妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第七十七話:シーマ・ガラハウ之壱:伝授
 
 
 
 
 
 プラント最高評議会の議長に選出され、文字通りザフトの全権とプラントの命運をその双肩に担ぐ事になったパトリックは、会議と任務を放り出して墓参に来ていた。
 かつてユニウスセブンに核が撃ち込まれた時、コロニーとその命運を共にした妻レノア・ザラの墓だ。
 微風に草がそよぐ中、パトリックは墓標を見つめたまま微動だにしなかった。
「人間がたった一人味方になっただけで、こうも目算が狂うとは、な…」
 最愛の妻を殺されたとは言え、現時点でパトリックに地球を滅ぼす意図はなかった。繁殖問題もそうだが、未だプラントは完全な自給自足体制が出来ていない。
 要するに、地球の存在が消滅した場合、プラントもまた困窮するのだ。大西洋連邦、ひいてはブルーコスモスの強硬な姿勢により、正面切ってプラントを支援する国家はないものの、尊大な連邦に反感を抱いて秘かに食料を輸出している国はある。
 食糧供給の道を自ら断つのは愚かというもので、パトリックはまだそこまで盲目にはなっていない。
 と言うより、本来なら今頃はザフトの完全優位を見せつけ、こちらに有利な講話の方向へ持って行ける筈だったのだ。へリオポリスで建造中のMSは、オーブが絡んでいたとはいえ連合の機体で、それの奪取には成功した。
 無論、あの五機以外に建造計画が全くないとは思わないが、現時点で連合の切り札とも言うべきMSはあれ以外存在しないのは間違いない。反撃の切り札を奪われ、しかもその機体で第八艦隊を全滅させられた日には、いやでも士気は大きく低下する。勿論、反比例してザフトの士気が高揚するのは言うまでもない。
 何を考えたのかは知らないが、唯一にして最も厄介なアークエンジェルを懐中にしまい込んだ第八艦隊は、G四機に文字通り手も足も出なかった。ジンも居ることはいたが、やはり主役はGであり、アークエンジェルとその搭載機があの場にいなければ、ジン数機と引き換えに第八艦隊は全滅していたろう。
 唯一残るストライクの脅威は別として、あの四機を押し立てて連合の月基地を窺う事も出来ると、パトリックはそこまで評価していた。
 そう――宇宙域に限って言えば、ザフト側が圧倒的優位に立ってもおかしくない位に。
 が、結果はストライク一機に蹴散らされ、ハマーンの気まぐれがあったとは言え、悠々と地上へ逃げられた。しかも、バルトフェルド隊が文字通り全滅したとの報告まで入ってきている。
 ストライクの運用には当然補給も整備も必要だが、ストライクを積んでいるアークエンジェル自体はさしたる戦果を上げていない。裏返せば、ストライク一機がどれだけ脅威かと言うことの証左であり、それはちょろまかして来たG機を、パトリックが月面投入より地上降下を優先させた事でも明らかだ。
 地球に降りたアークエンジェルはアラスカへ向かうだろうが、放っておけばその分被害が甚大なものになると、それはパトリックのみならず側近の――ストライクの真の姿を知る者達――の共通認識であった。
 だいたい、ただ一機で出てきて仮にもザフトのエースたる赤服が操る同系機を容易く撃破するなど、通常ではあり得ない話なのだ。
「ここにおられましたか」
 背後から聞こえてきた女の声に、パトリックは顔をわずかに動かした。
「エザリアか」
「議長の姿が見えないと、議員達が探し回っていましたよ。会議を無断で放り出されるとは、困った人ね」
