妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第四十八話:それぞれの孤独
 
 
 
 
 
「私達がお菓子作りに動員されてる件について」
「ついて、って私に言われても困るんだけどね」
 綾香とセリオ、それにミーアが駆り出され、目下お菓子作りの最中だ。さっきふらっとやって来たシンジが、お菓子を作っておくように命じたのだ。
 なお、物はプリンである。
「アークエンジェルは別に戦闘の必要ないし、一般人が悠々とお菓子を作っても大丈夫な環境なんだから協力しなさい」
 と言われて、はあと頷きはしたものの、何でお菓子作りなのか。動員令だ、と言われればそれまでだが、少なくとも菓子作りなどする要はあるまい。
「とはいえ、何となく見当はつくけどね」
「ミーア、何か知ってるの?」
「この間、碇さんがバジルールにケーキを作ったでしょう」
「うん?」
「目的はどうあれ、本来なら碇さんが自分で作る必要まではなかった。でも作ってあげた。その思考と、今日朝帰りって言うか昼帰りだけど、昨日マリューさんとお泊まりしてきた事を考えればだいたい予想できるわ。キラとステラのご機嫌取り。尤も、正確に言えば操り人形にも出来るけどそこまではしたくない、と言う所でしょうね。それが、碇さんなのだから」
「ああ、ラミアス艦長と帰ってきたから妬いてるわけね。で、碇と艦長って付き合ってるの」
 首を振ったのは、セリオとミーアが同時であった。
「…何であんたまで首振ってるのよ」
「私のデータに不足が無ければ、お二人の関係は恋人同士のそれとは違います」
「ふうん…じゃあ何なのよ。付き合ってもいない二人が朝帰りする?」
「あの方に普通、と言う概念は通用しないと、綾香はまだ知らなかった?」
「まあ…ね…」
 普通の概念に収まるなら、MSに同乗しても効果など上がるまい。一般人が理解できる程度の少年なら、何で敵が一目置いたりするものか。
 何よりも――普通の人間は、縦しんば異世界に飛ばされたとしても、即座に順応など出来はしないものだ。
「でも…凸凹でお似合いって気がするのは私だけ?」
「だけ」「だけだと思います」
「…何であんた達、さっきからタッグを組んで否定するのよ」
「確かにマリューさんは、理よりも情を優先する所はあるけど、碇さんがその正反対なら――」
 刹那ミーアの双眸に危険な光が宿り、
「避難民を受け入れたりはしないし、何よりもバジルールはとっくに殺しているわ。あんなジャンク女なんて、ね」
「…じゃ、何で殺してないの?」
「ちょっぴり甘いから、よ」
 分かったような分からないような答えだったが、セリオを見るとうんうんと頷いている。これ以上二人に組んで阻まれるのは癪に障るので、
「かもね」
 適当に頷いておいた。
 がしかし。
 セリオとミーアが、ヒソヒソと囁き合っていた事に綾香は気付いておらず――無論、二人にはお見通しだった事も知らないのだった。
 
 
 
 
 
