妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第五十八話:お前は俺か!?
 
 
 
 
 
 ムウ・ラ・フラガ。
 アークエンジェルでは、唯一ガンバレルの付いたメビウスを操れる希少な存在なのだが、今は女性士官の部屋の前でハリセンとカメラを持ってウロウロする、実に怪しい男となっている。
「……」
 しかも、掛かっているネームプレートはナタルのものであり、他のクルーが聞いたらとうとう脳内を虫に食われたかと、首を傾げたに違いない。
 しばらく躊躇っていたのだが、やがて何かを決心したかのようにスペアキーで鍵を開け、中へと侵入する。立派な不法侵入だが、既に何度も呼んでいるのだ。
「ん?」
 室内へ入ったムウの鼻が一瞬動いた。何か、妙な匂いをかぎ取ったような気がしたのだ。
「気のせいか」
 小首を傾げたムウがまず最初にしたのはカメラの設置である。いくらシンジの指示とはいえ、整備兵や少年達とは違うのだ。
 すやすやと寝息を立てているナタルに近づき、
「中尉、ほら中尉さん起きようぜ」
 呼んでみるが一向に起きない。
 声量の増加も無意味に終わる。
「よく寝てる。超熟睡ってやつか?」
 ガクガクガタガタ。
 今度は揺すってみた。
 寝息に全く変化がない。
「……」
 口元に耳を近づけると間違いなく寝息を立てているし、そっとブランケットを持ち上げると胸元が上下運動を繰り返しているから――生きてはいる。
 が、呼ぼうが揺すろうがまったく起きる気配がない。
「お尻をぺちぺちってか?俺はやりたくないんだがなあ。何で俺がそんな事せにゃならんのよ」
 
 ぶつくさ言う時は、口元を緩ませない方がいい。
 
 楽しそうにハリセンを振り上げ、そっとナタルの尻を叩く。
 起きない。
 何度かそっと叩いてから、大きくハリセンを振り上げた。
「まったくしようがねーなあ。こんな事したくないってのに」
 見ていた者がいればこう言ったろう。至福の表情だった、と。
 スパン!
「きゃあぅっ!?」
 お尻をおさえたナタルががばと跳ね起き、きょろきょろと辺りを見回し――ハリセンを構えたムウに気付いた。
「少佐っ、セクハラですっ!!」
「…セクハラの意味分かってるの、中尉サン?」
 
 
 
