妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第八十八話:妹曰わく「乳なんて飾りです。でかい人にはそれが分からんのです」
 
 
 
 
 
「君に確認しておきたい事があるのだけど」
「なんです?」
「君を左右から挟み込んで同衾している二人の可愛い美少女の寝相について」
「…レコアは一度、全身の体毛を除毛した方がいいと思うんだ。今はちょうど永久完全除毛を特別サービス中でね」
「今回はマジな話よ」
 変わらぬ表情で、にゅうと腕を上げたシンジを見てもレコアは動じなかったが、
「では、前回のお礼を」
 危険な炎がその掌に集まりだしたのを見ると、さすがのレコアも表情に動揺の色が浮かんだ。
 普通なら、それならいいんだ、と返す処ではないか。
「ちょっと待て。前回っていつの事よ」
「対象案件は全部記帳してある。今持って来るから待ってろ」
「…ごめん、ちょっと調子に乗りすぎた」
「ふふん。で、寝相がどうしたと?」
 まだ腕は上がっているが、とりあえず炎が消えた事でほっと安堵の息を吐いた。
 艦内生活で多少不自由はあるが、それでも体毛の除毛など必要とはしていない。そこまで女を捨てたつもりも捨てる予定もない。
「前と変わった?」
「……」
 すうっとシンジの腕が降りていく。
 ただの冷やかしついではない、と気づいたらしい。
「ステラは時々抱きついてくる。ヤマトはその逆だ」
「ほほう?」
「眠ってはいるが、しがみついてくる事が時々あったが、最近は普通にくっついてくるだけになった」
(……)
 天井裏にカメラを仕掛けたいという、不意に湧き上がった欲求をレコアは首を振って振り払った。
 その女体に興味のないシンジが、あきらかに寝間着もはだけているであろう年頃の二人に抱きつかれて、どんな表情で眠っているのかと純粋に知りたくなったのだ。シンジの部屋のベッドは確かキングサイズの筈で、三人が寝ても誰かが落ちる事はあるまいが、ただその安眠故に二人との同衾を許可したシンジが、どうあしらっているのかとひどく気になった。
 軽く咳払いして、
「女の体が君を受け入れたのよ」
「レコアって、俺の人格を疑われる表現好きだよね」
 聞き流し、
「裏切り者ではない、誰かが責めに来るなら俺が壁となって守ってあげる――そう言われて納得した気になっても、精神(こころ)はそう思っていなかったということよ」
(そこまで言ってないぞ)
 キラがレコアに告げていた事はともかく、勝手に誇張されていたのが気にはなったが黙っていた。
「こころは不安でいっぱいだった。だから君を捕まえていた。でも漸く、こころがそれを受け入れた。だからこころが支配する身体も、本人が無意識にある睡眠中でも縋るものを必要としなくなったのよ」
「……」
 数秒経って、シンジがぽむっと手を打った。
「レコアにしては良いことをいう」
「こら」
「こころが本当に信じたから体も、か。それならば、寝相が変化するのも道理というもの」
「今の寝相は本人達の欲求の具現化だと思うけど、そっちはどうするの」
「別になにも。縛り上げるほど迷惑はしていないし」
「そうじゃなくて、応えてあげないのかって訊いてるのよ。二人とも、MSを操るだけの機械人形じゃない。感情も――性欲もある普通に年頃の女の子なのよ」
(ステラ・ルーシェは少々違うようだけれど)
 オーブ軍属の少女が、ただ能力に優れただけの娘ではないと、レコアの目は見抜いていた。
「この艦へ残り、戦争で自らの手を血に染める事を少女に強いたのは私だ。強制していないとは言え、その存在が影響を与えたのなら科は免れない」
「だったら――」
「何かにしがみつかねば眠れぬまでに、不安定な心を持った少女に手を出すほど、帝都からの招かれざる客は落ちぶれてはいない。為すべきは、少女の性欲を弄ぶ事ではなく、オーブに着いてヤマトが降艦し、また日常の生活を取り戻すまで無事でいてもらうこと」
「あの二人が本当に想っている、と知っても?」
「戦場で行動を共にすると、男女が惹かれ合う確立は通常より遙かに高いらしい。何となく使えそうだ、以外はその出自すら怪しい奴に惚れるほど、二人は軽くないよ」
 現時点で、シンジにその気は全く無いらしい。
 これ以上言葉を重ねても翻意するとは思えないし、何よりも自分がそこまで口を挟んでよい問題でもない。
 どうして自分が小娘共の処女喪失をせっせと後押ししなければならないのだ。
 大体がこのレコア様からにして、相手がいないというのに。
「それに」
(ん?)
 不意にシンジの言葉が軽くなったような気がレコアには、した。
「毎晩二人まとめてだと、身体が持たないっしょ。そんな体力も技術もないし」
「…うそつき」
「何か言った?」
「何でもない」
 この艦は、装備は最新だが、人員は寄せ集めばかりで、おまけに支援もないまま厄介な任務を言い渡されている。その艦長として重責を背負っているにも関わらず、同性の自分が見ても羨む程、肌艶も雰囲気も色香を増してきている女が艦内にいる。
 シンジとの関係が男女のそれになってからというもの、まるでストレスなど無縁の居候だと言っても十分通用しそうなマリューは、どう見ても、ほんの少し欲求が満たされている程度ではないとレコアは踏んでいた。
 ただ、この二人の関係は普通とは些か異なっており、シンジに格段の想いはなさそうだとレコアには分かるだけに、艦長をああも綺麗にしたのだから小娘のふたり位、とは言わなかった。
(あれは絶対精液美容ね)
 聞かれたら、片割れから確実に吊されそうな台詞をレコアは内心で呟いた。
「じゃ、そういうことで。二人の寝相がまた変わったら報告する」
「うん、そうして」
 身を翻して歩き出し、扉に手を掛けたシンジの背後から、
「ねえ、ひとつ訊かせて。幼少から君の心は強かったの?」
「その力、極めれば大地から金すら生み出す能力を生まれながらに与えられ、すんなり受け入れる程強く見える?」
「では君のご両親が?」
「運良く悪の親分と遭った」
 シンジの姿が消えてから、
「なんか…ちょっと分かった気がする」
 レコアは、ふむと頷いた。
 非常識とは些か異なるが、至極常識的な者に養育されてあの人間性が出来上がるとは思えなかったのだ――良くも悪くも。
「ん?」
 では、悪の親玉とやらではなく、善の親玉に会っていたらどうなったのか。
 そして、そのままこの世界へ来ていたらどうしたか。
 戦争は駄目だ、と真面目な顔で力説するシンジの姿が目に浮かぶようで、レコアはくすっと微笑った。
 
