妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第三十九話:大和魂、誤発動
 
 
 
 
 
 マリューとナタルが仲直りしたのは、言うまでもなく、二人の精神年齢が上がったとかそう言う事は関係ない。お互いに、もうこれで離れられると思っていたから仲直りしたのだ。
 しかし、ハルバートンの告げた指令は地上へ降下し、オーブ経由でアラスカに向かえという物であった。しかもこの人員のままだと言う。
 一応洗濯係として誰かを寄越すらしいが、艦橋には関係ない。
 ハルバートンが出て行った後、ムウはさっさと部屋から逃げ出した。空気を読む事はいまいち出来ない男だが、危険を察知する能力には結構長けている。
 で、室内にはマリューとナタルだけが残った。
「『……』」
 お互いにそっぽを向いたまま、宙で見えざる火花を散らしていたが、先に口を開いたのはマリューであった。
「言っておくけど、私は貴女とやっと縁が切れると思っていただけよ。貴女を認めた訳じゃないからね」
「勝手に人の台詞を取らないで頂きたい。私こそあなたを認めた事など一度もありません。自分の能力を省みようとはせず、二言目にはナタルが艦長になる?とすぐこれだ。いつもいつも逃げてばかり!」
「すぐこれだ?私は一度しか言ってないけれど?嘘は良くないわよ。それに、今はあなたにこの艦を任せる気なんてないもの」
 マリューが初めてナタルを見た。
「この艦を墜とされたらたまらないものね。私に突っかかるのもいいけど、少しはシンジ君と上手くやっていく方法を考えたら?」
 たっぷりと嫌味を乗せた口調に、ナタルの眉が吊り上がる。理想はともかく、現状ではこの艦を守っているのはシンジと二人の仲魔達であり、特にヘリオポリス組をまとめ上げているシンジとマリューは上手くやっているが、ナタルは未だにシンジが理解出来ていない。
「あいにくと私は軍人です。感情のままに動き、軍紀を平然と無視するような人と馴れ合う必要を認めません。もっとも――貴女のような人とはよくお似合いかも知れませんが」
 挑発と嘲笑を最大限口調に乗せたつもりだった。
 だが、マリューは反応しなかった。それどころか、その口元には笑みが浮かんだのである。
「貴女この間、ラクスさんを人質にしようとしたわよね。正確にはミーアさんだけど」
「…また、蒸し返すつもりですか」
「違うわよ。感情のままに動かず、軍紀と戦果を最優先にするバジルール少尉の言う通りにした場合、避難民の受け入れも反対だったんだから、そもそも人質に出来る人はこの艦にいない。勿論人質策も不成立で、この艦はG三機に取り付かれて撃沈されていたわ。要するにナタルじゃ、感情のままに動いて軍紀を守らない人以下の結果にしかならなかったって事。ねえナタル」
 親しげな口調には、たっぷりと毒素が含まれている。
「墓穴を掘るのって、楽しい?」
「!」
 マリューはここのところシンジと仲良しだ。しかもランクBの膝枕までクリアしており、気持ちにはかなり余裕がある。そこに、ナタルとの根本的な差があるのだ。
 あっさりとかわされた上に痛い現実を突かれ、ナタルの肩がわなわなと震え出す。拳を握りしめてマリューを睨んでいたが、さすがに殴りかかるような事はなく、
「マリュー艦長…地上へ降りたらゆっくりと話し合いましょう…」
 絞り出した言葉は、まるで火を噴きそうなものであった。
「そうね」
 マリューが冷たく応じる。
「女同士、たっぷりとお話ししましょう。誰も交えず二人きりで、ね」
 
 
 
 
 
