妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第四十七話:トキに始まりぬこに終わる
 
 
 
 
 
「キラ、少し休んだ方がいいんじゃないか?ずっと寝てないんだろ?」
「…ほっといて」
「でもキラ、このままじゃ身体がもたな――」
「ほっといてって言ってるでしょっ!サイには関係ないんだからっ!」
 差し出した手を振り払われ、あまつさえ叩かれてもその表情は変わらない。サイの人間が出来ている、というよりは惚れた弱みだろう。キラやステラだって、シンジ相手にはこうなるのだから。
「キラ、ここに置いておくから食事だけでもちゃんと摂れよ。じゃあな」
 そっとトレーを置いたサイが、かなり名残惜しげに艦橋から出たところでその足が止まった。
「フレイ…」
「ここで何してるのよ」
「何ってキラ達に食事を持ってきたんだよ。見れば分かるだろ」
「何であなたが持ってくるの?やっぱり友達として放っておけないから?」
 笑いながら訊いたが、その瞳(め)は全く笑っていない。
「分かってるなら訊くなよ。さ、そこどいてくれ」
「……」
 だがフレイはどかない。腕を組んだまま、サイの前に立ち塞がっている。
「サイ、私たちが何と戦っているか忘れた訳じゃないわよね。それに…あなたの許嫁が誰かと言うことも」
 女の情念を含んだ言葉に、サイの眉がわずかに動いた。
「なあフレイその件だけど…」
 言いかけた所へ、
「貴様らが仲良く語り合う為に艦橋を空けた訳じゃないんだよ。ほら、さっさと巣に帰れ」
 ひょこっと顔を出したチャンドラが、手を振ってシッシッと二人を追い払う。一応事情は分かっているし、キラとステラを見かねて艦橋を空けてやったのだが、ここは敵の勢力圏のど真ん中だ。万一の時は即座に対応出来るように、隣室でノイマンと共に詰めている最中だ。
「あ、すみませんっ」
 サイが、フレイを押しのけるようにして歩み去っていく。手で押しのけた訳ではないが、その背に漂うのは明らかに拒絶であった。
「なによ…なによコーディネーターのくせに人の恋人を誘惑してっ」
 艦橋内にまるで親の敵でもいるかのような、文字通り憎悪の視線でフレイが扉を睨み付ける。
「誘惑っつーか…どう見ても片思いだよなあ」
「ああ、両方ともな…」
 女は空虚に耐えながらその想い人を待ち、男はそれが通じておらぬと知りながら女を見守り続ける。
 端から見ても、キラにサイへの想いなど髪の先程も感じられないが、サイの想いもまた妙に深いと分かるだけに、ノイマン達にも口を挟むことが出来ず、黙って顔を見合わせるのみであった。
 
 
 
 
 
「あれが地球軍の新造艦アークエンジェル。で、あちらにいるのがザフトの攻撃部隊」
「キサカ、そんな事は言われなくても分かっている。我々はここで見物していていいのかっ」
「良いか悪いかではなく、見物していなくてはならないのだ。確かにクルーゼ隊が墜とし得ず、この地上へやってきた新型艦とG機を始末できれば、ザフトの勢いは必然的に上がり、我々への攻勢を強めるかもしれん。だが、昨日のあれはやはり微妙に動いた砂嵐と流砂がザフトの連中を飲み込んだと判明した。そして、あの艦に積んでいると思われる戦闘機は、その砂嵐の中から悠然と飛び立ってきたのだ。関係は分からんが、明らかに人知を越えた事態が発生している以上、我らもまた慎重に動かねばならん」
「…分かったよ!」
 カガリから見れば、オーブと地球軍が裏で手を組んだ戦艦やMSなど、気に入らぬ以外の何ものでもないが、だからと言ってあっさり墜とされるのは困るのだ。戦闘に紛れてザフト軍にダメージを与える事が出来れば、地球軍のためなどではなく自分たちに取って利となる。
 だが、このレドニル・キサカは、慎重に様子を見ろと言う。納得いかないこと甚だしいカガリだったが、キサカにこうまで言われては従わない訳にいかなかった。何とか地上に降り立ったものの、故郷(くに)から迎えにこさせようとしたら、
「おまえは世界を知らない。帰ってきても五月蠅いだけだから、当分社会勉強をしてこい」
 と、南極の凍夜並に冷たい言葉を父に投げつけられ、このキサカに一切合切頼っているところだ。休暇で偶然里帰りしていたキサカに会わなかったら、今頃は砂漠でサソリのおやつになっていたかもしれない。
「これは私の直感だが…」
「なんだよ」
「ザフトは敗退する。それも痛打を浴びて、な。もしも苦戦するような事があれば、力を貸してやれば良かろう。恩を売っておくのが一番使えるカードなのだから」
「……」
 
