妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第四十五話:あなたの想いに…行きたいと望む場所にこれは不要ですか?
 
 
 
 
 
「温泉を掘るから」
 と、最初シンジに言われた時、マリューはネタだろうと思っていた。スカイグラスパーで発進した時も未だ半信半疑だったが、
「着替えとバスタオルを持ってきて。それと、一緒に入る?」
「っ!」
 顔が勝手に赤くなってから、どうやら本気らしいと知った。
「私の着替えは持ったけど…シンジ君の分はいいわよね。部屋へ勝手に入っちゃ悪いし」
 これがシンジなら、頼んだのは姉御だが?と勝手に入り込んで盛大に漁るだろう。その辺は、悪の薫陶値の違いが出ている。
(でも一緒にって…そ、それってっ…!)
 艦内を歩きながら、その表情は赤らんでおり、しかも淫らな色が混ざっているのだ。シンジの下着を持ってはいなかったが、結構怪しい。
 とそこへ、
「マリュー様」
 鈴を振るような声がして、その足がびくっと止まった。
「ミ、ミーアさん…ど、どうかしたの?」
「いえ、マリュー様が随分と楽しそうに見えましたので、つい声を掛けてしまいましたの。どちらへ行かれるのですか?」
「あ、あのこれは…そう、シャワーよシャワー。ちょっと汗かいちゃったからシャワーを浴びようと思ってっ」
「では、私もご一緒してよろしいですか?」
「…へ?」
 まさかいきなりそう来るとは思わなかった。シンジのおかげで艦内を自由に歩き回っているミーアだが、艦長の自分と、それも一緒にシャワーとは何を考えているのか。
「だってマリュー様、向こうから来られたでしょう。シャワールームは向こうですわ。それにそのバスタオルは、一人でお使いになるには多すぎる量ですわ?」
 格納庫へ向かっていたのだが、バッグが小さかったのでバスタオルだけ手に持っていたのだ。二人分という事もあり、四枚持っていたのが失敗だった。
「え、えーと…こ、今度一緒にね?きょ、今日はほら、雀の行水だから」
 何とかやり過ごそうとしたマリューだが、
「碇様の所へ行かれるのではないのですね?」
「!」
 冷やかしたり馬鹿にする口調ではなく、至極当然のような物言いであった。
「シ、シンジ君に何か聞いたのかしら?」
「いいえ?ただ、そろそろお風呂に入りたいと言っておられましたし、あの方なら不可能な事でも微妙に実現されてしまわれそうですから」
 キラ達の事はともかく、アークエンジェルがここまでほぼ無傷で来ている事は、ミーアの言葉が事実だと裏付けている。
 確かに口調だけ聞けば裏は無いようだが、だからと言って全面的に信用できる訳ではない。軍人ではないが、一応敵方なのだ。
「それで、もしも私がシンジ君の所へ行くのだとして、何故そんな事を訊くの。ミーアさんには直接関わりの無い事でしょう?」
 我ながら少し意地の悪い言い方だとも思ったが、ミーアは顔色を変えるどころか、うっすらと笑ったのだ。マリューの方が、一瞬ムッと来た位だ。
「無い、と思ったらお訊ねしませんわ。もしも碇様がこの艦から降りてしまわれたら、私はまた人質にされて、艦橋へ逆さに吊されてしまうかもしれないでしょう?」
 ミーアがラクスの影武者で偽者、と言う事は艦内で知らぬ者はいないが、だからと言ってミーアを降ろせとか閉じこめておけとか、表だって言う者はいない。それが自分の死刑執行令状へサインするのと同義だと知っているからだ。シンジの去就は自分の処遇に直結すると、ミーアは言い切ったのである。
「ごめんなさい。でも、貴女を人質にさせる事は二度と私がさせないわ。私の…マリュー・ラミアスの名に賭けても」
 すぐ後ろに味方がいてそこへ逃げ込めるとか、一時的に敵を遠ざけて態勢を建て直せば勝てるとか、そう言う状況でなければ人質策というのはあまり意味がない。何よりも、シンジが言ったとおり小娘を人質にしてまでも逃げる連中、と言う目で見られる事は避けられないのだ。