 言うまでもないが、エール、ランチャー、ソードは、それぞれ戦場に合わせて使い分けるものだ。そして、敵にイージス以下Gが四機いる以上一番適しているのはエールストライカーだ。
 直接操縦していないとは言え、シンジだってそれ位の事はもう分かっている筈なのに、
「エールじゃない、ソードで出る」
「え?」
 ミリアリアに、直接告げたのだ。どうしてかと内心で首を傾げたキラだが、何も言わない位には、シンジへの信頼度は上がっている。
 が、ソードを装備された途端、シンジの雰囲気が明らかに変わったのだ。ナタルの人質策を知った時とは違い、側にいるだけで押し潰されそうな気ではない。
 むしろ――乗り過ぎで危険なハイテンション、と言った方が近いかも知れない。
 しかも、
「キラ」
 と、甘い声で呼んだのだ。もともとキラと呼ぶ事はほとんど無く、たまに名前を呼ばれると嬉しかったりするが、今はどう考えても呼ばれる時ではない。
「は、はい…んむ!?」
 振り向いた途端、いきなりキスされた。しかも、あっという間に舌が侵入してきたのだ。一瞬抵抗したキラだが、唇の裏側を責められてふにゃふにゃと脱力してしまい、されるがままになっている。
 やがて顔を離したシンジが、
「少し借りるよ?」
「借りる?」
「キラの身体を」
「はい…」
 緩んだ表情で頷いたキラに戦場の緊張感はなく、それどころか事態の把握さえも出来ていない。
「私が操縦出来ずとも、ヤマトとの相性なら多少の傀儡化が出来る。手にエクスカリバーは無く、駆るのはフェンリルではないが、忘れていた物を久方ぶりに思いだした――日本人の持つ大和魂を。その神髄は刀でもなく戦術でもなく、その魂にあると。大和魂とは、窮地になる方が効果を発揮する。ヤマトも、後学の為に見物しておいで」
 奇妙な事を囁かれているのだが、その内容もよく分からぬまま、キラはこくっと頷いた。
 がしかし。
 確かに碇の家系は血統書付きの武士だし、戦争ではその度に当主が兄弟を失ってきた。とは言え、シンジのテンションが危険に上がっているのは、大和魂とは無関係の話である。だいたい、今までの戦闘を考えればさして窮地でもない。ストライクの単機出撃とは違い、ガイアも出ているのだ。体調を考慮してアークエンジェルの護衛を最優先にするよう告げてあるが、それにしたって単独出撃よりは余程楽なのは間違いない。
 黒瓜堂の主人がフェンリルから借り受けたエクスカリバーは、シンジの上に置かれていたのだが、それはいつの間にか姿を消していた事など、無論シンジが知る由もない。神の手に依る剣が、自らの精神に多大な影響を及ぼしていると、シンジが気付いていなかっただけの話である。
 
 
 
「どうしたの」
 パネルを見ながら、二度三度と首を捻っているノイマンに、マリューが気付いた。
「いえそれが…ストライクの軌道が妙なんです」
「妙?」
「さっきから全く攻撃を受けていないんですが、弾いたんじゃなくて全部避けてます。エール装備ならまだしも、ソードストライカーであんな動きが出来るはずは無いんですが…」
「映像を切り替えて」
「はっ」
 ストライクへの映像に切り替わった途端、艦橋内ではあっという声が上がった。
 そこに映っていたのは、ビームブーメランでジン二機の胴体を切り裂いた直後、G四機に囲まれているストライクの姿であった。
 
 
 
 
 
