妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第六十二話:キラ〜風の付き人〜(後編)
 
 
 
 
 
「カガリ、しっぽを出しちゃ駄目だよ?」
「しっぽ〜?」
「そう。あまり口を開かないでね」
「私を何だと思ってるんだ!」
「おっちょこちょいで回りが見えなくて世間知らずで我が儘で、その上回りに迷惑を掛けることを何とも思ってない…っていうか自覚もしてない傍迷惑なお嬢様。カガリ、いいね」
 ムカッとはきたものの、キラの強い視線に遭ってカガリは不承不承頷いた。
「もー、二人ともえっち上手なんだから…女の子相手に負けるなんて初めてヨ」
 艶っぽい顔で笑ったアイシャだが、その足下は完全にふらついており、壁に寄りかからないと立てないくらいだ。少女達三人に責められ、八度もいかされてしまったのだから無理もないが、ここまで完敗だとすっきりする。
 キラの頬にちゅっとキスして、
「お礼、じゃないケドこの子には可愛いドレスを用意してあげるワね」
 と、カガリにドレスを用意してもらったまではいいが、それを着たカガリを見て、キラもステラも嫌な予感がした。
 あまりにも、ぴったりと似合いすぎているのだ。馬子にも衣装、どころか普段から着慣れている感じさえある。それでも普通ならば問題ないが、このカガリは普通ではない。感情面では非常に幼いし、簡単につられる可能性がある。
 だからキラも釘を刺したのだ。
「分かったよ、要するに黙ってりゃいいんだろ!」
「そう言うこと。口を開かないでね」
「……」
 がしかし。
「君はドレスが似合うようだな。似合う、と言うよりかなり着慣れている感じだ。砂漠のレジスタンスに似合うドレスではないのだが、ね?」
 バルトフェルドはカガリを直撃してきた。
「…勝手に言ってろ」
「ふむ」
 バルトフェルドは頷き、
「口を開かなければもっといい。お洒落な服は着慣れているが、口の利き方を知らないと来れば――」
 その視線がカガリを捉えた。
「普通は苦労知らずのお嬢様、と相場が決まってるのだがね」
「!」
「『……』」
 カガリは一瞬顔色を変えたが、キラとステラの表情に変化はない。二人の視線はじっとカガリに注がれている――どう出るか、見物しているのだ。
「か、勝手に私をお嬢様にするな。私はそんなもんじゃない」
(お嬢様、じゃなくてお姫様だもんね)
 内心で呟いたキラだが、無論口にはしない。その視線がカガリのドレスに向けられたが、あまり羨ましいとか思っていない自分がいるのに気づいた。
(シンジさん…あまり褒めてくれない気がする)
 小汚い、とはさすがに言うまい。
 ただシンジの場合には、中身の方を重視しているような気がする。
(私のおっぱいがもうちょっと大きくなったらきっと…)
 いきなりほんのりと赤くなったキラを、ステラがちらっと見た。キラの考えていることがほぼ読めていたのだ。
 なぜなら――ステラも同じ事を考えていたから。
 ただこちらは、表情を変えなかっただけだ。
「そ、そんな事よりお前はどうなんだ」
「どう、とは?」
「住民を逃がして街を焼いてみたり、私がレジスタンスのメンバーと知ってわざと連れてきてみたり」
「それは違う、別に連れてくる気は無かったさ」
「なに?」
(カ〜ガ〜リ〜)
「言ったろう、知っていたのは君の顔だけだ、と。そっちのお嬢さんは知らなかったからね。一般人を巻き込むのは趣味じゃない。君らをお連れしたのはアイシャだよ。いくら何でも、助けてもらった上にあんなペイントされた頭で帰すわけにはいくまい?」
「じゃあ、街を焼いたのは何なんだ」
 バルトフェルドはそれには答えず、ステラに視線を向けた。
「君はあの時退散する途中だったが、<明けの砂漠>に割って入られて助かったかね?」
「別に」
「あの時点では、組んでいた訳ではあるまい。つまり君らは、地球軍と組んでいた訳でもなく、最初から参加もしていなかった。日和見をしていて、途中で形勢がはっきりした時点で我々に襲いかかってくるような、そんな連中を黙って見逃せと?」
「くっ…」
「それとも、街ごと焼かれて仲間を復讐の鬼にでも変えてほしかったかな?」
(カガリ様、遊ばれすぎ)
 考え無しに思いつくままに言葉を出すから、手玉に取るのが簡単すぎて困ると、バルトフェルドが興醒めしていることに左右の二人は気づいていた。
 悔しまぎれにキッと睨んでくる視線を、バルトフェルドは正面から受け止めた。
「いい目だな。実に良い――まっすぐで怖いもの知らずだ」
(あーあ)
 ここが敵地とかそんな事は関係無しに、カガリを置いてとっとと帰りたくなっているキラとステラが、いる。
 まだ長い間ではないが、キラとステラがシンジと接して一番印象に残っているのは冷静でいる事であった。感情をあらわにして行動したり、冷静さを失ったところなど見たことがない――自分の危機に瀕しても、だ。
 冷ややかにはなっても熱くはならない。シンジからして熱くなられては困る、と言えばそれまでだが、その対極が自分達の隣にいる。
「何だと!」
 ガタッとテーブルに手を突いてカガリが立ち上がり、カップのコーヒーがさわさわと揺れる。
(なるほど、ね)
 バルトフェルドの興味は、既にカガリからは離れている。最初の戦闘の折、<明けの砂漠>の乱入は、地球軍にとってプラスにもマイナスにもなっていない。それがどうしてこうなったか、などさして興味もないのだが、この不要に元気な娘が仮に地球軍に加勢したところで、痛くもかゆくもないのだ。
 実際の所、用心すべきは昨日見た青年ただ一人と言っていい。
 地球軍のMSは二機だが、自滅を望むような動きをとった四本足については、考慮することもない。挟撃される事も分からず、目の前の敵に攻め掛かるなど愚の骨頂以外の何ものでもない。
「君、名前は?」
 興味が失せたようにカガリから視線を外し、バルトフェルドがキラに訊いた。
「キラ…キラ・ヤマト…」
「そうか。キラ・ヤマト、君に訊きたい。どうやったらこの戦争は終わると思う?」
「……」
 キラは反応しない。
 答える気がないのだとバルトフェルドは見抜いた。
「答える価値もない愚問か――」
 言いかけたとき、
「貴様、私を無視するな!」
 声を張り上げたカガリをバルトフェルドが、見た。
 びくっと身を縮めたカガリに、
「君も、死んだ方がましというクチか?戦力差をまったく弁えずに突っ込んでくる連中の仲間だけあって、思考もそっくりだな。あまり猪突猛進が過ぎるのも問題だと思うがね」
 冷ややかに言うと、バルトフェルドはすっと立ち上がった。そのまま窓際にあるデスクに向かって歩いていく。
 ステラの顔色がすっと変わったのは、何かを求めるように手を動かしてからであった――銃もナイフも抜かれていると、今気づいたのだ。
 引き出しから取り出したのは拳銃であった。それをカガリにぴたりとポイントし、
「こうすれば答える気になってくれるかな?それとも、厄介払いが出来たと欣喜雀躍するかね?」
 声だけは妙に明るく、バルトフェルドが訊いた。
 
