妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第五十五話:放火ダッシュの疑惑
 
 
 
 
 
「よし、よく燃えてるな」
 炎上する街を見ながら、バルトフェルドは冷ややかに呟いた。本来ならば、街を焼き払うよりも空爆を繰り返した方が、少なくとも心理的な影響は遙かに大きい。
 が、それをせずに焼き討ちを選んだのは――先回の敗戦がいたく尾を引いているからだ。それも、単に負けただけではなくテロリストが連合に加勢したのだ。
 偶然であれ意図的であれ、あの厄介な艦とMSが背後にいる可能性がある以上、長引かせるわけにはいかない。無論連中の出城である街を交互に焼けば済む話だが、砂嵐のトラップで痛い目に遭っており、そんなものを仕掛けられたら爆撃どころの話ではなくなってくる。
 丘の上で見物してたバルトフェルドの元へ、ダコスタが上がってきた。
「隊長、終わりました。連中、こんがりと焼けていますよ」
「連中、とは?」
「あ、いえ街のことです」
 じろりと睨まれて慌てて訂正する。この男、何を考えたのか事前に避難勧告を出させたのである。
「人的被害は」
 本来ならば、あるわけねーだろ!とツッコミの一撃くらいは入れたいところだが、哀しいかな自分は軍人であり、漫才コンビのツッコミ担当ではない。
「ありません。戦争ではありませんし」
「避難勧告を出せ、と言った筈だが」
「し、失礼しました。街の連中にもない筈です。小銃で反撃してきた連中にも、攻撃はしていませんから。ただ走る途中で転んだとか――」
「とか?」
「家を離れられないとウェルダンになるのを望んだとか、そこまでは…」
「まあいい、分かった。さてと、用は済んだ。さっさと引き上げるぞ」
「はっ!」
 連合と組んだかもしれないので用が済んだら帰る、とは既に通達が出ている。ダコスタもあの傍迷惑ぶりは十分理解しており、余計な事は言わずにわらわらと引き上げていった。
 なおタッシルはさして大きな街ではなく――たっぷり火遊びをして楽しんだにもかかわらず、燃料も弾薬も十分余力は残してある。 
 
 
 
 
 
