妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第三十八話:ミーア先生のお時間:ユーロミックスの子守歌
 
 
 
 
 
 搬入の警備から戻ったシンジは、キラを伴ってステラの元を訪れた。
「お兄ちゃん、来てくれたの」
 ステラが嬉しそうに笑ったが、その表情がまだ完調には戻っていないと知り、シンジの表情がわずかに曇る。
「無理して起きなくてもいいから、そのまま横になっていて」
「うん、でも大丈夫。ステラ病気じゃないから」
「疲労が溜まっているのだろう。ほら、横になって」
 シンジの手で横たえられ、毛布を掛けられたステラの顔はどこか恥ずかしそうだ。
(?)
「あの…お兄ちゃん」
「ん?」
「べ、別にその病気とかじゃないし…もう休んで治ったから大丈夫」
「あまりそうは見えないが」
「だ、だからその大丈夫なんだけど、その…」
 何故か赤くなり、口ごもっているステラを見てキラはピンと来た。が、シンジは分からないらしく、怪訝な顔でステラを見ている。
「ステラ?」
「そ、そのちょっとお腹が…」
「そうか」
 得心したようにシンジが頷き、
「お腹をこわした時は暖かくしているのが一番で…痛!?」
 ぽかっ。
 後ろから、レコアのノートがシンジの頭を一撃し、
「何を勝手に決めつけてるのよ。男には無縁だからって余計なこと言わないの」
「男には無塩?無鉛…無煙…あつっ!?」
「字が違うわよ、本当に鈍いのね。つまり、あの日なのよ。月経、分かり易く言うと生理!分かった!?」
「…お前が一番ストレートじゃないか」
「え…あっ」
 見ると、ステラが顔を真っ赤にしてもじもじしている。
「ご、ごめんなさいねステラ」
「い、いえ…」
「まあいい。ステラに話があってきたんだ。ちょっと起きてくれる」
「はい」
 ちょこんと座ったステラに、
「前回は残念だった」
「!?」
 ルナマリアと引き分けに終わった事を思いだし、ステラの顔が一瞬で青ざめる。
「別に責めてる訳じゃないんだ。ただ、戦闘とはそういうものだということ」
「『?』」
「ステラはヤマトより訓練は積んでいるし、操縦能力も高いと思う。現に、つい先だっては三機を蹴散らしてブリッツを捕らえたのだから。それでも感情的になると今回みたいに勝てなかったりもする」
「はい…」
 消え入りそうな声だったが、シンジはその手をそっと取った。
 続いてキラの手を。
「二人が前からの知り合いだった事、そして二人の間に何かあった事は知っている。ただ、私はヤマトが危険な迄に優しい娘だという事は分かってる。そして、それが危険を招く事も承知で、あえて墜とさずに捕らえる方法をとっている。だから、もしも私が同乗していて危険な目に遭ってもステラ、ヤマトを責めないであげてほしい。無論、ヤマトもね」
「シンジさん…」「お兄ちゃん…」
 シンジは増幅器(ブースター)の役目は出来るが、直接操縦できるわけではない。しかも相棒はフェンリルではなく、ここは異世界と来ている。目下は敵を凌駕しているが、このままずっと楽に行けるなどとは思っていない。現にハマーンにはあれだけ手こずったのだ。キラの身は最大限守るつもりでいるが、万一キラを庇って自分に何かあった場合、かなりの高確率でステラがキラを責めると見ていたのだ。
「二人ともいいね」
「『はい…』」
「良い子だ」
 二人の手を包み込んだシンジは、その手をすっと放すと二人を引き寄せ、その頬に軽く口づけした。
「『ひゃっ!?』」
 見ていたレコアまでもが、何故か赤くなるような動作であった。
「とりあえずヤマトと出る用意をしておくからレコア」
「何?」
「絶対安全でなければ出すなよ」
「ええ、分かってるわ」
 
 
 
