妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第七十九話:敵軍の襲来に期待する海(前)
 
 
 
 
 
「お前は置いていく。アークエンジェルには要らん」
 マリューに相談することなく、シンジはキサカに向かって告げた。
「そうか…」
「お、おいキサカ」
 カガリは困ったような表情を見せたが、キサカはさほど驚いた風情もなく頷いた。
「元よりオーブ行きだし、カガリ様の正体も知られています。私が同乗しないと、騒ぎを起こすわけではないでしょう?」
「あ、当たり前だっ!なんだ、人が折角心配したのにっ!」
 ぷりぷりしながら大股で歩き去っていくカガリを見送り、
「カガリ様の事…頼みます」
 キサカは深々と頭を下げ、
「断る」
 シンジはあっさりと却下した。
「戦闘機での参戦を言い出した事はお前も聞いていよう。別にこちらが強制したわけではない。だが、戦場へ出る以上それなりの覚悟はあろうし、オーブへ着いた時茶坊主が灰となって湯飲みに収まっている可能性は十分ある。そんなところまで、こちらで管理する気はない。それとも、茶坊主を翻意させるか?」
「それは…カガリ様の言い出した事。あの方は一度言い出したら聞かないお方、私が言っても気は変わらないでしょう。その時は…覚悟しています」
「結構だ。カガリとヤマトに頼まれた事もあるし、オーブまでは艦内で天麩羅にしたりはしない。後は本人の運次第だ。尤も、側近ですら翻意させられぬような娘がオーブに着いたところで、国の未来に暗雲が立ちこめるだけとも思うが――まあいい。ところで、キサカ」
「何か?」
「いくら金欠のテロリストとは言え、オーブが金を払うから酋長の娘を頼む、と言ってあっさり頷きもするまい。なぜ受け入れた?」
「私の出身がこちらでね。タッシル生まれだ」
「ジモティー、か」
「ティー?」
「いや、こちらの話だ。地元なら久方ぶりの里帰りになるか。少しのんびりしてくるがいい。そして、オーブに着いたらウズミにこう伝えるんだ。五精使いが悪の仲間を引き連れて襲来中、と。多分シュラク隊の連中が遊んでいる筈だから、碇シンジがここへ来るはず、と言っといて」
「今…シュラク隊、と?」
「マーベットを親玉にした連中だ。艦内では洗濯係を頼んでいた。知り合いか?」
「…戦場に身を置く者なら、まず知らぬ者はいない位高名だぞ。何をしたら洗濯係になど…」
「戦場で会った訳じゃない。途中で拾ったんだ。ただ乗せておくのも勿体ないから洗濯係に任命しておいた。なかなか器用だったな」
(およそ…常識とはかけ離れた艦なのだな…)
 戦場とはいえ、一応常識の範囲内である。常識と常識がぶつかっている所へ、非常識が降臨したら敵うわけがない。
 宇宙でザフトに追われながら、アークエンジェルが殆ど無傷でこの砂漠へ降臨してきた理由が、キサカには少し分かったような気がした。
(だが…なぜ第八艦隊は全滅したのだ?)
 
 
 
 艦は紅海からインド洋へ抜け、海上をてくてくと進みオーブへ向かい、民間人とガイアを降ろしてからアラスカへ北上する予定になっていた。
 名将ハマーン・カーンは、そのルートを大凡看破していたのだが、艦長のマリュー・ラミアスに、敵襲の不安は殆ど無かった。勿論戦闘は覚悟しているが、現在艦は鉄壁の防御を誇っているし、地球に降りてからここまで、ピンチという単語とはおよそ無縁で来た。
 問題はシンジの所在だが、本人が大丈夫と言ったから、おそらく大丈夫だろう。万一途中でその姿が消えたら、その時は覚悟を決めるだけだ。
 艦長はこうだが他のクルーは不安だらけ、とそんな事もなく、南下中のアークエンジェル内に、緊張の空気は殆ど漂っていない。
 そしてそれは――民間人から戦士へと、突如クラスチェンジする事になったキラ・ヤマトも同じであった。
 
