妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第七十八話:ゴルァ
 
 
 
 
 
「か、か、艦長っ!」
「どしたのナタル」
「わ、私と…そのっ…か、か…賭をして下さいっ!」
「…ハン?なんで私がナタルと?」
 予想通り、やはり宴の中心はシンジであった。アークエンジェルの兵装を封印し、MSも使わずに葬ってみせる、と告げた言葉通り文字通りザフトを全滅させ、あまつさえ砂漠の民に取っては時に命よりも大切な水と――温泉まで発掘してのけた。
 勝手にちょろまかそうとしたテロ組織のせいで、関係が悪化しかけた事もあったが、結局誰かを滅ぼす事もなく、泉も温泉もそのまま譲渡している。無論、<明けの砂漠>の為にした訳ではないが、結果的には彼らの生活を劇的に変化させる事になった。今は老若男女を問わず、わらわらと群がっているその中心におり、殆ど身動きもできない有様だ。ただ、本人にそれを煙たがる様子はなく、杯は受けていないが、嫌がる風もなく話に応じている。
 そんな人の輪の外側で、ウロウロしているのはステラとキラであり、シンジに近づくことも出来ずに、輪の外側でコップを持ったまま彷徨っている。
(あらあら可哀想に…でもまあ、今晩くらいは仕方ないわね)
 少し視線を動かすと、ミリアリア達がいた。こちらの中心は来栖川綾香で、いかにも中心にいるのが慣れている風情である。
 どういう物好きから来たものか、地球に降下する事もなくアークエンジェルに残っている。一般人ならまだしも、あの来栖川重工の関係者とあっては迷惑この上ないのだが、
「ま、オーブまでは何とかするから」
 とシンジに言われた事もあり、また今更放り出す事も出来ないので乗せている状況だ。その綾香だが、ある方向に冷ややかな視線を向けており、その先には――フレイとサイがいた。艦内の、それも子供達に限って言えば、出生も能力値も完全に異質なシンジの影響もあり、コーディネーターを嫌う傾向はない。先だってシンジが送っていったラクスや、艦内を徘徊するミーアも、コーディネーターだからと特異な扱いをされた事はない――フレイ・アルスターを除いては。
 特に、アルテミスで何の禁忌もなくキラを売り渡した事で、綾香のフレイに対する評価は最悪のものになっているようで、シンジがいなかったら今頃は重体になっていたと言う。
「バジルールとアルスターを排除すれば艦内の空気はまともになる」
 シンジに言われた時、それもそうだとマリューは納得したが、結局その通りにはしなかった。これ以上クルーが死ぬのを見たくない、と言う人情的な部分もあったが、やはり指揮能力を考慮した部分が大きい。正規兵が全く主力となっていない現在、規律一辺倒のあの性格は困るが、シンジがいつまでもいるとは限らない。場合によったら、オーブへ行く前にその姿を消してしまうかもしれず、その時は嫌でもナタルの指揮能力が必要となってくる。シンジの影響が強い上、志願兵でもないキラやオーブ所属のステラは、当初はナタルを完全に敬遠していたが、最近のシンジを見る限りはおそらく大丈夫だろう。
 現状のままいけば、オーブまではさしたる損害を受ける事無く到着できるとマリューは見ている。
 もっとも、マリューは艦長職になど興味はないし、このままオーブへ着ければ、とりあえずシンジへの義理は果たせる。
 着いた時点でナタルを艦長にしてもいいのだが、
「それはちょっとずるいかな」
 マリューは少し苦笑気味に呟いた。シンジを積んでいれば、オーブまでの道中など、ほぼ被害ゼロで行ける可能性もある。その先の危険な道のりだけナタルに押しつけるのは、いくら何でも可哀想というものだ。
「でもシンジ君は…ん?」
 ぽつりと口にした時、不意に背後から酒の臭いと共に腕が巻き付いた。
「ちょっと誰…ナタル!?」
 見ると、半分は酒、もう半分は違うもので顔を赤くしたナタルがそこにいた。
 ここで冒頭の台詞に戻る。
「わ、私とっ…の、飲み比べをして私が勝ったら今夜ひとば…モゴ!」
「酔っぱらって何を口走ってるのよ。ちょっとこっち来なさい」
 慌ててナタルの口をおさえ、ずるずると引きずっていく。幸い喧噪と、少し離れた場所にいたおかげで、殆どの者は気付かなかったらしい。
「で?なーんで私がナタルとそんな事しなくちゃならないのかしら?大体あなたもう顔赤いじゃない。私に勝てる…うん?」
 そこまで言ってから、ふと気付いた。
(この子、いくら酔っぱらってもそんな事言い出すかしら)
「ナタル、正直に言いなさい。それ、シンジ君に吹き込まれたの?」
 頷いたナタルを見て、やっぱりねと内心でため息をついた。
