妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第七十一話:それがデュランダルクオリティ
 
 
 
 
「シンジ君…こらっ、起きろ」
「んー…誰だもう…」
 揺り起こされたシンジが見たのは、妙にご機嫌斜めなマリューの顔であり、
「時間は…四時?えーと、火星人でも襲来を?」
「うるさい」
「!」
 これはただ事ならんと、一瞬で意識が覚醒し、ベッドの上に座り直す。
「姉御何事」
「また姉御って言った!まあいいわ、温泉行こ」
「…ふえ?」
「温泉行ってえっちしよ。いいでしょ、ほら早く」
「……」
 
 
 
 
 
「あと二ヶ月近く、か。結構暇が出来ちゃうわね」
 この日タリアは、アプリリウス市のとある施設を訪れていた。既に新造戦艦ミネルバの艦長となる事は確定しているが、パトリック・ザラが国防委員と最高評議会と双方の議長を兼ねる時まで、まだ公にはできない事になっており、当然演習も出来ない。ぶっつけ本番にはなるが仕方ないだろう。
 パトリックが権力を握った途端に公表すれば、それはそれで非難されそうな気もするのだが、そのへんは上手くやってくれる筈だ。パトリックには、エザリア・ジュールのような参謀も付いているのだから。
 入り口で面会の旨を告げてから、ホールに向かって歩き出す。とある部屋の前で足を止めたタリアは――コンタクトレンズとウィッグを外した。
 タリアは変装していたのである。悪の組織と密談するわけではないが、この交友関係はあまり知られたくない。
 瞳の色はともかく、カブトガニを乗せたようなこの髪型は目立ちすぎる。
「入るわよ」
 ノックはしたが、返答も待たずに中へ入った所を見ると、かなり親しい間柄なのだろう。
「やあ、タリア。来てくれたのかい」
 ベッドに横たわっていた男が、半身を起こして笑みを見せた。
 ギルバート・デュランダル。
 遺伝子学に精通しており、かなり優秀な頭脳を持ってはいるのだが、身体が弱いのであまり表には出て来ない。評議会議員に、との声もあったのだが体質のせいで立ち消えになってしまった。
「ギル、あなたが来いって言ったんでしょ。それもさっさと来い、なんて強調したメールよこして。仕方のない人ね」
 とは言いながらも、近づいてその頬に口づけする姿は甘い恋人同士のものだ。
 そう、このギルバート・デュランダルが現在タリアの恋人である。
「私が?そうそう、私がメールを送ったのだ。思い出したよ」
「……」
 ひっくり返って藻掻く、ヤエヤママダラゴキブリでも見るような視線を向けたタリアだが、次の瞬間その表情が引き締まった。
 ギルバートはこう言ったのだ。
「バルトフェルド隊が全滅したよ」
 と。
「全滅ですって…って、どうして分かるの」
 確かに全滅なら、観察者がいないと分からないはずだ。
「彼は、地球軍艦アークエンジェルとの開戦前に、数名を避難させておいたそうだ。その彼らが確認した。戦艦は三隻あったが、二隻は影も形も無くなっており、もう一隻は砂の中に埋まっていたらしい――艦内を取り除く事も出来ない程の砂に覆われてね」
「マリュー・ラミアス…やってくれるわねあの女」
 タリアがギリッと歯を噛み鳴らした。
 ただでさえ少ない同胞が、しかも貴重な地上部隊がごっそりと失われたのだ。
 がしかし。
 今回の戦闘にマリューは関係ない。と言うよりも、単に見物していただけであり、そもそもマリューにそんな能力があれば、地上戦はとっくに様相を変えているだろう。
 殺意すらこめて宙を睨み付けたタリアに、
「確かに犠牲は大きかった。ただし、進展もある」
「ギル?」
「評議会の選挙が早まる事になったよ。まだ全議員には知られていない情報だが、こうも壊滅的な打撃を受けては、知られた時の反動が大きすぎる。ミネルバの出立は、ザラ委員長が評議会議長になってからだったね。選挙は早々に執り行われ、ザラ委員長閣下が、文字通り最高権力者となる。タリア、これで君も一ヶ月以上を、ウロウロと歩き回りながら待たずとも済むね」
「ギ〜ル〜」
「冗談だ」
 髪の端がピンと立った想い人を、ギルバートは微笑って押しとどめた。
「ただ問題は、引責辞任となる事だな」
「?」
