妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第九十六話:アイシャ・スーという家庭教師(おんな)
 
 
 
 
 
「で、あんた誰」
「…カ、カガリです…」
「いーや、嘘だね」
 シンジは即座に否定した。
 髪をアップにまとめて薄緑色のカクテルドレスに身を包み、少しもバランスを崩すことなくハイヒールを履いて歩く姿は、この戦艦にはあまりに不似合いだが、カガリ本人には微塵の違和感もない。
 当然のように着こなしているのだが――本人は、実に居心地が悪そうに見える。
 侍女のマーナが乗り込んできたと思ったら、有無を言わさず着替えさせられてしまった、まではまだしも、その姿でシンジとばったり出くわしたのだ。
 で、冒頭に戻る。
「ドレスを着た茶坊主なんぞ、茶坊主とは認めん。オマエハダレダ!」
(あ、あぅ…)
 カガリだってこんな格好はしたくなかったし、ましてシンジとキラに観察などされたくなかったのだが、
「無礼者!」
「!?」
 一喝する声に、一瞬で全身の毛が総毛立った。
 マーナが自分を庇い、前に出たと気付いたのだ。
「オーブ国民の身でありながら、カガリ様になんたる物言い!無礼にも程が…モゴっ!」
 最後まで言わせてはならぬと、必死の面持ちでカガリがマーナの口を手で抑える。
「いいから黙ってろ!な!」
「モ、モゴ?」
 事態はさっぱり分からないが、カガリの気迫に押されてマーナが頷く。
「い、碇さんすまない。マーナに悪気…は?」
 す、とシンジが手を挙げた。
「構わないさ。残念だが」
「『?』」
 カガリとキラの顔に、揃って?マークが浮かんだ。
「残念ながら、モノホンのカガリらしい。違う方法でテストしようと思ったんだが」
 とりあえず、マーナは無事に連れ出せそうだと安堵したカガリだが、
「テストって、どうするんですか?」
 この場には、無邪気という黒い尻尾を生やした悪魔がいる事を忘れていた。
「本物なら、言語におかしな訛りがある。それとレズっ気がある」
「!?」
 異世界からの強制転移に加え、戦場に放り込まれて足手まといの自分たちを守ってきたことで、とうとう想い人も壊れてしまったかと、心配そうにシンジを見やったキラの目前で、信じられない光景が展開した。
「いややわぁ、何言うてんの」
「あ、出た」
 シンジが奇怪な台詞を口にした途端、カガリの手がにゅうと伸びて、シンジの襟を掴んだのだ。
「うちがレズとは…えろう、おもろい事いわはりますなあ。碇はんは」
 そのままぐいと引き寄せると、
「…殺すぞ」
 ドスの利いた低い声で囁いた。
 無論、大して声量は下げていないから、その場にいる全員の耳に聞こえている。
(え、ええぇー!?)
「カ、カガリ…さん?」
 おそるおそるキラが声を掛けると、カガリはシンジを解放してにこっと微笑った。
「なあに?」
「い、いや、あの今カガリ…な、なんか…」
「なぁに?」
「な、なんでもない…です」
 微笑っているカガリだが、その双瞳の奥に、キラは底知れぬ闇のようなものを感じ取っていた。
(カ、カガリって一体…)
「やはり本物だったか。さてと、茶坊主の真偽が判明したところで、出かけますよ」
 何を考えていたのか、カガリの奇怪な変貌にも暴挙とも言える言動にも、シンジは全く動じる様子がない。
「出かける?」
「せっかく家出娘が戻ってきたのだ。堂々と胸を張って親元へ送り届けるのが責務だろう。ヤマトも来るかい?」
「あ、はい。お供します」
「では決まりだ。が、カガリ」
「うん?」
「この侍女は置いていくがいい。ついて来られると、色々と厄介だ」
「へぇ…痛い!」
 スパパン!
「もういいっつーの。その訛りは好きじゃないんだ。どこぞの倉庫にでもしまっておくがいい」
「へ…はい」
 もう一度、へぇと言いかけて、慌てて言い直した。
(カガリがレズ…はともかく、変な訛りがあるとか、どうして碇さんは知ってるんだろう?っていうか…あんなカガリ初めて見たんですけど!?)
 キラは内心で、尤もだが一部ろくでもない台詞を呟いた。
「あ、シンジさん」
「なに?」
「あの…ステラ達は?」
「おやつ食べて」
「え?」
「おやつを食べて満足して、なおかつ暇で暇で仕方が無くなったらほどくよう、レコアに頼んである」
 乙女心の扱いが非道すぎると憤激した少女達だが、あっさりと反撃されて、煽った小娘共々、厳重に縛り上げられて転がされているのだ。
 しかもその監視役は、縛られている娘に仕えている筈のアンドロイドである。
「さて、行くか」
「あい」
 頷いたカガリが、
「私は戻っているから、マーナは後から来てくれ。大丈夫、心配は要らないから。いいな?」
「…お嬢様の仰せの通りに」
 納得していない風情はありありと見て取れたが、それでも逆らうような言葉を口にすることはなく、すっと一礼した。
 