「いいから待てと言ってるんだ。あと五分待ってろ、文句のある奴は失神して待たせてやるぞ」
 遠方に上がった炎に、テロリスト達は浮き足だって街へ戻ろうとしたが、サイーブは止めた。理由は言わず、ただ待てとしか言わないサイーブに、無論仲間達は殺気だったのだが、サイーブの態度は変わらない。
(もしかしてシンジ君を待ってるのかしら)
 さすがにアークエンジェルの艦橋には入れられず、自分達の機器で通信させたのだが、戻ってきたサイーブの表情は、泡をくっている他の連中とは違って見えたのだ。
(もしシンジ君が待てと言ったのなら、放置は出来ないわね…)
 マリューの手がすっと銃に伸びたところへ、危なっかしい飛び方でシンジが帰ってきた。
「シン――」
「シンジさんっ」「お兄ちゃん!」
 マリューが呼ぶよりも前に、キラとステラが両側から飛びついた。
「いい子で留守番してたか?」
 二人の頭を撫でたシンジが、サイーブに歩み寄った。
「言われたとおり待っていたが…」
 何だと!と言う声があちこちで上がった。仲間達が次々と朱に染まったのはつい先日の事であり、一応治してはもらったが、二人は片腕を断たれたままなのだ。
「サイーブ、少しカリスマ値低いぞ」
 うっすら笑ったシンジに、テロ集団の眉がつり上がる。それでも直接文句を言えないのは、破壊と再生を兼ねたその姿を目の当たりにしているからだ。
「武器を持っている連中がいるようだが、要らん」
「何っ!?」
「害意が感じられなかった。もう居ないんじゃないかな。信じるか信じないかは勝手だが、銃なんぞより寝具を持っていけ」
「シング?」
「寝る道具だよ。この寒い砂漠で、弾丸を身体に巻いて一晩過ごさせる気か?」
「……」
 サイーブは刹那躊躇った。確かに、自分達をテロリスト扱いはしていても、敵としてはもう見ていないようだし、負傷者を治してくれたのもこの男なのだ。
 だが、万一嘘を言っていたら――いや、読み間違いだとしたら?
 そもそも何故、あんな離れた位置からタッシルの様子が分かるのか。
「わか――」
 分かった、と言いかけたその時、
「俺は信じねーぞ!そんな奴の言うことが信用できるかっ!俺達を素手で行かせて虎の餌食にしようとしてないなんて何で分かるんだよ!?」
 声を張り上げたのは、シンジに腕を断たれた男であった。腕を喪っても、無謀さはちっとも変わっていないと見える。
「ほう」
 シンジの視線が男を捉えた途端、急激に男の気が萎えた。
「まあいい。何を持っていこうが、別に私の関知するところではない。無用な武器を持って駆けつけたければ、そうする事だ」
 砂漠を舞う風は、自分達を攻撃してきた連中の気配を伝えてはこなかった。タッシルが燃えている原因など分からないが、付近に敵の気配がない以上、戦闘装備で行く必要などない。そもそも、全滅していなければ必ず負傷者がいる筈で、急務はそちらの手当だろう。
 とはいえ、アークエンジェルのクルーが街にいるわけではないし、シンジにとってはさして重要な話でもない。
 さっさと背を向けたシンジに、
「シンジ君、あの…どうなってるの?」
 マリューが訊いた。
「どうなってるか、は知らんが燃えてる所の半径二キロ以内には、少なくとも害意を持った奴がいない。ま、無人兵器で待ち伏せしてるなら話は別だが」
「んー…アークエンジェルも行った方がいい?」
「必要ない。ザフトなんて関係ない可能性もあるし」
「『え?』」
 シンジの言葉に、マリューだけでなく、キラ達も目をぱちくりさせてシンジを見た。
「どこぞの妻が夫の不倫相手の家に乗り込んで、取っ組み合いになった挙げ句鍋をひっくり返して、油に引火でもしたのかもね」
「『…え』」
(?)
 無論冗談で言ったのだが、マリューもキラも、そしてステラまで何故か硬直してしまっており、笑ったのは居合わせたムウだけである。
(まあ…この三人には笑えんか)
 あまり笑うのも悪いかと咳払いしたムウに、
「ああ、それでフラガ」
「ん?」
「行って」
「俺が?」
「不倫から来た修羅場が原因か、ザフトが放火ダッシュして逃げたのか、調べて俺に教えてくれ」
「ちょっ、待て、その放火ダッシュって何だよ」
「人の家をノックして、然る後ダッシュで逃げることを俗にピンポンダッシュという。街を焼き払ってさっさと逃げる事を放火ダッシュという。以上だ」
「…なるほどね。でも悪いけど、俺は無理だぜ。温泉で飲み過ぎたんだ」
「今度からダメ・ナ・フラガと呼んでやる。姉御!…あれ?」
 改名を宣言してからマリューを見ると、なにやら固まっている。
「モウイイ」
 艦内から人選する事にして背を向けたシンジに、
「す、済まなかった…」
「あ?」
 振り返ると、サイーブが腰を折って頭を下げていた。もう他の連中は、手に手に武器を持って車に乗り込み、走り出している。
「あいつら気が立っていて…あんたが言ってくれたのに悪かった」
 サイーブは両手に毛布とタオルをどっさり担いでいる。
 だが、
「止めとけ」
 シンジの口から出たのは意外な言葉であった。
「無論、ネタで言った訳じゃない。修羅場云々は冗談だが、ザフトに攻撃された事も既にその辺にいない事も事実だろう。だが、頭に血が上ったボンクラ共は武器を持って行ったのだろう?そこへお前が寝具を持って行って、負傷者へ冷静に対応すれば奴らは八つ当たりしかねん。自分が無能な馬鹿だという現実を突きつけられた時、愚者であればあるほどどこかにはけ口を見いだすものだ」
「だが…」
 やれやれ、とシンジは肩をすくめ、サイーブの肩に手を置いた。
「頭領が唯一物わかりの良いテロ集団、と言うのも困ったものだな。とは言えその荷物、不要にはならん。私が行こう」
「え?」
「第八艦隊提督のハルバートン准将は、大きな遺産を残してくれた。彼女達の腕も見てみたい」
「すまない…」
 もう一度頭を下げたサイーブに、シンジが一つ頷いた。
「さて、誰に頼もうかな。いい女ばかりだし」
 ぴくっ。
 シンジの言葉にマリューが反応した。
 硬直が解けた。
「シンジ君、私も行きます」
「きゃ…」
 却下、と言いかけて何とか踏みとどまったシンジ。今は、ベッドに二人きりではないのだ。
「大丈夫、艦長は艦にいて。彼らはMAの操縦経験もあるらしいし、スカイグラスパー位は操縦できるだろう。それよりも、姉御は鍋を作っておいて」
「な、鍋っ!?」
「酩酊して役に立たない奴を逆さに吊してフラガ鍋を」
「お、俺かー!?」
 ムウがぶるぶると首を振り、
「と、とにかく駄目よ。私が行きます。彼女達には物資の搬送を!」
(むう)
 この女艦長さん、今日はいつになく強気である。これ以上言っても聞くまいと諦め、
「分かった。姉御、発つ用意を。俺は彼女達に指示を出してくる。それからフラガ、姉御がいない間の責任者をやるか?」
「俺向き…じゃないよな?」
「じゃ、バジルールを起こしておいて。揺すっても絶対起きないから…」
 ごそごそとハリセンを取り出し、
「これで尻を思い切りひっぱたく。でなきゃ起きない」
「げ!?ちょ、ちょっと待ってくれよ大将。なんで起きないって分かるんだ?」
(!?)
「勘だな。が、間違いない」
 シンジはあっさりと言ってのけたが、ステラはマリューの顔がすうっと赤くなった事に気づいていた。
(…どういう事?)
 達した直後を見られ、シンジが口封じに眠らせたのだが、さすがのステラもそんな事は分からなかった。
「あ、あのお兄ちゃん…」
「うん?」
「あたし達はどうしたら…」
「トランプでもしてて」
「『え!?』」
「敵はいない、と言わなかった?」
「そ、そうじゃなくてあたし達も何か出来ることがあれば…」
「そう言うことではない」
 シンジは少し冷たく遮った。
「炎上する街を見て、逆ギレする可能性のある連中の前に二人を連れて行く訳にはいかない。二人に何かあったら大変でしょ」
 本当は、死人の山を見せるとヤマトの情操教育に悪いからな、位は言いたかったのだが止めておいた。
「シンジさん…」「お兄ちゃん…」
「と言うわけで、中でゆっくり食事でもしておいで。できれば、街を燃やしたついでにこっちへも来て欲しいが」
「『え?』」
「トラップの効用が試せる」
 うっすらと邪悪に笑ってから、二人の肩に手を置いてシンジは戻っていった。
 