「あ?ステラが突撃を掛けて囲まれてる?なぜ?」
「な、何故って私に訊かれても…」
 そのとおりだ。
 ミリアリアには何の関係もない。
 ムウから緊急入電が入ったのだが、既に砂嵐も“四頭”のアヌビスも移動を開始している。まっすぐに進むその先に何があるのか、レセップスの連中も分かっている筈だ。
 しかも、突撃を掛けたと言ったのであって、逃げようとしたら囲まれたとは言っていない。
「ストライクと違って四本足、しかもスカイグラスパーまで付いている。そうそう撃墜出来ない事くらい連中も分かっていよう。アヌビスを無視してステラを攻撃してきたのか?」
 首を傾げてから、
「違うな」
 と否定した。
「違うってどういう事です」
 こちらに顔を振り向けたノイマンに、
「ステラが勝手に突っかかったんだ。敵の戻っていった時間からして、留守居の部隊とで挟撃を受けたとは考えられない。姿と位置だけ確認してさっさと戻ればいいのに何を考えたのか――困ったもんだ」
「でも碇さん、このまま放っておいたらステラが!」
「ステラが?」
「え?い、いやだから…ピ、ピンチに…」
「ならない」
「『へっ?』」
 全員が拍子抜けしたほど、シンジはあっさりと否定したのだ。
「カードの中身を知らせるものでもないが…」
 シンジは、あまり気乗りしない様子で呟いた。とはいえ、ステラが囲まれているという報告があったのは事実であり、単に放っておくとだけ言えば、クルー達は見殺しにしたと思うだろう。
「目下、砂嵐が三体にアヌビスが四体、敵艦のレセップスとやらに向けて粛々と行進中だ」
「アヌビス?」
「さっきバステトが出たろう。あれのアヌビスバージョンだ」
「ま、まさかそれって…っ」
「そう言うことだハウ」
 何がそう言うことなのかは、言わずとも、その意味は全員に痛いほど伝わっていた。砂漠が猫に、或いはトキの頭を持った人間に姿を変え、敵を飲み込んでいくのを彼らは目の当たりにしていたのだ。
「あ、あなたは一体…」
 思わず口にしたナタルに、シンジはゆっくりと視線を向けた。
「何者か、と?」
「い、いえ…」
 シンジの黒瞳に見つめられ、ナタルが俯く。
「ところでハウ」
「は、はいっ」
「アヌビスは知っているのか?」
「えーと…エジプト神話の神様ですよね?」
「そんな事は分かっとる。どういう神でいらっしゃるか、と訊いてるんだ」
「す、すみません分かりません」
「…で、アヌビスが何かも知らんで驚いたのか?困ったモンだ。まあいい、アヌビスなら知名度も高いし、知ってる者はいよう。ハウ以外は知ってるな…おや?」
 皆、シンジと視線が会うとついっと逸らすではないか。関わり合いになりたくない、と言うよりも純粋に知らないらしいと見抜いた。
「仔細も知らないで何を驚いたのだ?まったく、ナチュラルってのは変わった人種だな」
 お前もなー!と内心で突っ込んだのは、一人や二人ではなかったのだが、
「何にせよ、放っておいても敵艦は撤退する。ステラのガイアは四本足だし、フラガも付いているのだ。特に心配はいるまい。と言うわけでノイマン」
「はっ?」
「微速前進」
(あ…)
 やはり放ってはおけない、と言うことなのだろう。
「ただし」
「ただし?」
「てくてく近づくと巻き込まれ、レセップスはさっさととんずらしてアークエンジェルだけ流砂に飲まれる、と言う事態もあり得るので最大限慎重な操舵を」
「りょ、了解…」
 かなり難易度の高いことを求められているらしい。
 
 
 
