妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第六十三話:ハマーン様の一限目:コラ職人
 
 
 
 
 
 妊娠疑惑イベント、というのは恋人達を計るリトマス紙になる。いきなり重い荷物を見せられて男がどう反応するのか、そして人生の一大イベントに遭遇して女が男にどう告げるのか、文字通り男と女の器量を計るリトマス紙と言える。
 ラクスに生理が来たことで、赤服隊最初の子持ちとなる事を免れたアスランだが、
「ねえアスラン」
「何です?」
「あのっ…ま、満足して…いただけました?」
「可愛かったですよラクス」
「も、もうアスランてば…っ」
 ラクスとベッドの中にいた。
 真っ赤になって逃げ込もうとするラクスを、アスランが優しく抱きしめる。
 ひょこっと顔を出したラクスは、しばらくアスランの胸に顔を埋めていたが、やがてその顔が上がった。
「アスラン…」
「何?」
「地上への降下が決まったのでしょう」
「ええ」
「目標はやはりアークエンジェル?」
「そうなると思います。バルトフェルド隊では手に負えないだろうと、予測しての降下命令ですから」
「……」
 ラクスはちょっと言い淀んでから、
「討てますか」
 と短く聞いた。
「覚悟は…出来ています」
「いえ、気持ちの問題ではなく」
「え?」
「実は、ハマーン様に宇宙での戦闘の映像を見せて頂いたのです。全てではありませんでしたけど…碇様とキラ様の乗った機体は、手の付けられない強さでしたわ。しかもアスランにはその…」
「手加減を、でしょう。分かっていますラクス」
「ごめんなさい」
「いいんですよ、本当のことですから」
 アスランの優しい声に勇気づけられたラクスが、
「その…このまま地上に降りても宇宙と変わらないのではないかと…」
「そうですね…」
 微笑ったアスランだが、内心では苦笑している。
 ラクスの言うとおりだからだ。
 戦場が宇宙から地上に変わっても、あのストライクの弱さがダウンするとは思えない。だいたい、あの異世界人もキラもMSすらろくに知らない二人なのだ。だからと言って放置は出来ない、と言う程度のなかなかに良い感じの適当な戦略であり、素人のラクスだって十秒も考えれば分かることだろう。
「でもラクス」
「はい?」
「ラクスが戦闘の事を口にするとは驚きました。ラクスからは決して聞かれぬ話だと思っていたのに」
「あのねアスラン…実はわたくし、ハマーン様に叱られましたの」
「え!?」
「勿論平和を願うのは大切な事です。でも平和だけ祈っていれば平和になる訳ではない――プラントの人々は地球を欲したり、ナチュラルの滅びを企てた事はない、と」
「ラクス…」
「わたくしの平和を祈る気持ちに変わりはありませんし、キラ様の事は好きですわ。それに、碇様は尊敬できる方だと思います。でも…でも…」
 言葉が続けられぬラクスの髪を、アスランは優しく撫でた。
「ハマーン様は、あの異世界人を撃墜してストライクを晒して士気を上げる、と言っておられましたか?」
「いえ、それは…あの、一度お話しされたいと…」
「私もですよ」
「え?」
「もっとも、私はハマーン様とは違います。あの異世界人にそこまでの思い入れはない。とは言え、武装解除もしないブリッツにニコルとラクスを乗せて返し、先だってはイザークの傷まで癒して返された。そこまでされて、ただ討ち取って喜ぶのでは、ハマーン様の言われるとおり赤服など成績が優秀なだけの機械に過ぎない。アークエンジェルは沈めますが、あのストライクは捕獲を最優先にするつもりです」
「アスラン…」
 討ち取ることさえ四苦八苦して出来ずにいるのに、まして生かしたまま捕らえるなどその数倍難しい。ただ、幸いな事にラクスはそこまで突っ込んでは来なかった。
