妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第四十四話:第一級危険地帯――シンジ掘削中
 
 
 
 
 
 シンジとマリューは一緒のベッドに寝ていたが、起きたのはマリューの方が早かった。
「ん?」
 自分とシンジの距離を見る。明らかに、ごろごろ転がって離れた風情ではない。
「もうっ…」
 小さく口元を尖らせたマリューだが、シンジを見つめるその表情が切なげなものへと変わった。本来ならこの世界の住人ではなく、帰る方法を検索してやらねばならないのに、元の世界へ帰る方法どころか、軽蔑する地球軍の為に命懸けで戦ってもらっているのが現状である。
 実際の所は命懸け、と言うより余裕気味ではあるが、それはシンジの能力の問題であって本質とは関係ない。しかも、キラのおかげで敵を討たない、と言う鎖まで背負っているのだ。
 それでもシンジは、弱さを見せる事も置かれた境遇に不満を言う事も無くここまで来た。シンジの場合は落ち込むと言う事がかなり少ないらしい、という事は分かったが、だからと言って神でもなければ天使でもないのだ。
 それに、一度は始末されかけたものの、その後はずっと自分を立ててくれている。
 艦長だから、ではあるまい。相手の地位はシンジに取って何の意味も持っていない、とここまでの行動が示している。相手の立場で接し方を変えるなら、マリューより更に高位にあるハルバートンが、いきなり簀巻きにされた理由をどう説明するのか。
「ちょ、ちょっとだけ…か、勘違いしちゃうかもよ…」
 下着姿のマリューが、そっとシンジに顔を近づけていく。その唇が、シンジの口元へ触れようとその瞬間、シンジの目がぱちっと開いた。
「!?」
「マリュー、おはよう」
 うっすらと微笑ったシンジが、マリューの首に手を回す。
「良い夢を――ではなく夢を見なかった。したがって口直し」
 どう繋がるのかは不明だが、マリューの柔らかな唇が甘く啄まれた。明らかに手慣れているのだが、マリューは抗えない。自分もその気だった、と言う事に加えてシンジが上手なのだ。欲情はまったく感じさせないくせに、いつのまにか自分から唇を重ねて行っている。
 どこで逆転したのかさっぱり分からない。
「さ、さっきから…起きていたの?」
「人が動いても気付かない位眠りこける状態からは脱した、という所。そんなに眠りが深い方じゃないんだ」
 フェンリルの毛皮もないしシビウの危険な乳房に包まれてもいない。
 そもそも異世界である。
 ただ、それをストレートに口に出す程、シンジは間抜けではない。
「この辺りは、ザフトの勢力圏だったね?」
「え、ええ。でも大丈夫よ、すぐに動かなくても宇宙(そら)で補給は十分できたし、ガイアも使えるから」
 そんな事はそもそも気にしていなかったのだが、
「ザフトの連中は、もうこの艦を見つけていると思う?」
「それは…分からないわ」
 マリューは首を振った。正直に言えば、六割位の可能性で見つかっていると思うのだが、シンジのしたいようにさせたいという思いがある。ナタルだったら、私情で艦を危機に陥らせる気なのかと言うだろうが、文字通りここまで艦を守ってくれたシンジには、ある程度危険を覚悟でも報いたい。
「おそらく見つかってはいると思う」
「シンジ君?」
「連携がどうなってるかは知らないが、宇宙でこっちを取り逃がした連中が、地上の仲間に一切伝えないと言う事はあるまい。ある程度絞り込めれば、この大きさだし探すのもそんなに難しくない筈だ」