 そう言いながらも、エザリア・ジュールの口調に責めるものはない。エザリアが未亡人になる前からの付き合いで、エザリアはレノアとも仲が良かっただけに、行き先は見当がついていたものらしい。
「クルーゼ達の出立用意は調ったのか」
「ええ、数日以内には出発の予定よ。ところで、レノアと何の話を?」
「いや…」
 パトリックは首を振った。
「レノアは微笑っていた…いつもと同じ顔だった。あれが、負の感情で顔を歪めたところを…俺は見た事がない。ただの一度も…」
「……」
 パトリックが自らを俺と呼ぶのも、そして弱い表情(かお)を見せるのも、唯一エザリアの前だけだ。エザリアの方も、パトリックの前では知的な才媛議員ではなく、一人の女性のそれに戻る。
 無論二人の間には肉体関係も恋愛関係もない。パトリックの心には未だに――おそらく永遠に――レノアしかいないし、エザリアの心はイザークで占められている。
 なお、レノアはパトリックの妻だが、イザークはエザリアの夫ではない。
 そう――れっきとした息子である。
「だが、あれが笑っているからと言って、それを許せるわけではない。少なくとも、優れた種を忌むしか出来ぬナチュラルの気まぐれに、我らが怯えて暮らすような状況は改善されねばなるまい」
(パトリック…)
 淡々と言葉を紡ぐパトリックに、エザリアの表情が動く。
 この男は、感情を露わにした時よりも、こういう時の方が怖いとエザリアは長い付き合いで知っていた。
「赤服などとは言っても、所詮は低レベルの集まりに過ぎぬ。異世界人とやらが、たった一人向こうに付いただけでこの有様だ。だがそれは同時に、我らに忘れていた事を思い起こさせてくれた。即ち――数と質の劣勢は火力で補え、と。今のところ、あの戦艦は脅威となるほどの存在にはなっていない。ミネルバは建造したし、当面新戦艦は必要なかろう。それよりも急務はモビルスーツだ。MAやその辺の戦艦ではMSに歯が立たぬ事は分かっていた。だが、今必要なのは一機で一都市を落としうる程の強力なものだ。雑魚はどれだけ集めても雑魚にしかならぬのは、ストライクに蹴散らされたジンが証明している」
「その件なら、既に建造計画に着手しているわ。でも、武装をどれだけ強化しても、MSは一定時間以上動けない。その壁は越えられないわよ。MSが、バッテリー駆動しか使えない理由は知っているでしょう」
「回避すればいい」
 パトリックは事も無げに言った。
「…パトリック?」
「目指すのは最強のMSだ。最強、の名を冠する以上駆動方式もまた、他機とは一線を画さねばなるまい。Nジャマーは、ナチュラル共が作った代物ではないのだ。自前で作ったものなら、我らで解除出来るのが道理というもの。餅は餅屋という。そうだな、アマルフィが良かろう。部分的に――MSを覆う程度で構わんから、Nジャマーの影響を排する仕組みを作らせよ」
「でもユーリはクライン派よ。少なくとも、急進的な思考は持っていないわ」
「エザリア」
 振り向いたパトリックが、やれやれと肩をすくめ、エザリアの両肩に手を置いた。
「ザラ議長がこう言ってるからよろしく――と、それだけなら議会の受付嬢にも出来るのではないかね?」
 分かり切った事を何とかしろ、と言われているのだと気づき、エザリアの顔がかーっと赤くなっていく。
「…了解…しましたわ…ザラ議長…」
 屈辱で顔を染めたエザリアが、言葉を絞り出したのは十数秒も経ってからであった。
 