「怪我人と水は手配した。ちょっと送迎頼む」
「送迎、ですか?」
 シンジに呼ばれたバーディは首を傾げた。シンジはスカイグラスパーで来たのだし、マリューを見る限り子供達に取り付かれてはいるが、別段多忙そうでもない。
 どうして自分なのか。
「姉御を危険にさらす訳にはいかない」
「…納得したわ。でもどこへ送るんです?」
「今から全速で追った場合、絶滅寸前の希少種になった所で回収できる。この石は追っ手の中にいる少年にもらったものだが、突き返してもう一度手渡しさせにゃならないから」
「待って。もしかして追っていった連中を助けに?」
「回収だ。バーディ、急いで」
「分かりました」
 それ以上はバーディも言わずに頷いた。
(それにしても…MS無しで一体何をする気なのかしら?)
「艦長、ちょっと行ってくるから」
「どこへ?」
「アフメドの回収に。できればカガリは戦死している事を希望する」
「…本気?」
「雲南では千匹位いた。タッシルの規模を考えても、バクゥが十匹もいるまい。MSなど出したら経験値が大幅にさっ引かれる」
「……」
 見つめてくるマリューの視線を、シンジは正面から受け止めた。
 傍から見れば、見つめ合っている恋人同士にしか見えない。
(ははあ、そう言う事だったのね)
 マリューが自分達に会いに来た時、妙に警戒しているような気がしたのだ。同じ地球軍同士だし何か妙だと思っていたのだが、二人の間に漂う雰囲気にバーディはあの時の意味を知った。
「シンジ君は色々と管轄している事が多いから、負担は最大限掛けないでね」
 とマリューは言っていた。言わいでもの事だと思ったのが、今の二人を見ればその意味は分かる。
(要するに牽制って事よね。でもそういうのって…)
 バーディがちらっとシンジを見た。
(反発したくなっちゃうわよねえ?)
 そんなバーディの心中など知らぬ二人だが、マリューの視線を跳ね返すことなく、柔らかく吸い込んでしまうようなシンジの黒瞳に、マリューの方が先に視線を外した。
「…気をつけてね」
「MSで出るより安心だから」
(!?)
 シンジの言葉を聞いた時、バーディはシンジが誇大妄想狂だと本気で思った。
 数字で言うと九割八分五厘、というところだ。
「…こんな所であたし死んじゃうの?」
「毒蛇に噛まれれば可能かもしれんな」
 呟いた声がシンジに聞こえたらしい。
「何を心配しているのかはまる見えだが…バーディ・シフォン、一つ賭をしてみる?」
「賭?」
「今から追いついて、向こうから一発食らう前にバクゥにダメージを与えられなかったら、バーディの勝ち」
「私が勝ったら?」
「全速力で逃げ戻る。無論、アークエンジェルからガイアとストライクを出して牽制させる」
「この車に積んである砲弾は三発。で、バズーカでバクゥにダメージを与えられると?自走砲すら使えないのよ」
「そこだ。どうみてもバーディの方のオッズが高すぎるから賭になる。それと砲弾は要らないから、鋳溶かしてバーディのペンダントでも作っておけばいい」
「……」
 呆れた顔でシンジを見たバーディが、
「何をする気か知らないけれど…万一あなたがバクゥにダメージを与えられたら?」
「ちゅーしてもらう」
「!」
 シンジの言葉に、バーディの顔がすうっと赤くなる。まさかここまで直球で来るとは思わなかったのだ。
 がしかし。
「砂漠で捕まえたサソリのお尻にね」
「…げ!?」
 とは言え、シンジが弾の入っていないバズーカ砲を肩に担いだのを見て、やっぱり誇大妄想狂だったのね、とバーディは安堵していた。
 これでさっさと逃げ帰れる、あんなテロ集団の保護なんてゴメンだわ、と。
 だが次の瞬間火柱に近い物が砲身から迸り、バクゥの後ろ足を吹っ飛ばすのをバーディは呆然と見つめていた。シンジの手に妙な剣がある、と気付いたのはその直後である。
 更にもう一発が、今度は手から放たれてバクゥの前足を墜とすのを見た時、バーディは目の前が暗くなりかけていくのを感じた。辛うじて首を振り、意識を取り戻したバーディの前で、犬の形をした砂像が四体動きだし、前後の足を奪われたバクゥをあっという間に飲み込んでしまった。
「バーディ、賭は私の勝ち。と言う訳で降りて」
「え?」
「あまいキスをするサソリを探してきて?」
「えっ!?ちょ、ちょっと待っ、それっ…」
「冗談だ。さて、連中が全滅する所を見物するとしよう」
「う、うん…」
 火力の強すぎるバズーカがバクゥの脚を吹っ飛ばし、あまつさせ手から放った炎が前足を吹っ飛ばしたのを見て、バルトフェルドは先だってから自分達の前に立ちはだかっている奴の正体を知った。