「だから、悪かったってば。ね、トールもういいでしょぉ?」
 頼りになりすぎる奴がいる、と言うのも少し考えもので、シンジが防衛を引き受けてトラップを仕掛けたと知られている艦内では、緊張感など微塵もなかった。ナタルが起きていれば、また話は変わったのかも知れないが、ナタルは依然昏睡しており起きる気配は全くない。そんな中で、最も緊張感の感じられないのはこの二人だろう。
 艦橋に二人だけがいるのだが、ミリアリアはトールの首に後ろから手を回して抱きついており、鬱陶しいことこの上ない。
 なお操舵を担当するノイマン以下のクルーは、皆温泉で良い気分になっており、現在は熟睡中だ。敵襲があって、万一シンジのトラップが動作しなかったら、それこそアークエンジェルには轟沈の運命が待っているのだが、それだけシンジを信頼しているのだろう。
 少なくとも、アークエンジェルにとって不利になるような事はしない、と。
 とまれ、先だって発情スイッチの入ったミリアリアに搾り取られ、文字通り腎虚の一歩寸前まで行ったトールだが、
「十二回、か。確かに女の欲情には困ったものだが、それに対応できない方が悪い。しかしミリアリアも、よくそこまで出されてなおねだったものだ」
 と、二人揃って赤面したシンジの言葉のおかげで、やや空気は和んできたがまだ少しぎくしゃくしている。トールにしてみれば、今まで二度が最高だったのにいきなり十二回も出さされて、本当にもう少しで抜け殻になるのではないかと思ったのだ。一方ミリアリアはと言うと、トールに比べればかなり軽い。身体の負担は少ないし、気持ちいいだけだから深刻さが殆ど無いのだ。
 トールに取ってはろくでもない話だが、
「ね、トールもうご機嫌直してよ。お願いだから。ねえってばぁ」
 抱きつかれて、頬をすりすりされると何となく許しても良いような気になってくる。
 とそこへ、
「ケーニヒ、その位で良かろう」
「『碇さんっ』」
 シンジがふらりと入ってきた。
「タッシルとかいう街が炎上してるから、ちょっと見に行ってくる。調子に乗った連中がやって来ても、警戒態勢は必要ないから」
「りょ、了解」
「それとケーニヒ」
「はい?」
「今度、女の感度だけを十倍以上に上げる薬を、レコアに頼んで作ってもらうから今回はそれで手を打っとけ。あまり追いつめてヒスを起こされても困る」
「もーっ、あ、あたしはヒスなんて起こしませんよっ」
「そう願いたいものだ」
 それが後にあっさり嘘と発覚する事を、シンジはどこかで感じ取っていたのだろうか。
「で、ケーニヒいい?」
「え、ええ分かりました」
「じゃ、後はよろしく」
「『行ってらっしゃい』」
 どう見ても、焼き討ちされた街を見に行くそれではなく、物見遊山に出かける若旦那を送る手代の姿であった。
 シンジが出て行った後、
「あたしだけを感じさせたりなんかしたら…ドゥーなるか分かってるんでしょうね!?」
「わ、分かってるよミリィ、べ、別に使う気はないんだからさっ。なっ?」
 あっさりと、女の尻に敷かれている男がいた。
 
