妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第五十六話:遺言――ハウメアの護り石
 
 
 
 
 
「気温はともかく…怪しくない?」
「大丈夫よ」
 曇天の街中を、二人連れの女性が歩いていた。炎天下では無いからそんなに重装備の必要も無い筈で、一人は普通に素顔を晒して歩いている。
 が、もう一人はサングラスをした上にマフラーを巻いており、まるで病人か犯罪者に見える。
 ミーアだ。
 紫外線除けと言うより人目除けの格好は、無論レコアがさせたものである。未開の蛮族が住む奥地ならまだいいのだが、この街はザフトが占領しているし、見た目はラクス・クラインの彼女をそのまま歩かせるわけにはいかない。
「でも…ここまでして外出するなら、レコアさんに頼んだ方が良かったかも…」
「だけどミーア、その割には汗ばんでないわね?」
「だってほら、コーディネーターですから」
「…ほんとに?」
「う・そ」
 ミーアはにこっと笑った。
「いくら何でもそこまで体機能は強化できませんわ。でもレコアさん、どうして私を連れ出したの?私は一応ザフトの人間なのに」
「シンジ君が放し飼いにしてるでしょ?彼は地球軍じゃないけど、あの艦を墜とさないってのは決めてるだろうし、ミーアを自由にして問題があるなら繋いでいるわ。それと今日はアークエンジェル(なか)にいたら強制的におねむよ」
 レコアの言葉に、おおよそオブラートというものが無い。
「強制的におねむ〜?また随分と強行なのね。確かマリューさんが、全員に休暇を出したでしょう。出かけなかった人達全員?」
「そ、全員。ただし、サイ・アーガイルとフレイ・アルスター、それにナタル・バジルールの三人だけよ」
「確か…碇さんがトラップを仕掛けるから全員休暇でしょう?そこまでして一人になりたいってこと?」
「他の人には絶対口外しないって約束する?」
「大丈夫よ、レコアさん。ミーアの口は固いんだから」
 ミーアは即座に、そして至極あっさりと頷いた。どう見ても、固い意志の込められた動作には見えない。
 だが、見た目と能力がひどく似つかわしくない青年と、レコアはつい最近知り合ったばかりである。
「まったく軽いんだから」
 ぶつぶつ言いながらも、
「正確にはシンジ君だけじゃなくて――艦長も一緒よ」
「えー!?それって超ロングのご休憩タイ…いったーい!」
 ぽかっ!
「それ以上言ったら素っ裸に剥いてザフトに引き渡すからね」
「あう…」
 端から見れば、仲の良い姉妹がじゃれ合ってるように見えたかも知れない。
 
 
 
(こういうのも、悪くはないかな)
 荷物運びとか雑用でこき使われながら、カズィは結構満足していた。五人組以外に、アークエンジェルクルーでシンジが声を掛けたのは、カズィただ一人だったのだ。トールにはミリアリアがいるし、サイにはフレイがつきまとっている。キラやステラはシンジしか眼中にないし、ヘリオポリス組で目下独り身なのは、カズィただ一人である。
 宴会にも加わらず、つまらなそうに街を歩いてきて、こんな事なら無事に降りたあの小型艇に乗っていれば良かったかと、半分鬱になりかけていたところを、
「お前も来るんだ」
 シンジに声を掛けられたのである。雑用係ではあるが、古参の中では自分一人だけだと知り、雑用係で追われながらも、その表情は満足げであった。
 人間は誰しも――性格にもよるが――需要がある、つまり必要とされている実感を持つのは大切なのだ。
 なおその対極にいるのが、危険なウニ頭を邪悪に揺らした例の男である。
 マリューはと言うと、依然として子供達にまとわりつかれていたが、満足して母の腕の中に戻っていく子供達も増えてきて、だいぶその数は減ってきていた。
 そこへ、
「ラミアス艦長!」