「しかし、ラクスがどうして気にするようになったのです?」
「それはその…」
 アスランの胸元を細い指でぐりぐりしながら、
「わたくしは…アスラン・ザラの許嫁ですもの…」
 と言われても分からない。
「はあ」
「もーっ、アスランてば鈍いですわ。だからその…み、未来の旦那様がプラントを守るために戦場へ行くのに、つ、妻のわたくしが平和だけを願うのは…ア、アスランの足を引っ張るみたいって思ったのに…っ」
 ブランケットの中へ逃げ込んでしまったラクスを、アスランは微妙な表情で眺めていた。確かに、祈れば平和になるだろうとか、プラントが戦力を放棄すれば平和になるとか、おぞましい妄想を口にされるよりはいいのだが、必ずしも夫唱婦随である必要はない。
「ラクス、ほらラクス顔を出して」
「…嫌ですわ。だってアスランがまたいじわるな事を言うに決まってますもの」
「ラクス」
「……」
 少し強い口調で呼ばれ、ラクスがちょこんと顔を出した。
「ラクス、私の話を聞いてください。ラクスも知っているとおり、ストライクを擁して、今地球に降りているアークエンジェルは強いです。地球軍の第八艦隊を殲滅した時でさえ、あの艦とMSは悠々と地上へ降りていきました。次元が違う、と言っても過言ではないのです」
「……」
「とは言え逃げるわけにも行きませんが、私はあっちに全力を投球しているから、背後の事は分からないのです」
「背後?」
「プラントの情勢ですよ。今度地上に降りたら、何時戻って来られるか分かりません。プラントも一枚岩ではない、この先どういう方向に行くのかはまだ分からないのです」
 そう言いながらアスランは、ラクスごめん、と心の中で謝っていた。既に九割方は完成している新型戦艦ミネルバ、そしてパトリックの言った新型MSの開発、それを見ただけで、プラントが強硬路線に動いていくのは目に見えているのだ。
「今は私もラクスも政治力はありません。でも、いずれ私達はプラントを代表する立場になる身です。私は前線と後方と、両方に気を配る余裕はありませんが、でも戦争を続けたい訳じゃないのは私もラクスも一緒、そうでしょう?」
「はい」
「私は前線で戦果を上げる事に全力を尽くします。ラクスは後方にいてプラントの情勢を見ながら、どうしたら平和に向かうのかを考えていて下さい。ね?」
「アスラン…」
「でも、ラクスがそう言ってくれるのはとても嬉しいですよ」
(ガッツ)
 ラクスが妊娠したかと思ったときの自分は、時間を遡って袋だたきにしたい位みっともなかった。今、思い出しても赤面するくらいだ。
 が、今の自分はちょっと格好良い、と思った。少なくとも、あの時に比べれば雲泥の差があるに違いない。
「アスランっ!」
 ラクスがぎゅーっと抱きついてきた。
 思いこみではなかったらしい。
「もう…大好きっ…!」
 すりすりと頬擦りしたラクスが、んーっと小さく唇を突き出す。
 が、アスランは唇を重ねる事はせず、
「ラクス、もう一回したい?」
「!?い、いじわるですわっ」
 真っ赤になったラクスが毛布の中に逃げ込むのを追って、アスランも潜り込んだ。
「も、もうっ、そんな所を触らないでっ、あんっ…むぅっ!?」
 拗ねていたラクスの声がくぐもったものに変わり、やがて二人を飲み込んだベッドからは甘い喘ぎと男女の熱い吐息が漏れ始めた。
 
 
 
「そんな映像(もの)を見せて、まだだめ押しをしようと言うのかね」
 背後から聞こえた声に、パトリックは一センチほど顔を動かした。振り返らずとも、声の主は分かっている。
 スクリーンに映し出されているのは、ジンの部隊を壊滅させて悠々と戻るストライクの映像であった。