「本来なら事情はどうあれ艦長は艦で構えているのがいいんだが、何でマリューが強引に来たの?」
「だ、だって…」
 まりな達に出動を要請し、シンジは機上の人となった。運転はさすがに危なっかしいので、マリューが操縦している。
「だって何?」
「シンジ君が温泉に行ってる時、彼女達に会ったのよ。私から見ても美人でスタイルも良かったし…それにシンジ君もさっきいい女だって。だ、だから…」
 妬いてると白状してるようなものだが、
「マリューのいい女って、俺のとはだいぶ基準が違うから。顔とかスタイルとか、そういうのは基準に入ってないよ。マリューのって、注釈がつくんだ」
 この少年、興味のない事にはとことん鈍い。と言うよりも、掘り下げる事をまったくしないのだが、マリューにとっては助かったろう。
「注釈?」
「みたくれの、とね。それはいい女とは言わない」
「うー…だ、だけど…」
 もにょもにょと呟いていたマリューが、
「じゃ、じゃあ…」
「ん?」
「シ、シンジ君から見てその…わ、私は…」
「訊きたい?」
「ちょ、ちょっと怖いけど…き、聞きたい」
「ふむ」
 シンジがマリューの耳元に口を寄せた直後――機体が激しく揺れた。
「姉御…墜とす気か?」
 
 住み慣れた街が、生まれ育った家が炎に包まれている。
 全力で街へ向かった者達が見たのは、文字通り炎上するタッシルの街であった。全員がここの出身者で無かった事は、不幸中の幸いと言えたかも知れないが、目の前の光景を見た者達にそんな事を考える余裕はなかった。
 ただ、その目に家族の姿が映ったのは幸いだったろう。
「ん?」
 家族の姿を見つけ走り寄って抱き合う者、見あたらぬ家族の姿を探して呼び回る者、そんな中でサイーブは目で人数を数えていた。
「…多すぎる?」
 街には男達もいたが、あれだけ豪勢に燃やされた中で、救助活動に全力を出せたとは思えない。無論、無事を喜ぶ気持ちに変化はないが、なぜこんなに生存者が多いのか。
「何故だ?」
 首を傾げてから、振り払うように車から出た。
 