「クライン議長閣下の事だよ。無論、クライン閣下が指揮を執っていたわけではないが、地球との和平交渉が暗礁に乗り上げている間の事態、と言うことは否めない。形としては、引責辞任さ。問題は、ザラ委員長が戦争をどの方向へ持っていこうとしておられるのか、だが」
「……」
 相変わらず妙な所で甘いのね、とタリアは内心で呟いた。今回の戦争で、連合とプラントでは危機感が全く違う。プラント側は、文字通り自分達の存亡が掛かっているのだ。その能力を妬む故に迫害し、挙げ句核を撃ち込んでご丁寧に攻め込んでくる連合とは気構えからしてまるで違う。
 停戦の道を探るにしても、コーディネーター自体を抹殺したいブルーコスモスに牛耳られている地球軍と和解して、その先に何が待っているというのか。タリアは、ユニウスセブン滅亡の折に家族を失ったりはしなかった事もあり、パトリック程の強硬派ではない。
 人間はどうしても、肉親や最愛の者を失った場合とそうでない場合、心の動きに差が出てくる。
 しかし、別に軍人が好きではないがプラントの未来を拓く為にと、自ら軍に志願するだけあって、適当な所で和解する事も考えてはいない。外堀を埋められ、内堀だけになってから欺かれたと騒いでも遅いのだ。
「あの方が戦争の終結をどう考えておられるのか、私が推し量れる事ではないわ。それにギル、私は軍人なのよ。艦長経験もない一介の軍人だった私を、ザラ委員長は最新鋭艦の艦長へと任命して下さったわ。それも、虎の子のMSと赤服のパイロットまで付けて、ね。そして引き受けた以上、私は全力を尽くすつもりよ。例えそれがどんな命令であってもね」
 嘘だ。
 確かにタリアに叛心はない。艦ごと連合に付いたりする事は、間違っても有り得ないだろう。
 がしかし。
「私はもしかして艦長の任命を早まったか、或いは誤ったのか?」
 と、パトリックに幾度も自問させる程、タリアの戦意と敵意はマリューに向いている。つまり、命令を無視して勝手にアークエンジェルへ突っかからないかと、今から心配されているのだ。
 タリアが自分を抑えて命令に絶対服従するなら、どうしてパトリックがあんなに懊悩したりするものか。
 無論、明らかな戦意不足よりは余程ましだし、この先マリューとタリアは生身で、また女艦長として対峙し、文字通り死闘を繰り広げるのだが、パトリックもそこまでは想定していまい。
 そもそもパトリックが心配しているのは、持てる力をすべてつぎ込んだ新型艦で、いきなりアークエンジェルに挑んであっさり沈められはすまいかと、その一点に掛かっているのが目下の現状である。
「タリア、私は何も今すぐに和睦をとか、そんな事を言うつもりはない。だが、戦争というのは突き詰めれば、お互いの滅ぼし合いに行き着いてしまうのだ。そして問題は、プラントと地球の持久力の差にある。一番大きな要因となる人員、この絶対的な差は大きい。勿論敵を討つ事も重要だ。一隻の艦長とは言っても、大局を見通して行動する事もまた、優れた艦長の条件の一つだ」
「わた…」
 私は名艦長になりたいわけじゃないわ、と言いかけたタリアを制するように、
「そう言う艦長の方が新米クルーをまとめやすい、と言う事もあるのだよ。無論私は、君にその資質があると思っている。放っておいた方がいい、と思ったら一切口出しはしないよ」
「ギル…ん?今…なんて?」
「うん?」
「口出しってもしかしてあなた…」
「別に、何かが出来た訳じゃないよ。ただ、配属が決まったレイ・ザ・バレル、彼女は私の知り合いでね。頼りになる艦長だから頑張るように、と言っておいただけさ」
「ギル…ありがと」
 タリアの腕が伸びて、ギルバートの頭を柔く抱きしめた。
「ところでギル」
「何かな?」
「病床から動けない割に、相変わらず情報には随分と詳しいのね。どこから輸入しているのかしら?」
「それがデュランダルクオリティさ、タリア」
「……」
「こうして、ベッドから囀る小鳥を眺めている方が、却ってよく見える事もあるのだよ。物事は、難しく考えない方が色々浮かんだり、また聞こえたりもするものだ。タリアも一度、やってみるといい」
「そうね、参考にさせてもらうわ」
 三十分程で、タリアは部屋を辞した。ここは療養施設の一種で、病院とはまた違うのだが、病み上がりや虚弱な者が療養するにはこれ以上にない位の施設が整っている。
 だが――。