 おハルさん、ことデュエイン・ハルバートンが名将と呼ばれたのは、その地位には似合わずひどく柔軟な思考を持っていたからだ。数頼みで始めた戦争だが、ザフトのMSには対抗出来ぬと悟ってG計画を推進したのもハルバートンだし、将校クラスになっても自己保身のみに走らぬと、その名は広く知られていた。
 そんなハルバートンだから、シンジの言葉に嘘がない事を感じ取り、ラクスを返した事を咎めようともせず、オーブまでの道行きを頼むと頭を下げたのだ。
 がしかし。
 ホフマンは違う。俗物ではなかったが、ハルバートン程の度量は持っていなかったし、何よりも二度も吹っ飛ばされた事で、シンジに対しての印象は相当悪い。失神していた間、シンジ達と何を話したのかハルバートンから聞きだしたのだが、ラクスを逃がしたと聞いたその顔は、羅刹みたいな表情になっていた。
「しかし閣下、少々まずいでしょうな」
「何?」
「確かに、その異世界人とやらは奇妙な働きをしたようです。しかし、あのハマーンがわざわざ丸腰でやってきて、しかもそれを見逃した――普通に考えれば非常に怪しい行為です」
「ホフマン、何が言いたいのだ」
「あの異世界人とハマーン・カーンの間に、どんな会話があったのかは知りません。ですが、少なくとも捕らえる位はするべきでしょう。それをしなかったというのは随分と妙な事…その力が強力というのなら尚のこと艦隊が合流している間は、戦いに出すべきではありませんな。万一ハマーンとの間に意思の疎通でもあれば、第八艦隊は腹背に敵を受ける事となるのですぞ!」
 縛っておくのが難しいなら、せめてアークエンジェル内に留めておくべきで、敵の前に出してはならないとホフマンは執拗に説いた。のみならず、ただでさえコーディネーターに操縦させているのに、そこへ異世界人など加えてはアラスカのみならず月面基地でも反感を買うだろうと、言葉巧みにハルバートンへ吹き込んだのだ。
 こういう讒言をやらせた場合、見事に成果をあげるタイプとあっさり失敗するタイプがいる。
 そして――ホフマンは前者であった。
 かくして、ハマーン率いる三隻と積載しているMSを相手に先端を開いた時、アークエンジェルは懐深くしまい込まれることになったのだ。
 
 
 
 
 
「目標はアークエンジェルだが、どうやらアークエンジェルとストライクは、大事にしまい込む気になったらしい。MSは全機出撃、戦艦とMAではMSに勝てぬと、身を以て教えてやれ!」
 ハマーンの号令一下、待ちかねていたMSが一斉に飛び出していく。ストライクにはかすりもしなかったジンが大半だが、地球軍のMAはそのジンに大苦戦を強いられてきたのだ。
 救出係として赴かせたルナマリアがシグーに乗ったのは、ブリッツの取説を読んでいなかったからだ。シグーはジンの発展系だが、ブリッツは根本的に違う。いくらルナマリアといえども、見ず知らずの機体は扱えまいとシグーで送り出したのだ。
 が、一通り機能については理解したので出す事にした。元より、イージスやデュエルも奪った時には大まかな知識しかなく、それでも地球軍を蹴散らして悠々と戻ってきたのだ。まして相手はMAであり、ルナマリアでも十分働けると見たのだ。
「旗艦に乗っているのはハルバートンだ。あのGの建造を推進したと聞いている。ここまでの報告を受けていれば、ストライクは真っ先に出してくる。その気になれば一機だけでこちらの大半は墜とされるだろうからな。だがそれも――」
 ハマーンの口許に冷たい笑みが浮かぶ。
「コーディネーターと異世界人の組み合わせを、信じる度量があればこそ、だ。ハルバートンも、度量ではアークエンジェルの艦長に劣ると見える」
 
 
 
 
 