 
 
 
「シンジ君にお尻見られちゃった…」
 目を開けたマリューの第一声がこれであった。
「四十点、だな」
 シンジはうっすらと笑った。
「ミルク噴いちゃった、とか腋の下にキスされていっちゃった、とか」
「も、もう…シンジ君てばえっちさんなんだから…」
 うっすらと目許を染めたマリューが、
「ところであの…帰りはどうやって?」
「スカイグラスパーを運転してきた。あの中にマニュアル積んであったろ。ちょっと用があったので、通常の三倍位時間がかかったが、ちゃんと帰ってきたよ」
「そう。ありがとうね」
「どういたしまして」
 がしかし。
 シンジは用があって時間がかかったと言った。発つまでに時間がかかったのなら、飛行時間自体が伸びる事は無いはずだ。
 つまり、飛行中に何か用を足していたと言うことになる。いったい何をしていたのか。
 ただ、まだ過激な快感の余韻が全身を支配しているマリューに、そこまで気づく余裕は無かった。
「シンジ君、あのねっ…」
 言いかけた時、
「第二戦闘配備発令!」
 艦内に警報が鳴り響いた。
「!」
 とっさに身を起こそうとするマリューだが、身体が言うことを聞いてくれず、起きあがる事すら出来ない。
 そのマリューの肩をそっとおさえ、
「マリュー、無理しなくていいから寝ていろ。ストライクとガイアは、砂漠仕様へ調整は済んでいよう。後はこちらで何とかする」
「ごめんね…」
 申し訳なさそうな顔で謝ったマリューに、シンジは緩く首を振って微笑う。
 泣きそうな表情になったマリューだが、その顔が不意に引き締まった。
「シンジ君、そのキャビネの引き出しを開けてくれる?上から二番目よ」
「うん?」
 引き出しを開けると、小さな革の袋が出てきた。
「中の物を出して」
「これは…印?」
 中には角印が入っており、受け取ったマリューが唇を噛み締めて半身を起こした。
「艦長の印よ。シンジ君、あなたに全権を委任します」
「……」
 一つ瞬きして、シンジは頷いた。
「さして何かが出来る身でもないが…承知した」
「お願いね…」
 明らかに無謀だが、それでもマリューはシンジに託した。ヘリオポリスからここまで、危地らしい危地はほとんど経験せずに来たが、その最大の原因が何処にあるか、一番分かっているのはマリューであった。
 寝返ることは無いと告げたシンジの言葉と、未だ果ての見えぬその能力に賭けたのだ。
「では、俺はこれで」
 シンジが軽く敬礼して出て行く。敬礼を返したマリューが、シンジの足音が消えた途端に倒れ込んだ。
 体力はとっくに限界を超えており、気力だけで何とか保っていたのである。
 一方格納庫では、既にキラとステラがそれぞれストライクとガイアに乗り込んでいた。
「おいまだ発進命令は――」
 そう言って止めようとした整備兵は、その場に凍り付いた。キラとステラの双眸に宿る光は――決して人が眼に湛えてよい物ではなかったのだ。
 それは、死の色であった。
 そんな事などつゆ知らぬシンジは、格納庫ではなくまっすぐ艦橋へ向かった。今回は、出撃しないことに決めたのだ。
 艦橋へ入ったシンジが、
「チャンドラ、状況はどうなっている」
「レーザー照査を受けました。既に戦闘ヘリとザフトのMSが接近中。ただし、まだ攻撃は受けていませ…え?」
 シンジだと知ったチャンドラが、怪訝な顔で振り返る。そこへシンジが、マリューに渡された印を見せた。
「そ、それは艦長の…」
「これより本艦は私の指揮下に入る。平たく言えば占領される。異存のある者は」
 異存も何も、突然の宣告でまだ完全に事態を理解できている者がいない。何よりも、シンジが持っている印は本物なのだ。
「りょ、了解致しました艦長代理」
「『え!?』」
 皆が驚いたのもむべなるかな、敬礼していたのはナタルであった。
(バジルール中尉…?)
 ナタルがシンジを嫌い、乃至は敬遠していると分かっているだけに、皆怪訝な顔でナタルを見たが、ともあれ副長が賛成したのだ。
「『了解!』」
 他の者達も、立ち上がって一斉に敬礼した。
「協力に感謝する。尤も、何もせずとも壊滅に追い込めない事もないのだが、溜まっていそうだからな。バジルール、戦闘管理は任せる」
「了解であります」
 妙に素直な反応だが、無論ナタルが急激に心変わりして、素直にシンジを認める気になった、等と言うことではない。
 何かあるのか、と疑念の念を抱いた者もいたが、それよりもシンジの言葉が気になった。
