妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第九十一話:Bitch's Death Matcn――Murrue vs Talia round 0
 
 
 
 
 
「艦長、DBに該当ありません」
 バーディの言葉に、マリューは黙って頷いた。
 もとより、該当しないのは予想済みだ。
 一目で見て取れる重装備と流線型のフォルムは、護衛艦や空母などとは違い、機動力と攻撃力を兼ね備えた拠点攻撃用の戦艦だろう。
 建造用途はおそらくこの艦と同じ――だが、あれだけの規模の艦がなぜ単体でこんな場所にいるのか。
 マリューは受話器を取り上げ、コールすると相手はすぐに出た。
「おはよう、ミスマリュー」
「おはよう。映像はそちらにも見えてるかしら?」
「ええ、良好ヨ。でも、残念ながら助けにはなれないワ」
「そう、ありがとう」
 マリューはそれ以上言わなかった。
 即ち、アイシャは知らないということだ。
 予定が狂って地球に降りたこの艦ではあるまいし、間違ってここに来たとは到底思えない。
 キラが墜とせぬ相手はアスラン・ザラであった、とマリューは思い出した。
 親バカか、と呟いたマリューにまりなが反応した。
「艦長、なにか?」
「女かな、って言ったのよ」
「女?」
「向こうの艦も艦長は女みたいな気がしたのよ――勘だけどね」
 見知らぬ艦の、それも艦長の性別が分かるのかと普段なら突っ込む所だが、何せ今日のマリューの勘は異様に当たっている。
 ここまでほぼノーミスで来たシンジの、初めてのミスを予測してのけたのだ。
 尤も、シンジがあの巨艦をどう沈める気でいたのかはわからないが。
「追っ手が強奪機体ならあの艦は後詰めよ。もし違うなら最初から対艦戦になるわ。対MS戦用意、それと――とりあえずゴッドフリート照準敵戦艦」
「『はいっ』」
 シンジはまだ甲板から戻ってきていない。
 衝撃と騒音を考えれば当然の反応であったが、命じた方も応じた方も、“とりあえず”がその後あちこちで多用されるとは思ってもいなかった。
 
 
 
「離水しているから無傷なのではない。仕様を間違えたから無傷なのだ。フェンリルに知られたらバカにされるな」
 艦上の模様を眺めながらシンジがぼやく。
 元より、戦艦を沈める事など毛頭考えていなかったのだから、別段ミスでもなかったのだが、潜水艦を沈めたのに戦艦は、と考えるから人間の欲は底がない。 
 それはシンジも分かっている。
「でも、MSは通さないよ?」
 その為にこんな仕掛けを作ったのだ。これでMSを戦艦が迎撃する羽目になったら、戻った時黒瓜堂に自慢できないではないか。
「それと、餅は餅屋ってね――艦長」
「なに?」
「あの速度なら、向こうのレーダーが反応するまで数キロ位はある。今の内にとっとと主砲撃っちゃって」
「君は?」
「知りたい?」
「ううん、いいわ」
 既に結界は張ってあるし、物理的な攻撃の直撃でもない限りダメージはない。戦艦が発する騒音や衝撃位はほぼ完全にシャットアウト出来る。
 ビーム砲を含め敵からの攻撃を受ければアウトだが、幸いこの世界に於ける地上戦はほぼ有視界に限定されている為、戦艦の上に陣取る異物が認識され、ロックされて長距離射撃を受ける間に迎撃する位は可能だと踏んでいる。
「カードの効果は実体験するに限る、ってね」
 ひとつ頷いた。
 両肩にバズーカを担ぎ、空中に向けた。
 弾は装填されていない。
「たのしい仲間がポポポポーン」
 奇怪な台詞を呟いた直後、放たれた火の玉はみるみる巨大化し、1メートル程の大きさになった。
 数百メール先でそれは分裂し、火の玉と化し次々に海面へと落ちていく。
 それを見たシンジが、にやあと笑った。
「ウケケ…ゲホゲホゴホッ」
 他人の専売特許、侵すべからず。
 
 
 
 敵を感知したこともシンジが甲板上から戻っていない事も分かっている。
 今か今かと出撃を待ちわびていたところへ、不意に通信が入った。
「キラとステラ聞こえる?」
「来栖川さん?」
「碇が担いでるのは弾の入っていない武器だから、邪魔しないようにあまりウロウロするんじゃないわよ」
「は、はい」
「それとインカム持ってるから通信は出来るわ。周波数は――」
 
 
 