(ん?あいつー!)
 ちら、とシンジを見ると、こちらに向かってひらひらと手を振っているではないか。
(まったくもう…ろくな事を吹き込まないんだから)
 ぼやきながらも、自分以外にはこんな悪戯はするまいと、その表情はどこか緩んでいる。
 翌朝――。
「おはよう。随分と艦橋クルーが入れ替わっているようだ」
 軽く手を挙げたシンジに、立ち上がったメンバーはいずれも普段の面子ではない。艦長席や、普段ナタルがいる場所も空席のままだ。
「いくらシンジ君が頼りになるとは言え、ブリッジが空っぽじゃさびしいでしょ」
 微笑ったのはカリンであった。
 バルトフェルド隊殲滅の折、数日ながらシンジと泊まりがけの工作旅行に行った為、メンバーの中では一番距離が近い。
「カリンは飲まなかったの?」
「副艦長が艦長に絡んでたからね。あたし達は一応控えました」
「飲んでも良かったのに」
「え?」
「元より全ては織り込み済み、テロリストのメンバーも今朝方までは酔い潰れている。艦長には、今夕辺りの出航になるって言っておいたから」
「ふうん?」
 つかつかと歩み寄ってきたカリンが、シンジの顔をじっと眺めた。
「な、何?」
「シンジ君の頬が赤いのはそれに関係あるの?」
「は?」
「むにゅってつねられたような痕があるんだけど〜?」
「…お前は俺か」
 見られていないのは確認している。頬に触れてもその痕跡は残っていない。
 なんで分かったのかと、火星人のカップルからカメラのシャッターでも頼まれたような顔をしているシンジに、
「君の性格と、艦長との恋仲を考えれば大体分か…ひたた、痛いってば」
 余計な事を口走って頬を、それもただ抓るのではなく捻られているのは、カリンではなくバーディであった。
「これ以上言ったら、今度はおっぱいを捻って段々重ねにしてやる」
「そ、それは許して」
 シンジの場合有言実行という、物騒な性格をしているのは既に身を以て体験しているバーディであり、折角形の良い胸なのに、そんな事をされてはたまらないと慌てて真顔で謝った。
「まあいい」
 シンジの方も本気で怒ったわけではなく、あっさりとバーディを離し、改めて艦橋内を見回した。
「ふむ…」
「あの、なにか?」
 訊いたのはまりなである。
「うん…このメンバーは艦橋(ここ)で何が出来る?」
「見ての通りよ。操舵は出来ないけどその他は大抵カバーできるわ。アークエンジェルのデータは殆ど頭に入ってるし」
「そうか…」
「気に入らない、かな?」
「逆だ、カリン」
「『え?』」
 表情と口調からは嫌がってるようにしか見えなかったが、シンジは逆だという。
「君らは軍人だが、あれは違う。いや、軍人ではあるが軍人としているべき存在ではない」
「あの子達の事ね」
「ん。無論無能ではないが、戦場はその居場所じゃない。出来ることなら、オーブで親元へ帰してやりたい。代わりがいなければそうも行かないだろうが、有能な担い手がいるなら素人を急場しのぎで使うこともあるまい。おハルさんには…感謝しないとね」
 シンジは穏やかに言って笑った。
「『……』」
「それと、数時間後には多分出航になる。君ら、海水浴の道具は持ってるの」
「『海水浴〜?』」
 仲間達を気遣ったと思ったら、今度は奇怪な事を言い出した。
「そう、海水浴。浜辺で、そんな軍服姿のまま日焼けするつもり?」
 さすがにカリン達も話についていけず、目をぱちくりさせており、それを見たシンジがイヒッと笑った。
 満足したらしい。
「泥酔メンバーが目覚める前に、買い物へ行ってきたら?沖合のアークエンジェルは、私と艦長の山小屋になる」
「『?』」
 彼女達の顔に大きな?マークが浮かび、それが徐々に妙な笑みへと変わってきた。
「ふうん、そーゆー事ね。なるほど、二人きりでお留守番しちゃうんだ?」
 にやあ、と笑ったまま、シンジの肩を叩いて出て行ったのはトニヤであり、
「じゃ、邪魔しちゃ悪いわよねえ?」
 と、一つシンジにウインクして、
「ほらみんな行くわよ。シンジ君が愛の巣をお掃除するんだから」
 パンパンと、手を叩いて仲間を促したのはバーディであった。
「……」
 それから十五分後、荒涼とした砂漠へ、不意に巨大な火柱が上がった。それは、深酒で寝込んでいた者達の一部を一瞬にして叩き起こした程の衝撃と轟音を伴っており、更に三十分後、バナディーヤの街が迎えたのは――あちこちが黒く焦げた女達であった。
「ったくもう、ジョークが通じないんだから!」
「そうよ、あんな本気で火柱出すことないじゃない。あー、髪の毛がちょっと焦げてる!」
 世間一般的に、こう言うのを自業自得という。
 