 
 
「ローションの中でプロレス?何それ」
「プロレスと言っても目への攻撃以外は何でもありだけどね」
「ますます分からん」
「だから、マリュー艦長とバジルールの事よ。まあ原因はシンジ君、あなたなんだけど」
「……」
「あ、勿論あなたの取り合いとか、そんな馬鹿な事を言ってる訳じゃないわよ。それに、発端があなたのせいって事じゃないし」
(そう言われたような気もしたが)
 と、のど元辺りまで出かかったのだが、シンジは黙っていた。
「この艦の今の状況は分かっているでしょ。兵士として訓練なんて受けてない子がMSに乗って艦の命運を背負い、なる筈もなかった大尉が艦長になってしかも副長とは全然上手くいってない。精神的に参ってもおかしくない彼女達がピンピンしてるのは、ひとえにあなたのおかげよ。でも逆にバジルールの精神(こころ)はもうぼろぼろよ。このままじゃいつ爆発してもおかしくないわ。もう、少しおかしくなりかけているけどね」
 確かに普段のナタルなら、急場しのぎでなったとは言え上官であるマリューの部屋に忍び込み、しかも身体をあさるなど絶対にしなかったろう。
「女同士でも、一度すっきりするまでぶつかり合った方がいい事もあるのよ」
「そんなもん?」
「そんなもん」
 レコアは人生の先達の面持ちで頷いた。この辺りになると、完全にシンジの範疇外となる。
「レコア先生の言うことはまあ分かった。レコアが言うならそうなんでしょ。がしかし」
「がしかし?」
「何で俺が手伝わないとならないのさ」
「殺すな、と言われたんでしょ」
「え?」
「君の性格ならとっくに滅ぼしているわ。放置して、二人が撃ち合いにでもなったらどうするの?いがみ合う二人が思いきり取っ組み合う為の場所を用意している、と他のクルーに言って手伝わせろと?」
「…お手伝いさせていただきます」
「結構」
 偉そうに頷いてからレコアは、ちょっと気分がいい事に気づいた。
「洞窟の中、と言う手もあったけどちょっとセキュリティの不安があったからね。幸いこの艦には使ってない部屋がどっさり余っているし」
 トレーニング用の部屋らしいのだが、シンジは入った事がない。運動器具を使った事があるのは別の部屋だから、いくつもあるらしい。
 格闘技の訓練に使うらしいリングからポストとロープを外し、少し高さをつけてプール状にして大量のローションを流し込む。マリューは前に、リングは積んでいないと言っていたが、知らなかったのか或いは知っていて振ったのか。
「シンジ君、悪いけど作業はお願いするわ」
「…丸投げ?」
「発情したあたしに押し倒されたいなら別だけど」
 くすっと笑ったレコアに、シンジの眉根が寄る。
「媚薬が混ぜてあるのよ。念のために、ね。ローションプレイとかしたことある?」
「レコアほど進んでないから」
 シンジの皮肉は聞き流し、
「蹴りでも打撃でもかなり軽減、ていうかまともな格闘術は殆ど通じないわ。でもお互いに色々溜まってるからエスカレートするかも知れないでしょう?念のための保険よ」
「ごもっともで」
 頷いてからふと、欲情だけに支配されたレコアに押し倒される自分の姿を想像してみた。
「レコア」
「なに?」
「やっぱり第一印象って大事だよね」
「…なんか今、すっごくムカッと来たんだけど」
 あはは、と笑った瞬間、シンジの表情が引き締まった。
「シンジ君?」
「なるほど、そう来たか」
 指を一つ、パキッと鳴らし――。
「GO」
 短く呟いた。
 
 
 
