妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第四十九話:大地開口
 
 
 
 
 
 ザフトのジンなど、複座式のMSもあるが、ストライクとガイアはいずれも単座式だ。だからシンジ搭載時は密着度も非常に高いし、キラとステラも一つの席に二人、というのはある程度慣れてきたが、結局ムウは車を走らせた。
 複座式になっているスカイグラスパーに、三人で乗り込んでも良かったのだが、行く前から窮屈なのもどうかと、車にしたのだ。
(一緒に乗ってるのは大将じゃないからな)
 がしかし、車にしようが戦闘機にしようが、雰囲気が変わるわけではない。行き先はスカイグラスパーにあったデータを引っ張ってきたが、言うまでもなく車の方が時間は掛かる。背後でいじいじと、指先でのの字を書いているような二人を乗せ、三年分くらいの鬱を一気に体験したようなムウだったが、それでも砂嵐の舞う目的地へ到着した時はさすがに度肝を抜かれた。
 凄まじい風の音が夜の砂漠に響き、舞い上がっている砂塵はその一粒でも身体に触れれば皮膚をすっぱり持って行かれそうな気がする。しかも、その横には凄絶なまでの威圧感を漂わせている砂像が鎮座しているのだ。
「あれがアヌビスってやつか。しっかしまあ、近くで見るととんでもない迫力だな。で、あの中に突っ込めってか?」
 シンジは事も無げに言っていたが、どう見ても無事どころか命の保証がされていそうにない場所である。そもそも、砂嵐はちっとも治まる様子がないのだ。
「こんなのが襲ってきたら、そりゃレセップスも一溜まりもないだろうけどよ…」
「『行って下さい』」
(げ!?)
 後部座席からの声に、微塵も不安は感じられなかった。元々主役は二人であり、こうなればままよと車を突っ込ませたムウだが、転倒はおろか砂粒一つ飛んでくる事はなく、しかも砂嵐と砂像に護られた内部は、実に静謐そのものだったのだ。そこにはシンジの言ったとおり温泉があり、その周囲はご丁寧に岩まで積んである。
 が、それをぺたぺた触ったムウは、それが至極最近造られたものだと見抜いた。
「お、おいまさか…な…」
 砂漠で水ならまだしも、温泉などどうやれば発掘できるというのか。しかも機材など何一つ持っていかなかったではないか。
「入ってもいいですか」
「あ、ああ悪いな、気づかなくて。じゃ、ごゆっくり」
 丘の下に降りたムウが、
(まさかあいつら…)
 さっき二人の言葉に躊躇いがなかったのは、シンジを信頼しているからではなく――無論それもあったろう――どうなっても良いと思ったからではないのか?
 その思いがほぼ確定したのは、湯の中で落涙する二人に気づいた時であった。
 ムウが火のついた煙草を素手で握りつぶしたのは、キラとステラの想いが分かる一方で、シンジもまたここまで非の打ち所がない戦績を出してきたと分かっているからだ。
 要するに、シンジのレベルが高すぎるのだ。
 ただ世の中が――常に計算された理論通りにだけ動けば、苦労はしないのである。
 
 
 