 タリアが部屋を出ると直ぐに、ギルバートは手元のリモコンをモニターに向けて操作した。すぐに映し出されたそれは、建物の入り口付近を撮影しているもので、程なくタリアの姿もそこに映った。
 それを見届けてモニターを切ったその顔は、
「いつも来てもらってすまないね、タリア」
 と、どこか気弱な表情さえ見せる男のものからは一変していた。
 何よりも、虚弱体質の筈の男は、すっくと立ち上がったではないか。
 明らかに健康体であり、虚弱体質など微塵も感じられない。
 壁の所へ歩いていったギルバートは、指で数度壁を叩いた。それと同時に壁の一部が回転し、ギルバートを飲み込んでしまった。
 どうやら、隠し扉らしい。
 だがその先は単なる扉にとどまらず、簡易エレベーターとなっているそれが、ギルバートを地下まで運んでいく。その速度もなかなかのものだ。
 ギルバートの姿が病室から消えた十分後、その姿はとある建物の中にあった。辺りにはMSの骨組みらしきものが多数転がっており、リハビリセンターなどでないのは明らかだ。
「ギル!」
 ギルバートの姿を見つけ、一人の少女が駆け寄ってきた。
「どうかね、進み具合は。君の手には合いそうかな」
「うん、すっごくいい。機体のイメージも私の思った通りだし、これなら絶対に上手く乗れると思う」
「それは良かった」
 ギルバートは、少女に向かって微笑った。
「ところでカナード、君に伝えておく事がある」
「なに?」
「地球軍艦アークエンジェルの乗員で、ストライクを駆っているのはキラ・ヤマトだそうだ」
 それを聞いた瞬間、カナードの表情が変わった。その愛らしい唇は歪み、笑みを湛えていた瞳は一瞬で憎悪の双眸へと取って代わり、その黒髪さえも文字通り逆立っていったのだ。
「あいつが…キラ・ヤマトが…」
 絞り出すような言葉は、一語一語が火を噴きそうなものであった。少女から可愛らしさは姿を消し、ただ憎悪のみがその全身を彩っている。
「君も知っての通り、レイはミネルバに乗艦する事になったが焦る事はない。ミネルバへの命令は、アークエンジェルを討つ事ではないし、それどころか当分近づくなと言うのが、ザラ委員長のお考えだ。この機体は高性能だが、まだ動力が確保できない状態にある。君なら使いこなせるだろうが、もう少し我慢してくれたまえ」
「あの女…キラ・ヤマトだけはあたしが…これだけはレイにも譲れないっ」
「分かっている」
 ギルバートは静かに頷いた。
 ここに二人の少女がいる。
 一人はレイ・ザ・バレルであり、もう一人はカナード・パレスという。
 二人の共通点は、行動の黒幕にギルバートがいる事と――そしてキラを殺したい程、いや絶対に殺すとまで憎悪しているところだが、キラは二人の事を全く知らない。
 顔を合わせても、無反応だろう。
 但し、カナードを見れば若干は表情を動かすかもしれない。カナードの顔立ちは、キラに少し似ているのだ。
 がしかし。
 元からおっとりと育ち、殺伐とした戦場に身を置くも、シンジが側にいることで安定しているキラと、その身を憎悪の炎で彩るカナードでは、その全身から漂う雰囲気に天と地程の差がある。小鳥がキラの側でさえずる事はあっても、カナードの側に舞い降りる事は決してあるまい。
 猛禽類なら、或いは飛来するかもしれないが。
 とまれ、見知らぬ相手から敵意を抱かれているのは、マリュー一人ではなかったと言う事になる。
 戦場にいながら、既知のアスランを討てぬとシンジを困らせているキラは、殺気を漲らせた二人の少女と相対した時、どんな表情(かお)でどんな反応を見せるのか。
 ギルバート・デュランダル。
 病弱な秀才と言われた男は、実は健康体の策謀家であったらしい。
 ここにあるのは、現在ザフト軍が使用し、またパトリックが投入したモビルスーツの何れとも異なるフレームである。
 動力に問題がある程の機体に、しかもキラに強烈な殺意を抱く少女を乗せて、一体何をしようと言うのだろうか。
 端正な顔に邪悪な色を浮かべて、カナードを優しく抱きしめていたギルバートだが、ふとそのポケットで通信機が音を立てた。
「私だ…なに、分かった。検査中だと言って病室には入れるな、そうだ。頼む」
 通信を切ったギルバートは、カナードをそっと引き離した。
「ギル?」
「タリアが戻ってきたらしい。急いで帰って、ベッドに潜り込まねばならん。明日、また来るよ」
