妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第五十三話:少女達の邂逅
 
 
 
 
 
「いやー、こんな所で星を見上げて温泉に入ってると、戦争中だなんて忘れちまうよなあ」
「まあ…それが一番いいんですがね」
 夜空一面に広がる星空を眺めながら、呑気に温泉に浸かっているのはムウとコジローである。
「あのさ…」
「ん?」
「温泉造ったんだろ?それって、一般開放しないのかい」
「一般開放?ザフトにも解放しろと?」
「ち、違うって!」
 ムウは慌てて手を振り、
「そんなんじゃなくてさ。ただ…俺達ももし良かったら…とか思ったんだが…やっぱり駄目かな?」
「ちょっくら入ってくるが文句はないな――」
「え?」
「と何故言わない」
 シンジはふっと笑って、
「フラガにはよく動いてもらっている。別に却下する理由などあるまい。ここなら私一人でも防衛可能だから、のんびり入ってくるがいい」
「お、おうサンキューな。それとついでと言っちゃ何だが…」
「マードックか?男二人、身を寄せ合って入ってくるがいい」
「サ、サンキュー」
 喉の辺りに小骨が引っかかったような気もしたが、ここは素直にお受けする事にした。結果、ここに二人がいる。
「しかし少佐」
「あん?」
「砂漠で温泉が…というかこの縁の石は明らかに積み上げられたばかりですぜ。第一切断面からして妙に新し――」
「ストップ」
 ムウは一つウインクしてみせた。
「あの大将が、俺達の理解を遙かに超えた所にいるってのは、宇宙(そら)にいる時から分かってた事だろ?ありえない、とか信じられない、とかって言葉は無用の長物だよ。俺達のするべき事はただ一つ」
「一つ?」
「有り難く入らせて頂く事だけさ。にしても…連中から酒をもらってくるんだったな。あーもう、くそっ!」
 湯の中で地団駄踏んでいるムウを、呆れたような視線で眺めながら、コジローはアークエンジェルとMS二機が、状況と比して異常と言ってもいい程に損害が少ない事を思い出していた。クルーゼ隊に付け狙われ、しかも向こうには名将ハマーン・カーンまでもがいたのだ。
 第八艦隊があっさりと敵の餌食になっていく中で、ストライクは文字通り単機で獅子奮迅の働きを見せていた。しかも、G四機を撃墜せぬよう手加減しながら、だ。戦闘員ではないコジローにも、それがいかに危険で馬鹿げた事なのか、分かりすぎる位に分かっている。雑兵ならいざ知らず最新鋭の機体を、それも四機も相手にしながら墜とさぬように戦うとはどういう了見か。
 とは言え、その上でなおストライクとガイア、そしてアークエンジェルを殆ど無傷で地上に降ろしたかと思ったら、今度は温泉作成と来た。岩壁や湯底の様子を見れば、これが自然に湧きだしたもので無い事位分かる。
(つまり…間違っても敵に回しちゃいかんって事か…)
 内心で呟いてから、コジローは大きく手を伸ばした。
 それはそれとして、やはり温泉でのんびりするのは気持ちがいいのだ。
 
 
 
 
 
