妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第五十七話:助っ人軍団の襲来
 
 
 
 
 
「ニコル、お疲れ様でした」
「はい、母様」
 ブリッツに搭乗した時は、赤服ながらシンジ搭載型ストライクに翻弄され、挙げ句にはバスターとデュエルの三機でアークエンジェルに取り付きながらステラのガイアにとっ捕まってしまい、敵である筈のシンジに、これまた敵のキラ共々尻穴を差し出して嬲られてしまったニコルだが、ピアノの腕前は天才的なものがある。
「私に聞かせるまで散るなよ」
 と、奇妙な台詞と共に帰されたニコルは、その後アークエンジェルが地上へずらかった事もあって休暇になっていた。
 今日はピアノの演奏会であった。とちったりする事もなくニコルの指先は華麗にピアノを操り、満座から拍手喝采を浴びたのだが――。
「ニコル、誰の事を考えていたの?」
「え?」
「あなたの心、全部がここにはなかったでしょう」
「い、いえそんな事は…」
 他の観客達は気づいていなかったが、母の目は誤魔化せなかったらしい。
「もしかしてまだアスランさんの事を…」
「いいえ」
 ニコルは明るく微笑った。
「アスランにはラクス様がおられるでしょ。私の思いは、憧れであってそれ以上じゃありませんから」
「そうなの…。でもそうしたら誰のことを考えていたの?」
「べ、別に誰の事とかじゃないんです。ただ…」
「ただ?」
「戦争が終わったらきっと、もっと沢山の人が見に来てくれるんじゃないか…うぷっ!?」
 ぎゅっ。
 不意に抱きしめられた。
「あなたがそんなに優しい娘(こ)で…兵士としてやっていけるか私はとっても心配です…」
(母様…)
 ロミナは無論わが子を思う母なのだが、娘の視線の先にプラントの誰でもなく――目下ザフトにとって最も厄介な敵となっている青年が映っていたと知ったら、なんと言ったろうか。
 わき上がる歓声と拍手の中、
「良い腕だ」
 ニコルは確かに――シンジの声を聞いていたのである。
 そしてそれは奇しくも、彼らが地上へ派遣される事が決まった時刻でもあった。
 
 
 
