妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第八十二話:「潜られたらこちらに攻撃オプションは無いわ」防止策
 
 
 
 
 
 赤い機体を見上げたまま、アスランはじっと動かなかった。宇宙でハマーンがストライクを地上へ追い払った後、たった一機に振り回された鬱憤を晴らすかの如く、ザフト軍は第八艦隊に襲いかかり、忽ち血祭りに上げたのだが結果を見ても途中経過を見ても到底勝利とは呼べぬものであった。
 第八艦隊が手こずるような相手でない事は、最初から分かり切っていた。それに、目的は第八艦隊などではなく、アークエンジェルとストライクの確保、乃至は撃破にあったのに沈めるどころか好き放題に引っ掻き回された。目的を逸した上に、弱いと分かり切っている相手を潰したところで、勝利と呼べるものか。
 逃げられた一番の原因はハマーンだが、気位の高いハマーンの性分を考えれば責めるわけにもいかない。
 戦績を振り返れば、ザフトの赤服が搭乗する四機の内二機は捕獲されて逃がされ、残った二機の内一機、即ちこのイージスは誘い出された上ご丁寧に頭を落とされてしまったのだ。相手が歴戦のパイロットならまだしも、軍人など縁もゆかりもない少女に怪しげな異世界人と来ては、アスランのプライドが粉々に砕かれたのも当然の話である。
「手加減されてこの様か」
 アスランが自嘲混じりに呟いた通り、キラと異世界人は明らかに手加減している。
 どこの世界に、全力で戦いながら相手機体の頭を落としたり、捕縛するのが精一杯のパイロットがいるというか。
「俺は…本当に討てるのだろうか」
 心はもう、覚悟を決めたつもりでいた。
 だがこうまで力の差を見せつけられ、しかもキラとなんの関係もない他の三人も手玉にとられているとあっては、抗うこと叶わぬ相手なのではないかと、そんな思いにもなってくるというものだ。
(やはりストライクを討つには…)
 内心で呟いた時、
「あの、アスラン…」
 背後で控えめに呼ぶ声がして、アスランが振り向くとニコルが立っていた。
「考え事してる時にごめんなさい」
「いや、いいんだ。クルーゼ隊長の呼集がかかったかな?」
「はい、全員ブリーフィングルームに集合するようにと」
「ああ、分かった」
 並んで歩きながら、
「その…ストライクの事を考えていたんですか?」
 キラの事を、とは言わなかった。捕まった日に妖しく濃厚な夜を過ごした事は、いくら相手がアスランでも口外できる事ではない。
「そうでもあり…そうではない、かな」
「?」
「なあニコル」
「はい」
「強さって…何なのかな。MSの性能が特に優れているわけでもなく、まして軍人としては素人に近い相手にこうも苦戦を強いられると、訓練とか新型の機体とかに何の意味があるのかと…或いは自分の存在意義すら疑問になってくるよ」
「……」
 確かに、過酷な訓練もMSの性能も戦闘に関係ないのなら、訓練や装備に疑問を持ちたくもなろう。
 だがニコルは、アスランの思いに対する的確な答えを持ち合わせていた。
 こう言ったのだ。
「アスラン、あの異世界人の人は…かなり特殊ですよ」
 と。
「!」
 一瞬、鳩が豆鉄砲でもくったような表情になったアスランだが、やがてその表情が緩んでいき、うっすらと笑った。
 この世界の不可能は、違う世界では可能な範囲――そうでも考えなければやりきれぬ。
 しかもそいつは、
「可能なことをやってのけただけの話」
 と、当たり前のように言っている異世界人なのだ。
 存在が違うのだと、まず認識を確定させないと、落ち込むだけでは始まらない。
「そうか…そうだよな」
「はい」
 建物の前まで来るとアスランの足が止まった。
「どうしたんですか?」
「確か、ブリーフィングルームは第五まであった筈なんだが、何番目だっけ?」
「え…あ、いけない聞き忘れました」
 小さく舌を出したニコルに苦笑して、
「まあいいさ、ひとつひとつ入っていけばどこかにいるだろう」
「すみません」
 とそこへ、
「貴様ら何をやってるか!」
 上から声が降ってきて、見るとイザークがぷりぷりしながら見下ろしている。
「第二ブリーフィングルームへ来いと言われたろうが。さっさと入れ!」
(探す必要はなくなったな)
 ニコルに囁き、二人してバタバタと走っていく。
 イザークは元々沸点が低い性格なので、いつもの癇癪だろうと思っていたのだが、アスランを待っていたのは思いもよらぬ言葉であった。