「ちっ、こっちは初フライトだってのに無茶な事やらせてくれるぜ!」
 そうは言いながらも、ステラを見捨ててさっさと逃げ出さない辺りがムウである。そもそも、攻撃しろなどと一言も言われていないのに、どうしてステラが無謀極まる突撃を掛けたのか、どう考えても理解できない。
 ただし、ストライクとは違ってこのガイア、四本足に変形も出来る。しかもザフト側のデータには無いらしく、ストライクのようにガシガシ攻撃できない。ミサイルを撃とうにも、ちょこまか走り回るから安定しないのだ。無論戦闘ヘリも黙って見てはいないが、こちらはムウの相手で手一杯になっている。
 宇宙では、<X-105ストライク Shinji Ikari 搭載型>が獅子奮迅の働きを見せ、出番どころか回収されてしまったムウだが、ここにはストライクがいない。
 何よりも――あのガイアにシンジは搭載されていないのだ。
「地上(ここ)だと“エンデュミオンの鳶”位かもしれんが…お前さん達には墜とせんよ。ここでガイアを喪ったら、大将に会わせる顔が無いだろうが!」
 これが本当にあのエンデュミオンの燕と称された男かと思われるほど、初飛行のハンデなど全く感じさせずにザフトの戦闘ヘリを翻弄していく。一方地上では、眼に危険な光を湛えたままのステラが、囲まれながらも殆ど被弾を許さず、敵を沈めていく。
 ステラのやり方は簡単だ。
 機動力を生かして敵の側面、乃至は背後に回り込んで攻撃する。決して一撃で沈めたりはしない。無論不殺などには非ず――動けなくなった味方がいれば足手まといになる。味方の足を引っ張らせてから、動けぬそれを仕留めていくのだ。
 さすがに四本足だけあって、ストライクより遙かに機動性は高い。
 だがその機動力が通常時を遙かに――通常の三倍は上回っている事を本人は気づいているのだろうか。
 レセップスがさっさと距離を置き、ヘリもバクゥも遠巻きに威嚇する状態で一斉射撃を食らったら、おそらく二機とも撃沈されていたろう。が、ステラの無謀な攻撃が却って功を奏したのか、結果的にはたった二機で敵を押し込んでいる。
「これなら何とか…ん!?」
 いくらステラが無謀でもこの上敵艦を沈める事までは考えまい、これなら何とか突破して帰れるかと、ムウが僅かに安堵した直後、
「新手か!?」
 アークエンジェルを攻撃に出ていた部隊が戻ってきたのだ。言うまでもなく、悟られぬ為に遠回りしたステラ達とは違い、最短距離を全力で戻って来たため所要時間はまったく違う。
「God Damm!」
 ここまで敵を片付けるのも、決して楽ではなかったのに、挟撃されれば到底勝ち目はない。戻ってきた敵がいると言うことは、キラは敵を壊滅させ得なかったのだ。そして追尾していない以上、エネルギーも限界に近かったのだろう。
 二本足にしてはよくやった、とはいえバッテリーを交換して出撃し、よく此処へ間に合い得るかどうか。
「思い出した、アンドリュー・バルトフェルド…砂漠の虎だったわ」
 こんな時に、思い出さずとも良いことを思い出す。
「これじゃまるで走馬燈じゃねえか…」
 例えここで自分達が討ち死にしようとも、アークエンジェルとストライクだけはアラスカへ届けねばならぬ。いや、自分はシンジにステラを頼むと言われたのだ。
「お前だけは何としても逃がす。ステラ・ルーシェ、殿は俺が引き受けるから退却しろ!」
「やだ」
 即座に否定された。
「あのガキ…」
 いい加減エネルギーも限界が近づいているはずだ。なのに、ステラは全く聞く耳を持たない。
 舌打ちしたムウだが、次の瞬間ガイアもスカイグラスパーも動きが止まった。
「!?」
 異様な雰囲気を察知したのである。
「『な、何だあれは…』」
 深更の空の下、その異様な気はゆっくりと正体を現した。
「あ、あれは…アヌビス…?」
 呟いたのはステラであった。神話に少し造詣のあるステラには、その砂像が何を模して造られているのかすぐに分かった。
 その砂嵐は一直線にこちらへ向かってくる。その進路の先にあるのはレセップスだ。
 が、ステラは砂嵐が意志を持って動くなど生まれてこの方、一度も聞いた事がない。
「ど、どういう事…」
 呆然と呟いたが、意識よりも先に身体が反応した。理由は不明だがレセップスを狙っていると読み、カサカサと機体を離す。そこへ、アークエンジェルからの入電が入った。
「ん?え!?」
<援軍を送った。巻き込まれるからさっさと離れて>
「お兄ちゃん…」
 漸く、ステラの双眸から危険な光が消えていった。
「お、おいおい気が変わったのか?」
 急に向きを変えたガイアに気づき、ムウも後を追う。
 余計な危機を招きながらも何とか寸前で脱し得た二人だが、バルトフェルドはそうもいかなかった。砂で出来た像が味方を飲み込み、不意に盛り上がった砂壁が味方の視界を塞いでストライクに撃たれるのを、その目で見てきたのだ。
 そこへ持ってきて、砂嵐と砂像の大接近である。人知で説明できぬ事など嫌うバルトフェルドも、ここまで来れば明らかに人的な物だと信じざるを得なかった。
「レセップスは機関最大、全速で離脱しろ!バナディーヤまで戻れ!くそっ、一体何がどうなって…!?」
 苛立たしげに舌打ちした直後、いきなりヘリが被弾した。炎上して落下していく有様を唖然と見るバルトフェルドに、
「隊長、明けの砂漠ですっ!」
「…またあいつらか。我らの旗色悪しと見て攻め込んできたな。ちょうどいい、四本足と戦闘機は退却した事だし、連中をここでまとめて――」
「隊長、後方からアークエンジェルが接近してきます!」
「……」
 バルトフェルドはゆっくりと首を振った。
 事態の急展開に、脳が付いていかなかったのである。
「つまりあれだ――アークエンジェルの戦力を計ろうと思ったら砂像に邪魔されて壊滅、その間に二機がレセップスへ向かったので戻ってきたら砂嵐が襲ってきた、と。もしかしてあの二機は、砂嵐を誘導する役目でも持っていたのか?」
「……」
「やむなくレセップスを戻したら明けの砂漠が襲ってきて、後ろからは仲良くアークエンジェルが付いてきてる、とそう言うことだなダコスタ」
「え、ええ…」
 バルトフェルドが苦虫を四匹程噛み潰している間にも、味方のヘリに続いてバクゥまで砲弾を撃ち込まれているのだ。
「やむを得ん、全軍撤退するぞ。テロリスト共にはミサイルを撃ち込んで振り切れ!」
「了解!」
 斯くして、アークエンジェルの戦力を探るどころか、手痛い打撃を受けたザフト軍は、這々の体で引き上げていった。
 
