妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第八十九話:吸われるのは艦長のおしごと、搾るのは異世界人のおしごと
 
 
 
 
 
「――ウズミ様」
「お入り」
 執務室のドアが開き、黒いスーツに身を包んだ女が音もなく滑り込んだ。
 年の頃は二十代後半、高い身の丈にスーツがよく似合っている。やや垂らした前髪で表情は窺えないが、身のこなしには微塵も隙がない。
「コーネリア・リ・ブリタニア、ただ今戻りました」
 すっと身をかがめ片膝を着いて一礼した女――コーネリアに頷き、
「キサカが戻ったよ」
「キサカ一佐が?カガリ様とご一緒ですか」
「いや、一人だ」
 コーネリアの表情は変わらない。
 コーネリア・リ・ブリタニア。
 オーブを操ってきた五大氏族の一つ、アスハ家に連なる家の出で、五家程ではないが、これも名門の出自で、ウズミとは縁戚の関係にある。
 その能力は極めて優秀だが、軍属する事を拒み、常にウズミの懐刀として陰から支えてきた。
 正確には――裏の仕事を全て請け負ってきたのだ。
 アークエンジェルから、自作自演の映像が送られてきた事で、さすがのウズミも判断がつきかね、アークエンジェル及び異世界人を解析するようにと、コーネリアを派遣していたのが戻ってきたところである。
「カガリが命拾いして砂漠に水が湧き、キサカは鼻を砕かれてきた」
「カガリ様があの艦に搭乗された事は分かっていましたが、キサカ一佐もご同道されているものとばかり」
 前半部分には反応しなかった。
 タッシルで、凡その事はサイーブから聞かされてきた。
 カガリがアークエンジェルに乗り込んだ事も知っていたが、キサカの事までは訊かなかったのだ。
「あれとて一人の人間だ。私の意に沿わぬからと言って、鎖で繋いでおくわけにもいかぬ。とは言え、あの艦に乗り込む事が何をもたらすのか想像もつかん。君はどう思うかね」
「異世界人の差し金でしょう」
「カガリを人質にして、優位に立つ気でもあるまいが、サイーブにも量りかねていたようだ」
「出立前、カガリ様は茶坊主と呼称され、何度か命を落としそうになった事もあったようです。ただ、アークエンジェルとザフトの戦闘を見て、何かしら思うところもあったのかと」
 実際に目にした訳ではないが、これまでの道中、特に地上へ降下後の砂漠では超自然現象が引き起こされ、ザフト軍は文字通り全滅したという。
 その中心にいるのは、間違いなくあの異世界人であり、その異世界人が国を飛び出したカガリを見て何を感じたのか、また何を思ってアークエンジェルに積み込んでこの国へ向かっているのか。
「私の見聞きした範疇ですが、かの異世界人は戦艦やMSのみに頼らず、通常ではあり得ぬ自然現象を引き起こし、ザフト軍を滅ぼしています。時折、妙な拘りを見せる事もありますが、基本的には戦果を最優先し、戦争に身を投じる事にも全く躊躇が見られません。おそらく、平時から敵と見れば殺す事を微塵も厭わないタイプでしょう」
「ほう」
「ただ、一つ奇妙なのは、側にいても血の臭いを微塵も感じ取れなかったとの事です。どんな精神の持ち主であれ、平然と人を殺せる者が、完全に血の臭いを消し去る事は不可能です――少なくとも、直接手を下せる者であれば」
 戦場で銃の引き金を引くのも、司令室でミサイルの発射命令を出すのも、結果を直接目の当たりにするかどうか程度の違いだが、直に手を下す場合、その数が増えれば増える程その身を覆う血の臭いは隠せなくなる。
 どんなに取り繕っても、目の奥の光だけは誤魔化せない。
 人間が神から許可されたのは食べる為に獣を殺す事であって、他の人間を殺す事ではなかったのだ。