 
 バルトフェルドが銃を向けたのは、少なくとも街中にはいないとの報告を受けたからだ。移動型の砂嵐に迫られ、レセップスの退却を余儀なくされたのはつい先日のことだが、あの時は既に砂嵐と砂像が発生していた。
 現時点で、そんな物があるとは聞かされていないし、何よりもこの小娘達を巻き込むではないか。
「戦争というのはスポーツではない。制限時間も得点もない。そんな状況で、どうやって戦争を終わらせるかね?」
「……」
 銃口を向けられているカガリの顔からは血の気が引いているが、隣の二人は焦った様子もない。
 それどころか、
「キラ、どう思う?」
「んーと、どうだろうね」
 何やら内緒話を始めたのだ。しかも、どう見ても自分の事など気にしてはいない。
(カガリに銃口を向けられてる時は反応しないんじゃないかな)
(あ、多分それ)
 うんうんと頷きあってから、
「あの〜」
「何かな?」
「私はカガリの護衛じゃないし、別に親友でもないので人質に取ってもあまり意味はないですよ」
 銃口を前にして、動じないどころか無駄ですよと忠告されてバルトフェルドの眉がすうっと上がった。
「では、君に直接向けろという事かね」
 最初は脅しのつもりだったが、小娘にコケにされてバルトフェルドの顔色が変わる。銃の安全装置を外し、ゆっくりとカガリからキラへと銃口を動かした次の瞬間、突如不可視の刃が踊った。キラの前髪が揺れたかと思うと床は真一文字に避けていき、バルトフェルドに逃げる事も身構えるも許さず――銃を持ったその腕は肩から断たれていた。
「ぐおおおっ!?」
 たまらず肩口をおさえて転げ回った瞬間、一面の窓ガラスが木っ端微塵に吹っ飛んだ。屋敷内に非常ベルが鳴り響き、ドカドカと複数の足音が近づいてくる。
 銃を片手に飛び込んできた男達が見たのは、ガラスが全て割れた窓の向こうで見るも無惨になぎ倒されている樹木と――腕を失いのたうち回る隊長の姿であった。寄り添っている三人の小娘を見た時、少なくとも何らかの関わりがあるに違いないと、一斉に銃を向けた瞬間、男達は一様に吹っ飛んでいた。あり得ぬ突風がその全身を叩き、到底抗えぬ力でまとめて壁に叩き付けられたところへ再度押し寄せた風は刃と化し、男達の四肢を強引に断っていった。手が足が、そして顔が胴体から離れ、文字通り血臭漂う一面の惨状に、ステラがカガリとキラをそっと抱き寄せた。
 ただし、カガリに銃口が向けられても発動せず、自分に向いた途端発動した事で、キラはちょっぴりご機嫌になっている。
(シンジさん…)
「ステラ」
「なに?」
「そろそろ帰ろっか。バルトフェルドさんももう用は済んだみたいだし」
「そうね」
(キラって…結構死体を見慣れてる?)
 カガリは既に顔面蒼白になっているのだが、キラは動揺した様子もない。しかも、顔を赤らめているようにすら見えるではないか。傍から見れば、血だらけの遺体を見て赤面する怪しすぎる少女にも映るかもしれない。訝しんだステラだが、キラの心の内を知ればぎゅうっと抓ったに違いない。
 表にいた兵達も一斉に駆けつけてきたのだが、銅だけ、或いは手や足だけが何とか付いているだけの仲間を見て立ち竦み、一瞬経ってからキラ達に銃を向け――すぐに仲間達の後を追った。
 呆然と立ち竦んでいる時は何も起きず、銃を向けた途端に風の刃に襲われた、と気付いていればここまで壊滅の憂き目には遭わなかったろう。怯懦は時に命を救う――キラ達が悠然と玄関口から出て行った時、屋敷内で無傷だったのは家政婦数名と失神していたアイシャのみであった。
