妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第七十三話:ミーア・キャンベルのこころ
 
 
 
 
 ここに一人の男がいる。
 その名を、ムルタ・アズラエルと言う。
 コーディネーターの排除こそ地球の為ならんと、それを排除する事に情熱を燃やし、文字通り手段を問わない政治団体「ブルーコスモス」の盟主であり、また軍事産業連合「ロゴス」の理事でもあり、大西洋連邦への発言力は上層部も決して無視できないものがある。
 親の七光りでやっていられる立場ではなく、決して凡才ではないのだが、常に自分をさらけ出す事のない皮肉屋で、また自分の思う通りにならないと感情的になる一面も持っており――実質友人はいない。
 その立場故に一切の交友関係を消去した、という事ではなく単に本人の資質の問題である。
 そのアズラエルは、今月面基地にいた。
「勝手に地球に下ろしてくれちゃって…まあ、元からあの人の発案ですし、数も五機が一機になったことだし、今となってはどうでもいいのですが」
 秘書を遠ざけ、監視カメラも盗聴マイクも作動していない事を確認してから、アズラエルは分厚い書類を取り出して読み始めた。
 以前、オーブの皇女であるカガリは、オーブが連合に与してMSを開発した事を知り、赫怒してへリオポリスまでやって来た。
 だがカガリは、それに父ウズミが直接関与していなかった事を知らない。連合、ザフトの何れとも組まず中立を貫く、それがウズミの思想であり、そもそもオーブはストライクよりも前にガイアを手に入れていたのだ。
 がしかし。
 ガイアのフェイズシフト装甲は、実はストライクに比べればかなり劣っている。正確に言えば、防御の核となる装甲について、連合側から情報を得る事が出来なかったのだ。連合と手を組んでMSの開発に手を貸したのは、実際にはウズミではなく五大氏族の中のある兄妹だが、ガイアの装甲を確立させるべく――ひいては自国で独自開発したMSにその装甲を施すべく、ウズミも半ば黙認していたというのが事実だ。
 そのこと自体は間違っていない。少なくとも、徒手空拳で平和を語る夢想家よりはよほどましであり、そういう連中に限って自分に対する防衛は最大限に施していたるするものだ。
 問題は、組んだ相手がMS構想を発案したハルバートン准将その人だった事だ。ハルバートン本人は連邦軍の名将だが、ブルーコスモスではない。そして、現在大西洋連邦にはブルーコスモスの影響が色濃く出ている。
 是非はともかくとして、大組織の中の異端児と手を結んだようなものだ。
 地球側としてもMSを開発しなければ、現在の戦況を維持できない――どころか、膠着状態からザフトに押され出す可能性すらある。その事は、圧倒的な数の優位を頼みに開戦した地球側が勝利を収められないどころか押され気味で、しかも先だっては4機のMSに第八艦隊が壊滅に追い込まれた事で、完全に実証されてしまった。
 元より、ザフトが開発したところのジンを始めバクゥなどのMSは、数で勝る地球軍を大いに苦しめており、それに対抗できるMSの開発は必須であった。が、困ったことにその発案者がハルバートンで、オーブ側が与したのはそのままハルバートンサイドであった。
「MSの開発にせっせと手を貸しておきながら、自分達は中立を貫くのだ、ですか」
 アズラエルは冷ややかに笑った。
「装甲データが無いから、協力を申し出て何とかデータを得ようとしただけでしょうに。見え見えなのですよ、アスハ代表。ま、もうオーブの用は済みましたからね」
 同じ手を組むのなら、まだ多数派にしておけば良かったのだが、元々煙たがられている『ハルバートンチーム』だった為、連合からも足下を見透かされた上に、プラントからも仲介を申し出ておきながら結局連合派なのかと、その掲げる信念に疑いを持たれる羽目になった。