 いかな異世界人と雖も、サイーブの目を逃れる事は出来ない筈だが、サイーブは否定した。
 先だって送られてきた映像には、無論異世界人が映っている。顔を隠しもせず堂々と映っていた姿は、長髪のせいもあろうが年齢は二十歳前後の長身で、悪の張本人なのは見て取れたが、確かに凶悪そうには見えなかった。
 目にもそんな光はなかったから、コーネリアの言う事は間違っていないのだろう。
「平気で人を殺し、超常現象を引き起こして戦況まで一変させる――甚だろくでもない存在ではあるが、クルー達からはどう評価されてるのかね」
 コーネリアが黙って頷く。
「異世界人とて神ではあるまい。血を吸う事のみを追い求める暴君なら、乗員達がとっくに始末しているだろう。なにより私は、ステラ・ルーシェは信頼して良いと思っている」
「ステラ・ルーシェを信頼、と?」
 初めてコーネリアの表情が動いた。
 アークエンジェルに乗っている事は無論知っているが、不意にその名が出てくるとは思わなかったのだ。
 うむ、とウズミは頷いたが、それ以上は触れなかった。
 改造完了していないとは言え、オーブの技術力で改造を施された存在のステラが、恋する乙女の表情で異世界人に抱きついていた事は、ウズミに取って最大の衝撃であった。
 ふらりとやってきて、パイロットの鍛錬を申し出たシュラク隊のメンバーも、ガイアを担いでやってくると言っていたのだ。
「しかしながら、だ」
「はい」
「ただ危険なだけ、の存在ではないとしても、戦場で人知を超えるような現象を起こすような者が、その気になればこのオーブはえらい目に遭う事になる。さて、どう対応すべきかね」
 ステラがオーブ軍属とは言え、実際目にした青年像が、戦場でこの上なく頼りになる存在という部分だけなら、惚れ込む事も由無しとは言えない。
 戦場とは、とかく人の感性を狂わせる事をウズミは知っている。
「その気にさせなければよろしいかと」
「ほう」
「その望みが国へ帰る事ならば、破壊工作に勤しみもしないでしょう。この国に置いて、衣食住を与えれば別段危険な存在にはならないかと」
「だがその能力が事実なら、他国とて黙ってはいまい。遙かな好条件を提示して、引き抜きに掛かったらどうするね。もし去ったとしても、裏切りでもなければ忘恩の徒でもないのだ」
「そのときは――」
「そのときは?」
「私の身体を差し出しても引き留めてみせます。この程度の代物でも、異世界人一人の興味程度にはなりましょう」
「そうか」
「はっ」
 俯いたまま、表情の見えぬコーネリアの声は変わらない。
 暫しコーネリアを見下ろしていたウズミが、ふと呼んだ。
「ここへ」
 言われるまま、コーネリアが側へやってくると、その手を取って引き寄せ、そのまま膝の上に抱え上げた。
 流れるような動作で、抗う隙もない。
 肩に触れると――そこはわずかに震えていた。
 あっ、と小さく声を上げたコーネリアだが、逆らおうとはしなかった。
「従妹殿は、大抵の事は器用にしてのけるが、嘘は相変わらず下手とみえる」
「ウ、ウズミ様私は…んっ」
 コーネリアの唇に指を伸ばして制し、ウズミはそのまま自分の唇で塞いだ。
「ウズミ…様ぁ…」
 ぽーっと赤くなった才女の頭を優しく撫でたウズミが、
「異世界人一人、女を差し出して引き留めねばならぬほど、このウズミもまだ堕ちてはいないつもりだ。あの艦の面々に出来た事を、このウズミが出来ずしてなんとしよう。従妹殿は、安心して見ているが良い」
「はい、信じておりますウズミ様…」
 そっと寄りかかってきた柔らかい身体を軽く抱きながら、ウズミは入国申請名簿の中にあったとある名前について考えていた。
(出身・経歴に不審な点はない。犯罪歴も該当がない。だが、何か…何か引っかかる)
 その名を、エメラルダ・サンボーンという。
 