 
 
 マリュー達が官邸府の大広間に通されると、既にウズミが待っており、立ち上がって出迎えた。
 慌てて畏まる三人を、すっと手を挙げて制し、椅子を勧める。
「オーブへよく来られた。さしたる事も出来ないがとりあえず補給と整備を――、と言いたいところだが」
「?」
「貴艦には、いずれも無用の長物のようだ。外見しか見てはいないが、ああも無傷で悠々と航行されては、紅海・インド洋と手をこまねいて見ていたザフトの部隊は、本国へ召還された上、軍事法廷を免れんな。正直に言えば、カーペンタリアの部隊に追われる君たちを考えないこともなかったのだがね」
「ウズミ様…」
「とまれ、ヘリオポリスでの住民救出には礼を言わねばなるまい。また、巻き込まれ、志願兵となったこの国の子供達も、意気軒昂たるものがあると聞き及んでいる。お見事な手腕であった。マリュー・ラミアス艦長」
「お、恐れ入ります…」
 何を言われるのかは分からなかったが、突っ込まれるとしたらヘリオポリス崩壊位のものだが、そのヘリオポリス崩壊が大きいのだ。
 とはいえ、こうも手放しで褒められると、くすぐったいよりも警戒心の方が強くなってくる。
「して、早速だが商談に移らねばならん」
「あのウズミ様、商談とは…?」
「ガイアの事だ。先だって、所有権が異世界人に移ったと映像が送られてきた。奪還、などと愚かな事は言わぬが、何としても譲渡してもらわねばならぬ。それで、異世界人はどこに居られるのかな?」
「『!』」
 この時初めて、マリュー達は指定された人数の意味を悟った。
 艦長と異世界人、それに付き添いを含めて三人だったのだろう。
 単に役職を揃えるだけなら、人数指定など要らなかった筈だ。
(しまった…!)
「異世界人、いえ碇シンジ君なら未だ艦内に。その…気が至らず申し訳ありません」
「そうか」
 ウズミは咎めることもなく、
「良い。元より、彼を指定しなかったのはこちらの手落ちだ。それと――」
「はい?」
「貴艦には、どこぞの甘ったれた小娘が乗り込んでいたと聞く。息災かな?」
 持って回った言い方だが、カガリのこととすぐに気付いた。
「はい。元気にしておられます」
「無傷で?」
「も、勿論です」
「監禁されることもなく?」
「は、はい…あの、ウズミ様?」
 カガリは、と直接言わない上に妙に諄い。
 或いは、カガリの事ではないのかと思い始めた三人だが、ウズミは何故かふっと笑った。
「それだけ元気でいるのなら、異世界人に討たれはしなかったのだろう。或いは、迎えを寄越さずとも、一緒にやって来るやもしれぬ」
(あぁ)
 そういうことか、とマリューは内心で呟いた。
 アフリカを発つとき、シンジは護衛としてついていたキサカの同乗を許さなかったのだ。当然、そのキサカはオーブに戻っていようし、シンジのカガリに対する評価も詳細に報告しているのは間違いない。
 或いは、本気で娘の生死を心配していたのかもしれないと思うと、マリューは少しだけウズミに同情したくなった。
 あくまでも――少しだけ、だが。
「本艦に同乗して以来、お嬢様は随分と変わられました。今では、立派な戦士として彼も認めています」
「で、あるか」
「はっ」
 ウズミの表情は変わらなかったが、その瞳の奥に一瞬だけ、優しげなものが浮かんだことにマリューとナタルは気付いていた。
(やはり、この方も人のお…つっ!)
(表情に出すんじゃない!)
 マリューに足を踏みつけられ、ナタルの表情が歪む。
(す、すみません…)
(ったくもぅ)
「まあいい、彼がいな――」
 ウズミは、最後まで言葉を続ける事が出来なかった。
 言い終わらぬ内に凄まじい音がして、重厚な扉が吹っ飛んだのである。
「『!?』」
 反射的にムウとナタルは立ち上がったが、マリューは動かない。
 その視線の先にいたのは異世界人と甘ったれた小娘――シンジとカガリであった。
 後ろにはキラも控えている。
 シンジは、濛々と舞う埃を気にすることもなく、つかつかと室内に押し入ると左右を見回し、視線が一周してウズミで止まった。
「ちょうど今君の――」
「誰よ」