 
 
 無論全てではないが、所々に於いては対ザフトのそれよりも更に強い火柱を吹き上げさせ、焦げた戦果を確認したシンジは、艦橋で世界地図を眺めていた。勿論、勢力図だの国名だの、それが自分の居た世界と異なるのは当然だし、むしろ勢力図が同じでMSの跋扈する方が怖い。
 がしかし。
「やっぱりスッキリ」
 呟いたシンジが見ているのは、かつて日本列島があった筈の場所であり、地図を見る限りそこはもう、綺麗さっぱり無くなっている。
 シンジの祖母フユノは戦争で兄弟三人を失っており、彼らは靖国神社に奉られているが、シンジはそこへ行ったことがない。人の心と魂の有り様は人によって異なるものだし、靖国で会おうと散っていった者達の心の拠り所を侮るつもりなど、シンジには微塵もない。但し、シンジが考える護国神社・靖国神社の役割とは、少々異なるものがある。未だ、足を運んだ事が無いのはそのためだ。
 マリューの話を聞く限り、戦争の結果敗れて国土が消滅したのではない。敗戦によるものならまだしも、狂人の核実験に巻き込まれて国土の大半が消滅とは、何ともお粗末な話である。
「たった一発の核、か…」
 ふ、と息を吐き出したシンジの背後で、
「ちょっと、いい?」
 振り向くとアイシャが立っていた。
「ああ、アイシャ殿か。なに?」
「それ…いいわヨ」
「え?」
「アイシャ、って呼んで?ミスター碇にただ一人そうやって呼ばれると、くすぐったいわ」
「そう?」
「ええ」
 緑色の瞳をくるくると動かしながら、アイシャが頷いた。ただし、この場合は好意というよりも自己防衛に近い。カガリの家庭教師をよろしく、とシンジに口説かれ、頷いたアイシャだが、バルトフェルドからは冷たく切り捨てられ、しかも戦場の真ん中に放り出された事もあってザフトを離れた罪悪感は全くない。
 そんなアイシャはシンジを観察していて、その立ち位置と性格が何となくだが分かりかけてきていた。艦長のマリューを始め、シンジが敬称を付けて呼ぶのは誰一人いない。特に蔑称で呼ぶこともないが、普通に名前で呼んでいる。そんな中、自分だけ敬称を付けて呼ばれるのは何となく危険だと、これはアイシャの女の勘が告げていたのだ。
「ところでミスター碇」
「はいはい…って、アイシャも普通に呼んで構わないですよ?」
「絶対にイヤ」
「…左様でござんすか。で、なに?」
「本当に…いいの?」
「茶坊主の事?アイシャの事?」
「私の方」
「全くちっとも全然心配してない。ここからオーブに行くまでの海上で、ザフトは襲ってくると思う?」
「うん、多分…」
「アイシャの気が変わるくらいなら、茶坊主がザフトに呼応する可能性の方が余程高いというもの。アイシャを積んでいく事に、懸念など微塵も抱いていないよ」
「それは…何か根拠あって?」
「これ」
 つい、とシンジが指さしたのは自分の胸元であった。
「…胸?」
「違う。碇シンジのセンサー。探知率100%じゃないけど、これが反応してないから大丈夫」
 心臓にそんなセンサーがあるかはともかく、シンジの言った事はあながち嘘でもない。自棄を起こすと戦闘メイド達に人海戦術で抑え込まれ、その一方で適性のない者はシンジ所属から外さないとえらい事になる為、いやでも人を見る目は身に付いてきた。 結果、無論完全ではないものの、プラスかマイナスかの判断くらいは出来るようになったのだ。
「ふうん…じゃあ…」
「ん?」
 何を思ったのか、アイシャがシンジの全身を上から下まで、まじまじと眺めた。その双眸の色と相俟って、おもちゃを見つけたロシアンブルーに見られているような気分になってくる。
「この艦に戦闘機があったわよネ?ただ乗ってるだけじゃ悪いから、戦闘の時にカガリに貸してくれない?」
「却下」
 間髪おかず、シンジは一言の下に退けた。
「そうね、それが賢明だわ。そこまでしん――」
「アイシャが同乗してちゃんと躾けるなら可」
「……」
「で、今何か言った?」
「…ううん、なんでもないワ」
「でも、少なくともオーブに着くまで、ザフトとの戦闘に絡ませる気はないよ。アイシャを寝返らせたつもりはないのだから。茶坊主に万一の事があれば、オーブ国民には将来感謝されそうな気もするけどアイシャには悪い…うぷ!?」
 きゅ。
 いきなり抱きしめられ、シンジは目を白黒させた。
(な、何事?)
「まったく…お人好しなのか馬鹿なのか見る目があるのか…」
 シンジを離し、その肩に手を置いたアイシャが正面からシンジをじっと見た。
 さっきとは違い、ひどく真顔であった。
「一つ、誓ってあげるわ」
「はい?」
「ミスター碇、あなたがこの世界にいる限り…私は決してあなたに敵対することはしないわ。私の命に賭けてもね」
「アイシャ…」
「ところで」
「ん?」
「元いた世界にはいつ帰るの?」
「…ゴルァ」
 