 あちこちを見回しながら進む顔が、ある一点で止まり、その表情がぱっと明るくなる。
 ぱたぱたと小走りで標的に追いつこうとした寸前、
「こらっ、走るな」
 こちらを振り向かぬまま怒られ、びくっと肩をすくめた。
「ご、ごめんなさい」
「まったく、転んで顔に傷でも付いたらどうする気だ」
「シンジさん…」
 可愛い顔に?と訊きかけたのだが、それはさすがに躊躇われた。何処に可愛い顔がある、と言われたら三十五日位は立ち直れないような気がしたのである。
「治すのは面倒なんだから」
「むー!」
 ぷう、と可愛らしく口を尖らせながら、シンジにきゅっと腕を絡めていく。
「今暇なのか?」
「うん、ストライクの点検はもう終わってるから」
「そう」
 キラに腕を取られたまま、シンジは手に持ったそれをじっと見つめていた。
「それ、ハウメアの護り石でしょ?あの子のお母さんにもらったんですか?」
「返そうとしたが、ご母堂はどうしても受け取られなかった。さて…」
 どうしたんだろ、とキラは内心で首を傾げた。シンジが強奪などするような性格でない事は、キラが知っている。無論、恩を着せて遠回しに要求したわけでもあるまい。
 アフメドの母親が自分からくれたのだろうが、それにしてはシンジの表情が冴えないのだ。眺めている物からして、原因はこれに間違いない。
「あのシンジさん、その石って何か変な物なんですか?」
「ご母堂に取っては息子の忘れ形見になる。普通の母親なら、手元に置いておきたいだろうに。それに、私は息子をその母の元へ生きては返せなかったのだ。これをくれた時、何を思っておられたのか…未だに掴めない。どうも、人の心を読み取るのが下手で困る」
(シンジさん…それ、ちょっと考え過ぎだと思うんだけど…)
 キラから見れば、戦死したとは言え、息子の遺体をわざわざ運んできてくれた事へのお礼と、それだけに見える。多分、母親にそれ以上の感情はあるまい。
 それに、無謀な戦闘へ出て行ったのは<明けの砂漠>メンバーであり、シンジは強制などしていない。言うことを聞かずに出て行った結果なのだ。
 何よりも、大きく変わった生活の事も考えれば、感謝はしても恨みなどしないと思うのだが、シンジはそう考えないらしい。
(頭がいいのも時には困るよね)
 内心でくすっと笑ったキラが、
「死んじゃったけど息子さんの遺体を持ってきてくれた人へのお礼、とそれ以外になんか恨みとか、そういうのを込めて渡すようなお母さんだったんですか?」
「ヤマト…」
 シンジがちょっと驚いたような表情でキラを見た。
「それもそっか。深読みは失礼かな」
「そうですよ。シンジさん考えすぎ」
「…そうね」
 ふ、と笑ったシンジに頭を撫でられ、キラがくすぐったそうな表情になった。
「ところでヤマトは何をしに?」
「あ、あのっ…シンジさんに甘えに来ましたっ」
 すう、と息を吸い込んで早口で言ったキラに、シンジは膺懲の一撃を加える事もなく、ふむと頷いた。
「い、いいの?」
「何となく許可する」
「うんっ」
(ご機嫌いいのかな?)
 普段なら、一撃位来てもおかしくないシンジの性格なのだ。
「ちょっと、歩きませんか?」
「いいよ」
 出撃後でもないのに、シンジがここまで甘いのは珍しい。が、余計な事を言って気が変わられても困る。さっさと行く事にして、キラは腕を組んだまま歩き出した。
「ねえシンジさん」
「何?」
「淋しいって思う事…ないですか?」
「帝都に帰れなくて?」
「うん…」
「無い。正確に言えばあるけどね」
「どっちなんですか」
「無論戻りたいとは思う。つーか戻る。でも今は、オーブへ運んでいくものがあるから。例えばこれ、とかね」
 ちょん、とシンジがキラの頬を軽くつつく。