 
 
 
 
「ヘリを一機墜とした。しかしなんか…勝敗が決まった後に割り込むみたいでやだな…」
 カガリの呟きを聞いたキサカは、一つ頷いた。
「確かにそうかもしれん。でもカガリ、それも重要な事なのですよ。ザフトと連合、そのいずれにも属さずに中立を保つというのは、口で言うのは簡単ですが決して楽な事ではありません。特に、ザフトのカーペンタリアはあの基地だけでオーブと同等の兵力を持っています。理念に基づいて国を動かすのは、綺麗事だけでは済まないのですよ」
「うるさい」
 カガリは即座にはねつけた。
「いつもお前達はそうだ。仕方がないから、やむを得ないから、と全てを済まそうとする。こっそり地球軍と手を組んで、その結果ヘリオポリスが陥落したんだろうが!」
「では、全ての防衛力を放棄して敵に蹂躙されるままになれと?」
「そんな事は言ってない!だが…」
 そこへ、
「目的は達成した。少なくとも、あのちょこまかと出てきた二機が、せめてもの駄賃にと墜とされるのは防いだのだ。さて、我らも引き上げるとしよう」
 サイーブの野太い声が二人の口論を断ち切った。
「ふん!」
 そっぽを向いたカガリを見て、キサカは内心でため息をついた。まっすぐな心の持ち主ではあるが、カガリは普通の少女ではない。
 オーブ首長連合国代表、ウズミ・ナラ・アスハの一子なのだ。平たく言えば次期国王と言うことになる。自分が武器を持たなければ平和になる、と言う理論が通じるのはオーブ国内だけである。
 そもそも、それで平和になるならどうして連合とザフトが戦争などするものか。
 幸いな事に、目下オーブへ戦火が迫る気配はない。とは言え、どちらにも付かないと言うのは、裏を返せば何時寝返るか分からないとも映る。このまま戦争が続いて戦局が大きく変化した時に、この小国がそのままいられるものなのか。
 しかもオーブの技術力は、ザフト・連合の何れにもひけを取らないどころか、それを上回る部分さえあるのだ。
 現在(いま)の性格でカガリが元首になれば、八割五分六厘位の可能性で、大国に弄ばれて滅びるか、或いは気がつけばある日行政府に翻る旗が変わるだろう。ウズミの新任も厚いキサカだが、何とかせねばとそれはいつも心の大きな部分を占めていた。
 だが、それが悲劇的な形で実証される事になると、非現実的なお姫様は無論のこと、キサカもまだ知るよしは無かったのである。
 