 何もせずとも勝てる、とか言っていなかったか?
「あ、あの碇さん今…」
 サイが何か言いかけたところへ、不意にストライクとガイアからの通信窓が開いた。
「ミリアリア、ストライク出撃(で)るよ」
「キ、キラ!?」
 ミリアリアは驚いた。モニター越しに見るキラの表情もその雰囲気も、ミリアリアが全く知らぬものだったのだ。
(眼が据わってる。キラ怖い…)
「早くして。ガイアも待ってるの」
(ステラまでー!?)
 みるみる内に背中がびっしょりといやな汗に覆われていく。二対の危険な瞳に見据えられ、逃げ出したくなったミリアリアだったが、
「二人とも何を言っているか。敵の正体も位置も不明で、そもそも出撃命令など出ていないだろうが!」
 一喝したナタルの存在に、ミリアリアは初めて感謝した。
「臆病者に用はないわ」「机上の空論で敵が倒せれば苦労は要らない」
「な、何だとっ!」
 さすがにナタルが血相を変えて立ち上がったが、
「バジルール」
 シンジが視線だけで制し、
「ハウ、こちらに回して」
「は、はいっ」
 艦長席の前のモニターに、二人の顔が映し出された。
「随分張り切っていると見えるが――」
「…やる気になっただけです。シンジさんには関係ありませんっ」
「敵にアスラン・ザラがいないとは分かっていないが?」
「い、今なら討てますっ!」
(キラ…)
 その心中を知るクルー達は、何とも言えない表情になったが、シンジに変化はなく、
「それは頼もしいことだ。ステラも戦闘意欲が増加中か?」
「私が全部片付けてきます。お兄ちゃんはマ…」
 マリューさんといちゃいちゃでもしていればいいでしょう、ともう少しで口にするところだったが、辛うじて踏みとどまった。
「ではそうさせてもらうとしよう」
 などと返されたら、それこそ晴れて公認の仲になってしまうではないか。
「『とにかく出撃しますっ!さっさと出撃っ!!』」
「良かろう」
「え?」
 当の本人達も拍子抜けしたほど、シンジはあっさりと頷いた。
「なにやらストレスも溜まっているようだし、この先地上戦はまだありそうだから、地上戦仕様設定のチェックにもちょうど良いだろう」
(だ、誰のせいでっ…!)
 二人がキッとシンジを睨もうとした刹那、
「ところで二人とも、甘い物は好きなのか」
「『…えっ?』」
 二人の表情に、明らかに動揺の色が浮かんだ。つい今し方までの、殺気にも似た気が急速に揺らぎ始めたと、見ている者達にはよく分かる。
「『す、好き…』」
「結構だ。じゃ、出撃。ヤマトはランチャーストライカーで出撃、艦の周囲をウロウロしながら迎撃しろ。アグニをふんだんに使用する事。ステラは機体を変形させ――別にしなくても構わんが、敵中に切り込め。ただし、二人ともむやみやたらと動き回るなよ。落ちるぞ」
「『え?』」
「落ちる、と言ったのだ。落ちたりせぬよう気をつけるように。では任せた」
 寝言とはいえマリューの呟きを聞けば、未だ処女の二人とて夕べ何があったかほぼ見当はつく。二人の妖しく絡み合う姿が脳裏に浮かび――経験が無いせいではっきりした画像にならないのがまた腹立たしい――その一方で、甘い物は好きかと訊いたシンジの言葉が脳内でリフレインする。
 嫉妬と腹立たしさと――少しの甘えに似た感情が複雑に絡み合い、何とも言えぬ表情になった二人が、
「キラ・ヤマト、ストライク出撃するっ!」
「ステラ・ルーシェ、ガイア出る!」
 自分でも分からぬ感情をぶつけるかのように、勢いよく飛び出していく。
「キラ…」
(あれが…好きになっちゃった弱みって言うのかな…)
 そんなミリアリアの想いをよそに早速戦闘ヘリとMSが現れ、
「碇さん、TMF/A-802、バクゥです!」
「昨日来た奴か」
「『…え!?』」
「何でもない。フラガ!」
「おう、聞こえてるぜ艦長代理」
 キラとステラのあの視線を受け、そのまま自分が指揮を執る事になどなっていたら、従うどころかアークエンジェルを攻撃されていたかもしれないと、その口調には安堵が混ざっている。
「艦長代理は止せ。ナチュラルの艦長になどなった記憶はない。そんな事より出られるか」
「まだ完調とまでは行かないが大丈夫だ、きっちり飛ばしてみせるぜ」
「じゃ、出撃。ただし、攻撃はしなくていい。戦闘ヘリに墜とされないようにウロウロしながら上空を旋回してくれ」
「え?」
「罠(トラップ)は既に張ってある。あの小娘共が嵌らぬように、な」
「わ、分からんが…了解した。ムウ・ラ・フラガ、スカイグラスパー出るぞ!」
 