 
 
 
 
 ブラを外し、手からあふれる乳房をそっと持ち上げると、肌はわずかに上気し、既に既に乳首は勃起しつつあった。
「ミ、ミルクってそのっ、つ、疲れた時にはいいんだって。よ、良かったらどうぞっ」
 ほんのりと頬を染めて乳房を差し出すマリューは、無論妊婦でもなければ病気でもない。
 ミーアが持ち込んだ媚薬の効果だが、実効のほどは別である。
 何を考えたのか、シンジは差し出された乳房をじっと見つめていた。
(そ、そんなに見ないでぇ…)
 今までに何度も抱かれているが、母乳を飲ませた事は一度もない。初体験の上、乳房に注がれる眼差しにマリューは股間が熱くなってくるのを感じていた。
 だが、シンジが口にした言葉は意外なものであった。
「艦長、本当にいいの?」
(え…?)
 姉御、ではなくマリュー、でもなく。
 艦長ときた。
(怒って…る?)
 ちら、と視界の端にシンジを覗ったが、別段そんな風にも見えない。
 しかし、シンジがこの呼称で自分を呼ぶ時は、ろくな事がないとマリューは今までの付き合いから分かっていた。
 それでも、ここには二人しかいないし、肯定した処で乳首を吹っ飛ばされたりはすまいと、上気の退いた表情で頷いた。
「ど、どうぞっ」
「じゃ遠慮無く」
 たわわな乳房の片方を両手で包み込まれ、マリューは小さく安堵の息を吐いた。
 シンジの手から伝わってきたのは柔らかな暖かさであった。
 じわりと白い液体がにじみ出ている乳首に吸い付くと、口の中でマリューの乳首はあっという間に硬く尖っていった。
(むぅ、甘い)
 母乳の味など覚えていないし、そもそもこの女性(ひと)は出る筈がないのにこの世界のバイオテクノロジーはどうなっているのかと無粋な事を考えていたが、きっちり10数えて口を離した。
「もう…いいのぅ?」
 少し蕩けたような表情で訊いたマリューに、
「ありがとう、もう十分だ。それに、これ以上はマリューの身体が保たない」
「やだもう、何言ってるのよ。これ位ぜーんぜん平気よ。もっと吸ってもいいのよ。おっぱいでいっぱいになるくらい…あら?」
 不意に呼称が変わった事と初めての授乳でテンションが上がったか、マリューが艶めいた笑みを浮かべて起き上がろうとして――そのまま倒れ込んだ。
「残念ながら、母乳を吸って精(ジン)に変えるすべは持ち合わせていない。母乳ごと吸精させてもらったよ。後遺症は残らないし、吸う前に訊いたからね…って、聞いてないよ」
 普通の人間でも精はある。ただその量が多いか少ないか、そして――それを何かに変換できるかどうかが異なる
 乳首を吸われたのは文字通り数秒だったのに、それがいかなる影響をもたらしたのか、マリューは完全に失神しており、身体はぴくりとも動かない。
 ゆっくりと立ち上がったシンジが、握りしめた手を数度開閉してから両手を前に思い切り伸ばした。
「さすが母乳の威力、ほぼ戻ったか」
 まだ乳房をはだけたままのマリューに手を伸ばし、乳房をブラの中に押し込み、てきぱきと身繕いさせていく。
 完全な軍人姿に戻してから、何を考えたか部屋の中を物色し始めた。
 手慣れているのか、物が散乱することもなく粛粛と次々に漁っていき、
「ああ、あった」
 手に取ったのは寝間着であった。
 どう見ても和風で、まだ着用回数も少ないのか物が新しい。
「マリューが和の人とは知らなかった」
 パジャマかネグリジェ辺りを目指して漁っていたらしい。
 わざわざ着せた軍服をまた脱がせ、器用に着替えさせ始めた。軍服もインナーも当然のように脱がせたが、何を思ったかブラに手を伸ばして途中で止めた。
 数秒眺めていたのは、僅かに左右へ揺れた巨乳か或いはその胸元に揺れる十字(クロス)だったのか。
 とまれ、途中で引っかかる事もなくマリューを抱き上げて着替えさせたシンジは、そのままベッドに運んでいった。
 デュベを胸元まで掛けてから、デスクへ歩いて行き受話器を取り上げる。
 五分後、扉がノックされ、閻魔大王の前に引き出された罪人みたいな表情で立っていたのはナタルであった。
「あの…何か」
 すぐ来いと要求され、門前払いしたかったが、後が怖いので仕方なくやってきたのだ。
「艦長が倒れた。治してみるか?」
「……」
 絶対罠に違いないと、これ以上ない位猜疑心に満ちた目でシンジを見ていたが、
「分かった。無理強いはしない」
 あっさりと引っ込めたシンジがパネルに手を伸ばし、ドアが閉まりかけると慌てて手を突っ込んできた。
「こ、断るとは言っていない。私に出来ることなら、やらせてもらう」
「本当に?」
「や、やると言ったらやる」
 では入って、と促されて中に入ったナタルの背後でドアが閉まり――ロックされた。
 不安と後悔がない交ぜになった表情をしているナタルに、シンジは言った。
「じゃ、早速だが服を脱げ。上から下まで全部」
「!?」
 やはり罠だったかと唇を噛んだが、この状況では天地が逆しまになっても逃げられないと観念したが、唇を噛んだまま軍服を脱ぎ始めた。
「艦長は隣室のベッドでお休みだ。服を全部脱いだら裸でベッドに潜り込め。で、キスしたら舌を入れる。吸ったり絡めたり、好きなようにもてあそんで30秒待つ。以上だ」
「……!?」
 脱ぎかけた手が途中で止まり、擬人化した有毒な産業廃棄物でも見るような視線を向けてくる。
「やるなら早くしろ。やらないならカエレ!」
「…や、やります」
「結構だ」
 色情の固まりみたいな奴が自分を弄んでいる、訳ではないと気づいたらしい。
 もぞもぞと服を脱ぎだしたナタルにさっさと背を向け、シンジは艦長室を後にした。
 