 
 
 
 
 カーペンタリアに入港したミネルバを待っていたのは、パイロット不在の報であった。
 元々極秘で建造された筈の艦だが、ザフトの全権を掌握したパトリックの威光が及んでいたのか、突如やってきた大型艦にも奇異な目を向ける者はいなかった。
 目下の任務は、あくまでも後詰めであり、どこかを陥落させる任務は受けていないが、既にアークエンジェルの脅威が放置できぬ程度には増大している以上、別段の功績もなくいきなり艦長に取り立てられたタリアとしても、さっさと沈めて功績を挙げておきたいところだ。
 今の地位が、実力でもコネでも賄賂でも――無論枕営業でも――ないだけに、タリアにとっては何とも面映ゆい微妙なものなのだ。
「つまり無人島で一晩を過ごしたら、何故かひどく体力を消耗してそのまま入院した、と?」
「はっ」
(はっ、じゃないっての)
 大体、事情もよく分からぬまま行方不明になった挙げ句、たった一晩で入院が必要な程消耗するとは、間抜けな新兵でもやらかさない事だ。
 ただ、内心でぼやきながらも、タリアの目元は艦長帽に隠れて窺い知れない。自分の指揮下になく、年少とは言え赤服を身に付けている者相手に叱咤する程、タリアは僭越ではなかった。
「それで、復帰はいつ頃?」
「医者の診断では、おそらく三日位で退院出来ると言ってましたが…」
 初めて目にする新型艦が、自分達の後詰めに来た事は分かっているだけに、ディアッカも歯切れが悪い。
 そもそも、まだ何が起きたのか詳細すら聞かされてはいないのだ。
「そう…。仕方ないわ、体調不良のまま出撃して片付く相手でもないでしょう。出撃はアスラン・ザラが戻ってからね」
(携帯食を落として毒キノコでも拾って食べたか?)
「すみません」
 自身は無過失なのに、まるで我が事のように悄然と出て行くディアッカは、無論タリアの考えている事など知る由もなかった。
 
 
 
 
 