 
 
「ちょっと待て、何だあの機体は。報告にない機体が多すぎるぞ!」
 戦闘機だけならまだしも、MSまで正体不明機が出てきた。これでは作戦が根底から覆るではないか。
 しかも、
「へ、変形した!?」
 宇宙(そら)ではどうあろうとここは地球、しかも砂漠のど真ん中であり、二本足が何するものぞと思っていたのだが、出てきたMSが四本足に変形したではないか。ブリッツに似た色のMSが、猛然と突っ込んでくる。
「やむを得ん、戦闘ヘリは一旦回避、バクゥは四本足をあしらいつつストライクに攻撃を集中しろ…ん?」
 舌打ちしたバルトフェルドの前で、不意に四本足が停止した。
 
 
 
「よくも…よくもっ!」
 ザフト軍もテロリスト達も、ずっとアークエンジェルを見張っていた訳ではなく、ストライクとガイアの調整はその隙をついて――見られていた自覚はなかったが――行われていた為、情報から漏れていた。ずっと執念深く見張っていれば、少なくともガイアの存在には気づいたろう。
 無論、調整中に攻撃を受けた訳ではなく、しかもキラもステラもほぼ臨戦態勢にあった。そんな中での攻撃であり、なにがよくも!なのかは不明だが、MAに変形させたステラは一気に機体を加速させた。
 だがその直後、
「ステラ止まれ」
 シンジの言葉に、慌てて減速に入る。少々横滑り気味にして足を止めたところへ、
「ヤマト、その前方に丘があるな。その手前にアグニを打ち込め。火力は最小限でいい」
 とんだのは、ろくでもない指示であった。
「りょ、了解」
 ガイアを撃て、でないだけまだましだったのかもしれない。戸惑いながらも言われるままに撃ち込み、派手に砂が舞い上がる。
「『あ?』」
 敵がいない、どころか味方の前方に火砲を撃ち込むなど正気の沙汰とは思えない。やはりナチュラルは馬鹿ばかりだと嘲笑い、戦闘ヘリが突っ込んできた直後――不意に砂丘が起動した。
 文字通り起動したのである。みるみる形を変えたそれは、トキの頭を持った人型をしており、半径三十メートル以内にいたヘリ四機があっという間に引き寄せられ、それが崩れ落ちるのと同時に砂の中へと引きずり込まれてしまった。その間、一分とかかっていない。
「『……!?』」
 敵味方、誰もが呆然と見つめる中で、無論施工主だけは当然のように、
「まあまあだな」
 ふむ、と呟いた。
「い、碇さんあれはっ!?」
 急き込むように訊いたトールに、
「知らんのか?古代エジプト神話では、知恵と真実に加えて時まで司る大変お忙しい神のトト神だ」
「そ、それは知ってますが…」
「打てる手を何も打たず、あの手間暇かかる小娘共を送り出す訳にもいくまい。もう少し敵が寄ってきてからでも良かったが、あのバクゥはミサイルを搭載しているからな。距離を置いて撃たれたら困るだろう?」
 まるで教師が生徒に教えるみたいな口調に、クルーはシンジが呟いた意味を知った。
「昨日来たやつか」
 とシンジは言い――
「アークエンジェルとストライクよりも、気になる物を見つけた敵が壊滅したのよ」