「ウェルダンてやつだな。あっさり系の味付けが似合いそうだ」
「そうね…って、シンジ君そんな事言ってる場合じゃないわよ。この惨状じゃ…」
「惨状じゃ?」
「え?」
「姉御飛びすぎ。ちょっと戻って。通り過ぎた場所に人が見えた。決して少なくなかったぞ」
「何ですって…あ」
「なに?」
「…また姉御って言ったでしょ」
「ふらふら飛ぶからだ。墜ちるなら一人で墜ちてくれ」
「だ、だってあれはシンジ君が…」
「さっさと降りんか!」
「キャーッ!?」
「ったく。だが…妙に生存者が多くないか?」
 下でサイーブが同じ事を呟いたと、無論シンジは知らない。
 
「動ける者は手を貸せ。負傷者の搬送を最優先だ、急げよ!」
 サイーブが声を張り上げて回っていたところに、
「サイーブ!」
「おお…長老、それにお前も一緒だったか」
 老人と、彼に付き添っていた少年を見てサイーブの表情が緩む。
 そこにいたのはサイーブの息子であった。
 どんな街でも老人はいるのだが、未開になればなるほどその地位は上がる。都会だと、棺桶に片足突っ込んだ厄介者、になるのだがこういう街では長老として崇められる。それが敬称で済んでるうちはいいが、その気まぐれが人の生死すら左右したりするようになるから厄介なのだ。
「無事で…良かった。それで、母さんとネネは?」
「転んで怪我をした人達に付いてるよ。二人とも無事だ」
「そうか…」
 サイーブの大きな手に撫でられて緊張の糸が緩んだのか、少年の目に涙が浮かぶ。
 そこへ、
「長老!ヤルー!」
「カガリ!」
 息せき切ってカガリが走ってきた。
(…大丈夫か?)
 カガリの様子を心配した訳ではない。
 カガリが、焼かれたり埋められたりするのが好き、と言う事は分かっている。問題は、こんなところで焼かれたい発言などされたら困ると言うことだ。
 オーブからの秘かな援助を別にして、ひいき目に見ても今のカガリに国を背負わせるのは自滅路線まっしぐらだと、サイーブは分析していたのである。
「それで…どのくらいやられた?」
「死んだ者は――」
 長老が言いかけた時、
「死者はゼロだな。最初から燃やすのが目的だったらしいが、よく全員逃げ出したものだ。勝手に突っかかって死んだ奴が何人かは出るかと思ったが」
 物騒な事を口にしながら姿を見せたのは、無論シンジである。
「イカリの大将か。来てくれたのか」
 軍人にも見えぬ長髪の青年に、長老が視線を向けた。
「…こちらは?」
「地…」
 地球軍の、と言いかけて踏みとどまった。もし言ったら、自分が燃やされそうな気がしたのだ。
「地球軍の…艦に同乗しているお客人だ。しかし、よく脱出できたな」
 少し早口になったのは、シンジの挑発ともとれる台詞に、早くもこちらを睨んでいる者達がいたからだ。その脅威を知るのは、この中ではごく少数なのだ。
「…最初に警告があった。今から街を焼くからさっさと逃げろ、とな。転んだり火傷をしたりした者はいたが、死んだ者はおらぬ。だが…」
 その視線が街に向いた。まだ火は燃えさかっている最中だが、既に死の街の匂いを漂わせている。火が消えたとしても、間違いなく廃墟だろう。
「これではもう生きてはいけん…」
「…ふざけた真似をっ!」
 ギリっと歯を噛み鳴らしたサイーブの後ろで、
「確かに効率的なやり方だな。一石二鳥、というところだ」
「何っ?」
「砂漠の虎、なる奴がどういう人物か私は知らん。だがある程度分かった事がある。まず一つ、焼いて街を廃墟にするのが目的で、住民を皆殺しにしたり、乃至は駆け戻ってきた連中を待ち伏せて壊滅させる気は無い、と言うこと。少なくとも五キロ以内に敵の姿はない。それと言いにくいが、人間を生かした事でダメージを増やした、と言うことだ」
「ど、どういう事だよそれは」
「どうって…茶坊主には分からんか?」
(茶坊主?)
 カガリ・ユラ・アスハ、から茶坊主へ五段階ほどランクが下がった事を、無論住人達は知らない。
「…分かったら訊かない」
「想像力の欠如だな。まあいい、洞窟のあれは基地であって住居じゃあるまい。ある程度寝泊まりは出来ても大人数が暮らせる場所でもないし、そんな蓄えも無かろう。そこへ、焼け出された人数が一気に増えたらどうなる?荷物が増えると言うことだ」