 呼ばれて顔を上げると、カガリが立っていた。しかも、なにやら緊張の面持ちである。
「カガリさんもお菓子食べる?」
「あ、ああ…頂き…って違う!艦長、ちょっと来てくれ」
「どうしたの?」
「仇討ちに行くって言ってる奴がいるんだ。サイーブが止めてるが…」
「何ですって!?」
 そう言えばついさっき、サイーブを妙に気色ばんだ声で呼んだ者がいたような気がした。自分達の身の安全など、シンジがいるので最初から気に掛けてもいなかったので、別段気にならなかったのだ。
「奴らを追うよりも、家族に付いている方が先だと言っているんだ!」
「それでどうなるってんだ!?家を焼かれ、家族と一緒にシクシク泣いていろとでもいうのかっ!?」
(あ、やってるやってる)
 マリューが他人事風味なのは、実際に他人事だというのに加えて、カガリの脳内が理解しかねたのだ。言うまでもなく、自分はアークエンジェルの艦長であって、テロ集団<明けの砂漠>の親玉でもないし、参謀でもない。こんな場所へ自分を連れてきてどうしようというのか。
「サイーブ、俺達は追うぞ。こんな好機を、しかも街を焼かれてその上で逃せるものかっ!」
「貴様ら――」
 サイーブが言いかけたところへ、
「行かせてあげたら?逝きたいんでしょ」
「なにっ?」
 振り向くと、マリューが冷ややかに眺めていた。
「私は地球軍だし、別にあなた達のする事に口を出す立場ではないわ。でもね、街の全焼にも関係ないのよ。それでも彼を出して、あなた達の家族を治療させたのは私です。父親の顔を見てほっと安堵し、あり得ぬ方法で傷を癒されてやっと少し笑顔になった子供の顔を、泣き顔に変える事は私が許しません。どうしても逝くというのなら、天涯孤独で身寄りのない者だけで逝きなさい。父親を兄を、或いは恋人を失って笑顔から泣き顔に変えるため、怪我を治した訳じゃないのよ!」
 マリューの一喝に場が一瞬静まりかえったが、銃を構えた男が二人、ゆっくりと前に出てきた。
「んじゃ、俺達は行ってもいいって事だよなあ、艦長さんよ?俺達に家族はいるが、ごらんの通り利き腕を吹っ飛ばされ、もう仕事も出来る身体じゃねえ。せめて、家族の足手まといにならんよう、見事に散っていくのが家族の為ってモンだ。そうだろ?」
「……」
 二人はいずれもマリューに銃を向け、腕を根本から断たれた二人である。綺麗さっぱり散ってくれば?と言おうかと思ったのだが、さすがにそれは止めた。
「よっしゃ、艦長サンのお許しも出たことだし、俺達は行くぜ。てめーら、玉が付いてるなら…」
 ギロリと仲間達を一瞥し、
「女の言葉に縮み上がったりはしねーよなあ?」
(あーあ、完全に熱血時代ってやつね)
 唯一残った片手で振り回した銃が功を奏したのか、当たり前だ、俺も行くぜ!と次々に怪気炎が上がり、一斉にわらわらと車へ乗り込んでいく。
 もはやこれまでかと思われた時、
「手無しが死にに行くのは構わん。だが玉無しが突撃するのは別の問題だ」
 静かな、そして冷ややかな声がした。
「シンジ君っ」
「やっと全員終わった。重傷者がいなくて助かったよ。いたらヤブな腕前がばれるところだった」
(もう、シンジ君てば緊張感ないんだから)
 くすっとマリューに笑いかけてから、
「仕事も出来ぬ身体故に特攻する、とお前達は言っていたな。ならば、玉だの女の言葉だのおかしな言いがかりをつけず、二人だけでバクゥに突撃してくるがいい。間抜けなお前達が踏みつぶされるのを見るのは、それも一興というものだ」
「な、何だと…っ」
「それとも、仲間を道連れにしなければ何も出来ない卑怯者か?もっとも――」
 シンジの視線が二人を捉え、その身体は硬直した。
「女に銃を向け、その報いを受けたにもかかわらず逆恨みするような屑になど、それがお似合いだよ」
「き、貴様ーっ!!」
 歯がみした二人だが、さすがにシンジに銃を向けるような愚は冒さなかった。
