妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第九十話:異世界人がやらかし、艦長が覚醒する之事
 
 
 
 
 
 灯りも点さず月光も差さぬ昏い室内に、ソファに腰掛け彫像のように動かぬ者達がいた。
 その数、ふたつ。
「やはり、ザフト艦が砂漠の下に埋没させられたのは事実のようだ。無論、厳重な箝口令は敷かれているし、何より宇宙人共には理解出来ぬ話だ」
「して、張本人は」
「あの艦で悠々自適だろう。あれだけの数でありながら戦果が微塵も伝わって来ぬ」
「そうか」
 暫し沈黙が流れた後、彫像のひとつが動いた。
 ゆっくり立ち上がるのと、月を覆っていた雲が流れるのがほぼ同時であった。
 さーっと差し込んだ月光がその姿を照らし出す
 すらりとした長身と長く揺らした髪は、この世界へ迷い込んだ異世界人にも似ているが、決定的に違うところがある。
 羽織ったケープを内側から大きく盛り上げる胸――女であった。
「人外の存在が人知を越えた人災をもたらしたとて、ザフトもそうそう大軍は動かせまい。この国へのご来訪も時間の問題だ」
「うむ」
 女は軽く頷いた。
「どう見る」
「どうでもよい」
 もう一つの彫像が立ち上がり、男の影が照らし出される。
 月明かりが浮かび上がらせた二人の容貌は、実によく似ていた。女の胸さえ引っ込めれば、初見の者はかなりの可能性で混同するに違いない。
「その者の言葉を信じるとして、異世界より来た“人”であって“神”とは名乗っておらぬ。神ならまだしも人ならば恐るるにたりん。我らの覇道を妨げるなら討てば良し、関わらぬ道なら捨て置けばよい」
 シンジが聞いたら何というか。
 折角だから、神と名乗れば良かったとゆるく後悔するか、或いは神ならとっとと帰っているとそっぽを向くかそれとも――。
「未だ二十歳前後の若者だと聞く。わたしが誘惑してみるか」
 表情を微塵も変えず、明日の天候を語るような口調で女が呟いた。
「それは出来ぬ話だな」
「ほう」
「おまえは、私のものだ」
 男の唇が女の唇に吸い付き、服を脱がせていくのを女は抗いもせずに受け入れた。
 一つに重なり倒れていく二人を、月明かりは静かに、そして冷たく照らし続ける。
 男の名はサハク・ギナ・ロンド、女の名をサハク・ミナ・ロンドという。
 オーブ五大氏族の一つ、サハク家の次期党首として素質調整を施されたコーディネーターであり――血の繋がった実の姉弟である。
 だが、ミナもギナも知らない。
 このオーブへ、仲間達との約定を守る為だけに暢気にやってくる異世界人は、文字通り神の怒りを目の当たりにし、大量出血を強いられながらもそれを耐えきったことを。
 眼差しの向く先は未だ皆目見当の付かぬ帰り道であり、誰がどう覇道を目指そうと微塵の興味もないことを。
 そして――その人格は嘗てヒキコモリから脱出した時、とある危険な人物の手で危険な方向に形成済みであることをさしもの二人も、知るよしはなかったのだ。
 
 
 
 
 