「正確な情報を教えたいだけですよ」
「君の選んだ君にとって都合の良い情報を、だろ…ぐはっ!?」
 言い終わらぬうちにシーゲルの身体は吹っ飛んでいた。パトリックが殴り飛ばしたのである。
「パ、パトリック血迷ったか…」
 その襟首をぐいと掴んで持ち上げたパトリックが、
「私の選んだ情報を、だと?何も知らぬ腐れ平和主義者が、よくそんな戯言を言えるものだな。見ろ、これを!」
 パトリックの手がリモコンに触れた瞬間、シーゲルの顔色が変わる。そこに映っていたのは腕を落とされたイージスであり、その後ご丁寧に頭部を落とされている。相手に手加減されている事など、三歳児でも分かるだろう。
 しかも武装解除されていないブリッツを、ほぼ丸腰のキュベレイが受け取っている箇所を見るに及んで、その顔から血の気は引いていった。
「この時、ブリッツに乗せられていたのはラクスだ。先だっての戦闘では、デュエルが捕らえられ、討たれもせずに帰されたという。この意味が分かるか、シーゲル!私に取って都合が良いだと?ラクスは奪還ではなく敵の温情で帰されたのだと、ニコルもイザークも敵に捕らわれながら、はいどうぞと帰されたのだと知れ渡ればどうなると思っている。エザリアやユーリが内通を疑われる、それがあなたの望みかシーゲル!」
「……」
 最高評議会に提出された映像は無論見たが、こんな部分が器用に切り取られているとは気づかなかった。無論、パトリックが強硬派である事に変わりはない。もし無修正の映像を流せば、世論は強硬派一色に染まるだろう。シーゲルのような穏健派など、文字通り葬り去られるに違いない。
 だがパトリックはこの映像を出さなかった。
 いや、出せなかったのだ。
 出せば、ジン隊は壊滅させられながら、明らかに手加減されている赤服隊に疑惑の目が向くのは避けられない。タッド・エルスマン、ユーリ・アマルフィ、そしてエザリア・ジュールに親玉のパトリック・ザラ、彼らはいずれも強硬派、乃至は中庸よりも急進派であり、彼らに疑惑の目が向くような事があれば、強硬派は急激に失速しかねない。あの四機のパイロットの縁者に穏健派がいなかった事が、今回は幸いした。
 もしいれば、パトリックはこれ幸いとおおっぴらに公開しただろうし、世論もまたナチュラル討つべし、と結束しかねない。
 そう、その意味で言えば彼らに疑惑の目が向いた方が、シーゲルとしては都合がいい。
 がしかし。
 戦闘映像を改変している、と言う事実はパトリックに取っては不利であり、シーゲルに取っては有利である。では、どうしてパトリックがこれをシーゲルに見せたのか。
 ラクスだ。
 向こうが圧倒的に有利な状況で帰されたラクスもまた、完全に疑惑の目から逃れ得る訳ではない。
 余計なことを口にすればお前もただでは済まないぞ、と平たく言えばシーゲルを脅迫しているのだ。
 しかも疑われた場合、穏健派の方が分は悪いのだ。
「まあ、これはもう過去の映像だ。今更蒸し返しても仕方がない。だがシーゲル、決して捏造ではないのですよ。たった一機、そうたった一機で我が軍をこれほど追いつめる敵が向こうにはいるのです。いつまでもまとまらぬ和議に時間を費やすよりも、さっさと戦争を終わらせる方が早いと、そうは思いませんか?それともブルーコスモスの暗躍に脅えながら和議の方法を模索し、その間にあんな桁違いのパイロットが地上の我が軍を壊滅させるのを、ただ指をくわえて見ている方がいいと?」
「それは違う!私は決してプラントの…仲間の被害が増大するのを手をこまねいて見ている気はない…!?」