 オーブが、ザフトや連合のいずれとも互角に渡り合える戦力を持っているとしても、両方を敵に回すのは得策ではない。まして、オーブの現在の戦力を考えれば、双方まとめて疑念や不信感を受けるのは最悪の事態である。
 が、中立を理念とするオーブの国主として、ウズミが自らコロニー供与を持ちかけるような指示は出来ず、また自らも黙認していた事で結果的にへリオポリスの崩壊を招いてしまった。
 それらすべてを含めて、ウズミは代表の地位を降りる事にしたのだが、無論単なる引責辞任ではない。一歩引くことで、逆によく見えてくることもある。実際には、行動力を上げるための異動のようなもので、事実MSに関する開発やシュラク隊の受け入れは、ウズミの一存で決定された。
 その意味では却って良かったとも言える。が、連合やザフトには関係ない。
「ジブリールに先行して開発させているあれは…ふむ、向こうの方が完成は早いですか。ま、拙速とも言いますが」
 にやあ、と妙な笑みを浮かべたアズラエルが、ふとあるページに目を留めた。
「カテジナ・ルース?ほう…これはこれは。なかなか期待が出来そうですね。あとは、あのストライクとアークエンジェルが沈んでくれれば上々というもの」
 ハルバートンに頼まれ、ストライクを何としてもアラスカまで持っていくと決めているマリューと、オーブまではアークエンジェルごと護衛すると引き受けたシンジがいる。
 シンジは気にもするまい。
 だが、ハルバートンが文字通り命に代えて地上に降ろしたアークエンジェルとストライクが、既に用済みになっている事を知ったらマリューは何と言ったろうか。
「確かに、宇宙では妙に強かった。でも、あの程度を沈められないなんて、案外ザフトもだらしないんですねえ」
 口元を歪めて呟いたアズラエルが、手元の受話器を取り上げた。
「…ああ、僕ですよ。ええ、例の件はどうなりました?ほら、砂漠に降りた大天使が大ピンチになってる件ですよ。もう全滅の報告が…え…なんですって?」
 アズラエルの表情があっという間に歪んでいき、その顔が激情に彩られたのはそれから数分も経たぬ内であった。
 そして、室内からは明らかに破壊音と思しき音が聞こえてくる。
「あーあ、これだから馬鹿ボンは嫌なんだ」
 怒鳴り声と破壊音を聞きながら、廊下で待機していた黒服が呟いた。
「馬鹿ボン?」
 怪訝な顔で訊ねた同僚に、
「馬鹿がボンボンの服を着てるやつ、略して馬鹿ボンだ」
「ああ…激しく納得した」
 
 
 
 
 
「釈放だ、さっさと出ろ」
 独房に放り込まれていたサイとフレイだが、この日の午後に釈放された。キラ達との買い物をさっさと済ませ、戻ってきたシンジがレコアと一緒に訪れてまずサイを出した。
「碇さん…」
「あ?」
「あの、まだ期限は…」
「日数計算も出来ない程落ちぶれていない。そんな事は分かってる。ヤマトが出してくれと言ったのだ」
「え…キラが?」
「自分がサイをもっと冷たくあしらっていれば、フレイもあそこまで暴走しなかったかもしれない。だから自分にも少し責任があるから…と、お人好しにも程がある」
(キラ…)
 ちょっと微妙な台詞だが、キラが自分を気に掛けてくれているのは分かる。ぐっと唇を噛んだサイに、
「あとはお前が行ってこい」
「え?」
「奴を釈放して、それから鎖をつけてきっちり繋いでおくんだ。二度と放し飼いになどするなよ。次は――私が狩るぞ」
 シンジの双眸が一瞬だけサイを捉えた。
「わ、分かりました…」
「さ、行くがいい。これが鍵だ。それと、言うまでもないが最終決定は艦長だ。特に俺は十年位出さない事を望んだが、艦長が釈放を決定された。お礼を言っておくように」