「しかしいいのかよ。第八艦隊は数だけ多いがあの四機相手じゃ保たないぜ」
「理由があって自艦隊を減らしたい、と言うなら別だが、そうでないならストライクを出さない理由は限られてくる。一つはおハルさんが疑心暗鬼になった。そしてもう一つは切り札として取っておく為。が、第八艦隊にはMSがなく、MAはMSに勝てないと相場が決まっている以上、猜疑心に囚われたと見るのが妥当だろう。大方、讒言でもあったのだろうな」
「なるほどねえ…って、感心してる場合か!何とかして出ないとこの艦まで危なくなるぜ」
「なら、フラガが姉御に掛け合ってみるがいい。行ってきてと言われれば重畳だ」
 危機感の欠片もないシンジに、業を煮やしたムウだったが、
「本艦へ出撃命令は出ていません。大人しく待っていて」
 と一言で、反論の余地も与えないまま回線は切られてしまった。
「ほら、な?」
「いやほらなって…」
「いいんだよ」
「イイ?」
「ちょっと、ヤマトと戦況を見物に行ってくる。どれだけ保つか知らんが、壊滅の兆しが見えたら勝手に出撃(で)るから。それより、ステラの体調があまり良くない。フラガ、ハマーンが出てきたらイージス以下、四匹の相手は頼むかも知れないからよろしく。豎子、ともに謀るに足らず。命運を共にする事もあるまい」
「は、はあ」
 シンジとキラが去った後、ムウはコジローを振り返った。
「豎子ってなんだ?」
「さあ…」
 コジローは男臭い顔を傾げて、
「ほれ、仏教徒とかいうのでお題目だか念仏だかを唱える時に使うあれじゃないですかい」
「ああ、あれか…ってそりゃ数珠だろ。大体なんで数珠が出てくるんだ」
「さあ…?」
「……」
 とりあえずシンジが、出撃予定でいる事は分かった。が、数珠で何を計るのかがさっぱり分からない。
 シンジが口にしたそれは中国古の時代、後の高祖劉邦の器を見抜き、鴻門での宴で出る杭はさっさと打つべし、とその抹殺を促して受け入れられなかった范増が、駄目主君の優柔不断を嘆いた台詞である。
 なおその優柔不断な主君は、名器と巨乳で知られる虞美人を愛人にしていた項羽であり、豎子とは使えないろくでなしで役立たずで駄目人間、位の意味である。
 
 
 
 
 
「おいおい、地球軍ってのはこんなに弱かったのか?」
 さすがに最新鋭のGシリーズに乗った赤服だけあって、四機は強かった。無論ジン等とは違い、最初から自分達の機体ではないのだが――それだけMAとの差があるという事だ。
 ハマーンがわざわざ殲滅戦を命じたのは、味方が壊滅していけば、シンジはいざ知らずアークエンジェルに乗っている士官達はたまらず出てくると読んだからだ。つまり、今まではアークエンジェル一隻で良かったが、第八艦隊を庇いながらではそれだけアドバンテージも大きくなる。
 庇うものが多ければ、それだけ不利になるのは言うまでもない。
 ただ問題は――。
「全滅する前に出てきてくれればいいのだがな」
 最後方に下がられ、第八艦隊が全滅してから悠々と出てこられたのでは、疲労を考えてもこちらが絶対不利になる。それはハマーンにとって最悪のシナリオだ。
 とまれ、戦闘開始数分も経たずして、あっという間に地球軍は数隻の戦艦を喪っていた。
「見たところ圧倒的優位だが…アデス、この意味が分かるか?」
「敵に何が策があると?」
「違うな」
 ハマーンはふっと笑った。
「ストライクに――いや、異世界人一人の影に囚われているのだ。私も、そしてあいつらも。こちらが優位であればあるほど、四機で掛かってもアークエンジェルもストライクも捕らえられなかった現実は、重くのし掛かってくる」
「……」
「これだけ有利な展開でも、碇シンジを搭載したMSが出てくれば、あっという間に戦況は色を変えるだろう。一騎当千とはよく言ったものだ。しかもパイロットではなく、単に同乗しているだけでそれが出来る、とはな。捕まえてじっくり解剖してみたいものだよ」
 無論ストライクは敵だが、先だってブリッツとニコルとラクスの三点セットを取りに行く時、ハマーンは丸腰で行く事を全く躊躇わなかった。しかも、こっそり持って行った銃は出撃したクルーゼを後方から撃つ事に使ったのだ。勿論、アデスとてハマーンが内通したなどとは微塵も思っていない。が、ハマーンの言動を見聞きする限り、その異世界人を単に討つべき相手とだけ思っていない事は分かる。
 味方からも畏れられるこの知将と、正体不明の異世界人との間で一体何があったのかと、アデスはちらっとハマーンを見た。
「何だ」
 すぐにばれた。
「いっ、いえその…ハ、ハマーン様も出撃されるのですか」
「艦隊が全滅する前に、碇シンジ同乗のMSが一機だけ出るなら奴らに任せておく。雪辱の機会位は与えないとな。だが一機だけでないのなら私も出ざるを得まい。坊や達には荷が重すぎる」
「はっ」
 