 
 
  
 
「『ご免なさい…』」
 アークエンジェルの格納庫で、シンジを前にしてキラとステラが項垂れていた。二人とも大威張りで出かけた割に、決して褒められる戦果ではなかった。特にステラに至っては、意地を張った結果大ピンチに陥るところだったのだ。
 しかも、
「ご苦労だった」
 とシンジはそれしか言わず、内容については何も言わないのだ。シンジが一緒でなかったにせよ、叱責されこそすれ褒められる内容などではない。何をやっていたのかと、責めてくれた方がどれだけ楽か。
「マードック」
「ん?」
「機体の修理はどれだけ掛かる」
「そうさな、小一時間てところだ。大した損傷じゃないからな」
「夜更けで悪いが修理を頼む。それからフラガ」
「あ、ああ?」
 無論コジローもムウも、シンジが艦長代理になっていることは知っている。つまり現在艦の全権を掌握していると言うことだ――元から似たようなものではあったが。自らも同乗し、これまで常に圧倒的優位で戦闘を進めて来たシンジが、二人を前に何というかと固唾を呑んで見守っていたのだが、咎めるどころか戦闘内容に触れる事さえしないのだ。
「もうアヌビスは戻してある。が、阻まれて粉砕されたりはしないから、マードックが修理している間に、二人を連れて行ってきてくれ。場所はスカイグラスパーに入力してある」
「ど、どこへ?」
「温泉だ。先日作っておいた」
 短く言って、シンジはさっさと身を翻した。
「『あっ…』」
 少女達の手が、虚しく空を切る。シンジの背には、冷たい拒絶が漂っていたのだ。
 が、ここに一人空気を読まない男がいた。
 ムウだ。
「大将」
「何か」
「あの砂嵐はやっぱり…」
「この世界の精(ジン)が私によく合う事が幸いだった。そうでなければ、今頃はアークエンジェル諸共沈んでいたろう」
 直接は言わなかったが、言外に自分だと認めてシンジがそのまま出て行く。
「『……』」
(まあ…仕方ねえか)
 どう考えても、圧倒的な戦力差からやむなく取った行動ではなかったのだ。とは言え、このまま意気消沈されたままでは次の戦闘に支障が出る。ここは一旦二人を連れ出し、少し時間をおくのが得策だろう。
「ほら行くぞお嬢ちゃん達」
「え?」
「大将が言ったろう、温泉へ行ってこいって。どうやったら作れるのかは知らんが、大将がそう言ったのならあるだろう。ほれ、ぼんやりしないでさっさと着替え用意してきな」
「で、でも…」「そんな気分じゃないし…」
「碇さんはそう言ったけど気乗りしないから嫌です、と伝えておくか?」
 慌てて走っていく二人を見ながら、
「少佐、艦長代理は何を考えてるんですかい」
「まあ気持ちは分かるんだが…」
「どっちの?」
「あの二人の、さ。大将、ここのところラミアス艦長と良い雰囲気だろ?どこまで行ってるかは知らんが、お嬢ちゃん達に取っては心中穏やかじゃないだろうよ。今回の強引な出撃も、自分達だって役に立つってところを見せたかったんだろうな。ただ、結果的には外れちまったがな」
「じゃあ、艦長代理はもう二人を見捨てちまったんですか」
「一発不合格って事もないだろうよ。それに本当に用済みと思ったら、温泉なんて行かせないさ。それよりさ」
「何です?」
「砂漠で温泉を見つけるのって、どうやるんだ?」
「…そんな事俺が知るわけないでしょーが!」
 
 
 