「イザーク、ルナマリア、おまえ達いい加減にしろ!」
 アスランの怒声に、二機の動きが止まる。
「うるさい!お前には関係ないだろ!」「アスランさんには関係ない事です、黙っていて下さいっ」
「…そうか」
 すう、とアスランの眼が据わる。
「おまえ達などハマーン様に沈められるがいい。藻くずになる所をゆっくり見物していてやる」
「『ハマーン様!?』」
「おまえ達の痴話喧嘩にいたく感動され、直々に見に来られるそうだ。楽しみに待っていろ」
 キレたアスランの表情よりも、その台詞が効いた。すっと表情の青ざめた二人が、まるで直ぐそこに迫っているかのように周囲を見回した直後、
「ストライク!?」「出撃(で)てきたのか!」
 ストライクの出撃を知り、さっと迎撃態勢を取った三機だが、
(キラ…)
 アスランだけは微妙に違う事を考えていた。
 がしかし、それも一瞬の事で、数秒後には四人の表情は揃って青ざめた。近接戦闘なのに何故か対艦刀を背負って出てきたストライクが、すれ違いざまにジンを両断し、まっすぐこちらへ向かってきたのだ。
 しかも、
「な、なによあの変なオーラみたいなのは…」「何かまとってるのか?」
 無論、実体化していないから肉眼で視認できる訳ではない。
 だが四人には、その危険な威圧感がまるで実体化でもしたかのように見えていたのだ。
「散開!イザークとルナマリアは挟撃、ディアッカは距離を取って援護。急げ!」
 ジンの片づけ方は、まるで通り道を作ったと言わんばかりであり、その目的が自分達の中の誰かにあるのは明白だ。さすがに今度ばかりはイザークも逆らわなかった。デュエルとブリッツが壁となり、バスターがすっと下がっていく。
 一直線に突っ込んでくるストライクを見ながら、アスランは内心で首を捻っていた。確か異世界人はMSを操縦できなかった筈だ。つまり操縦はキラなのに、その動きには無駄と躊躇いが全くないのだ。
 或いはキラが操られでもしているのかと都合の良い事を――事実だが――考えたアスランが、回線を開こうとしたその時、対艦刀をひっさげたストライクが突っ込んできた。
「一機で四機を相手にしようとは良い度胸だ。このアサルトシュラウドがこの間の借りをきっちり…何っ!?」
 目を疑ったのはイザークだけではなかった。アスランもルナマリアも、そしてディアッカも、目の前の光景が信じられずに目を瞬かせる。
 ひょい、とそんな描写が一番相応しかったろう。振り下ろされたサーベルをあっさり避けると――デュエルの顔を蹴飛ばしたのである。吹っ飛んだところへ、対艦刀を大上段に振りかぶる。予想外の攻撃で、イザークに防ぐ術はない。
 だが、対艦刀が振り下ろされた時、手足を断たれたデュエルは居なかった。飛び込んだルナマリアが、間一髪のところで持ち逃げしたのだ。ゆっくりとストライクの顔が動き、ブリッツとデュエルを捉える。今度は二機まとめて危地に陥ったところへ、機体をMAに変形させたアスランが突っ込んできた。放たれたスキュラをあっさりかわしたストライクへ、今度はバスターの強力な援護射撃が襲う。
 生身のパイロット同士は相性が悪いくせに、なかなかの連係プレイである。
 それもかわしたストライクだが、次の行動はまたしても予想外のものであった――身を翻してさっさと逃走にかかったのだ。
「『……え?』」
 確かに四対一だが、ストライクが追い込まれた訳ではない。対艦刀など引っ提げているから少々動きづらそうではあったが、今日のストライクは明らかにいつもと違う。デュエルを蹴り飛ばして斬りにかかり、庇ったブリッツごと断とうとするなど、普段のストライクならしない動きであり、間違いなくこちらを圧倒していたのだ。
 とはいえ、中で何があったのかは分からない。動力機関の不具合かも知れないし、或いはパイロットに何か起きたのかもしれない。何よりも、敵は遁走にかかったのだ。刹那呆気に取られた四人だが、最初に立ち直ったのはアスランであった。異変があったのならこれこそ幸いと、MAのまま猛追する。
 しかし、母艦であるアークエンジェルに向かわず、わざと迂回しているようなルートを取っていると気付いた時には遅かった。MAに変形すれば、アスランのイージスは一番足が速い。ストライクに追いつきかけた時には、単機で突出しており、仲間達とはだいぶ離れていた。