「私の家に来られるとは、珍しいこともあるものだな」
「ごめんなさい、突然お邪魔してしまって」
「構わんよ、入りたまえ」
 ハマーンの屋敷では、珍客を迎えていた。
 急に、ラクスが訪れたのだ。
 見た目はあまり飾り気のない質素な屋敷なのだが、この屋敷を掃除できるのはキャラ以外にいない。
 理由は簡単で、あちこちに仕掛けられた罠に嵌るからだ。かつてここを訪れた評議委員の一人は、飾られた甲冑へ勝手に触れたせいでスピアに襲われ、辛うじて逃げ出した所へ天井から飛来した小柄が服を床に縫いつけた。ハマーンの来るのが数秒遅れたら、殺戮用の振り子と化した斧にその首を落とされていたところだ。
「姫が私の屋敷へ来られるなど珍しいな。アスラン・ザラとはその後上手くいっていると見える」
「あの、どうしてお分かりになるのですか?」
 ちょこんと首を傾げて訊いたラクスに、
「姫の腰の辺りを見れば分かる。随分と丸みが出てきた」
「ーっ!!」
 顔を真っ赤にしたラクスが、慌ててスカートの前をおさえる。
 ふっと笑ったハマーンが、
「姫、アスランとの絆は大事にされるといい」
「え?」
「花嫁はプラントきっての歌姫、花婿は士官学校を主席で卒業した赤服だ。いずれ二人が、プラントを代表する立場になるのは間違いないところだ。そうだろう?」
「お分かり…だったのですね」
「絶対にない、とは言い切れないが、姫が私のところへ単なる世間話にも来るまい。仔細は分からぬが、戦争に関する話だろう」
「はい…」
 頷いたラクスが、
「ハマーン様に一つお願いがあります」
「何かな、姫?」
「その、姫と呼ぶのはおやめ下さい。わたくしの事はラクスで結構ですから」
「分かった。で、そのラクス嬢が何をしに来たのかだが…」
 ハマーンの双眸がラクスを捉えた。真っ正面から受け止めたラクスだが、それも数秒とは持たずついっと視線を外す。いくらラクスがプラント最高評議会議長の娘とはいえ、歴戦の勇将として名を馳せたハマーンと対等になれる訳もない。
「シーゲル卿の意を受けて来た、とも思えん。少女なりに、戦争の行く末が気になったかな」
「はい…」
 ラクスは消え入りそうな声で肯定した。蚊の鳴くような声になったのは、やはりハマーンに圧倒されたせいだろう。
「ハマーン様は…この戦争がどうなったら終わるとお考えでしょうか?」
「終わらんよ」
「え…!?」
 ハマーンの答えは簡潔で、そしてひどく危険なものであった。
「ラクス嬢、考えてみるがいい。プラントの住人が、一度でも地上の覇権を望んだ事があったかな?プラントで繁栄するだけには飽きたらず、地球をも我が手に収めたいと思ったことが一度でもあったか?」
「い、いえ…」
 ラクスがふるふると首を振った。
「無論、我ら進化した種に驕りが無かったとは言わぬ。遺伝子操作故に得た力を、おのが努力で得たと勘違いした者も居たろう。だが、だからと言ってコーディネーターがナチュラルの支配者になる、などと思った事はない。これはただの戦争ではなく、我らの生存を賭けた戦争なのだよ。遺伝子操作自体を悪と見なし、我らの存在そのものを葬り去ろうとする連中が、現在ナチュラルの中で大きな力を持っている。共存していけばそれで良し、と思う我らと我らを葬りたいと思うナチュラルが和睦したとして、どれだけ和平が続くと思う?和睦交渉が終わり、帰途についた途端後ろから核を撃ち込まれてはかなわんよ。ラクス嬢は、それでも良しとするか?」
「わ、わたくしは…」
「地球軍が核を撃ち込んできたが、我らは同じ方法で復讐しようとはしなかった。連中は数頼みで開戦したが、今はこちらの質がそれを押し返している。そんな中、こちらから和睦を言いだして不利な条件を呑むような事があれば――突如核を撃たれ、愛する者達を失った連中にどの面下げてそれを伝えられる?アスラン・ザラとて、母をあの時に失っていよう。それを、戦争は良くないのですから我慢ですよと、ラクス嬢は言うおつもりか?」
 ハマーンには、ラクスの思考がほぼ読めていた。父の意向を受けてはいないにせよ、一緒に暮らしてその思考を聞いていれば、反発しない限り影響は受けるだろう。戦争は早く終わった方がいい、と単純に考えて、その背後にあるものやその先の流れまでは見えていないのだ。