「でも、敵影の情報はまだ無いわよ?」
「向こうにはハマーンがいる。降りてきてはいないだろうが、ハマーンがいなければ、攻撃されていた可能性が高い」
 かさ、とマリューの胸の中で何かが動く。ストレートに聞けば、ハマーンのおかげで攻撃されていないように聞こえるではないか。
「ハ、ハマーン・カーンの存在と、敵が攻撃してこない事に…何か関係があるのかしらっ」
 平静を装ったつもりだったが、微妙に語尾が乱れた。しかも語頭にも問題がある。
「あるのかしらって…分からない?ザフトの連中はコーディネーターだ。能力的にはナチュラルよりも高い。が、ヤマトがコーディネーターである事を、おそらく敵の上層部は殆ど知らない。地球軍から新型の機体を奪い、しかもジンまで付けて攻撃したのに、たった一機に大敗し、しかも操縦するのが仲間である筈のコーディネーターだ、なんて格好悪くて士気ががた落ちでしょ。つまり地上部隊は操縦者をナチュラル風情と思っている上に、壊滅した所を見ていないから舐めきっている。迂闊にチョロチョロ攻撃するな、と釘を刺す者がいなければ、とっくに攻撃して来てるよ。分かった?」
 言っている事は何となく分かる。地上部隊は宇宙の部隊の壊滅を見ていないから、こちらを甘く見ているだろうと、ハマーンが釘を刺したに違いないと言うのだ。が、そこでハマーンの名がすぐに出てくる所はやはり少々引っかかりが残る。
 それは内心で封じ、
「だ、だいたい分かったわ。でも…それならすぐに移動した方がいいっていうこと?」
 否、と首を振ったシンジが、マリューの頬を指でつついた。マリューがくすぐったそうに、小さく身を捩る。
「ストライクの詳細データとガイアの存在は、既に地上の連中にも伝わっている筈だ。が、途中で搬入されたスカイグラスパーは、情報に入っているまい。と言う訳であね…」
 姉御と言いかけたシンジを、マリューが甘くちらっと睨んだ。
「もとい、運び人マリュー・ラミアスの出番になる」
「…ふえ?」
 遊び人ならまだ分かるが――それはそれで困るが――運び人と来た。自分に、一体何を運べと言うのか。
「砂漠の大地に五精使いの運搬を。普通、子供は親から火に触れてはいけないと教わる」
「ええ」
「では、プラントの軍事学校では、砂漠で砂に触れてはいけないと兵士に教えているのか、見せてもらうとしよう」
「す、砂?あんっ」
 首を傾げた顔が、きゅっと抱きしめられた。
「マリューは時々、少女みたいな顔をする。意識せずに出てくる表情(かお)は、通常の三倍で可愛いと知っていた?」
「!?」
 いきなり抱きしめられた上に追撃され、顔のみならず首筋までマリューが真っ赤に染めた。
「な、何を言うのよもうっ、し、知らないっ」
 そう言いながらも、シンジを振り解こうとはしなかった。
 先にシンジの方が手を離し、
「姉貴と声が同じだから、とただそれだけで補佐している訳じゃない。その軍事的に正しくない思考が俺と所々似ているから、さ。放ってはおけまい?」
「シンジ君…」
 くすっとマリューが微笑った。さっきとは違い、大人の笑みであった。
「シンジ君のそういう所って好きよ。送っていくのは午後からで良いかしら?」
「構わないよ。じゃ、俺はちょっと調整を指示してくるからこれで」
「ええ」
 シンジが出て行った後、マリューは大きく息を吐き出した。
「へ、変な顔になってなかったかしら」
 胸をおさえて辺りを見回した顔は、微妙に赤くなっていた。
 どうやら、一週間分の演技力エネルギーを一気に放出したらしい。
 