 
 
 
 
 ヴェサリウスの中でそんな会話があった事などつゆ知らず、メネラオス内ではハルバートン以下、士官達が蒼白になっていた。戦闘不能が二隻に撃沈された艦が二隻、MAに至っては既に十数機を失っている。一方敵に与えた損害はと言うと、やっとジンを一機墜としただけだ。
「イージスにバスター、デュエル・ブリッツと勢揃いか…ちっ」
 飛び込んでくる報告はいずれも味方の被害ばかりで、これが本当の目を瞑っていても情景が浮かぶ、というやつだ。
「セレウコス、カサンドロスに突撃照準!」
「何!」
 いずれも戦闘不能になり、離脱しようとしていた艦だが、敵から見れば別に逃がす理由など無い。少なくとも、白旗を掲げて降伏する事は絶対条件だが、別に降伏するでもなく単に体制を立て直しに掛かったとしか見えない。
 敵艦からの砲撃でよろよろしている所を撃ち抜かれ、宇宙(そら)に二発の大火輪が咲いた。
「離脱中の艦を…おのれクルーゼ!」
 憤慨したハルバートンだが、戦場で敵に背を向ける方が悪い。
 現在ヴェサリウスにはハマーンが搭乗して指揮を執っているのだが、クルーゼはストライク――正確にはシンジ――を攻撃しようとした事でハマーンに撃たれ、プラントへ退散していると知ったら何と言っただろうか。
 一方アークエンジェルでは、シンジがふらりと艦橋にやって来ていた。
「姉御いる?」
 片手を上げて入ってきたシンジに、マリューが目を見張る。
「シンジ君?どうしてここに」
「戦況を見物に来た。やっぱり殲滅戦は大パネルで見ないとね」
 うっすらと笑ったシンジに眉を顰めた者もいたのだが、何も言わなかった。シンジが怖いと言うよりも、アークエンジェルやストライクに何もさせないのは変だと、彼らも感じ取っていたのである。
「ところでバジルール」
「何でしょう」
「ガイアはともかくストライクは完調だ。このアークエンジェルもあんなちっちゃな戦艦よりは役に立つ。で、どうしてこんなところで護衛されながら進んでいる?」
「そ、それは…」
 ナタルはこの時、ストライクを出さない理由を知らなかった。と言うよりも、ハルバートンがシンジに頭を下げた所を見ているだけに、理解できなかったのだ。好き嫌いの感情を別にすれば、ストライクとガイアを出すのが一番良い。おそらく地球軍のMAを全機足したよりも遙かに効果はあるだろう。第八艦隊の戦艦もMAも、敵を捕らえるどころか傷を付ける事さえ出来ていないのだ。辛うじてジン一機を墜としたが、あのGシリーズの性能はジンを確実に上回り――ステラのガイアはそのブリッツをあっさり捕らえたのだ。
「バジルールは純粋だな。謀(はかりごと)には向いてないと見える」
「なっ!?」
 いきなり純粋だなどと言われ、眼を白黒させたナタルだが、シンジは別にからかった訳ではない。さして意味を持った言葉でもなかったと見えて、
「姉御、どこか席空いてる?」
「席?」
 見回したが、サイ達が着席してる状況で空いている筈もない。
(し、仕方ないわよね…)
 自分に言い聞かせるように内心で呟き、
「ちょ、ちょっと狭いけど…」
 お尻をずらして自分の横を指した。無論二人用の椅子ではないが、前線からすっかり離れたでぶが座っても良いように、ある程度の大きさはある。
「ありがと」
 躊躇う様子も見せずにシンジが腰を下ろすと、二人の身体がぴたりと密着した。
