妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第七十話:三人の娘が欲しがる女
 
 
 
 
 
「あの…お兄ちゃん…」
 呼び止められて、ふとシンジは足を止めた。
「うん?」
 振り向くと、キラとステラが立っていた。くっついてくる様子はなく、むしろ遠慮がちな風情に見える。
 さてはストライクとガイアのOSを暴走でもさせたのかと、
「MSでも壊したか?」
「ち、違いますっ!あの、ちょっとお話が…」
「ほう…」
 少し雰囲気が違う二人を伴い、シンジは食堂へやって来た。ご丁寧に、立ち入り禁止の文字を書いた立て札をぶら下げ、
「さて、話を聞こうか」
 今回の戦闘で、二人が無用な事は既に言い渡してある。今更出撃をせがみもすまいとは思ったが、何せ二人の後ろには、黒瓜堂には遠く及ばぬまでも、微量ながら悪のクオリティを自慢する来栖川綾香もいるし、ミーアもいる。
 何よりも、二人の思考自体が通常より斜め上を行くと言うこともあるから、油断はできない。
 がしかし、
「お前達、正気か?」
 北極に不時着してやむなく氷原に穴を掘って冬を過ごし、春になってひょっこり顔を出した金星人を見るような目で、シンジが二人を見たのは出撃に関する話では無かった。
「あの…だめ?」
「だめとかいいとか、そういう問題ではあるまい」
 二人の話は、ある意味シンジの想像を遙かに上回っていた。先だってバルトフェルド邸で会ったアイシャという女を、こちら側に欲しいというのだ。シンジも邸での事は聞いているから、性奴にするならまだ理解できるのだが、
「カガリ様の目付…というか家庭教師というか…」
「家庭教師と?一体何を考えている」
「あ、あぅ…」
 シンジの視線に遭ってステラはしゅんと萎んでしまったが、
「だ、だってシンジさん…カガリは殺した方がいいと思ってるんでしょう?」
 キラが割って入った。
「カガリ・ユラ・アスハ、と言う娘を、ではない。いずれ一国の国主となる身にありながら、国防すら否定するような度し難い愚かな茶坊主を、だ。茶坊主をあたら逃したとあっては、後々オーブの国民から俺が怨嗟を一身に受ける事になりかねん」
「じゃあ、代わりはいるんですか?」
「ウズミ代表に作ってもらえばいい」
 シンジは事も無げに言った。
「愚か者の色に染まった馬鹿な娘を矯正するよりは、新しく作った方が手っ取り早い。ステラ」
「は、はい」
「ウズミ代表は、まださほどの高齢ではあるまい。おそらく齢五十をも超えておられないと思ったが」
「ええ…」
「そもそも、先だって明けの砂漠の連中が街を焼かれて仕返しに行った時、茶坊主に付いていた男は止め立てもしていない。オーブの軍人なら、次期国主の命にかかわる無茶は、身を賭しても止めるのが筋だろう。それすらしなかった事を見ても、さして重要視されていないのは明らかだ。つまり、出来の悪い馬鹿娘は諦めて、さっさと子供を作っていただく、と。或いはもう作っている最中…ステラ?」
「あ…い、いえ何でもないのっ…ひたたた」
 その頬が両側にむにーっと引っ張られ、
「何でもない奴がそんな顔をするか愚か者。さ、キリキリ白状してもらおう」
「だ、駄目です言えない…」
「うるさい」
 横暴な詰問に、とうとうステラは白状させられてしまった。
 カガリには姉が居ること、ただ今は他家へ養子に行っているので、カガリが唯一の子供であること。そしてその姉は、カガリとは比較にならぬほど優秀である事まで、すっかり白状させられてしまったのだ。
「ちょっと待て。何故優秀な姉が養子に行っとる?普通なら出来の悪い方を出すだろう…ってこら、何だその顔は」
「お兄ちゃんって…」「ちょっとひどい人?」
「うるさい!」
「とは言え、ウズミ様の地位を考えればお兄ちゃんが言うように、カガリ様を行かせた方がいいんだけど、養子に行ったのは生まれてすぐみたいだったから。なんでも、子供が生まれる前からの約束だったとか…」
「で、残ったのは出来の悪い茶坊主一匹か」