「『え?』」
 キラのみならず、ステラまでも口を小さく開けたまま、整った顔を同じ角度で傾けた。
「いやだから、次は生身で出るんだとさ」
「『………ええぇーっ!?』」
(おせーよ!)
 十秒近く経ってからの反応に、居合わせた者達は揃って内心でツッこんだが、口にする者は無論いない。
 ステラはガイア、キラはストライクをそれぞれ整備し終えた処でムウが呼び寄せた。
 本来なら虎の子のMSだが、地上に降りてからは殆ど出番もなく、傷も増えずに綺麗なままだ。
 出番がない、という事はそのままパイロットの無事に直結するが、それは即ちMSの操縦も出来ないくせに、ちょこまかと出てくる異世界人の本懐に他ならない。
「次、ザフトが来た時はシンジが迎撃に出るそうだ」
「そうですか」
 あっさりした反応と、キラとステラの間で微妙な空気が刹那漂った事は、ムウには想定内であった。
 この反応はどちらかのMSに乗る、と思っているからだ。
 だが次の瞬間反応は一変した。
「MSは艦内待機、大将がバズーカだけでMSを退治するんだよ。だからお前さん達はこいつの中で待機だ」
 ムウの手が動いてガイアとストライクを指さすと、キラとステラの顔がぎこちなくその先を追った。
 ここで冒頭に戻る。
「い、いくらシンジさんでも生身なんて危険過ぎますっ!」
「本艦の対空砲火発射時の衝撃や爆音を考慮すればあり得ない選択です」
 至極真っ当な反応ではあったが、
「じゃ、止めるかい?」
「『それは…』」
 大切な思い人の無謀な行為を止めたいのは山々だが、この世界に於いては無知蒙昧、奇天烈の極みとしか言えない事を平然と為してきただけに、二人とも制止すると断言は出来なかった。
 無論、キラもステラもシンジが吐血した事は知らない。
「いくらシンジでも、索敵範囲から遠く離れた敵を完全に殲滅出来るとは思っていないだろう。この艦の対空防衛が必要になる事も、そしてその衝撃や騒音も分かってる筈だ」
「どうして…そこまでして…」
「そりゃあ、自分が出る事で敵が片付けば、MSのパイロットの負担は減るからさ。宇宙や砂漠ならともかく、ここは海上なんだからどうしたってこっちにはハンデがある」
(ちっ)
 言ってから、ムウは内心で舌打ちした。
 自分達が役に立たぬと言われたかのように、二人が揃って俯いてしまったのだ。前半だけならともかく、後半は明らかに余計であった。
 例えそれが、シンジの本心であったとしても、だ。
「まあ、あれだよお嬢ちゃんたち」
 ムウはここまでと見たか、コジローが割って入った。
「碇の大将なら、やると言った事はきっちりやるし、そのなんだ…す、好きな人なら信じてればいい。そうだろ?」
 キラとステラは頷いたが、コジローまで赤くなっているのは、柄にもない事を言ったせいだ。
「砂漠の時みたいに、艦の火器もMSも全面封印とは言わんだろうし、艦上からでも援護は出来る。それに、大将に頼まれて武器を作画したのは俺たちだ。大将の武器は信じてくれていい」
 戦艦での戦闘に於いて武器と船体への作画を必要とするのは、間違いなく世界中を探してもこの艦だけだろう。
「あとは…分かるな?」
「『はいっ』」
 漸く上がった顔は、乙女のものに戻っていた。
  
 
 