「ああ、行ってやるよ!おまえの言うとおり、男の死に様を見せてやるよ!!」
「それはそれは」
 夜風に黒髪を靡かせながら、シンジの表情は変わらない。毛細血管が切れたのではないかと思うほど、目を真っ赤に充血させて車に乗り込もうとしたその手がおさえられた。
「んだよ!邪魔しようってのかっ!」
「…俺達も行く」
「何っ?」
 その手を放し、男達がシンジの元へ歩み寄ってきた。
「うちのモンを治してもらった事は感謝してる、この通りだ」
 深々と頭を下げ、
「だが俺達みたいな――あんたのいうテロ集団にも、ちっぽけなプライドってものはあるんだ。街を焼かれ、半ば死に体にされながら家族の無事を喜び合うだけってのは…すまねえが出来ないんだよ。例え…半ば無謀だと分かっていても」
「半ばではない。死亡率は九割九分九厘、勝率は一厘以下だ。あまり自惚れぬ方が良かろう。勝算があるというのは、今までの自分達を否定する事だぞ」
「…どういう事だ」
「ここへ来ているのは全体の半数だろう。しかも街の様子が気になって、大した装備はしていまい。今までにフル装備で、そして全人員を出せばザフトに快勝していたのか?実質半数以下の兵力で、それでも勝算があるというならうかがいたいものだな」
「そ、それでも…それでも俺達はっ…!」
「行くがいい」
 シンジは静かな口調で言った。
「勝つためではなく、己のプライドの為だけでもなく――その一矢が後に礎とならん事を信じ、片道の燃料と爆弾と、強固な信念だけを抱いて散っていった兵は…残った者には誇りなのだと聞かされた」
(シンジ君…)
 無論マリューは極東の生まれではない。
 だが極東にはかつて、シンジが言った通りの戦法で敵を心胆寒からしめた国がある、と聞いたことがある。
 世界は違えど、シンジの知り合いにそんな者がいたのだろうか。
 ふとシンジに思いをはせたマリューだが、
「感謝する。馬鹿な親父で済まないと謝っていた、と家族には伝えてくれ」
 男達はシンジに一礼し、一斉に車へ乗り込んだではないか。
(い、行かせちゃうのっ?)
 砂煙をあげて走り去る車を、シンジは黙然と見送っていた。
「イカリの大将…」
「テロ集団の下らんプライドでも…男の意地だ。妨げてよいものではない」
「そこまで言われちゃ…な。だが責任は取ってもらうぞ」
「!」
 一瞬マリューの手が腰に伸びたのだが、
「俺の家族にも、謝っていたと伝えてくれ。エドル!」
 おう!と威勢の良い声がして、車が一台滑り込んできた。乗り込んだサイーブが、
「と言うわけだ。後は頼んだぜ、イカリの大将!」
 これも砂塵に消えていく車を見送り、マリューがはーあ、とため息をついた。
「みんな…行っちゃったけど…」
「ま、いわゆる一つの生き様ってやつで…こら」
 にゅう、と伸びた手がカガリの襟首を掴んでいた。
「は、放せ…じゃなかった放してお願いっ!あたしだけ見てるわけにはいかないんだ!」
「わけにはいかないって、お前はオーブの後継ぎって事を別にしても思慮は足りないし、行ったって尚更足手まといになるだけだ。だいたい、男がプライドを賭けて戦いに行ったのに、女風情が出る幕ではない」
「そーゆーのを男女さべ…あうっ!」
「ちょっと黙ってろ」
 ズボ、とカガリの下半身が砂漠に埋まる。シンジが高みから手を放すと、砂漠はそのまま飲み込んだのである。
「このままオブジェにでもしてくれようかまったく」
 シンジが物騒な事を呟いた時、
「ごめんよ…」
「ん?」
 振り向くと、アフメドが立っていた。手にしているのは、ハウメアの護り石と言っていたものだ。
「アフメド少年、これは?」
「あんたに…もらって欲しいんだ。頼む、カガリを行かせてやってほしい」
「ちょっと待て少年。先日、自分はカガリを守れるくらいに強くなると言ってい――そこ、何を赤くなっとるか」
 スパン!