 仮にシンジがいなくともマリューは、自分が艦長でいる間はミーアを人質にさせる気は無かった。それがシンジの意志であっても最終的に決定したのは自分だし、艦での出来事は最終的に艦長へその全てが降りかかってくる。
「ありがとうございます。でもその事は別としても、マリュー様と碇様が上手く行っておられる方が、この艦の為になりますわ。碇様の事はお嫌いですか?」
 マリューは既に、このミーアがラクス程楽な人生を送ってきていない、と気付いていた。全身の雰囲気も目の光も、苦労知らずで来たラクスとは異なっているのだ。その双眸が、まるで見透かすようにじっと見つめてくる。
 とうとうマリューが折れた。
「べ、別にシンジ君の事は嫌いじゃないわ。本当ならパニックに陥っていてもおかしくないのによく艦を守ってくれて、信頼してるわ」
「へリオポリスで碇様と会った方達も同じ事を言われると思いますわ。サイさんやトールさんも」
 その程度の感情なのかと、突っ込んでいるのだ。
(な、何でそこまで突っ込まれなくちゃならないの…っ)
 だが、依然としてミーアの視線はねっとりと絡みついてくる。マリューは、自分が蛇に睨まれた蛙状態になりつつあると感じ取っていた。それなのに、視線が外せない。
「わ、分かったわよっ、でも…他の人には絶対に内緒よっ」
「わかっていますわ」
 赤と青と白の間を微妙に顔色が行き来するマリューと、微笑んだまま表情が変わらぬミーアでは、どっちが立場が上で年上なのか分からない。どこか口惜しそうな色を残したままマリューが、ミーアの耳元に早口で囁く。
「よく言えました」
「…えっ?」
 不意にミーアの雰囲気が変わった。その笑みが妖しい物に変わり、
「ちゃんと言えたご褒美に、このミーア様が応援してあげるわ」
「あ、貴女一体…」
 シンジに勝るとも劣らぬ変貌ぶりに、呆然とその顔を見つめたマリューだが、
「でもその前に――そこ!」
 ミーアの手から、目にも止まらぬ早さで何かが飛んだ次の瞬間、あっと言う事が上がった。
「!?」
 ミーアがつかつかと歩いていく。顔に?マークを浮かべてその後に続いたマリューが、びっくりして立ち止まった。壁に袖を縫いつけられていたのは、何とナタルだったのだ。
「盗み聞き、とは良い趣味ね。さすがバジルール中尉」
 ミーアは冷ややかに笑ったが、マリューはそれどころではない。さっきからの会話を聞かれていたかと思うと、羞恥と怒りでその顔がみるみる染まっていく。
「…どういう事かしらナタル。事と次第に依っては…っ」
 握りしめた手は怒りで僅かに震えていたが、ナタルは舌打ちしてナイフを引き抜き、
「良い度胸だな、ミーア・キャンベル。自分が何をしているか分かっているのか」
 ミーアを睨みつけてから、
「ラクス・クラインであろうとミーア・キャンベルであろうと、敵方の者には変わりありません。艦長が妙に急いでおられるので何事かと思ったのですが――思いも寄らぬ場面に出くわして動けなかっただけです。なかなかに熱い場面でした」
 その口調には明らかに嫌味と皮肉が混ざっている。危険な表情になったマリューが一歩踏みだし、ナタルも身構える。
 一触即発の空気が流れたが、
「マリュー様は少し血の気が多すぎですわ。碇様に献血を勧められてしまいますわよ」
 にこっと笑ったミーアがあっさりと割って入った次の瞬間、ポケットから何かを取り出して口に含み、ナタルを掴んで引き寄せていた。
「!?」
 しかも、むちゅーっといきなり口づけしたのである。一瞬眼を白黒させたナタルが我に返り、突き飛ばそうとするがミーアはびくともしない。それどころか、その手が軍服に滑り込むとどこをどう弄ったのか、ナタルの身体はふにゃふにゃと弛緩したのだ。
(す、すごい、あんな一瞬で…し、舌入ってるのっ!?)
