妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第四十話:マリュー
 
 
 
 
 
 大気圏への突入を直前にして、ストライクが敵を引き離しはしたものの、結局メネラオスはローラシア級戦艦の特攻を受けて轟沈した。何とか撃破したまでは良かったが、重力圏から脱出できなかったのだ。アークエンジェルとは違い、メネラオスに大気圏へ降下出来る性能はない。
 敬礼して涙ながらに見送ったマリューだが、一難去ってまた一難、単機で敵を引き受けながら一歩も引かないストライクが後ろを取られ、思わずマリューがあっと声をあげた直後、デュエルの腕が吹っ飛ばされてストライクを直撃した。
「『!?』」
 誰もが驚愕の目を見開いたのは当然であったろう。デュエルは後方から撃たれており、その位置に味方はいないのだ。つまり、デュエルは自分の友軍に撃たれた事になる。更にそこへキュベレイが突っ込んできた時には、さすがのマリューも半ば覚悟を決めた。無論、操縦がハマーン・カーンだという事を知らぬ者はいない。
 だが攻撃はせず、しかもどういう訳なのかキュベレイは、ストライクを地表に向けて蹴り落としたのである。体勢を崩したストライクに、もう戻る力がないのは明らかであった。
「シンジ君、シンジ君応答してっ!」
「大丈夫、聞こえてるよ」
 応答はすぐにあったが、シンジの声を聞く限りでは、およそ危機感が感じられない。
「大丈夫なのっ!?」
「あらかたオーライ」
(あ、あらかたオーライ?)
「こっちは大丈夫。ただ悪いけど戻れない。推力が足りないらしいんだ。ハマーンの奴、今度遭ったらとっ捕まえて素っ裸にして地表に埋めてくれる」
 それを聞いたマリューは、シンジとハマーンとの間で何かあった事を知った。大体、ストライクは明らかに危機を救われており、救ったのは敵のハマーンなのだ。何もないのにそんな事をする筈がない。
 かさ、とマリューの胸の中で何かが動いたような気がしたが、無視する事にした。
「そっ、それでキラさ――」
 言いかけた時、
「碇さん、キラは…キラは無事なんですかっ!」
 身を乗り出すように訊いたのはサイであった。ストライクからは音声のみで、映像は入ってきていないのだ。
「大丈夫だガーゴイル、ヤマトは必ず保護してやるから心配するな。それより姉御」
「な、何っ?」
「とりあえずこのまま墜ちる、もとい降りる。無理しなくて良いから、地上に着いたら適当に探しに来てくれ。エネルギーはまだ残ってるし、ヤマトが健在なら何とかしてくれるから」
「いいわ。でも気をつけてね」
「ん」
 通信が切れた時、マリューが厳しい表情になっていると気付いた者はいなかった。普通に聞けば、この非常時に随分のんびりしていると思いがちだが、その語尾が僅かに――膝枕したりキスしたりする位の関係でなければ分からない程――乱れているのに、マリューは気付いていたのだ。データを見る限り、ストライクの外傷は殆ど無い。あれだけの敵を相手によくこんな状態で、と感心する位だから、中の問題だろう。
 もしもこのまま降りるなら、マリューは何としてもストライクを最優先で回収するつもりでいた。個人的な感情を一切抜きにしても、ストライクを喪っての飛行は自殺行為に近い。もう一機のMSであるガイアは、オーブへ引き渡してしまうのだ。
 マリューが唇を噛んだ数分後、
「艦長!本艦とストライク、突入角度に差異、このままでは降下地点を大きくずれますっ!」
「『!?』」
 ストライクは元々単独降下など予定しておらず、当然のようにアークエンジェルが何処を目指して降下しているのかは知らない。しかも体勢は何とか立て直しているが、重力に引かれるまま素直に落ちているのだから、行き着く先がずれるのはある意味必然と言える。
 艦橋内にさっと緊張が走ったが、一人マリューだけは静かに頷いた。
「艦を寄せて。これの性能ならまだ行ける。急いで」
「!」
 反論しかけたノイマンだが、何故か抗い難いものをマリューに感じ、何も言わずに艦をストライクの降下先へ寄せていく。マリューのそれが、シンジの気に近かったとノイマンが思ったのは、しばらく経ってからの事であった。