「うん。でもシンジさん」
「あ?」
「次の子供が出来たからって、カガリよりまともになるっていう保証は無いですよ。それだったら、まだカガリを修正した方が確率は高いと思う。それは確かに…カガリは馬鹿だけど」
 キラも可愛い顔で、結構辛辣な事を言う。
「茶坊主の修正に関しては、まあ二人の言うとおりだとしよう。が、何故その女なのだ?そもそも、今は敵そのものだぞ」
「理由は幾つかありますお兄ちゃん」
「ほう…」
「一つは、二人が裸で絡み合っていた事。ある意味では、奇妙で濃い出会いだと思うの。いきなり連れてこられるよりは、ずっとお互いを知ってると思う」
 それって気まずいだけじゃないか?と思ったがシンジだが、黙って聞いている事にした。ステラとキラの頭脳が、何をどう弾きだしたのかに興味が湧いたのだ。
「二つめは、オーブの関係者じゃない事。キサカ一佐は、カガリ様の付き人みたいになっているけど、カガリ様を止められていない。出自がオーブの軍人だとどうしても遠慮があって、正面からぶつかったり出来ないから」
「三つ目は」
 シンジが自分から訊いてくれた事に、ステラは満足した。
「私達の処遇の事。お兄ちゃんが誰かさんだけに付けてくれた護衛のおかげで、あたし達は無傷で済んだ…けど!」
 妙に語尾を力強くして、ステラがじっとシンジを見る。何やら、根に持っているらしい。
「あー、ハイハイ」
「…でも、誰かさん以外の弱い女の子二人が、個別に麻酔薬でも嗅がされていたら抵抗できなかった。その気になれば殺されていたのよ。でも彼女はそうしなかった。君らを連れてきたのはアイシャだよ、ってバルトフェルドも言っていたし」
「つまりステラとキラが借りを返しておきたい、とそう言うことか?どうしても拒めば、その辺に解放するだけでもとりあえず借りは返せるし、と?」
 こくっと二人が頷く。
「それと…この間あの女(ひと)が一人だけ無傷で残った事も、上手く行く助けになるんじゃないかと思って」
「助けに?」
「邸にいた兵は、全員と言っていいほど屍に変わっていったわ。でも彼女だけは無傷で済んだ。害意の無かった事が理由だけど、残った連中にそんな事は分からない。何よりも、アンドリュー・バルトフェルドが余程の馬鹿でなければ、敗戦の可能性も既に考えているはず――五精使いの逆鱗に触れた事で」
 ステラの視線が正面からシンジを捉え――すぐにかさかさと外した。
 シンジが静かに受け止めたのである。
「だ、だから…じ、自分の想い人を落としておこうと考えても、決して不思議じゃないわ」
 なるほど、とシンジは頷いた。
「なかなか面白い説を聞かせていただいた。ステラにしては悪くない」
 褒めているようにも聞こえるが、ちょっと考えればステラ程度、と言っているのが明々白々である。
「突っ込み所有りすぎ?」
 訊ねたキラを、ステラがえ?という顔で見た。幸か不幸か、ステラには通じていなかったらしい。
「まず根幹部分の話だが、養子に行っているとは言え、ウズミの実子で尚かつ茶坊主よりも有能な娘がいる、と分かっているならそっちを引っ張ってきた方が話は早い。ウズミ酋長もそう考えているとすれば、茶坊主が棺桶に片足突っ込みたがっても止めようとしないキサカにも納得は行く」
 前提部分でそもそも不要ではないか、と言っているのだ。
「次に二人の関係だがキラ、お前は――」
 言いかけて止めた――キラがすうっと赤くなったのである。
 シンジが何を言わんとしたのか察したのであり、そしてそれはステラの前で口に出来る事ではなかった。
 すぐにステラが気づいた。
「…どうしてキラが赤くなるの」
「ヤマトの事だから、どうせ淫らな事でも想像したのだろう。妄想癖のある小娘は放っておいて続けるぞ」
(シンジさんのいじわる)
 ぷうっと頬をふくらませたキラだが、何を思いだしたのかと突っ込まれたら、えらい目に遭うのはキラである。裸の見せ合い、で何が浮かんだのかなど言うまでもない。
「う、うん…」
 ステラは納得行かない風情だが、多分突っ込んでもシンジがガードしそうだと諦め、