 激しく否定してから、シーゲルは釣られたと気づいた。元々パトリックをとっちめるのが目的で来たのだが、いきなり爆撃を受けたもので当初の目的をすっかり忘れていた。しかも増大する同胞の被害を持ち出されては、それとこれとは話が違うとも言えない。三十機近くいたジン隊が壊滅するまでに十五分と掛かっていないのだ。
 和議の道を探ってはいるものの、なかなか進展しない一因にブルーコスモスの影響力があるのは事実だ。事実、連合の上層部にはその思想に冒された者が少なくないと聞いている。パトリックの事だから、またコーディネーターは進化した種だとか、どんな道でも乗り越えられるとか、どこかから電波を受信したような事を言うに違いないから、その寝ぼけた頭をたたき起こしてやるつもりでいたのだが、気づいたらパトリックにまんまと釣られていた。
「私はこの映像を評議会に出す気はない。ただ――あなたには現状を知っておいてもらわねばならないから、これをお見せした。感情的になった事はお詫びする、クライン議長」
「いや…」
 世論が強硬派に傾きつつある中で、それでも和平を唱えるにはある程度の理由が必要になる。泥沼化する前に、お互い何とか歩み寄ることで手を打とう、と言うのが一応聞こえはいいが、それとて戦力が拮抗していることが条件になる。数で勝る連合と質で勝るプラントだから泥沼化する訳で、その勝っている質の部分を覆されたらえらい事になる。
 そんな事はシーゲルとて分かっているのだが、パトリックが突きつけたのはその現実だけであった。自分の理想も思考も混ざらない、和議の行方が見えぬ現状で連合がどれほど脅威になっているのかとシーゲルに見せつけたのだ。
 冷厳に突きつけられた現実の前では、さすがのシーゲルも反論する言葉が見あたらなかった。
「オペレーションSB、これは別に戦火を拡大しようというものではない。元より我らは、地球を望んだことなど一度もないのです。戦争の早期終結は即ち戦火を拡大しない、と言うことにも繋がる。シーゲル、この映像がなくとも和議の進行状況を考えれば、あなたが反対する事ではありますまい」
 何を言うかこの二面性男が、とシーゲルは内心で毒づいた。普段はナチュラル如きがと見下し、共にある必要はないとか、コーディネーターは進化を遂げた種なのだとか平然と口にしており、文字通りナチュラル殲滅論者と言っても良いくらいだ。
 そもそも、早期に終結すれば戦火を拡大せずに済むとは言え、それは共存思考の者がトップにいた場合であって、ナチュラルとの共存など考えていないパトリックのような者が上にいた場合、こちらが優位で終戦を迎えたのを良いことに、ナチュラルの弾圧すら謀る可能性があるのだ。
 だが、今回の自分を引っ込めて現実を突きつけてきたやり方には、さすがのシーゲルも反論する術を保たなかった。MSの開発により少なくとも五分のところまで押し返した、と言う戦略概念が根本から覆されてしまったのだ。ニコルやイザークが帰された事を抜きにしても、この映像はプラントの民意を結束させるだけの効果――危険性を孕んでいることは、シーゲルも認めざるを得なかった。
 パトリックが、いつものように自分の思想を前面に出していない以上――少なくともこの場では――それを持ち出すのは、負けた上に寝転がって暴れるようなものだ。
「オペレーションSBの可決は私も認めよう。だがあくまでも我らの見る未来は共存である、と言うことだけは忘れないでくれ」
「仰せの通りに。クライン議長閣下」
 お前は核を撃たれていないからそんな事が言えるのだ愚か者が、と内心で冷ややかに呟きながら、パトリックは慇懃に一礼した。
 それだけは無し、と禁じ手だった核を撃ち込み、あまつさえそれをコーディネーターの自爆テロのせいにするような下等種族と、どうして共存などできるものか。