「あいつか…しかし何者だ」
「正規軍ではないと思いますが、本当に人間でしょうか」
「さあな」
 バルトフェルドは肩をすくめて、
「一つ言える事がある。奴さん、結構間抜けという事だ」
「間抜け?」
「さっき連中は、俺達を直接狙って来ただろう。お返しをしてやればいいのさ。各機あの変な犬もどきには構うな、ジープを直接狙え!奴さえ始末すれば――大天使も墜ちる!」
「『了解!』」
 ジープに乗る青年こそが、偵察部隊が全滅し攻撃部隊も大打撃を受けた元凶だと、バルトフェルドは一目で見抜いていた。
 それは正しい。
 が、シンジがバルトフェルドの言葉を聞いていたら、
「大天使ねえ…具体的なネーミングは無かったのかな?だからナチュラルは駄目種族なんだ」
 と呟いたかもしれない。
「ちょっとあれ、こっちに向かってくるわよっ」
「見れば分かる。止めて」
 攻撃力・防御力共に砂像はバクゥを凌駕しているが、機動力だけはバクゥの方が上回る――今だけは、だが。
 無論シンジが死ねば、砂像などあっという間に姿を消すだろう。
 一瞬顔色を変えたバーディだが、言われるままに黙って車を停めた。
 隣にいるシンジが、誇大妄想狂でも自殺志願者でもないと分かったのだ。それに言う事を無視して逃げ回っても、たちまち追いつかれるのは目に見えている。
 横一列に展開した四機のバクゥが、怒気を孕んで迫ってくる。ミサイルを撃ってこない所を見ると、仲間の恨みも兼ねて踏みつぶす気らしい。
「踏んだ方が面白い、というのは理解できる。ではこう言うのはいかが?」
 砂漠に向けた掌は、バクゥの進行方向に向けられていた。
「風裂」
「え…え!?」
 砂漠に一瞬風が舞った瞬間、砂漠がわずかに裂けた。
 決して大きくはない裂け目だが、たかがと侮った結果手痛いダメージを受けてきたのだ。慌ててバクゥを制止させようとした途端、裂け目はあっという間に閉じて、今度は十数メートルの長さに亘り壁のように盛り上がってきた。
「な、なんなのっ!?」
「壁。さっきのはブラフ。前回の戦闘を経験していなければ突っ込んできたかも知れないが、今の連中にそれは出来ない。さてと…ん!?」
 小さく欠伸をしたシンジの顔が急に引き締まった。カガリ達の姿に気付いたのだ。
「バーディ、少年の様子を見てきて」
「え?りょ、了解」
 告げた声は、明らかに強張っていた。壁が出来た事で安心したのか、車から飛び降りたバーディが、長い髪を揺らして疾走していく。
 その後ろ姿を見送ってから視線を戻すと、丁度アヌビスが追いついたところであった。
 バクゥを後退させたところへ、わらわらとアヌビス達が迫ってきた。しかも、明らかに速度が上がっている。
 砂壁は動いていないがアヌビスは動いているのだ。所詮砂ごときと見たのか、バクゥが首を下げて一斉にミサイルを撃ち込んできた。
 次々と砂像にミサイルが撃ち込まれ――中で鈍い音がした。アヌビスの背からわずかに煙が出てきたのが、成果と言えば成果だったろうか。
「アヌビスに砲撃は通じぬ、と一つ学習したか?」
 冷ややかに呟いたシンジが、
「アヌビス越しの攻撃はこうやる、と覚えておくがいい。風牙!」
 放たれた風はアヌビスの背にぽっかりと穴を開け、そのままバクゥに襲いかかり――はしなかった。
 地に落ちたかに見え、不発だ馬鹿!とバクゥのパイロットが笑った瞬間、突如砂が十数メートルの高さまで噴水のように湧き上がり、機体の上にさらさらと降ってきた。
「『……』」
 遊ばれていると気づき、パイロット達の表情に憤怒の色が浮かんだところへ、ミサイルを撃ち込まれたアヌビスが急速に接近してきた。さっきよりも確実に速度が上がっている砂像の接近に、大慌てでバクゥを駆って逃げ出していく。
「根性が足りん。本当に兵士か?」
 無論バルトフェルドからもこの光景は見えており、生身の元凶を相手に一発も撃てぬ状況にダコスタなどは歯噛みしていたのだが、バルトフェルドの方は冷静であった。
「バズーカを貸せ」
 前方のジープに狙いを付けた時はまだ、盛り上がった砂が防御壁として邪魔をしていたのだが、犬の形をした砂像が、スピードをあげてバクゥを追い始めたのを見た青年が指を鳴らすと、砂の壁はその姿をすうっと消したのだ。
「ふっ、詰めが甘いようだな…これで終わりだ!」
 バルトフェルドの担いだバズーカが火を噴いた。確かに大地を操るという、信じられない技を操る相手ではあるが、砂像にせよ砂壁にせよ、一瞬で作動はしないと見切った上での一撃であり、あっという間に砲弾がシンジに迫った。
 