 
 
「だからさ、その辺はほら大人の事情ってものがあるんだし、保健医の人が言う通りにして良かったと思うよ。だいたいもし居たらどうする気だったのよ」
 昨日からシンジの姿が見えず、今朝もまだ部屋に帰ってこないと、キラとステラが食堂に来てぼやいている。正確に言えば、早朝からマリューの部屋を覗っていた二人を発見した綾香が、セリオに手伝わせて強引に連れてきたのだ。
「だ、だってシンジさんが…」
 綾香も、おそらくシンジはマリューの部屋に泊まったのだと思っている。これでナタルの部屋に泊まったのなら、仰天したり心配しなくてはならないが、マリューならば別に問題無い。二人がそう言う関係になっても、意外性はまったく無いのだ。
 それに、現状を考えれば二人の仲が良いに越した事はない。
 とそこへ、
「俺がどうかした?」
 ふらりとシンジが姿を見せた。
「シンジさんっ」「お兄ちゃんっ!」
「ここにいるが、何事?」
「な、何事って…っ」「そ、それはそのっ…」
 さっきまで、今にも乗り込みそうな雰囲気の二人だったが、いざシンジを前にして急激にトーンダウンした。
「ヤマト、俺が何か?」
「そ、その、あの…」
「ステラ」
「は、ははいっ!」
 ぴょん、とステラのお尻が椅子から浮いた。
「何か悪巧みでも話し合っていたところか?」
「ち、違いますお兄ちゃんっ」
「ほう。じゃ何?」
「あ、あぅ…」
 結構根性無しね?と、綾香は内心で少し意地悪く呟いた。シンジが普通に来ただけでこれなら、万一ガウン姿で出てきたりしたら、MSに乗って敵を探し回った挙げ句突撃しかねない。
「あの、碇様…」
 見かねたのか、セリオが控えめに声を掛けた。
「ん?セリオ?」
「お二人は、昨夜から碇様のお姿が見えないと、とても心配しておられました」
「はあ」
 奇妙な表情で首を傾げ、
「見えないって、別に艦外に出た訳じゃあるまいし、それに急用があるなら艦内放送でも掛ければ良かったろう」
 その途端、あっと言う事が二つ上がった。どうやら、それは思い浮かばなかったらしい。
「だが、昨日はステラの体調が良くなかった為、ステラには休養しているようにと言った筈だ。容態が悪化したのか」
「いえ、そうではありませんガ」
 語尾が微妙にずれるセリオ。どうやら、感情面の発達もプログラムに含まれているらしい。
「要するに居所を探していたのよ。一人で寝るのは淋しかったって事よ。碇ももう少し空気を読みなさいよ。で、昨夜はどこに居た訳?」
「ストライクのコックピットは調べたか?」
「『ふえ!?』」
 まさかそう来るとは思わなかった。
 が、シンジはふっと笑って、
「と言うのは冗談で、昨夜は姉御の部屋に泊めてもらった。まだ完全ではないが」
「『!!』」
 それを聞き、キラとステラの顔から一瞬で血の気が退いていく。
「『や、やっぱり…』」
「ん?」
 二人の顔を見たシンジが、青ざめた表情に気付いた。
「一応訊いておくが…精(ジン)を急激に消費してふらふらしてる奴と、それを看て微妙に体調を崩した女が共に一晩過ごした場合、子供ができるとか思ってるんじゃあるまいな」
 ぶるぶるぶる
 二人が慌てて首を振る。うん、などと言ったら未来永劫縁を切られかねない。正直に言えば、まだ少し納得出来ない所はあるが、自分達の想像していたのとは少し違ったらしいと知り、これで満足する事にした。
 シンジの性格を考えれば、これが精一杯のラインだろう。
「二人の頭の中は解剖するまでもなく大体分かったが…まあいい。ところでこの中に、露天風呂の経験がある者は」
「『露天風呂?』」
 キラとステラは顔を見合わせたが、綾香はすぐに手を挙げた。
「あたしあるわよ。あたしがもらった別荘の中に、露天風呂付きがあるのよ」
「そうか、ヤマトとステラは知らないと見えるな」
 顔に?マークを浮かべ、ふるふると首を振った二人に、
「では初体験してもらうとしよう」
「『初体験っ!?』」
「『……』」
 綾香とセリオの視線を受け、気まずそうに顔を逸らしたキラとステラだが、シンジは突っ込まなかった。突っ込むのも面倒だと思ったのかも知れない。
「私は出かけてくる。おそらく今夜一晩はかかるだろう。ヤマトとステラはMSの整備を。宇宙とこの砂漠では、設定が同じという事はあるまい?」
「分かりましたお兄ちゃん。でもあの、何処へ?」
「飛んでる内に決める。姉御に送ってもらうから、フラガは残しておく。姉御が戻ってくる前に、間違っても艦に被弾などさせるなよ」
(?)
 自分が戻る前に、と言われたら仔細など聞かずに猛反発したろう。が、シンジはマリューが戻る前にと言った。よく分からないが、シンジがどこかへ行くのをマリューが送り、シンジを一人残して帰ってくるらしい。
「分かりました…。でもシンジさんもお気を付けて」
「心配無用だ、アヌビスが守ってくれる。ザフトが千人で押し寄せても、傷一つ付ける事は不可能だ。来た数だけミイラにしてくれる」
(アヌビス?)(ザフトが千人でも?)
 一体何をする気かと、怪訝な表情のキラとステラだが、綾香の表情に変化はない。
「部屋で休んでいる。急用があったら連絡して」
 シンジの足音が遠ざかるのを待ちかねたように、
「アヌビスって何っ?」「ザフト軍が千人もってどういう事っ?」
 二人が急き込むように訊いた。
「アヌビスとは、エジプト神話に出てくる神で、トト神とコンビを組んで死者の審判を行うのよ。天秤に死者の心臓と羽を載せて、心臓の方が重かったら嘘つきの証になるの」
「…心臓より羽が重かったり釣り合うはずないと思うけど」
「それが神話クオリティ。大体、碇がアヌビスって言ったのに細かい事を突っ込むと嫌われるわよ」
「そ、それはやだっ」
「じゃ、黙ってなさい。何をするのかは知らないけど、この辺はザフトの勢力圏なんでしょ?そのど真ん中へ、しかも艦長に送ってもらってただ一人残るって言うのは、相当な自信がある証拠よ」
 