 目覚めたシンジは、珍しくそのまま天井を眺めていた。
 普段はすぐに何かしらの動作に移るのだが、一点を見つめたまま動かない。
 十分ほど経って起き上がった時、いかなる思案に至ったのか、その眉は僅かに寄っていた。
 横を見やると、僅かに口を開けたマリューが満足げな表情で未だ眠っている。
 マリューの肩口までブランケットを掛けると、音もなくベッドから立ち上がった。
 シャワーを浴び、身繕いしてからベッドに戻ってくるとマリューはまだ眠っている。
 ぷにぷにと頬を指でつつくと弾力のある肌が弾き返してくる。
「ふむ」
 頷いて背を向けたシンジの後ろで、小さな声が上がり、見るとマリューがもぞもぞと身動ぎしている。
(起きるかな)
 眺めていると、マリューがうっすらと目を開けた。
「おはよう」
「ん…」
 目をこすりながら、ぼんやりと眠たげな表情でシンジを見つめている。
「姉御?」
「あたしのおっぱいさわって起こした?」
「ううん」
「耳とか甘噛みした?」
「してない。それは姉御の夢」
「そっか…ゆ、昨夜はイッた余韻がすごかったからかなっ」
 触れられたということは身体が感じ取っているらしい。
 僅かに頬を赤らめながら、小さく手招きした。シンジが歩み寄るとそっと唇を突き出し、
「ちゅーして」
「目覚まし?」
「うん」
「搾るのはだめ?」
「搾る…ん?…これ?」
 マリューの視線がシンジの手元と自分の胸を行き来し、
「だ、駄目っ」
 慌てて両手で胸を覆った。
「ミ、母乳イキすると波がすごいんだからっ!ゆ、昨夜だって一回しかイッてないのに朝までずっと…っても、もうっ」
 シンジの顔を両手で捉え、引き寄せた拍子に露わになった乳房が重たげに揺れる。
 マリューの唇が張り付いてくるのをシンジは黙って受け入れた。
 舌は入ってこなかった。
 やがて顔を離したマリューが、ふふと微笑って指先で口許に触れる。
「目が覚めたわ、ありがとね」
「それは良かった。じゃ、俺はこれで」
「食事?」
 時計を見やってマリューが訊いた。
 朝食にはまだ早い時間だ。
「甲板のペイントとバズーカ塗装の点検に」
「そう、気をつけてね」
「うん」
 音を立てずに出て行ったシンジだが、ひらひらと手を振っていたマリューが、シンジの姿が消えた途端表情を一変させていた事には気づかなかった。
 どういう事、と呟いた顔に色情の色は微塵もなく、険しい軍人の表情になっていた事などは知りもしないのだった。
 部屋を出たシンジは、まっすぐ格納庫へ向かった。
 この時間でも既にコジロー・マードック以下男達は集まっており、
「やあ。早いね」
 片手を上げたシンジに、
「そろそろ、取りに来るんじゃねえかと思ってな。行くかい」
「ああ」
「用意は出来てる。だがその前に」
「前に?」
「茶を飲んでけ」
(お茶…?)
 シンジの頬に小さな?マークが浮かぶのを見て、コジローはにっと笑った。
「この間の街で手に入れたんだよ。日本茶ってやつらしい。大将にはこっちの方が好みだろう」
「ありがと」
 シンジの表情に一瞬、今まで見せたことのないものが浮かび、すぐ元に戻った。
 それは、望郷の色でもあったろうか。
 
 
 
 
 