 温泉に入って身体は温まったが心は逆に冷えたような気がする二人が、相変わらず暗い表情で帰ってくると、シンジの呼び出しが待っていた。
 二人とも食堂へ来いと言う。
 シンジの部屋は工事中でもないし、話なら自室でも出来る筈だ。それなのに食堂と言うことは、その空間をシンジが選ばなかったのだ。
 これはもう、想いどころか最後通告さえあるのかと、重い足取りで食堂へ向かった二人だが、
「おかえり」
 待っていたシンジから、さっきのような拒絶の色は消えていた。
(あ、あれ?)
「『た、ただいま…』」
「まあ、そこへお座り」
「『は、はい…』」
 拒絶の色は無いが、まだ雲行きは見えない。安堵と不安の綯い交ぜになった二人が席につくと、シンジはすっと立ち上がった。
 幸いすぐに戻ってきた。
 その手には盆があり、プリンが二つ乗っている。
 何をするのかと思ったら、スプーンでさくっと掬い取り、
「はい、あーん」
 二人の前に差し出したのだ。
「『…え!?』」
 予想もしない展開に、二人が眼を白黒させる。
 シンジは表情を変えぬまま、
「少し考えたのだ。正直なところ、この先を考えれば二人には――特にヤマトは、この艦の行く末を託すには程遠い。私がこの世界へ飛ばされた理由も原因も分からない以上、何時また去る事になるか分からないのだから」
 シンジの言葉に、キラの表情がぴくっと揺れた。
「ただ、ヤマトの経験値――特に悪の薫陶値を考えれば、あの程度でも仕方がないのではないか、と。平たく言えば、期待しすぎた私が悪いと」
「『……』」
 突き放すような言葉に、二人が哀しげに俯く。
「とは言え、視点を変えればまた違った見方も出来る。満点を期待して五十点では困るが、四十点を期待して五十点なら上出来と言うことだ。結果だけ見れば――途中経過も精神的な部分も無視して――敵を追い払うことには成功したのだ」
 冷静に考えればひどい言われようなのだが、この時二人の双眸に映っていたのは、差し出されたプリンのみであった。
「キラ、そしてステラ」
「『はい…』」
「私の要求が高すぎたのかもしれない。とまれ、今回アークエンジェルは被弾することなく敵を追い払ったのだ。よくやった」
「お、お兄ちゃん…」「シンジさん…」
 二人の目にじわっと涙が浮かび、慌てて眼をこする。
「味はまあまあだ。食べて」
「『頂きますっ』」
 我先にと奪い合うように顔を止せ、二人がぐりぐりと顔を押し合う。
「ステラどいてっ」「キラこそ邪魔」
 うっすらと笑ったシンジが、
「じゃ、ジャンケンで。クジを作るのは面倒だから」
「『恨みっこなしだからね』」
「……」
 さっきまで文字通り半分死人みたいな顔色をしていた二人が、一転して火花を散らしている様子を、腕組みして廊下に寄りかかった綾香が聞いていた。
 ふっと笑ってその場を離れた綾香に、すっとセリオが寄り添う。
「いかがなさいました」
「さすが碇、女の扱いには慣れてるわね」
「え?」
「あれだけ叩き落としておけば、僅かな飴でも喜んでとびつくわ。案外、元いた世界ではホストでもやってたりしてね」
 シンジに聞かれた場合、かなりの高確率で火炙りにされる台詞だが、幸いシンジの耳目は室外に伸びてはいなかった。
「ただ、扱いが上手いってのはある意味強みよね。けなしたりへこませるだけなら、それこそ誰にでも出来るんだから。もっとも、あんな簡単に釣られるのも惚れた弱みってやつかしらね…なによ」
「異性相手に殆ど感情を見せない綾香様が、碇様を前にするとあんなに…あう」
「セリオうっさい!」
 がしかし。
 嬉々として食べさせてもらった二人も、シンジを冷やかし半分に見ていた綾香も――
「オーナー、やっぱり…少しきついかな…」
 部屋に戻ったシンジが、白い月を見上げて呟いた事など知りもしないのだった。
 鋼鉄の精神を持っているように見えようと、シンジとて決して神でもなければ天使でもない。魔女医や吸血鬼の貴公子に囲まれていた帝都と、あまりにも違いすぎる今の状況は、確実にシンジの精神(こころ)を疲労させていたのだ。
 
 
 
 
 