「これは失礼した。私はウズミ・ナラ・アスハ。この国の元代表だ」
 いきなり扉を吹っ飛ばされて、平然と対応するとはさすがウズミ様、と感心したのも束の間、次の瞬間マリューも僅かに顔色を変えた。
 シンジがウズミに掌を向けたのだ。
 それが何を意味するのか、AAの乗組員で知らない者はいない。
「初めてお目にかかる。そして、これが最後になる。先に冥府で待たれるがいい。奴もすぐに送ってくれる」
「ちょ、ちょちょっ、ちょっと待てー!」
 慌ててムウが割って入った。
「何か?」
「何か、じゃねーよ!一体どうしたんだよ、入ってくるなり」
「罪状認否が要る?」
「あ、お願いします…ってか、何の罪だよ!」
「決まっている。アークエンジェル艦長、マリュー・ラミアス大尉に刺客を差し向けた大罪だ」
「『…え?』」
 ムウは無論のこと、対象とされたマリューから、展開が早すぎてついて行けなかったカガリ、そしてキラまでもが呆気に取られている。
 唯一動じていないのは、シンジの手が意味するところを、未だ目の当たりにしてないウズミただ一人であった。
「犯した罪に対する刑に服することには吝かでないが、差し支えなければ論拠を聞かせてもらえないかね」
 と、そこへバタバタと足音がして、男達が飛び込んできた。
「ウズミ様、いかがなされましたか!」「爆発音がしましたが!?」
 護衛達の目に飛び込んできたのは、ウズミに掌を向けている長髪の青年であり、どう見てもこいつが破壊音の元凶に違いないと銃を向けたが、
「下がっておれ!」
 意外にも、一喝したのはウズミであった。
「『し、しかしウズミ様…』」
 ウズミは言葉を重ねず、男達をじっと見据える。
「『し、失礼いたしました』」
 男達がぞろぞろと退出するのを眺めながら、シンジはゆっくりと手を下ろし、その場にいた誰もがほっと安堵した。
「なるほど、既に引退した身でありながら、艦長達を引見するだけの事はあるな。まあいい、先ほどの物言いでは刺客に心当たりはない、と言うことでよろしいか」
「残念ながら」
「ふむ」
 シンジは一つ頷き、すっと一礼した。
「これは失礼を。THE・異世界人こと、碇シンジです」
「THE・異世界人?」
「ついさっき、ランクアップしたんだ」
 怪訝な顔で訊ねたマリューは、その名乗りを聞いた男達が、文字通りこの世から消滅したことなど無論知る由もない。
「じゃ、改めて抹殺を」
 ろくでもない事を言い出したが、その手はウズミに向けられてはいない。
「ウズミ公は、刺客に心当たりがないと言われる。それならば、俺が片付けてもどこからもクレームは来ない。だね、カガリ姫?」
「ふぇ!?」
 この部屋までは、キラに腕を取られながら普通に来たのに、部屋の前に来た途端、獲物の接近を察知したタランチュラの如くワキワキと手を動かし、扉を吹っ飛ばしただけでも仰天してキラと二人して硬直しているのに、刺客が云々などと言われても反応できる訳がない。
 しかも、姫と来た。
「あ、ああそうだな…」
 なんとか言葉を絞り出すと、
「よし、お許しが出たことだし」
 シンジの手が僅かに動き、
「そこで蠢いてるやつ動くなよ?動けば、おっぱい丸焼きにするよ」
「『!!』」
 思わずナタルが胸をおさえ、皆の視線が一斉にナタルへ向けられたが、
「けしからん心当たりはありそうだが、そっちじゃない。とりあえず、雇い主は身体に訊くとしよう――動くなっつーの!」
 直後、不可視の風が天井を直撃し、小さな悲鳴と共に何かが落ちてきた。
「火と風を間違えたぞ。まあいい、どのタイミングで引き金をひく気だったかは知らないが、このサイズの拳銃なら、十分殺傷能力はあるな。さて、キリキリ話してもらおうか」
 大型拳銃を手に落下して来たのは女であり、それを見たウズミとカガリの口が、期せずして同時に動く。
「『コ、コーネリア…』」
 ろくに受け身も取れず、苦痛で呻いているのは、コーネリア・リ・ブリタニアであった。
 無論、シンジの耳に二人の呟きは聞こえている。
 シンジの口元に、邪悪な笑みが浮かんだ。
 どこかの親玉が見たら、及第点を与えるに違いない笑みであった。
 
 
 