 
  
 
 
「このアマ…俺達をナメてんのか?」
 インド洋の海底で、マルコ・モラシムの額に青筋がうねっては消えていく。その原因は、さっき入ってきた通信映像にあった。
 ハマーンからのもので、
「貴様も知っての通り、バルトフェルドは惨敗、その部隊は文字通り消滅した。勝手に勇み足で突っかかり、オペレーションS・Bを前にして散るなよ」
 と、諫めてるのか挑発してるのか、なかなかに判断の付きかねる内容である。
 ハマーンの言っている事は正しい。
 元より、どう見ても劣勢の戦力でザフトを殆ど寄せ付けず、まるでザフトが手抜きでもしているかのような状況で、折角奪取したMSも二度まで捕虜にされ、しかもあっさりと返してきた。
 地上でもその勢いは衰えず、数に任せて攻撃した筈のバルトフェルド隊は、正体不明の砂像に行く手を阻まれ、文字通り砂の下にその姿を消している。宇宙と砂漠は駄目でも海上なら問題ない、と考えるのはさすがに無謀というものだ。
 がしかし。
 このモラシム隊は、素人の集まりではない。既に数多の戦功を立てて来ており、連合のジェーン・ヒューストンからは、部隊を壊滅させられたとして、復讐の的になっているところだ。本人は知らないし、知ったところで気にもしないが、とまれ単なる机上の優等生ではない。
 何よりも、
「水中では動けん機体だろうが。ハマーン・カーンもヤキが回ったと見える」
 モラシムが嘲笑った通り、現在アークエンジェルに搭載されているのは、水陸両用の機体ではないのだ。
 唯一にして最大の問題は――。
 現在アークエンジェルに於いて、その守備の要となっているのが最新鋭の装備でも、新型のMSでもないという事にある。
 砂漠でバルトフェルド隊が壊滅した時、アークエンジェルはおろか、ストライクとガイアでさえ、一発も撃っていないのだ。
 出撃すらしていない。唯一ストライクは出たが、攻撃どころか単なる回収作業に従事したのみである。
 名将ハマーン・カーンも認めた異世界人が、目下兵装やMSよりなお厄介な存在であり、そして――その守備範囲に水は含まれている事を知ったら、或いは少しく考えを変えたろうか。
 
 
 
 
 