 一方ストライクの内部では、キラが真っ青になっていた。機体の外は摩擦熱でえらい事になっているのに、自分の身体は熱くなるどころかひんやりと涼しい位なのだ。
「中がこんなに涼しいなんてさすがに良く出来て…シンジさん?シンジさんっ!!」
 空調設備が優秀だろうと思い、顔だけ振り向けたキラが見たのは、蒼白になっているシンジの顔であった。さっき映像が出なかったのは、出せなかったのではなく出さなかったのだ。精(ジン)をすべて自らの体温を下げる事に使い、抱き寄せていたキラを冷やしていたのである。水の精を使えば不可能ではないが、こんな状況でそんな事をするのは初めてだし、キラの熱を吸い取っている分シンジの体熱は上がっている。既に三十八度は超えていると、自分で大体分かっていた。
 それでも、
「大丈夫。少し精を使ってヤマトを冷ましているだけだから。まだ余裕はある」
「でも、でもシンジさん顔色がっ!」
「大丈夫だと言うに」
 青ざめた顔でうっすらと笑ったシンジが、キラの髪を優しく撫でる。初体験とはいえ、普段ならそんなに大事でもないのだが、コックピット内の温度上昇が急激過ぎたのだ。それに伴って、キラを冷やすのにかなりの精を急激に消費し、しかもその熱を吸い取ったのだ。現在、キラとシンジでは体調に天と地程の差がある。
 無論シンジが自ら選んだ事だが、やはり単独降下は、それだけパイロットを劣悪な条件下に置くという事なのだろう。シンジがいなかったら、キラの華奢な身体は水分が全て蒸発、とまでは行かずとも蒸し焼きくらいにはなっていたかもしれない。
「前にも…言ったろう。五精使いの神髄は、支配の為ではなく…癒し系にあるのだと。例えわ…」
 我が身に代えても、と言いかけて止めた。キラの事だから、そんな事を言えば自分だけ冷やさなくて良いから命運を共にする、とでも言いかねないと思ったのだ。
 そしてそれは、困った事に正解であった。
「例えこのまま地上まで落下しても、ヤマトは保護してやるから」
「でもっ――」
「世話の焼ける小娘には、私がついていてやらないとならないのだ、と言ったろ?」
「シンジさんっ…」
「分かったな?じゃ、もう一つ言っておく事がある」
「はい…」
「めしめし泣かないの」
「あ、あぅ…」
「手が掛かって世話が焼けて参戦しているくせに敵を討てないような小娘でも…」
 すうっと意気を吸い込み、
「私の――五精使いの相棒なのだから」
「……」
 黙って頷いたキラが、ごしごしと涙を拭う。キラの両目には、既に涙がいっぱい溜まっていたのだ。
「上出来だ」
 シンジは頷いた。
「しかし…向こうでは宇宙に行った事もなかったのに、いきなり資源衛星に飛ばされた挙げ句、少女と二人きりで地上に落ちるとは…夢にも思わなかったよ」
 飛びそうな意識を堪えて微笑ったシンジに、
「キラはずっと一緒にいます。たとえ…どこに落ちても」
「このままオーブ上空辺りに落下してくれれば一番楽な…ん?ヤマト、あれは」
「え…アークエンジェル!?進路を変えてきたの!」
 そこには、艦を寄せてきたアークエンジェルが映っており、
「姉御も…余計な事をしてくれるものだ。まったくいらざる事を…」
(……)
 身体の密着した状態だから分かる。シンジの呟きは、本当に迷惑がってなどいない事を、そして心の何処かで微笑っている、と言う事を。
「とまれ…これでヤマトと海溝までダイブする事は無くなったか。ヤマト、着艦を」
「はい」
「後は頼む。少しだけ…寝るから」
「分かりました。ゆっくり休んでくだ…!?シンジさんっ!シンジさんしっかりしてっ!!」
 その直後、血が出る程に唇を噛み締めたキラがストライクを着艦させる。
「キラ、キラ無事かっ!」「キラ大丈夫なのっ!?」
 呼びかけに応答はなく、やがてアフリカ上空へ降下した時点でマリューは艦を止め、ストライクを収容させたのだが、コックピットを開けた者達が見たのは、高熱を発して失神中と一目で分かるシンジと、そのシンジに取りすがって泣きじゃくるキラの姿であった。
 