「あーむ、と」
 シンジの置いていったゼリーを口に運びながら、レコアの表情は実に満足げであった。
「気が向いたらほどいてくれ。あ、これ賄賂ね」
「賄賂とかいうな。まあいいや、このガキンチョ共を預かればいいのね」
「そういうこと。監視も付けるから」
「監…視?」
 綾香とステラ、そしてミリアリアの三名を縛り上げて引きずってきたのを見ても、そして皿に盛られたゼリーを見てもレコアの表情は変わらなかったが、シンジの後から入ってきた姿を見て表情を強張らせた。
 そこに立っていたのはセリオであり、来栖川綾香に絶対忠誠を誓うアンドロイドではなかったか。
 が、縛られている主人を目の前にしながら、セリオには助ける様子もシンジから奪還する素振りもない。
「じゃ、セリオ。そーゆーことで」
「はい」
「軍医の気が済む前に暴れたら、のしかかってでもいいから押さえつけておいて」
「承知いたしました」
 ふわふわとシンジが出て行った後、
「あ、あの…」
「何でしょうか」
「この縛られてるのって、あなたのご主人様よね」
「そうなります」
「放っておいていいの?」
「直接手を出してはおられませんが、碇様を攻撃するようこちらの方を扇動し、捕縛される結果に至ったものです。碇様は相当に手加減しておられましたし、綾香様には良いご休憩になられるかと」
(怖ーよ、アンタ!)
 縛られている主人を前に、平然としているアンドロイドに内心で突っ込みながら、レコアは縛られている三人に目を向けた。
「『んーんー!ムームゥームー!!』」
 猿轡が厳重ではないのか、呻き声が漏れてくる。
「ちょっとウザいわね。その猿轡、外してやってくれる?」
「よろしいのですか」
「ええ。但し、外した途端に騒ぎ出したら、きっちり静かにさせてね」
「かしこまりました」
 セリオが恭しく一礼した瞬間、喧しかった呻き声はぴたりと止んだ。
 
 
 
