妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第五十話:馬鹿の壁
 
 
 
 
 
「『野郎っ!!』」
 サイーブと共に来ていたのは、いずれも血気盛んな連中であり、ここまでは何とか押さえていたのだが、とうとう切れた。シンジへ向けて一斉に銃を構えた次の瞬間、その肩はいずれも鮮血を吹き上げていた。
 不可視の風の刃が襲ったのだ。しかも鎌鼬の三兄弟とは違い、血を止める役目の末弟はいない。肩を朱に染めて、ほぼ同時にぶっ倒れていく。
「馬鹿野郎、止せっ!」
 サイーブが叫ぶも、血が更なる哮りを呼び、破滅への道を駆け出した男達は止まらない。シンジの指先だけがかすかに動き、屈強な男達が血に染まって倒れていくという異様な光景の中で、とうとうシンジを狙うのは無理と見た者がある行動に出た――マリューに銃を突きつけ、人質にしようとしたのである。
 マリューが弱いと見たのは正しい認識であり――マリューを捕らえようとしたのは最大の愚挙であった。
 銃を構えた二人が幽鬼みたいな形相で迫るのを見て、
「あん、シンジ君助けてぇ」
 危機感どころか、ベッドの中で甘えるような声でマリューがシンジを呼ぶ。
「『!?』」
 その様子を艦橋から見ていたクルーでさえ、気でも触れたのかと疑った次の瞬間、男達の右腕はいずれも、銃を持ったまま宙に舞っていた。
「ああっ!?」
 実はここまで、シンジにしては珍しく一撃で葬る事も、致命傷を与える事もなかったのである。
 だが、右腕を根本から持って行かれた二人はいずれも致命傷であり、
「まとめて滅ぼしてくれる」
 シンジの右手がすうっと上がり、そこに灯った火の玉がみるみる大きくなって行き、まさにその手が振り下ろされんとした所へ、
「待ってくれっ」
 飛びだしたのはサイーブであった。乗り付けてきたテロ集団の内、無事なのはサイーブだけで、他は何れも肩口から朱に染めてぶっ倒れている。首まで一瞬で地に飲み込まれたカガリと、気を食らってそのまま失神したキサカは、ある意味幸せだったのかも知れない。
 なおアフメド少年はと言うと、巨体が吹っ飛んだ時に巻き添えを食らい、眼を白黒させて失神中だ。
「虫の良い言い分なのは分かっている。だが…俺の首で他の者は許してやってくれ。頼む、この通りだ…」
「良い度胸だ。テロ集団ここに滅ぶと石碑には刻んでおく。仲良く冥府でアヌビスの裁きを受けるがい…痛?」
 ぽかっ。
「そーゆー事言わないの」
「…姉御?」
「も、お仕置きには十分でしょ?いくらテロリストでも、壊滅させたら情報も協力も得られなくなっちゃうわよ」
 