「うぅん…かんちょ〜」
 時折寝言を呟きながら、自分の乳房に顔を埋めているナタルを、マリューはどこか複雑な表情で見つめていた。飲み比べして自分が勝ったら、とマリューに挑んできたのはいいが、三杯も飲まずにナタルはぶっ倒れた。
 これでは勝負にすらならない。
 しかも泣き上戸と来た。
「かんちょうは…ぐすっ…もうっ、じ、自分の事なんて…どうでもいいのでしょうっ。どうせ…どうせ自分は魅力もないしただの堅物で…」
 面白そうなので最後まで語らせてみようと思ったら、いきなり泣きながらしがみついてきた。
「マリューは…マリューはわたしの体だけが目当て…うぷっ」
 とうとうろくでもない事を口走り始めたので、人目はなかったがナタルの口をおさえ、
「要するに、私とえっちしたいって事?」
 マリューの方はちっとも酔っておらず、素面のまま身も蓋もない事を訊くと、ナタルは目に涙を浮かべたまま、頬を赤く染めてこくっと頷いた。
 で、部屋に担いできて弄っていたのだが、股間を擦り合わせるどころか、マリューは舌さえも使うことなく、その指に責められただけでナタルは六度も達してしまい、今は満足してすやすやと寝息を立てている。
「これがシンジ君効果、か。あ、あとちょっとミーアも入ってるかしら」
 乳から入ってくる男は嫌、とある意味マリューらしい理由から、マリューの性体験は豊富ではなかった。異性に抱かれるのはシンジが二人目だし、同性などナタルが初めてである。
 が、魔女医に開発されたシンジを相手に、完全な受け身に回り、そこへ持ってきてミーアから股間に生やした肉竿の使い方を実地で教えられ、マリューの“エロスキル”は急激に上がってきた。何よりも、二人の師匠からもたらされた快楽は、今までに一度も経験した事のないものだった事が大きい。ナタルが開発された、というよりはマリューのスキルが急に上がった事が原因だが、どうしてもシンジのそれと比べてしまうから、ナタルが何も出来ぬまま一方的に達してしまうのも、本人にとっては幸いかもしれない。自分の愛撫が何の快楽ももたらしていない、と知ればどんな反応を起こすか、分かったものではない。
「でも…シンジ君とえっちした時しか感じないのも…ねえ?」
 何がねえ?、なのかは不明だが、その頬はうっすらと赤くなっている。
 ナタルを抱いている時には、まったく見られなかった反応だ。
 とそこへ、扉が控えめにノックされた。
「!…誰?」
「私です」
 一瞬身構えたマリューだが、聞こえた声にふっと力を抜いた。
「いいわよ、入って」
 音を立てず、するすると入ってきたのはミーアであった。
「おはようございますマリュー様。あらあら…子守も大変ですわね」
「ちょっと、開発し過ぎちゃったかしらね。おまけに私は感じにくくなっちゃったし。シンジ君とミーアのせいよ」
「はいはい、ミーアのせいミーアのせい」
「ごめんね…気を悪くした?」
「大丈夫ですわ。だいたい、私がこんな事で怒っていたら、碇さんは今頃怒りで全身から発火して真っ黒焦げになっちゃってるでしょ?」
「そうね…」
(あ、やば)
 別にマリューの事を言ったわけではないのだが、言うまでもなく艦の最高責任者はマリューであり、目下シンジにかなりの負担が掛かっている事の自覚もあって、マリューは俯いてしまった。
「え、えーとっ」
 ケホコホと咳払いして、ミーアはバックから何やら取り出した。
「ほ、ほらそろそろ切れる頃でしょ。持ってきましたわ」
「なに?」
「避妊薬。こっち、生える方。こっち、生えない方。こぉんなジャンクに使うのは勿体ないから、牝ちんぽ生やして遊ぶことはそう滅多にないかもだけど、一応持っていたらぁ?」
「そ、そうねもらっておくわ」
 ミーアは時折、何の前兆も無しに、その全身から漂う雰囲気がひどく危険なものに変わる事がある。別人格とは違うようだが、どちらがその本体に近いのかと、マリューは未だに分かりかねている。
「ねえマリュー様」
「うん?」
「碇さんはああ見えて結構我が儘、と言うか我が道を行かれる方。ただでさえ副長がボンクラなのに、その上艦長までろくでなしと思ったら、とっくに艦は乗っ取られてるわ。それに、その気もないのに慰安の為だけに艦長にご奉仕するほど、プライドの低い方でもないでしょ。恋人関係はまだちょっと難しいかもだけど、結構いい線でマリューさんは認められてるし、こーんないい女の私が艦内にいるのに、抱かれてるのはマリューさん一人だけ。もーっといっぱい可愛がってもらって、いい女にならなくっちゃ。ね?」
「ミーア…」
 ありがと、と微笑ってから、
「ところで、ミーアって本当は歳いくつなの?なんか私より年上みたい」
「…ゴルァ」
 
 
 