「君らにはアークエンジェルを追ってもらう。既に砂漠でもバルトフェルド隊が壊滅したのは確認されており、これ以上あの危険な艦を放置してはおけんのだ。尤も、危険なのは艦そのものではなさそうだがな」
 それを聞いてやや俯き気味になったアスランに、
「アスラン・ザラ、君に責任者となってもらう」
「…え?」
 ただでさえ厄介な話なのに、この仮面男はろくでもない事を言い出した。
「私は残念ながら、スピット・ブレイクの準備があるので同道は出来ぬ。迂回しても目的はアラスカだろうから、カーペンタリアの連中に任せてもよいが、如何せん情報がない。何より、君らとしてもこのままあれが他人の手で討たれるのを見たくはあるまい」
 借りを返す機会、と言えば聞こえはいいが、要は自分の尻は自分で拭けと言っているのだ。
「それとも、もうあれの事は忘れてカーペンタリアの精鋭に任せてみるかね?」
「それは…」
 部屋にはアスランとニコルの他に、イザークとディアッカもいたのだが、二人とも反応しない。どうやら、既に話は聞かされているらしかった。
 イザークの不機嫌の理由はこれだったのだ。
「足つきを追うかどうかは君らの判断に任せる。だが、追うのならば隊長はアスランに任ずる。これは命令だ」
 相変わらぬ表情が読めない仮面の下から命令されると、それ以上抗弁する事は出来なかった。推奨ではなく、軍命となったのだ。
 無論、撃墜どころか捕虜にもされず、機体の頭部を落として放置されたアスランに隊長を任じたのは、単なる嫌がらせからではない。バルトフェルド隊の壊滅は既に知られており、言ってみれば賞金首としての価値はぐっと上がっている。その討伐にプラント最高責任者の子息が功を立てたとなれば、国内的にも非常に意味のある話だ。
 手加減などする謂われも理由もない三人が、ああまであしらわれたのを見て、アスランも手抜きではなかったのだなと、ある意味ひどい納得をしたクルーゼだが、アークエンジェル一味の実力も、そしてアスランには些か荷が重いであろう事も分かっている。
 それでも、このままアラスカへ向かうのをのんびり眺めていられない程度には、厄介な相手となったのだ。
「分かりました…お引き受け致します」
「結構だ」
 クルーゼは頷き、
「ここから追うのもロスが大きい。機体はカーペンタリアへ空輸し、そこで母艦を受領できるように手配しておく」
「は…はっ」
「通達事項は以上だ」
 身を翻して歩き出したクルーゼがアスランの横で足を止め、
「あれは君が墜とせ――ザラ議長閣下のご子息である君が、な」
「!」
 クルーゼが出て行った後、アスランは苦虫を六匹まとめて噛み潰したような顔で、ソファにどかっと腰を下ろした。
「……」
(アスラン…)
 クルーゼの囁きが聞こえたニコルには、アスランの胸中がなんとなく分かるような気がした。戦いたくない、とかそんな思いはあるまい。
 だが歴戦の勇将で、数多の勲章も得ているクルーゼが同道せず、一癖もふた癖もあるメンバーを率いる隊長になってしまったのだ。ストライクだけでも十二分に手強いのに、どう考えても集中できる環境ではない。
 何を言って良いのか分からなかったが、ニコルが口を開こうとした時、
「…イザーク」
「ア?」
「ディアッカ」
「な、なんだよ」
「ニコル」
「はい」
 メンバーを一人一人呼んだアスランが、
「よろしく頼む」
 と座ったまま短く告げた。
 舐めてんのかゴルァ!とイザークが食って掛からなかったのは、そこにはどう見ても名誉職を引き受けた喜色など存在していなかったからだ。
「アスラン…お前そんなに隊長やりたくなかったのか?」
 プラントでは、アカデミー時代から何かとアスランに張り合ってきたイザークで、最初クルーゼに言われた時も、アスランの下になど立てるかと反発したのだが、隊長にされたアスランがこうもやる気のない様子だとさすがに不安になってくる。
 じっと足下を見ていたアスランが口を開き、
「メンバーに問題児が多いからな」
「そうか…な、何だとー!!」
 白い顔を紅潮させたイザークを、
「ま、まあ待てイザーク、ちょっともちつけ!」
 取り押さえたディアッカだが、
「ん?多い?って事は俺もかー!!」
 遅れて気づき、これまた食って掛かろうとするのを、
「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いて下さいっ」
 ニコルがまとめてなだめる羽目になった。
(アスラン…ちょっと余裕ある?)
