ち、違いますっ。そうじゃなくて、荒いんだけどポイントは押さえてあるっていうかその…直線の飛ばし方だけ見ると、いつ事故ってもおかしくないんだけど、曲がり方は妙に上手いんですよね。だけど、もう少し安全運転の方が」
「酔った?」
「従兄弟が」
「ありゃ?」
 フロストやランタンと付き合っているシンジにとっては、ミサトの運転など酔うほどのものではない。シンジも言った通り、直線だけ踏み込んでカーブは下手に曲がるような運転ではないからだ。何よりも重力に対する耐性は十分付いている。
 ただし、キラは中ったらしい。無論、急いでいる事もあったのだろうが、完全にグロッキー状態になっている。
「ちょっと待ってね、今救護班呼びますから」
「あー、いいです大丈夫。僕が担いでいきますから。こら、キラ捕まって」
 よいしょと背負って歩き出す。
「おまいの彼氏じゃなくて悪いけど我慢汁」
 ぎくっと、ミサトが二人を見たが、
「ううん、シンジ君面倒掛けてごめんね」
 シンジに睨まれて、慌てて視線を逸らした。アスランは彼氏じゃないよ、と否定する余裕もなくなっているらしい。
「ここからは?」
「そんなに遠くないわよ。やっぱり私が替わろうか?」
「大丈夫だってば」
 とそこへ、
「やっとお着きね。もう来ないかと思ったわ」
 姿を見せたのはリツコだが、シンジは無論リツコを知らない。シンジから見たリツコの第一印象は、根元が少し黒くなってきている金髪と、白衣の下に着ている水着であった。しかもまだ完全には乾いていない。
「水中で作業を?」
 訊いたシンジに、
「ううん、優秀な助手に任せてたのよ」
「つまりプールで水泳、と?」
「ま、まあね」
 二人で勝手に進む会話に、
「私の事かしら?」
 リツコが割り込んだ。
「そ。一応訊きますけど、精神異常者じゃないですよね?」
 大上段からの一撃であった。
(シ、シンジ君!?)
 シンジがリツコを知らない以上、第一印象が非常に悪かったのは間違いない。どうやら、泳いでいた事らしい。
「一応、異常者じゃないとは思っているわ。技術局一課所属の赤木リツコよ。何がお気に召さないのかしら?」
「何の作業をしていたのかは知りませんが、余程どうでもいい事でない限り、助手に任せてプールで泳いでいる上司なんてのは、ろくなもんじゃないでしょ。居ても助手より役に立たないボンクラか、さもなきゃ監督責任って単語も知らないホームラン級の馬鹿かどっちかです。そんな事はどうでもいいんですが、根元の手入れをほったらかしで、それでも不気味な金色に染めてる髪って、何かポリシーでもあるんですか?」
(あーあ)
 リツコとの付き合いはミサトも長いが、リツコが初対面の相手からこれだけ貶されるのは一度も見た事がない。まして、中学生相手になど。
 無論、リツコとて内心穏やかな筈が無く、青筋が浮かんでは消えていくが、何とかキレるのは抑えているようだ。
 咳払いして口を開いた。
「確かに監督責任、と言う単語は知っているわ。でも、私は人間であって神様じゃないの。招集に全く応じようとしない誰かさんのおかげで、疲労がかなり蓄積してしまったのよ。折角心配してくれた金髪だけど、これもそう。居るべき人が居てくれればね、私ももっと気を使えたのだけど。染めてるのは私の趣味で、手入れ不足なのは余分な仕事に追われたから。これでいいかしら?」
 止せ、とシンジの口が動いたのに、ミサトだけは気付いた。但し、何に対して言ったのかは分からなかった。
 うーん、と考え込んでから、シンジがリツコを見た。
「技術部ってエヴァ関係ですか?」
「…そうだけど、それが何か」
「こんなホームラン級のお馬鹿さんが担当してる機体なんて、とてもじゃないけど僕の従兄弟や友達を乗せる気にはなれない。一歩踏み出した瞬間に機体から火を噴いてもおかしくない、そんな殺伐とした雰囲気を楽しむには良いかも知れませんが」
「ちょっと…それどういう意味かしら」
 さすがにリツコが色をなして詰め寄ったが、シンジはその前に一枚のハガキを突きつけた。無論、ゲンドウから来たものだ。
「理由は知らないけどいきなり知人の所に預けられ、十年後に来たのがそれでした。赤木リツコさんの奴隷根性には感心しますけどね」
「あのシンジ君、奴隷根性って何?」
 訊ねたミサトに、
「つまり十年間音信不通で、何か来たかと思えば来いの二文字が書いた代物だけ。でも赤木さんは呼ばれればホイホイ行くみたいだし。ご主人様のご命令には常に忠実な奴隷そのものでしょ。生憎、僕はそんな物持ち合わせてませんし。それに、妄想だけを根拠にして自分のオサレ不足の理由にするなんてね。やっぱりホームラン級でしょ」