 
 
「え?午前中にスカイグラスパーを操れるようにしろ?って艦長そりゃむ…ぐえ」
 無理、と言おうとしたらいきなり胸元を掴まれた。
「フラガ少佐、あなたの意見は聞いていない。戦闘ではなく、飛行操縦のやり方だけを教えろと言ってるの。分かった?」
 大きな声を出すでもなく、声を荒げる事もしなかったが、マリューの目は完全に据わっており、殺気すら湛えているような気がした。
「りょ、了解。し、しかしここザフトの勢力圏だぜ。出来れば早々に…な、何でもない。オーケー、分かった教習に入るぞ」
 さわさわと何かが背を撫で、ムウは慌てて口を閉じた。
 それは――明らかに死の匂いを伴っていたのである。 
 
 
 
 
 
 数時間後――。
「たいちょ…うぷっ!?」
 バルトフェルドの部屋に飛び込んできたダコスタが、顔をしかめて立ち止まる。
「た、隊長…換気位しましょうよ」
 室内は、コーヒー豆と何やら雑多な匂いが入り交じり、形容しがたい臭いが漂っていた。
「換気の勧めにきたのかい?」
「い、いえあのこれを…」
「ん」
 書類を受け取ったバルトフェルドは、僅かに首を傾げた。
「アークエンジェルから、報告にない機体が飛び立った?何だこれは」
「さ、さあ目的は不明ですが、三十分程で戻ってきました。これがその映像です」
 スクリーンに投影された映像は、確かに見知らぬ機体が飛び立っていく模様をとらえていた。が、三十分で戻ったとはどういう事なのか。
「それと隊長、奇妙な報告が入っております。その機体は一度着陸し、すぐまた飛び立ったのですが、十分も経たぬ内にその場所から半径二百メートル程が、妙な砂嵐に覆われたと」
「おいおい、この時期砂嵐なんて起きる場所じゃないぞ。見間違いじゃないのか」
「いえ、間違いありません。しかも砂嵐は一箇所に留まっており、動く気配がないとの事です」
「……」
 自分でコーヒーを淹れるのが趣味で、今日は満足に出来たのか機嫌の良さそうな表情だったが、それが一転した。
「よし、バクゥを数機と戦闘ヘリを向かわせろ。砂嵐は偶然だろうが、その中心地が妙な機体の着陸地点というのが気になる。敵がいる可能性はほぼ無いが、一応偵察だけしてくればいい」
「はっ!」
 