 連合が圧倒的に有利と思われた状況から、今ではこちらが有利にさえなりつつある中で、少なくともこちらから和睦など言い出す必要はない。
 プラントから和睦を申し出て、
「ただし、条件としてコーディネーターを憎悪するブルーコスモスを何とかしろ」
 などと言ったら鼻で笑われるだけである。
 こちらに攻撃を、と言うよりコーディネーターを滅ぼしたくてたまらない連中がいるのに、そこへ和平を申し出るなど裸でまな板の上に乗るようなものだ。
 無論、一途に平和を願うラクスの想いを笑うつもりはない。
 だが何れはプラントを代表する二人になるのだから、いつまでも純真な思いの持ち主でいられても困る。二人の思考・思想はそのままプラントの行く末を左右する事になるのだ。
「わたくしは…そ、そんな事をアスランに言うつもりなんて…」
 入ってきた時とは違い、その唇から血の気は引いており、心なしか顔色まで青ざめているように見える。
 ハマーンにここまで手痛く跳ね返されるとは思っていなかったのだろう。
「ラクス嬢」
「は、はい…」
「別に、我らが大勝する必要はないのだ。いずれまた、戦争は起きるのだから」
「えっ?」
「そんなに驚くことでもあるまい。さっきも言ったろう、我らに地球を征服する意図はない、と。戦争になったから、やっぱり方針を変えて地球を征服し、然る後に穀物生産地帯にしようなどとは思っておらんよ。そうなると、ブルーコスモスは残ることになる。十年もすれば、またぞろプラントを窺うようになるのは目に見えている。その時に、ラクス嬢の歌が平和をもたらしてくれればいいがな」
「ハ、ハマーン様、わたくしはっ…」
「わたくしは?ラクス嬢は、降りかかり火の粉は徹底的に払いのける、というタイプではあるまい。単に平和が来ればいい、と願えば何とかなるほど、楽な事態でないという事をラクス嬢は分かっていない。私は口外などせぬが、アスラン・ザラの前では決して口にしない方が良かろう。特にベッドの中ではな。自分がプラントを、そして君を守るために命を賭けて戦っている時に、許嫁がそんな事を考えていると知ったら意気消沈してつまらないミスを犯し、戦死しかねないぞ」
「っ!!」
 とうとうラクスはテーブルに突っ伏してしまった。肩を震わせ、声を押し殺して泣くラクスを眺めながら、
(温室育ちにも困ったものだ)
 ハマーンは内心で呟いた。
 別に自分が呼び出した訳ではないし、勝手に押しかけてきた挙げ句妄想を崩されて泣くとはどういう了見なのか。
 がしかし。
「お、お見苦しいところをお見せしました」
 やがてごしごしと涙を拭ったラクスが、
「わたくしがもっと強くなってアスランを支えたら…アスランは喜んでくれますか?」
 奇妙な事を言い出した。
「精神的に萎えるような事を言われるよりはいいと思うが…なぜ急に?」
「だって…わたくしはアスラン・ザラの許嫁ですもの」
 今度は赤くなってる。同じ女同士だが、この娘の考える事はさっぱり分からないと、ハマーンはちらっと天井を見上げた。
「でもハマーン様、やはり戦争は…何時かは終わらせなければならないと思いますわ。確かにブルーコスモスの方々はコーディネーターを忌み嫌っていますが、地球にいる全ての人がブルーコスモスに所属しているわけではありません。それに、アークエンジェルで会った方達はとても良くしてくださいましたもの」
「ラクス嬢、一応教えておくが」
「はい?」
「あれは例外だ。シンジが中心にいたから、ラクス嬢はそういう扱いを受けたのだ。だいたい、シンジ以外にラクス嬢に色々話しかけた者はいたか?」
「いえ、他にはおられませんでしたけど…でも…」
「でも?」
「あ、いいえ何でもありませんわ」
 ラクスは首を振って誤魔化した。ラクス・クラインを人質にしようとして、間違えてミーアを捕まえたフレイは、綾香によって文字通りボロボロにされた。ただそれを告げれば、ミーアの事も言わねばならなくなる。ハマーンのことだから、誤魔化そうとしても怪しいとすぐに気づいてしまうだろう。
「私に知られてはまずい事が、あの艦内であったのかな?」
 弄うように訊いた途端、ラクスの顔がかーっと赤くなる。