「いってー!」
 誰が赤くなって一撃をくらったかなど、言うまでもあるまい。
「た、確かにそれは言った…。でも、カガリは俺達の仲間なんだ、戦士なんだよ!」
「単に思慮が欠けた、男とも女とも見分けのつかぬ奇怪な生き物にしか見えんが」
「な、何だとー!」
 さすがにカガリが拳を振り回して怒り、
(そ、それはちょっと言い過ぎ…かも)
 マリューでさえ、内心でそっと突っ込んだくらいである。
 だが、
「砂をまぶしてウェルダンになりたいのか?」
「や、やだ…」
 あっさり撃沈された。
「話を戻そう。アフメド少年、先日は自分の力不足を自覚していた筈だろう?茶坊主と二人きりで行って、この困った物体を守れるのか?」
 とうとう――物体にまで墜ちてしまったカガリ。
 浮上の日はあるのだろうか。
「だ、だから…だから一緒に行くんだ」
「一緒に?」
 シンジの顔を見られぬアフメドが、シンジの後ろを指す。そこにいたのは、ゴーグルをつけて車の後部座席でふんぞり返っているキサカであった。しかも、武器弾薬を満載しているではないか。
「オマエモカ」
 変な発音になったシンジがキサカを眺めると、キサカはすうっと視線を外した。後ろ暗い所がある、と自覚はしているらしい。
「やれやれ…どいつもこいつも好んで死にたがる。そんな魂など、オシリスに踏みにじられるがいい」
「ごめんっ」
 シンジの手にハウメアの護り石を押しつけたアフメドに、
「お前が持って行くがいい」
「…戻ってこれなかったらあんたにあげられないからさ」
「ちょっと待て少年、今なんと…くっ」
 アフメドが勢いよくカガリを引っ張り出し、その砂煙で埋めた本人が咽せている間に、アフメドはカガリを車に乗せ、車は勢いよく走り出した。
「ちょっとシンジ君、大丈夫っ!?」
「ん、大した事はない。それにしても――」
 轍のうぞうぞと付いた砂漠を見やり、
「熱すぎるやつらだ」
「そうね…」
 二人はしばしテロ集団の去った後を見つめていたが、
「全滅…すると思うんだけど」
「するね。間違いない」
「うん…」
「さてと、残った連中を誘導してくるか。あの五人には悪いが、先客に譲ってもらおう」
「誘導って、何をするの?」
「温泉解放。今日居なかったでしょ。ちょっと改造してみた」
「え?」
「五メートル脇に、真水がわき出している。こんな事に使うとは思わなかったが、な」
「じゃ、じゃあ…」
「風呂と水は何とかなるって事。食料はまあ、ある程度はなんとかするでしょ」
「さすがシンジく…あぅ」
 むにゅっと頬が引っ張られ、
「だから予想外、と言ったろ。変な事言ってると――」
「言ってると?」
「蠍に乳首刺してもらうぞ」
「そ、それだけはやだっ」
「じゃ、黙って見物してる。それと、バーディ・シフォンを呼んで」
「何か仕事?」
「んーん、違う」
 ふるふると首を振り、
「全滅の見物」
「……」
 皆の所に戻ったシンジは、男共が十数名ザフト軍の後を追った事を告げた。てっきりどうして止めてくれなかったのかと、何人かは言ってくるかと思ったのだが、予想に反して誰からも怨詛の視線は向けられなかった。
 こんなものだ、と或いは達観しているのかも知れない。
 だが男達にはああ言ったが、シンジの胸中は少々複雑であった。今回の追撃は無謀を通り越して、文字通りただの口減らしにしかならないのだ。それも当座の事で、長期的に見れば稼ぎ手を喪う事になる。ダメージすら与えられぬと分かっている状況で、あまりにも淡々と受け入れすぎではないのか、と。
 ただし、シンジは砂漠のテロリストではない。後に何も残らぬと知りながら突撃する心を、理解しかねる程には平和に育ってきている。