 
 
 
 
「結局…こうなっちゃったね」
「うん」
 ミネルバの艦上で、ニコルとルナマリアが並んで、ぼーっと海を眺めていた。
 二人とも、降下時にはどこかの基地支援に回されるものと思っていたが、アスラン達がアークエンジェル追撃の任を引き受けた事で、後方支援する事になった。
 無論軍務に異論はないが、アークエンジェルのここまでの戦績を改めて知らされてしまうと、もう少し経験値が上がってからにしたいところだ。
 上からの命令だし、艦に下された命令は後方からの支援だから、戦艦対決になる事はなさそうだが、ルナマリアの機体は艦載機の中では唯一飛行可能なシグーと来ており、ことによっては出される可能性もある。
 どうやったのかは知らないが、巨大な戦艦を丸ごと砂の下に沈めるような相手と戦ってみたい、と普通は思わない。
 少なくとも――地上では。
 居並ぶMSを眺めながら、ふとルナマリアが口を開いた。
「ニコル」
「なに?」
「あの異世界人と何があったの?」
 ぼんやりと遠くを眺めていたニコルが、突然激しく咳き込んだ。
 よほど衝撃的な台詞だったのか、身を折って悶絶状態である。
「なっ、なななっ、なんにもないよっ!は、裸とかお尻とか絶対ないからねっ」
(ニ、ニコル貴女…)
 ニコルが思わず口走った台詞は、ルナマリアを呆然と立ち竦ませるには十分であった。
 前に話した時も予感はあったのだが、あの時はニコルも自爆しなかったし、ルナマリアも深追いしなかった。
 しかもニコルの様子からして、想定される行為に強制があったとは見えないのだ。
 無理強いされて悦ぶタイプ――とは思いたくない。
(一回だけだろうし、ニコルのトラウマになってないならまあいいか)
 と、思う事にした。
 赤くなってもじもじしている親友に、なんと声を掛けたものかと思案し始めた時、
「よう、お二人さん。ここにいたのかい」
 男の声に振り返ると、ハイネ・ヴェステンフルスが立っていた。
(聞かれた!?)
 ニコルの頬はまだうっすらと赤いが、立ち聞きされたかとルナマリアはそれどころではない。
 鋭い視線をニコルに向けたが、
「ルナマリア、今回は頼むぜ」
「え?」
「俺の機体は飛行用パーツが間に合わなかった。飛べるのは、お前がハマーン様からお預かりしたシグーだけになる」
「……あ」
 そういえば、ハイネの機体も本来は飛べるのだと思い出した。
「いいけど、今回はってどういう事?」
「ミネルバは前線に出るんだよ」
「『えーっ!?』」
 ルナマリアとニコルの声が重なる。
 やっとこちらの世界に戻ってきたようだ。
「ミ、ミネルバは後方支援じゃなかったのっ?」
「そうだよ」
「何でそれが前線にっ!?」
「気負っているところを悪いけど、ザラ隊では多分無理だから」
 声は後ろから聞こえた。
「レイ」
 レイ・ザ・バレル。
 表情をあまり変えぬ細身の少女は、ギルバート・デュランダルが裏から手を回した駒の一つである。
 無論、能力的には赤服を身にまとっても何ら遜色はない。
「宇宙では四機掛かりでもストライク一機を落とせず、それどころか捕虜にされた機体もある」
「ちょっとレイあんたっ」
 ニコルの前で淡々と告げるレイに、ルナマリアが思わず食って掛かったが、ニコルがその袖を引いて止めた。
「いいよルナマリア。ほんとの事なんだから」
「ニコル…」
「能力不足、と言っている訳ではないわ。ただ、あの艦相手には荷が重すぎると言っているだけ。特にこの地上ではね。まともに攻撃しても、沈める処か撃退されるのは目に見えている。いくら後方支援が任務とはいえ、それを黙って放置できないと艦長が判断されたのよ」
「でも、実質は宇宙の時と変わってないのよ」
 ルナマリアの言うとおりだ。
 MSの数で言えば、ハイネ機もレイ機も飛べない以上、直接攻撃に追加出来るのはルナマリアのシグーのみであり――それは宇宙で翻弄されたのと同じメンバーであった。
「ストライクは飛べないよ」
 ふふっとレイが微笑った――ような気がルナマリアにはした。
 或いは気のせいだったかもしれない。
「もう一機の機体も、四本足に形態は変えられるが四枚の翼は持ってないだろう。つまり、こっちは空中戦可能な五機、向こうは地上を走るだけの機体が二機ってことさ。アスラン達があの二機を落とせば、ミネルバも戦艦同士で撃ち合いなんてしなくて済むだろ」
 ハイネが引き取った。
「そっか、それなら――」
 大丈夫だね、と言う言葉は出てこなかった。
 ハイネとレイは、まだストライク退治に出撃した事がないが、ニコルとルナマリアは、異世界人搭載時のストライクを知っている。
 常識も、通常の物理法則すら無視するような相手が、地上に降り立った途端常識の範囲に収まるとはどうしても思えなかったのだ。
 かといって、この中で唯一対峙経験のある二人が、最初から弱音を吐いては赤服のメンツに関わる。
(やるしかない、か)
(うん)
 声にせずとも交わした視線で意志は十分通じている。
 ルナマリアとニコルは、黙って頷き合った。
「さてと、二人とも副艦長がお呼びだぜ。アスラン・ザラが回復次第、出向するそうだ」
「『りょーかい』」
 幸い、ニコルの自爆は発覚しなかったようだが、先に歩くニコルを見ながら、ルナマリアは呟いた。
(やっぱりニコルの影…他の二人より薄いような気がする)
 と。
 