 
 
「シンジさんがカガリ達を助けに?私も行くっ!」
 いかに宇宙での戦闘では圧倒的な強さだったとは言え、シンジ自身はMSを操縦できない。しかも敵はバクゥでそこへ生身でひょっこり出かけていった、と聞かされてはキラもステラも黙っていられなかったのだが、
「不許可だ」
 不機嫌そうな声が遮り、二人がキッと振り返ると口調をそのまま表情にしたようなナタルが、二人を見据えていた。
「誰が出撃など命じたのだ。だいたい、艦長からは連絡のみで出撃命令など出ていない。大人しくしていろ」
「『やだ』」
 二人の声がぴたりと重なり、
「現在艦の全権は私に委ねられている。これは命令だぞ」
「私は地球軍じゃない。あなたの言う事を聞く必要なんてありません」「私はオーブ所属。以下右に同じ」
 キラとステラがタッグを組み、ナタルと正面から睨み合った。ナタルの機嫌も決して良いとは言えず、火花を散らす睨み合いで艦橋内に不穏な空気が漂う。確かに立場的に言えば、キラもステラもナタルに従う理由はない。キラは相変わらず地球軍に加わっていないし、ステラについては言うまでもない。
 この艦にいるのだから責任者の命令に従え、と言う理屈もあるが、その正反対を突っ走っている総元締めが目下砂漠でお楽しみ中だ。
「とにかく出撃(で)ます」
 さっさと出て行こうとした二人の前に、ナタルが立ちはだかる。
「力ずくで止めてみるの?」
 キラの口元に危険な笑みが浮かんだところへ、
「まあ、行かせてやれよ」
「少佐!」
 ムウが入ってきた。
「状況を考えれば、生身の人間がMSを相手にしてるんだ。援護に行くのは別におかしくない。お嬢ちゃん達の心配ももっともさ」
「……」
「そ、それじゃ?」
「ああ、行ってきな。ただし」
「ただし?」
「危険認識も出来ず、お嬢ちゃん達の助けを必要な状況に陥るなら――宇宙からここまで来れなかった、と俺は思うがね?来てくれてありがとう、と言われる可能性と何しに来た?と言われると可能性と…どっちが高いかな?」
 一つウインクしてみせたムウに、キラとステラの殺気が緩んでいく。
「ま、それでも行くというなら俺は止めないがね」
「『……』」
 キラ・ヤマト及びステラ・ルーシェの両名、出撃中止。
「不可能を可能にするのは――押すだけじゃ無理だぜ、中尉さん?」
 ムウが二人の肩を抱いて出て行った後、ナタルは窓の外を見据えたまま微動だにしなかった。
 
 
 