「キャラ、地上に進展があったのか?」
「たった今、手の者から連絡が入りました。バルトフェルド隊が完敗したそうで」
「そうか…」
 見た目と能力は、ハマーンとだいぶ離れているのだが、このキャラ・スーンにハマーンは高い信頼を置いている。夜更けに呼び出されたというのに、怒りもせずにやってきたのがいい証拠だ。
 これが他の者なら、両腕を撃ち抜かれていよう。
「ただ、ちょっと気になる情報が」
「何だ」
「砂嵐と砂の像が不意に出てきて、とか言ってますが…ハマーン様?」
 くっくっとハマーンは笑った。何故か、妙に愉しそうな表情であった。
「ふらっとやってきた異世界人が、しかも操縦せずに同乗しただけでジン隊を壊滅させたのだ。地上に降りた奴が、何をしでかしても驚かんよ。しかし、つくづく理解し難い奴だな。何としてもとっ捕まえて思考を解剖せねばならん」
(思考を解剖?)
 肉体を解剖するなら可能だが、思考を解剖するなど聞いた事がない。
(それに…ハマーン様は妙にお愉しそうだ…何故だ?)
「碇シンジの相手は、私以外には出来ぬよ。いくら上層部が間抜けとは言え、あのアークエンジェルに新造艦のミネルバとやらをぶつけたりはするまい。間違っても私に乗員の席が回ってくる前に、さっさと建造してとっとと出航してもらわねばな。私が地上へ降下するのはその後だ。奴らが役に立たないのは最初から想定済みだ。だが問題は…」
「問題は?」
「地上の連中があまりにも役立たずだった場合だ。私が降下した時にはもう、シンジはアラスカで白クマと遊んでいるかも知れん。せめて、足止めくらいの役には立ってくれよ。本来ならばすぐにでも降りたいところだが…軍属というのは極めて厄介なものだな」
「はい…」
 シンジとハマーンは敵同士であり、生身で対面した事すら無い筈だ。なのに、ハマーンはシンジに呼ばれるまま丸腰で出て行った――武器は持っていたが、シンジになら撃たれる気でいたという。一方のシンジは、そのハマーンを撃つこともなく、しかもブリッツを武装解除もせずにあっさりと引き渡した。
 どちらの思考回路も、キャラにはさっぱり理解できない。多分、一生出来ないだろう。
 ただ一つ言えるのは――孤高の勇将として知られ、どんな敵を相手にした時でも顔色一つ変えた事のないハマーンが、この奇妙な敵には妙に愉しそうに見える、と言う事だ。
(まあハマーン様の事だから、あたしが心配する事もないとは思うが…)
 首を傾げながらも、ハマーンの事は別段心配していなかったキャラだが、この二人の関係が局地的な戦局のみならず、戦争の行方そのものに大きく関わってくるとは、想像もしていなかった。
 
 
 
 
 