 
 
 
 
「貴様は知らぬようだから、一つだけ教えておいてやる。地球第八艦隊の提督デュエイン・ハルバートン准将は、部下を置いて自分だけ逃げ出すような将ではない。あれに乗っていたのは、大方アークエンジェルが拾ったヘリオポリスの住人達だろう。碇シンジが地球軍に悪感情を抱いていると、ニコルに聞かなかったのか」
「……」
 俯いているイザークは何も言わない。いや、言えなかったのだ。
 ハマーンに殴り飛ばされたのである。一撃、ただの一撃だが、女の細腕はイザークを顔面から壁に叩きつけていた。この分だと、シンジに治療されなかった方がましだったかもしれない。ルナマリアの方も頬を打たれ、その口許を赤く染めている。
 普通の平手打ちなのに、血が止まらないのだ。
「私は元々、部隊を率いる事は好まない。それは、無能な輩のお守りに精を出す程物好きでは無いからだ。指揮など引き受けるのではなかったと、今日程後悔した日はなかった。お前達にあのストライクは討てん。いや、その資格さえもない。お前達は全員プラントへ戻す。戦とは何か、そして兵のあり方とは何かを一から叩き込まれてくるがいい」
 イザークを殴り飛ばした時も、ハマーンの表情は変わらなかった。
 そしてその声も。
 表情も口調も変えぬままキュベレイを駆り、役に立たぬ者に膺懲の一撃を与える。それがハマーン・カーンなのだ。その最優先事項は戦果ではなくまず己のプライドにある。
 だからこそ、ニコルとブリッツを無傷で返したシンジに対し、まず借りを返してからと決意していたのだし、それに反したばかりか民間人の乗ったシャトルを撃ったイザークを許せなかったのだ。
 この辺りは、今敵となっているシンジとよく似た所がある。
 戦果を常に問われる戦場に於いて、ハマーンの生き方は異端かも知れない。が、ハマーンが借りを借りとも思わず、そんな事は忘れて討つような性格をしていれば、シンジは例えキラがどうなろうと殲滅していただろうし、無論ハマーンを認めるような事も無かったろう。
 但し、ハマーンはディアッカとアスランには何も言わなかった。アスランが深追いしてまんまと敵の策に嵌って首を落とされた時、ディアッカはほぼ無防備な状態でアスランを助け出したのだ。
 で、そのアスランはと言うと――泣いていた。
 ストライクの動きを見れば、中にいた少女が原因であの攻撃になった事はほぼ間違いない。対艦刀を振りかぶった直後、ストライクは刹那動きを止めたのだ。捕まえる事を旨としている以上、どういう事情か知らないが、少女がいなくともイージスが真っ二つにされたりはしなかったろう。
 だが、罠に嵌った挙げ句機体の頭を落とされ、どうにか仲間に担がれて帰ってきた事に間違いない。
 どう言ったものかと、ハマーンが部屋の前までやってきた時、壁を殴りつける音がした。
「アスラン・ザラ…」
 が、その直後、
「キラ!俺はお前に…お前に何もしてやれなかった…」
 涙混じりの声を聞き、ハマーンの秀麗な眉が僅かに寄った。
 ハマーン・カーン――孤高の勇将にとって、懊悩の種は尽きないらしかった。
(異世界から飛ばされたとは言え、我が道を貫けるお前が羨ましいぞシンジ…)
 
 
 
 
 