「は、はいっ」
 走っていくサイの後ろ姿を眺めるシンジの横で、
「嘘つきを発見したわ」
 弄うような声がした。
 シンジの顔は動かない。
「言い出しは確かにキラ・ヤマト。でも艦長の耳朶に甘く歯を立てて囁いて、十秒で交渉したのは誰だったかしら」
「そんな事を言う為についてきたの?」
「勿論よ」
 レコアは、当然のように胸を張ったが、これがレコア以外ならウェルダンに仕上げているところだ。
 それから五分後、二人は食堂にいた。室内は二人きりで、二人の前にはココアの入ったカップが置いてあり、ふわふわと湯気が出ている。
「さっきの話の続きだけど、どうして君が顔を突っ込んだの?キラが言ったから即受け入れた、と言うわけでもないでしょう」
「そうね」
 シンジは短く頷き、カップを持ち上げて一口飲んだ。ほんの少し苦さを残したミルクココアが、食道を勢いよく滑り落ちていき、身体中がじわっと暖まってくる。
「アルスターはいてもいなくても同じ、と言うよりもいない方が艦内の平和の為だが、あれを抹殺できるのは目下私しかいない。ステラがやると、色々と問題が出てくる。が、ヤマトはあの性格だし、災いの種を取り除いておくという発想がいまひとつ足りない。まあ、どうせ出すならとっとと出して、キラのおかげだと恩を着せる方が得策」
 と、何を思ったのかふとシンジがレコアの頬をつついた。
「…何するのよ」
 ふふん、と笑って、
「フレイ・アルスターはそんな殊勝な性格じゃない、と思ったろ?」
「当然でしょう。それ位、想定の範囲内よ」
「恩知らず、と言う気はない。その場合は単に命知らずだ。ヤマトのおかげで早期に出られながら、なおも怨念を棄てないならステラが黙って見物している理由は無くなる。ただ…」
「ただ?」
「敵であるコーディネーターでなおかつ許嫁の心を奪った女、とヤマトはそう映っているのだろう。アルテミスでも、自分が助かるならとあっさりヤマトを差し出した。利に聡く、感謝は欠如しているタイプだ。あのままいけば、放っておいてもいずれ誰かに殺されたり犯されたりしかねない。自らが招いた事とはいえ…つくづく哀れな少女だよ」
「……」
 レコアの目から見れば、フレイのは単に振られた女の逆恨みである。シンジは今ひとつ自覚していないが、キラはシンジ一筋でサイなどまったく眼中にない。サイの横恋慕であり、太陽が西から昇らない限りキラに非を求めるのは無理な話だ。しかも、どう見てもフレイのいない方が、子供達の雰囲気は良好なのだ。
(これでさっさと出した方が良い、なんて言われてもねえ)
「なんか言った?」
「ううん、何でもないわ。ところでシンジ君」
「はい?」
「例の悪徳商人の件、あれ穏便に済ませろとか言ったんですって?」
 レコアに訊かれ、カップを眺めていたシンジが顔をあげた。アークエンジェルチームが圧勝した事で、この近隣の街からザフトの姿はかき消えた。正確には、バルトフェルドが数名を避難させていたのだが、戦況が明らかになるまではさほど遠くない場所に留まっていたのだ。とまれ、ザフト軍が消えた事で立場が入れ替わった者達も少なくなく、アル・ジャイリーも無論その中に含まれていた。
 特に、水源をおさえた上にザフトに取り入って財を成していた為、殺気すら向けられたのだが、
「手荒なまねはするな」
 と、何故かこれまたシンジが介入したのである。
「もうお耳に?」
「勿論入ってるわよ。つーか、街に出たクルー達が良い物を安く買えたって、嬉々として戻ってきたもの。なんでそんな事に口出したの?」
 シンジは直接答えず、
「サイーブ達はまだやる気だ」
 とだけ、短く告げた。
「え?」
(どういう事?殺る気って…あの禿商人をよね?え…?)