「困ったものね…」
 報告を受けたマリューは、髪を指先で弄りながら、あまり困ってもいなさそうな顔で小首を傾げた。
 実際には困っている。ただし、少し意味合いが違う。
 ナタルが艦長だったら、軍紀を持ち出してきてああだのこうだの言うだろうが、マリューはナタルとは違う。それに、フレイは軍人だがキラはまだ一般人の身分なのだ。しかも目下、この艦の生命線を握っているとすら言っても過言ではない。
「これ以上あの女の横暴を見逃せないと思ったから。キラに何かあったら私の身にも影響が出ます」
 と言われた場合、シンジはともかくマリューには押し切る言葉がない。
 ウズミはガイアの所有権をシンジに譲渡した。
 だがそれはあくまでも見せかけの工作であって、実際には中立国オーブの兵士であるステラが、後々弾劾される危険をはらんだまま、地球軍艦であるアークエンジェルに協力してくれている、と言うのが本当の所だ。ストライクが僚機であるステラに取って、キラを恨むどころか憎悪しているようなフレイなど、排除対象以外の何者でもあるまい。
「実情はどうあれ、形の上ではオーブ兵が連合の兵を撃った訳だから、このまま放っておく訳にもいかない。何らかの処分はしないとね」
「いいの?」
「良くはない。が、ステラにはヤマトを恨むように言っておくから」
「…え?」
 相変わらず、シンジの言葉を瞬時に読み取るのは難しい。
「分からない?ヤマトが邪魔しなければ、俺はとっくにアルスターを滅ぼしていた。それから――」
「ふあ!?」
 いきなりマリューが悩ましげな声を上げた。胸をもにゅっと揉まれたのである。
「お人好しで間抜けでおっぱいの大きな誰かさんが邪魔をしなければ、バジルールもまた宇宙の塵芥になっていた。あの二人がいなければ、艦内の空気は非常に穏やかなものになっている」
「んもう、い、いきなりおっぱい触られるとびっくりするんだからねっ」
 そう言って、どこか甘い視線でシンジを睨んだがマリューだが、
(確かに…それはそうなのよね…)
 言ってる事自体には反論できない。
「ふむふむ。で、あの二人の存在については?」
「そ、それは…それは確かにそうかも知れないけど、ナタルは軍人としてはその…」
 もにょもにょとマリューが言い淀む。人間性はともかく、単に艦を指揮させればナタルの方が上だろうとは思う。多分模擬戦をやったら、自分は十回中一回位しか勝てまい。
 がしかし。
「シ、シンジ君のせいなんだからね」
「俺?」
「そう、俺!」
 断言したマリューが、シンジの首に腕を巻き付けてきゅっと抱きしめた。
 本来ならナタルは入り用だろうが、シンジがいるおかげで出番は壊滅し、単に人の心と空気を読めない嫌な女に成り下がっている。無論、シンジがいようがいまいが、心に持った性格が変わる訳ではないのだが。
「まあいい」
 マリューに、頬をすりすりと押しつけられながら、
「アルスターが跋扈できるのはヤマトのせい。そのアルスターのせいでお仕置きされる羽目になったのは、とどのつまりヤマトのせい。だからステラにはヤマトを恨んでもらう」
「な、なんか…すごい論法ね…」
 合ってるのか合ってないのか微妙な所だが、キラがフレイを庇ったのが大本の原因だからキラをお仕置き、と言う方がまだ分かるような気はする。
「それでシンジ君、お仕置きって言うのは?」
(え、えっちなお仕置きだったら…ゆ、許さないんだからっ)
 勝手な事を考えていたマリューだが、
「一週間おやつ抜き」
「え!?そ、それってシンジ君が作ったお菓子?」
「そ」
「ちょ、ちょっと待って。それはいくら何でも…」
「甘い?」
(逆よ、逆!)
 レコアにそう言い渡しても、ダイエットになるわね位で済むだろうが、ステラにそんな事を言い渡したら――。
「お兄ちゃん、さよなら」
 銃口を自分の胸に当てて躊躇いなく引き金を引くステラの姿など、想像するのにこれほど楽なものはない。
「ぜ、絶対にそれは駄目っ」
「姉御?別に一週間食事抜きってわけじゃないが?」
「とにかく駄目!頑固に駄目ったら駄目ー!」
 力説してから、
「いま姉御って言ったでしょ!」
 シンジの頬をきりきりと引っ張った。
「き、きっと気のせ…ひててて」
 手を離すと、むにっと元に戻る。
「そんな事を言い渡される位ならまだ、オーブに着くまで独房へ隔離される事を選ぶ筈よ」
「……」
 マリューの目は妙に据わっており、さすがにシンジもそれ以上は言えなかった。
「独房へ引き籠もられるとそれはそれで困る。だが姉御、何故そうまで言い切れるのだ」
「それは…」