 
 
 その頃、妙な機体の着陸地点では――
「やはり、こうでないと落ち着かない」
 エクスカリバーを枕にして、シンジが横になっていた。砂漠へ着地して少し歩いてから、その存在に気付いたのだ。
 無論フェンリルの体内にあるこれが、偶然来るはずはない。おそらく黒瓜堂が手を回したのだろうと気付いたが、帰る方法を模索すればいいのに、とは呟かなかった。シンジは、そこまで厚顔ではない。
 以前フェンリルに贈られたそれを手にすると、みるみる内に精は回復してきた。元より、この世界の精と相性が良いと言う事もあるのだろう。砂嵐を起こしたのは、無論シンジの仕業である。エクスカリバーが手に無ければ、おそらく出来なかったろう。砂漠の真ん中で、気持ちよさそうにすやすやと寝息を立てていたが、ふと目を開けて起きあがった。
 砂嵐とは違う音を感知したのだ。なお、数十メートル上空で交差するような形を取っているから、照りつける太陽は大幅に威力が落ちている。
「ふうん…四足獣型のMAと戦闘ヘリか。見物に来たか」
 シンジに取ってMSとは、二本足で動く機体という程度の認識でしかないが、やってきたバクゥはMAではなくMSである。
 今の状態は車のスモークフィルムのようなもので、こちらから向こうは見えるが、向こうからこちらは全く見えない。こちらの様子など皆目見当がつくまい。
「では」
 剣を抜いて軽く振ると砂が盛り上がり、みるみる内に形を取っていく。あっという間に出来上がったそれは、犬の形をしていた。
 アヌビスとは、初めてミイラとなったオシリスをミイラ化させたと言われ、またトトと共に死者の審判を行うと言われる神を指す。耳の長い黒犬の姿で描かれる事が多いが、実際のモデルは少し違うらしい。砂で出来たサンドアヌビスを数体造ってから、シンジはゆっくりと手を挙げた。
「劫火!」
 久しぶりに大地へ足をつけた上に、エクスカリバーを手にした事でその精は威力を増している。火砲にも劣らぬそれが、周囲を旋回する戦闘ヘリの後部を直撃し、尾翼が炎に包まれたヘリは慌てて着陸を試みた。それを見たシンジの口許に、危険な笑みが浮かんだ。
「GO」
 パキッと指を鳴らすと、アヌビスが一斉に飛び出していく。そしてヘリに取り付いた瞬間にそれは砂へと戻り――ヘリを地中へと飲み込んでしまったのだ。無論、パイロットに脱出の余裕などあるはずもない。
 信じられないような光景に、血相を変えたのは無論ザフトの兵士達だ。いきなり火炎放射が浴びせられたかと思うと、確かに砂で出来た犬が飛び出してきて、仲間をヘリごと埋めてしまったのである。
 呆然としてそれを眺めていたのは、それがあり得ない光景だったせいだが、当然のように赫怒して、戦闘ヘリとバクゥが一斉に砲口を向ける。
 がしかし。
 このバクゥは新型のMSで、ザフトが誇る四足タイプの機体にして機動力も高い上にミサイルまで備えているが――相手が分からないのだ。砂嵐の渦巻く中は完全に視界を遮られており、闇雲に撃たざるを得ない。とは言え、中に正体不明の敵がいるのは間違いない。相手は不明ながら、火炎を浴びせてきたと思しき場所を目がけ、ヘリとバクゥが一斉にミサイルを撃ち込もうとした次の瞬間、いきなり砂嵐が移動してきた。
「た、た、退避ーっ!!」
 退避どころか、その声が僚機に伝わる事すらなく、ヘリもバクゥも悉く砂嵐に巻き込まれた。あるものは百メートル以上の地点から真っ逆さまに叩きつけられ、あるものは砂嵐で機体そのものを木っ端微塵にされた。
 やがて砂嵐が元の位置へ戻った時、残ったのは大破しながらどうにか走行だけは出来るバクゥが一機と、重傷を負いながらも意識だけは辛うじて保っている兵士一人であった。合計十機と兵士が二十五名、五分と経たぬ内に壊滅してしまったのだ。
 当のシンジはと言うと、
「この辺りかな?」
 ザフトなど気にした様子もなく、掘削作業に取りかかっていた。
 シンジの本分は、言うまでもなくMS操縦でも艦の指揮でもない。そんな事は軍人に任せておけばいいことだ。大地を利用し、自給自足で世界中を旅するのがシンジの趣味であり、文明の利器を持たずに自然を利用する時、その真価は発揮される。
 そう――人間は決して自然に勝てないのだ。
 砂嵐がその行く手を阻み、砂で造られた獣が機体に取り付いて流砂へ飲み込む場所で、誰がこれを攻撃しうると言うのか。
「そろそろお風呂入らないと気持ち悪いし、がんばらないとね」
 