 見るとナタルの目許は染まっている。明らかにミーアの舌がその口腔内を蹂躙しており、静かな艦内に唾液をかき回す淫らな舌の音が響く。自分でも顔が熱くなってきたのを感じたマリューだが、こくんとナタルが嚥下するのを確認すると、ミーアはあっさりと離してしまった。糸の切れた人形みたいに、ナタルが壁に寄りかかる。
「あ、あのミーアさん…」
 おそるおそる声を掛けたマリューに、
「即効性よ。すぐに効いてくるわ」
「え?」「ふあぁっ!?」
 奇妙な台詞に聞き返した途端、それを打ち消すかのような声を上げて、ナタルがぺたんと座り込んだ。表情は異様な程に紅潮しており、その両手はもじもじと股間をおさえている。吐息も荒くなっており、時折耐えかねたかのように吐き出す息に、欲情が混ざっているのは明らかだ。
「な、何をしたの?」
「媚薬を飲ませたの。プラント製だから、ナチュラルにはよく効くわ。私とマリューさんに逆らったお仕置き。私でも半分しか使わないこれを、ナチュラルが一錠飲んだらどうなるかしらね」
 そんなミーアの声も届いていないのか、ナタルはしきりに身をくねらせながら何とか股間を押さえていたが、とうとうその手が胸に伸びた。軍服を引きちぎるようにして脱ぎ捨てると、ブラだけでは抑えられなかった乳首が、シャツ越しにぷっくりと浮き出している。
「はあんっ、あぁっ、気持ちいイッ…!」
 躊躇なく乳房を揉みしだき、それも形を変える位に文字通り鷲掴みにしているナタルを、マリューは呆然と見つめていた。
「マリューさん」
「えっ、な、何っ?」
「この人、処女みたいね」
「えっ!?」
「しかもろくにオナニーも知らないみたい。ほら、おっぱいとあそこが疼くからぎゅっと揉んでるだけでしょ。達者なのは口先と軍事の知識だけだったのね」
(オ、オナニーって…)
 ミーアの口から、ごく自然に出てきた単語に、マリューの方が赤くなった。マリューさんはやり方をご存じでしょう?と言われたらどうしようかと思ったのだが、さすがにそんな事は訊かれず、
「そろそろね」
 静かにミーアが呟くのと、ナタルが股間へ手を伸ばすのとがほぼ同時であった。既にショーツも愛液まみれになっていると見えて、ぐしゅぐしゅと淫らな音がナタルの股間から聞こえてくる。その手にねっとりと愛液が絡みついているのを見て、思わず顔を背けかけたマリューだが、ふとその顔が止まった。
「ミーア、ナタルの顔…」
「ええ、痛いでしょうね」
 乳房を揉み、下着越しとはいえ性器に手を伸ばしているのに、ナタルの顔にはどこか苦痛の色がある。怪訝な顔のマリューとは対照的に、ミーアは当然と言わんばかりに頷き、
「やり方を知らない、と言ったでしょう?疼くからって指を突っ込めばいいってものじゃないし、まして爪など立てては痛いだけ。今はまだ完全に暴走していないから、表情に苦痛の色がある。でもその痛みさえも間もなく苦痛に変わるわ。保って二分、と言う所かしら」
 その顔に、欲情の色もつられた様子も微塵もなく、まるで珍獣の実験反応を見る狂科学者(マッドサイエンティスト)の風情であった。
「生意気でお堅い軍人さんのセルフ破瓜を、ゆっくりと見せてもらうわ」
「お、お墓?」
 くるりとミーアは振り向き――くすっと笑った。
「破瓜、ですわマリュー様。性の事なんて全然興味が無いような顔をしているのに、ちょっと薬を飲んだだけであんなにえっちなオナニーをしてるバジルール中尉が、自分の指で処女を無くす所なんて滅多に見られませんわ」
「ミーア…」
 笑うその顔は一見無邪気に見える。まるで、加減を知らない子供が生き物の苦しむ様を見るかのようだ。
 だが違う、とマリューの本能は告げていた。キラやステラとは根本的に違う異質の存在――即ちシンジにより近い存在だと。
 反射的にマリューはその肩を掴んでいた。
「はい?」
「あ、あの…」