「あ、出て来た」
 ストライク、続いてガイアがカタパルトから飛び出してくるのを見て、シンジはうっすらと笑った。
 洋上で、しかも大型艦の存在を探知した以上下がっていてとは言えないが、
「飛べたっけ?」
 むぅ、とシンジが小首を傾げたところへ、
「あの…シンジさん」
 遠慮がちにキラの声が聞こえてきた。
「ヤマト?どうしたの?」
「来栖川さんに周波数を教えてもらったんです。わ、私とステラで必ずおまもりしますっ」
「連中は間違いなく飛んでくる。距離がある内はこちらで迎撃するから、取り憑こうとする奴は片付けて」
「はいっ」
(……)
 アークエンジェルは既に迎撃態勢に入っている。
 にもかかわらず、シンジには動じる様子も退散する気配もない。シンジの手腕は知っているが、ステラはキラ程単純ではないし、物理的な衝撃への対策を不安視するのは当然だが、
「ステラ、聞こえる?」
「は、はいっ」
「戦闘時の騒音や衝撃なら大丈夫。結界張ってあるから影響無い」
「けっ…かい…?」
「バリヤーみたいなもんです」
 五精使いがこの世界にいてはならない証左だよ、と言おうと思ったが止めた。
 じゃあ帰れ、と反応してくれる相手でない事は分かっている。
「ステラは優しいからね。心配してくれたんでしょう」
「す、少しは…」
「ありがとね」
「お兄ちゃん…」
 本当は少しどころではなかったが、シンジに事も無げに大丈夫だと言われるとそんな気がしてくるから不思議だ。
(私が守ります…絶対に!)
 ステラの表情が、一瞬で乙女から戦士のそれへと変貌した。
 いくら異世界人とは言え、戦艦とMS相手に生身で対峙した馬鹿はいない。
 何しろここには――本当に守りたいなら鎖を付けてMSのコックピットに放り込んでおくのがよろしい、と言ってのける悪の親玉も、脳疾患が見られるから主治医の権限で監禁するわ、と文字通り指一本で拘束してみせる魔女医もはいないのだから。
 
 
 
 
 
「艦長、二次の方角敵艦の攻撃来ます、距離8000!」
「回避、取り舵40!レーダーはっ?」
「レーダー、ソナー、共に反応ありません」 
(ちっ)
 タリアは声に出さず舌打ちした。
 装置は故障していないのに敵艦の位置は分からない。
 アウトレンジ外からの攻撃はいざ知らず、こんな洋上で一方的に位置を特定されて砲撃されるなどあり得ないことだ。
(これも…あの異世界人の仕業だというの?)
 信じたくない、いやあってはならない事が現実に起きている。
 が、こちらの機能を制限されたわけではない。
 敵艦の位置特定急いで、と命じようとした瞬間、
「第二波来ます、直撃コースっ!」
「回避!」
「間に合いませんっ」
 いくらミネルバが脚自慢とは言え、洋上に浮かぶヨットよろしく風を受けてひょいひょいと向きを変える訳にはいかない。
 ギリッと歯がみしながら、
「総員、対ショック防御!」
 命じてから間もなく艦は衝撃でぐらりと揺れたが、
「敵艦の攻撃命中、兵装に異常ありません」
 報告を聞くまでもなく、大した被害ではないとタリアは気づいていた。
 直撃は避けられたようだが、初めての被弾が索敵範囲外にいる正体の判明している敵からの攻撃になるとは想定していなかった。
(あの女艦長、やってくれるわねっ)
 倍にして返してやるわ、と未だ見えぬ敵艦を鋭い視線で睨み付けたところへ、
「グラディス艦長、我々は出撃します。ご許可頂けますか」
 アスランから通信が入った。
 部下でもなんでもないが、この艦が母艦になっている以上、許可を取るのが筋と考えたのだろう。
 それに潜水艇に乗艦したままなら、今頃海の藻屑となっていたかもしれないのだ。
 アスランらしい思考にタリアの表情がほんの少し緩んだ。
「ええ、許可します。くれぐれもお気を付けて」
「はい」
(……)
 会話を聞きながら、どうしようかとマウアーはぼんやり考えていた。
 