 三人が離ればなれになりはすまいとキラだけに風の護りを――向けられた害意にのみ反応するように仕込んだのだ。
 屋敷内にいた兵士達四十数名が尽く死亡し、唯一生き残ったバルトフェルドもまた、右腕を根本から断たれるという重傷を負った。なお、庭で破壊の限りを尽くしていた風が合体し、巨大化合体したそれが危険な渦を巻きながらレセップスに迫っているのだが、それを気にする余裕などバルトフェルドには残っていなかった。
「アンディ…アンディ!?」
 アイシャの来るのが数分遅かったら、屋敷の男達は文字通り全滅の憂き目に遭っていたろう。快感の余韻が残るアイシャが見たのは、人間のパーツが散乱する凄惨な光景であり、快感も一瞬で吹っ飛んだアイシャが転がるように室内へ駆け込み、腕を断たれた想い人の姿を発見したのだ。
 一方屋敷から悠然と退出したキラ達は、ジープを拝借して悠々と帰途についていた。「カガリ、もう落ち着いた?」
「ああ…大丈夫だ。にしてもキラ、お前は何でそんなに落ち着いてるんだよ」 
「……」
「な、何だ?」
「あの状況でガタガタブルブルと震えていたお子様に、お前呼ばわりされる筋合いはないよ。お前とか呼ぶの止めてくれない」
 怒りでも呆れでもなく、むしろ実験を評価する科学者のような声に、カガリの気が萎えていく。
「…ごめん」
 カガリに対するシンジの評価がかなり低い、と言う事も無関係ではないが、キラはカガリの下僕でもボディガードでもないのだ。どうしてこういう言葉遣いなのか、先だってから首を捻っていた所だが、ここにきてほぼカガリの評価は確定した。
 即ち――この子は駄目だ、と。
 恩など着せる気はないが、カガリに銃口が向いても発動しなかった時点で、その命運は尽きていたと言っても間違いではない。その前の浴場では、キラ達が割って入らなかったら間違いなく女同士でアイシャに犯されていた。今し方だって、キラがバルトフェルドを煽らなかったら、カガリはそのまま撃たれていたかも知れないのだ。
 普通に名前を呼べばいいのに、どうしてお前扱いなのか。
 言うまでもなく、ここはオーブではない。甘やかされて世間知らずのまま育ち、何でも自分を中心に回っていると勘違いしてここまで来たのがカガリなのだろう。
 それはカガリの勝手だが――自分が巻き込まれるのはお断りだ。
「カガリ様、さっきもそれにお風呂でもキラに助けてもらったでしょう。もう少し柔らかい言い方のほうが…」
「分かったよ、キラ悪かったな」
(……)
 もしかしたら、アスランを討てない自分は、シンジから見てこんな風に映っているのかも知れないと、キラの心を絶望にも近い思いが刹那流れた。
(で、でも…ここまでひどくないし)
 ちょっぴりろくでもない事を自分に言い聞かせ、キラは咳払いした。
「いいよ別に。私は気にしていないから。でもシンジさんの前でそういう言葉遣いは絶対にしない方がいいと思う。命に関わるからね」
 シンジの前で、と言うよりキラに手をあげただけで砂漠に埋められているのだ。キラが全てを話せば、温泉へ逆さに埋める位はしかねない。
「…分かってる」
「ならいいけど。じゃ、早く帰ろ。シンジさんは心配してないと思うけど、多分他の人は心配してるだろうし」
「そうね」
(なんか…また私の株価下がってないか?)
 見上げた空に父ウズミの顔が浮かび、不覚にも一瞬泣きそうになったカガリは慌てて首を振った。
 