「キラ、今日という今日は逃がさな…!?」
 逃げていたストライクが、突如逃走を止めたのだ。くるりと向き直った姿に、アスランの本能が危険信号を告げた直後、通信窓が開いた。
「キラーっ!!」
 アスランが叫んだのは、操縦しているキラの表情が尋常では無かったからだ。ぼんやりとした表情で操縦桿を握っており、正常な判断能力を持っていないのはほぼ確実だろう。
「深追い禁止、とハマーンに言われなかったか?」
 冷ややかに笑ったシンジがキラの耳朶に唇をつけると、キラは甘い声で小さく喘いだ。それを見たアスランの顔色が変わった瞬間、対艦刀を手にしたストライクが一気に迫る。
「冥府で深く反省するがいい」
 シンジがにっと笑う。その全身から漂う妖気にも似たそれは、ストライクを覆っている物と同じであり、アスランはストライクが発していた物の正体を知った。イージスの一撃を簡単にかわし、下段から対艦刀の一撃を浴びせんとしたまさにその時、
「アスランを討っちゃだめえっ!」
「!?」
 不意にキラが叫んだのだ。
「相変わらず甘いのだな、ヤマトは」
 だが、操縦桿を握っているのはキラであってシンジではない。
 そして――ストライクが対艦刀を一閃させる。
 バスターが追いついた時、綺麗に斬り落とされたイージスの頭部が漂っており、顔色を変えて回線を開いたディアッカが見たのは、茫然自失の態になっているアスランであった。
「アスラン、おいアスランしっかりしろ!大丈夫かっ」
「あ、ああ…大丈夫だ…」
(どこが大丈夫なんだよ!)
 内心でぼやきながら、それでも覚悟を決めたディアッカがイージスの頭部を掴み、本体を抱えて撤収する間、何故かストライクは手を出さなかった。余裕なのか他の理由なのか、そんな事を考えるゆとりもなく、ディアッカはアスランを回収して這々の体で戻っていった。
 余裕を持って見逃したという訳ではなく――内紛中であった。
「もー、シンジさんアスランの事討とうとしたでしょ。捕まえてくれるって言ったのに!」
 ぼんやりしていたキラの表情は戻っており、シンジに噛み付いているがその口調はどこか、甘えたものに聞こえる。
「なぜそう思う」
「え…?」
「七度捕らえて七度放す、と私はヤマトと約束したのだ。それをあっさり反故にすると?」
「ご、ご免なさい…」
「まあいい、ヤマトが私をどういう人間と見ているかはよく分かった。戻るぞ」
「ま、待ってっ!」
 ここが戦場という事も忘れ、キラは振り向きざまシンジにしがみついた。
「シ、シンジさんの事は信頼してますっ。でも…!」
「でも?」
「な、何か雰囲気変わっちゃってすごく怖かったし、私が操縦している筈なのに機体は私の意志じゃない動きしてるし、そ、それで…」
「分かった分かった。要するに信頼出来ないから帰れと言う事だな。その通りにしよう」
「ち、違うのっ!シンジさんの馬鹿っ、馬鹿馬鹿馬鹿!!」
(…誰が馬鹿だ)
 実際の所、シンジはアスランを討とうとは思っていなかった。ただ、キラの傀儡化が予想より上手く行っていた為、この際だから手足と顔を落として達磨状態にしようと思っていただけの話で、それを見たキラが勝手に誤解したのだ。
 それどころかキラが目覚めてしまった。シンジが戻ると言いだしたのは、キラの言葉と言うよりも興醒めしたという方が大きい。キラだけに任せていれば、あんな戦闘は出来なかったろう。
「シンジさん…」
「あ?」
「ごめんなさい、もう我が儘言いません。シンジさんの事を疑ったりもしない。だからお願い…私を見捨てないでお願いっ」
「別に見捨てる気はないよ。オーブまで送る、と言ったろう」
 目に涙をいっぱい溜めているキラを見ると、さすがに少し可哀想になってきた。
 キラが人を疑う事を知らず、戦場などと言う場所にはおよそ縁遠い娘であると、一番分かっていたのはシンジではなかったか。
「ヤマトを見捨てたりはしない。ヤマトは大切な友人なのだから」
「シンジさん…本当に?」
「本当に」
「良かった…あっ、み、見ないで下さいっ」
 何かに気付いたように、キラが泣き笑いの顔をシンジの胸に埋める。乙女にとっては見られたくない顔だったようだ。