 自分はシンジに一目惚れした訳ではない。しかも、会って早々G機の未整備を指弾され、あまつさえ後一歩で討たれるところだったのだ。それに対してキラやステラは違う。おそらく、殆ど一目惚れに近かったのだろう。
 が、今に至るまで想いは叶っておらず、その相手から手作りのおやつを当分抜きだなどと言い出されたら――。
 同じ想いを持っているから分かる、と口にする事は、マリューには出来なかった。
「まあ、そこまで強く言い切るなら何らかの根拠はあるのだろう。で、そうするとマリューの代案は?」
 あくまでも追求されなかった事に、マリューはほっとした。これでもし、くすぐり責めでもされて白状させられたら、どうしようかと思ったのだ。
「艦内で銃を撃っちゃだめ、いーい?」
「ハン?」
「それでいいんじゃないかしら。実情はどうあれ、現時点でガイアとステラさんはあなたの私兵になってるんだし、彼女が自分の欲望の為に撃ったんじゃないって事は、みんなだって分かるでしょう。それにね…言いにくいんだけど…」
「なに?」
「へリオポリス以降、キラさんはずっと頑張ってるでしょ。彼女が頑張れば頑張る程、フレイ・アルスターは、艦内のクルーから冷たい目で見られているのよ。軍に志願するって言い出したのも、多分その辺の事があったんじゃないかしら…」
「ガーゴイルが言っていたな。ヤマトを売り飛ばしたりミーアを人質にしようとか、そんな我が儘でどうしようなく身勝手で自分の事しか考えられない下賎な人間性が嫌になった、と」
(そ、そこまで言ったのかしら?)
「でもマリュー」
「なに?」
「周りの視線を気にする程の神経があるなら、あの小型艇でさっさと降りていれば良かったろうに」
「婚約者が、他の女の子に心を奪われているのをそのままにして?」
「傍迷惑な小娘だ。ま、艦長がそう判断したのならそうしよう。その代わり、アルスターが今度問題起こしたら艦長に責任取ってもらうぞ」
「ええ…」
 シンジがどう言おうと、この艦の最終責任者はマリューなのだ。良くも悪くも、艦内の出来事は全てマリューに返ってくる。
「キラさんを説得してあなたが何とかしようっていう発想はないの?」
「片づけて良ければいくらでも始末して差し上げるが」
「…ごめん」
 マリューは呟くように謝った。処遇に困ったからと言って、シンジに押しつける事など許されるものではない。
 が、
(何を謝ってるんだか)
 シンジはと言うと、内心でやれやれと肩をすくめていた。本来なら、一番フレイを始末したくて身体が疼いているのはシンジなのだ。シンジから見れば、どう間違っても謝られる事ではない。
(ま、しようがないか)
 シビウではない、の一言で自分を縛ると決めたのだ。思考レベルが違う、と言っていても始まらない。
 ぽんぽんと膝を叩いたシンジが、
「おいで」
「え…いいの?」
「駄目なら呼ばない」
「じゃ、じゃあ…」
 かさかさと動いたマリューが、シンジの膝へそっと頭を乗せていく。艦底色に近いマリューの髪を、シンジの指がこしょこしょと撫でると、マリューはほんの少しくすぐったそうに身をよじった。
「シンジ君…」
「うん?」
「シンジ君は…疲れたりはしないの?身体じゃなくて精神(こころ)が…」
 シンジがいるおかげで、自分のする事は十分の一位に減っている、とマリューは思っている。戦闘時のダメージにしても少年少女達の把握に於いても、シンジと同じ事をする自信はとてもではないが、無い。
 ただ先だって初めてシンジの疲弊している姿を見て、その精神は本当に大丈夫なのかと、それだけが気になっている。キラやステラがここまで、被害は最小で戦果は最大にと言う、最も理想的な戦いをしてこられたのは、ひとえにシンジが居たからだ。居なくても全滅はしなかったかもしれない。その代わり、到底こんな形では来られなかったろう。
「……」
 シンジは何も言わず、マリューの耳元へ口を寄せた。
「え…あぅ」
 ちゅ、とマリューの頬で小さな音がした。
「マリューは余計な事考えなくていいから」
「も、もうシンジ君…」
 目下はただの少年扱いだが、苦境になればなるほど、戻った時に評価値が大きく上がるから、と思っている事などマリューには分かるまい。話した所で理解は出来ないだろう。
 元々が、正義感とか使命感とか、そんな事で動く性格ではないし、かといって意識レベルの違う中で何ら拠り所無く張り切れる程、異様にポジティブでもないのだ。
 かつて碇ゲンドウ、そしてユイの夫妻は、嫡男を黒瓜堂に任せた。それも悪の道へ引っ張り込んでくれ、と。
 それは事実だ。
 ただこの現状を冥府から眺めた場合、満足するか――それとも?
  