<だから甘いというのだ>
 
 艦橋でナタルが、そして血臭漂う寂寞たる砂漠でシンジが、それぞれ同時に内心で呟いた事を、無論マリューは知らない。
「まあいい。艦長がそう言うのなら従うとしよう」
(シンジ君?)
 一瞬シンジとの距離が急激に開いたような気が、マリューにはした。おそらく気のせいではない。唇を噛んだマリューだが、こればかりは仕方がない。この場を死屍累々の死体置き場(モルグ)に変えてしまえば夫や父を、或いは恋人を奪われた者達が命に代えても復讐を誓うだろう。
 正当性はどうあれ、ザフトが未だに制圧しえていない連中なのだ。
「それでキラさん、このお嬢さんと知り合いなの?」
「どこかで見たような気はするんですけど…」
(キラさん…)
 首を傾げる表情は、何とか記憶をたぐり寄せようとしているかに見えるが、その手が自分の袖をぎゅっと掴んでいる事にマリューは気付いた。無理もない、シンジやステラとは違い、生身の人間が腕を飛ばされる光景など、決して見慣れてはいないだろう。
 かつてシンジはアークエンジェルの衛兵三人を炭化させているが、完全に消失する分だけまだあっちの方が良かったかも知れない。
「ヤマト、本当に覚えていないのか?」
「は、はい」
「へリオポリスで、お前が親切に腕を引いて一緒に逃げてやった小娘だよ」
「あーっ、あの時の!思い出した!」
 ぽんっと手を打ってから、
「でもどうしてその娘(こ)が私を叩こうとしたの?」
「……」
 首まで埋まっているカガリは口を開く事も出来ない。怒りでも呆れでもなく――ひとえに恐怖の為だ。突如として大地が口を開いて飲み込まれてしまったと思ったら、仲間達は目に見えない何かに身体を切り裂かれ、鮮血を吹き上げながら倒れていったのだ。
「思考は知らんがこの娘――」
 マイクのスイッチを切ったシンジが、
「カガリ・ユラ・アスハ、オーブ首長国連合代表、ウズミの娘だよ」
「『ええー!?』」
 上から見ていたステラは無論知っているが、マリューもキラもそんな事は知る筈もない。
「ウズミはまあまあ決断力も持った人物だが、後継がこれではな。オーブの未来とやらもお先真っ暗だな」
「お…お父様を知っているのか…ハウッ!?」
 突如シンジの手に剣が現出し、引き抜かれたそれがカガリの首筋へぴたりと突きつけられた。
「私には関係もないし、縁も縁もない国民(くにたみ)ではあるが、こんな馬鹿な小娘を酋長に頂く不幸から、せめて解放して差し上げた方が後々感謝もされよう」
「だ、駄目ですようシンジさんっ!」
 キラが慌ててシンジに飛びついた。
「こ、この子を殺したらオーブを敵に回す事になりますよっ」
「目撃者がゼロなら済む話だ」
「駄目ったら駄目ですぅっ」
「分かった分かった」
(お前…)
 何で自分を庇うのかと首を傾げたカガリだが、
「艦長と言いヤマトと言い甘すぎる。甘ければ世の中渡っていける、というもんじゃないと思うぞ」
 単に性格的なものらしい。
 そこへ、
「お、おかげで…俺たちは頭を失わずに済んだ。この礼は必ず返す。出来る事があったら、最大限協力させてもらう…」
「話の分かる事で結構だ」
「それと重ねてですまんが…」
「あ?」
「カガリを…地中から出してやってくれないか?」
 シンジがパキッと指を一つ鳴らすと、カガリの身体は地中から飛びだした。二メートル近くも射出され、お尻から落ちてくる。
「いててて…」
 お尻をさすりながら起きあがったカガリが、
「わ、悪かったな…い、いや…ご、ごめんなさい」
 キラにぺこっと頭を下げた。シンジの双眸に、刹那危険な光が宿ったのである。
「い、いや別にいいけど…でもどうしてなの?」
「お前が…軍人だと思ったんだ。軍人なのに一般人の振りをして、しかも私の正体を知っていたんじゃないかって思ったら…ハウ!?」