(ふふ、やはり回復が早い。若いというのはいいものね)
 内心で微笑ったタリアだが、自身も10歳位しか変わらず、若さを羨む程ではない。
 無人島で、それこそ恐竜にでも一晩追われたのかと思う位に窶れて発見されたアスランだが、一晩閉じ込めておいたらかなり復調してきた。
「本当に良いのね?」
「はっ」
「いいわ、許可します。ただし、絶対に無理はしないこと。いいわね」
「はい」
 一時は一週間近くのロスも覚悟したタリアだけに、口ではそう言いながらも内心ではほっとしていた。
 標的はアークエンジェルだが、実質はそこにいてしかも何をやらかすか皆目見当がつかない異世界人で、しかも自分達はあくまでアスラン隊の支援である以上、日数のロスもアスランの不調も困るのだ。
 そのアスランが、奇妙な事を言い出した。
 即ちアークエンジェルの行き先はオーブで間違いない、と。
 タリアもマウアーもそうだろうと踏んではいたし、珍説でもないが、アスランだけが妙に自信ありげに言い切る理由が分からない。
 無論、アスランには自信がある。
 アークエンジェルに同乗しているカガリ・ユラ・アスハ本人から、直接訊かされたのだからこれ以上の根拠はない。
 しかも返り討ちに遭うから止めとけ、とまで言われたのだ。
 カガリも処女だったし、あの夜のことを恨んではいない。それに、アークエンジェルからシンジを除けば、大した犠牲も出さずに制圧できるとアスランは見ていた。
 癪に障るし認めたくない事実ではあるが、目下あの艦に於いて異世界人は精神的支柱となっている。
 アスランだけが持っているらしい根拠を問い詰める事はせず、アークエンジェルの航路をほぼ割り出していたタリアだが、そのアークエンジェルが艦内に二人を残し、他の全クルーが降りて小島で休暇、なぞと物見遊山に近い旅路を辿っているとはさすがに想像もしていなかった。
 既に潜水母艇からアスラン隊は引き上げ、全MSはこのミネルバに搭載されている。
「本日0900を持って本艦は行動開始、アークエンジェルを発見次第ザラ隊、及びルナマリアは発進してこれを攻撃。敵の能力は未知数だが、おそらく唯一にして最大の障害は同乗している異世界人と思われる。十分注意されたし」
「『了解!』」
 同盟国でもないオーブへ、補給や休暇で寄る事はあり得ない。
 出国後は高確率で戦力ダウンするだろうが、その時に討ってもさしたる功績にならないし、何より異世界人が降艦するような事でもあれば、それこそ大魚を逸した事になる。アークエンジェルに乗り込んだ経緯は知らないが、ここまでの戦績からしても敵艦に乗っている間に始末しなければ禍根を残すのは間違いない。
 世界中から追われるテロリストならまだしも、異世界人という珍妙な立場であれば、オーブで降りた場合そうそう手は出せない。
 代表こそ降りたが、未だ厳然たる実力者であるウズミが、引き渡せと言ってあっさり頷くとはまず考えられないのだ。オーブに取り込まれたり、地球軍に加わったりする危険性に比べれば、護衛もなく飛べないMSと戦闘機だけ抱えた今の内に強攻するのが最も“ましな”選択と言える。
 飛べぬMSを飛行可能にするグゥルの数は無限ではない。
 撃墜を考えれば、ザラ隊とルナマリアを指定したタリアの選択は妥当であった。優勢だが火力が足りないなら、レイとハイネを出せば良いし、もし墜とされるなら換えのグゥルで再出撃は出来る。
 そもそも、異世界人という不確定要素を除けば、飛べないMSが二機と戦闘機が一機か二機と、戦力的にはこちらが絶対的に上なのだ。
 飛べない奴を相手に飛べる奴が不覚を取っては赤服のメンツに関わるというものだ。
「アークエンジェルのお手並み、見せてもらおうかしら」
 
 
 
 
 
 マリューが艦橋に入ると、既に来ていたトニヤとバーディが振り向いた。
「お早うございます」
「おはよう」
 頷いて艦長席に腰を下ろしたマリューは、眼前のモニターを暫く眺めていた。
 無論、モニターには何も映っていない。
 やがてモニターから視線を戻し、
「法条」
「はい」
 まりなに、
「艦内に、第一種戦闘配備用意を通達して」
 いつもと変わらぬ声で告げた。
「『!?』」
 まりなよりも先に、カリンが反応した。
 一瞬意味が分からず、レーダーとソナーを見やったが、何の反応もない。
 顔を見合わせた二人だが、すぐに思い出した。
 この艦長が想いを寄せる相手は人外の存在なのだ、と。
 がしかし。
「ゴッドフリート、バリアント起動。ストライクとガイア、スカイグラスパーも出撃待機」
「はっ」
(ん?)
「艦長、ミサイル発射管への装填は?」
「そこまでやると発覚する。まだいいわ」
 敵の所在も不明な上に、更に不明な事を言い出した。
 まさか敵に悟られたくない、ではあるまいが、何故シンジに知られたくないのか。
「艦長、あの…一つ質問してもよろしいでしょうか」
「なに?」
「敵襲来の予想があったからの戦闘配備命令と理解しておりますが」
「そうね。但し、シンジ君じゃないのよ」
「『え?』」
「女の勘、ってやつよ」
(……)
 勘で動くのは異世界人の専売特許だと思っていたが、どうやら違ったらしい。
 声にはちっとも緊張感がないが、シンジから何かが伝染って開眼した可能性もあるし、何より艦長命令と来ている。
 シンジに絶対内密なら、自分達が伝令になるしかないと、出て行くまりな達の背に声がかかった。
「カーテローゼ」
「はい?」
 ハルバートン麾下だった自分達のことを、マリューは階級名では呼ばない。カーテローゼもカリンと呼ばれていたから、何事かと足を止めて振り向いた。
「あなたはそっち」
 指した先は、いつもナタルが座っている席であった。
「バジルール注意は暫く無理だから。頼んだわよ――カリン」
「は、はいっ」
 