「奴の乗る機体はすぐ分かる。異様なオーラを放つからな」
「オーラ?」
「そうだ。アークエンジェルにはMSが二機しか無く、奴は気分次第でどちらかに同乗して出てくるが、存在感とでも言うべきか――明らかに異種の存在なのだ」
「今、同乗と言いました?」
「うむ」
 ひとつ頷き、
「奴は操縦は出来んのだ」
「……」
 戦場で人がMSに乗り込むとき、用途は操縦以外にない。
 あるとすれば、捕虜になってとっ捕まった時だけと相場が決まっている。
 最初から操縦目的以外で乗り込み、あまつさえハマーンですら認める存在感を放つ男と聞かされているマウアーに取って、目下起きている事象は何ら不思議ではなかった。
 自分が艦長なら出撃して来るであろうMSの内、オーラの無い方を狙えと命じるのだが自分は艦長ではない。
 またそれを進言したとしてタリアが理解できるか…と小考し、軽く首を振った。
(ハマーンのレベルでは到底ないわね)
 と。
 ハマーンを認めたからこそ、シンジはのこのこやって来たハマーンにニコルとラクスをMSごと渡したのだし、ハマーンもまた軍法会議ものと承知の上で、筋を通す為にシンジをストライクごと地上へ逃がした――蹴飛ばしたのだ。
 タリアが無能である、とは思わない。
 ただ心で通じ合うようなものを理解できねば、オーラ云々と言っても空虚な命令になるし、そこまでは分かるまい。
 となれば――自分は本業の職分を尽くすまでだ。
「アスラン隊から敵艦の情報が入り次第反撃に移る。コンディションレッド発令、対艦戦用意」
「『了解!』」
(いくら異世界人が同乗しても…飛べない機体は飛ばせないでしょう、ハマーン?)
 脳裏の従姉は、少々微妙な表情で頷いていた。
 
 
 
 
 
「精度がいまひとつね」
 捉えて撃っている割に大したダメージを受けていない敵艦に、カリンが僅かに眉を寄せて呟いた。
「艦長、陽電子砲を撃ち込んでみますか?あれを沈めれば追ってくるMSも片付くと思いますが」
「駄目。それと砲撃はもういいわ」
 あっさりと却下された。
「わざわざバズーカ担いでのこのこ出て行くってことは、そういうことなのよ」
「『え?』」
 思考の飛躍について行けず聞き返したカリン達に、マリューは振り向いて艶然と笑った。
「射撃ゲームで今から始めようって時に、横から機関銃で一斉射されたらつまんないでしょう?」
「つまりその…シンジ君が遊ぶおもちゃを取ってはまずい…と?」
 訓練を受けてきた軍人として、生涯一度も口にし得ぬ筈の台詞であったが、マリューはあっさりと頷いた。
「そういうこと。それに、もし本艦が迎撃することになっても、そろそろ戦闘経験は必要よ。守護神は、いつも都合良く居るわけではないのよ」
(艦長…)
 こちらからは見えなかったが、マリューの後ろ姿を見ながらカリンは首を傾げていた。
(何で嬉しそうなんですか?) 
 言ってる事はまともだし、いつかシンジがふっと消える事もあるかもしれない。
 それなのにマリューの語尾は妙に上がっているように聞こえたのだ。
 
 
 
 
 
「ルナマリア機、それとイザークは前に。俺とニコルは中盤、ディアッカは援護を頼む」
「へいへい」「『分かりました』」「……」
 反応は異なっていたが、異論を差し挟む者はいなかった。
 皆が分かっていたのだ。
 標的は敵戦艦だが、実際は異世界人の首一つである、と。
「ニコル…」
「何、ルナマリア?」
「さっきの砲撃って、やっぱり異世界人の仕業なの?」
 ニコルはすぐには答えなかった。
 確信はあったのだが、ニコルの視線は既にその先に飛んでいた。
 即ち、既に存在を捉えて居るであろう自分達をどう料理に来るのか、と。
「多分、何か絡んではいると思うけど…ただ確証はないから」
「そう…」
(ごめんねルナ…)
 心の中でそっと謝った直後、ニコルの身体が不意に硬直した。
 洋上、しかもMSの中だというのに誰かの視線を感じた気がしたのだ。
 無論機体に監視カメラなどないし、盗撮されていないのも分かっている。
(ま、まさか…)
 そっと辺りを見回した時、脳内で声がした。
(いよう)
(い、い、碇さんっ!?ど、どどど、どこからっ!?)
(アークエンジェルの甲板上で日光浴しながら脳内通信)
(ど、どうして私にっ!?)
(先だって乳と尻を弄った時印を付けておいた。存在が認識できればこの位は出来る)
(!?)
 不意にブリッツの機体が揺れた。隊列の真ん中で突如バランスを崩し、空中でじたばたともがく。
「ニコル、どうした!?」
「何があったのニコルっ!?」
「な、何でもない…だ、大丈夫だから」
 仲間達からの通信が音声のみだったのは幸いだったろう。
 少なくとも目元を染めて必死に自分の太ももを掴んでいる様は見られずに済んだのだ。
(元気そうで何よりだ)
(お、お久し…ぶりです…)
 何とか返すまで更に十数秒かかった。
(うん。で、あの戦艦はうちら退治の先方か?)
(戦艦?ああ、ミネルバは後詰めです。艦長は女艦長同士ってことで闘志燃やしてますけど)
(ミネルバ、か。そんなモンに張り切るとは艦長を歴任してきた人物ではないな)
(艦長は、今回が初めての艦長就任だと聞いています)
(名前は)
(グラディス――タリア・グラディス艦長)
 問われるままに情報を引き出されるニコルは、自分が半ば操られている状態にある事には気づいていない。
(なるほどね。では補佐が優秀なのか?)
(え?)
(元より、沈めるほどのダメージを与えられると自惚れる気はないが、罠に掛かった先鋒へのこのこと近寄ることはなくさっさと浮上する辺り、そのグラ何とか艦長の判断ではなさそうだ)
(副艦長はハマーンの従妹の人です)
(……)
 刹那、シンジが宙を仰いだのが見えたような気がしてニコルはうっすらと微笑ったが、すぐ真顔になった。
(あの…)
(ん?)
(その…キラは…元気ですか?)
(元気すぎて困る位だ。なんとしても俺を守ると、飛べないのに張り切って既に二機で待ち構えている)
(そうですか…それで…どうして私にコンタクトを?)
(ただの気まぐれ)
(…え?)
(手加減しろとか、まして降れとか言うつもりはない。ただ、一つだけ聞きたい事がある)
(はい?)
(濡れるのは好きか?)
(ぬ、濡れるって何がっ!?)
 男を知らぬ身で全身を愛撫され、あまつさえ指だけで数度の絶頂を迎えさせられた男の台詞だけに、ニコルの反応もあながち間違いではなかったが、
(…お仕置きだ)
 ふっと気配のようなものが消えた次の瞬間、今まで凪いでいた海面は突如として水柱を吹き上げた 。
「キャーッ!?」
 