 無意味な理解に挑戦する事はさっさと諦め、
「ハチマキのマスター」
「お、おう?」
 さっき見かけた男を見つけて声を掛けた。
「己の下らんプライドよりも、家族の想いを優先したのは賞賛に値する」
「お、俺は別に…」
「家族などどうでもいい、と?」
 その足下では、子供達が父親の足に縋り付いており、
「い、いや…」
 子供達の視線に耐えきれず、男が首を振った。
「それでいい。さて、ここに残っているということは、まともって事になる。あんたが責任者になって皆を統率し、搬送してこい」
「搬送?」
「温泉だよ。ここで震えているより良かろう」
「ちょ、ちょっと待て。温泉なんて一体どこに…」
「数日前、砂嵐と砂像がザフト軍を飲み込んだ場所があったろう。あそこだ。私が造っておいた。皆には内緒だぞ」
「あ、あんたは一体…」
 硬直した表情でシンジを凝視した男に、
「行くのか?行かないのか?」
「い、行く。行かせてもらうよ。でも…本当にいいのか?」
「サイーブに免じて、な。私からのささやかな贈り物だ」
「あ、ありがとよ」
 さっと身を翻した男の背後に、
「ああ、それと」
「え?」
「水を汲む物も忘れずに持って行くといい。近くに真水がわき出している筈だ」
「あ、ああっ」
 頷いて走り出した時、その場所に水など湧いていなかった事を男はすっかり忘れていた。
 
 
 
 
 
 バルトフェルドの関心事はただ一点にあった。
 すなわち、地球軍とテロ集団がどの程度繋がっているのか、と。勝ち戦の尻馬に乗ったようにも見えた加勢ではあったが、全く無関係と結論付ける事も出来ず、かといって手を組むような――炎上している罠とも分からぬ街へ駆けつける程の関係とも分からず、だから街一つを焼くのに近くまでレセップスを進出させ、参加しないバクゥまで数多伏せたのである。
 が、現在はバクゥが五機、てくてくとのんびり帰還中だ。既にレセップスは戻してある。
「隊長、もう少し…急ぎません?」
「ん〜?」
 ダコスタに訊かれた時も、ふぁーあと欠伸した顔は緊迫感どころか呑気そのものに見える。
「とっとと帰りたいか?」
「そうではありませんが…連中の反応に、追撃してくるっていうのは無いんですか?連合と手を組んだかも知れないから、さっさと帰投する事にしたのではなかったのですか?」
 ダコスタの言うことは至極もっともである。街は焼くが、テロ集団の影にアークエンジェルとその一味の姿があるかもしれない、だから用が済んだらすぐに帰ると全機に通達したのはバルトフェルド本人なのだ。
「無論あるさ。ただし、脅威ではないがね」
「え?」
「バクゥは飛行できないからな。足跡を追えばこちらの足取りは分かる。アークエンジェルが、乃至は搭載しているMSが追撃に参加していれば、とっくに追いつかれているさ」
「はあ…」
「分かってないな。一定のマージンを取っても、連中に追撃を掛けられる距離というのはある程度予測がつく。だからその間はレセップスとバクゥを伏せておいた。ただの焼き討ちが一大会戦になる可能性もあったからだ。だが、少なくとも連合の連中が一緒になって追っては来ない、と判断できる程の距離になったから我々だけで走っているのさ。つまり――今追いつかれても相手は、死んだ方がましと思っている奴らだけって事だよ」
 何度か目を瞬かせてから、
「…あ、了解しました」
「な、分かったろ」
 タッシルを襲った時にも燃料・弾薬に余裕を残し、しかも途中で予備のバクゥに変えたのだ。レセップスに乗り込んでさっさと帰ればいいのにと思ったが、どうやら追ってきてもテロ集団だけだと踏んでいるらしい。