 
 
「出発前の慌ただしい時に呼び出して悪かったね」
 口調と内容がやや剥離した台詞で、スーツ姿の女がタリアを迎えた。立ち上がった姿はかなりの長身で、180を超えるシンジにもひけはとるまい。
「ミネルバが出航してから、私だけ呼び返されるよりはいいわ」
 タリアの表情に変化はないが、怒ってはいない事を呼び出した方は知っていた。そして、タリアの方もまた、この知己が用事とあれば、本当に出航後でも自分を呼びつけかねない性格である事は知っている。
「それで、何の用なの?」
「面白い物を手に入れたよ」
 タリアに投げて寄越したのは小型のディスクであった。
「何これ?」
「へリオポリス襲撃時の映像さ。公表では一機だけ奪取に失敗、となっているが、それを見ればそんな単純な話じゃないってのがよく分かる。あたしが総司令官なら、全力を挙げて潰しにいくところだ」
「……」
 何も言わず、タリアがデッキにディスクをセットすると映像が流れ出した。映っていたのは、作業員姿のマリューが軽機銃を手にザフト兵を撃ち倒していく姿であり、タリアはそれを冷ややかな視線で眺めていたが、その表情が動いたのは、マリューが背後に回り込んだ兵を回し蹴りで吹っ飛ばすのを見たときであった。
 その双眸が、獲物を見つけた女豹のような物へと変わり、射抜くような視線で画面をじっと見据えている。
「侵入したのは文官じゃないんだがねえ。ま、問題はここからさ」
「?」
 部下を失いながらも、マリュー自身は敵を寄せ付けずに次々と撃ち倒していく。格の違いは明らかなのだが、ふとタリアが振り返った。
「全機の起動キーはこの女が持っていたの?」
「あんたも気づいたかい。いーや、この女は持ってない。この時既に、他の機体は持ち出していたよ。確かに強いし障害にはなっているが、圧倒的というよりはこっちの不手際さ。ザフトの軍事学校は、包囲攻撃もろくに教えないと見える。それとも、巨乳に見とれたかねえ?」
 くっく、と笑う声にタリアの眉が僅かに上がる。確かに、さっきからマリューの胸はたぷたぷと揺れており、突き出た胸はいかにも重たげだ。
「乳がでかけりゃいいってもんじゃな…何よこれ!?」
 どこか負け惜しみにも聞こえる台詞が半ばで途切れた。映像は銃撃戦から一転して、地獄絵図のような光景へと変わっていた。
 ある者は体を縦に裂かれ、また他の者はその首から上を次々と失っていく。文字通り身体のパーツを吹っ飛ばされていく有様は、無論銃撃によるものなどではない。爆発にでも巻き込まれればこうなるかもしれないが、それは状況についていけないマリューの表情と無事が否定している。
「あ…アスラン・ザラ…?」
 一方的な殺戮が不意に止んだ直後、鬼気迫る表情でアスランが一気に肉薄し、タリアの口から小さな声が上がったのだが、それは怪訝なものへと変わった。
 とどめを刺すかに見えた寸前、何故かその動きが止まり、不意に身を翻したのだ。
 そして――あり得ぬ動きを示した廃材が襲いかかり、アスランは昏倒した。
 そこまでで映像は途切れており、そこから画面は砂嵐に覆われた。
 ディスクが排出され、電源の切れた画面を見つめながら、
「最近のCG技術は随分と進歩したもの――と、言いたくなる光景ね」
「指でつまんで引き裂くか、或いは至近距離で手榴弾でも爆発させるか、通常はそうでもしなければあんな死体は出来上がらない。だが後者はあの女の無事が、そして前者は手が見えぬ事がそれを否定する。へリオポリスに潜入したのは、さして能力のない連中だったようだが、結果的にはそれが良かったのかもね。精鋭を投じていたら、ザフト(うち)は大打撃よ。タリア、あんたはどう思う?」
「さっき、ちらっと長髪の男が見えた。到底兵士には不似合いな髪型と格好だったわね。あれは?」
「よく気づいた」
 褒めているのか弄っているのか分からない口調で言うと、