「ん?誰かいま、これの名前呼んだ?もしかしてお知り合いで?」
 ちらっとシンジに視線を向けられ、カガリがぶるぶると首を振る。
 知り合い、どころではない関係だが、銃を持って天井裏に潜んでいた以上、ウズミが否定した刺客認定の条件は満たしているし、血縁だなどと到底言える雰囲気ではない。
「カガリの知り合いじゃないですかそうですか」
 落下した時に身体を打ち付けたのか、コーネリアはぴくりとも動かない。
 そのコーネリアを見下ろしながら、すっと上げた手が炎を帯びるのを見た時、ウズミは目の前の青年の正体を知った。
 武器もなくザフトのMSを始末したと報告され、報告者の精神状態を疑うまでには至らなかったが、やはりどこかで信じられない思いがあったのだ。
「ちょ、ちょっと待てやシンジ」
「何よフラガ?」
「いや、この部屋に潜んでいたテロリストならオーブの犯罪者だろ。ここは警備に引き渡して取り調べをだな――」
「ウズミ公には心当たりがなく、カガリ姫からは刺客退治を仰せつかった。捕まえて取り調べろ、とは言われてない」
「そ、それはそうだが…」
 無論、マリュー達はコーネリアの事など知らないが、ウズミとカガリ、いずれとも顔見知りであること、そして天井裏に潜んでいた理由も大凡見当がついていた。
 狙いは――ほぼ間違いなくシンジだろう。
 だいたい、こんなところでマリューを消しても無意味だし、連合との関係悪化にしか役に立たないのだ。
 情報源が避難船の民間人、という線は考えづらい。
 おそらくはキサカ辺りからシンジの情報を入手し、カガリに対する接し方から、危険人物と認定したのだろう。
 アークエンジェルに同乗しなかったキサカの知識は、茶坊主呼ばわりされ、幾度も死の危険に瀕していたカガリの姿しかないのだ。
 その後、カガリが色々と卒業して、シンジからの評価が大いに変貌した事など知る由もない。
 ただ、コーネリア自身はシンジが精(ジン)を使う姿を見ていない為、ウズミに掌を向けても反応できなかったのであろう。
 あれがただの掌ではなく銃であれば、確実に発砲していた筈だ。
 肝心のシンジだが、ウズミに対する態度からして、シンジも気付いている可能性が高い。
 本当にマリューに対する刺客だと思っていたら、有無を言わさずウズミの身体を左右に裂き、同時に天井一帯を火の海にする位はやりかねない性格なのだ。
(ま、まあそこまでは自惚れ…かなっ)
 勝手に赤くなっているマリューに視線を向けることなく、
「じゃ、続けよう。雇用主は死体から聞き出せば済む。せーの」
 改めて死を帯びた手があがり、断罪の一撃を加えようとした瞬間、
「待たれよ碇殿」
 掛けられたウズミの重々しい声にマリュー達は安堵し、カガリは――表情を変えていた。
「何か?」
「否定したは誤りであった。その者、我が縁者に相違ない。放してやってはくれぬか。無論――責めは私が負う」
「ホホウ。うちの艦長の命を狙った刺客の身代わりになられる、と?」
「その通りだ。雇用主は聞けずとも、我が首ならば代価には足りよう」
「『!!』」
 伸びている女の正体は不明だが、シンジの力を目の当たりにしてなお、ウズミは自らが責めを受けると言う。
 知らぬこととは言え、武器を持った者を潜ませた事への責任なのか、或いは女との関係性なのか、ウズミの真意は不明だが、マリューが口を出さないのは、シンジの気がさして尖っていないと気付いたからだ。
 普段なら、こんな大仰な物言いはしない。
 さっさと女の首は胴に別れを告げていよう。
 一方でカガリはと言うと、真っ青になって硬直していた。
 無論、マリューほどにシンジのことは知らないし、どう見てもウズミは知らない様子なのに、コーネリアを庇うなど自殺行為にしか思えなかったのだ。
 が、シンジはウズミの言葉を聞いても何も言わず、つかつかとコーネリアに歩み寄った。
 伸びているコーネリアの胸ぐらを掴み、ペシペシと左右に張り飛ばす。
「こらっ、起きろ」
「あ…」
 思わずウズミが手を伸ばしかけたが、その袖が横から引かれた。
 見ると、必死の面持ちで自分の袖を引くカガリが、思い切り首を左右に振っている。
(カガリ…)
 シンジからは塵芥にも等しい評価を受けていると聞いていたが、シンジのカガリに対する態度を見る限り、到底そうは見えない。
 何があったのかは分からないが、自分に反発して飛び出していった娘が、我が身を案じて制止する姿をウズミは複雑な思いで見やった。
「起きろっつーの」
 叩かれる度にコーネリアの顔が左右に振られ、肌が叩かれる音はするが、さして力は入れていないし、そもそもこのやり方は極めて穏便な部類と分かっているから、マリューもムウも余計な口出しはしない。
 じゃあさっさと起こすわ、と火炙りとか水責めに切り替えられたら、えらい事になる。
「ん…んぅ…」
 間もなく、小さな声と共にゆっくりとコーネリアが目を開けた。
「おはよう、ミステロリスト。それとも、ミセスかな?」
 徐々に焦点が像を結び、その双眸が男を映し出す。
「き、貴様っ…」
「あ、碇シンジです。通称異世界人、定冠詞をつけてTHE・異世界人と呼んでください。早速ですが、アンタがうちの艦長の命狙ったんで、首と胴を分離してから脳に雇い主聞こうと思ったんだけど、あのオッサンが自分が身代わりになるんでアンタを解放しろと言うから、代わりに死んでもらうとこ。何か質問は?」
 ろくでもない事をサクサクと告げられ、一瞬呆気に取られたコーネリアだが、シンジが指差した先に気付き、その目が大きく見開かれた。
「ウ、ウズミ様っ!?」
 ウズミは黙って、小さく頷いてみせた。
 聞かずとも分かっていたのだ。
 コーネリアは、マリューを狙ったりなどしないことを。
 その狙いはシンジ――自分に対しても、カガリへのそれと同様、刃を向けかねないと危惧し、天井裏に潜んでいたことを。
 何よりも、ほぼ間違いなく自分の言葉でシンジを危険人物と認識した以上、シンジの手に掛かるのを放っておく事は出来なかったのだ。
「ふ、ふざけるなっ!」
「はい?」
 怪訝そうな顔でコーネリアの顔を眺めるシンジの襟を、コーネリアがぐいと掴んだ。
「き、貴様の命を狙ったのは私だっ!ウズミ様には何の関係もない!」
「ホホウ」
 自分の襟を掴んでいるコーネリアの手を離させるどころか、気にした様子もなく、シンジは微笑った。
 にやあ、と。
 そのあまりの邪悪さに思わずコーネリアも手を離したのだが、
「つまり命を狙われたのは、うちの艦長じゃなくて俺だったの?」
「そ、そうだ…」
「いくら、ウズミ公が身代わりになると言われたところで、俺は艦長の騎士(ナイト)様じゃない。あのオッサンの首を、消し炭にするかどうかは艦長が決めること。が、しかし――」
 シンジの首がゆっくりと動き、ウズミ――唇を噛みしめている――を視界に捉えた。
「狙われたのが俺なら、艦長の裁可範疇からは外れる。ね、艦長?」
「え、ええ…」
 シンジにウズミを始末する気はなさそうだ、とは分かっていたが、狙いが自分だったと聞かされて、想定内だったのか予想もしていなかったのか、シンジの表情からはよく分からない。
 が、シンジが軍属でも――恋人でもない――以上、マリューに強制力はなく、曖昧に頷くしか出来なかった。
(彼女、なんでわざわざ墓穴掘ったのかしら)
「俺に拳銃(チャカ)を向けた奴は――」
 すっとシンジの手が上がり、
「一族郎党皆殺しだ!」
 妙に愉しそうな口調で宣言する。
 