 昼過ぎになると、ようやく二日酔いの酒も抜け、人々は宴の後遺症から立ち直って起き出してきた。結局昨晩はシンジが解放されず、その傍に行けなかったキラとステラは、アイシャと別れた後一人で艦内を歩いていたシンジを発見、これを捕縛し食堂へ連行。一緒に食事を摂ったのでご機嫌の針もやや上向いた。
「あの、お兄ちゃん」
「はい?」
「艦体にペイントしていたのは結界なんでしょう?」
「ん」
「地球に降りてからその…私達の出番が全然無くて…」
「オーブまではない予定」
 冷たい言い方ではなかったが、それを聞いたキラとステラの表情が一瞬強張る。ガイアとストライク、そのどちらに乗るかはともかく、MSの出番自体が無いのではシンジの傍にいる意味がない。それどころか、単なるお荷物になってしまうではないか。
「別に、二人が役に立たないとか邪魔とか、そういう話じゃない。ただ、両機とも飛べないし水中を泳げないからね。適材適所――水中で動けるものは水中で、宇宙でその力を発揮できるものは宇宙で。幸い、皆の協力のおかげで現在はそうギリギリでもないが、それでも一度の敗戦が即全滅に繋がる状況である事に変わりはない。アラスカからの援軍など、望むべくもない状況では道具の選定ミスがそのまま敗戦に、そして死に繋がる事になる。今は見物しておいで。ここは地球(テラ)――五精使いのフィールドなのだから」
「シ、シンジさんがそう言うなら…」「そうしますお兄ちゃん…」
「ん、いい子だ」
 二人の頭を軽く撫でて立ち上がったシンジだが、正直に言えば、ガイアとストライクをオーブまで封印したまま行かれる、とは思っていない。
 防御の結界は施したが、そこに僅かな違和感を感じ取っていたのである。尤も、異世界で素人を寄せ集めて作り上げた結界が、その作り手の意図以上の戦果を出してくれるだろうとは、いくらシンジが魔道省きっての能力を持つとは言え、いささか虫がいいと云うものだ。
 ここは――帝都ではないのだから。
(まあ、初弾位は使えそうな気がするんだけど…しかし泳げないし飛べないからなあ。スカイグラスパーで迎撃して、あとはマードックの出来次第か…むう)
 危機感ゼロの表情のままシンジが、内心で消極的な事を呟いた時、
「大将」
「ん」
 呼ばれて振り返ると、ムウがひょこっと顔を出していた。
「もうじき発つから、最終確認だとさ。艦長が来て欲しいってよ」
「分かった今行く。じゃ、ちょっと行ってきますよ」
「うん…」「行ってらっしゃい…」
 妙に悄然としてシンジを見送る二人に気付き、シンジに引導でも渡されたのかと思ったムウだが、何も言わなかった。こう言う時――特にシンジが絡んでいる場合は、放置が一番だと分かりかけていたのである。
 廊下を並んで歩きながら、
「フラガ、戦闘機の件だが地上機でも操縦は出来るのだな?」
「まあ、それなりにはね。無論宇宙(そら)とは勝手が違うし、遠隔操縦できる代物も付いちゃいないが、基本的な事は身に付いてるよ」
「じゃ、一機はフラガだな」
「スカイグラスパーは二機積んである。もう一機はどうすんだい?」
「茶坊主を乗せる」
「ふうん、茶坊主ね…っておい、大将!今なんて言った?」
「二度言われないと理解できない?」
「い、いや…」
 静かに聞き返され、それ以上問い質す事は出来なかったが、ムウの顔が強張るのも無理はない。カガリの正体は既に知っている。つまり、オーブの皇女という事は分かっているのだ。そんな娘を戦闘に狩りだして万一のことが、いやそもそも同盟軍ではないオーブの、それも皇女を使役してどうしようというのか。
「言うまでもないが、この艦はタクシーじゃあない。ご丁寧に、茶坊主をオーブまで運搬していく護送船じゃないんだ。炊事だの何だのは間に合ってるし、戦闘に使ってみるくらいしか用途はあるまい。勿論、茶坊主を一匹で乗せる程馬鹿じゃない。アイシャに同乗してもらう」
 中立国の皇女を戦場に出す次は、つい先日まで敵軍にいた女を同乗させると来た。
 もう呆れて物も言えないムウだが、
「戦場で万一の事があれば、その時はオーブの国民がスッキリする。少なくとも、自国の防衛力に限って否定する半ば気の狂った小娘が、次期国主になるおそれはなくなるのだから。そして、ムウ・ラ・フラガ」
 ゆっくりとフルネームを呼ばれて、ムウがぴくっと反応した。