 さして言いにくそうな口調でもなく、シンジは指摘してのけた。
 住民が皆殺しになっていれば、怒りも悲しみも増幅したろう。が、その分だけ物資の負担は減っていたのだ。
「に、荷物だと…っ」
「そうだ。おい、そこのねじりハチマキ」
「お、俺か!?」
 シンジが不意に振り向いた。そこには、ねじったタオルを頭に巻いた男が、家族から縋り付かれていた。
「そう、お前だ。家族は全員無事だったか?」
「あ、ああ」
「それは良かった。だが、全員死んでいたらどうする?」
「何?」
「死んでいたらどうするのか、と訊いている」
「あ、仇討ちに行くに決まってるだろう!命に代えても敵を討ってやる!」
 拳を握りしめたハチマキ男に頷き、
「そう言うことだ茶坊主」
「…え?」
 さっぱりついていけないカガリが、目をぱちくりさせている。
「戦果としては街を焼いた上に住人を皆殺しにした方が大きい。だが、それではテロ集団を復讐の鬼と変え、しかも身軽になった連中が襲ってくるのだ。では生かしておいたらどうなる?少なくとも、復讐の鬼と化すことはないし、しかも家族の身を案じてそうそう動けなくなる、とそこのハチマキマスターが証明したろう。少しは理解したか?」
「わ、分かった…」
 生活の拠点を奪った上で人を残せば、彼らはどこかへ流出する。何処に行くにせよ、それが大きな負担となる事は確実だ。
「一見すればこの程度で済ませた甘い奴、と言うことになるが、状況を見れば一石二鳥を狙った悪巧みIQの高い奴だというのが分かる」
「……」
「それとご老体」
「わしの事か?」
「そうだ。ザフトの親玉は、おたくらと本気で戦争する気は無いようだが?」
「何故そう思うね」
「私なら街を焼き払い、炙り出された連中を一斉射撃で殲滅。あとはバクゥと戦闘ヘリを数機伏せておけば、血相変えて戻ってきた奴らまでまとめて始末できてすっきりってところだ。甘いというか優しいというか」
「ま、待てよっ!」
 たまりかねて、カガリがシンジの前に飛び出した。
「どうした、茶坊主?」
(シンジ君?)
 後ろで見ていたマリューは、内心で首を傾げていた。言ってる事はさして間違っていないが、どうも挑発的な気がするのだ。普段に比べて四割くらい、言ってる事が過激になっているように見える。
「あ、あいつは卑怯な臆病者だ!我々が留守の間に街を焼いてそれで勝った気になってっ!」
「あの洞窟に接近すれば砂像が二十体、一斉にわらわらと攻撃してくる。先の戦闘で、お前達の行動が地球軍との関係を疑わせた以上、あの洞窟に来るほど間抜けじゃあるまい。それに、勝利宣言を書いた立て札でもあったのか?勝った気になっている、とは何を指して言っている?これは私の想像だが、先だって戦闘に割り込んだ事への返礼だろう。相手が抵抗してこない以上勝ったも負けたも思っていないだろうし、少なくとも家族や恋人、それに友人を無くさずに済んだ、と言う意味では甘いと思うが。どうだ?」
「え゛!?い、いや俺に言われても…」
 振られたのは、さっきのハチマキ男であり、家族が死んでいれば仇討ちしたと力説しただけに、違うとは言えなかった。
「ま、まあそれは…ま、ましかもしれんが…」
「ほらみろ」
「くっ…」
「後のことを考えれば全滅させるのが一番楽なんだよ。だがそれをしないで次善の策を考えれば、今回のやり方になるんだ。そんな事も分からんから…」
「けほん…ケホコホ」
(?)
 後ろで聞き慣れた咳払いの音がした。
 マリューだ。
 はからずも、仲間からも裏切られた形になり、シンジからはこの上なくつつき回されたカガリが、手をぶるぶると震わせている。
(トドメを刺しておきたいんだが…)
「まあいい。戦術にはいくつもあると茶坊主も分かったろう。話が済んだらけが人を一箇所にかき集めておけ」
「な、治して…くれるのか?」
「サイーブの顔に免じて、な」
(イカリ…)
「そちらの御仁はお医者なのか?」
「否」
 怪訝な顔で訊ねた長老に、シンジは首を振った。
「魔女医に想われ妖狼に取り憑かれ――悪の薫陶を受けている最中の五精使いだ」
「そうか…」
 