 
 
 
 
「やはり、生きた人間からの吸精はよく効く。あとはバジルールの変態ぶりに期待しよう」
 復活して早々、邪悪な台詞を吐いたシンジが、食堂の前を通りかかった時呼び止められた。
「そこの暇そうな異世界人、寄っていかない?」
「ん?」
 見ると来栖川綾香がひらひらと手を振っている。
 メイド姿のセリオが甲斐甲斐しく世話を焼いており、レコアもいるところを見ると、どうやらおやつタイムらしい。
「また今度」
 歩き出した背後で、
「セリオ、捕まえてきて。生死は問わないから」
 物騒な命令が聞こえ、やむなく振り返った。
 ほぼ復調したとは言え、こんなところで機械メイドに襲われたくはない。
「あーはいはい、今行きますよ。行くからこっち来んな」
 食堂に入ると、僅かに小首を傾げたセリオが出迎えた。
「よろしかったのですか」
「なに?」
「今の命令はこの艦の秩序を乱すと判断しました。首謀者を捕縛する用意は出来ていましたが」
「セ〜リ〜オ〜」
 しなやかな眉をつり上げる綾香をよそに、この発言はいかなる回路から発せられたものかと、セリオを見ながらシンジはぼんやりと考えていた。
「この子がケーキを焼いてくれたところよ。あなたも頂いたら?」
「え?ああ、そうだね。じゃ、いただきます」
「かしこまりました」
 カウンターへ歩いて行くセリオの後ろ姿を見ながら、
「なかなか物騒な思考ね。物騒な誰かさんの影響を受けたのかしら?」
「ご主人様、言われてますよ」
「…お前だっつーの。なんであたしの影響でこの艦に乗ってから、ああなるのよ!」
「いやあ、それほどでも」
「褒めてないわよ!まあいいわ、体調はもう戻ったの?」
「九割九分七厘戻った」
「あっそ、そりゃ良かっ――」
「随分早いわね」
 横からレコアが口を挟んだ。
「え?」
 皆が怪訝な顔でレコアとシンジを交互に見る。
「君の場合はただの疲労や負傷じゃない。この世界の医術で、そう簡単に治癒するタイプじゃないと思ったけど、特別治療があったのかしら?」
 からかうような口調で訊ねてきたレコアの意図は分かりきっている。
 ちら、と見やったシンジが、
「残り三厘はレコアからもらうとしよう。体内から直接吸精するやり方は、前から一度女性の身体で試して見たかった。実験体がそれを望むならこの上ない話だ」
「あ、あの〜」
 たまりかねたように発言したのはミリアリアだ。
 トールにせっせと食べさせていたのだが、さすがについていけなくなったらしい。
「何、ハウ?」
「そ、その…か、身体に手を入れてその…な、なにか出来るんですか?」
「体調が戻る」
「ど、どうして女性限定なんですか」
「男の身体に手を突っ込むのはあまり気乗りしない。で、君も体験希望?」
「しっ、しませんっ!」
 ぶるぶるぶる。
「だそうだ。レコア少尉、残念でした。今日の真夜中、部屋にお邪魔するからよろしく。一応遺書は書いておいてね。俺も初体験だから」
(脱出不可能ー!?)
 どこにどう手を入れるのかは不明だが、快楽とはほど遠い代物らしい。
 可哀想ではあるが、自業自得だし、迂闊に助け船を出すと確実に巻き込まれるから、誰も口を挟まず黙っていた。
 これはさすがにシャレにならない地雷を、それも全体重を掛けて踏んだらしいと気付いたレコアだが、ここにはマリューもいなければアイシャもいない。
 当然自力脱出を余儀なくされ、
「ちょ、ちょっと言い過ぎたわ。だけどそ――」
 言いかけたところで、
「大将、MSデッキへ来てくれ。塗装の件で相談がある」
 スピーカーからマードックの野太い声が響き、シンジはすっと立ち上がった。
「査問委員会は時間切れらしい。じゃ、レコアまた後でね」
 甘い囁きのような声に、居合わせた者達は思わず顔を見合わせた。
(あーあ)
 この特殊な異世界人の場合、甘い声というのが真逆の意味を持つ事を彼らは既に理解していたのだ。
 シンジの姿が消えた後、
「あの…レコア少尉…」
 ミリアリアが遠慮がちに声を掛けた。
「その、なんて言うか…お悔やみ申し上げます」
「…うるさいだまれ」
 格納庫へ着くと、マードック達が出迎えた。
「おう大将、悪いな。身体の方は、もういいのかい」
「ほぼ完治した」
「そうかい。で、例の件だが本当にいいんだな」
 次は単独で出る、とシンジが言った時、さすがの男達も一瞬驚愕の表情を見せたが、反対はしなかった。