 こんな相反する二人の子供が許嫁同士で、しかもこの時間ベッドの中で仲良し、と知ったらどんな顔をするかは不明だが、ある意味でナチュラル視点のシーゲルと、そのだいぶ上方に行っているパトリックでは所詮相容れるはずがないのだ。
 なおオペレーションSBとは、現在地球軍が唯一宇宙へ上がるシステム“マスドライバー”を擁したパナマ基地へ大群を降下させ、一気に制圧しようというもので、作戦名はスピットブレイクと呼称される。
 宇宙への道を分断するのは悪くない発想だが、連合がとりあえず宇宙(そら)へ上がれるだけの物を造ったらどうするのか、とかマスドライバーを備えた基地を奪還されたらどうするのか――何よりも中立を宣言しているオーブは持っているとか、色々問題点は多い作戦である。
 オーブが決して連合に付かないことが前提という、根本からして他力本願の匂いが漂う作戦なのだ。
 この作戦については一応評議会で採決がされるが、ナンバー1とナンバー2が賛成すると決まれば――特にシーゲルが賛同に回れば全会一致で採択されるだろう。
 シーゲルは反対票を投じるつもりだったし、採決の前にパトリックをとっちめてやる気でいた。そしてパトリックは既にそれを見越していたのである。修正済みの映像を流したのはシーゲルを釣る餌であり、そしてまんまと釣れてくれた。
 あのストライクのパイロットは確かに厄介だが、これで作戦が堂々と遂行できると感謝しても良いくらいだ。
 そう――真のオペレーションスピットブレイクの為に。
 
 
 
「貸し切りでご招待とは痛み入ります、ザラ国防委員長閣下」
「止めたまえ、ここにはカメラもマイクも仕掛けておらん。微塵も思っていない事を言われるのは好まんよハマーン・カーン」
「――では」
 ハマーンはふっと笑った、ように見えた。
「君が従うのは評議会の命でも国防委員長の意志でもなく、己の誇りと矜持のみだろう。孤高の勇将に追従を言わせようとは思わん」
「私も随分反骨精神の高い女になったらしいな。それでパトリック、私の偏屈ぶりを評価するために、こんな席を設けられた訳ではあるまい」
「オペレーションSBが通った。全会一致でな」
「全会一致?クライン議長は欠席を?」
「いや、賛成票を投じられた。あれで日和見だった連中は無論、反対派の議員も賛同に動いた。議長が賛成されてなお反対しては、目立ちすぎるからな」
「……」
「君が素で度肝を抜かれた顔をするのが見たくて呼んだ、と言ったら怒るかね?」
 パトリックはにっと笑った。あのハマーン・カーンが、豆鉄砲を食った鳩みたいな顔をするところなど、ザフト軍の中でも見た者はまずいるまい。
「別に怒りもしないが…クライン議長は徹底した反対派の筈。見た目は戦争の早期終結だが、その先にあるあなたのナチュラル排除思想を見抜き、反対しておられたと思ったが」
「人間は進化するのだよハマーン。我々コーディネーターが、いつまでもナチュラルと同じ所になどいないのと同様にな。と、それは置くとして、クライン議長にある映像をお見せした。それだけだ」
「映像…」
 呟いたハマーンに、
「そうだ、手を加えていない本物の無修正映像をな」
 そう言われても分からない。そもそも、ハマーンは議会に出された映像を見てはいないのだ。連合を脅威とするために、記録された映像は十分使える筈ではなかったか。
「ジンならいざ知らず、あの四機が手加減されているとあっては、エザリアやタッド達にあらぬ疑いが掛かりかねんからな」
(そう言うことか)
 なるほど、とハマーンは内心で呟いた。当然、ハマーンがストライクを助けた事もパトリックは知っていよう。だから自分を呼び出したのだ。
「理解した、と言う顔だな。その通りだ。圧倒的に有利な立場の敵が、わざわざ武装を外さぬブリッツにラクスを乗せて帰したから、自分への影響も恐れて賛成したとか、そんな事を教えるために呼んだのではない」