「うん」
 頷いたカナードの顔から、凶相はすっかり消えている。
 タリアに、虚弱体質を気遣われる男は、敏捷な動作でその場を後にした。
 揺れる黒髪に、カナードは小さく手を振って見送った。
 
 
 
 
 
「え…あたしの付き人に?お前達が頼んで…いやその…キラが頼んでくれたのか?」
 カガリなんかにお前呼ばわりされたくない、と言われたカガリだが、そう簡単には身に付かないようで、キラに冷たい視線を向けられて慌てて訂正したところだ。
 アイシャを殺さないで欲しい、と言うところまではキラ達と一緒だが、カガリはそこまでで止まっている。このままではカガリが使い物にならないので、今の内に修正をと考えるキラとは視点が違うから、当然と言えば当然なのだが、カガリの場合は性格から来ている。
 つまり、理由はどうあれあの邸で危害を加えようとはしなかったアイシャに対し、借りは返したいという、カガリらしい発想だ。だから、命を助けるだけに留まらず自分の付き人に、と言われて驚いたのだが、
「頼んだって言うか…カガリってだめだめでしょ」
「ああ…ナヌ?」
「カガリは嫌でも、ウズミ様の後を継ぐ事になる。今は弟のホムラ様に変わったけど、あれはあくまでも形式的なものだし、ホムラ様には子供がいない。カガリは、今の自分が国王になって本当にオーブが上手く行くと思ってるの?国を守る力には拒否反応を示すくせに、テロリストの暴力には嬉々として賛同するようなそんな性格で、ほんとうに…オーブの民を守れるの?」
 カガリに向けるキラの視線は、いつになくきついものであった。
「あ、あたしは…あたしは別に力を放棄すると言ってる訳じゃない。オーブが中立だ、と言ってるんだ」
「その中立のオーブだけじゃ、開発できないから連合にヘリオポリスを貸したんでしょう。中立する、とは言っても他の勢力から見たら、いつどちらに付くか分からない。はっきり言えば邪魔だって事、カガリは分かってるの?それを分かった上で、結果はどうでもいいから、とにかくオーブは独力だけで何とかするべきだって言うの?」
「じゃ、じゃあ聞くけど、お父様はプラントと地球の和睦にも乗り出そうとしているんだぞ。そのオーブが連合と組んでMSを開発していたら、プラントはオーブを信用するのかよ!」
「やっぱりカガリは子供だね」
「何だとっ!」
 キラを睨み付けるカガリと、それを冷たく見返すキラの間に、まあまあとステラが割って入った。
「確かにカガリ様の言われるように、ヘリオポリスでの開発はザフトに疑念を抱かせる理由にはなります。とは言え、高い技術力を誇るオーブでもMSの開発に於いては、一歩も二歩も後れを取っているのが現状です。それに、ウズミ様の性格から考えて直接許可を出されたとは思えないのですが」
「それは…それはあたしだって分かってる。モルゲンレーテを裏で動かしたのは、お父様じゃないって事くらいは…。でも、他から見ればオーブのやった事に変わりはないだろう!」
「だからこそ、ですカガリ様。私は政治のことは分かりませんし、五大氏族の誰かが裏で何かをしたとか、そんな事は知りません。でも、既にオーブの所行として認定されてしまったのなら、なおのこと安穏としてはいられないでしょう。オーブが全ての軍備を放棄すれば、ザフトはオーブへの見方を変えると思いますか?そして、そうまでしてザフト寄りになったオーブを、連合が放って置くと思われます?」
「『……』」
 キラとカガリの視線がステラに集まったが、その意味合いは異なっていた。キラの方は、ステラが妙に事情通みたいだと感心していたのだ。軍備を放棄でもさせる気か、と言おうとしたキラだが、氏族が云々という発想は全くしていなかったのだ。
 カガリはと言うと、キラのように鋭く斬り込んでは来ないものの、反論をやんわりと封じてくるステラを、論破されて手も足も出ない教師を見る生徒のような気分で眺めていた。
「…ステラ」
「はい」
「お前は…私に何が足りないと思う」
「人にちゃんと敬意を払う事と空気を読む事と乱暴な言葉使いをしない事とむやみに…むー!」
 間髪入れずにキラが口を挟み、
「うるさいっ!」
 とうとう癇癪玉の割れたカガリが、キラの両頬を思い切り左右に引っ張る。キラもすぐにやり返し、二人の少女はほっぺたを赤くして互いの頬をつねり合った。