「姉御の具合は」
「もう大丈夫みたいね。やっぱり若いから体力の回復も早いわ」
「それは良かった」
 マリューの部屋へ勝手に押し入るとレコアが来ており、ちょうど服のボタンを掛けているところであった。
「でも妙なのよ」
「妙?」
「艦長はあなたの迎えに行ったんでしょう?どうしてこんなに消耗してるのかしら?」
「!」
 マリューの顔が赤くなった時、幸いレコアの視線はこちらを見ていなかった。
「使役したからに決まっとる。何らレコアが代わりに土木人夫になるか?」
「疲れるから嫌。でも、ラミアス大尉は艦長なのよ。それは忘れないでね」
「了解した」
 が、レコアが出て行くとき何かシンジに囁き、シンジは枕を投げつけたのだ。
「シ、シンジ君?」
 シンジは答える代わりにマリューの頬をむにゅっと引っ張った。
「お尻でイっちゃうって、どこにイクのかしらねだと」
「!?レ、レコア少尉が?ご、ごめんねシンジ君…」
 しゅうしゅうと真っ赤になって謝るマリューに、
「それはそれとして、戦闘データは?」
 訊ねた声は、普段と変わらぬものだ。
「あ、え、ええ見たわ」
 内心で、一抹の寂寥を感じながらマリューは頷いた。
「二人ともよくやってくれたわ。シンジ君は…少し違うみたいね?」
「論外」
 シンジの言葉は、ひどく冷たいものであった。キラ達が聞いたら一ヶ月は立ち直れまい。
「……」
「分かってはいるのだが――魔女医や貴公子の妹ではない、と。あれではまだ、任せるには至らんな」
(シンジ君…)
 単語の意味は分からずとも、何れも女だというのは分かった。そして、シンジがその二人の事を高く評価している、と言うことも。
「私とて、何時この世界から離れるか分からない。ステラはともかく、キラにはもっと成長してもらわねばならないというのに」
 その眼に映るのが、自分の居ない後の事だと知っては、マリューに言うべき言葉は見つからなかった。
(でもシンジ君、あなたが不意に元の世界へ帰るような事があったら…)
 キラがザフトへ寝返るような事はないだろう。
 ただ、戦力として使い物になるかどうか。
(私が…言える事ではないけれど…)
「この大地なら、アークエンジェルの敵までは私の手で墜とせる。とは言え、補給面ではどうしても不安が残ってしまう。結局は、MSに頼らざるを得ないのだ。今回の戦闘はある意味試金石だった。なにやら気負い込んだ二人を出して、戦場でどれだけ冷静に動けるかを見たかったが、この分だと当分レベルアップは見込めない。しばらくはこのまま使うしかないか」
 言うまでもないが、キラはストライクの正規パイロットではない。しかもコーディネーターである。そのキラがここまで、随分よくやってくれたとマリューは思っている。
 が、シンジから見ればまだまだ足りないらしい。
 でも二人はよくやっているわ、と言うべきなのか、悪いけど我慢してあげてと宥めるべきか、マリューには見当が付かなかった。
「と、ところで二人は今どうしてるの?」
「フラガに預けた」
「フラガ少佐に?」
「温泉へ連れて行って、放り込んで来るよう頼んである。まあ、撃沈されなかったから二十点位は評価しておかないと。ところで、退却する連中を後ろから襲ったのがいるが、気づいていた?」
「ええ、多分ザフトに抵抗するレジスタンスじゃないかしら。こんなところに地球軍がいるとは思えないもの」
「そのテロ集団だが、こちらに接触してくると思う?」
(テロ集団?)
 自分はレジスタンスと言ったはずだが、シンジはテロ集団と言った。確か政府に抵抗するのはレジスタンスではなかったか?
「政府の有りようが気にくわない、というのは当人の主観に過ぎない。自分が気に入らないから、周りを巻き込んで迷惑を掛けようとも力に訴えて何とかする、というのはテロ集団という。店へ行って物をちょろまかしてくるのは、言葉をどう飾ろうと窃盗になるのと同じさ。何で分かったか、と言う顔をしているな?」
「ええ…」
「頬が少し動いた」
「そ、そう?」
 自分で頬をむにむにとつついてから、