「だが、それを問うには少々場違いのようだが」
「勘違いをしているな、ハマーン」
 そう言うと、パトリックはグラスを取り上げてハマーンのグラスに小さく触れ合わせた。
「飲みたまえ。ぬるくなっても美味な酒ではないのでね」
「……」
 ハマーンが飲み干したグラスに手ずから注ぎながら、
「君の脳内が理解できないなら、そもそもこんな所へ呼び出したりなどしておらん。最初から君が指揮していたわけではないが、あれだけ散々手加減されて、それをただ討つのはプライドに関わると考えた事くらいは理解できる。それに、君を軍法会議に掛ける気など微塵もないよ。私はまだ死にたくないのでね」
「…死にたくない?」
「君を軍法会議に掛けられて、君の右腕が黙っているかね?ロケットランチャーを担いだロックバンドに殴り込まれたりしては、評議会史に恐怖の一日が記される事になるからな。理解したか?」
「キャラはそこまで過激な女ではないが…」
 僅かに苦笑してから、ハマーンはそれがひどく希薄な根拠に基づいている事に気付いた。
「私に軍法会議を免れさせる程良い部下を持った、と賞賛する為に呼んだ訳でもあるまい。ザラ委員長、私に何をさせたいのです」
「まあ、そう結論を急がずとも良かろう。物事には筋道というものがある」
 軽く手を挙げてハマーンを制し、
「君が矜持に基づいてあの難敵を逃がした事とは別に、君には謝らねばならん」
「私に?」
「そうだ。私には大して差がないような気もするのだが、赤服を着た者達は一応エリートという事になっている。だが今回、一番被害が大きかったのはアスランのイージスだ。しかも野菜の蔕でも落とすかのように、あっさりと落とされている。あの者達が――少なくともアスランがもっとしっかりしていれば、君が負い目を感じる事も無かったのだ。済まない」
「ザラ委員長…」
 軽く頭を下げたパトリックを見て、それが父としてなのか国防委員長としてなのか、ハマーンは測りかねていた。どちらも可能性はあるが、何となく前者のような気が、ハマーンにはした。
 国防委員長のパトリックとしては、ストライクの脅威的な戦闘のおかげでパナマ降下作戦を全会一致で承認させる事が出来たのだし、何よりもアスランは無傷なのだ。
 いわば一石二鳥である。
「さてそれでだ」
 さらっと流したパトリックを見て、ハマーンは間違いなく前者だと、それもあまり気の入っていない前者だと確信した。
(息子の事はさして気にならぬか。アスラン・ザラも可哀想に)
 やれやれと秘かにアスランを哀れんだハマーンだが、そのアスランがこの時間までまだラクスとベッドの中にいる、と知ったら何と言ったろうか。
「本題に入る前に訊いておきたい事がある。現在建造中の戦艦については知っているかね」
「知っている。名前をミネルバ、艦長は女を予定しているとか」
「耳が早いな、その通りだ」
 どこから知ったか、とは訊かなかった。
「もう一つ、あのアークエンジェルとストライクだが、地上に降りても強さは変わらぬと思うか」
「ザラ国防委員長、一つ教えて差し上げる。今アークエンジェルには、碇シンジという者がいる。異世界から飛ばされてきたそうだが、この者を取り除けばストライクもアークエンジェルも恐るるに足りん。なぜアークエンジェルの二番煎じを造ろうと――」
「逆だ、ハマーン・カーン」
 パトリックは、何故か得意げに遮った。
「へリオポリス襲撃前から既にあれは造り始めていた。ついでにいえば、既に九割方は出来ている。武装について突っ込まれるかと思ったが、孤高の勇将もまだ私の手の内にあったようだな。安心したよ」
「……」
(おのれクルーゼ…あの俗物が!)