「それで…次は?」
「オーブの軍人だから遠慮がある、というのはやむを得ないように見えて、極めて危険な事情なのさ。次期国王になろうという娘を、まともに育てる事の出来る守り役一人いな国、と言う事になる。親の言うことを聞かない子供を他人に任せるのとは訳が違う。そしてこれが一番大きな問題なのだが、ステラはさっき想い人だから落とす、と言ったな」
「う、うん」
「その発想は悪くない。だが、逆手に取られていたら?」
「逆手?」
「想い人なら、負けそうだから逃げろと言われても断るだろう。だから単に逃げるのではなく、いつか必ず一矢を報いてくれ、と言い含められていたらどうする?それこそ、爆弾を背負い込む事になる」
「はい…」
「何より、縦しんばそれが杞憂に終わったとしても、当の本人が受けてくれるか、と言う問題は残っている。とは言え、本当に茶坊主が王位継承から外れているのなら、養子に出したと言う姉娘をさっさと取り戻しているだろうし、あんなのでもいずれは国王になる可能性が大だ。今の内に矯正しておく必要がある、と言う発想は悪くない」
「お、お兄ちゃんそれじゃ…」
「成功するかどうかは分からないし、俺にもさっぱり読めない。ま、あの茶坊主をちっとはまともに出来る機会が来ればいいが」
「うん…」
 頷いたステラの表情は、どこか複雑であった。
 無論その原因は、本人達が一番分かっている。
 そう――次期国主を矯正するなどという事は、本来自分達がする筈もないし、またしてもならないのだ。そんな事はウズミの側近の誰ぞがやればいい事で、一兵卒に過ぎない自分がそんな事を考える時点で、
「どこか間違ってる気がする」
 と言うことになる。
 シンジが結局頷いたのは、カガリの行く末を案じたからなどではない。そんな事は、雪原で間もなく目覚めるであろうホッキョクグマが、最初に何を食べるか、と同じくらいどうでもいい事だ。
 どう考えても国主にはしたくないタイプのカガリが、いずれオーブ代表になった時、その下で軍人としていなくてはならないステラと、オーブ国民であるキラの事を思ったからだ。
(あんなのが国王になった日には、その下にいるヤマトとステラが不憫すぎる)
 と言うことらしい。
(しかし…さっくりと抹殺しておくのが手っ取り早い気はするんだが…)
 この辺りは、危険な髪型と性格をしたとある男の影響を受けているのだが、本人は気づいているのかどうか。
 なおシンジは、カガリの調教が出来そうな状況になった折は、すべて自分の手柄にするつもりでいた。まだ見ぬウズミに恩を着せるつもりなどないが、度し難い程馬鹿な姫様に調教が必要と考えました、とステラに言わせる要は微塵もない。
 ウズミがどう取るかは知らないが、万一逆恨みでもされた場合、ステラでは跳ね返すどころか受け止める事も出来まい。
 とまれ、現在は敵陣にいるアイシャの扱いは、シンジ達により一方的に決議された。
 既に話はついている、とシンジがカガリに言ったのはこの事だったのだ。
 カガリはこう言ったのだ。
「この間のアイシャって女…出来れば殺さないでほしいんだけど…」
 と。
 
 
 
「シンジ君、ありがと」
「あん?」
 アークエンジェルへの着艦間際、カリンはミラー越しに笑顔を向けた。
「何が?」
「いいもの見せてもらったわ。あんな光景を、一生に一度でも間近で見られるなんてこの世界でも屈指の希少種よ。やっぱり、マリュー艦長が全面的に信頼するだけの事はあるのね。みなお…いたっ」
 ぽかっ。
「最初は疑っていたのだな?あとでサソリの餌にしてくれる」
「ちょ、ちょっと待っ、そ、そこまでっ!?」
「当然だ」
(もう、冗談通じないんだから…)
 言うまでもなく、この辺りに狼はいないがサソリなら嫌という程いる。しかもこの男、やると言ったら本当にやりかねないのだ。
 背中に冷たい汗を感じながら機体を着艦させたカリンだが、目の前の光景にびっくりして目を見張った。そこには、ほぼ全員かと思う程のクルーが整列していたのである。
(あ、でも女はいないわね?)