 
 
 
 ノックの音に、机の一点を見つめていたパトリックが顔を上げた。
「入れ」
 扉が音もなく開き、紫髪の女を吸い込んだ。
「ファラ・グリフォンただいま戻りました」
「うむ」
 入ってきた女は、身長はそう高くないがなかなかの美人で、きりっとした顔立ちに濃いめの紅ルージュがよく似合う。
 パトリックの元へ歩み寄る姿も、控えめではあるが妙に硬くなっている所はなく、慣れている風に見える。
「精神状態も解析しましたが、やはりバルトフェルド隊が全滅し、あのアークエンジェルが悠々と航行中なのは間違いないようです。無論箝口令は敷いてありますが、幾分は知っている者もおります。とはいえ、内容が内容だけにそうそう信じられるものでもないかと――」
「ふむ」
 ファラの言葉にパトリックが頷く。
 聞かされた内容は、全て想定済みの事柄であった。
 国防委員会及び最高評議会の両最高責任者となった今、一見するとプラントの権力を全て掌握したようなパトリックだが、まだ名実共にとはいかない部分がある。シーゲルを筆頭とする、話し合えば何とかなると、穏健を通り越して夢物語を唱える連中はまだ健在だし、その側近的存在で評議委員にして外交委員も兼ねるアイリーン・カナーバも、決して侮れない存在だ。
 何よりも、さっさと完成させたいMS構想からして、目下停止したままである。
 エザリアに、ユーリ・アマルフィの切り崩しを命じてあるが、それとていつになる事か。
 がしかし。
 今のパトリックにとって、一番問題なのはMSの動力でもシーゲル一派の動向でもなかった。
 たった一隻プラス二機のMSに、一軍が壊滅させられ、しかもそいつらはほぼ無傷らしいという事だ。艦隊戦であれMS戦であれ、全く打撃を与えられないと言うのが、パトリックには理解できない。
 尤も、MSの性能とか艦隊の指揮とか、通常考えられる因子を元にした場合は、決して出てこない答えだし、目の当たりにしなければ理解できないのも当然の話である――そう、この世界の住人としては当然なのだ。
 科学的にはあり得ないし、パトリックは呪いとかその類のものを信じていない。だいたい、そんな事を出来る者が地球軍にいれば、今頃地球からザフトの基地は姿を消している筈で、異世界人が為したのだと言われても、そうそう受けられるものではない。
 だが――その現象は厳然たる事実として存在する。
「連中はオーブへ向かうだろうと、ハマーンは読んでいた」
(ハマーン・カーンが…)
「山脈を越えられなければ、インド洋へ出てオーブ経由でアラスカだろう。しかし、宇宙での暴れぶりを見て、少々手こずるかとは思っていたがここまで危険な存在とは、ちと想定外だったな。洋上はどうなっている」
「あの辺りはマルコ・モラシム隊がカバーを」
「何とかなるか」
「無理でしょう」
 ファラの答えは短く、そして即答であった。このファラ・グリフォン、MSを操った時の戦闘力は高いが、知謀も高いので以前からパトリックに重用されている。エザリアとは違って評議委員のような公職にはついていないので、どちらかと言えば裏方の、それも重要度の高い裏方の任務を任せる事が多かった。
 いわば、遊撃隊みたいなものだ。
 だからこそ、パトリックもこの物言いを平然と受け入れているのだ。他の者であれば、そんな答えしか出せないなら出て失せろと一喝されていよう。
「失態を放置してもおけぬ。あの四人を追撃の任に就けるよう、クルーゼには命じたのだが、小僧共には荷が重いか」
 それは、ファラに問うと言うよりもどこか自分に言い聞かせるように聞こえた。