「不覚を取ったのではなく、自分の意志で敵に寝返るような事があればその時は――私が責任を取るよ。この命に換えて、ね」
「大将…」
 シンジの口ぶりからして、カガリの評価が一気に上がったとは思えない。大体、先日までテロ組織に加わり、ザフトを相手に戦っていたカガリがザフトに寝返る、というのは非現実的な仮定になる。
 だからアイシャだ。
 だが何故ここまで――自分の命に賭けて保証するほど肩入れするのだ?
「こいつはいい、と」
「え?」
「人を用いる、とはまず自分が相手を信じる事。だから相手もそれに応える。不信の心などすぐに見抜く――特に女は。尤も、信じられてもあっさり裏切る奴もいるので、だから世の中は面白い訳だが」
 からからと笑ったシンジに、
(面白くねーよ!)
 とツッコミかけて止めた。根拠は分からないが、とまれシンジは自分の命を賭けてもアイシャを信じたのだ。ここまで言い切るのなら、それへ自分が疑念を差し挟むのは無粋というものだろう。
(しっかしこの大将がそこまで入れ込むとはねえ。ま、深い意味はなさそうだが…こりゃ艦長さんも大変だ)
 思わずその口元が緩んだムウだが、その肩がぽんと叩かれた。
「え?」
「と言うわけでよろしく」
「な、なにを?」
「異世界人もこう宣ってる事だし貸してやれば?と、艦長に口添えよろしく」
「ハァ!?ちょ、ちょっと待て、なんで俺がそんな事しなくちゃならないんだよ!そんな事は自分でやればいーじゃねえか!」
「内情を聞くだけ聞いて後は知らぬ顔の半兵衛を決め込もう、と?」
 何がはんぺんだかは不明だが、シンジのひっそりと微笑っている顔を見た時ムウは、その意図が自分を巻き込む事にあったのを知った。
「シーット!!」
 がしかし、ムウの心配は杞憂に終わった。
「別にいいわよ?」
「…へ?」
 ムウが、思わずぽかんと口を開けたほど、マリューはあっさりと許可したのだ。
「五精使いがその身に賭けてまで保証した女(ひと)を拒絶するほど、マリュー・ラミアスは狭量じゃないわよフラガ少佐」
「は、はあ…」
「でもシンジ君」
「ん?」
「カガリさんを乗せて出すのは賛成しかねるわね。オーブへ着いた折、知っていながら戦場へ出して戦死しましたが何か?と、ウズミ代表に言えないでしょう」
 マリューの言葉が終わると同時に、雨蛙の潰れたような声がした。元代表です艦長、と余計なツッコミを入れたナタルが、足をぐにゅっと踏まれたのだ。ウズミが代表を降りた事は、既に耳に入っている。
「問題ない」
「シンジ君?」
「そこまで大切に扱われる皇女なら、素手にも等しい装備でザフト軍に立ち向かう事など、お付きの者が身を挺して止めているし、また止めねばならぬ身の筈。レドニル・キサカがオーブ軍人なのは姉御も知っていよう。それに――」
 何故かシンジはうっすらと笑った。
「耳貸して」
「え…?」
 一瞬怪訝な表情を見せたマリューの耳元に顔を寄せ、シンジが何やら囁く。
「ええ、ええ…え!?あ、あなたそんな事を考えて!?」
「物事には常に二面性がある、と言うこと。アークエンジェル艦長として損得を弾いても、そうマイナスにはならない話でしょ?何よりも、本人にその気が全くないのに、アイシャが一存で勝手に言い出した、とも思えない。役に立たぬ荷物のままオーブへ運ばれるより、なにがしかの事が出来ればと茶坊主並に考えたのだろう。我が身の立場と重みを全く考えぬカガリ・ユラ・アスハ嬢らしい発想だ」
「『……』」
「ま、この先の道のりを考えれば戦闘は避けて通れぬのだし、とりあえず第一陣には一発かます準備もしてある。ここは見せてもらうとしよう。自国の防衛を頑なに拒否する娘が、我が身をどれだけ防衛できるのかを、ね」
(シンジ君…)
「そうね、シンジ君がそう言うならそれでいいでしょう。少なくともここまでは、あなたのその勘に支えられて来たようなものだもの。徒に反対する気はないわ」
「艦長がそう言われるのでしたら」「ま、いいか」
(ほう)
 ムウはともかく、ナタルは当然反対するものと思ったが何も言わない。しかも、その表情から反骨心を読み取る事も出来なかったのだ。
(珍しい事もあるものだ)
 一瞬ナタルに冷徹な視線を向けたシンジが、内心で呟いた。
「じゃそう言うことで」
 と一旦三人は退出したが、シンジは戻ってきた。
