妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第九十五話:君が知ってるか知らないか知らないがステラはいい身体をしている
 
 
 
 
 
「…来るか」
(え?)
 ハマーンの声が聞こえたような気がして、セラーナは振り返った。
 セラーナ・カーン――ハマーンの実妹にして唯一の肉親である。姉の能力値が高すぎて影は薄れがちだが、能力は決して凡庸ではない。
 ただ、そのセラーナにも、姉の様子は今ひとつ理解できずにいた。偽名でオーブに入国したのはいいとして、高級ホテルの部屋を二部屋予約し、片方は全く使おうとしないのだ。
 エグゼクティヴルームは、チェックイン時に全体をチェックしただけで、後はこのデラックスルームに二人で泊まっている。
 ハマーンに浪費癖はないし、両方の部屋は繋がっていないから、緊急時の避難先にもならない。とはいえ、ハマーンが何の考えもなく余分な部屋をおさえる事などあり得ないと、向こうに泊まる事を勧めたりはしなかった。
 そのハマーンだが、オーブに入国してからというもの、どこかしら心ここにあらずの風情に見える。確認しなければならない事がある、とそれだけしか聞かされておらず、ハマーンの具体的な目的は知らないままだ。
 正確に言えば、異世界人を発掘する必要がある、とは言われているのだが、なぜハマーンがそんな事をしなければならないのか、なぜ会うでも見つけるでもなく発掘なのか、そしてその異世界人とやらを発掘してどうなるのか、ハマーンの真意は分からぬままだ。
 妙にその異世界人に興味を持っているようだが、セラーナには理由も原因も分からない。
 今日も窓枠から下界を眺めていたハマーンが不意に呟いた気がしたのだが、
「気付いたか?」
「は、はい」
「そうか、お前も気付いたか」
 自分の独り言に気付いたか、と問われたと思い頷いたセラーナだが、この時に気付くべきだったのだ。
 お前も、とハマーンが言ったことに。
 そしてここには姉妹二人しかおらず、自分の台詞を指したにしては不自然な物言いだったことを。
 何より――この知将の研ぎ澄まされた意識の先が唯一向いている先に、気付くべきだったろう。
 ハマーンの意図に気付かなかった事を、セラーナは後悔する事になる――その乳と尻で。
「では、用意せねばならんな。セラーナ、これを身につけよ」
 窓辺から降りたハマーンがトランクに歩み寄り、取り出した物を見てセラーナの目が大きく見開かれる。
「ね、姉様、そ、それは…」
 目が点になった妹を見て、ハマーンはふふっと笑った。
「儀式だよ。奴を出迎える為のな」
 
 
 
 
 