 言うまでもなく、その小僧共の中には息子のアスラン・ザラも含まれている。そしてファラは、パトリックがこういう物言いをする時、どんな反応を要求しているのかを知っていた。
 そう――問いへの直答を求めてはいない、ということを。
「ミネルバをカーペンタリアに回し、万一に備えて後詰めに赴かせるのは如何でしょう。副長のマウアーなら、そうそう失態は犯さない筈です。艦長については、残念ながらよく認識していませんので」
 嘘だ。
 ミネルバのクルー人選に関して、パトリックから相談されてはいなかったが、その陣容については艦長から整備兵まで、事細かに情報を入手しており、ラウ・ル・クルーゼの進言で、女同士を眼目としてタリアを選出したと聞いて呆れたファラなのだ。
 とは言え、元来がアークエンジェル討伐など考えて建造された艦ではないし、建造からしてパトリックの独裁色が強く出た案件だから、艦長を始めとしたクルーに有名所を――なによりもシーゲル派は絶対に選択できないなど、なかなか面倒な条件が前提になっている事はファラも分かっている。
 人選にはかなり難があったろう事は、言われずとも想像に難くない。
 一応、一番偉い立場とはいえ、一切の批判を封じられる程の権力にはなっておらず、プラントの趨勢が強行へと向かってもいない今、実際には兼職前とそうそう変わってはいないのだから。
 その意味では、シーゲル派ではないが、さりとてパトリック色もそう強くないタリアを選んだのはそう悪くない人選といえる――能力を除けば。
 マウアーの方がよほど適任だろうと思っているファラだが、無論口にはしない。
 だがファラは知らなかった。
 パトリックが、無名の新人に最新鋭艦を任せるほど抜けた男ではない、という事を。
 とまれ、タリアはともかくマウアーが副長ならば、それなりに成果を出せるのではないか、と言ったのは本心である。
 砂漠に埋もれた母艦を確認した、と報告した連中からは詳細な事情聴取を行い――精神を冒されてはいないかと精神鑑定もした。
 しかし、彼らが真実を語っていると証明されたところで、有史以来あり得なかった事を信じるというのは極めて難易度の高い話であり、それはファラとて例外ではない。ただ、あり得ぬと片付けず、一応前提に出来る程には思考が柔軟という事だ。
「ミネルバ、か…」
「スピット・ブレイクも控えているため、あまり大部隊を割く事も出来ません。何よりも、彼らならそれで大丈夫でしょう」
 ファラの言葉を聞き、わずかにパトリックの眉根が寄る。
 S・Bの真の目的がアラスカにある事を、パトリックから既に知らされているファラだが、決してアラスカの地球軍を侮ってはいなかった。
 何よりも数が多い。
 奇怪な異世界人とやらが、アークエンジェルに乗ったのがへリオポリス以降なのは間違いない。ただ、その目的も思想も何一つ分かっていないのが実情だ。もう地球軍に身を投じたのか、或いは一時的に乗艦して力を貸しているのかも分からない。
 おまけに奇怪極まる能力を持っているらしいと来ている。
 だからそんな奴相手にわざわざ戦力など割けない、と言えば聞こえはいいが実態は些か異なっていた。
 ――万一の時はミネルバとあまり使えない赤服四人の犠牲で済む――
 これがファラの本心だったのだ。
 事情があるとは言え、タリアの指揮能力など頼りない事この上ないし、アスラン達に至っては、宇宙で完全に弄ばれている。カーペンタリアにいたファラはそれを知らなかったが、戻ってきてから映像を見せられ唖然としたのはつい先日の事だ。
 何しにオーブへ行くのかは知らないが、アークエンジェルが地球軍艦である以上、最終目的はアラスカだろう。本当はアラスカまで放っておいて、総攻撃の時にまとめて片付ければいいとも思うが、その辺りは親分の考える範疇である。