 すぐに気付いたが、出撃前にシンジが男限定で全クルーを集めた事など、無論カリンは知る由もない。
 シンジがゆっくりと降り立つと、クルー達は一斉に敬礼した。
 が、シンジは返さない。
(あ、あれ?無視しちゃうわけ)
 クルー達を静かに見回し、
「不足」
 とだけ告げた。
「『!?』」
 勿論シンジに言われて集まったわけではないし、クルー達の自主的な行動である。
 しかし、シンジは足りないという。
 
 ヒソヒソ。ヒソヒソ。
 
 密談する事三十秒、やがて男達がもう一度整列した。
「『ジーク・碇!ジーク・碇!』」
 直立不動で立つ男達からの斉唱を全身に受けて、シンジは頷いた。
 なお、ジークとはドイツ語で勝利を意味しており、万歳とは違う。ハイル・碇、と斉唱していたら、シンジは何と言ったろうか。
 ゆっくりと敬礼を返し、
「で、誰の発案で?」
 と訊いた。
「あ、あの…自分です…す、すみませんっ」
 和尚に叱られた小坊主よろしく、うつむき加減で前に出てきたのはカズィであった。
「すみません勝手な事して…っ」
「別に咎めてなどいない」
「…え?」
 てっきり怒られるとばかり思ったが、シンジは違うという。
「たまには、こう言うのも悪くない。本邸の連中にはされたくないが、な」
「え?」
「いや、こちらの話だ」
 シンジが碇家の本邸に居れば、下にも置かない扱いではあるが、シンジから見れば単にこの家に生まれたからであって、自分の本質とは無関係だと思っている。
 が、ここでは違う。
 少なくともこの世界に於いては、役に立つかどうかでしか判断されない。シンジの生まれ育った環境など、知る者はいないのだ。
「ただし、今回の殲滅プランには狙撃が欠かせなかった。陥穽ポイントを、射手が適格に撃ってくれたからあれだけの成果が出たのだ。紹介しよう、今回のいい女賞――カーテローゼ・フォン・クロイツェル、略していわゆるひとつのカリンだ」
「え?ちょ、ちょっとっ!?」
 いきなり手を取って前に押し出され、アワアワしているカリンの前で、
「ジーク・カリン!ジーク・カリン!」
 直立不動だが、シンジの時とは違い右手を張って胸元で水平に構え、そこから斜め前方につきだしており、
(あ、旦那発見)
 と、内心で呟いたシンジの口元に、笑みが浮かんだ事には誰も気付かなかった。
 カリンを見るとちょっと赤くなっている。満更でもなかったようだ。
「この後は、特に寄る所がなければオーブへ向かうわけだが、言うまでもなく海上で砂像は使えない。本艦に負担を掛ける事無く勝利できるかどうかは、マードックの活躍いかんに掛かってくる」
「お、俺かー!?」
「そう、俺。とは言え、MSに乗ってもらうとか艦に鏡面装甲を施すとか、そんな面倒な事はしない。一つ、作ってもらいたいものがある」
「俺に…作らせたいもの?」
 聞き返しながら、コジローは何となく嫌な予感がしていたのだが、それは的中した。
「そ。正確に言えば、バズーカ砲の砲身を強化してもらいたい。レベルで言えば、陽電子砲を撃ちだしても壊れない位に。無論、ここにいる全クルーも協力してくれるはずだ」
「ちょっ、ちょっと待てや。自分が何言ってるか分かってるのか?陽電子砲を撃ちだしても壊れない砲身なぞ、作れるはずがないだろう」
「では、ヤマトやステラに負担を強いる、と?」
「そ、それは…しかし大将いくら何でも…」
「ふむ。困ったものだな」
 シンジは何やら考え込んだ。
「道行きはオーブまでだし、ストライクもガイアも使わずに行けるかと思ったが…」