 
 
「コーヒーフィルター乙」
 日本の茶を喫する時は、泡立てられるか茶道具から注がれるものだと思っていたが、コーヒーフィルターで漉された代物が出て来た。
 茶道には元からさして興味もないし、これはこれでなかなか良いものだ。
 が、さすがに砂漠の街で手に入れた、と聞かされた時は一瞬度肝を抜かれたが、この世界であれば、あまり驚く話でもないかもしれない、と気付いた。
 そう――核で日ノ本が滅んでしまっているようなこの世界では、だ。
 いかなる政治の結果か、北の大地しか残っていないような島国の産物が、世界のあちこちに散らばったとしても格段不思議な話でもない。
(賞味期限の設定は…)
 シンジは首を振った。
 異物混入や、別物に変容してはいなかった。
 それで十分だ。
 バズーカとランチャーを搭載したカートをガラガラと引きずっていると、背後で声がした。
「碇様」
「主は?」
 顔は動かさずに訊いた。
「沐浴中です。お一人で出来ますので碇様のお手伝いをさせていただこうかと」
 セリオの言葉にシンジの表情が緩んだ。
(沐浴、か)
「引っ張っていってテストするだけだから、大丈夫だよ。それより、来栖川が裸でうろうろしても困る。面倒見てあげて」
「姉君がおられない時は心配無用です。お一人でも差し支えありません」
「姉君?」
「お二人が一緒の時は能力が三割ほどダウンされますから」
「そうなんですか」
「そうなんです」
 機械的なオウム返しにシンジは頷いた。
 何やら満足げである。
「じゃ、運んでもらおうかな」
「かしこまりました」
 鉄製の砲身をまとめて軽々と担ぎ上げ、シンジの少し後ろを歩いてたセリオの足がふと止まった。
「どしたの?」
「お訊ねしてもよろしいでしょうか」
「何なりと」
「この世界に於いて、このような火力兵器は通常MSを攻撃する用途としては用いられておりません。特殊な砲弾をお使いになれますか?」
「砲弾は使わない。衝撃とか後方へ火を吐いたりすると怖いから」
 シンジが口にした怖い、という単語を機械仕掛けのメイドはどう捉えたのか、無機質な瞳をじっとシンジに向けている。
「私にその感情は備わっていません。未知のものや危険に対して抱く生物学的な感覚であると認識しています」
「つまり、そんな感情の発露がある上に、また他に手段があるにもかかわらず、奇天烈なことをやらかす発想が解析不能である、ということ?」
「そこまで…ストレートではありませんが、大凡合っています」
「えらい言われ様だ」
 セリオの頭部から生えたアンテナをピコピコと指で弾きながら、シンジはすぐには口を開かなかった。
 歩き出したシンジの後ろをセリオがてくてくと着いていく。
 なかなかに反応する様子を見せないシンジにも、セリオは何も言わなかった。
 曲がり角へ差し掛かった時、シンジがふっと歩みを止めた。
「暇つぶし、かな」
 漸く返ってきた言葉に真実味が微塵もないことを、セリオは一瞬で解析していた。
 忘れていた訳ではあるまい。この虚偽に満ちた言葉を紡ぎ出す為に、数分間どれだけの言葉を繋いでは消し、重ねては消去していたのか。
 シンジの頭上で、宙に浮かんで見えた妙な思考回路の映像は、おそらく幻ではあるまい。
 だが、セリオはそれ以上重ねて問うことはしなかった。
 やがてデッキへの出口に着いた時、違うことを聞いた。
「了解しました。ところでマリュー・ラミアス艦長は、碇様とはどういうご関係なのですか」
 返答はすぐにあった。
 しかもそれは、確実にシンジの本音であった。
 