 またしてもカガリの身体が、今度は腰まで砂に埋もれた。すとんと、足下がいきなり消えたのである。
「やっぱりお前は沈んでろ。出て来ない方が世の為人の為だ」
「だ、だから悪かったって言ってるだろ。いつまでも怒ってるなんて男らしくな…」
 マリューがシンジの手をおさえていなかったら、薙ぎ払った剣は間違いなくカガリの首を跳ねていたに違いない。
「カ、カガリさん…お願いだからもう黙ってて?私達も、これ以上シンジ君の動きについていけそうにないの」
「わ、分かったよ」
(……)
 間違いなく、マリューに命を助けられたのだ。なのに礼を言う訳でもなく、窘められても謝るわけでもない。これが王族の傲慢さなのか、或いは持って生まれた馬鹿の壁なのかと、シンジは考え込んでいた。
「…君、シンジ君!」
「…あ、ああ何?」
 気付いた時、テロリスト達は仲間達に担架で運ばれていく所であった。中にはシンジ達に憎悪の視線を向けていく者もいるが、サイーブの鋭い視線がそれを遮っている。やはり頭目として、一目も二目も置かれているらしい。
 カガリはと見ると、キラに掘り起こされ、砂まみれの服をぱたぱた叩いている。
「それで、アジトまでアークエンジェルを持ってきてって。物資を補給してくれるそうよ」
「その辺の方針は艦長が決める事だ。俺が口出しする話じゃない」
「そ、そうね…じゃあその話受けることにするわ」
(…?)
 この二人の距離は、明らかにさっきと比べて開いている。それも僅かな距離ではない。しかも自分達と会ってからであり、一体何があったのかと、刹那寂しげな顔を見せたマリューを見ながらサイーブは内心で首を捻った。
「ナイーブ・アシュラ、だったな」
「…サイーブ・アシマンだ。サイーブでいい」
「そうだった。そのサイーブに訊きたい事がある」
「何だ」
「あのキサカは軍人だな?それも、この小娘の目付役だ」
「…そうだ」
 サイーブはあっさりと頷いた。どういう訳か知らないが、カガリの正体をあっさりと見抜き、不可視の刃で仲間達を次々と倒していった青年には、隠しても意味がないと見たのである。
「で、オーブの次代はこのやんちゃ坊主が担うのか?」
(誰がやんちゃ坊主だ!)
 ぷりぷりしているカガリだが、さすがに今度は口にしなかった。漸く、一つ学習したらしい。
「そうだろうな…」
「言うまでもないが、人間ってのはいつ何時どうなるか分からない。お前の徒党仲間達とて、ここで傷を負ったり或いは腕を断たれたりする事など、今朝起きた時は想像もしていなかったろう」
(シンジさん?)
 何を言い出すのかと怪訝な顔になったキラだが、ふとサイーブを見ると苦い顔になっているのに気付いた。さっきの事を持ち出されたからだろうと思ったのだが、実はその事に無関係だなどとは知らなかった。
 サイーブには――シンジの次の言葉が読めていたのである。
「無論オーブの代表ウズミ酋長とてそうだ。突如病死、或いは外遊中に飛行機が落ちるやも知れぬ。そんな時にいきなりこの娘(こ)が跡を継いだとしたら、立派にやっていけると思うか?」
「無理だな」
(サ、サイーブー!?)
 何も初対面の相手にそんな事を言わなくても良いじゃないかと、赤くなったり青くなったりしているカガリだが、シンジはふっと笑った。
「腕を断たれた二人は自業自得だ。首を落とされなかっただけ感謝するがいい。だが他のテロリスト共は私が治してくれる。後で担いでくるがいい」
「…ありがとうよ」
 大丈夫とか、見込みがあるとか。
 サイーブの口から僅かでも肯定的な答えが出ていれば、シンジは治すどころか立ち寄る事さえしないつもりでいた。言うまでもなく、国王が破片の情報や思いこみだけで動いたり、感情のままに振る舞ったりすれば国はあっという間に危うくなる。