 運び込まれたスカイグラスパーも大破に迄は至っておらず、カガリも無事そうだった事で、艦橋はほっと安堵に包まれた。如何にシンジが保証したとは言え、発見するまで全く情報がなかったのだ。
 無論キラとステラも格納庫へ出迎えたのだが、降り立ったシンジとカガリの姿に、ステラの表情が僅かに動いた。
(…近くなっている?)
 出立前から心配も怒りもしていなかったシンジではあるが、どう考えてもカガリが何かやらかしたのが原因としか思えない。何より、カガリが借り受けた機体は二機しかない艦載機なのだ。
 だが、カガリに項垂れる様子もなく、シンジも特段冷たい視線を向けている様子は見られない。
(気のせいか)
 首を振って、囚われかけた微妙な感覚を振り払った時、
「お帰り、カガリ。シンジさん、お疲れ様でした」
 空気を察する、という事に興味のない娘がとことこと前に出た。
「あ、ああ」「ふが」
 無論、カガリは前者である。
「もー、だめだよカガリ。またシンジさんに迷惑掛けて、ちゃんと謝った?」
「何を?」
「『え?』」
 聞き返したのはカガリではなく、シンジであった。
 一瞬自分の耳を疑ったのだが、
「カガリはよく頑張ったよ」
 初めての呼称と信じられない内容に、とうとう立ったまま硬直してしまった。居合わせたクルー達も、硬直まではしないものの、数日前までは到底あり得なかった台詞を耳にして、目を白黒させている。ムウは別段驚いてもいないが、この場で笑っているのはアイシャ一人である。
 ほんの少し、困ったような表情を浮かべているカガリを見ながら、何も言わずに微笑っている。
「さて、艦橋に出頭しないとね。カガリ、行こうか」
「う、うん…」
「マードック、機体の方頼むね」
「……あ、ああ…」
 我ながら間の抜けた返事だとは思ったが、それでもどうにか反応できたのは、シンジがカガリと共に出口近くまで差し掛かってからであった。
 つい先日までその呼称は茶坊主――到底愛称とは思えない――で固定された上、呼称どころか文字通りその首すら飛びそうな関係だったのに、一夜にして180度ひっくり返ったのを見ては、やむを得ない反応だったろう 。
「あーあ…駄目だこりゃ。子猫ちゃん達、完全に固まってるわ。これならペイントして彫像だと言えば、売れるんじゃないか」
 笑いもせず、真顔で口にしたムウだが、ステラの頬に手を伸ばし――寸前で手は止まった。
「石化魔法は王子様に解いてもらいな」
 対象が聞けば、
「お断りだ」
 と言下に否定する事は間違いない。
 他のクルー達が我を取り戻しても、二人は石化したまま立ち尽くしていたが、
「やっぱあれか、無人島で何かあったのかね?」
「ソレダ!」
 と、余計な台詞を耳にした瞬間、王子の登場を待たず、はっと我に返った。
「何かって」「どういう事っ!?」
 殺気すら漂わせて詰め寄ろうとする二人の前に、ムウがすっと手を伸ばして制した。
「何か、なんて分かるわけないだろ?」
 これは嘘だ。
 ムウは、シンジがカガリの呼称を変えた理由を――即ちその評価が急上昇した理由を知っている。
 そして、二人にはその事由を告げぬと決めた事も。
「一晩でシンジから、ああ呼ばれるだけの事があったのさ。それだけだよ」
「シンジさんとの間に、ですか?」
「一緒に迎えに行ったのは俺だぜ?」
「『……』」
 理屈では分かっても納得できない。
 大体、存在すら否定されていたような扱いから、何故あんなに親しげな――二人にはそう見える――接し方になったのか。
 絶対に怪しい。
「どうしても知りたいなら、シンジに直接訊いてみちゃどうだ。他の連中じゃ、あくまで推測に過ぎないんだから、本人に訊くのが一番確実で手っ取り早いだろ?」
「『……』」
 刹那、二人は顔を見合わせたが、数秒経ってから力なく首を振った。
「『いいです…』」
「…そうか」
(まあ、一人はノーダメージなんだがな)
 確実に敵を増やすであろう台詞は、口にせず内心で完結させた。
 
 
 