 
 
「ちょっと、隣いいか?」
「何」
 食事が終わり、たき火を眺めていたキラは、後ろから掛かった声に顔を向けようともしなかった。相手がカガリだというのは分かっている。
「そんな警戒するなよ。別に殴ったりはしないから。あ、いやあの時は…悪かった。ついその…手が出ちゃって…」
(嬉しかったからいいケドね)
 キラは内心で呟いた。無論、叩かれそうになったスリルなどではなく――シンジが守ってくれたからだ。
 ただし、ここのところ何となくシンジとは擦れ違い気味になっており、心の中には少々もやもやした物がある。ステラの方は順調に距離を縮めているように見えるのに、だ。
 だから、
「でもお前、あの時へリオポリスで何をしていたんだ?しかも何で地球軍のMSなんかに…」
 カガリに怪訝な顔で問われた時、
「君には関係ないでしょ。カガリ・ユラ・アスハさん。君、あのオーブ代表の子供でしょ?君こそこんな所で、どうしてテロリストごっこなんてしてるの?」
「テロリストじゃない、レジスタンスだ!」
「同じだと思うけど?呼び方が違うだけでしょ」
 冷たく言い放ってしまったのだ。
「お、お前なー!」
「お前じゃない、私はキラ・ヤマト。君だって金髪坊主、とか呼ばれたくないでしょ」
「ま、まあそれは…って、なんで坊主なんだ!」
「何となく」
「おま…あ、いやキラ!」
「何」
「うー…だからその…まあいい。ただ坊主だけは止めてくれ」
「坊主と呼ぶ、なんて最初から言ってないけど?」
 その通りだ。カガリがお前と呼んだからと言って、カガリを金髪坊主と呼ぶ、とは言ってない。
 釣られたと気づき、顔を真っ赤にしたカガリだが、諦めたように腰を下ろし、
「でもキラ、私の事は絶対誰にも言うなよ。第一級の機密事項なんだからな!」
「私は王族とかそう言う人の事は分からないけど…」
「え?」
「そう言う場合って、言わないでってお願いするんじゃないの?」
「…もー、分かったよ!お願いだから内緒にしてくれ、これでいいんだな…何がおかしい」
 キラが、カガリの顔を見てくすくす笑っているのだ。
「偉い人とかその一族って、もっとどっしり構えているものかと思ったけど、カガリって変わってるんだね」
「よけーなお世話だ。で?先に訊いたのは私だぞ?」
「うん。でもどうして私に訊くの?シンジさんに訊いたらいいじゃない」
「駄目だ」
 首を振ったカガリが声をひそめて、
「また埋められたらたまらん」
 言うまでもないが、地震など自然の要因がないのに地面が不意に割れ、しかも一時間もしない内に二度も飲み込まれてるというのは、そうそう出来る体験ではない。どうやらこのカガリ、シンジがすっかりトラウマになっているらしい。
「カガリって結構可愛いんだね」
「……」
「シンジさんがトラウマになってますって、シンジさんに伝えておいてあげるね」
「ば、馬鹿止せっ!」
 青くなってぶんぶんと手を振ったカガリに、
「冗談だよ。私がストライクに乗った理由は…特にあった訳じゃないんだけどね。カガリと会った時、私が一般人だったのは事実だよ。でもあえて言うなら…シンジさんを守りたいって…あ、も、勿論へリオポリスのみんなもだよっ」
(ん?)
 炎に照らされて分かりづらいが、よく見るとキラの頬が赤くなっている。
「ふーん?」
「な、なに」
「彼氏なのか?」
「ち、ち、違うよっ」
 赤くなってキラが手を振る。さっきとは、完全に立場が逆転している。
 そのキラの頬をぷにぷにとつつき、
「しかし…変だよな」
「何が?」