「碇さん、碇さん起きておられますか」
 ミリアリアがシンジを起こしに来たのは、翌朝八時前の事であった。テロ集団が、うぞうぞと車に乗ってやってきたのである。
「まだ…寝てるのかな?ひゃ!?」
 そっとドアを開けたミリアリアが見たのは、シンジのベッドで身を寄せ合って寝ているキラとステラであった。二人とも服は着ているが、ここはシンジの私室の筈で、やはりどきっとする。
「勝手に人の部屋を覗いて勝手にショックを受けないでもらおう。と言うより、身の安全の為にも開けない方がいいと思うぞ」
「い、碇さんっ!?お、おはようございます」
「昨日のテロ集団が押し寄せてきたか。攻撃用意はしているか?」
「い、いえ…そ、それよりあの」
「ん?」
「み、身の安全の為に開けない方がいいって?」
「私が中にいる時はトラップを設定してる可能性があるから。きれいな黒髪でもないが、一瞬でアフロになりたくはあるまい」
「そ、それは勿論…でもどうしてキラとステラが?」
「寝たいと言うから寝かせた。それだけだ」
「は、はあ」
 ここまであっけらかんと言われると、突っ込む気もからかう気も失せてくる。
「ところで」
「うん…ひてて」
 ミリアリアの手がにゅっと伸びて、シンジの頬を左右に引っ張った。
「きれいな黒髪でもないが、ってそれどういう意味ですか!大したものじゃないけど一応って言うこと!?」
「まあわかりやすく言うとそうな…イデデ」
 更にむにょっと伸びたところへ、
「そこまでにしておいたら?髪がチリチリになっちゃうわよ」
 声は後ろから聞こえた。
「おやミーア、珍しいな」
「なんか殺気が漂っていたから来てみました。碇さん、おはようございます」
「ん」
「ほらミリアリア、そろそろ危ないわよ」
 ミーアがくい、と指を向け、ミリアリアの顔もつられて動く。
「!?」
 そこには、危険な光を双眸に湛えたキラとステラが、ミリアリアにぴたりと銃口をポイントしていたのである。
「キ、キラ…それにステラまで…」
 友人より男を取るのね、とミリアリアが力なく手を離す。
「二人ともなかなか朝から勇猛だが、私を巻き添えにすると承知の上で?」
「ち、違いますお兄ちゃんっ」「わ、私たちはただ…」
「冗談だ、わかってるよ」
 二人の頭を軽く撫で、
「それより、二人ともシャワーでも浴びて着替えておいで。ストライクとガイアで発進用意を」
「『敵っ!?』」
「否…多分ね。姉御のボディガードは私がやるが、フル充電状態の二機が左右を固めた方が遙かに説得力はある」
「『はいっ』」
 少女達がぱたぱたと駈けだして行った後、
「碇さんて…いっつも二人と寝てるんですか?」
 ミリアリアが少し尖った声で訊いた。
「そう言う語弊を招く言い方は止せ。そんな事より、もしかしてケーニヒとベッドは別なのか?」
 さも当然とばかりの言い方に、ミリアリアがかーっと赤くなった。
「べ、べ、別ですよっ!あ、当たり前じゃないですか」
「ミリアリア・ハウ」
「な、何ですか」
「君は人生の楽しみを五分の三くらいしか知らない。と言うわけでミーア」
「なあに?」
「彼女に残り五分の二を教えてやって」
「りょーかい」
「ふえ?ちょっ、ちょっと待っ、や、止めてーっ!」
 軽々と肩に担がれ、連行されるのを見送ってから、