「ただ、勘違いはしないでもらいたい。別に、ヤマト達が足かせになっている訳じゃないし、義務感でやっているのでもない。これは、自分で良しとして選んだ事だから。自分の生き方は自分で決めたいと思っているし、望まぬ生き方を強いられる位なら冥府へ逃避した方がまし。だから、現状には満足しているよ。ヤマト達をオーブまで送り届けたら、世界中をウロウロして戻る方法を探そうと思ってる」
「はい…」
 組んでいるキラの腕に力が入る。
「シンジさんが…シンジさんがいてくれなかったら、きっと私はこんな風じゃなかった。色々悩んで落ち込んで…今頃は捕まるか墜とされるかしていたかもしれない。シンジさんに寄りかかっていられるから私は…」
「そうでもない」
「え?」
「ヤマトに術は掛けていないからね。到底できない奴を無理矢理やらせる時は、暗示や傀儡化で操るけれど、ヤマトにはそんな事してない。予想外の因子はあったけど、俺がいなくてもヤマトは乗っていた。そしてヤマトは、それをしてしまう娘(こ)だから」
「シンジさん…でも、その後は一緒でしょう?」
「その後?」
「シンジさんがこっちの世界にいなくても、私は乗ったかもしれない。だけど…シンジさんと会ってなくても、私は割り切って全然悩まなかった?シンジさんは私のこと、そういう風に思ってるの?」
 さすがのシンジも、これには肯定できなかった。元よりキラは兵士でないし、戦火を避けてへリオポリスにやって来たのだから、当然と言えば当然なのだが、進んで戦闘に参加するタイプではない。しかも、向こうはその気になっているアスランを未だに討てず、足かせにまでなっている。
 砂漠ではああ言ったが、キラの心が未だに吹っ切れていない事など、シンジはとっくに見抜いていたのだ。シンジがこちらへ来なくても、おそらくキラは乗ったろう。その代わり、ただでさえ傷つきやすいその心が、自己修復機能を発動出来たかは想像するまでもない。
「ヤマトは弱いからね。というか貧弱?」
「うん…」
(あれ?)
 反応するかと思ったのだが、抗うこともなく、こくっと頷いた。
「だから…シンジさんがいてくれないと私は…でも……本当は……それがシンジさんの負担になってるって分かってて…」
(げ!?)
 その声に涙が混じってきたのに気付き、フォローの道を探して左右を見回したシンジだが、いい言葉が見つからなかった。
 シンジには、キラの言うことが何となく分かる。シンジとて、元から自分の力を受け入れた訳ではないし、むしろ精神的には惰弱な少年であった。そのシンジを、悪知恵を働かせて覚醒させたのは、危険な頭をしたとある危険人物だ。
 今はある意味で悟りを開いている。
 だから、キラの思いも理解できるのだ。
「気にするな。人を支えるのも戦闘も、出来る者がすればいい。そして幸い――私は微力ながらそれが可能なのだから。ヤマトとて、困るだろう」
「私?」
「自分は戦闘に参加できないのに、兵士でもないキラ一人に戦いを押しつけて、と泣かれたらどうする?」
「ちょ、ちょっと困るかも…」
「そーゆー事。それとも、ヤマトは戦闘を誰かに代わってもらって、自分は中で見物してるルートがいい?」
「ぜ、絶対にやだっ、そんな事したらシンジさんと…あ」
「ちょっと動機に不純なものが混ざってない?」
「そ、そんな事ないもんっ」
「まあいい」
 うっすらと赤くなったキラの頬をぷにぷにとつつき、
「さっきも言ったけれど、人には皆領分というものがある。ある者は戦闘に、ある者は指揮に長ける、またある者は後方での整備に長ける。そして、内容に幅はあっても、一応領分内で動いているものは、さほど負担とは感じなかったりするものだ。少なくとも、碇シンジはそういう奴。だからキラも、もう気にするな。あまり気に病むと――」
「か、髪の毛抜けちゃう?」
「ストライクから降ろす」
「ぜ、ぜ、絶対に駄目ーっ!もうっ、シンジさんの意地悪っ!!」
「…はいはい。さて、この話は終わり。食堂へ行って、セリオにおやつでも作ってもらうとしよう。ほら行くよ」
「はーい」
 ごしごしと目を拭ったキラが、もう一度シンジにきゅっと腕を絡めていった。
 