 
 
 
 
「やはり来たか。しかし…よりによってハマーンの縁者ときた。能力が遠く及ばない事を期待しよう」
 口にしながら、それが外れているとシンジは分かっていた。
 今までのものとは明らかに違う新型艦、そして理由は分からないが艦長経験のない女をいきなり艦長に据えた以上、捨て駒でもなければ副長は十二分に補佐の用を為し――時には艦長を超える権限すら与えられている程でなければ勤まるまい。 
 六芒星の中心で瞑目しているシンジには、ニコル達のMS隊が直下から現出する巨大な水柱に追い回され、右往左往している様子が手に取るように伝わってきた。
「……」
 目を閉じたまま、右舷にいるであろうストライクへ顔だけ向ける。
「あー無理無理」
 奇怪な台詞を呟くとインカムを口元へ近づけ、
「ステラ」
 と呼んだ。
「はい、ここに」
「もうじきMSがやってくる。数は五機、その中で何かに乗ってるやつがいる」
「両方ですか?」
「飛べないMSが空中を移動するには、運んでもらうか何かに乗るしかないしね。飛べない奴の方が多いから、追われてきたら乗っかってる物体を狙い撃ちしてくれる?その方が早い」
「はいっ」
 頼むと弾むような声が返ってきた。
 キラを放置したのは、今回の戦闘で予備戦力と見ているからだ。他のザフト相手ならいざ知らず、アスラン・ザラを退治出来るとは思ってないし、シンジにもその気はない。
 とそこへ、
「シンジ君?」
 マリューに呼ばれた。
「何?」
「MS隊の接近を感知したわ。どうする?」
 例の機体だの数は何機だのと野暮な事は言わなかった。
 妙な飛行ルートを見ればシンジが絡んでいるのは分かっているし、何より片付けた潜水母艇よりもずっと前に出ているのだ。
「お任せするよ。ああ、それと姉御」
「え?」
「敵戦艦の情報が分かった。艦名はミネルバ、艦長はタリア・グラディス――艦長経験のない女艦長だそうだ」
「ふうん、じゃあ条件は私と互角ね…って、どこで知ったの!?」
「企業秘密」
「そう。まあいいわ、これでまた一つ当たったわね。あの艦を見たとき、向こうも女艦長じゃないかって思ったのよ」
「それは重畳。とりあえず例の強奪機体ご一行の後詰めが任務だそうだが、かなり手強い可能性があるから、前に出てきたら気をつけてね」
「というと?」
「副艦長がハマーンの従妹なんだ」
「MSは暫く放置。有視界へ侵入後、威嚇射撃を行う。どう片付けるかはシンジ君に任せるわよ」
「はいっ」
 命じたマリューの表情は、さっきまでとは違い一転して強ばったものになっていた。
(経験のない女艦長の補佐に付けられた…しかもあのハマーン・カーンの親戚か…。それにしても艦は新型艦、艦長も副艦長も女なんてほんとこっちと条件一緒ね。ま、今ならナタル起こさなくても十分こっちが上だけどオーブの後は…)
 眼下に居るであろう暢気な異世界人に視線を向けながら、マリューは内心で呟いた。
 