「バルトフェルド隊が文字通り全滅したのは知っているだろう?一応功績と言うべきか、バルトフェルドは開戦前に数名を避難させておいた。それと、あたしの手の者がアルテミスに潜り込んでいたんだが、そいつが帰ってきたよ。二つの情報源から、幾つかの事が分かった。まず一つ、あの地球軍の新型艦アークエンジェルだが、艦長はマリュー・ラミアス。さっき奮戦していた女整備兵だ。どうして整備兵が艦長をやっているのかは分からん。一つ、バルトフェルド隊は敗戦、というよりも全滅した。艦が一発の砲撃を受ける事もなく、その姿を砂漠の下に消したという。そしてあの艦には異世界人と称される奴がいて、そいつは黒髪を腰辺りまで伸ばしているとの事だ」
「ではさっきのあれが…」
「異世界人だろう。そして――おそらくあいつが、あの不可解な殺しをやってのけた奴だ。今もアークエンジェルに同乗しているのは間違いない。異世界人というのは、嘘でもあるまいよ。何を考えたかは知らぬが、艦長のマリュー・ラミアスは、そんな奴を重用してここまでの戦果を挙げてきた。度量もあるし、個人の戦闘能力も高い。あの女艦長と異世界人のコンビは、おそろしく厄介な組み合わせだよ。あたしでも、まともに正面からはぶつかりたくない位だ。タリア、それでもあんたの気は…変わらないかい?」
「強いか弱いかじゃなくてそれが敵かどうか、でしょ?まして、放置すればするほどザフトの被害は増大するのが目に見えているわ。無力ならいざ知らず、あれだけの戦力を持ちながら逃げ回るのは、散っていった仲間に対して顔向けできないわ」
 タリアはくるりと背を向けた。
「でも安心して。議長の意向を無視して、いきなり突っかかったりはしないから。とはいえ、何時までもジブラルタルの防空圏でウロウロしてると――こっちが砂漠に沈めちゃうかもね」
「ああ、それは無理な相談だ」
「?」
「連中の目的地は、あたしの読みが間違ってなければオーブだ。あの辺のザフト掃討じゃない。ジブラルタルから地中海への鎮座と、地球軍基地攻撃の支援が目的のミネルバには、残念ながら手は届かない」
「そう…オーブ、なのね」
(……)
 旧友の呟きを聞いた時、その奥にあるものが手に取るように伝わってきた。
「これを持って行きな」
 放り投げられた小箱は緩い曲線を描き、振り向いたタリアの手に収まった。
「これは…イヤリング?」
 状況には何とも不釣り合いな代物に、タリアが小首を傾げ、それを見た女がにやっと笑った。
「両耳に一つずつ仕込んである。まんこから生やす例の薬だよ」
「あの…裸でいる所を襲う訳じゃないんだけど…」
「私が少し改良した。若干ながら、身体能力もアップするようになっている。生身で闘うには、あの女艦長はちと手強い。それなら、互角位に持って行けるだろう。現時点で連合はそいつを開発していないから、向こうがそれを持っている可能性は皆無さ。後の使い方は、あんたも知っている通りさね」
 タリアの頬がうっすらと赤くなった所を見ると、既にその効果は身を以て体験済みらしかった。
「あたしもいずれ降りる。それまで、あまり無理はしなさんなよ。本分は艦長なんだから、ね」
「ありがと」
 タリアは微笑って片手を挙げた。
「感謝するわ。本当はあなたが副官だったら良かったのに…。じゃあね、シーマ。また会いましょう」
 ザフトが開発し、連合は未だ未開発というのは合っている。
 がしかし。
「このミーア様が教えてあげる」
 と、生やしたそれを使ってご奉仕の仕方と――女の犯し方まで教えている巨乳の歌姫がアークエンジェルにいる事を、無論二人は全く知らない。
「ま、ハメ合いの勝負にならなきゃ大丈夫だろう。体はいくら鍛えられても、乳とまんこまでは鍛えられないからね」
 ふ、と笑ってから、どことなく微妙な表情で宙を見上げた女は、その名をシーマ・ガラハウという。
 