(…何だ?)
 赤くなった理由は不明だが、ラクスが隠そうとした事とは明らかに違う。
 別の案件だ。
(色々と、お忙しいお姫様だ)
 無論、シンジ達の見守る前で全裸になってミーアとレズバトルを繰り広げ、しかも負けてしまった事を思い出したのだ。
「そ、そっ、そんな事はありませんわ。あ、あのっそれよりもハマーン様」
「何かな?」
 もう完全に小娘を掌に載せて遊ぶ大人の女、の図だったが、
「碇様のフルネームは碇シンジ、ですわ。艦内でも、皆碇さんと呼んでおられました。でもハマーン様は…シンジ、とお呼びになるのですね」
「!」
 泣いたり笑ったり顔を赤くしたり、忙しない小娘だと思っていたら思わぬ逆襲に出てきた。
「べっ、別に他意はない。ただその…あれだ、奴の事はシンジの方が呼びやすいとただそれだけだ」
 何とか切り抜けたハマーンに、
「そうですわね。碇様はマリュー様と仲良しでおられましたし、ハマーン様が特に興味を持たれるようなこ――」
「ラクス嬢、それは本当なのかっ」
 思わず身を乗り出してから気づいた。
「『……』」
 さっきまでは完全に自分が有利だったのに、気づいたらほぼ対等の位置になっているではないか。
 自分は一体何をしているのかと、
「その…誤解の無いように言っておくが…私のは別に色恋沙汰とかそんな事ではない。ただシンジは…私が戦場で数多見えた敵の中で、素直に敵わぬと感じたただ一人の男なのだ。戦場などではなく、鎧を脱いだ状態で語り合ってみたいと思っただけだ。ただ…叶わぬ望みではあろうがな」
 ふっと苦笑したハマーンに、
「なんとなく…叶いそうな気がしますわ」
「ラクス嬢?」
「だって、碇様の方がお強いのでしょう。もう一度戦場で会えば、きっとあっさり捕まりますわ」
 悪気がない、と分かるだけにハマーンも苦笑するしかなく、
「ラクス嬢…」
 言いかけてから気づいた。
 何故討つ、ではなくて捕らえるなのだ?
「碇様もきっと、同じ事を考えておられると思いますわ」
「……」
「ハマーン様、今日わたくしの言った事はお忘れになってください。戦争が早く終わればいい、とその思いに変わりはありません。でも…もう少し考えてみますわ」
「それがいい。私とて徒に戦火を求める気はないが、断っておかねばならぬ災いの根というものもまた、確実に存在するのだ」
「はい」
 ラクスは頷いて立ち上がった。
「ハマーン様、今日はありがとうございました」
「もう良いのか?」
「だって…家に帰って顔を洗わないとみっともないんですもの」
 恥ずかしそうに笑ったラクスに、ハマーンが僅かに笑った。
 出口に向かったラクスが、扉の前で足を止めた。
「あ、ハマーン様に一つお詫びしなくてはいけませんわ」
「うん?」
「さっきのは冗談ですの」
「さっきの事とは?」
「碇様のことですわ。わたくしがあの艦(ふね)に居た時、碇様には特に仲良しの方はおられませんでしたから。きっと今でも自由(フリー)ですわ?」
「そうか」
 今度はもう、ハマーンの表情に変化はなかった、小娘相手に、二度も表情を変えるほどハマーンも単純ではない。
「ところでラクス嬢、君がさっき言っていたマリューとかいう女性は、艦長ではあるまいな」
「マリュー・ラミアス艦長ですわ。それがどうかなさいましたか?」
「その女艦長が碇シンジを全面的に信頼していなければ、シンジがあれだけ動けると思うか?」
「いえそれは…」
 ラクスの足下で、カチッと音がしたような気がした。そしてそれは――地雷原にあるスイッチの音に似ていた。
「任されているから、シンジはあれだけ動けるのだ。ラクス嬢の珍しい冗談も、あながち冗談とは言えぬようだな。その女艦長の事もセットで調べねばならんようだ。ラクス嬢、貴重な情報に感謝する」
「い、いえ…ではわたくしはこれで」
 あらあら大変ですわね、位は言ってみたかったのだが言えなかった。ハマーンに言われた事を全て納得して受け入れた訳ではないが、少なくとも父のシーゲルからは決して聞かされなかった事である。
 ハマーンに言った通り色々と考えてみようと、と言うよりさっさと帰って顔を洗うべく、ラクスはすたすたと歩き出した。
 