「さてテロリスト共がどの面下げて何を言ってくるのか、愉しみな事だ」
 冷ややかに呟いて、シンジは歩き出した。
 なお、五分の三と弾きだした計算の根拠は定かでない。
 艦橋へ入るとナタルが待っていた。
「おはようございます」
「ん」
 一つ頷いて、
「状況は」
「先ほど連中が乗り付けてきました。ただ、即座に攻撃してくる意志は無いものと思われますが…味方と判断されますか?」
「バジルールの意見は」
「わ、私は…」
「自分がこう思うがどうか?と言うのが一番会話がスムーズに運ぶ、と習わなかったか?まあいい、昨晩戦闘経過を報告した時点で、艦長は既に来襲を予測しておられた」
「『え!?』」
 何時の間にそんな打ち合わせを済ませていたのか。そもそも、艦橋にも来ていなかったマリューにそんな事がどうして読めたのか。
「岡目八目、と言うことだ。艦長には私がお供する。恐るるには足りぬ相手だが、ストライクとガイアを発進させる。ガーゴイル」
「え?」
「ミリアリアは先ほど人生の粋を学ぶため、教師に担がれていった。誘導は任せる」
「りょ、了解であります。で、でも…」
「どうして二機も出すか、か?」
「え、ええ」
「連中の真意など知った事ではないが、昨日敗走するザフトの後からチョロチョロと攻撃を仕掛けていた。単なる漁夫の利、というよりは挟撃されかけていたガイアとスカイグラスパーを援護してやった、と言うことだろう。無論、実際にはそんな事など無くとも、ガイアもスカイグラスパーも悠々と帰還できたのだ。世の中、テロリストを中心に回ってはいないと教えてやらねばならん。了解した?」
「ウ、ウイース!」
「それからバジルール、出すだけ無駄だから兵は出すな」
「了解しました…」
「じゃ、後は適当に任せる」
 二機を出してしまえば、もう艦橋から指示を出す事もない。待機していてくれればそれで良いのだ。
 マリューの部屋へ行くと、もうマリューは着替えて待っていた。
「もう少しおしゃれな方が良かったかしら?」
「……」
「も、もう無視する事ないでしょ!」
「突っ込んだら負けかなと思ってる。じゃ、そういう事で…痛!」
 ミリアリアの時は頬だったが、今度は背中だった。今日は抓られ日和らしい。
「分かった分かった。じゃあ、リボンで」
「リボン?」
 マリューが怪訝な顔で首を傾げる。いくらマリューでも、髪にリボンを付ける勇気はない。あれが許されるのは十代までだろう。
「裸にリボン、然る後ベッドで待機」
「?ば、馬鹿っ…も、もう信じられない!」
「軍服に無意味なお洒落を求めるよりは遙かに効率的。さて、行くよ」
 そう言って、シンジは手を差し出した。
「え、ええ」
 遠慮がちに、それでもきゅっとその手を取ってマリューが立ち上がる。さすがに部屋を出ると繋いだ手は離れたが、マリューの後を一歩下がってシンジがてくてく歩いていく様は、姫(プリンセス)を保護する騎士(ナイト)にも似ている。
 そこへ、
「ス、ストライク発進よろし」
 と、サイのぎこちない声が聞こえてきた。
「ストライク出したの?」
「巨乳のイシス十体で固めようかとも思ったんだけど、ちょっと余裕が足りなかった。二機を出した方が手っ取り早いから」
「そう」
(巨乳のイシスって…なに?)
 