「許してあげて、と言う事以外なら何でも聞いてさしあげますわ?」
「っ…」
 完全に読まれていた。
 確かに小憎らしいと思う事はよくあるし、さっきだってミーアがいなかったら、ほぼ間違いなく取っ組み合いになっていただろう。
 だがマリューは、薬で理性を喪わされかけているナタルが、このまま自分の純潔に傷を付けるのを、黙って見ている事は出来なかった。実際に膜がある訳じゃないし指を突っ込んだところで問題ない、と言ってしまえばそれまでだし、そもそもナタルとはどちらかと言えば補佐し合うと言うよりライバル関係に近い。
 それでも黙って看過できない――それがマリュー・ラミアスと言う女であり、地球軍を敬遠どころか軽蔑している碇シンジが、未だこの艦に残って守っている大きな理由でもある。
「ミーア、お願いよ。ナタルを戻してあげて」
「……」
 何とも言えない表情(かお)でマリューを見つめたミーアだが、やれやれと言うように肩をすくめた。
「問題は――だから甘いというのだ姉御は、と」
「え?」
「碇さんが言ってくれる可能性がかなり低い事。あの方の想われ人のお願いでは、断れないわね」
「お、想われ人って…っ」
「違うの?」
「…ち、違わないけどその…」
 指先を絡めて、何やらもにょもにょと呟いているマリューに、
「でもあなたがそう言う性格だから、碇さんと仲良しなのね」
 追い打ちをかけてその顔を真っ赤に染めてから、もう一度ポケットから丸薬を取り出し、今にもびしょ濡れのショーツを引き千切りそうなナタルの髪を掴み、くいと上を向かせた。唇を重ねて薬を押し込み、ナタルの口内を舌でかき回すとたちまち唾液が溜まってきた。
 ナタルの目に正常な光が戻り、その身体が倒れ込むまでに十秒と掛かっていない。堕とすのも戻すのも、文字通り即効性らしい。
「ナタルっ」
 慌てて抱き起こそうとしたマリューに、
「今起こしたら本当に壊れてしまいますわ。無理矢理元に戻しましたから。医務室で暫く寝かせておいて下さい。一晩寝れば治りますから」
「え、ええ分かったわ。ミーアさん、ありがと」
「いいえ」
 ミーアはふふっと笑って、
「さて、これをマリュー様に差し上げますわ」
 手に丸薬を乗せて差し出した途端、マリューの顔が引きつる。
「だ、大丈夫っ、わ、私はその…ナ、ナタルみたいに純情じゃないからっ」
 勢いよく手を振るマリューを、ミーアがめっと睨んだ。
「もう、マリュー様は私の言った事を聞いておられなかったのですね」
「え…?」
「コーディネーターでもないのに一錠を、と言ったでしょう?人にもよるけれど、マリュー様ならそうですわね…」
 大きく突きだした胸元をまじまじと眺められ、思わずマリューは手で押さえた。
「四分の一を飲めば、効果が期待できますわ」
「効果?」
 この艦の艦長になってからはしていないが、自慰も知らぬ身ではないし、どのくらいで自分が達するのかも分かっている。そもそも、マリューは不感症ではない。
「お知りになりたい?」
 ミーアは悪戯っぽく笑って訊いた。濡れるとか感じやすくなるとか、そんな事ならさっき、生きた被験者で効果を確認済みだ。
 同じ事は言うまい。
 ちょっと考えてから、マリューはええと頷いた。
「あのね…」
「なに?」
「おっぱいからミルクが出るようになりますの。それも甘くて美味しいミルクですわ」
「…ミルク?」
 怪訝な表情で首を傾げた数秒後、その表情がみるみる変化した。
「お、おっぱいからミルクってっ…ちょっ…待っ、そんなっ…や、やらしっ」
 両頬に手を当てて、赤くなったりちょっと青くなったりしながら、まるで小娘みたいにふるふると首を振っていたが、
「マリュー様の想いに、行きたいと望む場所にこれは不要ですか?」
「要るっ!」
 手首をきゅっと捕まれ、ミーアは笑ってはいと頷いた。