「俺が知る限り、バクゥと自走砲じゃ勝負にならん――と思うんだが、世の中には結構死んだ方がましとか思ってる連中も多い。ダコスタ、君はどう思う?」
「……」
 ダコスタは神妙な顔で首を傾げ、
「今回、燃えさかる家にあえて残ったりしなければ、死者は出ていません。連中も街の炎上は知ったでしょうし、家族がほぼ無事ってのも分かってるでしょう。その上でなお死が待っている突撃を選ぶかどうかは…」
「それを選ぶのがテロリストだ」
「隊長…」
 そこへ、
「隊長、後方から接近する車両がありますが」
「…うちらの物か?」
「いやあ、どうやら連中の物ですね。お見送りに来てくれたようです」
 報告する声に笑みがあるのもさもありなん、こちらは新型のMSが五機に対して、<明けの砂漠>など自走砲とロケット砲がいいところなのだ。
「な?テロリストってのはそういうもんだと言ったろ?残された家族の環境も心も考えず、ただ自分の意地とかプライドとか、そんなものの為に安い命を投げ出せる…だからテロ集団なんてやってられるのさ」
 バルトフェルドの講釈に、ダコスタがふむふむと頷いている間にも、テロ集団のジープは突っ込んでくる。
「そういうもんな――」
 なんですかねえ、と言いかけた時前方にロケット弾が撃ち込まれた。火柱が上がり、ダコスタが慌ててハンドルを切る。
「隊長!」
「あー分かった分かった。仕方がない、応戦するぞ」
 にゅう、とバルトフェルドの右腕が上がり――殺戮の幕が開いた。
 ダコスタの操る車が、丘の上を目指してガタゴトと逃げていく後ろから、
「ジープを狙え、虎を倒すんだ!」
 敵の総大将が、バクゥにも乗っておらず生身を晒しているとあって、バズーカやロケット砲を構えた連中は殺気だって押し寄せたが、次々に放たれる砲弾の前に、
「あーほれ、お前らの相手はこっちだからさ。な」
 そう言わんばかりに、バクゥが悠然と立ち塞がった。
「ちっ、邪魔するな!」
 追いついたカガリの放ったロケット弾がその頭部に命中し、パイロットが一瞬視界を塞がれたところへ、今度はキサカの放ったバズーカ砲がバクゥの脚に命中した。ぐらりと体勢を崩したバクゥに、
「ヒャッホーイ!」
 怪気炎を上げて喜んだのも束の間で、
「ハエの分際でちょこまかと!」
 テロ集団ごときに会心の一撃を浴び、赫怒したザフトが反撃に出てきたのだ。反転した機体が飛び上がり、四本足を揃えて自走砲を撃ったばかりの車両の上に落下する。押し潰されて爆発した車両になど目もくれず、そのまま一気に走行体勢へと移った。
 加速前の低速だというのに、MSの脚は二台を引っかけて蹴散らし、あっという間に三台・八人のテロリストが死亡した。
「くっ…!」
 唇を噛んだサイーブの前で、アフメドの乗る車がバクゥへ向けて勢いよく突っ込んでいった。車を滑らせてバクゥの下に潜り込み、真下からカガリとキサカが撃ち込んでいく。
 どんな素人がどう贔屓目に見ても、ジープの連中が優勢とは思うまい。その操縦技術はともかく、いやしくも一国の後を継ぐ身にある者が、自殺行為としか思えぬ暴挙に身を投じるのは愚かの結晶と示す証か或いは――。
 真下から撃ち込まれたバクゥだが、これまた致命傷を与えるには至らず、操縦者を燃えさせたのみに終わった。
「この雑魚共がっ!」
 機体の速度をすっと落とすと、不意を衝かれたジープが前に出る。撃って良し殴って良しの、まさに俎上の魚状態である。
「飛び降りろっ!」
 自分達の位置を知ったキサカが叫ぶが、前席にいる二人は対応が遅れた。キサカの太い腕がカガリを掴んで飛び降り、そのままごろごろと転がっていく。
 だが、
「…え?」
 運転席にいたアフメドは、何が起きたのか、そして何が起きるのかを察知する間もなく――。