 
  
 自分達が来た事は分かっている筈なのに、アークエンジェルは静まりかえっている。
「まさか、全員が蒸発して幽霊船にでもなってるんじゃないだろうな」
 サイーブが面白くもない冗談を飛ばした直後、左右のフライトデッキが同時に開いた。
「?ストライクと四本足!?」
 勢いよく飛び出してきたストライクとガイアが、テロ集団を挟撃するかのように左右に展開し、居並ぶ者達の顔から一斉に血の気が引く。この状態で攻撃されたら逃げるどころが抗戦すら出来ない。
「サ、サイーブっ、どうするんだよ」
「も、もちつけ…いや落ち着け。お、俺たちを試しているのかも知れん」
 何とか落ち着かせようとするが、その声からして既に震えている。ストライクもガイアも、既に装甲の色を変えているのだ。
 つまり、戦闘態勢にあると言うことである。ライフルまで構えられたりしたらかなり危険な兆候だが、幸い二機ともぼんやり突っ立っている。
 ただし。
「あれは…カガリ様?こんなところで一体何を」
 ガイアの操縦席から、カガリがステラにあっさり正体を見破られていた事は知らなかった。
 とまれ、自分達が新型のMSに、それも二機に囲まれている状況は変わらず、テロリスト達がびくびくしている所へ、アークエンジェルのハッチが開いて一組の男女を吐き出した。
「ん?」
 眼を瞬かせたのは、サイーブだけではなかった。二人はいずれも長身で、グラマーな女性士官の方は軍服を着ているが、もう一人の長髪の青年は私服で、どうみても軍人には見えないのだ。
「一体…?」
 訝しげな視線に見つめられながら、二人がゆっくりと歩いてくる。そこには、警戒心など微塵も感じられない。
 と、長髪の青年の表情が僅かに動く。その先にカガリがいる事に気づいたキサカが、カガリを庇うようにすうっと前へ出た。
(カガリ、知り合いか?)
(いや、あんな長髪は知り合いにいないぞ)
 無論シンジの方は知っている。この世界に飛ばされて目覚めたとき、キラとカガリペアに会っているのだ――最初シンジは、キラもカガリも少年だと思っていた。
(しかも丸腰かよ…)
 キサカがやや呆れ気味に呟いた。こちらに丸腰は一人もおらず、銃の安全装置を外していないとはいえ、キサカの弓矢はすわと言う時は一番早い。
 メンバーの顔を一別した青年が、ゆっくりと口を開いた。
「なかなかに間抜けな顔ぶれが揃っているな」
「『な、なんだとっ!?』」
 いきなりの先制攻撃にいきり立つ仲間を制したサイーブに、
「お前がボス猿と見えるな。テロリスト共が顔見せに来るにはまだ早い時間だ。何用でやって来た」
(こ、こいつは…)
 危険な相手である、とサイーブは本能的に感じ取っていた。顔立ちはどちらかと言うと優男で、顔に傷もないし筋肉質でもないが、自分達より遙かに危険だと本能が告げていたのである。
「テロリスト共、とはなかなかの言われようだがまあいい、俺たちは<明けの砂漠>さ。俺はサイーブ・アシマン、一応グループのリーダーだ」
「そこの小娘は」
「誰が小娘だ!」
 ピキッと眉をつり上げて前に出ようとするのをキサカが制し、
「彼女はカガリ、カガリ・ユラだ」
「ほう…」
 それを聞いた時、一陣の風が砂漠を吹き抜け――何故か青年はふっと笑ったのだ。
「な、何がおかしい」
「言っても良いのか?」
(!?)
 反射的にキサカが前に出た。鍛え上げられた軍人としての勘が強烈な危険信号を発したのだ。
「そ、そちらの自己紹介も聞いておきたいものだが」
(どうしたのかしら?)
 明らかに、対等だった関係から一瞬で優劣がはっきりした関係になっており、知り合いなのかしらと、マリューがちらっとシンジを見た。
「こちらは極東第七艦隊のマリュー…」
「シンジ君、第八。それと極東じゃないってば」
「そうだった。第八艦隊所属マリュー・ラミアス大尉だ」
「……」
「……」
(ん?)
 いきなりボケをかましてきた上に、自分のことには触れようともしない。女性士官の名前は分かったが、この青年は何者なのか。
 サイーブが咳払いして、
「で、あんたも第八艦隊所属――」
 言いかけて、その身体が凍り付いた。
 サイーブには、確かに見えたのである――青年の背後でこちらを見据える霊のようなものが。
 そしてそれは、巨大な白狼の形をしていた。
「種の進化を妬んで戦争を仕掛けるような、ナチュラル風情と一緒にしないでもらいたいが」
「もしかしてコーディネーターかい」
「さて」
 どうみても友好的、どころの雰囲気ではない。丸腰なのに、この余裕はどこから来るのか。
「碇シンジだ」
 と、それだけ告げて、
「昨夜、戦果はあったのか」
「ヘリを一機墜とした」