「『!?』」
 その口から出たのは、居合わせた者達の度肝を抜く言葉であった。砂像は使えない、とシンジは自ら言ったではないか。
 海上で、MSも使わずに何をするつもりだったのか。
「まあいい、いくらマードックでも限度はあろう。とりあえず、通常使用されるレベルより、五倍から十倍程度の強度で頼む。後は俺が自分でやるから。可能か?」
「それなら…何とかやってみるわ」
「よろしく。カリン、行くよ」
「え、ええ」
 シンジの後を追って廊下へ出たカリンが、
「ちょっとシンジ君、さっきの本気だったの?」
「さっきの?」
「陽電子砲にも耐えられる強度、とか言ったじゃない。あんなの絶対無茶よ」
「はあ」
「……」
「そもそも陽電子砲に耐えられる強度なんて知らな…ふぐー!」
 カリンの白い手がシンジの首をきゅっと締めあげ、
「知りもしないのにどうしてあんな無茶な注文出すのよ!」
「そうやって今まで生きてきたから」
 カリンに絞首されながら、
「ま、最終的には妥当なラインに落ち着いたんだから良かろう。被害が少ない、と言う事はそれだけ経験値不足にもなる事だし」
「経験値不足?何の事?」
「今回は艦の装備を封印し、文字通りスカイグラスパー一機で敵を始末した。結果、アークエンジェルの戦力は温存されたが、戦闘に於ける経験値はゼロのまま。そう言う事」
「それはあたしも思ってたけど…あれ?」
「ん?」
「さっき、道行きはオーブまでとか言ってなかった?」
「言った。元より、目的はヤマトとステラ、それにガイアを添えてオーブまで担いでいく事だし、私はそこで降りる。ナチュラルの軍に属する気など無いしね」
「え…マリュー艦長は…いいの?」
 思わずマリューの名前を出してしまい、慌てて口をおさえたカリンだが、シンジは特段の反応を見せる事もなく、
「オーブの位置は地図で見た。オーブを出てアラスカへ向かうルートまで行けば、アラスカの連中も援軍位は寄越すだろうし、アークエンジェルの足なら逃げ切れる。それともカリン、私に地球軍に所属しろ、と?」
 カリンはゆっくりと首を振った。
 ストライクは地球軍の物だが、ガイアは違う。そしてステラはガイア共々オーブ所属で、キラは未だ地球軍に入っていない。
 つまり、シンジと一緒にオーブで降りる事になる。キラもシンジも、戦闘で欠かせないどころか大半を担っている状況で、しかもシンジの言う通りクルー達の戦闘経験は一向に増えないままオーブに入り、シンジ達が降りた時の事を考えると背筋が寒くなるが、だからと言ってシンジに軍属になれと言う事は、カリンには出来なかった。
 シンジが地球軍をどう見ているか、カリン達はハルバートンから聞かされているし、何よりもへリオポリスを出てからここまで、これ以上にない成果を上げてきている。アークエンジェル一隻でザフト軍から猛追されながら、現在の艦の状態は異常とも言える程だ。
 それだけに抜けた時の穴は大きくなるが、だからと言って損害覚悟でシンジ達を引っ込めて戦闘に臨むのはそれこそ本末転倒になる。
 勿論、自分達は軍人だからアラスカまでずっと乗艦する事になるが、どんなに軽く見積もっても、戦力は二割以下に落ち込む。だいたい、キラもシンジも降りた後、誰をストライクに乗せればいいと言うのか。
「それとカリン」
「え?」
「マリュ…いや、姉御を過小評価し過ぎ。マリュー・ラミアスは、神がその従魔に身を窶す事を承知した奴に、助力させたのだ。アラスカまで位ならあっさりと行ってのけるよ」
(い、今神って言わなかったー!?)