「多分来るんじゃないかしら。これは私の想像なんだけどね」
 前置きして、
「ザフトに抗っているから地球軍を歓迎する、と言うことにはならないけど、ザフトに抵抗しているのだから、我々の存在評価は少なくとも中立以下という事はないと思うわ。どちらとも関わりたくない、と言うことはあるかもしれないけど、普通に考えればこちらに恩を売っておいた方がとりあえずは得策じゃない?」
「ふむふむ」
「と言うわけで」
「ん?」
「来た時はボディガードお願いね?」
 シンジはうっすらと笑った。
「分かっている。この辺りを半径十キロ単位で砂の下に沈めても、マリューには指一本触れさせないから大丈夫」
「信頼してる。じゃ、もう少しだけお願いね」
「おやすみ」
「ええ、おやすみな…あ」
 その額に軽く口づけしてから部屋を出る。
「!?」
 さすがにシンジがびっくりして足を止めたのは、そこにナタルがいたからだ。しかも、その表情は何故か赤くなっている。
「通りかかった風情ではないな。姉御に何か話が?」
「い、いえあの…い、碇さんにその…」
「私に?」
 睨まれる覚えなら結構あるような気もするが、間違っても顔を赤らめて待ち受けされる覚えはない。
「え、ええ…あ、あのっ、お、お訊ねしたい事が…その…」
「待った」
「?」
「バジルールの訊きたい事などたかが知れている。と言うより自分が思うほど大した事ではない。だからとりあえず三度深呼吸して、それから続けて」
「…わ、分かりました」
 言われるまま、三度深呼吸を繰り返す。
 ちょっと落ち着いたような気がした。
「で、何用だ?」
「あの…わ、私のっ…しゃ、写真を見ませんでしたか」
「見ない」
 シンジの答えは早かった。
「恋人とのツーショットだかなんだか知らんが、バジルールの側に立ち入ったりはしない。そもそもバジルールの写真など見たことはないぞ」
「そ、そうですか…」
 ナタルが、シンジの艦長代理を素直に受け入れたのは、無論これが原因である。ミーアの事だから、てっきりシンジに渡してあると思ったのだ。何とか返してもらおうと思ったのだが、シンジは見ていないらしい。
「何が写っているのだ」
 ミーアがシンジに渡す可能性を考えれば、素直に話して取り戻してもらうのが一番だが、さすがにそこまでは出来なかった。
「い、いえっ、何でもありません。し、失礼しましたっ」
 去っていくナタルの後ろ姿を見て、シンジはむうと小首を傾げた。ナタルがぱたぱたと走っていく姿を見るのは、これが初めてである。
「さて、一体何を探していたのやら」
 さして興味もなさそうに呟いた背後から、
「これでなーい?」
 ひょこっと一葉の写真が突き出された。
「ミーアか…ん!?」
 そこにはあられもない姿で自慰に耽るナタルが写っており、達する寸前だと一目で分かる。
「何じゃこれは」
「先日撮っておいたの。結構使えると思うんだけど、碇さん要る?」
「…使える、とは?」
「勿論あの小生意気で融通の利かない女をおとなしくさせておくため…ん?あら〜?」
 ミーアが怪しく笑い、
「もしかして実用性高い、とか思った?碇さんってえっちさんで…痛っ!」
 強烈な膺懲の一撃がミーアを襲い、
「さっさと帰れ!砂漠に埋めるぞ」
 
 
 
「温まる、ね…」
「うん…」
 砂漠の真ん中で、キラとステラが湯に浸かっていた。一緒に付いてきたのはムウだが、最初から覗かれるという危機意識はないのか、さっさと下着を脱ぎ捨てて湯に入る。
 だが、身体が温まれば温まるほど、その心は冷えていった。
 背を向けたシンジの、拒絶感が漂うあの背が忘れられないのだ。
「お兄ちゃん…」「シンジさん…」
 背中合わせに座っている二人の双眸から、こぼれ落ちた涙が湯面に小さな輪を作っていく。
(…くそっ)
 二人がいる場所は、小さな丘になっている。その丘の下にいたムウが、くわえた煙草に火を付けて――そのまま手で握りつぶした。
   
 
  
 
 
(第四十八話 了)

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