 と、マリューはそう言ったのだ。
「ヤマトはそのまま、左右にぶれぬよう前に進んで。迎撃は任せる。ステラはそこから南へ走れ。五キロ走ったら後は右へ直進。その先に敵の親玉がいるはずだ。妙に強い殺気がある。そいつの観察日誌を書いてくるように。フラガはガイアがウロウロしないよう、同行してくれ」
「『了解』」
 たちまち三機が散開し、ストライクとガイアが異なる方向へ進み始める。今日戻ってくる前に、シンジは敵艦の位置をおおよそ掴んでいた。正確に言えば、敵の親玉がいる箇所を、だ。
 仔細までは分からなかったが、この大地で殺気を満載した何かが身を潜めていながら、五精使いに知られぬように隠れるなど、根本から無理がある。やるならせめて、宇宙空間にするべきだったろう。
 ステラにあえて妙なルートを取らせたのは、まっすぐ敵艦へ進ませれば、察した敵が戦力を集中させる可能性があるからだ。ステラがやわかひけを取るとも思えないが――シンジの仕掛けた罠は十や二十ではない。囲まれた結果、ステラが罠に嵌っては本末転倒になる。
 あり得ぬ光景に度肝を抜かれはしたものの、敵は散開したし、何よりも残ったのは二本足のストライク一機なのだ。
「舐めた真似をしてくれるものだ。こちらはストライクだけで十分というつもりか?それならそれできっちり礼をしてくれる。しかしあの二機…どこへ行く気だ?」
 こちらを分散させたいのは見え見えだが、かたや二本足が一機、もう片方は四本足に戦闘機まで付いている。四本足の方が厄介だが、ストライクは火砲を持っている。何よりも、宇宙で仲間達を大量に葬ってくれたのはストライクなのだ。
 ヘリとバクゥが、一斉にストライクへ殺到する。キラがアグニで撃とうとするが、ちょこまかと動いているためなかなか当たらない。バクゥも近接戦闘は挑まずにミサイルを撃ち込んでくる。
 PS装甲があるのでダメージは受けないが、その装甲とて無限ではない。限りあるエネルギーが尽きれば、後はただの的なのだ。
 こんな時、少しも慌てる事無く平然と指示を出してくれる相方が、いるのといないのとではえらい違いである。宇宙での戦闘時、キラの心に不安をもたらすような事をシンジは一度も口にしなかった。
(シンジさん…)
 心に空白感を感じ取った瞬間、シンジの背に負われていたマリューの姿が脳裏に浮かぶ。
「…シンジさんの馬鹿ーっ!!」
 かっと目を見開いたキラの表情が一変した。その顔から怒りの色が消え、冷徹だけが支配する。
 撃ちまくっていたアグニを肩に担ぎ、すっと目を閉じる。シンジの時とは違い風は囁かず、大地もその耳目とはなってくれない。それでも瞑目したその表情は、無闇に撃っていたさっきよりは、幾分落ち着いて見える。
「キ、キラ?」
 急に動きを止めたストライクの様子は、無論艦橋からも確認されていた。
「ミリィ、キラは何してんだよ」
「さ、さあ…碇さ…あれ?」
 振り返ると、艦長席からシンジの姿は消えていた。
 