 
 
「全滅、だと…」
 辛うじて戻ってきた兵士は、最後の力を振り絞って起きた事を伝えると、そのまま息絶えた。これで、送り出した部隊は全滅した事になる。
 カリッと歯を噛み鳴らしたバルトフェルドだが、机を殴りつけるような事はしなかった。コーヒーの開発に伴い、色々と器具が置いてある場所を殴った場合、後始末が面倒な事になる。
 が、コーヒーの開発はともかく、正体不明の敵に大損害を受けたのは事実なのだ。この近くにはレジスタンスがおり、ザフトにも連合にも属さないと怪気炎を上げて自分達に抵抗しているが、まともな損害など受けた事はない。その自分達が、得体の知れない相手にヘリとバクゥを殲滅されたのだ。
「ダコスタ…」
「は、はっ?」
「一つだけ確認する。その機体は、アークエンジェルへ戻った後一度も出ていないのだな。もう一度飛来して、武器や弾薬を置いていった可能性は無いのだな?」
「一度も出ておりません」
「…分かった」
 頷いたバルトフェルドは、もういいと言うように手を挙げた。一礼して、ダコスタが下がっていく。
 元よりバルトフェルドも、一応確認しただけで本当に再来したとは思っていない。そもそも大がかりな兵器など運搬出来る筈が無いし、何よりもMSを動かせば済む話ではないか。
 だが、被害は通常の戦闘時よりも遙かに大きい。あのストライクが出てきたとて、短時間でこれだけの機体を殲滅など出来まい。
「壁のようになっている砂嵐…。その中から火炎が放射され、しかも砂で出来た犬が出てきてヘリに取り付き、挙げ句の果てには砂嵐が動いた、か…どうなってるんだくそっ!」
 吐き捨てたが、室内には誰もいない。縦しんばいたとしても、異世界から迷い込んだ五精使いがいるに違いない、と答える事の出来た者は一人もいなかったろう。
 ダコスタを呼び出したバルトフェルドは、機体の残骸と遺体の回収を命じた。間違っても砂嵐に関わるなと厳命して送り出してから、椅子に深々と身を沈めた。砂嵐が治まるのを待つかそれとも強攻するか――或いは放置するか、一晩考えてから決める事にしたのである。
 
 
 