「レコアには…まだ少し早い」
 シンジの言葉を読み切れない心中を見切ったかのように、シンジが静かな声で言った。
「はいはい降参、降参するわよ。で、やる気がどうしたっていうのよ」
「確かにあの親父は水源をおさえ、ザフトの威光をかさに着ていた部分はあったろうが、馬鹿では成功することができない。少なくとも、それなりの能力は持っていたと言うこと。今回の一件でサイーブ達が丸くなり、隷属とまではいかないまでも、多少なりとも連合やザフトとパイプを持っておこうと考えたなら、悪徳商人の一人や二人」
 そこまで言ってからレコアを見て、
「理解した?」
 と訊いた。
「…理解した」
 レコアがきれいな眉根をほんの少し寄せて頷いたのは、五秒後の事であった。
「つまり、戦力が足りないって言うことでしょ」
「五十点」
「え?それだけじゃなくて?」
「悪徳商人とはいえ、加担乃至はそこから利益を得ていた者は必ず他にいる。ジャイリーが斬られれば、次は自分かと生きた心地もしない筈。自業自得と言えばそれまでだが、そんな所へザフトか連合がやって来たらつけ込まれて、内部崩壊を起こす可能性がある。水に流しておけば、あの禿頭もまた感謝の一つもしようというもの。火種に水を掛けて消すよりは、強力な冷気で瞬間凍結させた方がすんなりいく」
「ふうん…」
「レコアは反対?」
「いいんだけどね」
 何故かレコアはくすっと笑った。
「ぷすぷす」
「え?」
「水を掛けたあとに煙が出る事を別にすれば、やってる事は同じじゃない?冷気で凍結、というよりは土に埋める、と言った方が合ってる気がするわよ」
「ボキャブラリーが貧困なんだ」
「そうみたいね…ひたた」
 すんなりと肯定したレコアの頬を、シンジがつまんで左右にむにーっと引っ張った。
「肯定するな!って…おや?」
「……」
 頬を引っ張る手をおさえようとも外そうともせず、レコアがじっとシンジを見ていたのだ。
「もしもし?」
「私の顔に触れて無傷で済んだ男は、君が初めてよ」
「あの…俺以外は?」
「全治3ヶ月」
「それはそれは…レコアって男嫌いなの?」
「君は好きよ」
 その瞬間、シンジは激しく咳き込んだ。こんな反応は、まったく予想していなかったのだ。
 むせ返るシンジを楽しそうに見ながら、
「びっくりした?」
「…しない。誰が何と言ってもしない」
「それは残念」
「……」
「君を好きなのはほんとうよ。それとも、女が男を好きという感情には、恋愛感情以外存在しないと思ってるタイプ?」
「…直球はもう少し曲げて投げるもんだ」
「それ、なんてカーブ?」
「気のせい。で、俺のどこがいいの?」
「私を満足させてくれるところ」
 今度はシンジも反応しなかった。
(そんな餌でこの俺様を二度も釣ろうなんて十年早い)
 内心で呟いてから、ゆっくりとカップを空にする。
「レコアは、心理的接触の方が楽しいタイプ?」
「そうね。たまには、マリュー艦長がされてるような甘いキスもいいと思うけど」
 その瞬間、雨蛙の潰れたような声がした。シンジが、自分の膝をおもいきりつねったのである。
 レコアのではなく、自分の膝を、だ。
「レコアに…レコアに頼みがある…」
 辛うじて発声を制御したシンジが、やっと声を絞り出したのは、一分近くが経過してからであった。
「何かしら」
「おねがい、もう苛めないで」
「はいはい」
 笑みを浮かべて頷いてから、