 つい先日、艦に居ながらにしてザフトのMSを片付けた実績が前提だが、船体に積極迎撃の術式を描いたのは、シンジの指導の下、男性クルー達の所行であり、自分達でも一臂を仮すこと能うとの自負もあるからだ。
「卿らを信頼している」
 この言葉は嘘ではない。
 いかにシンジとは言え、マードック達の助力無しで大規模な術など出来なかったし、描かれた術式に間違いなければ、あとは自分がいれば発動できると細部まで確認もしていないのだ。
「オッケー。が、その前にお客さんだぜ」
「お客さん?」
「ああ。ほれ、入んな」
 ムウに促されて入って来たのは、キラとステラであった。
「何故ここに?」
「ちょうど、機体の整備に来たところでな。二人には未だ言ってないんだろう?」
「話はどこまで」
「シンジが出る事までは話しておいたが…余計だったか?」
「いや、ありがとうフラガ」
 緩く首を振ったシンジが二人に向き直った。
「で?」
 黙っていてごめん、とも言わず意図の説明もなくいきなりこれだ。
「『あ、あの…』」
 何やら言いよどんでいた二人だが、
「『ぜ、全力でおまもりしますっ』」
「ふうん」
 キラとステラを眺めていたシンジの手がゆっくりと伸び、二人の頭を軽く撫でた。
「良い答えだ」
「お兄ちゃん…」「シンジさん…」
 少女達がうっすらと赤くなる横で、視線を向けられたムウが僅かに横を向く。
 助け船(ゴッドハンド)無しでこの答えが出る二人ではないと、シンジが一番よく知っている。
 船体強化の打ち合わせを終え、自室に戻ってベッドに寝転がっていると艦内無線が鳴った。
「なに?」
「ちょっと艦長室にいらっしゃい」
 マリューから直々のお呼び出しときた。
「なるほど」
 気軽に立ち上がって部屋を出たが、何がなるほどなのか。
 艦長室に入ると、待っていたマリューは既に軍服姿に着替えていた。
「夢を見たのよ」
「夢?」
「そ、シンジ君総受けの夢。あたしが珍しく騎乗位で上になってるの。思い切りおっぱい揺らしながら腰振ってて、身体倒してキスしたらちゃんとシンジ君も応えてくれたのよ。でも、妙にキスが情熱的で、変だなと思ったら急に目が覚めたのよ。そうしたらあたしは滅多に着ない寝間着姿、横には裸でちょっと濡れちゃってるナタルが抱きついてる。説明してくれる?」
「事情は分かってるが、その前に一つ。どこまで覚えてる?」
「わ、私の…お、おっぱい吸ってもらった処までよ」
 吸わせてあげた、とは言わなかった。
「マリューの母乳は、精力は回復するかもしれないが、精(ジン)の回復には意味がない。だから、一緒に精(ジン)を吸収させてもらった。昏睡一週間コースを、バジルールに早めてもらった」
「ど、どこまで話したの?」
「艦長が倒れたから治すか、と訊いたら承諾したので生け贄に。どんな顔をしていた?」
「ちょっと幸せそうな…っていうか、あれは軽くイッた顔ね」
「知らない事は幸せ、って事さ」
「ふーん」
 はぐらかされたような気もするが、おそらく全部は伝えてないのだろうと自分を納得させた。
「じゃ、じゃあ私が夢で見た相手ってナタルだったの?」
「勿論」
「しかも正夢?」
「当然」
「……」
 ふーっ、とマリューが息を吐き出した。
「まあいいわ。そうしないと、私は暫く目覚めなかったんでしょう?」
「そうだね。バジルールが姉御の寝顔に欲情して襲いかかった訳じゃないから、目覚めるまで寝かせておくといい。その方が本人も幸せだろう」
「副艦長が艦長の部屋で、それもベッドで何日も寝ている訳にいかないでしょ。あとでナタルの部屋に運んでおくわよ」
「うん、頑張って」
 身を翻そうとしたら、にゅうとマリューの腕が伸びて捕まった。
「あなたも手伝うのよ。私に一人に運べと言うの?」
「イエス、マム」
「それともう一つ」
 頬と頬がくっつかんばかりに顔を寄せ、
「折角エロ夢見たのに途中で起こされて、見たら裸の女に抱きつかれてハァハァされてた可哀想な女を身体疼かせたままほったらかしぃ?」
 マリューが見た夢の中身は免責だが、ナタルを嗾けた、というより具体的に指示したのは自分だしと、
「どうしよっか?」
「じゃあ、私のミルクタンク空にしてくれる?まだ全然減ってないんだから」
「吸う?」
「三十点、失格。そんなんじゃ、合格点はあげられないわね」
 要りません、と言おうとしたのだが、マリューに少し濡れたような目で、めっとにらまれては何も言えなくなってしまった。
「じゃ、マリューの思い通りに」
「よろしい」
 うふふ、とマリューが妖しく微笑う。
 それはとても満足げな笑みであった。
 