(押され不足?何を押すのかしら)
 ふと妙な事を考えたが、それどころではないと慌ててシンジの手を引いた。シンジには招集に応じる義務がない、と言うよりどう見ても招集とも呼べぬそれであり、放っておけばリツコがサンドバッグ状態になるのは分かり切っている。第一、こんな所でリツコを凹ませて時間を費やしている場合ではないのだ。
「シンジ君、悪いけど時間がないから…ごめんね」
 別にミサトが悪い訳ではない。悪いのはリツコだが、それとて端から見れば最初に絡んだのはシンジなのだ。第一印象の相性というやつだろう。
 シンジの手を引いて歩き出したが、ふとその足が止まった。生まれて初めて、そしておそらく最大級であろう屈辱に身を震わせている友人の耳元で、
「碇司令をシンジ君には会わせないでね」
 囁いたが、果たして聞こえているかどうか。キラがさっき言った事を、想い出したのだ。
「シンジ君、一つ訊いていい?」
「何ですか?」
「リツコの事は…知らなかったのよね?」
「見た事も聞いた事も」
「あたしにはその…特に何も言わなかったでしょ?そんなにリツコのイメージが悪かったの?」
「ミサトさん、キラを連れて何してたんですか?デートですか?」
「違うわよ、シンジ君を捜しに決まってるじゃない」
「そ。僕がヒキコモリになってたから見つからなかったけど、一生懸命探していたでしょう?と言うより、バジルールさんからも状況が切羽詰まってると聞いてましたが、何でその最中にプールで泳いでいる人がいるのかと。大体、火急でもなければアスランとキラの顔見てさっさと帰りますよ」
「まあ…そうよね。ところでシンジ君、ナタルには何て言われたの」
「なんか使徒とか言うのがいらっしゃってて、使える機体が中破してたり拘束してたりで一個しか余って無くて、機体には相性があるから僕向きなんだとか」
「どうして中破したか…とかは訊いた?」
「いえ?だって僕には関係ないし」
 そのおかげで自分が乗る事になった、と言う発想は無いらしい。
「でも変ね」
「何がですか?」
「ナタルって、性格的にはリツコに近いのよ。ナタルとは気が合ったのかしら?シンジ君とはあまり合わなさそうなタイプなんだけど?」
 気、どころか身体まで合体している二人だが、ミサトが知らなかったのは幸いだったろう。
 ミサトにしてみれば、餌の付いてない空針のようなものだったが、ジーッと見てからぷいっとそっぽを向くだけの技倆は、まだシンジにはなかった。
「ナタルはあの人とは違います。大体、アスランとキラを探しに車を飛ばしていて…あの、ミサト…さん?」
「今なんて言ったの?」
「あ、あのアスランとキラを探しにって…」
「その前」
「ナタルはあの人とはちが…ハッ!?」
 外ではナタルと呼ばないように、とは言われてない。それが二人だけの時の呼称だなどと、言わずともシンジが分かっているだろうと、その意味ではシンジを信頼していたのだ。
 が、ミサトに釣られた。金髪は確かに個人の趣味だが、根元が黒いというのは手入れを怠っている証拠で、見た目も良くない。少なくとも、ぱっと見でいい印象は与えないだろう。おまけに、この非常時だというのに、仕事は助手に任せてプールで泳いでいたり、それらがシンジの所為だと婉曲ながら言ってみたりと、シンジの印象は最悪の物になっている。
 ミサト同様シンジを捜して走り回り、車ごと凍らせて彫像を作っていたシンジを叩いたナタルとは大違いである。
 それはいい。事実なのだから。
 しかし、ナタルと口走ったのは致命的なミスであったろう。軍人ではないから少尉と呼ぶ必要はないが、百歩譲ってもナタルさんまでで、呼び捨てにするなどどう見ても怪しい。
「ナタルと…随分仲良くなったんだ。私とキラ君が必死に探してる時、どこで何をしていたのかなあ〜?」
「ちっ、違うんですっ」
 キラの体重はシンジと変わらない。重すぎでもないが、軽い訳でもない。そのキラを背に負ったまま、シンジが数歩後退る。
「ふうん?」
 一歩、また一歩とミサトが進むたびに、シンジの足が下がっていく。あっさり壁際まで追いつめられた。
 殺気や怒気はないが、妙な妖気のような物がミサトから漂っており、今のシンジに抗しうる術はない。
 巻き付いた獲物を飲み込む蛇のように、ミサトの顔がすっと近づいてきた。
(助けてー!)