「言ってみただけだったんだけど――本当にしていたのね。どちらが受けなのかしら…って、訊くまでもないわね」
 
 碇シンジ、轟沈。
 
 完全に突っ伏したシンジを、満足げに眺めて立ち上がったレコアが、その肩を一つ叩いた。
「シンジとマリュー艦長の付き合いは、私にもよく理解できない所があるけれど、その事で口を出す気はないし、マリュー艦長は、二人でいる時の事を口外するような事はしないわ。特に――君が相手の場合には絶対に、ね。来栖川綾香はあたしがおさえておくから、君は防衛に専念して。オーブまで無傷で行けるかはシンジに掛かってるんだから。頼んだわよ」
 力なく上がった手がひらひらと振られるのを見て、レコアは部屋を後にした。
「も、もう…だめ…ぽ…」
 ついさっき棺に入ったばかりの死人のような声で呟いてから、その顔がにゅっと上がった。
「ちょって待て。今、シンジって言わなかった?」
 気のせいかとも思ったが、やはり二度繰り返しているから空耳ではない。
「評価が…変わった?」
 力のない視線で宙を見上げていたが、十秒も経たない内に突っ伏した。
 レコアに受けたダメージは相当なものだったらしい。
 それから数時間後、漸く精神的大打撃の癒えたシンジは、自室のベッドでごろごろしていた。ダメージはほぼ癒えたのだが、気力が回復しなかったので夕食後はさっさと部屋に引っ込んでいたのだ。
 キラとステラは、シンジに買ってもらったものにご機嫌だが、多分今日は来ないだろう。こんな晩は、一人月光に照らされながら眠り、精神的重傷を癒すに限る。
「さ、寝よ」
 呟いてブランケットに潜り込んだ直後、扉がノックされた。
「…来た」
 とは言ったものの、キラやステラではなく、マリューとも違う気がした。
 自分でも何故かは分からなかった。
 むくっと起きあがり、扉に向かう。
「どこの誰」
「プラントのミーア・キャンベルと申します」
(そうか、その手があった)
 ミーアという選択肢は、シンジの中では一番想定の範囲外であった。想定の範囲を超えるとは出来る女だ、と内心で呟いてから、
「何の用?」
「泊まりに来てあげましたわ」
 無論出張サービスなど頼んでいないが、シンジは黙って扉を開け――そのまま硬直した。ミーアは、何故か全身をコートで覆い、小さなバッグを持っていたのだ。
 どう見ても、デリバリーヘルスでやって来たデリヘル嬢そのものである。
「…入って」
「はい」
 にこっと笑ったミーアが、とことこと入ってくる間もシンジの視線はコートに釘付けになっていた。確かに夜の砂漠は冷えるが、艦内はそうでもない。そもそも、艦内を異動するのにどうしてコートなのか。
(パジャマか?)
 ふと気付いた次の瞬間、シンジの目が点になる。ミーアがはらりとコートを脱ぎ落とし――黒のきわどいベビードールに包まれた肢体が出てきた。
 確かに胸元から股間まで覆われてはいる。
 が、ハーフカップとも呼べぬサイズのブラは、乳輪も乳首も隠しておらず、ふわふわしたボアが代わりに覆っている。一見するとキャミソールだが、シースルーで素肌を妖しく浮かび上がらせる格好で街を歩けば、その筋の場所でない限りあっという間にご用となるのは間違いない。
「もう…見ちゃいやですわ」
 どこか淫らな口調で囁きながらミーアが股間をおさえる。ショーツの方は、完全にシースルーではない。
 一部が――フロント部分のちょうど中央だけが透けているのだ。なお、ミーアが隠しているのは、髪と同じ色の淫毛が自己主張している場所ではなくその横だ。