 
 
「どうかな大将…こんな感じで…」
 格納庫で、コジローからおそるおそるバズーカを渡されたシンジは、砲身のあちこちを触ったり軽く蹴ったりと、弄り回していた。
 間もなくその顔が上がり、
「良さそうだ。これなら多分、二発までは持つ。呪符で満たせば、おそらく一時間位の連続使用にも耐えようが、残念ながらこっちで呪符は無かった。ただ、精の一時的な凝縮を受け止める位の補強は出来ている。後は、ザフトのMSがいらっしゃるのを待つのみだ。宇宙にジンってのがいたろ?」
「あ、ああ」
「アイシャの話では、ザフトは既に陸海空のそれぞれに適応するMSを造り、実践投入しているとの事だ」
「『!』」
「そして、この先オーブへの道行きに於いて、カーペンタリアに近づくまでもなく、襲ってくるとも言っていた。つまり、海上を進んでいるアークエンジェルが、水中用と空を飛べるMSに襲われる寸法になる。水中の奴は戦闘機部隊に任せておいて、こっちは遊ぶ事にする」
「遊ぶ?」
「そう」
 に、と笑ってシンジが頷いた。
「空飛ぶMSが、精に射抜かれ木っ端微塵になる所をご覧に入れる。コジロー・マードックの腕なら、それが可能だ」
「ちょ、ちょっと待て大将。それ、まさか艦内から撃つのか?」
「艦内から撃ってどうする。甲板に出るんだよ。どこかの柱にでもよじ登って、そこからドカン、と」
「!?」
 その瞬間、コジローの顔から血の気が退いた。
 敵の数が多かったら?
 一発で仕留められなかったら?
 何よりも、万が一不発だったりしたらどうする気なのか。
 それでも、艦内から撃つというのなら、まだ理解できない事もない。シンジのおかげで、今までの常識はだいぶ破壊されてきたコジローなのだ。
 だが甲板に出て撃つと言うからには、MSに乗って撃つ訳ではあるまい。飛べないのに無理して飛行するMSならともかく、大気圏用のMSが既に出来ていると、シンジ自身が言ったのだ。つまり、空を自由に飛び回るMSの前に、生身の体を晒す事になり、そのリスクは今までに取ったどんな戦法よりも遙かに高い。
「色々考えて、勝手に不安がってるな。気持ちは分からんでもないけど、大丈夫。絶対に出来ない事を可能にするのは無理。でも、微かでも可能性が残っている事ならやってのける。それが悪の弟子のクオリティ」
(なんか…あまり羨ましくねークオリティだな)
 と思ったのは、一人や二人ではなかったが、口にする者はいなかった。
「大丈夫だよ。もっと、自分の腕は信頼するもんだ」
 コジローの肩を一つ叩いてから、
「ところで、ここから艦内全部に繋がる通信機器ってある?」
「ああ、その壁のところの奴で艦内全部に聞こえるぜ」
「ちょっと借りますよ」
 アーアー、と受話器に吹き込むシンジを見ながら、
(マイクテストじゃねーんだがな)
 突っ込みたい気分を、コジローはおさえていた。
 咳払いしたシンジが、
「こちら碇、こちら碇。艦内の全クルーに告ぐ、全クルーに告ぐ。あー、艦長は除外」
 