「砲弾で私を討てる、と?」
 エクスカリバーの剣先を向けようとした瞬間、その身体は宙に舞っていた。
「なぬ?」
 シンジの身体が大きく跳躍し――無論自分の意志ではない――十メートル近くも離れたところに着地した直後、着弾した砲弾が派手な火柱を吹き上げた。
 ごしごし…ごしごし。
 事情のさっぱり分からないシンジが、目をこすって左右を見回す。
 理解した。
 そこで、婉然と笑っていたのはバーディであった。
「…お前は俺か!?」
 風の盾一つで防ぎ得るし、エクスバリバー自体の結界でも十分役に立つ。万一の時は飛翔して逃げる事も可能である。
 だがバーディは、それを生身でやってのけたのだ。てっきり精(ジン)の使い手かと思ったのだが、
「違うわ、あなたが私なのよ」
「……」
「と言う冗談は置いといて、あなたみたいな能力者じゃないわ。ちょっと身体能力が優れている、だけの話よ?」
 絶対に違う、とシンジは内心で呟いた。砲撃を見て瞬時に危険と判断して飛び込み、しかもシンジを抱えて十メートル以上も跳躍する事など並の人間に出来るはずがない。
 一方、
「何だあれは?」
 呆気にとられているのはシンジ一人ではなかった。満を持して撃ち込んだバルトフェルドもまた、状況が理解できずにいた。
「まさかコーディネーターか…?」
 どう見てもコーディネーター、それもかなり優秀なコーディネーターの軽業師辺りとしか思えぬ動きだが、その正体を詮索する時間はすぐに終わりを告げた。今度は青年が宙に舞い上がったのだ。
 さっきとは違い自分の意志だと、その動きを見れば分かる。
「助けてもらった事は礼を言う。でもバーディ」
「なーに?」
 バーディの言葉には笑みがある。
「さっきのあれは撃破可能範囲だった。ちょっと行ってくる」
「頑張ってね」
 ひらひらと手を振ってから、
「あたしが付いていながらもしもの事があったら、ハルバートン提督に顔向けができないでしょ。提督は…あなたにアークエンジェルとストライクを託したのよ…」
 笑みの欠片もない、どこか哀しげな声で呟いた。
 そんなバーディの心など知らぬシンジが、エクスカリバーを片手に猛然とバルトフェルドへ迫っていく。バズーカで迎撃している暇はなく、慌てて拳銃を取り出した二人がシンジに向けて構えた途端、シンジが宙で止まった。
「『ん?』」
 的になる覚悟を決めたかと、引き金に掛かった指に力を入れた瞬間シンジはすとんと落ちた。シンジの居た場所を銃弾が空しく通過し、逆しまに落ちていきながら、
「風裂!」
 死の翼をはためかせて迫る不可視の刃に、それでも兵士の本能で違和感を感じたバルトフェルドは、咄嗟にダコスタの頭を押さえつけ、自らも首を引っ込めた。
「何っ!?」
 風が顔先を撫でたと思った直後、ばさばさと落ちてきたのはバルトフェルドの髪であった。首は残ったが、髪をばっさり持って行かれたのだ。
「よく避けた」
 落ちる寸前くるりと回転し、すっと宙に浮いたシンジが冷ややかに見下ろしている。バルトフェルドが視線を周囲に飛ばすが、既にバクゥは砂像に追い立てられ、おまけに四方から回り込まれている。
 唯一包囲網から脱し得たのは一機だけだが、これとて時間の問題だろう。テロリスト達を殲滅するつもりが、あっという間に立場が入れ替わってしまった。
「…君はいったい何者だ」
「さて」
「どんなコーディネーターでも、自然を操るような事は出来るわけがない。地球軍が投入した切り札なのか」
「さて」
 冷たく跳ね返したシンジが、
「冥府の入り口でアフメドが待っている。私がすぐに送ってくれる、少年が戦士になる糧として追われ続けるがいい――劫火!」
 バーディをアフメドの元へ行かせた時から、シンジは既に死の匂いを感じ取っていたのだろうか。
 放たれた強烈な炎の刃がバルトフェルドを襲う。ただし、大爆発を起こしたのはジープのみであった。直撃する寸前、二人は左右に飛び降りていたのである。
「王手」
 パキッと指が鳴るのと同時にアヌビスが牙をむく。二頭が直進してバクゥを跳ね飛ばし、吹っ飛んだその上から他の二頭が覆い被さり、流砂と化してあっという間に三機を飲み込んでしまったのを見た時、バルトフェルドは自分達が完全に弄ばれていたのを知った。
 だが、残っていたバクゥは四機であり、飲み込まれたのは三機である――辛うじて一機が抜け出したのだ。
「隊長っ、隊長ーっ!!」
「カーグット!?」
 唯一生き残った機体が、バルトフェルドの危機を救うべく猛然と突っ込んできた。弾も切れよとばかりにシンジへ向けてミサイルを撃ち込み――突如渦を巻いた風が全て弾いた。砂漠に落ちて空しくミサイルが爆発するが、シンジの髪は微動だにしない。