 そしてカガリは、そんな傍迷惑な君主の素質を立派に備えていた。これで、王位継承権が十番目だとか、或いは双子が生まれたので験を担ぐ父親にこっそり捨てられた片割れだとか言うのなら、さして問題にもなりはすまい。
 だがカガリは次期国王なのだ。それが何故こんな所でテロリストと一緒になって遊んでいるのかは不明だが、少なくともその性格や言動に於いて、こんな我が儘を許される立場ではない。
 但し、サイーブはカガリが国王になった場合を肯定しなかった。これで何とかする、などと太鼓判でも押した日には、テロリストには馬鹿しか居ないという証左になってしまう。
「馬鹿だから、と諦めていられる状況でもあるまい。こんな所でテロリストごっこなど、している場合ではないと思うがな」
「……」
 とそこへ、
「お兄ちゃん…」
 遠慮がちにステラが声を掛けてきた。おいで、と言われなかったのだが、一人だけ仲間外れのような状態になってしまい、たまりかねて降りてきたのだ。
「ああ、お疲れ」
「うんっ」
 その頭をよしよしと撫でたシンジが、
「そこのやんちゃ坊主」
「…なんだよ」
 フルネームどころか、カガリとすら呼ばない。
「彼女はステラ・ルーシェ、オーブの軍属だ」
「え!?」
 ステラが軽く頭を下げる。無論、ステラはさっきから一部始終を見ており、カガリが埋められたり首を落とされそうになった所も全部知っている。キラに手をあげた所も見ているから、決して高評価ではないらしい。
「そしてこれがガイア――オーブが極秘に開発していたMSだ。但し、現在は私の物になっている。アークエンジェルを乗っ取った私が、ガイアを寄越さないとステラを殺すと脅迫し、オーブのウズミ酋長からその所有権を譲渡されたのだ。アラスカへ行く前に、ちょこまかとオーブへ立ち寄る予定になっている」
「『な、何だと…』」
 地球軍のMS開発に手を貸していた、どころかオーブもMSを所有していたと聞き、カガリの顔色がみるみる変わっていく。
 だがその所有権をウズミが手放したとは、一体どういう事なのか。勿論サイーブも、このガイアの事など知りはしない。
「さて、帰ろっか」
 呆然としている二人に、シンジがさっさと背を向ける。
 だが――シンジが視線を向けて声を掛けたのも、そしてその肩に手を置いたのも、ステラ一人であった。
 マリューにもキラにも――シンジは視線を向けようとはしなかったのである。
「シンジ…さん…」
 立ち尽くすキラの肩に、マリューがそっと手を置いた。
「ちょっと、評価が下がっちゃったかな。私の方は大暴落みたいだけど…」
「ど、どうしてですか…私、シンジさんが嫌がる事をしちゃったんですかっ」
「ちょっと…甘かったかな…」
 マリューの言葉に、どうやらさっきのが原因だったらしいとキラは気付いた。
 二人とも甘すぎる、とシンジは言ったのだ。
(でも昨夜はあんなに…)
 温泉から戻った後、プリンも食べさせてもらったし、よくやったと言ってくれた。何よりも、ステラと二人してシンジと一緒に寝たいと言った時、シンジは快諾してくれたのだ。
 単に添い寝出来ただけだが、それでもキラだってステラだってもう大丈夫だと思っていたのに。
「……」
 キラの眼から、一筋の涙が流れ落ちた。
 がしかし。
 今回の件は、キラがと言うよりも、マリューが余計な制止をかけたせいでシンジを萎えさせてしまい、そのとばっちりを食った格好になった事をキラは知らなかった。そんな事はつゆ知らず、優しく肩を抱くマリューに寄りかかってとぼとぼとストライクへ向かっていったのだが、実態を知ったら何と言ったろうか。
 なお、一番首を傾げているのは、遠くから見ていた艦橋のクルー達である事は、言うまでもない。
 