「一つ治しては悪の為〜、二つ癒しては悪の為〜」
(シ、シンジ君…そ、その歌は…よ、止した方がいいと思うの…)
 十五分後、一箇所に集められた怪我人達を、シンジは片っ端から治していった。幸い重傷者はおらず、何れもシンジの手に負える範疇の者達ばかりであった。
 それはいいのだが、悪、悪と機嫌良く連呼するものだから、子供達はともかく母親や父親の顔が引きつっている。
「あ、ありがとうございましたっ」
 子供の手を取ってカサカサと退散していってしまう。とは言え、手で触れただけで治す治癒術など彼らは一度も見たことが無く、一体何者なのかと周囲からは驚嘆の眼差しを浴びているのは事実だ。
「安静にしていれば三日くらいで治るから」
 次々と手当てしていきながら、
「あ、そうだ艦長」
「なに?」
「あの五人は何してる?」
「寝具と水と食料を配ってるところよ。私もちょっと行ってくるわ」
「ん」
 シンジの元を離れたマリューは、母親の胸で泣いている子供を見つけ、その前で屈みこんだ。
「お嬢ちゃん、お腹空いてるの?」
 こくっと頷いた少女に、
「じゃ、いいものあげるね。ほら、もう泣かないの」
 ポケットからお菓子を取り出し、袋から出して渡す。
「す、すみません」
 飢えたハムスターみたいにぱくぱく食べていく我が子を見て、母親が頭を下げた。黙って首を振ったマリューが、優しい顔で少女を見つめていたが、
「あら?」
 ふと、周囲を子供達に包囲されているのに気づいた。
「そんなに沢山無いのに…なーんてね」
 くすっと笑ってマリューが立ち上がった。
「まだあるから、ちゃんと並んで。もらったら、あそこのお兄ちゃんにお礼を言ってくるのよ。いいわね?」
「あそこで治してるお兄ちゃん?」
「そ。シンジ君が言ってくれなかったら、お姉さん二つしか持ってなかったんだから」
「ふうん…」
 子供達の視線がシンジとマリューの間を行き来し――
「お姉ちゃんの恋人?」
「ちっ、ち、違うわよっ!も、もー、ませた子達なんだからっ、そ、そんな事があ、あるわけないじゃない」
「お姉ちゃん、お菓子握り潰してるけど…」
「あ」
 
 何かを否定するとき、真っ赤になって口ごもった挙げ句、手にしていた物を握り潰したりするのは逆効果である。
 
 とまれ出立前、
「ガキンチョ共が食べそうなお菓子を、バッグに出来るだけ詰め込んでもってきて」
「何に使うの?」
「俺が食べる」
「こらっ」
 奇妙な言葉の意味を、やっとマリューは知った。  
 
 
  
 
 
(第五十五話 了)

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