 明らかに聞き間違いではなかったが、シンジの場合は接する者に常識の再構築をさせるタイプだから、万一という事もあり得る。
「オーブまでの安全な旅行券は、五精使いからの贈り物だ。オーブまでは、何者が来襲しようときっちり片づけるよ」
(シンジ君…)
「マードックが改良した物へ、更に紋様を施して耐精仕様にする。精(ジン)を凝縮したそれが何をやってのけるか、甲板で昼寝でもしながら眺めておいで」
「そう、ね…」
 カリンには、頷く事しかできなかった。元より、就任予定の艦長以下士官達を失い、最少催行人数よりも更に少ない人員で出立した艦が、ここまでこんな状態で来られたのは奇跡に近いのだ。シンジ達がいずれ降りるのは分かっている事だし、その時は自分達が死力を尽くして艦を守るしかない。
(でも…マリュー艦長を信頼しているって言えばしてるんだろうけど…結構クールなのね)
 マリューを守る、と言い切る性格とは思っていなかったが、シンジの反応は少々意外であった。
 小首を傾げてシンジの背中を見つめたカリンだが、
「何か言った?」
「なっ、ななっ、何にもゆってないよっ」
 ひょこっと振り向かれ、慌てて首を振った。
 あからさまに怪しすぎる。
 それから三十分後、両腕をキラとステラにとられながら、シンジはキラが回収してきた包帯の塊と対面していた。
 マリューには、既に帰艦の報告はして来た。
 シンジにしては珍しく、シャツの襟を立てた奇怪な格好をしているのはそのせいだ――目許を僅かに潤ませたマリューが、首筋に濃厚で妖しい痕を残したのである。
 一人でMSの前に立ち塞がったりしたお仕置き、と言う事らしい。
 艦橋では、バーディ以下のクルーが敬礼して出迎えたし、ナタルでさえも小さく敬礼した。
 そこまでしなくても、と内心では思ったのだが、口にはしない。
 戻ってきた所をキラとステラに捕縛され、現在に至る。
「シンジさん、これってやっぱり…」
「そ。渦中のアイシャって女だな」
「でもどうして…」
「それは今から直に訊く」
「『え?』」
「ステラとヤマト、剥がして」
「『はい』」
 解かれた白布の中から出てきたのは、予想通りアイシャであった。とは言え、シンジはアイシャの顔を知らない。
「これがそのアイシャなる女か?」
「うん…」
「分かった。私が直接聞き出してみるから、二人は茶坊主をどこかに閉じこめておいて。後で私も行く」
 二人が出て行った後、シンジはしばらくアイシャの顔を眺めていた。美形の有無はおくとして、カガリはまだしもキラとステラまでが執心する理由は、いまひとつ分からない。
「とは言え…」
 シンジの口許に邪悪な笑みが浮かんだ。三人の共通点は唯一、アイシャと身体を重ねた事であり、女だけの三角関係、いや三角錐でも出来ればとろくでもない事を考えたのだ。
 邪悪な誘惑を振り払い、その肩を数度揺するとアイシャはゆっくりと目を開けた。考えてみれば、砂上に放り出されてからガンダムで運ばれて、ここまで目覚めていないのだからある意味大したものだ。
「ここハ…?」
 顔を動かしたアイシャがシンジに気づき、その表情が険しくなった。アイシャの方は、シンジのことを知っているらしい。その直後、アイシャの眼前で小さな炎が揺れ、その首がかくんと折れた。
 陥ちたのだ。
 催眠術の一種だが、あくまでももどきなので、三分も持たないのが特徴である。しかも、成功率までも低いと来ている。
「さてと、答えてもらおうか。アンドリュー・バルトフェルドがお前を放り出したのはこの艦に拾われて内部から崩すためか?」
「…違う…ワ…。私は…アンディと…一緒に戦うつもりなのに…私を裏切り者って…」
「なるほど、ね」
 珍しく成功したぞと、少し満足げに頷いたシンジの指が鳴り、間もなくアイシャの顔が上がった。
「な、なんであんたがここにイルのっ!アンディはっ!?」
「私が討った」
「!」
 ぎり、と唇を噛み締め、掴みかかって来ようとするアイシャからすっと身を引き、
「ここはアークエンジェルの中だ。砂漠に放り出してあったお前を拾ってきたのだが、私を殺す前に一つ聞きたい。一体何をした?」
「な、何を…」
「バルトフェルドはこう言っていた――あんな裏切り者は要らん、と。何をしでかしたのだ?」