「消滅だと?どういう事だそれは」
 アークエンジェルの艦橋でも、戦闘ヘリとバクゥの存在はキャッチしていた。すわ戦闘かと緊張が走ったが、こちらへ近づいてくる様子はなく、しかも不意に画面から消えてしまったのだ。
 何となくとか適当にとか、シンジは好む表現だが、ナタルはそれを極度に嫌う。はっきり報告しろと命じたのも当然だったが、
「気にしなくて良いわよナタル」
「『艦長!?』」
 艦橋へ入ってきたマリューの声は、妙にご機嫌なものに聞こえた。しかもナタルの言葉を気にしなくて良い、と言うならまだしも敵を確認したのに、気にするなとはどういう事なのか。
「ここはザフトの勢力圏なんだし、敵がウロチョロと見に来る事位想定済みでしょ?要するに、このアークエンジェルとストライクよりも、更に気になるものを見つけた、と言う事よ。そして――その結果壊滅したのよ」
「気になるもの?」
「シンジ君が一人、砂漠で掘削作業中」
「『!』」
「おそらく、ストライクやガイアよりも怖い相手の筈よ。とうてい敵わないと見たら、放っておいてこっちへ来るかも知れないから、一応警戒だけはしておいて。私はもう少し経ったら見に行ってくるから」
「りょ、了解しました…」
 警戒感のまるでない奇妙な言葉にも、ナタルは素直に従った。地球への降下時、シンジが自らを盾にしてキラを無事に降ろした時から、さすがのナタルも常識を再構築せざるを得ないかと、思い始めていたのだ。コックピット内は紙が炭化しかかる程の温度になっていながら、キラは平熱のまま出てきて、しかも涼しい位だったという。その一方でシンジは熱を出して失神していたのである。
 いくら何でも、これを偶然だの一言で片づける程、ナタルも愚かではなかった。
「ストライクやガイアよりも怖いって…」「やっぱりあの時のあれよね」
 トールとミリアリアが、ヒソヒソと囁き合う。シンジは以前、キラ達に銃を向けた連合の兵士を三人炭化させているが、ジンを吹っ飛ばしたところを見ているのは、ヘリオポリス組だけなのだ。
「でも砂漠で何を掘ってるのかしら?」「さあ…財宝って訳でもないだろうしな」
 うーん、と二人が首を傾げたところへ、
「そこの二人、今は任務中だ。私語は慎め!」
 鋭い声が飛んできて、二人はびくっと身を縮めた。
「『す、すみませんっ』」
 
 
 