「ハマーン・カーンの屋敷に?」
「ああ。あれが行きたいというので行かせたが、何か問題でもあったかね?」
「いや、そんな事は無いが…」
 シーゲル・クラインの言葉に、アイリーン・カナーバは秀麗な眉を僅かに寄せた。アイリーンも最高評議会議員の一人であり、シーゲル同様温厚派である。
 但し、シーゲル達温厚派は、ここの所少々分が悪い。地球軍が開発していたモビルスーツだが、所詮は試作機だし、こちらが分捕れば余程上手に使えるのだから何程の事やあらん、それよりはさっさと戦争終結の道を模索すべし、と唱えていたのだが、そのこちらが上手く使える筈のMSが、ストライクたった一機でこれ以上ない程に翻弄され、つい先日は最新鋭のジン隊が壊滅させられた。あまつさえ、痛打を浴びせる事も出来ずに悠々と地上へ逃げられてしまったのだ。それ見ろやはりナチュラルは戦線を拡大したがってるのだ!、と強硬派は勝ち誇っているのだが、元々数頼みで始めた戦争が質で勝るコーディネーターにMSを作られて形勢がひっくり返り、それに対応するべくG機を開発したのだから一概には断じ得ない部分もある。
 ただ地球の情勢を考えれば、和平が成立しても依然ブルーコスモスの影響力が衰えないであろう事位は、アイリーンにも分かっている。
「戦いたがる者など居らん。我らの誰が、好んで戦場に出たがる?平和に、穏やかに、幸せに暮らしたい。我らの願いはそれだけだったのです」
 そう囁くザラの言葉が、中間派である議員達の耳にも、心地よく響いてしまうのはその為だ。議員達の中にも、ユニウスセブンで家族や友人を失った者は少なくないのである。
 だからと言ってこのまま戦争を続ければ、何れは滅ぼし合う以外に道はなくなる。それよりはむしろ膠着状態にある今の内に、和平に持ち込めないかと考えているのがシーゲル達である。無論ラクスはシーゲルの娘であり、強硬派であるパトリックの息子アスランと婚約中だが、ラクスなら何とか――アスランを丸め込んでくれるのではないかと思っている。
 が、そのラクスがハマーンの屋敷に行ったという。ハマーン自身はまだ旗幟を鮮明にしてはいないが、仮に中立的な立場だとしてもその勇名は鳴り響いているし、少なくともラクスが歯の立つ相手ではない。期せずしてラクスが主戦派に肩入れするような事があれば、と秘かにアイリーンは危惧していたのだ。
 ナチュラルを滅ぼすべし、とハマーンは言わなかった。
 即座に和平を結ぶべし、ともハマーンは言っていない。
 単に現状を分析してみせたのみだ。
 だが、この短く所々が妙に濃厚な二人の話が、ラクスとハマーンのみならずキラの身にも――そして戦局に大きな影響を与える事になるとは、アイリーンは無論の事、当の二人も全く予想していなかった。 
  