 
 
 
 
「私の顔に何か付いてるかしら?」
「いや別に…」
 首は振ったが、シンジの視線はマリューから離れない。こんな事は初めてだ。
 食堂で二人紅茶を飲んでいるのだが、マリューの雰囲気がどこか妙なのだ。どこが、と言われると困るのだが、通常と違う事は間違いない。
 喜怒哀楽から来るものではなく、内面からうっすらと滲み出てくる淫らさ、とでも言えばいいのかもしれないが、理由と原因がさっぱり分からない。一晩をいくら濃厚に過ごしても、翌朝までそれを引きずる事はなかったし、少なくともこんなに雰囲気を変えるような事は無かった。
 大体、今朝方までは普通だったのだ。
「姉御、淫夢でも見た?」
「え?」
 一瞬怪訝な表情を見せたマリューが、ふふっと笑った。
 熟れた、女の笑みであった。
「ミーアに教えてもらったの。色々と、ね」
「はあ」
「もしかして、あたしの雰囲気ちょっと変わったりしてる?」
「それなりに」
「内面からえっちになっちゃったかしら。ところで淫夢ってなあに?」
「いや…なんでもない。忘れて」
「そう?」
 頬に手を当ててくすっと微笑ったマリューが真顔に戻った。
「ところでシンジ君」
「うん?」
「艦体ペイントの件なんだけど、何をする為のものでどういう効果があるの?良かったら教えてくれないかしら?」
 教えなさい、とは言わなかった。
 この世界の常識で考えれば許可される事ではないし、そもそも戦艦に無意味な絵柄を描くなど通常ではあり得ない。
 だが、この艦がへリオポリスからここまで、およそ常識とは縁遠い軌跡を描いて来た事を、そしてそれが何をもたらして来たかはマリューが一番よく知っている。
「そうね…平たく言うと攻撃型結界。私の世界でも、ほぼその使用を禁止されている代物。多大な成果を生み出すには数多の因子(ファクター)が絡む。でも一番重要なのは術者の魔力と描く道具の鍛錬度」
「使用禁止、だけ分かったんだけど…」
 うむ、とシンジは何故か笑った。
「で?」
「その、術者とかって、この場合はシンジ君でしょ?使用禁止される程のものって言ったけど、もしかしてその術者とかに危険な影響があるとかじゃないの?」
「心配してくれたの?それはないから大丈夫。禁止されてるのは、想定されるのが、そういう軽微な被害じゃ済まないから」
 ぷに、と指先でマリューの頬を軽くつつき、
「シミュレートによると、最大10キロ圏内までの積極的防衛が可能になる。防空圏みたいなものかな。但し、レーダーなんかより遙かに強力で有形無形を問わず、敵意を持ったものが侵入した場合、物理攻撃或いは霊的攻撃でこれを殲滅する。例えば、姉御のマンションから半径10キロ以内に、姉御の部屋を狙った下着ドロとかが足を踏み入れた場合、一分と掛からず殺されるって事。大体分かった?」
「だ、だいたいはね…」
「結界を施すこと自体は別に問題はないが、通常許可されるのは自分の家屋敷の敷地内とか、それ位に限られる。でもこのタイプは術者次第でいくらでも強力になるし、ひとつ間違えなくてもえらい事になるから」
「ど、どうなるの?」
「例えば、お互いに憎み合ってる女同士が3キロ位隔てた所に住んでいて、両方がこの術を使える場合、先に使った方が相手を殺せる。もしも同時、或いは一方が専守防衛型の結界を張り巡らせていた場合――」
 ごく、とマリューの喉が鳴る。シンジの言わんとするところが、魔術を全く知らぬマリューにも何となく予想できたのだ。