 暫くキラは動かなかった。その間にも、地球軍の艦やMAは次々に落とされていくが、ジンもG機もこちらへ向かってくる様子はない。
「あの、シンジさん…」
「何?」
「さっきの、もう一回して下さい。シンジさん、私の事操っていたんでしょう?」
「気付いていたの?」
「それ位、私が鈍くても分かります。もう、何も言いません。ストライクと私の命…シンジさんに預けます」
「ヤマト…」
 暫しキラの顔を眺めていたシンジの手が伸び、キラの顔を両手で挟んだ。
「良いだろう。キラ、付き合ってもらうよ」
「はい」
 キラがゆっくりと頷き、何やらまた良い感じになりかけたそこへ、
「シンジ君、本艦へ戻って。そろそろ危険域に入るわ」
 マリューの声が断ち切った。話を聞いていて割り込んだのではないか、とさえ思えるタイミングであった。無論そんな事はなく、降下の限界までもう少しあるが、敵をあっさり蹴散らした後ストライクの挙動が急におかしくなった為、呼び戻しを掛けたに過ぎない。マリューが艦橋にいる時、ストライク内部の音声は一切記録していないのだ。
「危険域?」
「本艦はこれより、降下シークエンスに移るのよ。バスターとイージスは引き上げたし、ジンもステラさんが五機墜としたわ。後は、提督の強運に期待しましょう」
「メネラオスの小型艇は」
「もう少し掛かるわ。準備に少し手間取ったらしいの」
「無防備か…」
「ええ、でも――」
 言いかけたマリューを遮るように、
「大丈夫です、マリューさん。まだ行けますっ」
「キラさん…」
「カタログの上では、ストライクは単体でも降下可能になってます。小型艇だって乱戦に巻き込まれたらどうなるか分からないし、ジンはまだまだ沢山いるんです。ギリギリまでには戻るようにしますから」
「でも…」
 当然マリューもストライクの性能は知っている。ただし、それはあくまでもカタログ上の事であって、実際に試した訳ではない。ストライクにもしもの事があったら大変だし、
(そ、それにシンジ君だって乗ってるのよ…)
 どう考えても、分かったわ気をつけて、と頷ける話ではない。
 が、そう考えない者がいた。
「駄目よやっぱり許可出来ないわ。ストライクはすぐにアークエンジェルへ戻りなさ――」
「いいだろう、キラ・ヤマト。ただし、降下フェイズ3迄には必ず戻れ」
 横から勝手に許可したのはナタルであった。振り向いたマリューが睨んだが、ナタルは意に介さず、
「スペック上では可能だが、実験などした者はいないのだ。中がどうなるかなど、私にだって分からないんだ。高度と残り時間には常に注意しておけ」
「了解しましたバジルール少尉」
 シンジは口を出さず、二人のやり取りを黙って聞いていた。
(万一戻れずとも、機体が燃え尽きはしないだろう。それならばヤマトの一人や二人私でも十分守れ…!?)
 まだ回線は開いたままで、
「あの、シンジさん…いい?」
 キラが振り向いた瞬間、
「バジルール少尉ぃっ!!」
 マリューの叫びにも似た声が響き渡り、キラは思わず耳をおさえた。何も言わずにシンジがスクリーンを調整すると、すっくと立ち上がったマリューが、まるで射殺さんばかりの視線でナタルを睨み付けている。
「あの二人にはそれだけの実力があるでしょう!そんな事も分からずに帰投を命じ、第八艦隊を全滅させるおつもりか!」
(どっちも一応合ってる気はするけど、バジルール少尉の言葉って何かトゲっぽいんだよな…。つーか、ストライクには碇さん乗ってるんだろ)
 シンジが同乗中なのによくあんな言い方が出来たなと、違う意味で感心しているのは、一人や二人ではなかった。
 お互い一歩も譲らず、マリューとナタルの瞳が真っ向からぶつかり合う。殺気すら帯びたような視線が絡み合い、火花を散らして斬り結んだそこへ、
「ナタル」
 シンジの穏やかな声がして、ナタルがびくっと身を震わせた。ナタル、とファーストネームで呼ばれたのは、これが初めてである。しかも、どう聞いても呼び間違えた感じではない。
「…か、覚悟はしていま――」
「チョコレートケーキでいいか」
「…え!?」
「チョコレートケーキで良いか、と訊いている。帰ったら作って差し上げる」