「撃つ・撃たない・撃つ・撃たない…撃つ…撃たない…」
 オーブ海軍所属第二護衛艦軍旗艦「ローゼン」、その艦橋で脇目も振らずに花びらをむしり続ける女がいた。
 エマリー・オンス、旗艦ローゼンの艦長にして、優秀なメカニックでもある。
 時折、抜けたところも見せるが人心掌握値も高く、いつの間にかローゼン閣下と呼ばれるようになった。
 愛称なのかその反対なのかは、今ひとつはっきりしない。
 最初に二通りの選択肢を用意し、花びらをむしって最後に出た結果で決める花占いはエマリーの趣味だが、軍務にそんなろくでもないものを持ち込んでも、今のところ外した事がない為、修正されることもなくここまで来た。
 が、既に任務は通達されており、目標も分かっているだけに控えている武官達は背中に冷や汗を感じていた。
 まだ実物は見ていないものの、この国へやってくる地球軍艦のことは情報が入っている。ヘリオポリスから散々追い立てられながら、何故かほぼ無傷で悠然とやってくる奇怪な艦であると伝え聞いているだけに、形だけとはいえそんな相手に発砲するかどうかを占いで決められたら命が幾つあっても足りないと、救世主(メシア)の登場を待ち望んでいたのだが、願いは程なく叶えられることになった。
「撃って良いわけがないでしょ。艦隊を全滅させるつもりですか」
 ファイルを片手に入ってきたのはミリィ・チルダー、ローゼンの副艦長であった。
 メカニックとしてはエマリー以上の能力を持ち、モルゲンレーテから何度も異動要請が出されているが、軍事的知識にも長けており、それをエマリーの為に使うのが自分の役目と固く信じ、断固として拒否し続けている。
「だってぇ、戦時下に武装した戦艦が、それもMSを積んでやってくるのよ。一発かましておかないと、色々まずいじゃない?」
「イケマセン」
 ミリィはゆっくりと首を振った。
「私の調査では、あの艦に積んでいるのはMSだけではありません」
「何を積んでるの?」
「死神です」
「死神って、あの黒い服着て大きな鎌持ってる占いの人気キャラのあれ?」
「人気かどうかは知りませんがそれです。本隊への指示はアークエンジェルの誘導であって、威嚇射撃して萎縮させる事ではありません。そもそも我が国への入国を隠蔽しなければならない状況ではないのです」
「せっかく、こないだ大規模演習したのに?」
「駄目です」
「じゃ、砲門向けるだけ。それなら良いでしょ?」
「イケマセン」
 ミリィは再度首を振ったが、その振り方はさっきとは異なっている。
「砲門を向けるのも撃ってみるのもイケマセン。いいですね艦長」
 語尾を数オクターブ下げたミリィに、エマリーは仕方なく頷いた。
「はーい」
 どっちが上官なのか、と言うよりもそもそも軍人なのかも怪しいが、これでもオーブに一朝ことあるときは領海の守護を託された旗艦の艦長と副長である。
「ミリィったら意地が悪いんだからもぅ。仕方ない、平時航行のまま全艦出撃!」
 斯くして、カガリは艦橋から逆さに吊される事は無論、ボディペイントも経験することなく、帰国する事になったのだ。
 
 
 
 
 