 
 
 
 
 アークエンジェルとストライクに悠々と逃げられ、暫し暇を出されてしまったクルーゼ隊のメンバーだが、その中で一人どうにも落ち着かない者がいた。
 アスラン・ザラだ。
 と言っても、地上に降りたキラの行く末を案じていた訳ではない。
<アスラン・ザラとラクス・クライン入籍!花嫁は既に妊婦!>
 と、マスコミに踊るであろう文字が脳裏から離れなかったのである。ラクスとは婚約者だし、別に中出ししても合意の上なのだから犯罪にはならない。とは言え、今すぐ挙式をと誓い合った仲ではないし、ラクスの父シーゲル・クラインとアスランの父パトリック・ザラは、それぞれ和平派と強硬派で思想が違うから、実際の結婚は当分先になると思っていたのだ。
 ところが、この間アークエンジェルから送られてきたラクスと会った時――何故か二人とも妙に欲情してしまい、ラクスを抱いてしまったまではまあ良かったが、避妊具を付けていなかったのだ。
 単に持っていなかったのだが、今考えると持っていても使わなかったような気がする。
 なおその後、ラクスに生理は来ていない。
「あーもー!」
 ベッドに突っ伏して、くしゃくしゃと髪をかき回すアスラン。
 許嫁として、いやそれ以前に男として責任は取る気で居るのだが、
「生まれてくる子の為にもがんばれよ」
 とか――はまだいいとしても、
「エリートの赤服でも避妊は忘れるんだなあ?」
 などと、十ヶ月の間延々言われ続けるのは、さすがに精神衛生上良くない。
 事実、この数日間で大量の髪が雇用主に別れを告げてしまったのだ。
「このまま行ったら俺は…俺は!」
 ある意味、キラが敵にいると知った時より悩んでいるアスランだが、そこへドアがノックされた。
「あ、はい」
「ぼっちゃま、ラクス様がお見えです」
「!」
 母がいないので、邸の事を色々と面倒見てくれている中年女性だが、ぼっちゃまは止せと言っても一向に止めない。
 三十回位言ってから、アスランが先に諦めたのだ。
「…お通しして…」
「はい」
 頷いて下がっていたが、彼女の顔には笑みが浮かんでいた。実はパトリックもシーゲルも、二人の中出し事件の事は知らないが、家政婦の彼女だけは知っていた。
 盗聴も覗き見も何ら罪悪感なくやってのけ、一方で忠実で従順な家政婦の顔をしているという、厚顔で図々しく盗聴マニアも顔負けの、家政婦と呼ぶには烏滸がましい中年女を主人公にして、時折ドラマが作られたりする。
 守秘義務とかプライバシーとか、そんな事は好奇心の前にはあっさりと踏みにじられ、最後は実に都合良く事件を解決するもので、あんな好奇心が九割九分で正義感が一分しかない家政婦など、普通はいないだろうと笑いながら見るのだが、この家にいる彼女を見ていると、そうでもないのかもと思えてくるから困ったものだ。
「あの…アスランこんにちは」
「こんにちはラクス。身体のお加減はいかがですか?」
「え、ええ今日はその事でお話があってきましたの」
 来るべき物が来た、とアスランは思った。健康な男女が抱き合い、避妊もせずに中出ししておいて、妊娠を何ら心配せずに済むと思うのは虫が良すぎるだろう。
「どうぞ…」
 死人、と言うより作成後十五年が経過したミイラみたいな声で、アスランが中に招き入れた。
「ぼっちゃま、何かお持ちしましょうか」
「いらない。それと」
「はい?」
「この部屋の半径三十メートル以内に近づくな!」
「はいはい、かしこまりました」
 一礼して下がっていくが、無論盗聴器を仕掛ける事は忘れない。
「あ、あのねアスラン…」
「いいんです、何も言わないで下さいラクス」
「え?」
「分かっていますから!俺だって、堕ろせとか一人で育てろとか言う気はありませんっ!責任は取りますっ」
 がしっとラクスの肩を掴んだアスランが、
「で」
「え?」
「名前は何にしますか?」
「い、いえあの…」
「ラクス?」
 ご迷惑は掛けませんから、とか言って大きくなった腹を抱えてプラントを去っていくラクスの姿が脳裏に浮かんだ。苦労知らずのお嬢様だが、変なところで一本気なのだ。
「駄目ですよっ、僕たちの子です。ちゃんと話し合いましょう。そりゃ軍人ですから家を空ける事は多いけどあなたと子供を養う位はちゃんと――」「…んです…」
「え…?」
「で、ですからあの…き、来ちゃって…」
「しょ、召集令状ですか?」
 その時の自分は、多分プラントでも三番目位に間抜けだったに違いない、とアスランは日記に書き残している。
「そ、そうではなくてその…」
 首筋まで赤く染めたラクスが、指先を絡めてもじもじしながら、
「せ、生理が…き、来ちゃったんです…。こ、今回は妊娠じゃなかったみたい…ごめんなさい…」
「そ、そうですか…」
 とりあえず一安心と、ほっとするべきところなのだが…がしかし。
 アスランはぽかんと、まるで豆鉄砲でも食った鳩みたいな顔をして、宙を見上げている。
(も、もしかして俺の一人相撲?)
 責任は取りますとか。
 名前は何にするかとか。
 ラクスと子供を養うとか。
 アスランが、これまたかーっと赤くなったのは十五秒ほど遅れてからだが、羞恥の度合いはアスランの方がざっと二十七倍強い。
 そのアスランの首に、ラクスがそっと腕を巻き付けた。
「ラクス?」
「心配かけて…ごめんなさい。でもあなたの…あなたの思いはとても嬉しかったですわ…。わたくしは…アスランを想い人でいて本当に良かった…」
(ラクス…)
 何となく自棄になっていたようにも見えるのだが、ラクスには自分への愛情の深さと映ったらしい。途中から少し声はかすれ、最後は涙声になっていた。アスランもおずおずと手を伸ばし、二人はしっかりと抱き合った。
 さすがにここから互いの服へ手を伸ばす程、二人の学習能力は低くない。やがてごしごしと目許を拭ったラクスが、
「は、恥ずかしい所を見られてしまいましたわ。も、もう…アスランのせいですわ」
 と、アスランの胸をぽかぽかと叩く。
「はい」
 微笑ったアスランが、ラクスの髪を優しく撫でた直後、
「ちっ、精子が薄かったのね」
 どこかで忌むべき舌打ちが聞こえた。
 