 ハマーンは思わず内心で毒づいた。クルーゼがハマーンを欺いたのではなく、パトリックの情報管理が一枚上手だったのだろう。
 二番煎じ、と言った事で情報源も明らかになってしまった。
「ザラ委員長」
「何だ」
「失礼した。私が読み違えたようだ」
「ふむ」
 ハマーンから一本取るのはこれで二回目だ。
 パトリックは満足げに頷いた。
「ハマーンも勘違いしているようだが、戦艦を造る事自体は無意味ではない。異世界人については私も聞いているが、その者を取り除けば、アークエンジェルを恐れる必要はないと言ったではないか。ストライクとて、一瞬で百機を撃てはするまい。その間にミネルバでアークエンジェルを討たせればいい。宇宙でも、戦闘映像を見る限りアークエンジェルは大して戦闘に参加していないからな。戦艦同士の対決なら、そう差はあるまい。女艦長同士だし、遠慮する心配もない。戦争だと分かっていても、向こうの艦長が女と知れば妙なフェミニズムもどきの精神を発揮する輩が、我が軍にいないとは限らんからな」
 そう言う見方もあるか、とハマーンは呟いた。いかに相手が難敵とは言え、女艦長相手では勝ってもさして自慢にならないし、負ければそれこそ笑いものになる。女同士なら遠慮はしないだろうし、同性と言う事で余計に燃えるかも知れない。
(しかしストライクももう一機もパイロットは少女なんだが…)
 その事は忘れる事にした。
 碇シンジ搭載型である以上、単に少女が乗った機体とは違うのだ。
「何よりも、すぐにあの艦にぶつける訳ではないからな。幾つか連合の基地を攻撃させた上で――君と合流してもらうことになる」
「私と?」
「そうだ。君を呼んだのはこれが本題でね。ハマーン・カーン――君にはアラスカへ降りてもらう」
「アラスカへ」
 言うまでもなく、アラスカは地球軍の総司令部が存在するまさに敵のど真ん中だ。
「マスドライバーの建設には時間が掛かるとはいえ、とりあえず急場を凌ぐだけの物ならナチュラル共でも、そう手間を掛けずに造れるかもしれん。何よりも仲介を申し出ながら連合と組んでMSを造っていたオーブは、マスドライバーを持っているのだ。その状況で、パナマを落とせばこちらが有利に終戦できる、と私が本気で考えていると思ったかね?」
 初めてパトリックの表情が変わった。ここまではどちらかと言えば穏やかで、アスランの事を口にした時には父親の顔らしき物も見せていたのだが、一転して策謀家の表情となり、ハマーンを正面から見据えたのだ。
「パトリック、安心するがいい。あなたが腹黒いのは、このハマーンがよく知っている。何をさせたいのか想像はつかぬが、口外などする気はないから安心されよ」
「……」
 ハマーンはパトリックの視線を柔らかく受け止め、弾き返さなかった事で安堵したのか、パトリックはグラスを二杯立て続けに空にした。
「…褒められているのかね」
「どちらでも」
「この作戦の面倒なところは、相手に筒抜けになっていると知られぬ程度に情報を漏らす事だ。筒抜けになっている、などと兵士が思っては士気が激減するからな」
「パナマ侵攻を察知させ、背水の陣とばかりに連合が主力をパナマへ移動させたところで、降下部隊は一気にアラスカへルートを変えて侵攻、連合の頭を落とす作戦か。それで、私にそこへ加われと」
「その通りだ」
「それは軍令で?」
「違う。私の個人的な依頼だ。無論、君がアークエンジェルを、いやストライクを追いたい気持ちは分かる。だがアラスカに向かうであろうあの艦がどうなろうと、真のスピットブレイクを必ず発動させる以上、君のような戦力をあれに向ける訳にはいかんのだ」
「……」
 ハマーンの細い指が伸びて、グラスの縁を数度爪で叩いた。静まりかえった店内に、小さな音が響く。
「二つお訊ねしたい」
「うむ」
「一つ、私が断ったら?」
「強制はしない。君があくまでストライクに拘るというのなら、その意を曲げさせる術を私は持たんよ」
「もう一つ、どういう布陣を考えておられるかは知らないが、地上に降りた別働隊がストライクを討てる、とお考えか」
「分からん。だが、可能性は限りなく低いだろうな。君はさっき、異世界人を取り除けばアークエンジェルもストライクも恐れる必要はない、と言った。裏を返せば、それが出来なければ宇宙(そら)と変わらぬ脅威になる、と言う事だろう。宇宙であれだけ翻弄された奴らが、地上に降りた途端優劣が逆転できるとは思えん」
「ふむ…」
 ハマーンは刹那考え込んだ。
 クルーゼは、あの四本足の機体をオーブ製だと言った。少なくとも、実力はあるのに最初から出してこなかった事は事実だ。連中は今アフリカにいるが、もしもそれを律儀に返すならオーブへ向かうだろう。
 海上でストライクを捕縛し、シンジを取り出してカルパッチョにする野望は潰える事になるが――。
「裏のスピットブレイク発動までの時間は」
「二ヶ月はかかるだろう。何よりも、こちらの兵力が揃わねば戦闘にならん」
「で、アラスカ侵攻に間に合えば良いのだな、ザラ委員長」
「…うむ」
(ハマーン・カーン、何を考えている?)