「適量なら、解除用のお薬は必要ありません。それとこちらは避妊薬、ピルよりもずっと効果がある上に副作用はないから安心ですわ。やっぱり――」
 マリューの耳元に口を寄せ、
「膣(なか)で生が一番気持ちいいでしょう?」
「!!」
 その笑みは綺麗だが、すぐ下は小悪魔そのもののミーアに好きなように弄られ、もう赤くなったままその顔色は戻らない。
「楽しむ時は思いっきり楽しんで、でも準備はしないといけませんわ。そうでしょう?」
「そ、そうね…」
 相槌をうつのが精一杯のマリューだが、
「でもミーアさん、どうしてここまでしてくれるの?」
「お二人が上手く行っている方が、私にとっても都合が良いからです。それと、私を閉じこめたり虜囚扱いされなかったマリュー様に、ミーア・キャンベルからのお礼ですわ」
「あ、ありがと…」
 ただマリュー自身、シンジがいなかったらここまでミーアを自由にさせていたか、は正直分からない。保護する事は保護していただろうが、軟禁状態にしていたかもしれないのだ。
(どれもこれも、シンジ君のおかげね…)
 脳裏に浮かんだシンジの顔は――砂漠で月を見上げて微笑っていた。
「マリュー様」
「なに?」
「ちょっと、お耳を貸して下さいませ」
 言われるまま顔を寄せたマリューの頬で、ちうと音がした。
 そしてもう片側でも。
「ミ、ミーアさんっ!?」
「お呪い、ですわ。碇様と、上手く行くとよろしいですわね。さ、後は私が片づけておきますから、マリュー様は碇様の所へ」
「…じゃ、お願いね」
「はい」
 マリューが、思い出したように早足で去って行くのを見送ってから、ミーアはパキッと指を鳴らした。浮かび出た赤ハロがパカッと割れて、中から通信機が出てくる。
「ミーアです。荷物が出ましたので運んで頂けます?ええ、重たいのでキャリーをお願いしますね」
 通信を切ってナタルを見下ろした視線は、マリューの頬に柔く口づけした時からは、想像もできない程に冷ややかなものであった。
 
 
 
 
 
――プラント――
 ラウ・ル・クルーゼは、知己の家を訪ねていた。
 タリア・グラディス――パトリックが極秘に企んでいる計画の中で、建造予定の戦艦ミネルバの艦長候補として、名前の挙がっていた将校である。
「お断りよ」
 話を聞いたタリアの第一声はそれであった。なおクルーゼは、それがパトリックの思案である事は告げていない。
「私はまだ実戦経験はないし、無論艦を指揮した事だってないわ。しかもどうしてそんな新型戦艦の艦長なの」
「タリア、これは国防委員長のお考えなのだよ」
「ザラ委員長が?どういう事?」
「これは私の想像なのだがね…ああ、コーヒーをもらおうか」
「…分かったわよ」
 タリアが立っていくと、クルーゼはソファに腰を深く沈めた。タリアは一度、プラントの婚姻統制で恋人と別れている。と言うより別れざるを得なくなったのだが、その後まだ子供は出来ていない。
 付き合っている相手は居るらしいが、その気が無いのか或いは他に問題があるのか。
「砂糖は三つだったわよね」
「うむ」
 カップを置いて、
「それでクルーゼ、あなたの想像が何ですって?」
「君も知っているとおり、プラントは別に地球を手中に入れようとは思っていない。地球と上手くやって行ければいいと思っている。だから早いところ戦争を終わらせて和睦しよう――というのがクライン議長を始め、和平派の考えだ。だが地球側は違う。コーディネーターを滅ぼすべし、と主張するブルーコスモスが人々を操り、またその考えはかなり浸透している。一方プラントには、ナチュラルを滅ぼすべしとまで思っている者は殆どいない。これでは和平など到底無理な話だ。しかも地球軍がモビルスーツの建造に励んでいる事も判明した」
「分かり切った事を私に聞かせる為に来たの?」