「艦長を始め、他のみんなは軍服を着てるのに、キラとあの碇って人だけ私服だろ。あの人は艦内にいたからまだしも、キラはストライクに乗っている時も私服じゃなかったか?」
「だって、私軍人じゃないもん」
「…何?」
「シンジさんはナチュラルの事嫌いだよ。知らなかった?」
「そう言えば確か…そんな事言ってたな。でもキラはナチュラルだろう」
「コーディネーターだよ」
「…ふえ?」
 カガリが、びっくりした顔でキラを眺める。
「だって…」
「だって?」
「あ、いや何でもない。そっか、キラはコーディネーターか。どうりで、ストライクもアークエンジェルも殆ど無傷でここまで来れる訳だ」
「それ私関係ないから」
「何だと?」
「MSに乗った事もない私が、ここまで戦果を上げられたのはシンジさんのおかげ。シンジさんがいなかったら、私は今頃ザフトに捕まってたから」
「そっか…。キラは、随分と信頼してるんだな」
「うん、大好きだよ…痛っ」
 ぽかっ
「そんな事きーてない。勝手にのろけるな!」
「の、のろけるだなんてそんな…」
 そう言いながらもその顔は緩んでおり、カガリは炭を押し当てて修正してやりたい衝動を抑えていた。
「あ、そうだカガリ」
 炎を見つめてふにゃふにゃしていたキラが、こっちに戻ってきた。
「なんだよ。これ以上のろけたら――」
「そうじゃなくて、もう少し話し方には気をつけた方が良いと思う。私からの忠告」
「……」
「アークエンジェルの人達がオーブの所属なら別だけど、そう言う訳じゃないんだからさ。シンジさんは別に威張ったりする人じゃないけど、カガリだって普通にお話しできるんでしょう?」
「あ、当たり前だっ」
「じゃあ、もうちょっと頑張ってみたら?私も、カガリが茹でられたり蒸し焼きにされたり包み焼きにされたり五体バラバラにされたりするのは、あまり見たくないし」
 少しは見たいのか?と突っ込む余裕もなく、カガリの顔から再度血の気が引いていく。
「あ、あの人って…そんな事出来るのか…」
「宇宙では手違いで先に降りちゃったけど、アークエンジェルがずっと残っていたらクルーゼ隊は全滅していたよ。私を操って数十機いたジンを全滅させたのは、シンジさんなんだから」
「ぜ、全滅…って、え?今変な事言わなかったか?私を操って?」
「そ」
 キラは当然のように頷いた。
「シンジさんはMSを操縦できないけど、シンジさんと一緒に乗ると性能まで上がるの。ガンダムと一緒に開発されていた機体が四機、ザフトに持って行かれちゃったけど、シンジさんと一緒だったらあのストライク一機に手も足も出ないんだから!」
 えへん、と胸をはったキラに、
「それは分かった。でも…クルーゼ隊の四機ってまだ健在じゃなかったっけ?」
 手も足も出ない割に、台詞と結果が食い違っている。
「そ、それは…と、とにかく出ないの!ほ、本当に強いんだからっ!」
「ふうん…」
 キラの言う事は事実だが、それだけ聞けば首を傾げるのが当然だろう。現にG四機はいずれも健在なのだ。
 ただキラも、あの中に討てぬ幼なじみがいて、しかもそれがイージスのパイロットでせっせとシンジの足を引っ張っている状況だ、などとは言えない。キラに余計な感情などなければ、クルーゼ隊を壊滅させるどころか、プラントすら脅かしていたかもしれない。
 とまれ明らかに疑っている、と言うより変な奴、と言わんばかりの視線を向けてくるカガリに、
「ま、まあ人の顔を見ていきなり叩こうとするような人には分からないかもしれないけど!」
「な、なんだとー!」
 