 わざと外しているのは言うまでもない。
「なんかちょっと見えちゃってるのは気のせい?」
「もう、碇さんてばえっちです…わ!?」
 ミーアを抱き上げたシンジが、空中でひょいと体勢を入れ替えたのだ。ベビードールの裾がミーアの顔を覆い、黒いショーツに包まれた股間がシンジの眼前に来る。
 足を持ったまま器用に身体を回転させ、ミーアの尻を眺めたシンジがふうっと息を吹きかけた途端、ミーアの身体がぴくっと揺れた。かーっと赤くなったのが手に取るように伝わってくる。
「姫、Tバックがお尻に食い込んでますが」
「!?」
 ミーアの白い尻がぷるぷると震えるのを確認してから、ゆっくりと下ろす。見ると、顔だけではなく、首筋までも赤くなっている。
「も、もう…い、碇様の意地悪っ」
 真っ赤な顔のミーアが、上目でシンジを可愛く睨んでくるが、その手がさっきとは違って股間をおさえ、決してずらそうとしないのにシンジは気付いた。
「ミーア」
「な、なんですの」
「その手を掴んで上に持ち上げて、隠しているところをじっと見たら怒る?」
「…い、一生恨む」
「そこまで延々恨まんでも。でもミーアがそこまで言うなら止めとく」
「碇さん…」
 やっとミーアの表情が元に戻った。ある意味、裸以上に淫らな格好でやって来たミーアだが、濡れている所を眺められるのは恥ずかしいらしい。今度は本気で股間をおさえている理由など、シンジはすぐに見抜いていたのだ。
「ところで、ベビードールを見せつけて股間を濡らす為に来たわ…痛!」
 ぎにゅっ。
 シンジの膝をおもいきり抓ったミーアが、
「やっぱり碇さんの意地悪っ、だいっ嫌い」
「で、ミーアは何をしに来た?」
「……」
 抗議もさらっと受け流されて恨めしげにシンジを睨んだが、これがシンジの特性だと思い出し、
「碇さん…キスして下さいませんか?」
 そう言うと、うっすらと開いた唇を控えめに突き出した。数秒前、大嫌いと宣言した事はどこかに飛んだらしい。親鳥の餌を待つひな鳥みたいな唇には、うっすらとグロスが塗ってある。
 シビウとかフェンリルとか、その肌に触れる化粧品の方から、恥じて姿を消すような女が側にいる事もあり、何重にも左官作業の施された顔面をシンジは好まない。ミーアのそれが、シンジの好みを知った上でのものかは分からなかったが、シンジは艶を帯びた唇をじっと見ていた。
 但し、何故かその表情に焦らして愉しむ色は無い。
「ミーア」
 シンジが呼んだのは、十秒近く経ってからであった。
「は、はい…」
「私にキスを、と言うのは大切な話?」
 目を閉じたまま、ミーアが小さく頷く。
 予想通りの反応にシンジは満足した。
 顔を近づけていき、照明の下で二人の影が一つに重なる。数秒で影は離れ――ミーアは指先でそっと目元を拭った。
「碇…さん…」
「ん?」
「どうして…キスしてくれたの?私が…私がこのミーアだから?」
「違う」
 シンジは即座に、そしてあっさりと否定した。
「どんな女がどれだけ着飾り、どれだけ整形しても決して及ばぬ美貌と肢体の持ち主が知り合いにいる」
 愛人志願だ、とは言わなかった。
「天賦の才を持つ職人の手による細工も、素質という壁を越える事は出来ない。それを知ってから、細工による成果にはあまり興味が無くなってきた。私がミーアを気に入っているのは、そのラクス・クラインもどきの顔ではない。邪悪を含んだ性質、それも天然物だ。ミーアは、少し似ているのだ」