 結局、アークエンジェルが降りたのは砂漠のど真ん中だったが、艦内の状況はそれどころではなかった。ナタルとレコアに命じて、鎮静剤を打った上でキラとステラを隔離し、医務室に運び込んだのだが、少女達を寝かせた時には、レコアもナタルもあちこちにひっかき傷を作っていた。
 無論、ナタルとレコアが喧嘩した訳ではなく、半狂乱になった二人をシンジから引き離した結果、そうなったのだ。以前ステラと初めてガイアに乗った時も似た症状になったが、あの時は発熱などしていなかった。
 それでも、マリューが抱き起こそうとした時、シンジはうっすらと目を開けたのだ。
「ヤマトは…無事?」
「え、ええ…大丈夫。彼女は元気だったわ」
「それは良かった…」
 高熱にうなされながらも最初に口を衝いたのは、キラを気にしている言葉であり、それを聞いたマリューは、何かがこみ上げるのを抑える事が出来なかった。
(あなたは…そんな状態になってもまだ他の人を優先出来るのね…)
 自分だったら多分出来なかったろう。異世界に飛ばされ、いきなり戦争に巻き込まれて戦う事になり、その上錘を背負ったような状態で戦いながらなお、他者を最優先で気遣う自信は、マリューにはなかった。
 別にマリューが悪い訳ではなく、シンジが特別製なのだ。普通だったら、自分の状況に混乱を起こす所からまず始まるのだ。尤も、今回の場合は混乱を起こした状態で、そのまま射殺されていたかもしれないが。
「医務室へ…行く程じゃない…姉御、部屋まで運んでくれる…」
「ええ、分かったわ」
 頷いたマリューを見て、かすかに微笑んだシンジが幽鬼のように立ち上がる。慌てて飛びついたマリューに、
「肩、貸して…」
「分かってる」
 身長の割に、そして熱で朦朧としているくせにその身体はひどく軽い。マリューはシンジを運び込んだ先は、シンジの部屋でも医務室でもなく――自室であった。
 完全に施錠してからシンジの服を脱がしにかかる。
 が、シャツだけ脱がせたところで止めた。割れ物を扱うようにベッドに寝かせ、毛布を掛けてから、マリューは初めて溜息をついた。
 それから三十分後、サイは医務室に呼び出されていた。
「え?俺がですかっ?」
「ええ、この艦に残ってくれた来栖川さんのたっての推薦なのよ」
「は、はあ…」
 今は眠っているキラとステラだが、レコアとてずっと付きっきりという訳にはいかない。ナタルはもう絶対にお断りしますと、巣へヒキコモってしまった。本来ならフレイやミリアリアなのだが、万一暴れた場合の事を考えると二人は付けられない。コーディネーターをナチュラルが取り押さえる、と言う図になるが、男の方がまだ被害は少なかろうという訳だ。
「これは命令じゃないわ。だから拒否しても構いません。サイ・アーガイル、やってくれるかしら」
「分かりました。俺、やります」
 マリューとレコアが、思わず拍子抜けした程サイはあっさりと頷いた。
「ノイマンさん達は艦橋で忙しいし、ミリィ達じゃもしもの時に困る。キラもステラも友人だし、いいですよ」
「悪いけど…お願いね」
「了解!」
 
 
 
 腹を抱えて笑う、とはこう言うのを指すのだろう。サイが素直に、と言うより嬉々として引き受けたのを確認してから、綾香は食堂で笑い転げていた。
「あーおかしい。馬鹿だと思っていたけど、ここまで単純馬鹿だったとはねえ。くーっ、くっくっくっ」
「綾香様、私が認識している“嫌な奴の笑い方”になっていますが」
「うるさいわねセリオ。ちょっと黙ってなさいよ」
「仰せの通りに」
「でも綾香はちょっと笑い過ぎ。それにこれだけじゃないんでしょう」
 セリオに代わり、やんわりと窘めたのはミーアであった。ラクスはプラントに帰ったし、月基地に行く事もなくなったので、とりあえず堂々と出歩いている。マリューは何も言わないし、そもそも自分の死刑執行令状にサインしながら文句を言う者もいない。
 人質にすべきとかザフトにさっさと返すべきとか言えば、その時点でベリーウェルダンコースが確定する。世の中には、触らなければ祟りをもたらさぬ神が結構多いのだ。
「当たり前でしょ。このまま接近させれば、坊やはあの性悪女とか必ず婚約を破棄するわ。碇を思って不安でいっぱいになってる娘(こ)の寝顔なんて、男にとっては陽電子砲並に強力な武器なんだから。例え本人がそれを望まなくてもね。だいたい、何の権限も力もないくせに、敵軍でもない子を人質にして望み通りに行かなければ殺すなんて、そんな奴を軍に志願させる時点で碇が悪いのよ」
「でも私は無事だったんだし。それに碇さんが勧められた訳ではないわ。それと綾香、碇さんの前でそんな事言わない方が良いと思うけど」
「…何でよ」
「フレイは人質を取ったり、私の事をコーディネーターってばらすような子だから仲間だなんて思えません、志願されるのは迷惑です…ってキラが言うと思う?」
「……」
 ミーアの言葉に、綾香が苦虫を噛み潰したような顔になった。
「でも私は仲間として一緒に戦いたいと思ってます」
 などと、ろくでもない事を――本心からシンジに言っているキラの姿が、あまりにも容易に想像出来る。
 そしてそれを聞いたシンジが、
「ヤマトは甘いのだな」
 と言いながらも、その髪を撫でて分かったと頷くおぞましい光景が、これまた簡単に想像出来るのだ。
「まあ、どっちに転んでもいいのよ。と言うよりも――」
 綾香の視線が刹那凄絶な物に変わり、宙の一点を見据える。
「あの女が嫉妬に狂ってキラに手を出せば、その時こそあの女の最期よ」
 綾香の中でフレイは既に、“始末するべき対象リスト”の一番手に上がっているらしい。セリオとミーアは、そっと顔を見合わせた。
 