 
 
 
 
 プラントでは、見ている方が気恥ずかしくなるような甘いカップル共がいるのだが、地上の様相は少々異なっていた。
 シンジは自分で言った通り、腕を断たれた者以外は全て傷を治してのけ、サイーブ達の目を白黒させたのだが、マリューに銃を向けた二人に対しては目もくれなかった。勿論地球軍の戦艦を招き入れる事に、反発する者達もいたのだが、
「俺が決めた事だ」
 サイーブの鶴の一声で皆黙り込んだ。
 アジト内で打合せをする事になったが、
「俺は遠慮する」
 ムウはさっさと断った。階級を考えれば、艦長のマリューと少佐の自分、それに中尉で副長でもあるナタルが行くのが筋だが、マリューとナタルはまた何やら険悪な雰囲気だし、朝はマリューとシンジが行ったではないか。
 結果、圧倒的優位な立場でテロ集団に補給を約させたのだ。シンジが行って事態が悪化するとか、シンジに分析能力がないなら別だが、少なくとも現状では十分だろう。未だに信じられない所もあるが、シンジが砂像を使っていなかったら、もっと派手にテロ集団が助力したかもしれないし、そうなればまた立場も変わっていたろう。
 大体、シンジが行かなければ自分がマリューとナタルに挟まれるではないか。ハーレムならいざ知らず、仲の悪い女同士に挟まれる程居心地の悪い事は、世界広しと言えどもこれを超えるのは三つ位しかない。
 どうして自分がそんな、懲罰みたいな目に会わなければならないのか。
「ちゃんと、大将と仲直りして二人で行ってきな。艦(ふね)の全権に責任があるのはあんただし、艦を守れる実働部隊を仕切っているのは大将だ。普通に考えて、あんたらが二人で行くのがいいんだよ。何があったか知らないけど、朝までは仲良しだったろ…あ、いや悪い言い過ぎた」
 マリューが、ちらりとムウを見たのだ。
「ま、まあとにかくさ、俺は休暇を取らせてもらうよ。マードック曹長と一緒に温泉へ行ってくる。勿論大将にはちゃんと許可は取るさ。じゃあね」
 軽く手を挙げて、ムウはかさかさと出て行った。
「私がシンジ君と同じ人種なら…もっと上手く行ってるわよ…」
 呟いた声は、どこか哀しげであった。
 キラとステラが、魔女医や貴公子の妹ではない、とシンジは言った。それがどんな女(ひと)なのか、勿論マリューには分からない。そして彼女達が、シンジとどんな関係なのかも。
 単に何かのパートナーなのかも知れないし、或いは――あまり考えたくはないが――もっと深い関係かもしれない。
 ただ一つ言える事は、シンジは元いた世界で彼女達に相当な信頼を置いていた、と言う事だ。多分お互いに性格も思考も、ほぼ理解している間柄なのだろう。きっと、ただの人間ではないに違いない。
 シンジに百度の交わりを強いる人外の美貌を持った妖艶な女医と、夜の一族を束ねる吸血鬼貴公子の妹である、などとは知らない方が幸せだろう。世の中の四割五分位は、知らぬ方が幸せな事で出来ている。
 とまれ、自分がそんな女性達と比して、遠く及ばないのだとマリューは自覚している。例えばあの場所でテロ集団を敵に回した場合、シンジと共に殲滅出来るような能力などマリューは持っていない。せいぜいアークエンジェルにこもり、足手まといにならないようにする位が関の山である。