 その途端、シンジの襟が掴まれた。コーディネーターの両手がその襟元をぎりぎりと締め上げ、
「違うっ!私は…私はっ…」
「私は?」
 手を気にすることもなく、シンジは重ねて訊いた。この程度の反応は予想していた事で、だからキラもステラも表に出したのだ。
「裏切る気なんか…無かったのに…」
「茶坊主はどうか知らんが、ヤマトもステラも寝返る約束をした、とは全く言っていなかった。つまり勝手に早合点した想い人に捨てられてしまった、と?」
「す、捨てられてなんか…捨てられてなんて…いないヨ…」
 アイシャの双眸から涙が筋となって流れ落ち、やがてシンジの襟にかかった手が力なく落ちる。自分の膝元を掴んで泣き続けるアイシャを、シンジは黙って見つめていた。
 やがて十五分近く経った頃、シンジが口を開いた。 
「知っているだろうが、ヤマトには私が護衛を付けておいた。だが浴場で失神させ、そこを銃で撃たれたりすれば、二人とも為す術はなかったのだ。無事に返した事は、私からも礼を言う。敵でありながら、運ばれてきた貴女を殺さなかったのもそのためだ」
「……」
「今は傷心の身、どこへなりと行かれるがいい――と言いたい所だが、貴女を欲しがっている奴がいる」
 それを聞いてアイシャの顔にある種の色が満ちていく。
 それは怒りの色であった。
「私が…あなたを許して言うことを聞くと思っているの」
 またもシンジを絞首しそうな風情のアイシャだが、シンジは身構える事もせず、
「話は最後まで聞くものだ。短慮は人生を損する事になる。バルトフェルドのように、な。想い人を信じていれば、砂漠の真ん中に放り出すこともなかったろう」
 その口調は淡々としていた。腕を付け根から断てるとは言え、コーディネーターの腕力は既にミーアで体験済みのシンジであり、不測の事態も考えられるのに妙に落ち着き払っていた。
「さ、砂漠?」
「そこにある白布に包まれ、ラゴゥから放り出されたのをヤマトがストライクで拾ってきたのだ」
「アンディ…」
 これが決定打になったのか、怒りの色は落胆へと代わり、アイシャは悄然と俯いた。
「欲しがっている、とは言ってもザフトから放り出されたから、この艦の戦闘要員になってくれとか、そんな事を言う気はない。先だって、うちの二人以外に場の空気が読めず、粗暴で向こう見ずなくせにドレスが妙に似合う小娘がいなかったか?」
「…カガリっていう子?」
「そう、その茶坊主だ」
(茶坊主?)
「元よりこの艦の関係者には見えなかったろうが、妙だとは思わなかったかな」
「どこかのお嬢様でショ。そんな事知らないワ!」
「ごもっともで」
 シンジは一つ頷き、
「フルネームはカガリ・ユラ・アスハ。オーブ首長国連合総代表、ウズミ・ナラ・アスハの娘だ。奴が貴女を欲しがっている。風呂場で危険が及ばなかった事とドレスの礼、かどうかは知らんが、どうしても殺させたくないから何とかしてくれと、戦闘前私に頼み込んできた」
「オーブの…」
「無論、俺は即座に却下したが」
「え?」
 さっき、自分は砂漠に放り出されたと言ったではないか。ではどうして、自分をここへ運んできて、しかも何もしないでいるのか。
「別ルートだ」
 アイシャの心を読んだかのようにシンジが言った。
「キラとステラからも、絶対に殺すなと強迫されていた。バルトフェルドの脳内構造は理解できんが、ラゴゥが出てきて白布に包まれた物を放り出した時、多分貴女だろうと見当はついた。受けるかどうかはともかく、これで二人から締め上げられないで済む、とほっとしたよ。三人とも、貴女との身体の相性が余程良かったと見える。無論、強いる気はないが、さてどうするね」
 シンジの言葉に、アイシャの頬がすうっと赤くなり、
「ど、どうしたらいいと思うノっ?」
 少し早口で訊いた。
「知っているとおりオーブは中立を宣言しており、連合・ザフトの何れとも交戦状態にはない。それに、茶坊主が欲しがっているのは兵としての貴女ではないし、ヤマトやステラもMSに乗ってと言っているわけではない。勝手に曲解されて放り出されたのだし、その先がオーブなら別段寝返りにもなるまい」
「……」
 
 
 
 
 
(第七十話 了)

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