「最悪、両者に挟まれた民家が次々に炎上して大爆発を起こし、人間は文字通り消滅する可能性がある。小型の戦術核にも近い被害が想定される上、しかも、霊的能力を持つ者でなければ原因はさっぱり分からないから、ある意味核よりもタチが悪い。厄介な代物だよ」
「つまり、結界にも色々種類があるって言うこと…あれ?」
 防空圏、と言われればマリューもぼんやりとながら理解できる。が、シンジは頷く事無く、むしろ怪訝な顔でマリューを眺めていた。
 変なことを言っちゃったかな、と心配になったマリューの頭に、シンジの手がにゅうと伸びてきた。
「シ、シンジく…あう」
 頭をよしよしと撫でられ、
「そゆ事。よく出来ました」
「も、もーっ、変な事言ったかと心配しちゃったじゃないの!」
 怒ってはいても、その顔はふにゃっと緩んでいる。
「うん。で、今回アークエンジェルの船体に落書きしたのは、超攻撃型の結界。しかもこの先の大海原なんて精(ジン)が無尽にあるから、もしどこぞの連合が援軍に来ても、この艦に悪意とか持ってたら逆巻く波に飲み込まれてドボン――」
「え!?」
「と、言うことまでは多分ないけどね。この世界の精は、前にいた世界とは少し構成が違うみたいだから」
 シンジの言葉に、マリューは胸に手を当てて大きく息を吐き出した。
 一つ分かったことがある。
 相当物騒な代物らしい、と言うことだ。
 ほっと安堵しているマリューを眺めながら、シンジは胸中で別な事を考えていた。
(ま、正確に言えば不確定要素が多すぎて、どこまで使えるかさっぱり分からないんだけどね)
 結界を描いた者も素人な上に道具はなんの霊力も込められておらず、おまけにシンジからしてこの世界の成分構成が出来ていないと来た。さすがにこれでは、魔道省所属の者達を使って仕上げたそれと同等の効果など望むべくもない。
 とはいえ、シンジはさして悲観してはいなかった。指揮を執りながら、描き上げられていくそれから負のイメージが漂ってこなかったのだ。
 こう言うとき、大抵シンジの勘は当たる。
 ただし、そこに僅かな違和感を感じ取った事もまた事実であった。ただし、微かなものだったので、それと知りつつ流したのだが、シンジは間もなく知ることになる。
 即ち自分の勘は――それが良きにつけ悪しきにつけ当たる、と言うことを。
「ところでアークエンジェルの出航は?」
「明日の予定よ。今晩送迎会するから来るようにって、サイーブさんから連絡があったの」
「明日の夕方がいいんじゃないの?」
「夕方?どして?」
「姉御が二日酔いでダウンしたまま出航…イテ!」
 ぎにゅー!
 言い終わらぬ内に、シンジの頬が左右に思い切り引っ張られ、
「で、なあんですってぇ?」
 ずい、と顔を近づけたマリューが低い声で訊いた。
「す、すみません私がわるうございました」
「ふん!」
 解放された頬をすりすりとさすっていたシンジが、
「ところでマリュー」
 思い出したように呼んだ。
「え…?」
(な、なんで急に名前で…)
「この艦動かせる?」
「それって、このアークエンジェルを?」
「そ。流されないように停泊してる位でいい」
「ま、まあそれ位なら機械制御で何とか出来ると思うけど」
「ではそのように」
「ええ…え?」
 ぽん、と肩が一つ叩かれ、振り向いた時にはもう、そこにシンジの姿はなかった。
 