「その話、お引き受けしよう。私がどれだけ役に立てるかは知らんが、使い物にならない坊や達を押しつけられるよりは楽だ。あ、いや失礼」
 その使い物にならない坊や達の筆頭の父親は、今目の前にいる。
「構わん、事実だ」
 さして、どころかまったく気にした様子もなく言ってから、
「オーブへ行くのかね」
 と訊いた。
 ただし、なぜオーブと思ったのかは自分でもよく分からなかった。オーブ製の可能性がある、と言う事はクルーゼから聞かされていないのだ。
「さっき言われた事が気になった」
「私に?」
「連合と組んでMSを開発していたオーブはマスドライバーを持っている、と。パナマが目的ではないし、開発技術を連合が失った訳ではないが、このプラントと比しても見劣りしない科学技術を持ったあの国がどう動こうとしているのか、見極める事は決して無駄にはならないでしょう。無論、アラスカ侵攻戦には間に合わせる。宜しいかな、ザラ委員長?」
 オーブと連合との繋がりが判明した時点で、ウズミの中立宣言に疑問符が付いたのは事実だ。決して遠くない位置にカーペンタリアの基地も存在する。そのオーブの動向を調べる為、と言われてはパトリックに反対する理由は無かった。
 元より、ハマーンに作戦立案までもをせる予定は無かったのだ。
「良かろう、ハマーン・カーン。君の好きにするといい。ただ、こちらと連絡が取れる態勢だけは取っておいてくれ」
「了解。さて、折角用意して頂いた席だが、今夜はこれで失礼するよ。パトリック、私を起用してくれた事は感謝する。ご期待に添えるよう努力する」
「そうか。ではまたの機会に付き合って頂くとしよう。こちらも急な呼び出しだったからな」
 席を立ったハマーンが、
「パトリック、ナチュラルを滅ぼしてその後はどうされるおつもりか?」
「滅ぼしたい、と思っている訳ではない。ただ、進化した種を忌む余り滅ぼそうと企むような連中は、支配され、管理されるべきだと思っているだけだ。平和な暮らしを突如、核で打ち砕かれるような事は二度も要らんだろう。君は反対か?」
「反対はしない。力なき俗物共は、恐怖を簡単に殺意へと変える。だがその前にやる事はあろう」
「ほう…」
「このまま推移すれば、いずれコーディネーターは消えて無くなる。出生率の下がるコーディネーターなど、放っておけば絶滅する菌のようなものだ。無論、それはナチュラルの大反攻をも招く事になろう」
「……」
 分かっている、とパトリックは一つ頷いた。これが余人ならば、今までと同じように乗り越えるだけだ、と一笑に付したろう。
 だがハマーンには、それをさせぬだけの何かが備わっていた。
「ところで評議会には改変した映像を提出された、と言われたな」
「そうだ」
「その改変は委員長が自ら?」
「いや、信頼できる腹心に任せた」
「なるほど」
 ハマーンは一つ頷き、
「腕のいいコラ職人を抱えておられるようだ。では、私はこれで」
 その姿が消えてから、
「…コラ職人?」
 金星で未知の生命体に遭遇した宇宙飛行士みたいな声で、パトリックが呟いた。
 
 
 
 
 
(第六十三話 了)

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