 砂嵐を視認できるほど、シンジはアークエンジェルの近くにいなかったが、その異様な光景はザフト軍以外にも目撃されていた。
 ザフト、連合いずれにも属さず、と大見得を切ってザフトに抵抗を続ける――目下連合はこの近くにいないからだ――テロ集団、<明けの砂漠>であった。朱の砂漠、ならまだしも明けの砂漠では、何が明けるのか不明な上に、センスと迫力の足りないネーミングである。
 ただし、ネーミングセンスはさしたる問題ではない。問題はこの明けの砂漠に、カガリ・ユラ・アスハが――オーブ首長国連邦代表、ウズミ・ナラ・アスハの娘が加わっている事にある。
 正確に言えば拾われたのだが、ヘリオポリスでMSが開発中だという噂を聞きつけ、それを見に行って事実だと知った時、お父様の裏切り者!と叫んだ困った娘だ。
 他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入しない、とこれがオーブの理念であり、だからプラントと地球が戦争状態になった時、ウズミはまっさきに中立を宣言し、どちらに付く事も拒んだ。
 が、この発想はそもそも順番が違う。侵略しない、の前に侵略させずが絶対条件なのだ。侵略しない、と言う部分だけを特大フォントにして自衛を疎かにし、気が付いたら国旗が変わっていたりした日には、もう目も当てられない。
 国家が弱体化している時に、他国への侵略などあったものではないのだ。
 一見すると平和主義だが、その代表の娘はテロ組織に加わり、銃を取っている。カガリは、G四機の建造にオーブのモルゲンレーテ社が関わっていた、と言う事しか知らない。それだけでも反発し、オーブに戻る事無くこんな所にいるのだが、ガイアはオーブの所有になっている、と知ったら何と言うか。
「ザフトの戦闘部隊が壊滅した?間抜けな奴らが砂嵐へ勝手に突っ込んだんだろ。こっちは忙しいんだ。自爆物語は後にしてくれ」
 カガリは既に、アークエンジェルがストライクを搭載して降りてきた事は知っている。力は争いを呼ぶだけだ、と少女らしい夢物語を思うカガリにとって、オーブが関与して造られたアークエンジェルもストライクもろくなものではなく、双眼鏡を覗き込む視線はまるで敵でも睨むようなものだったが、
「砂嵐が移動してザフト軍を飲み込み、また元の位置に戻ったとしても、か?」
 後ろから聞こえた野太い声に、初めて振り返った。
「何だって?」
「だから砂嵐は、まったく移動していないと言ったんだ。俺もここで生まれ落ちてから結構な年になるが、そんな光景は見た事が無いぜ。しかもその場所は、アークエンジェルから飛び立ったスカイグラスパーが着陸した地点だ」
 ヒゲをしごいているのはサイーブ・アシュマン、明けの砂漠のリーダーである。なお、娘が居ると言う事でオーブから秘かに援助を受けているのだが、その事をカガリは知らない。親の心子知らず、とはよく言ったものだ。
「じゃあ、自然を操る能力者がいる、とでもいうのか?気のせいさ」
「……」
 カガリの反応は身も蓋もないが、確かに雨を降らせる技術ならプラントで確立されているが、砂嵐を操る技術など聞いた事もない。気のせいでは無い、と言い切るだけの根拠をサイーブは持っていなかった。
「しかしあの艦(ふね)、まったく動く様子がないな。中で何か…ん!?」
 何かあったのか、と言いかけた時スカイグラスパーが飛び立った。カガリ達に見られているとも知らずに機首を向けている先は、砂嵐の舞っている方角ではないか。
「地球軍ってのは…相当変わった連中なんだな…」
 肩を竦めてカガリが呟いた。
 
  
 
「クシュッ!?誰か噂してるな」
 その存在を気のせい、と一笑された五精使いはと言うと、やっと引き出した温泉を前にして満足げであった。
 自分で水を出すか、或いは地下から水源を探し当てるのがシンジのやり方だが、休火山の存在を見つけ、深度はあっても必ず温泉があると見てせっせと掘削に励み、数時間かかったが掘り当てた。
 一度出してしまえば、それを御すなどシンジに取っては簡単な事で、やっつけ仕事で造ったような即席の露天風呂を見ながらご満悦の風情だ。
「うん?」
 ふとその顔が後方を向く。
「そうか、そろそろ夕方か」
 その感覚は、スカイグラスパーの接近を捉えていた。
 それから五分後、湯気の立っている温泉を前にして、呆然としているマリューがいた。来る時には着替えとバスタオルを持ってきて、と言われていたのだが、まさか本当に温泉を造り上げるとは思っていなかったのだ。
 しかも前方を巨大な砂嵐に阻まれて目を疑ったところへ、
「大丈夫だからそのまま突っ込んで」
 と、シンジの声は脳裏に直接響いた。砂漠を渡る風を使った、とはマリューも分からなかったが、シンジの言葉を信じてそのまま突っ込ませると、機体はあっさりと砂嵐を通り抜けた。
 その同じ砂嵐が数時間前、差し向けられたザフトの部隊を壊滅させた事を、マリューは知らない。
「こ、これ…シンジ君が造ったの…」
「水の確保は、世界中どこへ行っても必須だからね。それに、いい加減風呂に入らないと精神衛生上良くない」
 当然のように言ってから、
「頼んだものは持ってきてくれた?」
「え、ええ持ってきたわ」
「ありがと。さて、一緒に入る?」
「!」
 一瞬遅れて目許をうっすらと染めてから、マリューがこくっと小さく頷いた。
 そんな二人を、月明かりが静かに見つめている。
 
 
 
 
 
(第四十四話 了)

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