 
 
 シンジの来訪通告に、ベッドの上でまんじりともせず宙を見上げていたレコアであったが、不意に電話が鳴った。
 思わず身体を硬直させたが、相手はシンジではなかった。
「艦長?どうかなさいましたか…え?」
「シンジからの伝言よ。今回は足りたから見逃してやる、だそうよ。じゃあね、おやすみ」
「はっ、失礼致します」
 受話器を握ったまま、レコアは暫く立ち尽くしていた。
 一先ず、この艦内初の人体実験の材料にされる事は回避出来たようだが、なぜマリュー経由で、しかもこんな時間に伝えられたのか。
 それに、マリューの口から出たシンジという単語を、レコアは今までに聞いた事がない。
 マリューからシンジに対する距離か或いはシンジからマリューへのものか――おそらく後者だろう――常に敬称が付いており、ストレートに呼んだことは無かったのだ。
 とまれ、今夜は安眠して良さそうだと、レコアはさっさとベッドに潜り込んだ。
 張り詰めていた緊張の糸が緩んだか、一分も経たない内に寝息を立て始めた為、マリューの声が僅かに上擦っていたこと、そして時折吐息に淫らなものが混ざっていたことも、レコアは気付かなかった。
 今宵に限っては、その方が幸せであったろう。
 好奇心や余計な一言、という時として危険な地雷にもなりかねない特技を封印できる性格ではないのだから。
 
 
 
 
 
(第八十九話 了)

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