「バクゥとやらは」
「いや、あいにく逃げ足が速くてな…」
「そうか。矢を射掛けた程度にしては大した戦果と言える」
 シンジの目はキサカの背にある弓筒に向いている。ムッとした顔になった少年が、
「ちょっと待てよさっきから偉そうに。だいたい、第八艦隊ってのは宇宙(そら)で壊滅したんじゃなかったっけ」
「『……』」
 慌ててサイーブが制するが、
「結局全滅しちゃったのか?」
「なんかそうみたいね」
「だから掃除してから降ろさせれば良かったのに、おハルさんが間違えるから」
(な、何なんだこいつらは!)
 艦隊が全滅したと指摘され、怒るどころかまるで他人事みたいに振り返っているではないか。
 そもそもおハルさんとは、あの知将デュエイン・ハルバートン提督の事を指しているのか!?
「ところで坊や、名前は?」
「坊やじゃない、アフメド、アフメド・エルフォズルだ!」
「ノズルみたいだな。名前はともかくとして、なかなか良い根性をしている。ところでそこのランボーみたいなおっさんは?」
「…レドニル・キサカだ」
「こんな僻地で、弓矢を持たせてテロリストをさせておくには勿体ない体つきだな。陸軍がさぞかし欲しがることだろう」
(この男もしかして…)
「何も知らぬ子供が一番勇敢、と言うことか。親玉もそこのキサカも、既に何かを感じ取っているというのに、な」
「……」
 シンジの言葉に、マリューはシンジがトラップを仕掛けてあると思ったのだが、そんな事はしていない。
 テロ集団相手に、トラップなど仕掛けておく程の事もない。
「のこのこと顔を見せたのだ。こちらの情報を何も持っていない、と言うことはあるまい?」
「まあな」
 サイーブが、やっとふんと笑った。
 一方的に押されていた立場から、少しだけ押し戻せたような気が、した。
 気のせいかも知れないが。
「そっちの艦(ふね)はアークエンジェルだろう。クルーゼ隊に追われて地球へ…」
 言いかけて止めた。
 この連中は、本当に追われて切羽詰まっていたのか?
「で、あっちが――」
 サイーブの視線がストライクに向くと、
「X-105ストライク。地球軍が開発した新型機動兵器のプロトタイプだ」
 口を挟んだのはカガリであった。
(こらカガリ)
 サイーブがすっと横に動き、黙っていろと言うように後ろ手に庇う。
「なるほど、ヘリオポリスはオーブが所有するコロニーだったか」
「『!?』」
(シンジ君?)
 シンジの言葉に、数名がぴくっと反応したが、サイーブが手で制した。
「カガリ某と言ったな。ストライクのことは知っているようだ。ではそちらのMSの事は?本来なら、ストライクより遙かに知っていなければならぬ機体だぞ」
「な、何だと…」
 奇妙な事を言われて、カガリの視線が慌ただしくガイアに向くが、見覚えも無ければ知識にも入っていない。
 尤も連合が造ったG五機とは違い、秘中の秘として整備されていたから、知らないのも当然と言えば当然なのだ。
「知らない、か?」
「あ、あれも地球軍が開発したMSなのかっ」
「さて」
 もう用は済んだとばかりに視線を外し、
「話を戻そう。サイーブ、ここへのこのことやって来た訳を訊こうか」
 完全に立場が逆転している。しかも、遙か高見から見下ろしているのは丸腰の二人であり、見下ろされているのは完全武装のテロリスト達なのだ。
「なあトール、確か兵って伏せて――」「兵など伏せておらん。それに艦長は丸腰だ」
 断ち切るようなナタルの声に、サイは一つ肩をすくめて画面に視線を戻した。
 だが兵が居ないというのに、シンジのあの強気すぎる対応は一体どこから来るのか。
「あんたらがここへ降りたのは事故、つーかやむを得ない事情だろうが、この先何処へ向かうのか訊きたいと思って、な」
「そんな事を訊いてどうする気だ。ザフトとは戦争中だが、この地域のテロリスト共は目障りだから抹殺しておく所存だ――と言ったら、さてどうするね」
「『野郎っ!!』」
(あーあ、シンジ君てば強気なんだから)
 その言葉に反応は幾つかに分かれた。銃へ手を伸ばす<明けの砂漠>のメンバーを見て、ガイアとストライクがすっと動きかけ、その一方でマリューは相変わらず危機感ゼロでシンジを眺めていた。
「貴様ら止さねえか!試されてるのが分からんのか!!」
 サイーブに一喝され、銃に伸びた手がびくっと止まる。
「なるほど、単なる傷物ではないようだ。テロリスト風情の頭目でも、馬鹿ではつとまらんと見える」
 二度ゆっくりと深呼吸してから、サイーブはふっと笑った。
「傷物と来たか。丸腰の上に兵も伏せず、ここまで俺をコケにしたのはあんたが初めてだ。しかし、そっちの女艦長さんもまた随分と落ち着いてるな。この兄さんを余程信頼してるのかい」