 しかも、ご丁寧に施錠までしてやって来たのだ。
「あの…拉致監禁とかしないでね?」
「今は間に合ってる」
 さして面白くもなさそうに真顔で否定したシンジが、つかつかとマリューの前までやって来た。
「姉御、訊きたい事がある」
「何でしょう」
「本当に、いいのだな」
「なにが?」
「……」
「冗談よ、分かってるわ。でも、自分から言い出しておいて、あたしが許可出したら本気かなんて、ひどいんじゃなーい?まったく艦長職を何だと思ってるのかしらね」
 内容とはほど遠い口調と表情であった。
「シンジ君が言ったから許可した訳じゃないわ――その勘と能力でこの艦を守ってきた五使いがそう言ったから、許可したのよ。いくら私がシンジ君をす…い、いえシンジ君を信じていても、単にそれだけで許可できるものじゃないわ」
(…んー?)
 一回、二回とシンジはマリューの言葉を反芻していた。
 何かが引っ掛かる。
(…姉御、それ五使い違う。まあいーけどさ)
 前半部分だけを反芻していたから、後半部分は殆ど聞いていなかった。
 だから、
「…君、シンジ君!」
「は、はいっ!」
 呼ばれて我に返り、慌てて敬礼したシンジをマリューがジト目で睨んでいた。
「私の話聞いてた?」
「ご、ごめんちょっと…」
「モウイイ!」
 ぷい、とむくれてしまったマリューをシンジがきゅっと抱き寄せていた。
「あっ、きゅ、急に何をっ…セ、セクハラよっ、は、離しなさいっ!ぐ、軍法会議にかけるわよっ!!」
 普段のシンジに言ったらその場で蒸し焼きにされそうな台詞を、顔を赤くして口走るマリューだがシンジは離さない。マリューの反応からして、軍事的な事ではないと勘が告げていたのだ。
 そもそも、シンジをぽかぽか叩いてはいるが、突き放そうとはしていないのだ。
「まあまあ、そんな冷たい事言わないで。ね?」
 きゅ、と抱きしめたままその耳元で、
「悪いけど、もう一回言ってもらってもいい?」
 ふぅ、と吐息を吹きかけながら囁いた。
「も、もうっ…そ、そんな手に乗らないんだからねっ!」
 顔の赤いまま横を向いたが、もう叩く手は止まっている。
「だ、だからその…シ、シンジ君が…わ、私にお礼したいとか…い、言うなら別にいいんだけどっ…ひゃ!?」
 はむ、と耳朶を甘噛みされマリューの身体がびくっと震えた。
「善処させていただきます」
「よ、よろしいっ」
「ところで姉御」
「なに?」
「二日酔いはともかくとして、言った通りになったでしょ。明日の夕方がいいんじゃないかって」
「ま、まだ夕方前ですっ!午後に出ればシンジ君の予言なんか外れるんだからっ」
 赤い顔でムキになるマリューを見て、シンジはくすくすと笑った。
「そこまで頑張らなくてもいいっしょ。ま、航行予定時間を逆算して発てばいいんじゃない?」
「もう…意地悪なんだから…」
「じゃ、俺はこれで」
「あ、待ってっ」
 カサカサと出口に向かったシンジを、寸前でマリューが呼び止めた。
「はい?」
「一つだけ約束して」
「約束?」
「オーブに着くまでは、絶対に元の世界に帰らない、と」
(姉御?)
「もし、途中で放り出して元の世界に帰ったら許さない。私、一生シンジ君を許さないからね」
(そう言われましても…)
 マリューがどこまで本気で言っているのかは分からない。ただ、シンジを搭載した事で本来あり得ぬ戦い方が出来、想像だにしなかった戦果をあげたのは事実だが、その一方で現在のアークエンジェルが、シンジを抜きにした戦闘を考えられない状況になっているのも事実だ。
 宇宙からここまで、ろくに撃つ事すらせずに来たのだから、当然と言えば当然だが、その状況に自ら身を投じたのはシンジである。
 強制ではない。
 少し考えてから、シンジはゆっくりと頷いた。
「了解、マリュー艦長」
 シンジの反応に、マリューは小さく息を吐き出した。
「お願いね…」
 なお勝手に請け合ったシンジだが、無論根拠あっての事ではない。
(執着しているなら大丈夫でしょ。ま、何とかなるなる)
 楽観と無責任が三対七で混ざり合った性格から来た判断だ。
 
 アークエンジェルが砂漠の地を出立したのは、それから一時間後の事であった。
 
 
 
 
  
(第七十八話 了)

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