 たださすがのファラも、最高評議会議長と国防委員長、そして――アスランの父親を兼ねるパトリックの前でそれをはっきりとは、口にし得なかった。息子も単なる駒として扱っている感のあるパトリックだが、閉め忘れた机の引き出しに、レノアとアスランと、三人で写っている写真があるのを見てしまったのだ。
(はっきり告げた所で、赫怒されたりなさる方ではないだろうが…)
 大丈夫、と言っておきながらファラがやや俯き加減になったのは、その本音に若干の後ろめたさと――パトリックの視線が全てを見抜いているのではないか、という思いからであった。
 ややあってから、
「手配は任せる」
 とパトリックに告げられた時、内心でほっと安堵したのはその為だ。
「はっ」
 一礼したファラに、
「ところで――」
「はっ、はいっ」
 後ろめたさと安堵が微妙なバランスで入り交ざった為か、つい言葉が上ずったファラに、パトリックが珍しいものを見るような視線を向けた。
「どうした」
「い、いえ…失礼いたしました」
「さっきの件だが、エザリアには少々荷が重いかもしれん。彼女は、政策立案には長けていても、工作に於いてはまだまだ補助の余地がある。頼めるか」
「承知しました。それで、どのような具合に?」
 当然のようにファラは尋ね、パトリックもまた自分で考えろとは言わない。
「強硬に非ず、が良かろう」
「了解」
 一礼して、ファラがすっと身を翻す。
 出口まで行った時、その背後に声がかかった。
「エザリアに教えてやれ。ユーリは愛妻家だ、とな」
 頷いたファラの口元に笑みが――それもひどく妖艶な笑みが浮かんだのは、背後で扉が閉まってからであった。
 無論、その愛妻ロミナを人質とするような下策は、パトリック・ザラとファラ・グリフォンの思考の端にも上っていない。
 毛先ほどにも、だ。
 そう――彼らはナタルなどとは違うのだから。
 
 
 
 一方、こちらはミネルバだが、まだ地上に降りてはいなかった。
 当然ながらコンセプトは宇宙艦の為、そう大いなる過失とも言えない部分はあるが――忘れ物をして出航が若干遅れていた。
 正確に言えば戻ってきたのだ。艦長のタリアは無論、副長のマウアーも忘れていたのだが、この艦には魚雷発射管が、それも4門も備わっていた。が、発射基地からして宇宙であり、トップとその次が忘れていた事もあり、肝心の中身が積まれていなかったのだ。地球軍の潜水部隊討伐に向かう道行きではないが、物質に不足がないなら充足すべしとわざわざ戻ってきた。
 砂漠で友軍部隊が壊滅した事は、タリアもマウアーも知っている。マリューへの敵意を燃やしているのがタリアであり、冷徹とも言えるほど落ち着いて受け止めているのがマウアーだ。
 ザフトにとって厄介な存在になりつつある今、どちらが正しいとも言えないが、艦長と副長が揃って熱くなった場合、暴走しても制止役がいなくなる為、温度差のある状況の方が良いのかもしれない。
「少し時間は延びたけれど、本艦の最大目標はアラスカだし、作戦にはまだ時間があるわ。とりあえず、ジブラルタルへ降りて状況を分析しましょう」
「はい」
 いざという時は艦の指揮権を任せる、とまで言われて、しかも署名入りの命令書までパトリックからもらったマウアーだが、その性格は出世志向とは少々縁遠く、別段艦長になりたいとも思っていない。
 だから、
(使わずに済めばそれが一番楽なのだけど)
 と、この世界に迷い込んだどこぞの異世界人みたいな事を考えていた。
「グラディス艦長、ザラ議長閣下が手配された機体は既にご存じですか?」
「資料は見たけど現物は未だだったわね」