「まだ続きがあるのだ、聞きたまえ。既に膠着中の戦局だが、議会は必ず主戦へと傾く。向こうがこちらを討ちたいところに、こちらから隷属の意志を示してわざわざ討たれに行くのは愚かな話だからな。ザラ委員長は、既にそれを見通しておられるのだよ」
「そこまでは分かったわ。それで、その事と指揮経験ゼロの私が艦長候補になるのと、どういう関係が」
「私が推した」
 ぴく、とタリアの口元が動いた。額にうねった青筋を理性の力で押さえ込み、
「…どういう事かしら」
 その時まで、どこか笑っているような表情だったクルーゼが、急に真顔になった。
「タリア、ここから先は他言無用に願いたい」
「分かってるわ」
「第八艦隊が、アークエンジェルとストライクを地上に落とし、その代償として全滅したのは既に知っているだろうが、あれはハルバートンが選択を誤ってくれたのだ」
「“くれた”?」
「ジンは、文字通りストライク一機相手に壊滅の憂き目に遭い、アスラン達ももう少しで、枕を並べて討ち死にするところだった。ハルバートンがあのストライクを純粋に信頼していたら、こちらが全滅し、その後でアークエンジェルは悠々と地上に降りていただろう。何を血迷ったのか、自分達を盾にして先に下ろしてくれたから、第八艦隊だけでも殲滅する事が出来たのだ」
「ストライク一機に…」
「そしてこれはある筋から入った情報だが、ストライクのパイロットはコーディネーターの少女で、アークエンジェルの艦長は女だそうだ。そしてパイロットは素人らしい」
「何ですって!?」
 初めて、タリアの表情が激しく揺れた。てっきり地球軍所属のナチュラルが操縦していたと思っていたし、ナチュラル仕様のOSで動かしている機体を相手に手こずるのね、とは思っていたが、まさか軍人でもないコーディネーターの少女が操縦しているとは。しかもザフトの精鋭とジン数十機に猛追を掛けられながら、ジンを壊滅させ、赤服隊まで追い込んだストライクを擁する新型艦の艦長は女だという。
 クルーゼの言った情報源とは、無論囚われて帰されたニコルの事だが、その事は言わなかった。アスランのイージスが腕を落とされた、までは良いとしても、イザークとニコルが囚われて、しかもニコルはラクスと共に武装したブリッツで返された事は厳重に箝口令が敷かれており、それを知るのはごく一部しかいない。無論、パトリックの意向も働いている事は言うまでもない。
「それで女艦長同士、私に討てと?」
「そこまでは期待していない」
「……」
 クルーゼは至極あっさりと言ってのけた。
「あのハマーンでさえ、遂に討てなかった相手だぞ。異世界人を侮ってはいかん」
「い、異世界人?」
「ああ、まだ話していなかったな」
 MSに同乗し、あまつさえその能力すら上げるという異世界人の事を、クルーゼはタリアに話して聞かせた。半信半疑だったタリアだが、アスランがへリオポリスで囚われ、赤服隊のメンバーもその姿を眼にしたと言われては、完全ではないながらも信じざるをえない。
「道理で…墜ちない訳ね…」
「そうだ。理由ははっきりしている。異世界人と組んだ場合、異様な強さを発揮するそのコーディネーターの娘と、間違いなくOSを改造してあるであろうストライクだ。と言うよりも、異世界人さえ除いてしまえば、おそらくストライクも恐るるに足りん」
「そうね」
 見た者がおり、また同型機四機とジン数十機がありながら、壊滅寸前まで追い込まれたと聞かされてなお、その存在と能力に疑問を唱えない程には、タリアの思考は柔軟であった。
「ストライクは一度、墜とす寸前まで行っている。あの時、ストライクには全くと言っていい程オーラがなかったのだ。奴が乗った機体にはオーラがある。謂わばハマーンと同じタイプだな。君も一度目にすれば分かるだろう」
 文字通り、間一髪で救援が来なければ、少なくともストライクは討てていた。ストライクから異世界人を除けば、とクルーゼが言ったのは、誇張ではなく本心だ。