「……」
 ゆっくり十数えてから、すうっと息を吸い込んだステラが、
「止めなさい!」
 一喝した声に、近くの木に止まっていた小鳥が逃げ出し、顔を赤くして睨み合っていた二人が、びくっとその手を止めた。
「それ以上やるなら私がお仕置きするけど!?」
「『ごめん…』」
 腰に手を当てて二人を見据えるステラに、カガリとキラがどちらからともなく手を離した。
「カガリ様、今のカガリ様に一番必要なのは何だと思われますか?直すべき所、とかそう言う事じゃなくて」
「?」
 性格上の欠点以外で、何があるのかとステラは訊いてきた。
「…あまり可愛くないとかそう言うことなんだろ、どうせ」
「違います。勝手に自棄を起こさないでください。外見の事ではありません」
「じゃあ何なんだ。勿体ぶらずに教えろよ」
「カガリ様をひっぱたける人です」
「な、なんだと?あたしを叩ける奴?どういう意味だそれは」
「オーブの首長は選挙制なので、次の国主がカガリ様と決まった訳ではありません。でも、少なくともその対象となる事は間違いないでしょう。兵士でもなく、暴漢に襲われた訳でもないのに自ら銃を取り、しかもMSに立ち向かうなんて、無謀もいいところです。でも、キサカ一佐はカガリ様を止められなかった。今のオーブで、カガリ様に絶対の抑止力を持つ人が誰かいますか?オーブの軍人では、無理とは言わないけれどどうしても遠慮してしまうから、結局最後は運任せになってしまう。お兄ちゃんが助けに行かなかったら、無事に帰って来られたとお思いですか?」
「……」
 もしもシンジが来なかったら多分、どころか120%の確率で自分達は死んでいた。それはカガリも分かっている。
 ただし、好き勝手にやっている王女と分かってはいるが、心のどこかに父が自分を後継者と見ていないのではないか、という思いがあるのも事実だ。自分がウズミだったら、この地へ工作員の一個大隊でも送り込んで絶対に捕まえている。もしもカガリが死んだりしたら、国主どころの話ではない。
「あ、あたしに何かあったらその時は姉上が…」
「あの方はもう、アスハ家の人ではないでしょう。養子に行っておられる事は、オーブ国民の誰もが知っています。ウズミ・ナラ・アスハの子はカガリ・ユラ・アスハ一人、それが皆の認識ですカガリ様」
「じゃあ…じゃあどうしてお父様はあたしを好きにさせておくんだ!」
(その時は代わりを作ろうと思ってるから、に私の全財産を)
 内心で呟いたキラは、ステラがどう返すのかとその顔を眺めていた。
「仕方ないから、でしょう?ウズミ様が、カガリ様に自分の後継者として帝王学を身につけてほしい、と願っておられるのか、或いは国王は自分の代で終わり、次からの首長は他の氏族から出ればいい、とお考えなのかそれは分かりません。でも一つ言えるのは父親であれば誰しも、自分の娘が無意味に生命を危険に晒すことなど絶対に望まない、と言うことです。でもカガリ様は、聞く耳をお持ちでしたか?まさか、四六時中縛っておく事も出来ないし、聞く耳がないのなら隙を見つけて飛び出すでしょう」
 ステラの口調に冷たさや嫌みはなく、あくまでもオーブの軍人としての立場は崩していない。それでいて、掌を指すように一つ一つ砕いて話す言葉は、カガリの心に重くのしかかった。
 ただし――。
 ステラの言葉もまた、つまる所はカガリが駄目人間だと言っており、シンジの断つような気や、キラの刺すような言葉のおかげで、カガリには暖かく聞こえているのだ。真冬に浴びせられる水は、流氷漂う極地の海水より、カルキの臭いがする水道水の方がまし、と言うことだ。
「ステラ…」
 カガリが絞り出すように声を出すまで、二分近くが掛かった。
「はっ」
「私が…色々足りないのは…分かった…。でも…」
「……」
「アイシャが私と似たタイプだったら…お前らどうするんだ?」
「え?どうするって何が?」
「やっぱり私が今のまま、国王になったりしたら…困るだろう…」
「それはもちろ…ひたた」
「それが本音かー!」
 カガリの指がキラの頬を引っ張り、あまつさえ上下左右にむにむにと立体攻撃を加えたが、さっきと違って継続攻撃はせず、
「要するに、私を修正したいからアイシャを私に付けようって、あの碇って人に頼み込んだんだろ。違うか?」