 ピクッ。
 艦長席で、海図を眺めていたマリューの眉がわずかに動いた。
 表情は変わらない。
 
「それと堅物も要らん」
 
 ゾロゾロ…ゾロゾロ。
 名指しはしていないのに、堅物とシンジが言った途端、一斉にこちらへやってくる視線を、ナタルはシッシッと手を振って追い払った。
「貴様ら、何故一斉に私を見るのだ!独房へ放り込むぞ!」
(でもあれって、どう考えてもあんたしかいないじゃん)
 出航後の戦績が、甚だしい非常識の上に成り立っている事、そしてシンジ自身が風紀と戦果が全く関連しないことを、身を以て実証してきた為、クルー達の間でナタルの評判は今ひとつ芳しくない。艦長であるマリューと、ついこの間まで険悪だった事はまだしも、パロットであるキラとステラは依然としてナタルを認めてはいないのだ。
 が、柳眉を逆立てて怒っているナタルに、賭けてもいいが絶対あんただ、とは言えず、クルー達の視線がカサカサと戻っていったところへ、
「本艦は現在、紅海からインド洋へ抜けるルートを旅行中である。紅海ではちと期待できないが、インド洋へ入ればザフト軍の襲来が期待できる」
「『は!?』」
 慣れぬ世界での奮戦で、とうとう気が触れてしまったかと、天上や壁のスピーカーを見やった者は、一人や二人ではなかったのだが、
「よって、インド洋へ入った後、全クルーは海岸へ降ろす。陽光の下で日焼けするも良し、鮫のいる海岸で遠泳するもよし、あるいは砂浜へ下半身を埋めたままオブジェと化すもよし。絵描き職人達の頑張りを無にしない為にも、ザフト軍には是非、起こし願わねばならん。理解できた者は、さっさと支度をしておくように。以上」
 通信は一方的に切られ、操舵桿を握っていたノイマンは、三十秒近く考えてから、そっと後ろを振り返った。
(あ、笑っておられる)
 マリューの顔に笑みが浮かんでいるのを見て、仔細は分からないが、どうやらマリューとの間では話が済んでいるらしいと、また顔を前に戻した。
 そのマリューはと言うと、
(まったくもー、シンジ君てば抜けてるんだから)
 緩んだ表情を悟られぬよう、うつむき加減のまま内心で呟いていた。艦を動かせるのか、とシンジが妙な事を言っていた理由がやっと分かったのだ。
 すなわち――シンジと二人きり、と。
 が、ナタルを除外したりしたら、二人だけの空間が邪魔される事になる。あとで文句言っておかなくちゃ、と決定したが、目下の最優先事項は――崩れそうな表情を何とか維持する事であった。
 
「大将…あんた、そんな事考えて色々描かせたのかい…」
「気に障った?」
「まさか。でも、あんたは行かないんだろ?他の連中の福利厚生まで考えて…あんたが持たないんじゃないかって気がしてな」
「この世界の住人が考える事は、皆同じようなものだな」
 笑ったシンジが、
「疲れてまで人を思いやれるほど、よく出来た性格はしてない。いつも、疲れない範疇でやる、と決めてあるんだ。それと、オーブまでの道中でザフトが来るのは確定している。どうせなら、一発かましてから進む方が効果的だし、MS戦や艦隊戦を想定していない以上、そこに必要のないクルーには、休息を取ってもらった方が士気の維持に役立つのも、これまた自明の理。そんなに、奇妙奇天烈な思考はしていないよ。じゃ、そう言うことで、マードックも行ってくるといい。砂へ半身を埋めて、頭にスイカでも載せると効果的だ」
「…それ、何に使うんだ?」
「スイカ割りの台」
「…ゴルァ!」  
 
 
 