 モニターから聞こえたのは、信じられないようなシンジの言葉であり、艦橋内の誰もが唖然として顔を見合わせた。
「い、碇シンジさん…あ、ありがとう頂きます…」
 一番信じられないのは、当のナタルであったろう。
「それと姉御」
「な、なにっ?」
「帰ったらお仕置き」
「!?お仕置きっ?何で私がー!?」
 ナタルとの差が天と地程に開き、豆鉄砲を食った鳩みたいな顔をしているマリューに、
「銘刀は、抜かないで済めばそれでいい。でも、抜く必要がある時に仕舞っておくのは愚かな事」
「シ、シンジ君…」
「とはいえ、私と違って華奢な娘を気遣っての帰投命令なのは分かっている」
 だから甘いお仕置き、とシンジの唇は確かにそう動いたのだ。
(シンジ君…)
 気を取り直したマリューがナタルを振り返る。
「この件はまたにしましょう。ナタル、降下フェイズの用意を」
「…了解しました」
 やせ我慢して、と笑っているのが表情から明らかだったが、マリューは何も言わなかった。
 ただし、お仕置きとだけ言われていたら…或いはまた反応も変わっていたかも知れない。
 通信を切ってから、
「シンジさん、時間がありません。お願いします」
「分かった。また少し借りさせてもらう」
「はい」
 頷いたキラが、親の餌を待つ雛鳥みたいに、軽く目を閉じてうっすらと唇を開く。一瞬間を置いてから、シンジはそこへ唇を重ねていった。二人の唇が離れると、その間を透明な糸が繋ぐ。
 それを指先でつうっと拭い取ったシンジの動きを、キラはぼんやりと眺めていた。その表情はもう、四機へ突っ込んだ時の物に戻っている。
 外から見ていた者がいれば、こう言ったに違いない――ストライクのオーラがまだ元に戻った、と。
 再度危険なオーラを放つストライクが、対艦刀を引っさげてまっしぐらに舞い戻っていった。
 実質シンジが操るストライクは、異様なまでに燃えてはいたが、中にいるシンジは冷静であった。さっきと比べると、三割位熱気は冷めている。その一方で、こちらは五割増しで燃えている者達もいた。
 無論、イザーク達三人だ。ただし、その内訳は少々違う。イザークは言うまでもなく、借りを返すどころか、さっきまで喧嘩していたルナマリアが来なければ一刀両断にされていた屈辱だし、ルナマリアとディアッカは、頭を落とされたイージスを見て仲間の恨みを雪がんと燃えている。
 シンジとキラのせいで軽くあしらわれてはいるが、元はエリートの赤服だし、しかもストライクが一旦離脱した事で、その前に立ち塞がる者はいなくなってしまった。三機が一丸となって暴れ回り、あっという間にメネラオスへと肉薄する。
 無論、彼らが見ているのはその後ろにあるアークエンジェルであり、メネラオスなど一蹴し、本丸(アークエンジェル)へ迫らんと言うのだ。おまけにジンもまだ十機近く残っており、第八艦隊を圧倒しながらメネラオスへ迫ってきた。それでも幾分減っているのは、小型艇が射出されず、手の空いたムウが奮戦したからだ。既にガイアはアークエンジェル内に下がっており、ムウがいなければ五機は追加されていただろう。
 しかし、味方は自艦を含めても十を切っており、しかもMAに至ってはほぼ壊滅状態と来ている。
「さすがに敵ながら見事、と言うところか…」
 小さく呟いたハルバートンが、
「小型艇はどうなっている!まだ出せんのか!」
「射出完了しました」
(これだけ敵に囲まれて、無事に落とせるかどうか…)
 内心の不安を隠すように、
「全砲門開け!何としても敵を通すな!」
 声を張り上げた次の瞬間、黒い影がモニターに映ったかと思うと、ジンが四機瞬く間に爆散した。
「な!?」
 何事かと目を見開いた時、スクリーンに映ったのはシンジの顔であった。
「どうやら間に合ったかな」
 シンジはうっすらと笑って、
「日ノ本の侍は、辞書に裏切りという言葉を持たない。ハルバートン提督、よく覚えておかれるがいい」
(ミスター碇、済まない…)
 異世界から来た青年は、自分の心中を見抜いてなお、救援に来てくれたのだ。
「フラガ、小型艇を頼む」
「分かった、任せておけ!」