「何かいるぞ」
「いるわね」
 マリューの横に引き据えられたシンジは、逃げ出すこともマリューのふとももを攻撃する事もなく、大人しく座っていた。気配がなさ過ぎて静かに怒りを内に溜めているのかと心配になったマリューだが、横目でそっと様子を窺うと表情に変化はなく、そっと身体をもたせ掛けてみた。
 避けられる事も弾き返される事もなく、そのままの姿勢で今に至る。
 艦橋モニタに映ったのは、逆さVの字を描くようにずらりと並んだ軍艦であった。
「あんなところに大量の軍艦が。わざわざ主力で出迎えかな」
「違うわ、あれは護衛艦よ。それも旧式ね。あれを出してくると言うのは、オーブ側の意思の表れでしょう。攻撃も威嚇も意図していないから、あんな小型で旧式の艦を出してきたのよ」
 まだマリューはシンジに身体を預けており、顔を横に向けて説明するマリューの吐息がシンジの耳朶にかかってくる。
「…ちっ」
「いま、ちって言わなかった?」
「言ったよ」
 シンジはゆっくりと首を振り、
「ここでミサイルを弾くのが見られなくて残念と言ったんだ」
「だ、だから!こんなところで言わないでって言ってるでしょっ」
「此処以外なら良いと?」
「ま、まあ二人の時なら…って、違うでしょ!大体、あなたはいつ――」
 狭い席で艦長達がじゃれ合ってる所へ、
「か、艦長。オーブ艦から入電です」
 ミリアリアが遠慮がちに声を掛けた。
「いいわ、繋いで」
「はいっ」
「こちら、オーブ海軍所属第二護衛…あれ?私の顔映ってる?そちらから、私の顔は見えてますか?」
「い、いえ声だけです…」
 若い女の声とその内容にマリュー以下、クルー達は呆気に取られていたが、シンジの口元には僅かな笑みが浮かんでいる。
「おっかしいなぁ、ミリィ、ちょっとこれ何とかして。私の顔が映ってないじゃない」
「あとで、いくらでも時間は取れます。今は用件通達を優先して下さい」
「仕方ないわね」
 ゴホン、と咳払いして、
「オーブ第二護衛艦軍ローゼン艦長のエマリー・オンスです。貴艦の来訪を歓迎します。ドッグにご案内しますので、こちらの誘導に従って下さい」
「アークエンジェル艦長、マリュー・ラミアスです。了解しました。エマリー艦長、ひとつだけよろしいかしら?」
「え?あ、はいなんでしょう」
「さっきの方は副長?」
「さっき?ああ、ミリィ――」
 割り込むように、
「副長のミリィ・チルダー中尉であります。以後、お見知りおき下さい」
「ありがとう、了解しました」
 通信が切れてから、マリューはふふっと微笑った。
「どしたの?」
「しっかりしてる副艦長さんね。まるでうち――んっ!」
 マリューは最後まで言い切る事が出来なかった。
 ふとももにいきなり快感が走り、指でなぞられたと気付いたのは、
「用事を思い出した」
 すっと立ち上がった異世界人が扉の向こうに消えてからである。
「か、艦長?どうかされましたか」
 声を掛けてきたまりなに、大丈夫よと返してから、ゆっくりとマリューの眉が吊り上がっていく。
(も、もー、何でこんなところでエッチな邪魔するのよ!)
 内心で毒づいてから、
(でも私何か…ああ、そっか)
 オーブが気に入らないわけではなく。
 マリューが他人を褒めた事が気に入らないわけでもなく――。
 火薬庫の傍らで煙草に火を付けるような真似の代償として、高かったのか安かったのかは不明だが、そっとスカートをまくり上げて確認すると白い肌には何の痕跡も残されていなかった。
 だがマリューはこの時、自分が天秤の片方を大きく傾けた事に気付いていなかった。
 そして、その天秤は二度と元には戻らないことも。
 ブリッジを出たシンジは、暫し宙を見つめていた。無言のまま、宙を見上げるその双眸に徐々に危険な光が宿っていく。
(……)
 す、と目が閉じられ、手を数度開閉させる。
 目が開いた時、もう目から危険な光は消えていた。
 ゆっくりと艦内を歩いて行くと、前方にさっき見た人物が映った。
「何をしている」
「あ、碇さん…」
 故郷に帰ってきたというのに、カガリの表情はどう見ても嬉しそうには見えない。
「護衛艦のこと…ありがとう。礼を言う」