 その意味では、確かにマリューは正しい。恨み骨髄に達した敵を作り、それを苦もなく殲滅する能力がないのなら、丸め込んだ方が得策だからだ。
 ただ――人外の者が周囲を固めるシンジと、仲良くなった事が不運と言えば不運であった。これが普通の青年であったなら、マリューの決断はこの上なく正解なのだから。
 ナタルと二人だけで行く、と言う選択肢は最初から無い。地上に降りたら女同士、二人きりでゆっくり話し合いましょうと宇宙(そら)で火花を散らして以来、まともな会話はしていない。ミーアとの会話を盗み聞きされた先日は、ミーアがいなければ間違いなく取っ組み合いの喧嘩になっていた。
 既にマリューもナタルも、お互いを気に入らない女として認識してしまっている。シンジがキラやステラと共に戦闘面を支えている為、二人がいやでも協力せざるを得ない状況にない為だが、そりの合わぬ空気を読まれたら相手に利されるだけである。
(私が一人で行くしかないか)
 はーあ、とマリューがため息をついた時、
「昨晩はヤマトとステラだけを入らせ、自分は下で待っていたらしい」
「シンジ君…」
 ふらりと姿を見せたのはシンジであった。
「ど、どうしてここに…」
「朝の部活を出たんだから午後の部も出ろと、意味不明な事を言い残してフラガがずらかった。とっ捕まえて代理出席させようかと思ったんだが、まあ昨日入らずに帰って来たって言うし、バジルールと艦長だけにして取っ組み合いにでもなったら困るから」
(シンジ君…マリューとも姉御とも呼んでくれないんだ…)
 とは言え、自分一人で行くよりは遙かに心強い。
「じゃあ…お願いね」
「ん」
 一方その頃――。
「だから何故私が掃除当番などせねばならんのだ!しかもトイレなど!」
 ぷりぷりしながら、トイレを掃除しているナタルがいた。
「昨夜からの連投で、疲労度が五十三パーセントに達している。フラガもあの二人の子守をさせたから温泉に行っている。姉御と仲直りして、トゲトゲしたりしないでテロリストの巣窟へ物資のふんだくり交渉へ行ける?」
「……」
 否、とか嫌とか口にはしなかったが、何であんな女なんかと、とその双眸が語っている。結果、少しでも役に立てと、事もあろうにトイレ掃除を言い渡されたのだ。無論ナタルは反発したが、
「どうしてもなの?」
 シンジは妙に穏やかな口調で訊いたのだ。
(ま、まさか…)
 ナタルの脳裏をぱっと過ぎったのは、ミーアに撮られた写真の事であった。シンジは何も言っていないが、あれが出回った場合自分の存在は根底から崩れ落ちる。
「め、命令なら…やっておきます」
「命令じゃない。そもそも、碇シンジは艦長じゃないし、副長の方が偉いでしょう?」
「や、やります。さ、最近は掃除業務も無かったのでやり方を忘れていた所でしたから」
「そう?」
 それを聞いたシンジがくすっと笑う。初めて見るシンジの笑みを見た時、ナタルは件の写真をシンジが持っていると確信した。
 そしてそれは、恐ろしい事に正しい予感であった。
 