「悪くはない。が、気配だけで敵を悟れるほどに鍛錬を積んではいるまい。相変わらず――世話の焼ける娘(こ)だ」
 声がしたのは、艦外であった。
 
「エネルギーが切れるには早すぎる。或いは…もう諦めたか?」
 動きを止めたストライクを見て、ふっと笑ったバルトフェルドが首を振った。依然として他の二機は明後日の方向へ進んでいるのだ。両機が戻ってこない以上、異常が発生した訳でもあるまい。
「何をする気か知らんが、せいぜい頑張ってくれたまえ」
 的になってくれるなら好都合だと、ヘリが、バクゥが一斉に姿を見せる。馬鹿な奴だと嗤ってミサイルを撃ち込もうとした瞬間――パイロットの表情が凍り付いた。
「な、何だよこれはっ!?」
 不意に砂がうねったのだ。生き物のように動いたそれは、あっという間に十数メートルの高さまで盛り上がり、まるで砂で出来た壁のように敵の視界を遮った。それ自体は数秒と経たずに崩れたが、どこかの配線が二、三本切れた状態でやっと冷静さを取り戻したキラに取っては十分であった。
 度肝を抜かれ、動きの硬直したヘリを三機とバクゥを一機、まとめてアグニで撃ち抜いていく。
「い、今砂漠が…」「も、盛り上がらなかったか?」
 艦橋でクルー達が唖然とした顔を見合わせたところへ、
「今宵の砂漠はご機嫌と見える。日頃、運動不足なのだろうよ」
「碇さんっ!?」
 悠然と入ってきたシンジ本体よりも、その手にある剣に視線は吸い寄せられた。鞘に入ったままのそれが、シンジの手にあると妙に映えるのだ。
「い、碇さんたった今砂漠が盛り上がってっ…」
「あれ以上動かすと、全滅させてしまう可能性がある。一人で暴れねば、ストレスも晴れまい?」
(ま、まさか…)
 クルーの誰もが、頭では否定しても本能がシンジの関与を告げていた。即ち――あれは碇シンジの仕業だと。
 さっきのトキ頭と言いこの壁と言い、一体どこまで操れるのか。
「これで少しは落ち着いたろう。後はステラチームだがさて」
 キラの事など、もう忘れたようにスクリーンへ目を転じると、ガイアがちょうど向きを変えるところであった。
 そこへ、
「い、碇さん…」
「バジルール、どうかしたか?」
「あれだけアグニを撃っていては、ストライクもそろそろエネルギー切れの筈です」
「その通りだな」
「?」
 当然のように頷いたシンジに、危機感の欠片もない。
「ストライクを引き上げさせないと…」
「いや、その必要はない」
 首を振り、
「向こうから引き上げてもらおう」
「!?」
「MSやヘリは、地中から湧いてくるわけではあるまい。ステラの役目は敵母艦の位置とサイズの確認にある。既に直進コースだから…ハウ、ストライクのエネルギー残量は?」
「もう危険域に入りますっ」
「ふうむ…節約するか最後だから撃っておくか…」
 シンジが呑気に首を傾げている頃、
「隊長、例の二機の動向が判明しました。本艦への直進コースです。距離はおよそ十キロ!」
「…何だと」
 バルトフェルドは眉根を寄せていた。事態はさっぱり掴めないが、どうやら大地まで敵に味方しており、このままではストライクを墜とすのはほぼ不可能だと知ったバルトフェルドが、母艦からアークエンジェルを主砲で撃たせようとしたその矢先であった。
 勿論そうやすやすと沈むとは思えないが、四本足から二本足にも変形できるMSに加え、能力不明の戦闘機までもが一緒なのだ。それに、あのストライクはまもなくエネルギーが切れる筈だ。