「碇さんの…彼女に?」
「家庭教師に――悪の、だが。その資質はともかく、生き方はかなり羨ましい人だ。悪(あく)の娘は結構好き。俺がミーアに見ているのは、その容姿ではないよ。だいたい、ラクス・クラインになど食指は全く動かない」
「……」
 それを聞いて何を思ったのか、ミーアはきゅっと唇を噛んだ。ただそれは、怒りや哀しみのそれではなく――何かを決意しているように見えた。
 そして――。
 ミーアの手がゆっくりと動き、バッグから一葉の写真を取り出した。
「決心して来たはずなのに…ごめんなさい」
「待った」
「え?」
「何が写っているのか、およその見当はついている。そしてそれを、私にあえて見せる必要はない事も。そんなに決心が必要な程のものを、無理に見ようとは思わない」
「分かってます」
 ミーアは、にこっと微笑った。
「そういう人だから、キラもマリュー艦長も惹かれるのですわ。でも、これは私が決めた事なの。これを知っているのは、今はエザリア様一人だけ。だけど…碇さんには見てもらいたいって…」
「…え?」
「な、なに?」
「エザリアって、プラントのエザリア・ジュールとかいう女(ひと)か?」
「はい?」
 それがどうかしたのかと小首を傾げたミーアに、
「それ以外に誰も知らないって…つまり?」
「ああ、その事ね。万が一後からつまらない脅迫でもされたら困ると、エザリア様がばっさり」
「ばっさり?」
 ええ、ばっさりですわ、と笑ったミーアの全身には邪悪な気が復活している。
「なかなか斬れる人らしい。悪(あく)か悪(ワル)かは知らないが。それともう一つ」
「はい…ひぁ!?」
 不意にミーアが素っ頓狂な声をあげた。逆さに吊されて、殆ど露わになった乳房をシンジがむにゅっと揉んだのだ。
 それも感触を愉しむように揉みしだいてから、
「これは本物?」
 と来た。
「や、やっぱり碇さんはえっちで変…!」
 ミーアの顔に怒気が充ちたが、すうっと消えていく。
「これはあの…本物よ。こっちは整形していないから。触った感じも、その…本物でしょ?」
「偽乳を触った経験が無いか…イテテ!」
「じゃあ、どうして触ったの!えっち、変態!」
 ミーアにぽかぽかと叩かれ、
「それはほら…あれだ、ミーアが自白したら初体験になるし」
「初体験〜?」
「これが偽乳の感触だと、一つ覚えられる…ちょ、ちょっと待てー!」
「絶対今考えた、この嘘つき!」
 今度はミーアにのし掛かられ、所かまわずぽかすかと叩かれた。一頻り打擲を加えてから、荒い息を吐きながらミーアが身体を離す。
「もう…頼りになるのか変態なのか分からないんだから…」
 ぼやきながらも、取り出した写真をシンジに渡す。
 シンジは写真を受け取り、黙って眺めていた。
 予想通り、そこに写っていたのはシンジの全く知らない娘であり、無論目の前のミーアとも完全に違う別人だ。ミーアはどこか切なげな表情で、きゅっと手を握りしめ、シンジを見つめている。
 ミーアが整形している、というのは分かっていたが、無論シンジは元の顔など知らない。ただ、ミーアの胸中は分からぬまでも、シンジに自分の真の姿を見せようとしている事は何となく読めていた。
 やがてシンジの口から出た第一声は、
「胸は本物と見える。これが、ミーア・キャンベルの原形か」
 であった。
「……」
(…もうちょっとなんか…違うリアクションないの?)