 だがこれは、シンジもムウも気付かなかった大きなミスであった。言うまでもない事だが、どうでもいいシャトルに護衛など付けまい。しかも、アークエンジェルからの発進ではなく、第八艦隊旗艦からの射出と来れば、敗北を察して司令官クラスが脱出を計ったと見るのが普通である。
 アークエンジェルが避難民が乗ったポッドを拾った事など、ザフトは知らない。唯一、ラクスが拾われたと知るのみだ。しかも燃える三人を先頭に、何としてもアークエンジェルを墜とすとその意気は相当高いのだ。
 そこへシャトルが射出されたものだから、あっという間にジンが数機群がった。
「マヘリアっ!」
 綾香は結局シンジを押し切って残ったが、シュラク隊のメンバーは無論の事、美里優と彼が貸してくれたメイドは、小型艇に乗っているのだ。シンジの目が見開かれた瞬間、投擲されたビームブーメランが二機のジンを貫き、爆発させる。なおも小型艇に迫るジンの前に、ムウのガンバレルが立ち塞がる。何とか二機を墜としたものの、それは小型艇がアキレス腱だと敵に知らせるようなものであった。
 今度はイザーク達までもが小型艇に向かい、メネラオスから敵を引き離す事には成功したものの、ストライクとメビウスは、一転して守勢に立たされた。
 しかも、この小型艇が弱点(ウィークポイント)と見たルナマリアは咄嗟に命じていたのだ。墜としては厄介だから、墜とすことなく取り付くだけにしておきなさい、と。
 誰が乗ってるのかは知らないが、そんなに大事なら墜とされた場合にストライクが大暴れする可能性がある。それよりはむしろ、小型艇を守りながら戦わざるを得ない状況を作った方が良いと、悪巧みIQ225のルナマリアらしい発想であった。
 無論その様子はアークエンジェルからも見えていた。
(シンジ君っ!)
 思わず叫びそうになったマリューだが、ぐっと唇を噛んで堪えた。ナタルの横やりがあったとはいえ、最終的には自分が行かせたのだ。ここはシンジを信じるしかない。
 ただシンジ達のおかげで、アークエンジェルとメネラオスに向かってくる敵はいなくなった。徐々に降下を続け、順調にメネラオスから遠ざかりつつあったのだが、
「艦長っ!」
 ノイマンの声が静寂を破った。
「どうしたの」
「ローラシア級、メネラオスに接近!」
「何ですって」
 見るとそこには、艦砲を撃ちまくりながらメネラオスに迫るガモフの姿があった。単に沈める為の攻撃と言うより、明らかに特攻のそれであり、他の二艦よりも大幅に突出している。唇を噛んだマリューだが、ストライクとメビウスはG三機とジンの始末に追われ、ガイアは既に下げてある。ステラの体調が良くない事を考えれば、再出撃はさせられない。
「提督…っ!」
 マリューの悲痛な声が艦橋に響いた直後、防御をかなぐり捨てたガモフの攻撃で艦がまた一隻沈み、これで大将は丸裸になってしまった。
 一概には比べられないが、ガモフは戦艦であってジンとは重要度が全く違う。しかも三隻しかない中の一隻が特攻するのを許すとは、指揮を執るハマーンは何をしていたのか。
 ハマーンはこの時、既に出ていた。デュエルとブリッツがあっさり追いつめられ、その上逃げて相手を釣る簡単な戦法に引っかかってイージスが頭を落とされては、もう見ている事は出来なかった。それだって、イザークとルナマリアが戦場で口論を始めたのを我慢しており、ギリギリまで先兵達に任せていたのだ。突っ込んでいくガモフを見たハマーンは、すぐさまガモフへ回線を開いたが、
「これは私のけじめ、ハマーン様おさらばでございます」
「……」
 直立不動で敬礼するゼルマンを見て、そのまま行かせたのだ。もしも強引に止めれば、恥じてそのまま小惑星にでも突っ込みかねないと見たのである。それに、一機だけで止められるものではない。何よりも、ストライクが小型艇を守って守勢に立たされており、捕らえるとしたら今が千載一遇の機会なのだ。
 ガモフの突撃は放置し、ハマーンはキュベレイを急行させた。
「ちっ、何なんだよこの強さは!こいつは化け物かっ!?」
 冷静さを取り戻した事で、シンジは状況を分析する余裕が出来ていた。わらわらと群がる連中が、ストライクとメビウスの抵抗に遭っているとは言え小型艇を攻撃しない――寧ろ当たらぬようにしていると見抜いたのだ。だとすれば理由はただ一つ、ストライクに荷物を背負わせたまま戦わせる為だ、と。