 
 
 結局、夜になってもシンジは目覚めなかった。キラとステラは数度目覚めかけ、その度に鎮静剤を打たれたから、依然として昏々と眠り続けているのだがシンジは違う。
 ただ、高熱を発している理由は、レコアが診察しても結局分からなかった。考えられるのは、コックピット内の温度が異様に上がった事だが、キラは何ともなかったのだし、そもそも内部の温度は非常に低く抑えられていた。シンジがキラの為、全精力を急激に注いだのだから、当然と言えば当然だがレコア達には分からない。
 何よりも、素っ裸にして精密検査を出来ないのが影響していた。胸をはだけた時、白い肌が見えたのだが、何故かレコアの手は止まったのだ。勿論医務官だから、患者など数多見慣れているし、白い肌を見て気恥ずかしくなった訳でもない。
 そんな甘い事ではなくもっと切羽詰まった何か――レコアの本能が、囁いていたのである。
 汝、触れる事無かれ、と。
「艦長、おそらくこれは…」
 レコアは慎重に言葉を選んだ。マリューは医務室でもシンジの部屋でもなく、自室に運んだのだ。それだけ見ても、マリューの思考は何となく分かるし、マリューとてシンジが怒ると思ったらするまい。これがナタルだったら、自室に運ぶなど間違ってもしないだろう。
「詳しい診察が出来ないので断言は出来ませんが…おそらく、体内の精(ジン)が関係した発熱かと思われます。こちらの世界では聞いた事がありませんが、シンジ君は精を使って水や火を操る、と聞いています。コックピット内の温度が異様に低かった事と、おそらく関係があるのかと…」
「でも、まだ機体を使った降下実験はしていない筈よ。どうして分かるの?」
「さっき、整備兵がこんな物を見つけました」
 レコアが渡したのは、金属片であった。
「ストライクの操縦席の隅に落ちていたそうです。おそらく…冷やされなかった物体かと」
「……」
 熱で曲がったようなそれを握りしめ、マリューはシンジの顔を見た。
 シンジがいなかったら、コックピット内は全てが金属を曲げる程の温度になっていたというのか!?
「艦長にお願いがあります」
「何?」
「その精というものが回復するのには、おそらくこちらの世界の医療では通じないでしょう。無論手段はありますが、分からぬ内に試すのは危険です。今夜一晩…付き添いをお願い出来ますか」
「分かってるわ。私もそのつもりよ」
「お願いします」
 一礼して出て行こうとするレコアの背に、
「レコア」
「はい?」
「その…ありがとう」
「いえ」
 レコアは微笑って、
「彼は、何としても元の世界へ無事に帰ってもらわねばなりません。アークエンジェルクルーのプライドに賭けても。その為にも、誰かが直接熱を吸い取るのが一番ですから」
「!」
 赤くなったマリューを見る事はなく、レコアはそのまま出て行く。見なくとも、艦長がどんな表情になったかなど手に取るように分かる。
「彼の事お願いします、マリュー艦長」
 言うまでもなく、シンジは依然としてMSを操縦出来ないから、単独で出撃する事は出来ない。が、キラ以下少年少女達をまとめあげ、また同乗して戦力を上げるという奇妙な能力も持っている。本人は意識していないらしいが、そんな事を出来る人間はそうそういない。と言うより、この世界中で一人いるかいないか位だろう。キラが優秀だとはいえ数では圧倒的に不利な中で、ここまで互角以上に戦ってきたのはシンジの存在が非常に大きかった事は言うまでもない。
 レコアが見る限り、率直に言ってマリューは少々頼りない。が、そんな頼りないマリューとシンジの息が合っているから、今までやってこれたのだ。これで艦長がナタルだったら、アークエンジェルは対艦刀で両断されている。
 総合的に考えて、二人の仲の良い事が、この艦にとっても一番なのだ。
 ふふっと笑って歩み去ったその表情は、確かに成熟した女の物であった。
 レコアの足音が去った後、マリューはそっとベッドの端に腰掛けた。依然として熱は高いのに、苦しそうな表情は殆ど見せず、それが一層マリューの胸を締め付ける。