「カガリを見なかったか?」
「なんか地球軍のパイロットを探してたけど」
「何だと?」
(まったくカガリだけは!)
 手の掛かる子ほど可愛い、とはある意味事実だが、キサカの場合にはカガリをウズミの後継にする、というかなり大きくて厄介な山を越えないと実現しそうにない夢がある。
 ただ、今までは甘やかされてきたし、少しは生きる厳しさを知るのも良かろうと好きにさせ、オーブから援助させてまでここに留まらせてきたが、今度ばかりは相手が悪すぎる。クルーゼ隊の追撃をたやすく退け、ついでに大地を操ってザフト隊を撃破し、押し寄せてきた連中すら母艦に一歩も近づけなかった男がいるのだ。しかもカガリはストライクのパイロットを叩こうとして、もう一歩で地の底に沈むところだった。
 壮絶に嫌な予感のしたキサカが、必死にカガリを捜して走り回る。
 いた。
「カガ…リ?」
「『ふぬー!!』」
 キサカが見たのは、立ち上がって思い切り頬を引っ張り合っている少女達であり、
「ひょのうひょふひっ!」「あらははふうへっ!」
 よく理解できない言語で、なにやらお互いを罵っているらしい。
「やれやれ…」
 ふうっと息を吐き出したが、まだ安堵している場合ではないと、二人を引き離すべく慌てて走り寄った。
 