 
 
 
 
 海水が間欠泉のように太い水柱となって空中のMSへ襲いかかってくる。
 しかも間隔は不定期な上に前後左右から現れる為、アークエンジェルの索敵よりも水の襲来に気を取られていた。
 そもそもが地球で生まれ育っていない為、大自然の驚異などというものに縁がなかった上に、こんな尋常ではない光景を目の当たりにして、それでも何とか平静を保っていたのはニコルの存在が大きい。
 上に逃げても追ってくるが横に逃げれば追ってこない。
 いち早く気づいたニコルは、すっかり足の止まった仲間達に代わって、いつの間にか先頭に出ていた。
 存在に脅えるよりも、出現する瞬間だけ見逃さなければある程度対応できる。
 何よりシンジは――お仕置きと言ったのだ。
 シンジが何をしているのかは分からないが、討つ気なら最初の一撃で自分は墜とされていた。
 アスランとキラが友人だった事を知っているニコルには、シンジの意図が何となく分かるような気がしていた。
 即ち追放に留める気だ、と。
 その証拠にミネルバへの砲撃も止んだし、何より位置を完全に掴んで居るであろう自分達が戦艦からは全く攻撃されないのだ。
 完全にシンジの掌で弄ばれており、盤石の迎撃態勢が想定されるのに、ニコルは先頭から下がらない。
 甲板上で日光浴、と言ったシンジが艦内へ戻るとは思えない。
 理由は不明だがシンジがそこにいる限り、おそらく自分達は手も足も出まい。
「だから――あなたは私が捕まえます。必ず」
 裏を返せばシンジさえ排除すればいい。
 命を救われ、歌姫と共に機体ごと返された事を気まぐれで勝手にやった事、で終わらせたくはなかった。
 だから自分が先陣を切る。
 そこへ通信が入った。
「ニコルどうした、突出し過ぎてるぞ。あまり離れるな」
「大丈夫です。それよりアスラン、こちらの位置はもう向こうに補足されている筈です。多分MS二機も甲板で待ち構えている。二機の牽制を頼みます」
「あ、ああ分かった」
 言っている事は別段おかしくないのだが、滅多に見せぬニコルの妙な気迫に押され、アスランは頷くのが精一杯であった。
(確かに体勢的にはこちらが有利だが…なぜニコルはあんなに気負っているんだ?)
 出撃時にはそんな気配は無かっただけに、妙な気負いを訝しんだアスランではあったが、まさかニコルが脳内電波を受信していたとは思いも寄らなかった。
「居た!」
 レーダーが反応し、敵艦発見を告げてくる。
 ミネルバへの位置情報通達は仲間に任せ、一気に機体を加速させたニコルは、いつの間にか水柱の攻撃が無くなっていることには気づかなかった。
「おいおい、ニコルの奴なにやってんだよ。一人で突っ込む気か?」
「普段は小心者のくせに、まさかおかしくなったんじゃないだろうな」
「下らん事を言ってる暇があったらさっさと援護に回れ!向こうはもうこっちを捉えてるんだぞ」
「あーへいへい」「うるさい、そんな事は分かってる!」
(まったくもぅどいつもこいつも馬鹿ばっかり!でもニコル…ほんとうにどうしちゃったの?)
 内心で呟いた直後、レーダーが甲高い警告音で敵の攻撃を告げた。
「ミサイル来るぞ、散開!」
 
 
 
「艦長。MS隊より入電、敵艦の位置特定しました!」
「熱源反応から予測した位置と合ってる?」
「いえ、予測位置からはかなり南に移動しています」
「南?オーブ側へ寄ったのか?」
 目的地はオーブだが、その気になればこんな物見遊山のような航路は採らずさっさと入国していよう。
(或いは既にオーブに監視されている事を承知で、こちらを叩いてデモンストレーションのつもりかしら)
「あなたはどう思う」
 不意に振られて、マウアーは一瞬驚いたような表情を見せたが、
「我々の推測しうる常識的な理由ではないと思います。戦略的な大局からでも戦術的な位置取りからでもないと考えます」
「つまり気にせずに進め、と?」
「いえ、企図は不明ですが幸い砲撃は中止しています。ここはザラ隊に任せるべきかと。敵は飛行可能なMSを所持していませんし、珍妙な行動の意図を推し量るよりここは構えて待つことを進言致します」
 向こうが進んでくれば別だが、こちらが追撃する立場だし、撃ってこないなら長距離砲撃戦をやるまでもないと判断したのだ。
 気を変えさせる程、シンジの存在を危険な因子とマウアーは認識していた。
「ふうん」
 表情を変えずに前方を見つめていたタリアが、やがて口を開いた。
「そうね、ここは待つことにしましょう。要請があったら即出られるように、それと敵は何をしてくるか分からないわ。警戒は厳に!」
「『はいっ』」 
 