「120%、と言うところかしら。ね?」
「74%位かと思ってた」
 真顔で返したシンジを、マリューがちろっと睨む。その視線を見て、サイーブは二人の関係をおおよそ知った。
(だがこいつから漂う異様な気の正体は一体…)
「まあいい。傍迷惑なテロリスト集団だが、そこの頭目にしておくには勿体ない親玉に免じて、交渉の席についてくれる」
「いいだろう。これでお互い話し合う素地は出来たってとこだが、まずそっちの銃を降ろしてくれ」
「ほう」
 マリューはさっきから、殆ど口を挟んでおらず、私服姿のシンジに全て任せている。交渉の成り行きに加え、自分の身までもだ。
 無論、単なる想いだけの事ではない。シンジが修羅場をかなり抜けてきているのは分かっているし、女の自分が出るよりシンジの方が遙かに迫力が出ると読んだからで、事実ここまで主導権は丸腰のシンジが一方的に握ってきている。
「だそうだが、どうしようか?」
「好きにしていいわよ」
「ん」
 頷いたシンジがポケットからごそごそと小型マイクを取り出した。
「ヤマト、降りてきて。ステラはガイアを変形させてMAに。一斉射で薙ぎ払えるように」
「『了解』」
 返答はすぐにあったが、
「あ、あのシンジさん…」
「あ?」
「抱きかかえてくれないと怖い…」
「もう一度」
「もう…シンジさんの意地悪」
 甘えた声でぶつぶつ言いながらも、キラがベルトを外し、同時にステラがガイアを四本足のMAに変形させ、その銃口をぴたりとテロ集団に向けた。
「…これが武装解除ってやつか?」
「私と艦長が丸腰でしかも兵も伏せていないと、さっき自分で言ったろう。その上なお自分達は重武装し、あの二機だけ無人にしろと?」
「まあ、それもそうだな。こっちだけ厳重に武装してるんじゃ、釣り合いが悪いってもんだ。いいだろう、お前らは下がって――」
 すっと手を挙げた時、ストライクのハッチが開いてキラが降りてきた。言うまでもなく、シンジのスタイルを真似しているキラは、依然として戦闘服も着ておらずヘルメットもかぶっていない。
 可愛い少女が降りてくるのを見て、居並ぶ者達の間にざわめきが起きた。
「おいあれ…」「まだ小娘じゃねえか。ほんとにパイロットなのかよ」
 だが、少女の存在に一人怪訝な顔になった者がいた。
 カガリだ。
(あの顔はどこかで…あっ!!あの時ヘリオポリスにいた奴!)
 自分の手を引いて走り回り、エレベーターに押し込んでそのままどこかへ走りさった男だが…女だったらしい。
 一般人の振りをしておいて、本当は軍人だったのだ。それも、自分の正体を知ってわざと引っ張り回したのかもと思うと、かーっと頭に血が上った。
 軍人が平服での搭乗など許される筈がないとか、そもそも最初に会った時もそして今も、兵士の雰囲気どころか軍服すら着ていないのは変だとか、考える事すらせず怒気を漲らせてカガリが大股で歩み寄る。
「おまえ…おまえあの時の…」
「?」
 ちょこんと小首を傾げたキラが、
「君誰?」
 ヘリオポリスで、キラとカガリはシンジに救われている。そのシンジの事を全く思い出さなかったカガリもカガリだが、キラもまたカガリの事は完全に忘れていたらしい。
 だが、それを見ていたシンジの口許に、にっと危険な笑みが浮かんだ事にサイーブだけは気づいていた。
 
 ぷつん――。
 
 その音は確かに、その場にいた者達全ての耳に聞こえていた。
「カガリ止せっ!」
 サイーブが叫ぶのと、
「おまえがどうしてあんなのに乗っているっ!?」
 カガリが平手を振り上げるのとが同時であった。
「ヤマト」
 やけにのんびりしたシンジの声を聞いた時、キラはとっさに後ろへ跳んでいた。どうしてそんな行動を取ったのか、後になっても分からなかった。
 キラとカガリの間に距離が出来た次の瞬間、大地は口を開いた。咄嗟に駆け寄ろうとしたサイーブが見たのは――首まで地に呑まれたカガリの姿であり、シンジはそこへゆっくりと歩み寄った。
「カガリ・ユラ、では三文字足りまい。ここでその首刎ねられてみるか、カガリ・ユラ・アスハ?」
「『!?』」
 その声がカガリとキラ、そしてサイーブにしか聞こえなかったのは、不幸中の幸いだったろう。
 顔色を変えたキサカが、反射的に弓へ矢を番える。
 シンジがちらっと見た次の瞬間に、その巨躯が吹っ飛ぶのを見た時、サイーブはずっと感じていた異様な威圧感の正体を知った。
 
 
 
 
 
(第四十九話 了)

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