 まだシンジの年は聞いていないが、おそらく二十歳よりも前だろう。異形の力を持ったからと言って、それの使い方はそれこそ千差万別になる。自分だったら、シンジと同じ事は出来ていないだろうと分かるだけに、マリューの胸は痛んだ。
「……」
 と、不意にシンジが目を開けた。じっと見つめていたマリューが、慌てて目を逸らす。
「シンジ君っ、だ、大丈夫なのっ!?」
「んーと…」
 ちょっと考えてから、
「少し、まずいかな。でも、ありがとう姉御」
「え?」
「私の部屋だと…やっぱりヤマトやステラが見る可能性がある。だから…姉御の部屋に運んでくれたんでしょ…」
(シンジ君…)
 そんな良い理由じゃないの、と思わず言いかけたマリューだが、
「そう言う所は…助かる…」
「!」
「それと…レコアは大した腕だ…。よく見抜いたよ。一時的に精を大量消費したのと…ヤマトの熱をこっちで受けたから…ちょっと上がっただけ。二日も経たずに回復すると思う…」
 どうやら、さっきの会話は聞こえていたらしい。
「そうね、早く回復してもらわなくちゃ!」
 初めてマリューの顔に笑みが浮かんだ。
「シンジ君に元気になってもらわないと、彼も大変よ。ナタルなんて、ひっかき傷を作って部屋でヒキコモリになってるんだから」
「…ひっかき傷…?」
「あん、私と喧嘩したとかじゃないのよ。キラさんとステラさん、シンジ君から離すのに大変だったんだから。今は眠ってもらっていて、サイ二等兵が付いているわ」
「そっか…」
 シンジは緩く頷いた。
「世話の焼ける二人だ…。姉御、ガーゴイルには機関銃で装備させるように…」
「ふふ、そうね」
 二人が僅かに笑い合った後、
「少し寝る。この分だと、おそらくは全治二日…姉御、その間は頼むね…」
「ええ、任せておいて」
 マリューが胸を叩くと、乳房がぶるっと揺れる。
 三十秒も経たない内にシンジは寝息を立てていた。その額をそっとタオルで拭い、シンジの寝顔を見つめていたマリューが、やがて意を決したように服を脱いだ。一糸まとわぬ全裸となり、脱ぎ捨てられた服が床にわだかまる。
 そっと毛布をめくり、マリューはシンジの横に裸身を滑り込ませた、
「あなたが同乗した機体に討たれる可能性がある、と言う事を別にすれば、私の代わりはナタルでも出来るの。でもあなたの代わりは誰にも出来ない。子供達をまとめた上にMSに同乗して戦闘力を上げるなんて、誰にもできないのよ。シンジ君、あなたの熱は私が引き受けます。だから一刻も早く…良くなって」
 マリューの言葉は正鵠を射ていた。単なる指揮ならナタルの方が上だが――シンジの逆鱗をトゲの付いた靴底で踏みつぶすような真似もまた、ナタルの方が遙かに上なのだ。
 シンジをそっと抱きしめると、熱すぎる程の体熱が伝わってくる。
 二人の頬が触れ合い――マリューの目から流れた一筋の涙が、重なり合った頬を伝い落ちた。
 
 
 
「キラ、ごめんな…。でも碇さんは必ず回復するから、もう少し良い子にしていてくれ…」
 医務室で、キラの寝顔を見ながらサイが呟いた。さっき打った鎮静剤が何本目かなど、もう覚えてもいない。
 サイとて決して気乗りはしないが、そこにはコーディネーターとナチュラルとの、厳然とした力の差が存在しているのだ。少女二人をおさえるのに、レコアとナタルがあれだけ被害を被ったのがその証である。
 昏々と眠り続けるキラの手を取り、サイは両手できゅっと包み込んだ。マリューに任じられてから、サイはここを一歩も動いていない。トイレすらも抑える為に、尿意の元になると水分すら口にしていないのだ。
 だがそこに、疲労や倦怠している風情は見られない。それどころか、姫を守って微動だにしない騎士の風情すら感じられる。
 キラの側から一歩も離れようとしないサイと、シンジの熱を下げる為全裸での添い寝を選んだマリュー。
 
 
 
 それぞれの思いを吸い込み――夜は静かに更けていく。
 
 
 
 
 
(第四十話 了)

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