「礼を言われる程のことでもないよ。問題は砲門が開いたかどうかではなく、敵意を持ったかどうか、さ。余計な感情を持たなかった指揮官と兵士を褒めてやるがいい」
「う、うん…え?」
 頷きかけて、その頭が途中で止まった。
 この男は今、何と言ったのだ?
 目に見える動きではなく、目に見えぬ敵意を、と言わなかったか?
 もし、それを察していたら…。
 ぶるぶると激しく首を振るカガリを見て、シンジは僅かに笑った、カガリの考えている事が、手に取るように読めたのだ。
「まあいい。それよりカガリ、一つ訊きたい事がある」
「なに?」
「オーブが攻められそうになったらどうする?」
 すっと直立不動の姿勢を取り、ピンと右手を伸ばすと、
「戦争賛成!悪い奴らはぶち殺す!」
「よし。が、そんな事教えたっけ?」
「アイシャに教わったんだ」
「そうか、アイシャか。ともあれ、カガリは成長した――俺に呼称を変えさせる程に。胸を張って、その姿を見せるがいい。もはや駄々をこねて国を飛び出した茶坊主ではなく、カガリ・ユラ・アスハであると、な」
「うん…」
 頷きながら、カガリはシンジの変貌が今ひとつ理解できずにいた。当初の呼称は茶坊主だった、どころか事あるごとに抹殺される寸前だったのだ。命を狙われるよりは余程ましだが、ザフト兵相手に処女を喪った程度で、こうも扱いが変わってはどこかくすぐったくもなる。
「気にするな」
「え?」
「いくら成長したとは言え、異世界人の脳内は未だ理解できまい」
「!」
 カガリの目が大きく見開かれる。
「な、なんで分かったのっ!?」
「顔に書いてある。カガリならずとも、異世界人の思考など理解できないのが普通なのだがら、気にする事はないさ」
 ただ一人を除いては、とシンジは言わなかった。
 無論、オーブに近づくにつれて妙に知ったる気配を感じ取っていることも。
「オーブから石持て追われたわけではあるまい。帰ってきたというのに、何故昏い表情をしている?」
「…どんな顔をすればいいのかなって…」
「?」
「お父様に反対して飛び出して、でも考えが変わったから帰ってきた、って…私はそれでもいいかもしれない。でも…私のせいで何人も死んだ…」
「テロリストの死生観などに興味は無い。カガリには分かるのか?爆弾を身にまとい、神の名を唱えながら、他人を巻き込むことも微塵も厭わず突っ込んでいく連中の心が分かるか?俺には到底無理だ」
 カガリが匿われていた組織<明けの砂漠>を、シンジはテロリストと切り捨てた。
「そ、それは…」
「無論、中には強制されて血の涙を流しながら爆弾を背負う者もいよう。だが、我が人生に一片の悔い無しと突っ込んでくる者も確実にいる。お前を守って死んでいった者達が、冥府で呪詛の言葉を吐くか、笑顔で無間地獄を満喫しているかなど、本人にしか分からない。他人の心を勝手に推察して悩むなど、散っていった者達に失礼というものだ。何より――」
 カガリの頭をぽんと叩き、
「カガリにそんな悩みは似合わない」
「どーゆー意味だよそれ!」
 ぷーっとふくれるカガリを見ながら、シンジの脳裏にはバーディの言葉が過ぎっていた。満足そうな顔で死んだ子は初めて見た、と彼女はそう言ったのだ。
 カガリを守れたと満足して散っていったのに、カガリが後ろを向いていてはその魂魄も浮かばれまい。
「悩むのもいいが、後ろは向かぬ方が良い。その決意があるから、俺に始末される事も覚悟でこの艦に乗ったのだろう」
(……)
 ややあってから、カガリは小さく頷いた。
「分かった…。でも…」
「ん?」
「あなたは…本当に強いんだな」
「カガリのくせに――」
「え?」
「私と同じ事を言うのだな」
「!」
 耳から入った情報が信じられず、カガリは呆然と立ち尽くした。あなたは、の部分などではあるまい。
 それが肉体的なものなのか、或いは精神的なものなのかは分からない。
 だが、シンジがそれを口にした事があるということが、何より自分にそれを告げた事がカガリには到底信じられなかったのだ。
「あ、あのっ」
 カガリが漸く我に返った時、シンジの姿は既になく、僅かな衝撃が艦の接舷を伝えてきた。
 