「艦長居る?入るよ」
「どうぞ」
 台詞の割に、返答があるまで待っていたシンジを見て、アイシャがくすっと笑った。
「アイシャとカガリを回収してきました」
「そう。お疲れ様。二人とも無事?」
「処女喪失が一人」
 とは、シンジの台詞である。
 それを聞いたマリューの双眸が、すうと細くなった。
「ち、違うんだ艦長っ、べっ、べべ、別に問題はないっ!」
 真っ赤な顔をして思い切り手を振る自爆娘を見て、マリューの表情が緩んでいく。
「身体は大丈夫?」
「あ、ああ大丈夫…です」
 いつもの口調で答えてから、慌てて付け足した。
 視線は向かなかったが、そこにいる存在に気付いたのだ。
「機体は」
「マードックが点検を。修理不能じゃなさそうです」
「分かった。二人はもういいわ。カガリさんはゆっくり休みなさい。アイシャもありがとう」
 アイシャは何も言わずに一礼し、カガリを促して歩き出した。
「あの…俺は?」
「あんたは居残り」
 振り向きもしないアイシャから、冷たい台詞が投げつけられた。
「あ、居残りですか」
 二人が出て行くと、マリューは椅子から立ち上がった。ソファに腰を下ろして手招きする。
 言われるまま、てくてく近づいたシンジが少し離れて座ると、にゅうと手を伸ばして引き寄せた。
 そのまま身体を傾けさせ、自分の膝にシンジの頭を乗せると、
「少しだけ…このまま居させて…」
 起き上がろうとしたシンジを留めさせたのは、今にも泣き出しそうなマリューの声であった。
(また勝手に何か思い込んでるな)
 シンジに負担が有ろうが無かろうが、そんな事は自ら選んだ結果であって、誰かが悔やむ事でも懊悩する事でもない。
 とは言え、それを共有できる者がこの艦にいない事は分かっている。
 ここは――帝都ではないのだから。
(オーブまで行ったらとっとと帰りますよ)
 内心で呟いたシンジの脳裏に、とある女性の顔が浮かんだ。
(そう言えば最近追いかけられてないが…今頃何をしてるのかな)
  
 
 
「クシュッ」
「姉さま、お風邪ですか?」
「いや…この感じは風邪ではないな。重力に引かれて地球に降りてきた程度で風邪などひかぬ」
「それならよいのですが…」
(姉さまが引かれたのは重力ではなく…)
「それより、これは随分と面倒な代物だな。ずっとこれを着けねばならんのか」
「ここは無重力ではありません。姉さまのお乳が重力の影響を受けるなどあってはならぬ事です。それとも、スーツをお着けになりますか?」
「分かっているよ。地球(ここ)にいる間は、これを巻く事が条件だからな。しかし…」
 ゆっくりと視線が下に向き、
「取り外しも出来ない上に、重力の影響からも逃れられぬとは…女の乳とは厄介な飾りだな」
「女の乳なんて飾りです。でかい人にはそれが分からないのです――姉さま以外は」
「そうか」
「はい」
 肩をすくめてから、、ふと宙を見上げたその口元に僅かな笑みがわき上がる。
(私の噂をしたのはお前だな?)
 ふふん、とそいつが笑ったような気がして、口元の笑みはますます深くなった。
 
  
 