 他のG四機よりも、バッテリーの量が異常に多いと言うことはあるまい。無論艦に逃げ帰られれば厄介だが、危機には時間差がある。何よりも、昨日の異様な砂嵐のせいで受けたダメージは決して少なくないのだ。
「撤退するぞ」
 バルトフェルドの決断は早かった。接近までまだ距離はあるし、今から戻れば留守居部隊とで挟撃できる。
「全軍に通達、レセップスへ全速力で戻れ。ここにはヘリを数機残してストライクを牽制すればいい。どのみち奴はもうエネルギーが切れる。レセップスからは全機出撃し、接近中の二機を迎撃しろと伝えろ!」
「はっ!」
 ヘリが二機ストライクの上空を旋回し、他のヘリとバクゥが一斉に引き上げていくのを見て、
「ほら、帰ったろう?指揮官が食中りでも起こしたのさ」
「は、はあ…」
 シンジの言葉に、ミリアリア達がくすっと笑い、ナタルは何とも言えない表情で頷いた。キラ達がさっさと飛び出し、敵がストライクに固執した事もあるが、ここまでアークエンジェルは一発も撃っていない。つまり、ナタルは暇で仕方がなかったのだ。無論悪いことではないが、裏を返せば――地上戦である限り、居てもいなくても同じと言うことになりかねない。
 脳裏にふっと浮かんだ嫌な予感を振り払い、
「し、しかし碇さ…いえ、艦長代理。理由はどうあれ敵は戻っていきました。このままだと、ガイアとスカイグラスパーが挟撃されることになります」
「敵艦の観察日誌を書いてくるのが二人の役目だ。攻撃などする必要はない」
「え?」
「位置と規模さえ分かれば後は――私がやる」
 敵艦を始末する、とシンジはとうとう口にしたのだ。
 だがその軍容さえ不明なのに、一体どうやって片付けるというのか?
 一方砂漠を驀進するステラとムウは、既に敵艦の存在に気づいていた。無論、その大まかな位置しか分からないが、異様な殺気を発しているガイアの様子がずっと気になっていた。パイロットが張り切る分には構わないが、
「ありゃどう見てもキレてるぜ…」
 すぐに行くから持ちこたえろ、ではなく敵を知ったら帰ってこいと言うのがシンジの指示だ。観察日誌を書いてついでに攻撃、とは一言も言われていない。いくらムウとて、この二機で敵艦を落とせると思うほど無謀ではない。
 さっきからステラに呼びかけてはいるのだが、全く応答がないのだ。本人が失神しているのに、機体が勝手に殺気を帯びている訳ではあるまい。とはいえ、自分だけさっさと帰るわけにも行かないから、内心では少々焦りながらも機体を飛ばしているところだ。
 そのステラはと言うと――。
「絶対…絶対沈めてやるっ」
 極めて危険な事を考えていた。
 墜とせるかどうか、ではなくて墜とす、と言う決定事項になってしまっており、危険で無謀な事この上ない。ただ、ガイアを全力で駆っていない辺りは、冷静さがまだ微かに残っている証拠だろう。言うまでもなく、走らせるだけでもエネルギーは消耗するのだ。
 そんな正反対の事を考えている二人だが、やがてその前方にぼんやりと敵艦が見えてきた。
「あれは…あれはレセップスか。んじゃ、敵は砂漠の…何だっけ?砂漠の何とかって言った筈だが…まあいいや。しかし、堂々と鎮座してるな。こちらの反撃なんか予想もしていないってか?」
 アンドリュー・バルトフェルドには砂漠の某というあだ名があったのだが、出てこない。ただし、位置の報告には無縁の事だしと、ムウはアークエンジェルへ打電の用意を始めた。
 ガイアの殺気は依然として、衰える様子がない。
 