「アフメドっ!!」
 カガリが叫んだ直後、バクゥの前足が車体に膺懲の一撃を加え――ジープはアフメドを乗せたまま吹っ飛ばされていた。少年の身体が大きく宙を舞い、受け身を取る事など出来ぬまま――鋼鉄の車体に叩きつけられる。
 絶叫したカガリだが、既に武器はない。あるのは唯一、キサカの弓矢だけなのだ。これではバクゥを倒すどころか、一矢を報いる事すら出来ない。
 しかもバクゥはとどめを刺すべくすぐ側に迫っており、大きくその脚を振り上げたところへ、間一髪サイーブのロケット砲が命中した。キサカが辛うじてカガリを抱えて丘の下へ転げ落ちていき、ほっと安堵の息をついたのも束の間で、その目に映ったのはのんびりとお休み中のバクゥ四機の姿であった。
 こちらは既に全滅する光景が見えているというのに、敵は五機の内一機しか出していないのだ。
「死亡率は九割九分九厘、勝率は一厘以下だ」
「父親を兄を、或いは恋人を失って笑顔から泣き顔に変えるため、怪我を治した訳じゃないのよ!」
 シンジの、そしてマリューの声が脳裏で幾度もリフレインする。意地とプライドの為に出てきた結果がこれだ。
 為す術もなく踏みつぶされ、或いは蹴散らされて散っていった仲間達の顔が浮かぶ。
「畜生っ!!」
 血が出るほどにきつく唇を噛み締め、バズーカ砲を撃ちまくりながらサイーブがバクゥへ突っ込んでいく。
「バカ発見」
 そう言って嘲笑う操縦者の言葉が、サイーブには聞こえたような気がした。文字通り捨て身の覚悟で突っ込んでくるサイーブは相手にせず、そのパイロットが目をつけたのは浮き足立っている仲間の方であった。
 余裕たっぷりで悠然と迫るMSから、逃げ腰のジープがどうして逃げられるものか、必死にハンドルを切る後ろから、猫がネズミを弄ぶかのごとく追いすがる。この状態ではサイーブも、仲間を巻き込む可能性があるから撃つことが出来ない。サイーブがカガリが、逃げてくれと必死に祈る眼前で、
「もう飽きた」
 一台、そしてもう一台が――爆散した。
 残りは一台――。
「サイーブっ!」
 呆然と見つめるサイーブの意識を、仲間の叫びが引き戻す。
 掃除を終えたバクゥが、ゆっくりと仕上げに掛かったのである。ロケット弾を手にしたサイーブは、文字通り獅子の前のシマリスに見える。
 それでも最早死を覚悟したかのような表情で、サイーブの手が引き金に掛かった直後、
「接近する車両〜?おいおいどこのバカが――」
 車両の接近を知りパイロットが肩をすくめるのと――その後ろ足が吹っ飛ぶのとが同時であった。
「『何っ!?』」
 わらわらと襲ってきた車両は、いずれもろくな損傷を与えられなかった筈ではなかったか!?
 敵も味方も皆後方を呆然と凝視する中、悠然と現れたのはジープであり、
「このバズーカ使えないぞ」
 “一発”撃っただけで先の割れたバズーカ砲を放り出したのはシンジであり――。
「それ…弾入ってなかったでしょ。何を撃ったの?」
 怪訝な顔で訊いたのは、バーディ・シフォンである。
 精(ジン)を集めてバズーカ砲で撃ったのだが、砲身が持たなかったのだ。
「死者の国からお迎えにあがった」
 すっと上がった手に剣が握られているとキサカが気づいた直後――砂漠の砂は一斉に隆起を始めた。
 みるみる盛り上がったそれは、巨大な犬の形を取っており、
「アヌビス風情にその魂は渡さぬ、と見事抗ってみるがいい。そしてこれが――私の送る序曲」
 今度は器具を使わず掌を向け、
「劫火!」
 エクスカリバーの影響で危険なまでに増幅された火柱が放たれ、今度はバクゥの前足が吹き飛んだ。
 
 
 
 
 
(第五十六話 了)

TOP><NEXT