 
 
 
 
「キラ、来たよ」
「うん」
「飛べる機体は殆ど居ない。他の奴は飛行物体に乗ってるから、それを撃てば退却するしかない。撃墜とか考えなくて良いから乗ってるやつを狙って」
「分かった」
「『!?』」
 アークエンジェルのミサイルはどう見ても威嚇だし、砲撃も止んだままのはおそらくシンジの指示だろうが、なんとしてもシンジには近づけないと操縦桿を強く握りしめた直後、キラとステラは大きく目を見開いた。
 ブリッツを先頭に突っ込んでくるMS隊を下から襲ったのは――直径が一メートル近くはあろかと見える火の玉であった。
「ここって海…だよね…」
「う、うん…」
 海から突如火の玉が飛び出すなどあり得ぬ、いや在ってはならぬ事だが、立て続けに三つ上がった火の玉の一つがバスターの乗っていた飛行補助機を直撃し、補助を失った機体はそのまま海へ落ちていく。
 イージスが慌てて後を追い、海面へ没する寸前で何とか捕まえ、クレーンゲームのようにUターンして戻っていくのを見た時、キラの心には何があったのか。
「今のは…射撃?」
 シンジのバズーカから放たれたのならまだしも、今のは明らかに海中から飛び出したように見えたが、
「予め仕込んでおいた。まずは一匹〜」
 シンジの脳天気な声が聞こえたかと思うと、今度こそ肩口に構えたバズーカから炎が次々と撃ち出されていった。
 
 
 
 
 
「何で海から火の手が上がるんだよっ!」
「もうっ、あの異世界人は何なのよっ」
 その反応も、敵艦の姿も視認できないまま、突如怪奇現象に見舞われた身としては妥当な範疇ではあったが、ニコルはまだ冷静であった。
 ディアッカを回収して引き返す寸前、
「一旦帰投してからすぐに戻る。それまでの間ニコル、頼んだぞ!」
「分かりました」
 ミサイルも砲撃も来ない代わりに、次から次へと火の玉が飛んでくる光景など、以前映画の中で火山が噴火するシーンでしか見たことがない。
 戦艦を攻撃したら火の玉で迎撃されるなど、ほぼ間違いなく銀河系の中で自分達が初体験だろう。それでも他の二人より冷静なのは、やはり一度シンジと直に接した事があるからだ。
 生身を知り、そしてMSごと返還されているだけに何をしでかしてもおかしくない、と本能が理解しているのだ。
「…よし見えたっ!」
 アークエンジェルを映像で視認すると同時に機体を停止させ、望遠でただ一点を探す。
 ブリッツの急停止に他の二機も慌てて停止させたが、ニコルの意図は分からない。
「ニコル、何をやってる!的になりたいのか!」
「ちょっと黙って」
「だまっ!?ちょ、き、貴様ー!」
「発見した」
 イザークの癇癪を断ち切るかのように、ニコルは静かに告げた。
「何がいたの?」
「甲板にい…異世界人がいる」
 碇さんが、と言いかけて慌てて言い直した。さすが固有名詞で呼ぶわけにはいかない。
「『え!?』」
「異世界人を捕獲すればこの戦闘は終わる。というより敵は確実に降伏する。イザークはストライクを、ルナマリアはもう片方を抑えて」
「ニコルはどうするの?」
「突っ込んであの人を捕縛する。殺してしまっては敵が死に物狂いになるだけで、こちらの被害が甚大になる」
「しかし捕らえるったって、普通に始末すればいいだろう。異世界人とはいえ所詮は同じ人間だ」
「宇宙はあの人のテリトリーじゃない。その宇宙で苦戦した事を忘れた?」
「『……』」
 ニコルとイザークは、何れも宇宙で虜囚になっている。シンジと――そしてハマーンが物好きだから解放されたが、第八艦隊を壊滅せしめてなお、ただ一機を墜とせなかった事は決して忘れうる経験ではない。
「何よりこの位置からの狙撃じゃ、確実に戦艦とMSの的になる」
 アークエンジェルが沈黙しているのは、断じて故障などではないとニコルは見抜いていたのだ。
「いいだろう。ニコル、お前のやり方に任せる。だが言い出した以上、必ず捕らえてみせろよ」
「ええ、分かっているわ」
 地上なら飛べる方が有利とばかりにイザークはキラに、ルナマリアはステラに突っ込んでいく。
 戦艦ではなくMSに突っ込んでくるとは想定していなかったようで、ストライクとガイアが慌てて応戦してくるがそうそう当たるものではない。
 敵MSの動きにニコルは、やはり自分の勘が当たっていたのを知った。
 自分達の動きを完全に掴んでいたシンジは、そもそも撃墜する気がなく、最初からグールを狙う気で、また二人にもその指示を出していたのだろう。飛行手段を失えば、いやでも他の機体に回収されざるを得ないし、替えとて無限ではない。
(それは多分キラの為に…でも甘いですっ)
 ビームサーベルを抜き身で引っ提げ、ニコルがシンジ目掛けて機体を突撃させていく。漸く意図に気づいたようだが、ストライクはデュエル、ブリッツにはシグーがそれぞれ距離を取って牽制攻撃しているからこちらまで手が回らない。
 イザークもルナマリアも相手を撃墜する気はないが、向こうはシンジが気に掛かって仕方がない。
 墜とす気がないまま焦る相手をあしらうのは、割合簡単なのだとニコルは今更ながら気がついた。
 またシンジの方も、火炎を放つ事は出来ても海上と違い出所が分かっている分避けやすい。
 数個が機体をかすめたが目前の獲物に比べれば些細なことと、完全にシンジを視野に入れた瞬間けたたましい警告音が鳴り響き、辛うじて機体を落下させた瞬間一条の光芒が虚空を切り裂いた。
「戦闘機が居たかっ!」
 舌打ちして、先に叩き落としてやると向きを変えた視界の端に、すうっとバズーカを置いたシンジの姿が僅かに映った。
 この距離ならこれで十分だと、グレイプニールを向けたニコルの視界を数本の巨大な水柱が遮った時、ニコルはシンジが自分達の肉薄を許した理由をうっすらと感じ取った。
 