 
 
 訪れた文官が、お迎えに上がりましたと伝えた時、マリューは驚かなかった。
 ウズミ様がお待ちです、と豪奢な車内で聞かされた時も、やはりと思っただけだ。
 だが、ナタルを伴ってマリューが現れた時、
「三名の方をお連れするよう言われております」
 (三名?)
 深く考えずにムウを呼んだのだが、通常は艦長と副長で済む筈をわざわざ三名と命じた意味を考えなかったのはマリューの失策であった。
 カガリをガイアに乗せる為、シンジは見え透いた茶番劇を演じて、それをオーブに送りつけている。カガリの護衛であったキサカが別行動を取った事から考えれば、ウズミが三人目として指名したのはほぼ間違いなくシンジだと分かったろう。
 知らなかった事とは言え、もしもマリューがステラの正体を知っていたら、絶対にシンジを艦に置いたままウズミの元へ赴くような事はなかった筈だ。
 部屋に戻ったシンジは、眠っている少女達の髪を撫でていた。
 わずかに口を開け、それでも可愛らしさは失われぬまま眠っている二人に、シンジは穏やかな視線を向けていた。
 ヘリオポリスを出た時は、さすがのシンジも先行きは全く読めていなかったのだが、ここまで来られた九割七分は二人の功あってのことだと、素直に感謝していたのだ。
「オーブへ着いたら…普通の娘に戻るがいい。戦場など、ヤマトのいる場所ではないよ」
 キラの寝顔に語りかけたシンジだが、世の中はそうそう甘くない。
 とそこへ、扉が遠慮がちにノックされた。
「今行きます」
 音もなく立ち上がり、ドアを開けるとミリアリアが困ったような表情で立っていた。
「あの、キラとステラは…こっちに?」
「中で眠っているよ」
「そっか、良かった…」
(?)
 違う、とシンジは内心で呟いた。
 単に二人が心配だとか、そんな理由でミリアリアはここへ来たのではないと、シンジの勘が告げていた。
「ハウ、どうしたの?」
「い、いえその…」
「ミリアリア」
 名前を呼ばれて、ミリアリアの指先がぴくっと反応した。
「その…オーブの人たちが来ていて…」
「オーブの?」
 オーブの誰が来たのか知らないが、この艦の責任者は自分ではない。話があるならマリューに通すのが筋だし、マリューが自分を呼べと言ったのならそう告げるだろう。
 言わないということは、マリューがおらず、その上まともな案件ではないということだ。
「ハウが来るということは、艦長は不在だね」
 ミリアリアは小さく頷いた。
「大方、行き先はオーブ政府だろう。で、その艦長不在時に何を言ってきたの?艦の武装ふうい――」
 言いかけて気付いた。
 そんな事なら、ここへ来たときまず二人の所在を確認しないということを。
 二人に、或いは二人のどちらかに直結する話だから、ミリアリアは二人の安否を気に掛けていたのだ。
「ステラ絡みだね。何を言ってきたの?」
 キラはオーブ国民だし、ステラに至ってはオーブ軍属の兵士である。ガイア共々オーブに引き渡すのが筋だし、ミリアリアがそれを忘れているとも思えない。
 僅かに小首を傾げたシンジに、
「それが…被検体を至急回収したいと…」
「被検体?ガイア?」
「いえ、ステラの事みたいです」
「ステラ?」
「ステラ」
「なんで?」
「さあ?」
 首を傾げたまま訊ねたシンジにつられるように、ミリアリアの首も傾いていく。
 二人の首がほぼ同角度まで傾げられたところで、
「誰が対応を?」
「ノイマン少尉とチャンドラ軍曹です」
「分かった、行ってみよっか」
「了解です」
 ゆっくりと二人の首が元に戻り、揃っててくてくと歩き出した。
「そういえばハウ」
「何です?」
「フラガはどうした?奴さんなら上手くあしらえるでしょ」
「艦長に呼ばれて一緒に行っちゃいました」
「艦長の考える事は分からないからな。いないなら仕方ない」
「ですね」
 まさが間違えて呼び出されたとは思いもよらず、別段気にしなかった二人だが、並んで歩く二人の後ろから、綾香が見ていた事には気付かなかった。
 しかも指を当てた艶やかな唇から、キシシシと奇怪な笑い声を漏らし、メイドに首を掴まれて強制移動された事は知りもしないのだった。
 搭乗口へ着くと、ノイマンとチャンドラが背広姿の男達に囲まれていた。素性は分からないが、武闘派ではないとシンジは一目で気付いた。
 静也と付き合いがあるからこそ、身についた特殊能力だ。
「何を騒いでるんです?」
 ふらりと現れた長身の青年に、ノイマンとチャンドラは安堵の表情を、そして男達は警戒の色を見せた。
「ステラ・ルーシェを引き渡せと言うんだ。コードナンバーHK01だと」