 シンジの決断は早かった。そうと気付くや、すぐにジンの殲滅に出たのだ。もう良いからとムウをアークエンジェルに戻し、対艦刀を手に敵軍へ斬り込んでいく。燃える闘魂を背負った三人ならいざ知らず、ジンなら数だけいてもストライクの敵ではない。袈裟斬りにされ、或いはブーメランで撃ち抜かれ、あっという間にその数を撃ち減らしていく。イザーク達も、仲間が邪魔になってしまい、全力で攻撃が出来ずにいる。
 だが、一転攻勢に出た事で隙が出来た。横から突っ込んできたブリッツの右腕を斬り落とした時、デュエルが背後に回り込んだのだ。
「あ、しまった」
 妙に危機感の足りない声で呟いた時、デュエルの手はライフルの引き金に掛かっていた。ルナマリアがわざわざ突っ込んだのは、無論囮策である。そしてそれは見事に的中し、ストライクに向けてまさに引き金が引かれようとしたその時、小型艇がその間に割って入った。無論偶然だが、一瞬イザークは引き金を引くのを躊躇い、その間にストライクは体勢を立て直していた。
 それを見たイザークの中で、何かが切れた。
「このっ…この逃げ出した腰抜け兵がー!!」
「イザーク駄目っ!」
 銃口が小型艇に向いたのを見て、ストライクがビームブーメランを引き抜く。シンジはもう、躊躇う気はなかった。
 だがその直後、ストライクの肩口を鈍い衝撃が襲った――ライフルを持ったデュエルの腕が直撃したのである。
「…あ?」
 デュエルが腕を撃たれ、しかもそれが断たれる程の衝撃であり、断たれた腕が飛んで来たのだと理解するまでに数秒掛かった。
「ハルバートンが、自分達だけ逃げる道を選ぶものか。クルーゼの配下には使えぬ者ばかり揃っているのか。とは言えシンジ――これで一つ借りは返したぞ」
 通信窓が開き、ハマーンの涼しげな声が響く。
 まだ傀儡状態になっていたキラが、それを聞いた瞬間ぴくっと反応した。ゆっくりと顔が上がり、キラがハマーンを見据える。
(シンジさんは…絶対に渡さない)
 そんなキラの内心を、シンジは知る由もなかった。
「そう来たか。やれやれ」
 とは言え、ハマーンの思わぬ闖入で攻撃は止まり、小型艇が一気に降下していくのを見てシンジは内心で安堵の息を吐いた。
「ルナマリア」
「は、はい」
「貴様はイザークを回収して戻れ。言っておくが、これ以上戦場での痴話喧嘩など許さんぞ」
「だっ、誰も痴話喧嘩なんてっ…りょ、了解しました」
 抗議し掛けたルナマリアだが、ハマーンの一瞥に遭い、何も言えずにすごすご戻っていく。
「さて、小型艇を錘にしてると見抜いての攻勢はなかなか見事だった。本来ならお相手願いたいところだが、生憎時間が無さ過ぎる。何れ地上で会おう。もう一つ借りを返し、その時こそ私が自ら討ち取ってくれる。では、地球まで送ってやる」
「『送る?』」
 二人が怪訝な顔になった直後、キュベレイが一気に肉薄してきた。もうキラの傀儡化は解けており、シンジよりも反応速度は落ちている。慌てて避けようとした時にはもう、キュベレイがストライクを思い切り蹴飛ばしていた。体勢を崩したまま、機体が急速に落下していく。
「シンジさんっ」
「分かってる」
「メネラオスがっ!」
「ナヌ?」
 見ると、ガモフを爆散させたものの重力圏から離脱出来なかったのか、艦が炎上するところであった。
「……」
 シンジが何も言わずに十字を切るのを見て、キラもぎこちない手つきで倣う。他にもいい方法があるような気もしたが、思いつかなかった。
「ところでヤマト、時間はどうなってる?」
 シンジに訊かれたキラが、あっと小さな声を上げた。
「もうフェイズ3まで移行しています」
「ふむ。で、戻れる?」
「それが…」
 申し訳なさそうに俯き、
「ストライクの推力ではもう…あぅっ!?」
 不意にシンジがキラを抱きしめたのだ。
(シンジさん…何処までも一緒に…)
 キラがそっと身をもたせかけたのは、その想いの現れからだったが、シンジはこんな所でキラを死なせる気は微塵もなかった。
(プライドに賭けても守ってやらないとね。とりあえず水、だな)
 不安定な姿勢のまま、ストライクが地表へ向けて真っ逆さまに落下していく。
  
 
 
 
 
(第三十九話 了)

TOP><NEXT