「おいコラ、俺の台詞をパクってんじゃねーぞ」
 
 どこかで、ドスの利いた声が聞こえた気がしたが、無視することにする。
 ウズミを庇ったつもりがトリガーを引いた事に気付いたコーネリアは無論、キラもこの場面では口を出せず、理由はどうあれ標的だったと判明したシンジを制止できる者はこの場にいない。
 上がった手が、そのまま下手人へ向いた直後、飛来した何かがシンジの頭を直撃した。
「OUCH!折角お楽しみに移る所だったのに誰よもぅ」
 シンジの頭に投擲されたのは丸めた銀紙、我が身を襲った物体を拾い上げ、振り返ったシンジ目に映ったのは、カガリと同じ色の中国服に身を包み、艶然と微笑んでいるアイシャであった。
「…何しに来たのさ」
「その辺にしておあげなさいな、ミスター碇。あなたがこの二人を殺しちゃったら、この子の立場がないデショウ?」
「それはそれで別…いえ、何でもないデス」
 濃緑色の瞳がじっとシンジを見つめてくる。
「まあいい、気が削がれた。折角お土産持ってきたのに酷い国だよな、まったく」
(お土産?)
「アイシャ、カモン」
「ハァイ」
 やや舌足らずな声で応じると、大きくスリットの入った中国服から、真っ白なふとももを大胆に露出しながらアイシャがゆっくりと入ってきた。
 カガリの横に立つと、ドレスをそっとつまんで一礼する。
 さあ、とアイシャに目で促され、慌ててカガリが居住まいを正す。
「お、お父様…。そ、その…カ、カガリ・ユラ・アスハ、戻って参りました。あの…と、飛び出したりしてごめんなさい…」
(…!?)
 国にいた時は我が儘で視野も狭く、独善的で手の付けようがなかった程なのに、この短期間で一体何があったのかと、ウズミは半ば呆然と娘を見つめた。
「そ、それでこちらが…」
「アイシャ・スー、カガリの家庭教師だ」
 カガリの台詞をシンジが勝手に引き取る。
「父親からロクデナシしか付けてもらえなかった娘に、どうしても家庭教師(せんせい)が必要だと、キラとステラからたっての頼みで、とある部署からFAしてもらった」
 元はザフトの将校の恋人だ、とは言わなかった。
「そうか…お気遣いに感謝する。ミス・アイシャ」
「はイ」
「カガリのこと、よろしく頼みます」
「承知していますワ。ウズミ・ナラ・アスハ様」
 シンジの言葉をどう取ったのか、ウズミはあっさりとアイシャを受け入れた。
 或いは、テロリストに加わるカガリをキサカが止められなかったことで、思うところがあったのかもしれない。
 それを当然といった風情で眺めていたシンジは、くるりと身を翻した。
「用は済んだ。これで失礼する」
 つかつかとコーネリアに歩み寄り、
「カガリが居なければ、その首は今頃あの大空を吹き渡っていたものを」
(千の風ー!?)
 ぷにっと、軽くコーネリアの頬を突き、
「いい従妹持ったよな」
 囁くと、もう後ろを振り向こうともせずにすたすたと歩き出した。
 出て行くシンジの後にキラが続いたところで、
「待たれよ、碇殿」
「……」
 無言で足を止めたシンジに、
「娘は無事に帰ってきた。そして目下、私とコーネリアの首も繋がっている。詫びと――些少ながら礼をさせてもらいたい。受け取ってはもらえぬか?」
「お礼参りならいつでも結構だ」
「いやシンジ、そっちじゃないから」
 見かねてつっこんだムウに、
「そうか、大したものではないお礼参りだな」
「そこでもないわ。お礼参りからはなれようや、とりあえず」
「分かった分かった」
 シンジは軽く片手を挙げ、
「侘・寂の利いたお礼参りだな。いつでも待ってるよ」
「侘・寂の利いたお礼参りって何だ。お礼参りはなれろや、ほんで!」
「侘び寂びの分からん奴だ。まあいいや、好きにされるといい」
 ムウの反応に満足したか、今度こそキラを伴いてくてくと出て行った。
 残された面々はまだ硬直していたが、最初に立ち直ったのはマリューであった。
「ウ、ウズミ様っ。も、申し訳ありません!」