「なお、君が候補に選ばれた理由は他に人材がいなかったからだ。将来を嘱望された女性士官の、な」
 他に人が居ないから、とは随分分かり易い理由だが、なぜそこまで女性艦長にこだわるのか。
「何故女性艦長を選ぶのか、と言う顔だな。一言で言えば運だよ」
「う、運っ!?」
 よりによって運と来た。
「考えてみるがいい。今まで、連合もプラントも最新鋭の戦艦に女性を艦長として任じた事は無かった。あのアークエンジェルは、G5機を搭載可能な地球軍の新型艦だ。そこへ、前例を破って女艦長を任じたと言う事はあるまい。だがあのアークエンジェルの艦長は女性だ。多分我々がヘリオポリスを襲撃した際に、Gの正式なパイロットもあの艦の艦長も死んだのだ。だからたまたま居合わせた女性士官が艦長になり、コーディネーターの少女がパイロットになる事も出来たのだ。ただし、おそらくは整備兵だろうがね」
「…整備兵?なぜそんな者が艦長に」
「ヘリオポリスで、応戦していた女の整備兵が、Gに乗り込む所をアスランが目撃しているのだ。艦長は居合わせた女整備兵で、虎の子のMSはコーディネーターが操縦、その上異世界人が同乗しているという適当にも程がある現状だ。だが我々はその艦にダメージを与える事すら出来ず、地上へ逃げられてしまった。敵である筈のコーディネーターと、正体不明の異世界人にMSをあっさり任せている辺り、相当な胆力と度量の持ち主である事は分かる。そしてコーディネーターと異世界人も、十分すぎるほどそれに応えてきた。あれで本来の艦長ならばまず任せまい。そして今頃は我々の手に落ちているか、あるいは撃沈されているだろう。襲撃があった時、運良くGのある場所に居合わせた事で一機を確保、そして艦長が死んだ事で偶然艦長となった。更に異世界人と遭遇してこれと意気投合、信用してMSを任せた結果が大当たりし、そして今に至るのだ」
「……」
 クルーゼの言葉でやっと分かった。
 アークエンジェルの女艦長がどういう人物か、タリアは知る由も無いが、並外れた度量の持ち主だというのは分かる。おそらくほぼ初対面であろう異世界人とコーディネーターに、虎の子のMSを任せられるかと訊かれれば、きっと自分には出来ないだろうと、タリアは思った。
 ただ、その女艦長の度量だけで上手く行く訳ではない。Gが無ければそもそも話にならないし、いくら度量があっても一整備兵の立場ではその運用に口も出せまい。
「女性という存在は、男と比べて腕力や大局を見通す能力では劣っても、繊細さや或いは危機を切り抜ける能力、いわば直感力では男を上回る。地球軍がいかに間抜けでも、このままアークエンジェルがアラスカへ着いてしまえば、艦長から整備兵に落としはするまい。万一コーディネーターの娘や異世界人まで一緒に来れば、我々に取って非常に厄介な相手になる。無論そこまでに墜とせればいいが、ザラ委員長はそれが出来ない場合の事も考えておられるのだ。科学的に証明出来ないものに頼るなど、と笑われるかもしれないが、我々の前にその証明出来ないものが立ちはだかっているのもまた事実なのだ。かと言って、切羽詰まった状況でもないのに、新型艦の艦長の任命に地球軍を見習う訳にはいかないからな。そんな事をすればクルー達が付いてこない可能性がある」
「つまり、私にあるかもしれない運を期待して重用し、その女艦長に対抗しようって言う訳ね」
「それ“も”ある。それがすべてではない。艦の建造にはもう暫く時間が掛かる。それまでにアークエンジェルを撃破した場合、君が用済みになる訳ではない。例えそうなったとしても、君が艦長になるのはほぼ確定だよ。本来ならば宇宙で、いやヘリオポリスで沈んでいるべき艦であり、また拿捕されているべき機体なのだから」
 言うべき事は伝えた、と言うように、クルーゼはコーヒーに琥珀色を作る事に没頭し始めた。微妙なバランスでクリームを入れて混ぜる。多すぎても少なすぎても上手く行かない。少なければ足せばいいのだが、間違えて足す事をクルーゼは好まない。