「HK01?ガイアのコードじゃなくて?」
「…君は?」
「異世界人です。定冠詞を付けて、THE・異世界人と呼んでいただきたい」
「被検体HK01とはどういう関係かね」
「MSの相棒です」
 これ以上になく簡潔で、且つ事実なのだが、男達は当然のように怪訝な表情になった。
 それには構わず、
「彼女は今、眠っています。元々オーブ軍属故、そちらに渡す事は構いません。ただ一つだけ」
 す、とシンジが人差し指を挙げた。
「何故、名前ではなくコードネームで呼ぶのです?飼われている実験体でもないでしょうに」
「実験体だよ」
 男の一人があっさり告げると、
「我々はオーブ人工能力研究所――通称、全脳連の職員だ。全脳連に所属する被検体は、全員が何かの条件と引き替えに被検体となる事を了承している。いわばオーブに飼われているのだよ」
 別の男が引き取った。
(…繋がってないぞ)
 正式名称と略称が、どう逆さに転んでも繋がっておらず、シンジは略称を考えた人間の顔が見たくなった。
「HK01の現状は知らないが、メンテナンス期限はとっくに切れている。本来なら身体に変調を来してもおかしくない、というよりそうなっているべき状況なのだ。戦死なら構わないが、メンテナンス不足で駒を失うわけにはいかない。早々に引き渡してもらいたい」
「駒のメンテナンス不足、ねえ」
 男達は気付くべきだったろう――呟いたシンジの口調が僅かに低くなった事に、いやそれよりも自分たちを阻むように立っていた二人の軍人がすっと身体を引いた事に。
 そうすれば、少なくとも家に帰り着く位は出来たろうに。
 だが彼らは気付かなかった。
「そうだ、あれは我々に取って必要な実験体なのだ。入国させてもらっておきながら、他国の所有物をどうこうしよう考えるほどこの艦の艦長は――」
 男は、最後まで言葉を続ける事は出来なかった。
 一瞬風が舞った、と思った次の瞬間、男の姿は消えていたのである。
 浮いている剣を見た時、チャンドラとノイマンは、何となく男の命運を悟ったが、それでもこの事象を見るのは初めてで、起きた事を理解してはいなかった。
「フェンリルにはいずれ謝っておきます。薄汚れた血なのは分かっていますが、片付けて下さい」
 シンジが何の抑揚もない声で告げた瞬間、二人は起きた事態を把握した。突如現出した剣は、誰かに触れられる事無く男達の身体を縦に、或いは横に切断し、同時に吸い込んでいたのだ。
 乗り込んできた男達は忽ちの内に四名を失った。
 だが、異妖の剣は仕事半ばでその動きを止めた。
(?)
 硬直する二人を余所に、シンジがちらりと後ろを振り返る。そこには、シンジと共に戻り物騒な事態に直面するはめになったミリアリアが立っていた。
(大丈夫?)
 目を合わせたシンジに、ミリアリアはふふっと微笑った。
(もう慣れた)
(それは結構)
 シンジが僅かに頷いたかに見えた時、二人は剣が動きを止めた理由を知った。
 だがこの時シンジは、ミリアリアがただ慣れたのではなく――慣れ過ぎた事を知らなかった。
 精を持たぬ者が慣れ過ぎると言うことは、即ちその手が染まるということを。
(これって…何で動いてるんだ)
 制止するとか割って入る事ではなく、エクスカリバーの動力に疑問が湧く時点でクルー達は順調にシンジ菌に感染しつつあるようだ。
「では改めてまっさ…おや?」
 ただ大人しく滅ぼされるのを待つのが当然、とでも言うふうにシンジが顔を戻すと――そこに男達はいなかった。
 文官ながら銃は携帯していたようで、艦の外へ下がり青い顔でこちらに銃を向けている。
「ハウのせいだ」
「はい?」
「ハウに気を取られたから撃たれる羽目になったじゃないか。後でお仕置きしてやる」
 ノイマンもチャンドラも、銃を向けられて気が触れたか、と思わない程度には、シンジを理解出来ている。
 理解度に於いてもう少し進んでいるミリアリアは、
「お断りです」
 べーだ、と薄紅色の舌を出した。
「ちっ」
 ご丁寧に、口に出して呟いてから、
「ところであれ、安全装置(セーフティ)解除されてるの?」
 まるで画面越しの出来事に対する感想みたいな口調に、男達はさすがに顔を見合わせた。
 どうみても、気違いだと思ったのだ。
 訳の分からない剣を振り回すかと思えば銃口を向けられても、全く反応する様子がない。
「いーや、まだ掛かったままだな」
 が、チャンドラの台詞を聞いて、慌てて銃に手を掛ける。
「いいよ、待っていてあげます。どうせ、詰まらぬものを討たせたと怒られるのは分かっているし」
 