「あなたの非ではない、ラミアス艦長。私の顔が気に入らない、と乱入されたのではないからな。知っていようといまいと、銃を持った者を潜ませたこちらに非のあることだ。カガリ」
「は、はいっ」
「コーネリアを医務室へ。骨折まではあるまい」
「分かりました」
 未だ固まっているコーネリアに近づき、手を差し伸べる。
「す、すみませんカガリ様…」
 肩を貸して部屋を出た迄は良かったが、次第にイライラしてきた。
「なぜ天井裏に潜んでいたんだ。お父様の命令か?」
「い、いえ…ウズミ様はなにもご存じありません…」
「じゃあ、何故だ。コーネリアがあんな事をしたせいで、お父様は碇さんに大きな借りを作ることになったんだぞ」
「そ、それは…」
「どうせ、キサカに吹き込まれたか、おかしな情報に惑わされた挙げ句、お父様に良いところを見せようとか思ったんだろう。おかげでこっちは大迷惑だ」
「!」
 カガリの情報は、アークエンジェルに乗り込む前で止まっているし、そのカガリが幾度も殺されかけたのは事実だ。
 そんな危険人物が――しかも異世界人――艦内を把握して、オーブへやってくる以上警戒するのは当然だし、そもそもカガリが友好的な関係を築いていれば、こうまで警戒する必要もなかったのだ。
「…なたが」
「はん?」
「あなたがあの異世界人に殺されかけたからでしょう!そんな危険人物がやってくると聞いて、警戒しない程に愚かでもお人好しでもありません。だいたい、勝手に国を飛び出して、挙げ句テロリストと共に銃を振り回す人にどうこう――くっ!」
 コーネリアの言葉が終わらぬ内に、その身体は壁に押しつけられていた。
「私のことはどうでもいい。だが、あいつらをテロリスト呼ばわりする事は許さない。今度言ったら――うぐ」
 コーネリアが心身共に捧げているのは、ウズミであってカガリではない。
 胸ぐらを掴まれた手を振りほどこうともせず、カガリのドレスを掴んで締め上げる。
 風の一撃で落下した時、コーネリアのシャツはいくつかボタンが吹っ飛んでおり、カガリとコーネリアが互いの胸元を掴んでギリギリと締め合う。
「テロリストに混じって思考まで染まって来るとは、もう一度、理(ことわり)の何たるかをその尻に叩き込んであげます」
「ハッ?そっちこそ、そのデカ乳をまたねじりパンにしてやる!」
 歯をギリッと噛みしめ、殺気立った表情で睨み合うカガリとコーネリア。
「『ぶっ潰す!』」
 が、次の瞬間――。
 ゴン!
「いってー!」「つぅっ!?」
 互いに一撃を加えるべく手を離したはず――が、何故か鈍い音を立てて二人の額が衝突したのだ。
「『?』」
 相手の仕業でない、と理解した直後、にゅうと伸びてきた腕が二人の首に巻き付いた。
「女の決闘は裸になってオイルまみれでやるべし、とカーマ・スートラの四十八手、じゃなかった四十八章に書いてあるでショ?カガリ、用意しなさい」
「『え!?』」
「勿論レフリーは私、全部映像化してミスター碇への贈り物にするから」
「『ええー!?』」
 三百六十五歩譲って、裸の決闘はまだいいとしても、撮られた上にシンジへ贈られるなど、到底耐えられるものではない。
 女同士、裸で掴み合うシーンを、それもついさっき殺されかけた相手に見られるなど、コーネリアにとっては死ぬほどの屈辱だし、カガリにしても、シンジが何の興味も示さないか、或いはキラやステラと共に、冷静に裸を品評するのが想像できるだけに、到底許容できるものではない。
「い、いや…いいんだアイシャ」
「なにが?」
「そ、その、い、今のはちょっとしたあいさつだ挨拶。べっ、別に本当に喧嘩していたわけじゃないぞ。なっ、コーネリアっ?」
「そ、そうです」
 コーネリアが慌てて頷いた。
「わ、私がカガリ様と喧嘩するなど、あ、あり得ないでしょう」
「『うぐ!?』」
 巻かれた腕の力がひときわ強くなる。
「私にそーゆー嘘が通じる、と思ってるのぅ?」
 