 
  
 バズーカの火炎攻撃とスカイグラスパーの砲撃にブリッツが追い立てられ、シンジが危機を脱した事で安堵したストライクとガイアが猛攻に転じては、さすがのイザークとルナマリアも撤退せざるを得なかった。
 再度出撃してきたアスランとディアッカが見たのは、機体のあちこちを損傷しているブリッツとシグーであり――その二機に担がれているデュエルであった。
「見逃してやるからさっさと帰れ、と言うことか…」
 メッセージがあからさま過ぎるとは言え、あえて致命的な被害を与えずこうも弄ばれては、この五機だけでの攻撃は失敗と判断せざるを得なかった。
 実際にはアスランの機体だけでも参加していれば、おそらくシンジを捕縛或いは殺害しえていたのだが、この状況を見ただけでそこまでは分からない。
 アスランから、作戦の失敗と撤退を告げられたタリアは、
「少し外すわ。回収と修理は頼んだわよ」
「了解しました」
 すっと立ち上がると出て行った。
 
 
 
 
 
「まったくもう、どうなるかと思ったじゃないの。後でとっちめてやるんだから」
(艦長、顔が笑ってます)
 シンジが何を考えていたのかは分からないが、確実にシンジを狙っていたMSの接近を許しはしたが、ムウの機転で事なきを得た。
 気配すら感じさせなかったスカイグラスパーだが、最初から牽制に回っていればおそらくシンジの迎撃システムの邪魔になったろうし、敵も先にそっちを片付けに掛かったろう。
 とまれ敵は退散し、シンジも無傷なのは確認した。
 シンジの策にしては少々粗が目立った気もするが、ここまでの戦歴を考えれば、常に万全で最高の結果を出せる方が気持ち悪い。あれ位でいいのだと、マリューは咎める気はなかった。
(さてと、早速とっ捕まえて個人面談しなきゃね)
 ふわふわと立ち上がり、ふわふわした足取りで自室へ戻り、格納庫へ居るであろうシンジを呼び出そうとしたところへ、
「艦長、国際救助チャンネルで通信が入っています…敵艦からです」
 どう考えても救助要請はあり得ない。
 放置でいいわ、と言いかけたが、
「……いいわ、開いて」
「はい」
 通信窓が開き、軍帽を被った金髪の女が映った。
「こちらは――」
 言いかけたのを封じるように、
「アークエンジェル艦長マリュー・ラミアスよ。ザフト軍艦ミネルバのタリア・グラディス艦長が何のご用かしら」
「!」
 先を越されて一瞬タリアの表情が硬直する。
 出航まで存在自体が機密事項だった艦の存在どころか、艦名や自分の名前すら知られているとは、いきなり冷や水を浴びせられたような衝撃であった。
 想定外の先制攻撃を受けたタリアだが、
「ず、随分と広い情報網をお持ちのようねラミアス艦長。さすがに異世界人を搭載してるとアンテナも巨大になるのかしら」
「あら、敵艦の情報くらい掴んでおくのは艦長の常識よ。そうでしょう?」
(搭載ってどういう意味よっ)(私に常識がないと言いたいのっ)
 お互いに相手の全身はほぼ見えている。
 一瞬で互いを値踏みし合った女同士の間で見えない火花が散った。
「それで?MS抜きの一対一で戦艦同士の決闘の申込かしら?」
「貴艦を簡単に討てると思うほど自惚れてないわ。自軍の損傷を考えずに決闘とは、さすが常勝艦の艦長ね。今日はご挨拶だけ。今度会う時は、はっきり決着をつけましょう」
 うっすらと微笑ったタリアの表情には、早とちりする間抜けな女ねと嘲笑が見えている。
 無論マリューも負けてはいない。
「お褒めに預かり光栄よ。でも、現在本艦に捕虜はいないし、軍務の途中でわざわざ敵艦に挨拶だけ、なんて物好きな艦長がいるなんて思わないもの。あら、ここにおられたのね失礼致しました」
 後詰めだけじゃ我慢できなくて通信して来たんでしょ、だったら来なさいよとばかりに、口元に手を当ててくすくすと笑う。
 二人とも顔は笑っているが目は笑っておらず、それどころか口元とは対象に目元に殺気すら湛えて全く視線をそらさず睨み合っている。
「異世界人に頼り切りの女がどこまでやれるか見せていただくわ」
「そっちこそ、有能な副艦長の後ろでお飾りになってる女にしては強気じゃない」
(この女マウアー・ファラオの事まで知っているというの!?)
 マリューの情報網というより、情報が確実に艦内から漏れているという事実に、タリアの背筋をすうっと冷たいものが流れた。
 