 いくらパトリックの独断で就航した艦とは言え、暇を持て余せるほど艦長は悠長ではない。まだ実物は見ていなかったのだ。
 今なら良かろうと、頷いてタリアは立ち上がった。
 格納庫へと艦内を歩きながら、
「マウアー、貴女から見て彼らの評価はどう?おおよそ掴んでいるんでしょう」
「そうですね――」
 話を振られ、頷いたマウアーだがタリアの真意はどこにあるのかと測っていた。マウアーはパイロットとして、また隊長として前線では名を知られた存在だが、ルナマリア以外の二人はまだ実戦経験がない上に、ルナマリアもその配下になった事はない。要するに知らないのだ。
 他に一般パイロットも四名配属になってはいるが、いずれもマウアーと直接の関係はない。つまり、データを元にしての評価でしかない事はタリアとて分かっているはずなのに、なぜ分かっていることを訊ねるのか。
「レイ・ザ・バレル、ルナマリア・ホーク、ハイネ・ヴェステンフルスの三名はいずれもエリートですが、唯一功績を挙げているのはルナマリアのみで、他の二名と一般パイロットについては、判断するには残念ながら材料不足かと思います」
「そう」
 それを聞いたタリアは、特段の反応を見せる事無くひとつ頷いた。
(だいたい予想通りね)
 と、内心で呟きながら。
 タリアとて、ある意味艦の運命を握っているパイロットについて、何の情報も得ていないほど無能ではない。タリアが知りたかったのは、マウアーの性格にあった。
 あくまでもデータだけを元に弾くのか、或いは今後に期待とか一言付け加えるのか、人物評をさせるだけでも、言葉の端々から滲み出るものはある。特に功績を挙げたのは、味方が異世界人に翻弄される中、一機突っ込んでいき――経緯はさっぱり不明だが――イザークの身柄ごとデュエルを取り戻したルナマリア位だが、今は人選の時期ではないのだ。
 ミネルバクルーは既に面子が確定している。この先の任務はこのメンバーでこなしていくしかない以上、何かあれば艦長代理となる副長としては、データがないから判断できない、とだけ言うのではいかにも淋しい、というより心許ない。
 まして、実戦経験のない新人にとっては、期待されていると分かれば大きな後押しになる場合が多いのに、ただ機械的に評価されるのではやる気もそうそう出まい。
 とりあえずやってみて行き詰まったらまた考える、とやや理論より行動優先タイプのタリアにはそう映ったのだ。
(まあ、いいでしょう。別に期待外れでもないし)
 パイロット達への評価が、実はそのまま自分を測られていたのだとは、さすがのマウアーにも読めなかった。
 二人が格納庫へ着くと、三人は自分たちの配属機の前で立っていた。
 即ち――。
 ルナマリア・ホークはシグー、但しハマーン・カーン仕様。あちこちに改良が加えられており、特に駆動時間については、連合から奪取したGAT-Xシリーズとほぼ変わらぬだけのものになっている。また重斬刀の威力は、プラントに現存する重斬刀の中でも随一にまで改良されたらしい。ただそれが、デュエルを救い出した功によるのか、或いは名将ハマーン・カーンの搭乗機故のものかは分からない。
 ハイネ・ヴェステンフルスはグフイグナイテッド。完全に近接格闘へ、それも対MSを眼目として造られた機体だが一番の欠点は、替えがないことだ。そう――ザフト軍のどこをどう探しても、このグフは一機しか存在していないのだから。予備のパーツ位は積んであるが、全損にでもなった日には他の機体に乗り換えるしかない。超最新型、と言えば聞こえはいいが、要は融通の利かない機体である。