(断る)(やだ)
 仲魔達からはあっさり見捨てられ、
(殴られそうじゃないし、別にいいだろ。空針で釣られるオヤビンが悪い)
 事もあろうにあっさりと見捨てられた。
(そ、そんなー!)
 悪足掻きする間にもミサトの顔は近づいてくる。
「ねえ?」
 吐息と共に耳元で囁かれ、シンジの肩がぴくっと震えた。
「は、はい〜?」
「来る前からシンジ君の事、いいなって思ってたのに…ナタルはそんな事思ってなかったのよ。シンジ君てばひどいな〜」
(ハウ!?)
 前半はともかく、後半は確かにその通りだ。会った当初、ナタルはシンジに好意を持っている感触など全く無かった。無論嫌ってもいなかったが、ただ職務として迎えに来た相手という、それだけである。
「裏切ったのね?父さんと一緒で私を裏切ったのね?」
「そ、そんな事は…」
「でも、私の事嫌いでしょう?」
 どうしてそうなるのか理解し難いが、ふるふると首を振るのが、シンジの精一杯であった。
「うそ」
「ほ、本当です」
「ほんと?」
「うん」
「ふーん」
 ちょっと気は緩んだが、まだ口元はシンジの耳朶に寄せられている。
「じゃ、ちゅーして」
「へ?」
「そうしたら信じてあげる。ナタルとはもうキスくらいしたんでしょ」
「し、してないですよっ」
 嘘だ。
 それも真っ赤な嘘だ。
 ただし、ミサトの方もそんな事は思っておらず、ちょっと針を落としてみたに過ぎない。今度は釣れなかった。
「まあ、いいわ。じゃ、あたしが第一号ね。んー」
 薄くルージュを塗った赤い唇が、シンジの前にそっと突き出された。
「あ、あのっ…」
「巨乳お姉さんは嫌い?」
 キラを背負っていたが、片手は空いている。ミサトはその手を自分の胸に導いた。もにゅ、と柔らかい弾力が伝わってくる。
(ぜ、全然ボリュームが違う…)
 と、罰当たりな事を考えたシンジの耳元で、
「ねーえ、はやくぅ…」
(オヤビン、こんな所で追いつめられてる場合じゃねーぞ)
(おっぱいの感触に顔赤くしてないで、早くしなさいよ)
 助けるどころか、依然としてつれない仲魔達であった。
(わ、分かったよもう)
 突き出されている唇に、シンジはそっと自分の唇を触れ合わせた。
「ふえ…」
「え?」
 返ってきたのは、驚いたような反応であった。
「ほっぺかおでこかと思ったのに、ちゃんと唇にちゅーしてくれるなんて、シンジ君やるじゃない」
「へ?」
 また釣られたのかと思ったが、シンジ君にしてもらっちゃった、とまるで少女みたいに頬を染めて唇をおさえているミサトを見ると、そんなに悪い気はしない。
 と、その表情が不意に固まった。
「さーて、発令所に急が…シンジ君?」
 ガクガクブルブル。
 何かに怯えているような表情のシンジが居る。まさか自分の唇と相性が悪く、アレルギー反応でも起こしたのかと、違う意味で心配になったミサトだが、
「う、後ろ…」
「え?」
 シンジの視線が自分の後ろにあると知った瞬間、ミサトの身体もびくっと硬直した。
「何を…やってるのかしら〜?」
 使徒も裸足で逃げ出しそうな、そんな凄まじい殺気を漂わせて立っているのは、マリューであった。
 無論、表情はにこりと笑っているのは言うまでもない。
 
 
 
 
 
(つづく)

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