「くっ!!」
 ミサイルを撃ち尽くしたバクゥがバルトフェルドの所で停止した時も、そしてパイロットが飛び降り、有無を言わさずにバルトフェルドとダコスタを中へ押し込んだ時も――何故かシンジは動かなかった。
 その気になれば、機体の爆破はまだしも二人の胴体は真ん中から上下に別れていたろう。
「隊長っ、ここは退いてください!早くっ!!」
 強引に二人を乗せ、コックピットの扉を蹴飛ばすように閉めた直後――カーグットの首は銅から離れて宙を舞っていた。
「カーグットーっ!!」
 元々一人用だが、二人なら何とか乗れる。決して広くないバクゥのコックピット内で、バルトフェルドは部下が首を落とされるのをただ黙って見るしかできなかった。
「…撤退するぞダコスタ。この借りは…必ず返す」
「はい…」
 アークエンジェルの速度を推定し、安全圏に入ってからレセップスを引かせた迄は合っていた。が、テロ集団の為にアークエンジェルでもMSでもなく、ジープがたった一台で援護に来ることなど――そしてそれが自分達を追い込んできた元凶を積んでいる事など、さすがに想像もつかなかった。
 完全に読みを誤った上に、対応まで間違っていた。テロ集団など相手にせず、さっさと引き上げていれば少なくともここまで追い込まれる事はなかったのだ。しかも脱出も自力ではなく、見逃してやると言わんばかりの態度であり、バルトフェルドは無論ダコスタも、プライドをずたずたに引き裂かれていたのである。
 砂煙をあげ、一目散に逃走していくバクゥには目もくれず、シンジはアフメドの元へ降り立った。
「イカリの大将…」
 サイーブが頭を下げた瞬間、シンジの拳を顔面に受けてキサカが吹っ飛んだ。
「キサカっ!」
 慌てて駆け寄ったカガリの顔色が変わる。
 流れ出した鼻血が止まらないのだ。
(砕けたか)
 さして重いパンチでもなかった気がしたが、一発で持って行かれたらしい。さすがにカガリがキッとシンジを睨むが、何も言えなかった。
「年端もいかぬ子供を連れ出し、その結果がこれか。これがお前の引率のやり方か、レドニル・キサカ」
 アフメドが運転する車に乗っていたのはカガリとキサカであり、大人と呼べるのはキサカ一人である。
 そしてカガリは擦過傷を負いアフメドは死亡――唯一無傷なのはキサカ一人だ。
 以前ヤマトは言った。
 シンジを守るために戦いたい、と。そしてシンジもそれを受け、一番厄介なG四機を討たないという暴挙とも思える道を選び、またキラのことは全力で守ってきた。熱から守るため、我が身の高熱と引き換えたのはつい先日のことである。
 無論シンジはそれが当然だと、自分の取る道だと思ったからそうしたのだ。そんなシンジからすれば、我が身と引き換えても子供達を守るべき者が無傷で、子供達が死傷したのは許せなかったのかもしれない。
「サイーブ」
「あ、ああ…」
「戻るぞ」
 それだけ言って、シンジはくるりと背を向けた。
 シンジは黙ってジープに乗り込み、バーディも何も言わずに車を発進させた。バーディが口を開いたのは、二十分近くも経ってからであった。
「俺、戦士…これが、虫の息で私に伝えた言葉だったわ」
「……」
「幸せそうな死に顔は見たことがあるわ。でも満足そうな顔で死んだ子を戦場で見たのは、これが初めてよ」
「そうか」
「ええ」
 胸の中で十字を切ったシンジが、軽く目を閉じる。
 それきりタッシルへ着くまで二人の間に会話はなかった。
 
 
 
「一日中艦内でらぶらぶなんて…羨ましいですわ。あーあ、ミーアにもそんな人いないかな〜」
 アークエンジェルは戦闘中でも警戒態勢でもない、とはいええらくのんびりと――そして物騒な事を呟きながら、艦内をてくてく歩いているのは無論ミーアである。この台詞をシンジに聞かれたら、温泉を飾るオブジェにでもされかねない。
「でもあんな人ってその辺には全然いないし…はーあ」
 ため息をついて角を曲がろうとした時、
「動くな」
「……」
 明らかに殺意すら帯びた声に、ミーアの足が止まる。
 だが慌てた様子もなくゆっくりと振り向いた。最初から恐れてなどいないらしい。
「あらあら怖いですわ。そんな物を持ち出してどうされるおつもり?私を人質にして、この艦(ふね)を乗っ取ろうとでも言うの?」
 自分に向けられた銃口を見てもなお、ミーアの表情に変化はない。
 殺気だった表情でミーアに銃を向けているのは――ナタルであった。
 
 
 
 
 
(第五十八話 了)

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