                             
 
 
 
「艦長、間もなく作戦開始時刻です」
 マウアーの言葉にタリアは頷き、アームレスト横の受話器を取り上げた。
「本艦はこれより――」
 タリアの言葉を甲高い通信音が遮った。
(?)
「艦長…」
 振り向いたアビーの顔は、やや強ばって見えた。
「何事?」
「潜水母艇より入電、突如原因不明の衝撃を受け船体が大破、自力航行不能とのことです」
「何ですって?」
「映像出ます」
 MSも搭載しておらず、そもそも敵を認識したとの報告もない潜水艦が大破、と言われても、誰も即座に事態は理解できなかった。
 天気は快晴、おまけに海面は無風の凪状態と来れば無理からぬ話だが、映像が出た瞬間ブリッジの空気は凍り付いた。
 映っていたのは、数十メートルの高さまで吹き上げる水柱とその場所だけ、台風が降臨したかのように荒れ狂う海とそして――。
「あれは…破片?」
 波間を漂い、或いは水柱と共に天高く舞い上がっているのは、ボスゴロフ級のものと思しき無数の破片であった。
「アビー、シグナルは?」
「微弱ですが確認できます」
 状態は不明だがまだ生きている、ということだ。
(だがあれでは羽を全て毟り取られた鳥も同然)
 呟いたマウアーの脳裏に、一瞬従姉の顔が浮かんで消えた。
 偶然だ、と捉える性格ではない。
(そうかハマーン…そういうことね)
「医療班を待機させて。それからアスラン隊に出動要請を」
 タリアは艦長だが、アスラン隊は麾下ではない。命令できる立場ではないのだ。
「出撃は後回しよ。残存兵の回収を最優先とします」
「はいっ」
 だが副長の反応は違っていた。
「グラディス艦長、救出はカーペンタリアに任せるべきかと」
 何を言うのかと、クルー達までもが奇異な視線を向けたがマウアーは意に関せず、
「おそらく、あの艇(ふね)から一定距離に近づけば本艦も巻き込まれます。この災害は――天災ではありません」
 局地的に発生した異常気象であろう、艦橋の誰もがそう思っていたがマウアーは違うという。
 無論言い切った本人にも確証はなかったが、従姉が一目置いている存在――この世界にあってはならぬ者――異世界人が高確率で絡んでいると脳裏に浮かんだハマーンが囁いていたのだ。
「……」
 確かに尋常な光景ではない。
 だが、僚艦が少なからぬダメージを受けている事は荒れ狂う波と漂う破片が示している。おそらく、海中でも何が起きたのかは把握していまい。
「駄目よ」
「……」
「気象を操れるなんて、一介の人間に出来る事じゃないわ。まして数十キロも離れた所から操るなど決してあり得ない。何より、こうしている間にもどんどん被害は大きくなっていくわ。僚艦を見捨てろというの」
「…分かりました」
 マウアーはあっさりと頷いた。
 目の前にいるのがハマーンでない以上、状況認識も尋常の域を出ないのはやむを得ないと判断したのだ。
「アビー、向こうの位置は?まだあの中にいるの?」
「――!!」
 答えは映像にあった。
 次の瞬間海面が盛り上がったかと思うと、真っ二つに割れた船体の片割れがひときわ高く吠えた水柱と共に宙へ舞い上がり、不安定に揺れながら落下し、海面へと叩きつけられたのだ。
 悪夢のような光景に、タリアは出来の悪いビデオをスローモーションで見ているような気分に覆われた。
 船体を飲み込むと海は急激に凪いで行き、風もたった今まで狂乱の様相を見せていたのが嘘のように静まっていく。
「グラディス艦長」
 静まりかえった艦橋にマウアーの声が響く。
「このまま進撃するのは構いません。しかし、即刻離水上昇して下さい」  
 