 レイ・ザ・バレルは、唯一ノーマル機と呼べるジンだが、これも肩口のビーム砲はグレードアップしているし、本体や砲身の冷却機能はルナマリア機よりも高い。迎撃用だからと言えばそれまでの話だが、この艦には文字通り最新技術の粋が注ぎ込まれている証左とも言える。実は、レイも当初は新型機の予定だったのだが、最終調整で微妙にずれが出たため、急遽ジンに機体替わりしたのだ。但し、機体の割り当て自体に変動はなく、調整が済み次第最寄りの基地へ運び込まれる手はずになっている。
「攻略から防衛まで、オールマイティーにこなせるよう配属してくれたのかしらね、ザラ議長閣下は」
 そう言って居並ぶ機体を見上げたタリアが考えていたのは、
(これ、機体がパーになったら乗り換えどうするのかしら)
 と言う至極ごもっともなものであった。
 ジン位なら、パナマでもカーペンタリアでも代替機があろうが、ロールアウト前の機体を回されて交換をどうしろと言うのか。
「全損させぬような指揮を執るのが艦長の仕事だ」
 と、パトリックは真顔で言いそうだから困る。
「本艦は目下、攻略・防衛何れの命令も出ていないわ。とりあえず最初の予定通り、ジブラルタルへ向けて再出立する事になるわ」
「『はいっ』」
 魚雷を積み忘れたので戻る、と聞かされた時は三人とも腰が抜けたのだが、確定している任務もないし、呑気な船出も良かろうと話していた所だ。特にルナマリアは、唯一宇宙でシンジと直接対峙した経験を持っている。故に、その厄介さと危険さも知っているだけに、実態を知らぬタリアがアークエンジェルに――正確にはその女艦長に敵意を燃やしている事に危機感を抱いており、少しはタリアの頭も冷えるだろうと、ある意味とんでもない事を考えていた。
 と、そこへ、
「艦長、司令部より緊急通達です」
「何?」
「本艦はこれよりカーペンタリアへ降下し、アークエンジェル追討命令の出たザラ隊の支援に就くように、との命令です」
「!」
(うげ!)
 マウアーは顔色一つ変えずに聞いていたが、一人嫌そうな表情を見せたのは無論ルナマリアだ。
(せっかく頭冷えるかと思ったのに、燃料投下してどーすんのよ!)
 パトリックがこの台詞を聞いたら、色々と懊悩するに違いない。
「そう、アークエンジェル追討のね…ん?ザラ隊ってなに?」
「おそらく、クルーゼ隊から四人だけが追討命令を受けたのでしょう。あの艦はかなり厄介な存在になっていますから」
「ふうむ…」
 アークエンジェル追討命令と、ザラ隊の単語は、マウアーの中で一瞬にして繋がった。
 即ち――何故戦績のないこの艦が支援任務を命じられたのか、ということを。
(討てれば良し、討てなければアラスカへ着くまでに少しでも叩ければ良い、との判断ね。無論、討てない時の犠牲は戦績のない艦と使えない赤服四人だけ…ふふ、考えたものね)
 口にしなかったのは、タリアではまだ理解できまいと踏んだからだ。ただでさえ熱いのに、下手に刺激しておかしな指揮を執られても困る。
(でもザラ議長の思考にしては些か…?)
「初手から面白そうな任務だな。さーて、一発かましにいきますか」
「……」
 ハイネがポキポキと指を鳴らし、レイが小さく頷く。
 実態を知らないというのは、人を勇壮にするものらしい。
(アラスカで勝手に沈まれた困ると思っていたけど、どうやらその前に捕まえられそうね楽しみにしてるわよ、マリュー・ラミアス。このあたしが海の藻くずにしてあげるわ)
 交換機に些か不安があるとは言え、現時点ではザフト随一の艦である事は間違いない。単純な戦力で比べれば、決して劣るものではないのだ。
 タリアの表情が僅かに歪んだことを、ルナマリアだけは見逃さなかった。
(あー、やっぱりー!)