 
 
 女艦長達が火花を散らしている頃、シンジは格納庫で胴上げされているムウを眺めていた。
 無論、本人がやれという筈もなくシンジの指示だ。
 戻ってきたシンジを出迎えたクルー達に片手を上げて応え、辺りを見回したシンジの視線がある一点で止まった。
「あ、いたいた。フラガを胴上げして。今日の殊勲者だ」
「俺か!?いいよそんなの別に。あれはたまたま運が良かっただけだぜ?」
「最初から前に居れば先に排除されていた。艦の背後で気配を消し、ここぞと云う時に突っ込んでくる機転と状況判断はお見事と云う他にない。突っ込んできた機体の狙いは間違いなく俺だった。あそこでフラガの横やりがなかったら、高確率で片付けられていたよ。さすが、エンデュミオンの鷹だけの事はある」
(シンジ…)
 確かにシンジにしてはちぐはぐな部分が多かったが、こうまで手放しで褒められると背筋がむずむずしてくる。
「いやなに、勝手に身体が動いただけだし、俺はヒーローとか柄じゃないんだよ。だいたい鷹じゃなくて鳶位で――」
「いいから。ほらぼやぼやしてないで命の恩人を担いだ担いだ」
 胴上げされるムウを見ながら、シンジの口元にほんの少しだけ笑みが浮かんだ時、ぽむっと肩を叩かれた。
「なに、来栖川?」
「なんであたしだって分かるのよ」
「付き合いが短いから」
 艦内でこんな呼び方をする華奢な手はひとつしかない。
「…まあいいわ。それより分かってると思うけどシンジ…もう戦闘時に甲板に出るのは禁止だからね」
「はーい」
 やや重い声で応じたシンジを、綾香は厳しい視線で見据えていたが、ふっと表情が緩んだ。
「分かればいいのよ。それにしても、余計な気を考えるとあんたも結構ミスす――え?」
「来栖川のせいだ」
「はぁ?」
「来栖川のパンツの色が気になって仕方なかったせいだ。他に何の要因もない」
 すうっと綾香の眉が上がっていく。
 怒りの色を湛えたまま口元に笑みを浮かべた綾香が、ぐいとシンジを引き寄せた。
「手持ちは全部洗濯中。今は穿いてないわよばーか」
「……」
 機体の整備を終えてシンジの部屋に駆けつけたキラとステラが見たものは――。
「ノーパンかー!してやられたー!」
 なにやら口惜しげにベッドの上で身悶えしている姿であり、二人はそっと顔を見合わせた。
(ノーパンって…)
(ぱんつ穿いてないって事…だよね…)
 その通り。
 だか誰が?
 そして何故シンジが口惜しがる?
 
 
 
 回線が切れるまで全く視線を外さず睨み合っていたタリアとマリューは、回線が切れると同時に吐き捨てた。
「『気に入らない女ねっ!』」
 と。
 敵軍だから、ではなく相容れない女として互いを認識したらしい。 
 
 
 
 
 
(第九十一話 了)

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