 
 
「先駆者、だな」
 見事に転倒したストライクを見て、シンジは一人ごちていた。非常ベルが鳴り響いた後、凄まじい物音と振動にさすがのシンジも部屋から飛び出した。手には媚薬混じりのローションが付いているのだが、そんな事も言っていられない。タオルで拭き取り、レコアと共に格納庫へすっ飛んできたシンジが見たのは、本来なら決してある筈のない光景――転倒しているストライクの姿であった。
 そして冒頭の台詞に戻る。
 起動の実験に失敗して暴走したなどと、間抜けな話ではあるまい。ストライクは二十メートル近く進んでいるのだ。言うまでもなく、シンジは地球軍に与する気など毛頭無いし、その象徴とも言えるストライクにもさして興味はない。
 但し、シンジの表情に怒りの色も驚きの色もないのは、むしろストライクで出口へ突撃しようとした勇者に興味が湧いたからだ。
 知りたくなったのだ――どんな物好きで無謀な奴がこんな事をしたのか、と。
「大将」
 そこへコジローが走り寄ってきた。
「ヤマトはまだ戻っていない。姉御があの時を思い出して乗りたくなった、と言う可能性は限りなく低い。で、誰が乗っている?」
「…怒ってないのかい?」
「別に私が怒る立場ではあるまい。私の機体ではないのだから。艦内を管理しようなどと複雑で面倒な事は思っていない」
「そうか…」
 首に掛けていたタオルで顔を拭ってから、
「どうやら、あのフレイって小娘がウロウロしていたらしいんだが…」
「フレイ・アルスター?」
「へーえ、あの馬鹿女がねえ」
 これ以上にない悪意と侮蔑のこもった言葉に、シンジが首だけ後ろに向けると、セリカを従えた綾香とミーアが立っていた。
「ストライクを“倒す”なんて、ザフトの連中でさえ出来なかったのに大したものよねー」
「まったくだ」
 頷いたシンジに、
「まさか碇、好奇心だからとか許す気じゃないでしょうね」
「んなこた艦長がお決めになる。来栖川、口が過ぎるぞ」
「…分かったわよ」
 そうこうしているうちにも何とかストライクは引き起こされ、コックピットから連れ出されたのはやはりフレイであった。それを見たシンジの表情が厳しくなったのに気づき、内心でにっと笑った綾香だが、実はフレイと確認した事は関係なかったのだ。
 装甲のスイッチが入っていなかった事もあろうが、ストライクの前面には結構な傷が付いていた。イージス以下の四機も、そしてジン部隊でさえも付けられなかった傷が、だ。
「……」
 とそこへ、
「あーっ!?」
 聞こえた素っ頓狂な声に、シンジの表情がふっと緩んだ。
「二人ともお帰り。怪我はなかったか?」
「あ…はいっ。シンジさんのおかげですっ」
「それは良かった」
 飛びついてきたキラの頭を撫でたところへ、連行されるフレイが歩いてきた。
「シンジさんこれ…ストライクですよね?」
「そう」
「シンジさんが許可を――」
「まったく出していない。それにしても、ストライクにダメージを与えた先駆者と言うことになるな。装甲の切れた状態で転ぶのは危険らしい」
「ええ…」
 シンジの反応が薄いので、どういう表情(かお)をすればいいのか困っているキラの横をフレイが通り過ぎる。
「負けたからって私の機体を壊そうとするなんて最低」
「!」
 つい、ぼそっと呟いたキラにフレイが反応した。
「なによっ、あんたなんか人の男に色目使って誑かしたくせにっ!」
「人の男?ふーん、シンジさんってフレイの恋人だったんだ。初耳だね」
「ちょ、ちょっ、待っ、何で俺が――」