「『そ、それは…』」
 キラとステラに色々言われて、カガリもこの結論に達したらしい。
「別に、その事を怒ったりはしない。それは…事実だから」
「カガリ様…」「カガリ…」
「それに、おまえ達がいなかったら、私は今頃殺されていた。とっくに、サソリか何かの餌になって、フンコロガシに転がされていたかもしれないんだから。でもさー、ちょっと考えろよ?私を殺そうとはしなかったが、浴場でいきなりレズレイプしようとする位なんだぞ。考え方とか性格が、私と瓜二つだったりしたらどうするんだ?」
「アイシャさんが?」
「そーだ。だいたい、私に付けるって言うが彼女の事をどれくらい知ってるんだ?」
 確かにカガリの言うとおり、ミイラ取りがミイラになる、どころか最初からミイラの可能性もある。カガリが自分で言うことではなさそうだが、とまれ逆効果で拍車がかかる事も十分にあり得るだろう。
「その時は…」
「その時は?」
「諦めたげるよ、カガリ」
「ハ?」
 キラはころころと笑った。
「今回の事はシンジさんに話してお願いしてある。多分今頃、シンジさんがあの人と話してるよ。シンジさんがわざと、それとも性格を見抜けないでゴーサインを出したのなら、その時は諦める。それが、シンジさんの私達に対する評価って言うことだから」
「私もその時は、受け入れます。例え亡国を招くとしても…お兄ちゃんの決めたことだから」
「ちょ、ちょって待てよおまえら!何だその亡国って言うのは!」
 とうとうカガリが暴走した。
「国王は一人で全部決める訳じゃない、お父様だってそうだ。私が国王になったら国が滅びるなんていうのは、オーブには補佐の人材無しって言いたいのか!」
「でもカガリだし…」「ねー?」
「お、お、お前らー!!」
 柳眉を逆立てたカガリが拳を振り上げたところへ、
「静謐な砂漠に似合うのは、舞い渡る砂塵の奏でる鎮魂歌(レクイエム)のみ。茶坊主のがなり声など響かせるものではない」
「シンジさんっ」
「……」
 ふらりと姿を見せたシンジが、
「茶坊主をしまっておくように、とは言ったがアークエンジェルに積むこともあるまい」
「ご、ごめんなさい。でもあの、他に閉じこめておく場所がなくて…」
(閉じこめるって何だー!)
 内心ではぷりぷりしているカガリだが、さすがにそれを口に出さぬ程度には、空気が読めるようになった。と言うよりも、痛みを身体で覚えて調教された猛獣のそれに近い。
「まあいい。ところで、茶坊主に訊いておきたい事がある」
「な、何か…」
「アイシャを手に入れる入れないは別として、この先どうするつもりだ?我らはもうじき出立するが、予め離れていた者を除けばザフト軍は文字通り全滅した。少なくとも、一年くらいはこの辺りに寄りつかないだろうが、またどこかのテロ組織に加担して銃を振り回すつもりなのか?」
「私は一度…オーブへ戻ろうと思っている。色々と…考えてみたい事もあるし…」
「ほう。だが、お前のような愚か者をオーブへ戻しては、恩も義理もないとは言えオーブの国民(くにたみ)に大迷惑が掛かる故、この場で討つと私が言ったら?」
 言い終わると同時に、シンジの手がすうっと動き、その指先に風のようなものがあるのをキラもステラも見て取り、二人の顔色がさっと変わった。
「あなたがそう言うなら…諦めるよ。今だって…私の双肩にオーブの未来がかかっていたり…するわけじゃないんだ…」
「つまり自らにその資質無し、と言う事だな」
「視野は…確かに狭いと思う…。もし私を殺すというなら…私は抵抗しない。だがその前に一つ訊きたい。あなたは本当に異世界から来たのか?」
「『!?』」
 死を覚悟した開き直りなのか、それともとうとう精神(こころ)のネジが数本吹っ飛んだのかと、キラとステラは青ざめたが、シンジは反応せずにカガリを眺めている。
 耐えきれず、先に視線を外したのはカガリであった。
 射抜くというよりも、実験動物を眺めやる視線をカガリに浴びせていたシンジが、ゆっくりと口を開いた。
「世界が二つに割れている中にあって、中立を唱える事が必ず正しいとは思わぬ。だが、国是としてそれを選んだ以上、その道のために全力を尽くさねばなるまい。規模に於いては一国に及ばぬまでも、大きな組織を動かす上できれい事など何の役にも立たぬ事を、私は身を以て知っているのだ」
(?)