 ガクガクガタガタブルブル。
 
 立場的には、カガリはアイシャの主筋だし、コーネリアとてウズミにその才を認められた俊才だが、女の細腕に絡め取られて身動き出来ずにいる。
「まぁ、いいわ。アナタ達を、無理矢理闘わせても面白くない死ね」
(い、今…)(物騒な事言ってなかったか!?)
 顔を見合わせて、もう生きた心地もしない二人だったが、
「じゃ、仲直りしまショ?」
 ほっとしたのも束の間、おずおずと互いに手を差し出した途端、
「痛っ!?」
 またしても一撃が飛んできた。
「ア、アイシャ何を!?」
「仲直り、と言ったらキスに決まってるでショ。世の中舐めてるの?殺すよ、マジで殺すわヨ?」
「『!』」
 一瞬で表情を硬直させた二人だが、否応を言える相手ではない。
 アイシャの妙な気迫に押され渋々顔を近づける。
 ところが、二人の唇が触れ合った次の瞬間、
「うわ〜」
 心底、引いたような声がした。
「『?』」
「仲直りのキスと言ったら頬デショ。ガチキスとか気持ちワル〜。あーあ、やっぱり動画撮っておくべきだったナ。もう一回してくれない?」
(〔このアマ…〕)
 あまりの展開に、さすがに二人の額に危険なマークが浮かび上がってきたが、アイシャはすっと手を離した。
「まあいいわ。せっかくの従姉妹同士なんだから、仲良くしなきゃ。ネッ?」
「アイシャ…あ」
 ちう…ちう。
 カガリとコーネリア、二人の頬で立て続けに音がした。
「私からのご褒美よ。さ、お嬢ちゃんを診察しに連れて行かないとね」
 あっ、とコーネリアの口から小さな声が上がった。
 体格はほぼ変わらないのに、アイシャがコーネリアを軽々と抱き上げたのだ。
 しかも横抱きである。
「さ、行きまショ」
 アイシャがすたすたと歩き出し、慌ててその首にしがみついたコーネリアだが、さすがに長身のコーネリアはアイシャの腕には収まりきらず、顔と足は身体の横にはみ出している。
(あ…)
 後ろを見たコーネリアとカガリの目が合った。
(コーネリア、その…さっきはごめん)
(いえ、私の方こそ…ごめんね)
 カガリが、コーネリアのウズミに対する想いに気付いているのと同様、コーネリアもまた、カガリの父に対する複雑な思いは分かっている。
 掴み合いの喧嘩をしたりする事もあるが、決して本心から嫌い合っている関係ではない。
(カガリ)
(ん?)
(あの異世界人が、この人をあなたの家庭教師にした理由が…なんとなく分かりました)
(うん…良い先生だよ)
 言ってから恥ずかしくなったのか、カガリはちょっと照れたように微笑った。
(あ、そうだコーネリア)
(はい?)
(異世界人、は止めとけ。私は、コーネリアが燃えたり裂けたり肉塊になったりするのをその…見たくないんだ)
(カガリ様…)
 少し心が暖かくなった気がしたコーネリアだが、次の瞬間その表情が凍り付く。
 カガリに何を言われたのか、一瞬遅れて脳が理解したのである。
(や、やはり…そういう人物なのですか)
(間違いなく)
 カガリは深々と、そして力強く頷いた。
 やはり、遭遇して早々、砂漠に埋められたり宙に射出されたりした経験者の言葉は違う。
 重みがある。
 これはもう、如何なる手を尽くしても抹殺すべきかと、コーネリアが自分への死刑執行令状に手を伸ばそうとした途端、その表情が僅かに歪んだ。
 同性とキスさせられた挙げ句、女に抱かれて運ばれていることを思い出した、からではなく、足に激痛が襲ってきたのだ。
 緊張やら怒りやらで気付かなかったが、どうやら足を挫いていたらしい。
 その表情にカガリが気付いた。
「だ、大丈夫か、コーネリア?」
「も、問題ありません」
「捻挫したの?」
「お、おそらく…」
「ふうん」
「『?』」
「首が捻挫して、あらぬ方向を向いていてもおかしくなかったのだけれど」
 物騒な事をさらっと口にしてから、
「カガリ」
「え?」
「このお嬢ちゃんは偉い人?」
「い、一応うちの親戚筋だし、何より父様の懐刀だ」
「そっか…じゃあミスター碇の代わりに、顔の向きを180度変えるのは、ちょっとだけまずいカナ?」
「ぜ、絶対に駄目ー!!」
 カガリが慌ててアイシャに飛びつき、その振動で足が揺らされ、更なる痛みに襲われたコーネリアのしなやかな眉が寄った。
(ウズミ様…我が国はとんでもないものを招き入れたようです…)
  
 
 
 
 
(第九十六話 了)

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