 
 
 
 
 シンジの位置が中心に来るように船体に描かれた六芒星は、それぞれに紋様が記されており、シンジが鎮座することで効果を発揮し始める。
 ブリッジ眼下に陣取ったシンジには、戦果は確認できているが、潜水艦とは言え母艦を退治できたのは予想外の戦果であった。
「なんか一匹釣れた」
 想定しているのはMSクラスのサイズだし、特別仕様のバズーカは罠をすり抜けた相手用だ。
 いくらシンジでも、普段ろくに練習していない設置用の術式が万能だと思うほど厚かましくはない。バズーカを担いできたのはテスト用で、敵艦の動きは予想も想定もしていなかった。
 とまれ、望外の戦果ながら一隻は撃沈できたし、更にその後方にいる大型艦のことも把握出来ている。
 とりあえず戦艦に一発かましてから。艦内へ通達しようかと瞑目していたのだが、不意にその身体が硬直した。
「……あれ?」
 確実に迎撃システムの作動範囲に侵入し、こちらへ進んでくる流線型の大型戦艦は、強風の洗礼も波浪の痛打も受けず、ゆっくりと進軍してくる。
 打撃どころか、まったく罠が反応していないではないか。
 シンジの目が慌ただしく描かれた六芒星を行き来し、ある一点で止まった。
「あーっ!」
 致命的な欠陥に気づいたが、無論修正する時間はない。
 あーあ、とひとつため息をついてからインカムのスイッチを入れた。
 何かあったら艦橋へ連絡を、とセリオに渡されたものだ。
「こちら碇。ブリッジ、聞こえる?」
「なあに?」
(え?)
 返ってきたのはマリューの甘い声であった。
「あの…艦長なんでそこにって、まあいい。悪いけどやらかした。こっちに向けて戦艦が一隻向かってる。おそらくMSをガシガシ搭載してる筈だ。映像出せる?」
「ちょっと待って――出たわ」
 少しの沈黙の後、
「ザフトのデータベースに記録はないわ。新型艦みたいね。これは…多分こっちとコンセプトは同じ艦ね。積んでるのは例の強奪機体と援軍のMSってところかしら。ストライクとガイアは今出すわ。艦内はもう第一戦闘配備に就いてるのよ」
「敵艦の迎撃はそちらに任せる。にしても…随分と手回しのいい」
 マリューにしては、ではなくシンジが甲板に出た時点では、敵の情報など微塵もなかったのだ。いくら何でも手際が良すぎる。
 そんなシンジの反応に満足したのか、
「あなたがなんかやばい状況になりそうな気がしたのよ」
 マリューの言葉は笑みを含んでいた。
(どっちかな)
 とりあえず、
「それはそれは。搾った甲斐があったかな」
 そう言ってから、主砲が起動していた事に気づいた。
 
 
 
 艦橋内に、シンジからの声は聞こえている。マリューがスピーカーのスイッチを入れているからだ。
「レーダーの敵艦、データに照合ありません」
「進路クリア、ストライク発進良し!」
「ヘルダート、スレッジハマー全門装填!」
 矢継ぎ早に指示を出しながら、何をやらかしてシンジに怒られたのかと見ると――。
「ーっ!」
 そこには、首筋まで赤く染めて硬直しているマリューが、いた。
(ちゅ、ちゅーに決まってるでしょっ!)
 無論、クルー達はマリューの内心など知るよしもないし、畢竟、文字通り搾られたとは思いも寄らない。
(絞られて歓んでる!?)(そこまで調教済みかよ!?)(もしかして艦長ってドMだったの!?)
 怒られても悦ぶ程に調教済みか或いは天性の性癖なのか、居合わせた者達は顔を見合わせたが、口に出す者はひとりもいなかった。
 何せ――相手は異世界人なのだから。
 
 
 
 
 
(第九十話 了)

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