 
 
「まったく、送迎会などと言ってもただの宴会ではないか。大体、どうして我々が出席しなくてはならないのだ」
 艦内を歩きながら、ぶつくさぼやいているのはナタルである。アークエンジェルご一行の送迎会にそのクルーが、しかも副長たる身分ですっぽかしては話にならないが、ザフトの殲滅にアークエンジェルは無論のこと、ストライクもガイアも全くと言っていい程関与していない為、気乗りしないことこの上ない。
 但し、MSの大軍と最新鋭戦艦を相手ならいざ知らず、戦闘機に、それも散発で撃っただけの戦闘機に精鋭を壊滅させられたとあっては、ザフトの面目など丸つぶれも良いところではあるが、単に艦橋から観戦する以外役目の無かったクルーにしても――シンジを買っていないナタルなら特に――勝利の感触が薄いのは仕方のない所ではある。
 と、ナタルの後ろから、
「そこのバジルール」
 聞こえた声にナタルの足が止まった。
 その眉は微妙に寄っている。
 艦内で、ナタルをこんな風に呼ぶのはただ一人をおいて他にいない。
「…何か」
「最近、姉御とは上手く行っているのか?」
 訊いたのは無論シンジであり、ナタルの眉間のしわは更に深くなった。
「…あなたには関係のないことだと思いますが」
「ふむ」
 突き放すように言ってから思わず身構えたのだが、シンジは怒ったふうでもなく、
「それもそうだ。じゃ、邪魔をした」
 さっさと身を翻してしまった。
「あ…待って」
 思わずシンジに追いついてその袖を掴んでから、びっくりしたように自分の手を見た。どうやら、自分でもよく分からない行動だったらしい。
「何?」
「そ、その…な、何か艦長から話が…?」
「無い。そんな事を俺に言う姉御じゃない。単に好奇心で訊いただけ。が、その反応からすると、少々微妙な所もあるように見えるが」
「す、少し…」
(九割方はあなたのせいだが)
 シンジの顔を見ないようにして内心で呟きながら、ナタルは無表情を崩さぬよう、意識を集中させた。
 以前と違って険悪ではないし、会話していてお互いが不愉快になる事もない。ただ、ナタルはマリューの心の微妙な動きを感じ取っていた。ナタルを遠ざける、と言うよりも――その心がシンジで占められている、と言った方が正しいだろう。
 元々シンジに向いていたのが少しこちらに向いたが、まだシンジに戻ったというところだ。しかも、その元凶から上手く行っているのか、などと言われた日には、ナタル・バジルールの名が埃をかぶるというものだが、残念ながら何やら案を持っていそうなのも、この異世界人だけなのだ。
「んじゃ、抱いてもらってもいないな」
 ストレート且つデリカシーの片鱗もない言葉に、ナタルの顔が首筋まで一瞬にして赤く染まった。
「な、な、何をっ!?」
「対案に決まっているだろうが」
「…え?」
「上手く行っていない、とな?それはそれはご愁傷様、と笑うほど面白い性格はしていない。と、その前にやってもらいたい事がある」
「私に?」
「そうだ。まあ、抜かりのないこととは思うが、記録の捏造は忘れるな。功績は全て、キラ・ヤマトのストライクに帰するように」
「あの…何の話を」
「私とヤマトとステラはオーブで降りる。それとガイアも。アラスカへ着いてから、異世界人が妙な力でザフトを倒してきました、と報告するつもりか?まだ、コーディネーターの娘の力の方が良かろう。もっとも、バカ以外を探すのが難しそうなナチュラルの頭では、コーディネーターの力より、異世界人などと言う世迷い言の方が受け入れやすいかもしれないがな…って、もしかして忘れていた?」
 ナタルの表情の変化が、バカの集団と言われた事ではないとシンジは気づいた。
 こく、と頷いたナタルに、
「報告ってのは何時でも正直にすればいい、というものではない。特に、相手がバカの場合にはそれなりに考えてやらないと相手が理解できない。どうせ、何故コーディネーターなんかを使ったか、とか言ってくるだろうが」
「あの…その場合には何と?」
「ガンダムを操れるコーディネーターの民間人の方はいらっしゃいますか〜」
「!?」
「そう言って募集した訳ではないのだ馬鹿め、と言ってやるがいい。奪取された機体を含め、元々パイロットは決まっていたと聞く。その連中が来ていれば、ヤマトが乗る必要は無かった。それに、アークエンジェルはまだしも、ストライクを始めとしたMSは、ナチュラル共の反撃の旗頭として、その全てを奪われるのは決して看過できない状況でもあり、考え得る限りの最善な方法で反撃に出るのは当然のこと。汎用機ではないのだから。もっとも、キラを用いた事を責めてくるようなボンクラ共なら、正論と事実をぶつけても逆ギレを起こすだけだろうとは思うが」
「……」
 シンジに言われるまで、正直考えてもいなかったのだが、アラスカへストライクとアークエンジェルを運んでいき、その功績がコーディネーターに寄るものと言った場合、軍の高官達がそれをあっさり許容するとはナタルにも思えなかった。
 だがナタルにも現状は分かっており、ナチュラルの能力ではフルに生かせないストライク、或いは全くこちらの戦力を消費することなく敵を滅ぼしてのける異世界人のシンジ、これらを心情に基づいて外すというのは自滅以外の何ものでもない。
「まあ、一応護衛は付けるが、言論に於いては使い物にならない。さっきも言ったが、私もヤマトもアラスカには行かないのだから、ちゃんとバジルールが姉御を守ってあげるように。それが想い人の役目というものだ。いい?」
「わ、分かっています。マリュ…いえ艦長になど指一本触れさせるものではありません!」
「結構。じゃ、ちょっと耳貸せ」
「耳?」
 怪訝な顔をしながらも、ナタルが顔を寄せていくと、シンジはその耳元で何やら囁いた。
 ごにょごにょ…こしょこしょ。
 少し顔を傾けて悪知恵を伝授されていたナタルだが、やがて上がったその顔は――うっすらと赤くなっていた。
「が、頑張るであります」
「期待している」
 きびすを返して去っていくシンジの後ろ姿を、ナタルがビシッと敬礼して見送る。ナタルが自発的にこれをするのは、二人が会ってから初めてのことである。
 
 
 
 
 
(第七十七話 了)

TOP><NEXT