 
 
「あーあ…なかなか上手く行かないな…」
 ムウとマードックが温泉へ向かっている頃、格納庫でストライクを整備中のキラは、かなり落ち込んでいた。昨日シンジに駄目だしされてしまい、やっと修復できたかと思ったらまた呆れられてしまった。
 昨日のは自分だけでなくステラもだが、今回は違う。顔を上げると、シンジに頭を撫でてもらってご機嫌なステラがいるのだ。だから本当はこんな所にいたくないのだが、メンテナンスだけはちゃんとやっておかないと、とその辺は責任感の強いキラたる所以である。
(でも、私のどこがいけなかったのかな…)
 問題の大元は、キラやマリューがどうこうと言うより、悪の薫陶を受けてきたシンジと対等に付き合える者がいないのに、帝都といる時とさして変わらぬ視線で周囲を見るシンジにあるのだが、キラにそんな事は分からないから、端正な顔に哀しげな色を浮かべて悩んでいる。
 がしかし。
 拾う神あれば捨てる神あり――この場合にそれが正しいかどうかは分からないが、キラはただ一方通行でシンジを想う存在だった、というだけではない。
(よしっ!)
 憂い顔の美少女を見ながら、密かにガッツポーズを取っている男がいた。
 サイである。
 無論、キラの不幸を見て喜んでいる訳ではない。
 いや、喜んでいないと言えば嘘になるが、そこにキラへの負の感情はない。純粋に、自分にも機会が巡ってきたと思っているのだ。元々キラの事は悪からず思っていたのだが、戦場へ健気に身を投じていく姿や、フレイの父親を守れなかったと泣く姿を見て、サイの想いは完全に許嫁からキラに映っていた。
 ただし、フレイの為に泣くキラを見て、ミーアが呆れかえっていた事は二人とも知らない。
 先日は振り払われてしまったが、またもシンジと上手く行かずに落ち込んでいる今は、まさしく絶好の機会である。恋する男としては、これを逃してはなるまい。
「よ、お疲れさん」
「サイ…」
 キラが振り向く寸前に目を拭った事を、そしてキラの目が赤くなっている事をサイは見逃さなかった。
(キラ…)
 胸の中に、何とも言えない思いが湧き上がる。
 それでも顔だけは笑顔を浮かべて、
「ずっと根詰めてると参っちゃうぜ。ほら、食事持ってきたからさ」
 と、これだけ言えば食べたくない、で終わってしまう可能性が高いから、
「俺も時間無くて食べてないんだ。キラ、良かったら食べるの付き合ってくれないか?」
「うん、いいけど…」
「悪いな」
 持ってきてやった、と言う色は徹底的に消す事だ。あくまでも自分と一緒に食べてほしいというのを、前面に出すのが不可欠である。
 もそもそとパンを食べながら、
「サイ…」
「え?」
「私やっぱり、シンジさんと一緒に戦うには力不足なのかな…。役に立たない子なのかな…」
 キラがぽつりと呟いた。
「そ、そんな事無いって!ほ、ほら碇さん、別にキラをストライクから下ろすとか言ってないだろっ?」
「それはただ…ガイアにはステラがいるから、ストライクに乗れる人がいないだけだもん。別に私の事なんて評価されてないもん…」
(まあそれはそうかも…ってゴルァ!)
 貴様が同調してどうするのかと自分を怒鳴りつけ、
「碇さんは、ここまで完璧に来たから求めるレベルも高いのかもだ。でもさキラ…」
 すう、と息を吸い込み、
「俺は…少なくとも俺は!」
「え?」
 妙に気負った様子のサイを、キラが驚いた表情で見た。
「俺は…キラは一番よくやってると思ってるからっ!他の皆は軍人だし、碇さんは修羅場とか相当潜ってるだろ。それにステラは訓練を受けた兵士だ。でもキラは一般人じゃんか。キラは…キラはいっぱい頑張ってるよっ」
(あれ?)
 勇気を振り絞った台詞だが、サイは内心で首を傾げた。この流れだと、だから頑張ればきっとシンジもキラを見てくれる、とかなるのではないか?
 だから、キラが口を開いた時にはびくっと身構えたのだが、
「ありがとう…」
 キラは微笑って、
「サイって、優しいんだね…」
 とりあえず予想した最悪の方向に行かなかった事で、サイは安堵した。
 このままアタックを続ける勇気が湧いた。
「キ、キラ俺は…」
 言いかけた時、
「へーえ、そうやっていつも男を誑かしてたんだ?」
 二十六種類の毒を塗った五十二本の針を含んだような、ひどく尖った声がした。
「フレイ…」
 見ずとも分かっていたのだが、立っていたのはフレイであった。
 ただ、既に余裕も失ったいたのかその顔に笑顔はなく、葵の上に取り憑いた六条御息所みたいな顔で立っている。
 なお六条御息所とは光源氏の恋人の一人で、光源氏の心が離れた事で逆恨みし、嫉妬に狂った挙げ句、正妻葵の上に生き霊となって取り憑いた傍迷惑極まりない女である。
 光源氏については言うまでもあるまい。
 ロリコンとマザコンと近親相姦、と史上でも極めて希な三冠王だ。
 嫉妬心をむき出しにしてキラを睨み付けるフレイを、ステラが黙って眺めていた。
 
  
 
 
 
(第五十話 了)

TOP><NEXT