 誰に?
 
 顔に?マークを貼り付けた三人と、ぎこちない手つきで銃の安全装置を外していく男達、そしてその前には宙に浮遊したままの剣と、男達を見物している青年がいる。
 シュールを通り越して不気味な絵面だが、銃弾が発射されることも、妖剣が男達を消滅させる事も遂になかった。
「愚か者!」
 凛とした声が男達を一喝したのだ。
 さして大きな声でもなかったが、まるで雷に撃たれでもしたかのように、男達は銃を手にしたまま硬直した。
「誰が愚か者だ!……OUCH!」
 無粋な男の後頭部を、後ろから膺懲の一撃が襲った。
「あなたじゃないでしょ」
「言ってみただけだ。まったく、風情をりか――」
「あ?」
「いえ、何でもありません」
 3オクターブほど低くなったミリアリアの声に、シンジは早々に投降することにした。
 と、そこへ、
「部下が、大変失礼いたしました。申し訳ございません」
「どちらさんで?」
「オーブ人工能力研究所、責任者のオウカ・ナギサと申します」
 良い身体をしている、とシンジは内心で呟いた。
 丸腰だが、その動作には全く隙が無く、楚々と一礼する姿にも厳しい鍛錬を積んだ者のみが身につける雰囲気がにじみ出ている。
(たまにいるんだよな、こーゆー素手でも強そうな奴って。あーやだやだ)
 何が嫌なのかは不明だが、シンジは内心でぶつぶつとぼやいた。
「で、そのナギサさんが何用で」
 頭を上げた時、オウカは既に足りない人数を掴んでいた。
(四人は既に消されたか――コーネリア様、申し訳ありません)
 ステラ・ルーシェの回収には最大限の配慮を要する、必ずお前が赴くように――。
 コーネリアからは、厳命を受けていたのだが、一足違いで部下達が勝手に出向いてしまったのだ。
(血の痕はない…やはりあの方の言われた通りか)
 奇怪な術を使う異世界人と遭遇する可能性がある、とは言われていた。但し、科学で解明出来ない術なら師匠から数多見せられているので、すんなり受け入れられたし、眼前の状況を見て、やはりと納得したのみである。
「研究所は、政府の直轄下にあります。ただ、関わっている者が皆、被検体を物品扱いしている訳ではありません。かかる者達の科は、私が受けます。私の命で、どうか贖ってはいただけませんか」
(!)
 許せ、ではなく自分が身代わりになると言う。
 男達は残り六名、そこまで価値がある存在なのか、そもそも何が虎の尾だったのかを何故知っているのかと、ミリアリアはオウカの綺麗な緑髪を見ながら考えていた。
「承知した」
 シンジはあっさりと頷いた。
「愉快な政府首脳陣まで消毒が必要と思ったが、あなたがその身で全て受けるというならそれも良かろう。俺が送ってあげます」
 腕を伸ばすと、剣はその手の中に収まった。
(そ、そんなあっさりかよ!ていうか、政府首脳陣って…どういう事だそりゃ!?)
 チャンドラとノイマンも、六人の下っ端より一人の責任者の方が価値が高いだろうに、とか、そもそもシンジがそんな事を受けるとは思っていなかったのだ。
 だが、シンジがこの男達の抹殺だけで済ませる気は無かったことと、何よりもこの少女がそれを読んでいたらしいと知り、度肝を抜かれていた。
 オウカのフォースが乱れている、とヨーダはそう言った。
 故に心せよとの教えであったが、さすがのオウカもそれがこんなに早く、我が身に降りかかってくるとは思っていなかった。
 とは言え、この青年が部下だけで矛先を納めるかは不明で、半ば勘で言ってみたのだが、それが的中した以上、最早オウカに躊躇いはなかった。
 元より、部下達が勝手に向かったと聞いた時点で、我が身を投げ出す悲壮な覚悟はしていたのだ。
 彼らが何を言ったかは知らないし、今更知ろうとも思わない。
 だが、理由はどうあれこの国に死神の鎌を振り回させる訳にはいかないのだ。
 絶対に――。
(コーネリア様、あなたには絶対に触れさせません)
「ひとつだけ、教えて下さい」
「ん?」
「ステラは、元気にしていますか?」
「うちの軍医が言う分には、極めて健康体だそうだ。今は部屋で眠っている」
「…そうですか」
 オウカはうっすらと微笑んだ。
(なるほど、それも能力の一つか。とりあえず、備えるだけの時間稼ぎにはなろう)
 