「あー、疲れた」
 休んでいいわよ、とアイシャに解放され、カガリはひとつ伸びをしてから廊下を歩き出した。
 機体は修理不能と迄はいかなかったし、何よりもシンジからの呼称は百八十度転換された。
 砂漠を発つ前は、オーブの國民(くにたみ)の事を考えれば首を落とした方がいいかとすら言われていたのだ。股間に僅かな違和感はあるものの、処女など何れ喪うものだし、見知らぬ相手との初体験ひとつで立場が安定するなら十分割には合う。
 少なくとも、これでオーブに着くまで処分――燃やされたり凍らされたり裂かれたり――される事は無くなったのだ。
 死は誰にでも訪れるとは言え、そんな死に方だけは遠慮したいものである。
(しかし…そんなに大したことなのか?)
 想定外の事が続いて少々舞い上がっていたが、冷静になって考えれば変貌が過ぎるような気もする。
「世界が違うと発想も違うんだな」
 自分に言い聞かせるようにして、数メートル進んだところで、不意に腕を掴まれて物陰に引っ張り込まれた。
「痛っ!ってお前ら、こんな所で何してるんだ」
 犯人はキラとステラであった。
「カガリ、しょーじきに答えて」
「ん?」
 殺気すら漂っているように見える二人だが、カガリにはちっとも心当たりがない。
「シンジさんと島で何があったの」
「島?」
 頬に?マークを浮かべたカガリが、ぽむっと手を打つ迄に数秒掛かった。
「別になにも無いさ。ただ少しの間情熱的な時間を…って、嘘だよ!私を殺す気かおまえは!」
 まっすぐ首に伸びてきたキラの手を見て、今の二人が冗談を解する余裕はないのを知った。
「カガリに取られる位ならいっそカガリを殺して私も…痛っ!?」
「いい加減にしろこのバカ」
 キラに膺懲の一撃を加えた手は――握られていた。
「お前ら、見当外れの焼き餅もいい加減にしろ。キラだけならまだしも、ステラまで一緒になって何やってるんだ」
「…申し訳ありません」
「アイシャが一緒でフラガ少佐も来たのに、お前らが想像してるような事があるわけないだろ。ただ――」
「『た、ただっ?』」
「あたしがちょっと大人になったんだ」
 えへん、と腰に手を当てたカガリを見て、二人は顔を見合わせた。
「本当に?」
「だから名前が変わった。私の名前が変わったのは二人も知ってるだろう?」
 カガリ・ユラ・アスハはカガリ・ユラ・アスハだが、確かに名前が変わったと言っても過言ではないかもしれない。
 カガリはポーカーフェイスが出来るタイプではない。何があったかは不明だが、一晩でマスターする事はあり得まい。
 どうやら、自分達が恐れていた事態はなかったようだと、二人は退散する事にした。
「分かった。もうこれ以上訊かないよ。じゃあね」
「……」
 身を翻した二人との距離が、聞こえるか聞こえないか位まで遠ざかった所で、カガリがぽつりと呟いた。
「言いつけてやる」
 と。
 ほぼ聞こえぬ筈の声量だったが、次の瞬間我が儘を凝縮したような小娘二人が、脱兎の如くすっ飛んできた。
(こいつらも、これさえなきゃ結構いい女なんだけどなー。てゆーか、あの人には抱く気ゼロってばらすぞお前ら)
 懸想する相手が、質はともかく文字通りいつ消失するか分からない存在だけに、カガリの慨嘆は実に的を射たものであった。
 
 
 
「おはようございます」
「あ、はいおはようございま…って、えー!?」
 思わず跳ね起きようとして、マリューはやんわりと押さえられた。
 シンジの頭を膝に載せていた筈なのに、いつの間に自分が膝枕されていた。
 時計を見ると一時間以上経っている。
「あの…」
「10分ほど前から」
「そ、そう…ごめんね。でもどうして私が膝枕を?」
「重量感に意識戻ったら頬の上に姉御の顔が」
「――っ!?」
 頬と頬を合わせて寝入ってしまったらしいと、みるみる内にマリューが赤面していく。
「あの…迷惑かけてご――モゴ?」
「呼称レベルアップの話をしようか」
(ん?)
「カガリさんの事?」
「うん」
 そういえば、カガリが処女喪失したとか、不穏当な事を言っていたが、相手がシンジでもムウでもないのは分かっているし、シンジが重要視している様子が無かったから忘れていたのだ。
「相手はアスラン・ザラだと」
「はあ」
「父親がパトリック・ザラだそうで」
「!?」
 半ば聞き流してシンジの膝の感触を愉しんでいたマリューだが、それを聞いた瞬間跳ね起きた。
「聞き間違いじゃない…わよね」
「イエス、サー」
「……」
「墜落したイージスをパイロット諸共入手するより、文字通り身体で言う事を聞かせる方を選んだらしい」
「誰が」
「アイシャ」
「で、お相手はカガリさんが?」
「あい」
 それで読めた。
 とっ捕まえようと思えば出来たものを、わざとカガリにそんな事をさせたのだ――カガリを試す為に。
 その詳細を聞いたシンジが、カガリの評価を改めたのだ。
 アイシャに言われるまま、処女も捨てたのはカガリらしくない反応ではあるが、シンジからの対応がああも変わるとは、一体どういう評価だったのかとマリューはちょっぴりカガリに同情したくなった。
「それでイージスは?」
「お帰りになったそうです」
 はーあ、とため息を吐いたマリューが、ぽてっとシンジの膝に頭を載せた。
 カガリは無論、アイシャも連邦軍属ではないから、利敵行為だと責める事もできないが、せめて破壊位はしておいてほしいものだ。
「まだ…四つ残ってるのね」
「異世界人も残ってます」
「そーだった。ふふ、そうだったわね」
 マリューの顔がくるりと上を向き、腕がにゅうとシンジの首に巻き付いた。
「ミ、ミルクって…つ、疲れた時にはいいらしいわよっ?」
 