 明らかにベクトルの方向が間違っている。とは言え、寝返る算段をしているならまだしも、軍令通りの行動に口を出せる話ではない。
(まあ、やられっぱなしもしゃくだしね)
 宇宙での敗因は分かっている。数はこちらが多かったが、対艦刀を引っ提げて真ん中へ突っ込んで来たストライクの戦法に引っかかったのだ。本来の用途とは違うが、その懐へ入られない限り多数相手にはなかなか有効である。単発のビームなら盾で受けるし、取り囲んでしまうと相討ちを恐れて一斉射もできない。袋のネズミ状態も、一つ間違えば手数を制限される諸刃の剣になる。そしてあのストライクは、その状態を最大限に利用していた。
 それなら遠巻きにして蜂の巣にでもすれば済む話だが、素直に取り囲まれるようなタマには見えないのも事実だ。あくまでも理論の範囲内で動いてくれるなら、とっくに宇宙に骸をさらしてくれていよう。
 赤服は無論ジンのパイロット達も、素人パイロットではないのだ。
(でもあれ…ちゃんと被弾すれば墜ちるのよねえ?)
 ミネルバの主砲を浴びながら、あっさりとすり抜ける様が脳裏に浮かび、ルナマリアはぶるぶると首を振った。
 ストライクなら――と言うより異世界人なら、やってのけそうな悪寒がしたのである。
 装備で言えば、ザフトで初めて使われる艦載陽電子砲もミネルバにはあるし、アークエンジェルと比してそう差はない。
 両艦の一番の差は、その緊張感にある。最新鋭艦でいきなり実戦配備され、各クルーに緊張感の漲るミネルバに対し、シンジを擁してのんびりと航行を続け、逆さに振っても絞っても、スプーン一杯の緊張感も出てきそうにないのがアークエンジェルだ。
 とまれこの日ミネルバは、アークエンジェル追討の手伝いへと、急遽向かう事になった。
 
 
 
 パトリックの元を辞したファラは、その足でエザリアの家を訪れた。
「ファラ!?あなたいつ帰ってきたの?連絡くれれば迎えに行ったのに」
「S・Bが決まって忙しいあんたを使役はできないよ。上がっていい?」
「勿論よ。さ、どうぞ」
 通されたファラはソファに腰を下ろすなり、
「アマルフィの説得工作が全くちっとも全然進んでいないそうだな」
「それ…パトリックに聞いたの?」
「無論だ。エザリアはキーが分かっていないとお怒りだった」
 ファラの口から出た妙な言葉に、エザリアが小首を傾げる。
「キーって…鍵のこと?」
「それ以外にあったら聞きたいものだ。一度しか言わないわよ――ユーリは愛妻家だ、とね」
「ん〜」
 ケトルを火に掛けながら、エザリアが白い指を頬に這わせる。
「それって、手っ取り早すぎないかしら?」
「議長閣下にお伝えしておく」
「あん、待って。もう…どいつもこいつも性急で強引なんだから…」
 美貌に似合わぬ台詞を口にしたエザリアが、
「まあ、仕方ないわね。荒っぽい事はしたくないし。パトリックがそれを口にしたと言うのなら、貴女を使う気はないのでしょう」
「そういう事だね」
 評議会議員の顔を持つエザリアとは違い、ファラの本質は裏方で動けるところにある。言い方を変えれば、手段を厭わず目的を達成出来るということだ。
 エザリアが言った通り、パトリックが早急な結果を求めるならば、エザリアは外してファラに命じていよう。
「パトリックに伝えて。何なら、映像を共有してあげようかって」
 に、と笑ったエザリアの表情が妖艶なものに変わる。赤い舌がねっとりと唇を這っていく様は、評議委員のそれでも母親のそれでもなかった。
「わかった。で、あたしも手伝う?」
「今回はいいわ。ファラを引っ張り出すほどでもないから。いずれお願いするわ。もう少し厄介な相手の時に、ね」
 
 ロミナ・アマルフィのところへ、エザリアからの使いが訪れたのは翌日のことであり、その娘は招待状を携えていた。
 少女の名前をルー・ルカという。
  
 
 
 
 
(第八十二話 了)

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