「え?あっさり許可してくれた〜?」
「そ。自分が請け負うからいいって、ミスター碇が言ってくれたわよ」
「そんな馬鹿な…あ、い、いや…その、アイシャを信用して無かった訳じゃないんだけど…痛っ!」
 スパン!
「あたしが、すぐに分かるような嘘をつく、と言うの?それとも、私が碇さんに怒られるのを期待していた、と?」
 アイシャに見据えられ、カガリは思わず顔をそらした。
 シンジが読んだ通り、戦闘参加を言い出したのはカガリである。但し、カガリがシンジにそれを言った所で却下、最悪の場合は艦橋上部にて、素っ裸に剥かれた上逆さ吊りにでもされかねないので、当然の選択としてアイシャが行くことになった。
 自分程、手ひどく却下される事はないと思っていたが、成功の可否については、正直半分位だと思っていたのだ。それが、シンジはあっさり許可したという。勿論、シンジは地球軍所属でないし、艦の最高責任者でもない。
 しかし、
「艦の責任者は姉御。よって、姉御が駄目って言うから諦めて」
 と言い出す性格ではないし、また最初から弄う為に安請け合いするタイプでもない。些か特殊な立場ではあるが、シンジが言ったことなら、マリューはまず許可を出すだろう。
 問題はシンジの思考で、ストライクもガイアも飛べない今、唯一飛行可能なスカイグラスパーは二機しかない。その内の一機をカガリのために貸す、と言うことは絶対にあり得ないのだ。
(なんでそこまでアイシャを…)
 と考えるのは、カガリならずとも当然の事である。
「そ、そんな事はないっ!た、ただ…そこまであっさり許可するとは思えなかったから…でも、これであたしも出られるんだ。頑張らないと、な…」
「言っとくけど、あたしに迷惑かけちゃ駄目ヨ?私が一緒に乗って、カガリをちゃんと調教することが条件なんだから」
「分かってるよ…調教?」
「そ。ちょーきょー。それとも、カガリなら一人で大丈夫から行かせてやれば、ってミスター碇が言うと思う?」
「……」
 分かっていた事ではあったが、こうも正面から突きつけられるとさすがにショックは隠せず、カガリは下を向いた。
「ごめん…そうだよな、私なんかを碇さんが信用する筈が…え?」
 不意に髪がくしゃくしゃとかき回され、怪訝な顔で見上げたカガリに、アイシャはにこっと笑った。
「冗談よ」
「え?」
「私が一緒に乗るように、とは言われたけれど、調教しろとまでは言われてないわ」
「だ、だ、欺したな!お父様と一緒で私を欺したなー!」
「欺される方が悪いんでショ。だいたい、そんな事言われる覚えが全然無いなら、最初から信じないでしょ?」
「うー、そ、それはそうだけどでもっ!」
「ミスター碇は地球軍に入る気がない。と言うよりナチュラルがあまり好きじゃない。そして、この艦をオーブで降りる。今までの軌跡から見ても、多分オーブまではほぼ無傷で着くでしょ。大事なMSと民間人を送ってくれた一番の功績者を、カガリのお父さんも無下には扱わないと思うの。カガリも頑張らないと――色々まずくなっちゃうかもよ」
「うん…」
 このスカイグラスパーだが、オーブにもこれと似た物はあり、カガリも乗った事はある。だから操縦は出来るが、無論本格的に訓練を受けた軍人には及ばない。ただ、今のアークエンジェルで此を操縦できるのはムウ位のもので、他はよくてカガリと同レベルか、或いはカガリより下だ。バーディ達も操縦は出来るだろうが、シンジが許可を出したところを見ると、多分乗らないのだろう。
 彼女達が乗った方が戦果が出ると思えば、シンジが許可など出すまい。
 
 この時カガリは、シンジがバーディ達の事など、百も承知の上でカガリ達の搭乗・出撃を許可したとは知らなかった。
 実益に叶うかどうか、ではなく自分の思考に合致するかどうか、で決めるのが碇シンジという青年なのだ。
 そうやって――宇宙からここまで、初体験の戦場でもサクサク切り抜けて来たのである。
 
 
 
 
 