 
 
「レセップス?誰か知ってる?」
 当然の事として、一番知らないのはシンジであり、ムウからの情報を受けてクルー達に訊いたのだが、皆一様に首を振った。
「まあいい。このアークエンジェル級までは想定済みだ」
「あの、艦長代理…」
「だから、ナチュラル風情の艦長代理になった記憶はないと言ったろう。二回も呼ぶなと言うに。何用だバジルール」
「し、失礼しました碇さん…。あの、想定済みというのは?」
「罠(トラップ)」
 短く答えたシンジが、チンと音を立てて僅かに抜いた刀を鞘に収めた直後――砂漠の温泉を守護していた、巨大な砂製のアヌビスが一斉に動き出した。しかも偵察部隊を壊滅させた砂嵐までもが、同時に動き出したのである。
 死の匂いを漂わせて進む先にあるのは――ザフト軍の母艦レセップス。
 その一方でキラに引き上げを命じ、ストライクが向きを変えた直後、好機とばかりに攻撃しようとしたヘリはその姿を消した。
 砂漠がまたも姿を変えたのだ。
「碇さんあれはっ?」
「うちのぬこだ」
「ぬ、ぬこ?」
「正確に言えばバステト神。楽器と盾までは手が回らなかった。セクメトとは違うから混同しないように」
(セクメト?バステト?うちのぬこ?)
 戦闘自体は決して苦戦ではなかったが、敵よりもむしろシンジの単語に脳内をかき回され、クルー達の疲労は通常の三倍に達していた。
 
 
 
「キサカの予想は半分外れたな」
 レセップスへ直進する二機の情報を受けて笑うカガリの表情は、どこか嬉しそうであった。
「まあ、アークエンジェルとストライクはどう見ても楽勝だったからな。あの機体位は危険な目に遭ってもらわないと、こっちとしても出番がない」
「だがカガリ、あのMSはこちらのデータにもない。ヘリオポリスに居た筈なのに、だ。どんな性能か分からんのだ、侮るなよ」
「キサカは心配性だな。どんなMSだったらたった一機でレセップスを墜とせると言うんだ。余分な心配してないでさっさと行こ…痛!」
「我らの目的は、あのアークエンジェルとストライクの実態を知る事にある。連中は宇宙で追っ手をあっさりあしらい、先日は明らかに奇妙な砂嵐に巻き込まれ、ザフトの部隊が壊滅している。それだけは忘れるな」
「分かったよ。もうキサカはうるさいんだから」
 アークエンジェルが苦戦するようなら横から助けに入り、恩を売っておこうという作戦だったが、キサカの読み通り――どころかアークエンジェルは一発も撃っていない――ザフトは敗退した。
 だが、レセップスにMSと戦闘機がたった二機で向かっていると知り、急遽そちらへ行くことにしたのだ。宇宙でクルーゼ隊に追われながら、殆ど無傷で降下してくるような連中相手には、恩を売ってから近づくのが得策である。
 がしかし。
「動いただと!?」
 ザフトの部隊が飲み込まれ、自分たちも危険だと判断した為近づかなかった砂嵐が、移動を開始したと言う。
「キサカ、どうしたんだ?」
「例の砂嵐が一斉に動いたらしい。しかもレセップスへ向かって直進中との事だ」
「な、何だと…」
 このまま行けば、ほぼ間違いなく巻き込まれる事になる。好機到来と、勇んで車を走らせていたテロ集団だが、もたらされたその情報に皆の顔から血の気が引いた。
 テロ集団のくせに小心者ばかりが揃っているらしい。
 そんな彼らをせっつくように、深夜の砂漠を一陣の風が吹き抜けた。
 
 
 
 
 
(第四十七話 了)

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