 キラとステラが、顔に?マークを浮かべ小首を傾げてシンジを見た。異世界から来たのか、とカガリは訊いた筈なのに、シンジの答えは論点逸らしもいいところではないか。
「オーブに何の縁もゆかりもない私が、なぜオーブの国民などという単語を出すのか、とそう言いたかったのだろう、カガリ・ユラ・アスハ」
「『え…』」
「……」
 カガリは黙ったまま、小さく頷いた。
「何れかの陣営に属している時もそうだが、どちらにも属さないなら尚のこと、我が国へちょっかいを出したらえらい目に遭う、と示しておかねばならん――ご機嫌次第で何時でも我が国を蹂躙して下さい、というなら話は別だが」
「わ、私はそんな事なんて思ってないっ!」
「多少なりとも国のことを思い、自らの立場を自覚しているなら、こんな所で火に飛び込む羽虫のような真似をしている場合ではあるまい。思っていないつもりで、行動に移している奴が一番手に負えない」
 冷たく切り捨てたが、
「が、抗わぬ、と言っている者の五体を引き裂くのも、また興が冷める事だ。それに、異世界の私ごときが口を出すな、とまで言うのなら見せてもらうとしよう。これより、お前をオーブまで積んでいく。そして、ウズミ殿に見せるがいい。カガリ・ユラ・アスハの思う国のヴィジョンとやらを。どれほどの事を考え出せるのか、私は見物させてもらうとしよう」
「シンジさん…」
 カガリをオーブまで連れて行く、と言うことはアークエンジェルに乗せるのだろう。殺す気はないらしい、と知ってキラの表情は戻ったが、ステラの方は変わらない。それどころか、険しい表情でカガリを見つめている。
 連れて行く、とは言ったが認めるとは一言も言っていない。というよりも、シンジに認められる要素など、今のカガリには微塵もない。オーブへ戻っても、ウズミとの会話次第では、文字通りその場で炭化させる可能性すらあるだろう。
 そこまで読み取ったステラの方は、キラほど単純ではないらしい。
「じゃあ私を…オーブまで連れて行ってくれるのか?」
「ええ、オーブの姫君」
(くぅっ!?)
 シンジがひっそりと一礼した瞬間、ステラは背中にどっと汗が噴き出すのを感じた。
 ステラがその背後に見たのは――黒衣をまとった死神であった。
(やっぱりお兄ちゃんは…)
 だが、シンジが口にしていないのを問いつめる事は、ステラには出来なかった。
(仕方…ないよね。うん)
 心の中で、ステラが自分に言い聞かせた時、
「だが、無条件というわけにはいかん」
「『え?』」
「ステラとヤマトから話は聞いたろう。ほんの少しでもまともにするため、お前にはアイシャを付ける。だが、彼女にそんな気は毛頭無い。やがては国民の上に立つやもしれぬというなら、とりあえずアイシャから口説いてみるがいい。女一人もその気にさせられない茶坊主が、国を考えるなど三百四十年とんで二十日早い」
(なにその中途半端に莫大な年月)
 三人揃ったツッコミは、心の中だけの無音声に留まった。
 
 それから十分後、カガリはアイシャと対面していた。無論両者とも、戦場で相見えた事はなく、浴場で絡み合ったのはつい先日の事であり、会うなりうっすらと頬を赤らめ合ったのだが、
「嫌ヨ」
 アイシャはにべもなくはねつけた。
「何で私がそんな事しなきゃならないの。冗談は顔だけにしてよネ」
「な、なんだと…」
 この場に黒瓜堂がいれば、こんなアイシャをシンジがそのままにしておくのはあり得ない事、そして何よりも、
「俺は席を外している。茶坊主の手並みを見せてもらおうか」
 さっさと部屋を出たシンジが、その寸前にアイシャと普通なら分からぬ程の目配せを交わした事に気づいたろう。
 だが、カガリにはそんな事に気づく余裕など全くなかった。
「あのっ、シンジさんいいんですかっ?あの人、全然その気が無いじゃないですか」
 心配げなキラだが、
「ステラ」
「はい?」
「ヤマトを連れて、食堂でも行っておいで。セリオにおやつでも作ってもらうといい」
(え?)