 
 
 
 
「これまでの戦歴を見る限り、戦術にさして目立つ部分は見られない――というよりも、艦橋から指示を出すような戦いには殆どなっていません。無論油断は出来ませんが、やはりその異世界人なる男を取り除くのが先決かと考えます」
「そうね、私も同意見よ。得られた限りの情報では、あの新型艦の女艦長は、他の分野はともかく、指揮艦としての知名度は皆無に等しいわ。異世界人を取り除いてしまえば、とりあえず大地が牙を向いてくるなどという馬鹿馬鹿しい現象は避けられる筈」
「はい」
 タリアは、艦長室で副艦長のマウアーと、送られてきた資料を眺めながらアークエンジェル退治の策を検討中であった。
 参加するなとは言われていない上に、目的・戦歴、その他どれを取っても、沈めておかねばならない相手なのだ。
 しかし、任務はあくまでもザラ隊の後詰めであり、率先して前に出るような事があれば、この先ろくな事にならないのは目に見えている――例え首尾良くアークエンジェルを沈めたとしても、だ。
 四機が敗退したので止む無く、というのが絶対必須条件だが、四機の戦闘能力とパイロットの能力からして、敗退はほぼ間違いなく、その条件はクリアできる。
 あとは異世界人さえ排除すれば事は足りるが、その思考パターンが全く不明な上に、能力もさっぱり分からない。自然を操る、という非科学的な事をやらかすのは分かっているが、どれだけ出来るのかも分からない。
 何よりも、アークエンジェルの中にいるそいつを始末するのは、極めて難易度の高い話になる。
 アークエンジェルごと始末しようとすれば、確実に何かやらかしてくるし、かと言ってそいつだけを引っ張り出して片付ける手段は、タリアにもマウアーにも思いつかなかった。
「MSの数はこちらが4機、向こうが2機。艦隊戦ならこちらが有利、やはりここは最初から戦艦同士で――」
 マウアーが言いかけた時、扉が慌ただしくノックされた。
「何事か?」
「先ほどアスラン・ザラが到着されました」
「アスラン・ザラが?」
 無人島で一晩過ごしたら謎の消耗を起こし、寝込んでいる筈だがと、二人は顔を見合わせた。
「お通ししろ」
「はっ」
 数分後、
「アスラン・ザラ…ただいま到着致しました」
「「……」」
 副作用など無視して投薬の限りでも尽くしたのか、顔色は微妙に良いが頬のこけは誤魔化せない。何より、足下からして辛うじて立っている、というより立ち竦んでいると言った方が正しい。
「衛生兵を四名、至急ここへ寄越せ」
 艦内インカムでタリアが命じた直後、男女四名が姿を見せた。
 或いは、アスランの様子から事前に待っていたのかも知れない。
「隊長の手足を縛って医務室へ放り込んでおけ。一昼夜、絶対に部屋から出すな」
「『はっ』」
「か、艦長自分はもう回復してい――」
「半病人が相手を出来る程、異世界人は甘い存在とお思い?」
 連れて行け、と顔を動かすと、たちまち衛生兵が群がりアスランを担ぎ上げて運び出していく。
「まったく最近の赤い奴は自分の体調管理も――」
「何か?」
「イージスが大破したとは聞いていないが、この辺りに灼熱や極寒の島はない筈。非常用電源すら破壊されたのか」
「あの機体、そこまでの破損はしていません。外で一晩過ごしたのでしょう」
「何故」
「通信機器が破損したので、表に出たところを野獣にでも一晩中追いかけ回されたのかも」
「……」
 すぐに反応しなかったのも、数秒経ってため息をついたのも、マウアーの発想に呆れたからではなく、当たらずとも遠からず――少なくともろくな理由ではない――と見切っていたからだが、惜しむらくは言わずとも察する程二人の間に信頼関係は出来ていなかった。
 ハマーンならともかく、タリアが相手とあっては、呆れかえった上にため息まで吐かれたようにしか見えなかったが、マウアーは表情を微塵も変える事無く、
「二日後、アスラン・ザラが回復次第出立出来るよう、全クルーに通達を出しておきます」
「頼んだわよ」
「はっ」
 
 
 
 
 
(第八十八話 了)

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