 
 
 
 
「あなたがウズミ・ナラ・アスハね」
「…一応そう呼ばれているな」
 執務室に珍客を迎えたウズミは、どう対応していいものか困っていた。
 正確に言えば――目のやり場に。
 ソファにもたれている女達が、組んでいる足を動かす度に白い太股が露わになり、妖しい肌が目に焼き付いてくるのだが、彼女たちの顔を見る限り誘惑の色はない。一応これでも国主であり、それ位の見分けはつく。
 普段から身に付いた仕草らしい。
「それで、噂に名高いシュラク隊がこのオーブへ何用で来られたのかな」
「オーブは妄想と…いえ、理念と技術力は高いけど、戦力は底辺でしょ。中立だー!って威勢は良いけど、実際にはカーペンタリアの兵力を向けられた程度で陥落する国よ。戦力の中で、実戦経験者が一割以下ですものね?」
「…よく調べておられるようだ」
 ウズミは僅かに苦笑した。無論シュラク隊の事は知っているが、ここへ招いた記憶などない。そもそも、どうやってこの行政府へ入り込んだのか。どこからも、問い合わせなど無かったのだ。
「それで、この国の防衛力不足を指摘に来られたと?」
「まさか」
 くすくすと笑ったヘレンが、
「お手伝いしてあげようと思ってね」
「手伝い?」
「MSの操縦者を鍛えてあげるわよ。次期MS、既に開発は始めているんでしょ。ムラマサだったかしら?」
 これを聞いて、さすがにウズミの表情が強張った。既に、弟のホムラに代表職を譲る事は伝えてあるが、MSの開発については一切伝えていない。エリカとウズミしか知らぬ極秘事項なのだ。
「言わなきゃ分からない、と考えるようでは常人止まり。シュラク隊は常人の集まりではないし何よりも――」
 その顔から笑みが消え、ヘレンの視線がウズミを射抜いた。
「そんな事じゃ、ガイア持ってきた時に笑われるわよ」
「…今何と言ったのかね」
「ガイアを持ってくる、と言ったのよ。アークエンジェルがどこに降りたかは知らないけれど、ガイアを返しに来るわ。そんな時、実戦経験者がほぼ皆無でステラお嬢ちゃんの肩にオーブの運命が乗っかったら可哀想でしょ」
「ではやはり…あれは事実だったのか…」
 黒瓜堂と名乗った者が自らをテロリストと言い、ステラの身柄とガイアの機体を要求してきた。やむなく飲んだウズミだが、その直後に送られてきた映像はそれが自作自演である事を堂々と示しており、オーブへ返しに行くとか言っていたのだ。
「嘘だと思っておられたのですか?」
 ヘレンを制したマーベットが穏やかな口調で訊いたが、そもそも即座に信じろという方に無理がある。
「ウズミ様、彼がわざわざあんな物を送りつけたのは、ひとえにステラ・ルーシェを保護する為です。経緯はどうあれ――命に関わる事だとしても――結果だけ見て非難する者は必ずいるでしょう。それを想定していたから、あんな自作自演をしてのけたのです。そしてまだ会った事のないウズミ様がそれを使える、と判断したからこそ」
「あの映像を、かね」
「残酷性を付加すれば、やむを得ない措置だったと少なくとも一般民衆に理解させる事は出来ます。普通は納得しませんが、平和と水が無料と思っているオーブ国民なら納得するでしょうね」
「……」
 国家は妄想レベルと技術力だけがむやみに高いと言い、国民は安穏と平和を貪る間抜けな連中だと言ってのける。
 いくらシュラク隊が粒揃いだからと言って、あえてウズミを怒らせて親衛隊の戦闘能力を測りたい訳ではあるまい。その真意が一体どこにあるのか、ウズミは正直分かりかねていた。
 そして何よりも腹が立つのは――反論できないことだ。
「…分かった」
 ウズミはふーっと息を吐き出した。
「呑気な国民性と無策な政府への批判は、私がお受けしよう。だが、そこまでオーブを軽蔑している君らが何故、MSの操縦者を鍛えてくれると言い出すのか、私には理解できないのだが」
「オーブで待ってるって言っちゃったからね」
 爪を手入れしながら言ったのはジュンコであった。
「ガイアを返しに来た時、あたし達がいながらただ眺めていたなんて知られたら…なんて言われると思う?」
「……」
「こう言われるのよ――役立たず、とね。国防の負担がステラお嬢ちゃんにだけ掛かる状況のままにしておいたら、鮫の餌にするとか言い出しかねないから」
「確か黒瓜堂とか名乗っていたが、そこまでステラ・ルーシェのことを?」
「そうね。ステラもキラも全面的に信頼してるし」
 あああれ偽名だから、とは言わないでおいた。
 いずれ分かることだ。
「キラ?」
「キラ・ヤマト。唯一残ったストライクのパイロットよ」
「何!?」
(?)
 その名前を聞いた途端、明らかにウズミは顔色を変えた。確かヘリオポリスにいた少女の筈だし、オーブの資源衛星なのだから別に知っていてもいい筈で、それを抜きにしてもこの反応は尋常ではない。
「いや…失礼した」
 咳払いしたウズミが、
「良いだろう。諸君らのご厚意、ありがたくお受けするとしよう。鍛錬は任せる故、よろしく頼む」
「『了解』」
 女達が立ち上がり、初めて挙手の礼を取った。
 ウズミが、無謀とも言える決断をあっさりと下したのには訳がある。一つは、どこから入手したのが知らないが、機密事項を当然のように知っていた為だ。箝口令を敷いてあったものを名前の構想まで知られていては、今更必死になって隠匿するのも間抜けな話だろう。
 もう一つ、そして最大の理由は黒瓜堂と名乗った者への備えであった。映像で言っていたとおり、本当にガイアを返しに来るという。正直半信半疑だったウズミだが、現在でもまだその正体については掴めていない。
 思想も思考も、そしてその目的もさっぱり分からぬ者が、折角手に入れたMSをわざわざ返還しに来るというのだ。揉み手してあっさり受け取るのも一手ではあるが、やはり備えをしておくに超したことはない。
 ならば、ある程度知っているらしいシュラク隊が、しかも向こうから来てくれるというのにこれを逃す手はない。
 あの音に聞こえたシュラク隊が、機密を持ち出して売るというさもしい根性で来たのなら、その時はその時で諦めもつくというものだ。
 かくしてオーブ首長連合国は、一風変わった押しかけ風味の、だが実力は折り紙付きの助っ人を迎える事になった。
 このシュラク隊と、そしてガイアを搭載してやって来たアークエンジェルの客人が、オーブの行く末に大きな影響を与える事になる。
 
 
 
 
 
(第五十七話 了)

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