 頷いたシンジを見て、
「分かりましたお兄ちゃん」
 ステラは素直にキラの手を取った。
「ほら、キラさっさと行くよ」
「ちょ、ちょっと待って私まだシンジさんに…あーっ!」
 キラがステラにずるずると引っ張られて行った直後、不意に部屋の中から大きな物音が聞こえてきた。カガリとアイシャが取っ組み合っているのだと、シンジは見ずとも分かっている。
「ふむ」
 何やら合点済みのような顔で頷き、シンジは腰を下ろして壁によりかかった。どたばたと、二人が上下になって転がり回る音が続き、やがて騒音が途絶えて静寂が訪れた。
 ふわ、と小さくのびをしたシンジが室内に入ると、カガリが組み敷かれており、アイシャがその上で馬乗りになっていた。二人とも服はあちこち破れたり伸びたりしており、顔にもひっかき傷が出来ている。
「失神KOか。で?」
 シンジが奇妙な事を訊くと、アイシャは黙ってある一点を指した。
「ほう…」
 完全に失神しているカガリだが、その手はぎゅっとアイシャの服を掴んでおり、
「私がお前を欲しいと思ったんだ、ですって。気持ち悪い位に真っ直ぐな子ネ」
「だから、遠慮無しに修正してくれる者が必要になる」
 アイシャの顔を見やったシンジが、
「少し、傷がついてしまったな。面倒な事を頼んで済まなかった」
「あなたのせいじゃナイわ。ここまでやり合ったのは私の意志なんだから…んっ」
 柔らかな頬に手を触れると、カガリの爪でついたらしい傷がすうっと消えていく。
「う、嘘…」
 呆然と呟いたアイシャに、
「我が前に立ち塞がる愚か者に等しく滅びを与えん、それは私のポリシー。だが、癒しそのものは五精使いの基本技術。大した事じゃない。アイシャ殿、茶坊主の事頼んだ」
「了解ヨ、ミスター碇。ところで…」
「ん?」
「この子の傷は治さないの?」
「ほっとく」
「ふうん…」
 シンジが部屋を出て行った後、
「本当は心配しているくせに。変なツンデレね」
 と、変な発音で呟いた。シンジに聞かれたら、アークエンジェルのアンテナから逆さに吊されるに違いない。
 その晩、マリューは艦長室にアイシャとカガリ、そしてシンジを迎えて目をぱちくりさせていた。カガリは顔や腕のあちこちに傷を作っており、自分も覚えのあるマリューはそれが取っ組み合いからきたものだと見抜いたが、相手が分からない。キラとステラはさっき見たが、二人とも傷など作っていなかった。
 案外、砂漠で猛獣とでも戦ったのかも、と深く訊くことはしなかった。と言うよりも、シンジの言葉の方が重大案件だったのだ。
 カガリをオーブまで連れて行く、のはまだいいとしても、敵将だったアンドリュー・バルトフェルドの恋人だったアイシャまでもが一緒だという。
「別に、アークエンジェルのクルーになってもらう話じゃない。アイシャには、茶坊主の付き人となってもらう事になった。ザフトの将兵ではあったが、連合に付く訳じゃないし、私が保証人になる」
(シンジ君…)
 ぴく、とマリューの眉が動いたのだが、シンジとアイシャの間には、どんなに嗅覚を働かせても男と女の関係は嗅ぎ取れなかった。
「分かりました。シンジ君がそこまで請け合うなら許可します。アイシャさん、ようこそアークエンジェルへ」
 立ち上がったマリューが差し出した手を、アイシャはきゅっと握り返した。
 無論、後で聞かされたナタルは猛反対した。
「私は反対です、あの男の彼女だなどと。そんな女は危険すぎる!どうしてもと言うならアラスカへ行ってから上層部に報こ…んむ!?」
 いきなり唇で唇を塞がれ、にゅるっと侵入してきた舌が咥内をくちゅくちゅと蹂躙してから、
「これでも?」
「ま、まだ…た、足りません…あっ」
 マリューに軽々と抱き上げられ、自室へ運ばれていく顔は、期待と仄かな欲情に満ちてうっすらと上気しており、その後ベッドの中での濃厚な説得にナタルは満足したのだが、マリューの方はご機嫌斜めであった。
 アイシャなど会話した事もないし、シンジの頼みだから受け入れただけなので、当然と言えば当然であり――その結果、冒頭の台詞に続くのだ。
 明け方、シンジを拉致すべくその部屋を急襲したのである。
 
 
 
 
 
(第七十一話 了)

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