 不意に巻き込まれ、慌てるシンジを見てステラがくすっと笑った。
「我が儘で自分勝手で捨てられたくせに逆恨みなんて、やっぱりフレイなんて助けなきゃ良かった」
「あんたみたいなコーディネーターこそこの船にいなきゃ良かったのよっ!」
 フレイが叫んだ瞬間、殺気を漲らせて前に出た綾香を、シンジがすっと制した。
「フレイ・アルスター、もう止せ。能力はともかく、皆を助ける為に自らがパイロットと名乗り出る娘と、それを肯定した挙げ句コーディネーターだとばらすような娘では勝負にならぬ。これ以上騒ぎ立てるなら、私も来栖川を抑えきれなくなる。それとも自分でストライクに乗って出撃し、この艦を守ってみるか?」
 そう言いながらもシンジの言葉に冷たさはなく、むしろどこか哀しげなものさえ混ざっていた。
(思ってない事言っちゃって)
 シンジがその気になれば、精など使わずとも決して勝てないと、綾香には分かっていた。それなのに、綾香を抑えきれないなどと口にし、燃やす事も吹っ飛ばす事もしないのだ。
(ま、いいけどね)
 綾香が内心で呟いた時、
「レコア少尉、フレイ・アルスターを独房へ。正式な処分は後ほど言い渡します」
「了解」
「姉御…」
 姿を見せたのはマリューであった。
 シンジのおかげでご機嫌指数はかなり跳ね上がっており、声にもあまり厳しさはない。何よりも、肝心のシンジが一番落ち着いているから、即決で処分を言い渡すと何か言われはしないかと心配になったのだ。
 フレイが連行されてから、マリューはキラ達に向き直った。
「二人とも怪我はない?」
「はい、大丈夫です。ご心配をお掛けしました」
「市街地でブルーコスモスのテロがあったと聞いていたから随分と心配――はしていなかったわ」
 マリューはにこっと笑った。
「『え!?』」
「だって、ちょっと危険な目に遭ってるらしいけど心配は要らないし俺も出ない、なーんてシンジ君が言うんだもの。心配しちゃ迷惑でしょ?」
「お兄ちゃん…」「シンジさん…」
「二人に何かあると、替わりのパイロットを公募しなきゃならないので色々と面倒だから…って痛」
 ぎにゅ!
「『もーっ、意地悪!』」
 大事だから、とかまったく言ってくれないシンジをキラとステラがつねる。そんな二人を微笑って見ていたマリューだが、
「マードック曹長」
「はっ?」
「これ、直すのにどのくらい掛かる?」
 あちこち傷が付いたりへこんだりしているストライクを見上げて訊いた。
「まあ二日もあれば直してご覧にいれますよ。しかし、敵が殆ど傷を付けられなかったものにこうまで傷を付けるとは…」
「所詮人間の敵は人間という事だ。これの首が取れて、出撃不可能にでもなっていたら大笑いだな」
(シンジ君…)
「でもシンジ君、その割には穏便派じゃなかった?その子もおさえていたみたいだし」
「これは論外」
「…なんであたしが論外なのよ」
「それとあれだ――フレイ・アルスターが可哀想になってね」
「『可哀想?』」
 シンジの口から出た意外な言葉に、その場にいた誰もが目を白黒させたのだが、
「女の負け組があんなに惨めだとは思わなかった」
「!?」
「う…」「『あうっ…』」
 優しくフレイを庇ったかと思ったら、その口から出てきたのは毒を塗った刃を含んだ言葉であった。
 男達は呆気に取られ、女性陣は身体をびくっと震わせた。無論対象はフレイだが――何故か他人事には思えなかったのである。
(怖い人…)
 心の中でそう呟いたのは、一人や二人ではなかった。
 