「ではハマーン様、お気をつけて」
「うむ。キャラ、キュベレイの整備と降下はお前に任せる。身一つで正面から入国するつもりだが、目下オーブとプラントは敵対関係にないから、拘束されもするまい。あのアークエンジェルは、必ずオーブへ来る。その前に、私の目で確かめておきたいのだ。オーブの代表、ウズミ・ナラ・アスハという男をな」
「ハマーン様、あのおっさんはこの間退陣してませんでしたっけ?」
「現役だよ、キャラ」
 ハマーンはうっすらと笑った。ハマーンに対してこの物言いをする者も、そしてハマーンがそれを許すのも、このキャラを於いて他にはいない。
「一応、代表は弟に交代したが、あれはあくまでも対外的なパフォーマンスだ。実権はウズミが握っている。それに」
「それに?」
「あのホムラという男が全権を行使できる代表なら、オーブは遠からず我らの手に落ちる。いや、その前に碇シンジが乗っ取って、シンジ王国でも造りかねんな」
 くす、と笑うハマーンを、キャラは驚愕の視線で見つめていた。勿論冗談で言っているのだろうが、こんな表情で笑うハマーンなど一度も見たことがない。あの異世界人とやらの名前がハマーンの口から出る時、その表情は何故かいつもと違って見えるのだ。
(あたしの気のせいか…それともあたしがハマーン様を理解して無かったって事か?)
 後者なら、ハマーンの随一の側近を自負してきたキャラに取っては、ひどくプライドの傷つく話になる。
 気のせいである事を願いながら、
「ハマーン様はその…そこまであの異世界人って奴の事を…?」
「私が買っているのか、と?」
「は、はい…」
「キャラにはそう見えるか。まあ無理もない話だが、碇シンジを一番評価し、最も恐れているのはザラ議長閣下だ。クルーゼ隊の地表降下は、一応S・Bの準備だが、本当の目標があのアークエンジェル追跡にある事を一部の側近は知っていよう。ザフトの最大作戦S・B――それへの備えよりなお優先させたのだ。大した事がない、と思えばなんでわざわざ回すものか。月基地への攻撃でもなく、S・Bの為の降下でもなくアークエンジェルの追跡、それは議長の内意だ。理解したか?」
「は、はい…」
 この時点でハマーンは、キャラにS・B(スピット・ブレイク)の真意を伝えていなかった。即ち、その真の狙いはパナマではなくアラスカにある、と。
 自らの矜持に基づいた行動とはいえ、ストライクを地上へ逃がしたのは、端から見れば立派な軍規違反であり、文句なしに軍法会議に値する事はハマーンも分かっている。パトリックは、それに対して何ら咎めようともせず、しかもS・Bの真意を明かした上で協力を要請してきたのだ。
 一部情報漏れも必要だとは言え、この時点でそれを明かすことは、例え相手が一番信頼の置けるキャラでも出来ぬ話であった。
「さて、と。久方ぶりに、地上の重力へ押し潰されてくるとするか。碇シンジ(あれ)は私の獲物だが、どうせ地上の連中の手になど負えぬ。オーブまで、どれだけ被害を少なくしてやってくるか、見せてもらうとしよう。もしも無傷で入港された日には、カーペンタリアの連中とて、引き渡しを要請できるほど厚顔ではなかろうからな。頼もしい友軍に期待、というところだ」
「行ってらっしゃいませ、ハマーン様」
 言葉とは裏腹に、どことなく足取り軽く出ていくハマーンを、キャラは直立不動の姿勢で敬礼して見送った。
 時々若旦那に対する手代みたいな言葉使いになるが、要所要所では礼を逸さぬ性分なのだ。
 
 
 
 
 