 ただ、シンジはそれ以上写真の題材については触れず、ミーアに写真を返した。
「え?」
「何?」
「おっぱいは本物って…それだけ?」
「寝ている間に拉致され、失神している間に麻酔を打たれて整形されたならちょっと問題かも知れないが、ミーアは承知の上なのだろう。それとも合意ではなく?」
「そ、それは勿論承知の上ですわ…」
「ならばそれに――ミーアの選んだ生き方に私が口を挟むところではない。それに、呵々大笑いするような写真でもあるまい」
「じゃなくて!もうちょっとその、違う感想とか…」
「そうだな…」
 突きつけられた写真をまじまじと眺めて、
「亀頭に似ている」
「?」
「カズイ・バスカークに」
 亀頭、としか呼ばれないカズイだが、無論本名はれっきとして持っているのだ。
「……」
 ただ、すぐにはピンと来なかったのか微妙な表情でミーアが宙を見上げ、そして数秒後――。
 強烈な枕の一撃がシンジを襲った。
「ちょっと待て、自分で言えと言ったくせ…おぶ!?」
 ばふばふと枕で叩かれまくり、シンジが防戦に追われてミーアが一方的に攻撃し、やがて叩き疲れてミーアの手が止まった時、ベッドの上はもうもうと埃が舞っていた。
 室内には、ハウスダストが大量発生していたに違いない。
 その数はおそらく――三十万以上。
「…そこまで過剰反応するような答えか?」
「ふんっ!」
 ミーアが口を尖らせて、ぷいとそっぽを向く。
「それとも、今より可愛い、と言っていたら納得した?」
「…しない」
「ほら見ろ」
(う〜…)
 実のところ、可愛いとか言って欲しかった訳ではない。レベルは自分でも自覚している。
 何と言ってもらいたかったのか、ミーアは自分でもよく分かっていなかった。その結果がこれで、ミーアの思考回路もそれなりに複雑怪奇な一面を持ち合わせているらしい。
「ところでミーア」
「…何」
「今後の話」
「今後?」
「おそらくオーブで降りてもらう事になる。そこからプラントへ戻るのが一番いいだろうが、誰か信頼できる人間が見つかる事に期待だな。それと、その写真はもう持ち歩かない方がいい。思わぬところから、厄介な方面に物事が転んでいく可能性がある」
「で、でも…んっ」
 言いかけたミーアの唇を、シンジの指がそっとおさえた。
「どうして持っているのかは何となく分かる。そして、時折あえてそれを眺めているであろうことも。その上で言っているんだ」
「碇さん…」
 一瞬――ほんの一瞬だけ切なげな表情になったミーアが、シンジにきゅっと抱き付いた。
「もう…そういう勘の良いところが嫌いですわ」
「よしよし」
「また子供扱いして…」
「初めてだ」
「……」
 抱き付いたミーアが更に身体を押しつけ、完全にこぼれ出た乳房がシンジの胸元に当たって潰れる。むにむにと形を変えるミーアの乳を見ながら、
「ヤマトとステラはどうしてる?」
「ぐっすり眠っているわ。明日の朝までは絶対に目が覚めない」
「やはり、か。で、そうまでしてこんな格好をしてこの部屋にやって来た理由は、写真を見せるだけには留まるまい?」
「勿論ですわ。私がえっちな格好で――」
 言いかけた時、不意にドアがノックされた。
「爆睡じゃなかったのか?」
「大丈夫、開けて下さいな。リモコンでロックを解除できるでしょ」
「その前にちょっと離れて」
「やだ」
「……」
 やっぱり邪悪な小娘だと再認識したシンジが、引き離すのは諦めてリモコンでロックを解除した。
「開いてる」
 そっとドアが開き、
「こんばん…は…」
 顔を出したのはマリューであった。ナタルでなかっただけ、まだましとするべきだろうか。
 シンジは普通のパジャマ姿だが、ミーアは元からベビードールの上、散々奮戦したもので乳房は丸見えの上にショーツも股間に際どく食い込み、しかもその乳房はシンジに押しつけられて潰れているのだ。
 何をしていたのかなど、訊くまでもないような状況を目にしてマリューの全身が硬直し、
「よ、呼ばれたと思ったんだけど…気のせいだったみたい…ご、ごめんね」
 背を向けたマリューの目許に、一瞬光る物を見つけたシンジだが、何も言わずに黙っていた。どうせ、黒幕は分かっているのだ。
 唇を噛んで走り出そうとしたマリューの背に、
「逃げるの?」
 ミーアが投げた言葉は妙に冷たく、そして挑戦的に聞こえ――シンジがちらっとミーアを見やった。
 
 
 
 
 
(第七十三話 了)

TOP><NEXT