 その日の夕方、マリューとナタルの元に招待状が届いた。
「お互いに決着をつける頃でしょう?」
 と非常に短い文章でしかも差出人はレコアになっていたが、二人を釣るには十分であった。時間は20時30分となっており、
「後は頼むわね」
 八時過ぎにマリューが立ち上がろうとしたところへ、シンジが入ってきた。
「シンジ君、どうし――」
「マリュー」
「!?」
 静かな声で呼んだシンジに、居合わせたクルーがびっくりして顔を上げた。無論、シンジは人のいる前でマリューと呼んだ事は無かったし――何よりも一週間禁止と言ったのはシンジではなかったか。
「な、何かしら」
 一番驚いているのはマリューで、思わぬ呼称に顔を赤くしていたのだが、
「次回の戦闘は、私にお任せを」
「え?」
「ストライクもガイアも不要。無論、本艦の戦闘システムなど封鎖で構わない。スカイグラスパー一機で、私がすべて滅ぼして差し上げる。私の――碇シンジのプライドに賭けて」
(シンジ君…)
 シンジが危険な程に気負っているのは分かった。
 がしかし。
(マリューって呼んでくれたけど…あまり中身に関係はなかったわね。もー、ちょっと期待しちゃったじゃない)
 クルー達が息をのんで見守る中、艦長がえらくかけ離れた事を考えていたと知ったら、仰天したに違いない。
 
 
 
 
 
(第六十二話 了)

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