 そんな仮面を他所に、タリアは考えていた。
 アークエンジェルの艦長は、なぜ異世界人とコーディネーターに、いきなり任せる気になったのか。いかにオーブ所属のヘリオポリスとは言え、地球軍がMSを造っている所で自分がコーディネーターです、と言いはすまい。しかも異世界人が加わっているという。
 何故彼らを信頼したのか。そして信頼された方は、どうして全力で応える気になったのか。その気になれば、こちらへ来る事も出来たろう。何しろコーディネーターと異世界人なのだから。
 この時タリアは、ザフト兵がシンジを銃撃したせいで、強力な敵に回られた事を知らなかった。
 クルーゼの言う女の直感なのか、それとも何か根拠があってそうしたのか、タリアはその女艦長に訊いてみたくなった。
 無論アークエンジェルは敵である。ならば捕らえればいい。
「クルーゼ」
 不意にタリアが振り向いた。
「何かね?」
「ザラ委員長の計画に変更が無ければ――私を使う気が変わらなければ、の事だけど、さっきの話お受けするわ」
「君ならきっと、そう言ってくれると思っていたよ。ああ、それと」
「何?」
「さっきの話は、まだ公にはなっていないのだ。ただ、ストライク一機に振り回される現状を打破せねばならぬと、ザラ委員長からちらっと洩らされただけでね。内容は私が勝手に見ただけだ。くれぐれも内密に頼む」
「…そこまで極秘の情報を勝手に持ってきたの?あきれた人ね。まあいいわ、出所がどうであれ、それが任務なら私は最善を尽くす。向こうの女艦長も運はいい女(ひと)みたいだけど…私もこれで運の強い女なのよ」
(必ず、私が捕らえてあげるわ。幸運の女神に微笑まれた女艦長は…一人で十分よ)
 刹那、強い視線で宙を見上げたタリアの脳裏には、未だ見ぬアークエンジェルの艦長がぼんやりと映っていた。
(結果的には上手く行った。しかし、何が彼女をその気にさせたのだ?)
 断る、から応諾になり、今は明らかにやる気になっている。結構な事ではあるが、自分のどの言葉が、短時間でタリアをこうまで変えたのかと、琥珀色に変わったカップの中身を見ながら、クルーゼは今の会話をもう一度反芻し始めた。
 
 
 
 
 
 タリアが未だ見ぬマリューをライバル認定している時――マリューはシンジと混浴中であった。
 しかも二人きりである。 
「くしゅっ!?」
 湯の中で三度続けてくしゃみをしたマリューに、
「風邪でも引いた?」
 シンジが少し気遣わしげに訊いた。服を脱いですぐに入ったから、湯冷めしている可能性はないが、風邪など引かれたら困る。
「ううん、大丈夫よ。きっと、誰かが噂でもしてるのね」
 まだ正面から向き合えず、ちょっと身体をずらしているマリューが微笑ったが、遠く離れたプラントで、見知らぬ相手からライバル意識を持たれたとは、夢にも思わなかった。
「そうそう忘れていたわ。シンジ君、はいこれ」
 マリューが取り出したのは、丸薬であった。その動作はちょっと、わざとらしかったかも知れない。
「何これ?」
「薬よ、ミーアさんにもらったの。その…くっ、口移しで飲ませてほしいな…なんて…」
「ハン?いや口移しはいいけど…」
 シンジから見れば怪しすぎる。警戒するのは当然だろう。
「怪しい薬じゃないのよ。あ、あのね…」
 ちょっと躊躇ってから、
「ひ、避妊薬なんですってっ」
 顔を赤くして、やや早口で囁いた。
「ほう、なるほど…そう言う事なら」
 と、シンジもまたあっさりと頷く。体面より実利と言うだけあって、効果重視の行動を取る事に禁忌(タブー)は無いらしい。
 
 
   
 
 
(第四十五話 了)

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