 
 
「ま、あったりまえよね。そもそも、あんな馬鹿女を生かしておく碇が悪いんだし、ステラの行動は当然でしょ」
「セリオ、ちょっと口塞いでおいて」
「ちょ、ちょっとあんた人の…モゴー!?」
「綾香様お許しを」
 機械だから元々抑揚のない声だが、それを差し引いても済まないどころか、乗り気に聞こえるのは気のせいか。自分の膝で寝入ってしまったマリューをベッドに運び、かさかさと手際よく服を剥ぎ取ってから出てきたら、綾香に捕まった。
「セリオ」
「はい」
「お前の思考では、こういう場合にどう判断するの?」
「計算上、このような問題は起きません。危険な因子は、前もって取り除いておくのが当然のやり方ですから。ですが、碇様の思考パターンには余分な物が入っていますから、通常では推し量れません」
 メイドロボットにしてはろくでもない発言だったが、
「余分な物とは?」
 シンジは気にした様子もなく訊いた。
「正確に言えばいつも思考に影響を与えている因子――マリュー・ラミアス艦長」
(げ!?)
 思考を発達型にしたとは言え、この男相手に何を口走っているのかと跳ね起きた綾香がセリカの電源を落とそうとしたが、
「なかなか興味深い思考回路だ」
(?)
「パイロットのお二人は、碇様とは思考の基準が違います。艦長もさほど差はないようですが、ラミアス艦長への呼称は唯一違っています。それにお二人の間の雰囲気というのが私の知識に含まれて――」
 セリオがゆっくりと倒れ込んでいく。たまりかねた綾香が、強制的に電源を落としたのだ。強制的に落とすと、再起動した時少々障害が出る事はあるが、このまま喋らせておいた場合に予測される危険よりはよほどましというものだ。
「ま、まあほら、うちの技術もまだまだ未発達だからさ、ねっ?」
「別に強制終了せずとも、アンドロイド相手に吹っ飛ばしたりはせんよ。尤も――」
 床に倒れたセリオを見下ろして、
「思考回路が単純で未発達、というのは同意だな。最先端の技術を詰め込まれたにしては、推理能力が幼稚だ。で、主の意見は」
「あ、あたしは別に…まあ碇があの女を放置しておくというのならそれはそれでって…」
「その事ではなく」
 シンジの視線が綾香を捉える。その双眸に殺気も湛えておらず、ただ見られているだけなのに、綾香は背中に汗が噴き出してきているのを知った。
 何を指しているのかなど、訊かずとも分かる。
「あ、あーその…なんて言うか…」
 武術の心得もある綾香が、平時に呼吸を乱すなどそうそうあることではない。
 だが胸の鼓動は早鐘のようになっており、乱れた呼吸は丹田に意識を集中してもまったく治まる様子がない。
(な、何なのよ一体…)
 敵と相対した時、次の攻撃がどこから来るかある程度の予測は出来る。その意志は目に現れるからだ。そんな綾香でさえ、シンジの意図を読むどころか目を合わせる事すら出来ずにいる。
「あ、あたしは…お、お似合いだと思うわよ…」
 辛うじて言葉を吐き出した時、綾香は心臓の鼓動が一瞬停止したのを知った。
「心の内を見せてもらうのも一興だが、今日の所はやめておこう」
 耳元で声がするのと、綾香の呪縛が解けるのとがほぼ同時であった。首を振って意識を集中さえ、腹立たしげにシンジを睨んだ時――既にシンジの姿は室内に無かった。
 なお綾香の席は食堂の一番奥に位置しており、入り口までは十メートル近くある。到底、ひとっ飛びでいける距離ではない。
 何よりも――たった今までシンジは綾香の正面にいたではないか。
 数度瞬きしてから、
「もしかして…亡霊ってやつ?」
 綾香は抑揚のない声で呟いた。
 
 翌日マリューから、艦内のクルーに対して丸一日の休暇が出た。強力な砂像によるガードを外して温泉を開放した上で、好きに行動して良いと通達されたのだ。
「シンジさん一緒に温泉にっ!」「お兄ちゃんお買い物に…」
 早速誘いの手が伸びたが、
「私一人の留守番で何とかなるか、の実験なんだ。二人だけで行っておいで」
 あっさりと撃破し、半ば強制的に艦から全員を出してしまった。無論、サイーブ達が何事かと見に来るも、早くも艦の周辺に現出した蛇の砂像にその足は硬直した。
「蛇神アポピスは、太陽神ラーの行く手すら阻んだそうな。アポピスに、人生の行く手を阻まれてみるか?」
 笑みすら含んだシンジの声に、テロ集団が慌ててかさかさと退散する。
 一方追い出されてしまった娘達は、仕方がないので車を走らせていた。
「この車どこへ向かってるの?」
「バナディーヤだよ。買い物が出来る街って言ったらあそこしかないからな」
 同乗しているのはカガリだ。昨夜、キラと抓り合った頬は二人とも真っ赤になる位だったが、却って仲良くなったらしく自分から先導を買って出た。
「大きいの?」
「まあ、この辺りでは一番大きいかな。その分余計な物も居たりするがな」
「余計なもの?」
「アンドリュー・バルトフェルドの母艦レセップスがいる。つまり――砂漠の虎の本拠地だよ」
「『!?』」
 
 
 
 
 
(第五十三話 了)

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