「ほう、海か。地上の海を見るのも久方ぶりだ」
 ハマーンから本人もびっくりの高評価を受けているシンジはと言うと、海に出た艦内から、窓の外を見ながら伸びをしている所であった。
「しばらくはこのまま紅海だし、ここじゃザフトの奮戦も期待できん。とはいえ潮風をスクリーン越しに想像するだけ、というのもちと無粋だし、君らいい?」
「いいわよ」「りょーかい」
 軽く手を挙げて応えたのは、バーディ達であった。艦橋にはへリオポリス組の少年達が詰めている。この紅海での戦闘はないと踏み、彼女達を艦橋へ入れて、少し交代させようと言うのだ。
 十分後、
「艦長いる〜?」
 シンジが艦橋へひょこっと顔を出した。
「あらシンジ君、どうしたの?」
「この面子を艦橋へ生贄にしますので、ガキンチョ共と交代させてやってくれない?」
「中尉達を?」
 バーディ達の階級は中尉で、何よりも連合所属だから、艦橋入りする事は何ら問題ないのだが、ここまではシンジの手伝いをしていた位で、それ以上のことは無かった。
「おハルさんの意図を汲んで、この艦の事は大凡分かっているらしいから、任せても兵装を暴走させたりはしないと思うよ」
「いいわ、許可します。あなた達、代わってもらって少し甲板に出てもいいわよ。警戒レベルも通常のまま移行しそうだから、艦内にもそう伝えて」
「『はーい!』」
 子供達から歓声があがり、マリューはちらっとシンジを見た。
(シンジ君、これでいいのよね?)
 砂漠でシンジが艦体に細工をして以来、索敵範囲はかなり広がっている。何よりも、戦闘を予感しているなら、航行中に甲板へ出るなどとシンジが言い出すまい。
(うん。姉御は後回し)
(はいはい…期待してるわよ)
 じゃよろしく、とシンジが子供達を伴って出て行った後、
「バジルール中尉」
「はっ」
「行ってらっしゃい」
「…艦長?」
「インド洋に出るまではまだ時間があるし、副長席(そこ)に座ったままじゃ、肩も凝るでしょ。休息も必要よ」
 ナタルに声を掛けたマリューが、くいと出口に指を向けた。
「し、しかし私は…」
 言いかけたナタルに、
「行ってらっしゃい」
 マリューはもう一度、それだけを短く告げた。
「…分かりました。では」
 出て行くナタルの後ろ姿を視界の隅で捉えながら、
「あーでもしないと、軍服着て椅子から動こうとしないからね。ま、たまには必要でしょ」
 アームに肘を乗せたマリューがくすっと笑った。
 
「まったくもう…艦長は呑気すぎる!だいたい、甲板などでのんびりしていて、敵の襲来があったらどうするというのだ」
 部屋に戻ったナタルが、軍服を脱ぎながらぶつくさとぼやいていた。
 言っている事は正しいが、要はシンジを信頼していないだけの話である。マリューはシンジに全て委ねたから、油断とも言える程の通常体制を取り、シンジを信頼してはいないナタルは、そんな気になれないのだ。
 シンジは異世界人であり、本人の意志とは全く無関係にこの世界へ来たから、いつ元の世界へ帰ってもおかしくない。その意味でナタルの考えは正しいのだが、問題はナタルがポーカーフェイスを苦手とする事にある。
 思ったことを表情や態度に出さないタイプなら、もっとシンジとの関係も違ったものになっていたかもしれない。
「とは言え…ま、まあマリューかんちょがああ言ってくれたからここは素直に…」
 呟いた時、テーブルの上にあるコップに気付き、ナタルが手を伸ばす。
 一口、口に含んだ次の瞬間、
「大変だー!」
 スピーカーから聞こえてきた声に、ナタルの切れ長な眉が寄る。どうやら、スイッチが入ったままになっていたらしい。
(無粋だな…いったい何だというのだ)
「カズィが海に落ちた!」
「!?」
 ここまではまだ、通常の情報処理範囲内であった。
 がしかし。
「碇さんがカズィを海に放り込んだ!」 
 ブーッ!!
「ゲホッ!ゲホゲホ…ホゲッ!」
 ナタルの処理能力は限界を超え、半分は勢いよく口から吐き出されて軍服を直撃し、もう半分は気管へと一斉に侵攻し、ナタルは激しく咳き込んだ。
「な…なっ、何だとー!?」
 
 
 
 
 
(第七十九話 了)

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