 散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
 
 自らの信じた宗旨故に自害を許されず、人質にせんと軍兵に屋敷を取り囲まれた時、兵に自らを突かせた武家の妻と同じ句をオウカが内心で詠んだと知ったら、シンジは何と言ったろうか。
 とまれ、シンジの手に握られた剣が軽々と振り上げられても、制止はおろか介入できる者もこの場にはおらず、悲壮な決意と共にオウカが散るかと思われた瞬間、
「碇さん、待ってっ!」
 悲痛にも近い叫びがシンジの手を止めた。
 振り向いた先にステラがいたのは、無論声で分かっている。
 がしかし。
 その後ろに、不機嫌そうな表情を隠そうともしない綾香が居たのは、さすがに想定外であった。
「あ、おはよう」
「お、おはようございます…じゃなくてっ!」
 脱兎の如き速さで駆けてきたステラが、シンジとオウカの間に割って入る。
「ステラあなた…」
 オウカが驚愕の表情を浮かべたのは、ステラが自分を庇ったことではなく、衰弱や窶れなど微塵も感じられぬその姿であった。
 それはオウカの常識では考えられない事だったのだ。
「オウカ姉さま、お久しぶりです」
「え、ええ…でもステラ…随分と元気そうね。安心したわ」
「はい。でも…何でこんな事に…」
「部下達があなたを回収に来た、と言えば想像はつくでしょう。さ、そこをどきなさい。こんな事で、オーブに災禍をもたらす訳にはいかないのよ」
「いやですっ!」
 両手を広げてオウカを庇うステラが、必死の面持ちでシンジを見つめてくる。
「碇さん、お願いです。オウカ姉さまは…いえ、オウカ・ナギサだけはどうか…許して下さい。私はどうなっても構いませんっ」
「碇さん、か。久方ぶりの呼称だね」
「あ…」
 久しぶりに呼ばれた呼称をどう受け取ったのか、シンジが剣を宙に放ると、剣はそのまま姿を消した。
 安堵したステラだが、それも一瞬のことで、シンジがすっと前に進み出たのだ。
「君が知っているか知らないか知らないが、ステラは良い身体をしている」
(え!?)
 すう、と頬が赤らむステラを余所に、
「だから俺も、とうから目を付けて迫っていたが、悉く拒まれた。絶対にお断り、だと」
(お、お兄ちゃんそれ違っ、わ、私は一度も拒否なんかっ)
 シンジがその気になれば、ステラに拒否するつもりは全く無かった、どころか女としてはちっとも見てくれなかったではないか。
「そのステラが、我が身を差し出してでも守りたいという。こうまでステラの心を占める女――やはり許してはおけないな」
 シンジの指がにゅうと伸びて、オウカの顔をくいと持ち上げる。
 さっとステラの顔から血の気が退いたが、
「まあいい。見たことのないステラの泣き顔を見るのもまた一興――と思わないでもないが、止めておこう。夢見が悪そうだ。オウカ・ナギサ――行かれるが良い」
(お、お兄ちゃん…)
 くるりと身を翻したシンジを見て、漸くステラの身体から力が抜ける。
 が、その眉がゆっくりと上がっていった。
 オウカ達が引き揚げた後、綾香に振り向いたシンジが、
「来栖川、ご機嫌斜めに見え――痛?」
 ゲシッ!
 見ると、ステラがすらりとした脚を伸ばして自分を蹴っている。
「ステラ…さん?」
「…嘘つき」
「え…痛っ!」
 ゲシゲシ!
「あの…ミリアリアさん?」
「大嘘つき。卑怯者。冷血男!」
 蹴る脚が二本に増えた。
「ちょ、ちょっと待って二人とも話せば分かる!ヒト科の霊長類は言葉でわかり合う術を持っているはず――ギニャーッ!!」
 
 良い夢に恵まれ、機嫌良く起きてきたキラが見たのは、簀巻きにされたシンジと、それをゲシゲシと蹴っているステラとミリアリアの姿であった。
「キャーッ!?シ、シンジさんどうしたんですかっ!」
 慌てて割って入ろうとしたキラの袖がそっと引かれた。
 振り返ると、ふるふると首を振る綾香が居た。
「こういう時は、助けないのが愛情というものよ」
「でっ、でも…あの…ほ、本当に?」
「ええ、間違いないわ」
 経験豊富な女の面持ちで頷いた綾香だが、その影を見ればキラは仰天したに違いない。
 その丸い尻からは――確かに三つ叉の尻尾が生えていたのだから。
 
 
 
 
 
(第九十五話 了)

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