「『!?』」
 ちらっと艦長席を見た者もいたが、慌ててカサカサと視線を逸らす。彼らはこう言う時、最適な言葉を知っていたのだ。
 即ち――触らぬ神に祟り無し、と。
(姉御)
 身体がくっついた状態で、シンジがマリューの耳元に囁いた。
(な、何?)
 ただでさえゼロ距離に近いのに、しかも耳元で囁かれてマリューが赤くなったが、
(あと5分と保たないな。出るよ)
(え!?)
 シンジの言葉と口調にその顔が引き締まった。
(悪あがきしてはいるが、所詮水鉄砲対重機関銃だ。これ以上殲滅されるのを見たくはあるまい)
(え、ええでも…)
 囁き合っている二人の眼前で、MAが三機まとめて撃ち抜かれた。ぶっ放したのはバスターである。
(部下の讒言で疑心暗鬼になり、ストライクを出せないようではもはや駄馬。ま、姉御が全滅するまで待つならそれでもいいけど?その方がやりやすいから)
「『!?』」
 今度こそ、皆の視線が二人に向いた。何せマリューとシンジが一つの席に身体を寄せ合って座っている時点で、嫌でも神経の七割五分くらいはそちらに向く。しかもこのシンジ、耳元で囁いている割に声量はそんなに下げていないのだ。
 疑心暗鬼になってストライクをだしていないだの、艦隊が全滅した方がやりやすいだのと、一体どういう事なのか。
 たまりかねて立ち上がったのはナタルであった。
「い、いか…碇さんっ」
「何よ」
「そ、その…言われてる事がよく…分かりません。疑心暗鬼とは誰の事なのです」
「姉御と内緒話していたのに盗み聞きは良くないと思う」
 なら声量下げろよ!と内心で突っ込んだのは、一人や二人ではなかったが、口にはしなかった。
「疑心暗鬼とは無論おハルさんの事。コーディネーターに加えて異世界人とやらが乗っているストライクを出し、万一この状況で気変りでもされたら挟撃される事になる、とね」
「気変り…裏切ると!?」
「そういう事だ。無論、本人がそう思っていたらあんな反応はするまい。おそらく、と言うより九割九分誰かに唆されたのだろう。分かった?」
「え、ええ…ですが全滅した方がいいと言うのは…」
「そんな顔をしなさんな。別に全滅を願ってるわけじゃない。が、状況を考えればそれが事実なのだ。目下、イージス達やジンの餌食になってるMAは、はっきり言って殆ど役に立っていない。あれでは特攻を掛けてもジンを墜とすのが精一杯だろう。そんな中で出撃すれば、どうしたって連中もある程度庇わなきゃならない。艦隊が全滅すれば、守るのはこのアークエンジェルだけになる。敵もそんな事は分かっているから、元から追っていたこの艦へまっすぐ向かわず、ご丁寧に殲滅の作戦を取ってるのさ。早く来ないとお仲間が全滅するぞ、とな。それを分かっていないのはメネラオスに乗ってるボンクラな軍人だけ。了解?」
「りょ、了解…」
 明快な、と言うより単純な説明だが、明らかに艦隊全てを潰しに掛かっている敵を見れば、得心出来過ぎる程の内容であった。
 アークエンジェルを引っ張り出す為に、わざわざ殲滅をやってのけていると言う。
「この艦は動くな、とおハルさんは言った。艦は動かずストライクだけ出ろ、と言う事はあるまい。つまり現状待機は軍令って事になる。が、このまま見物していれば間違いなく第八艦隊は全滅――アークエンジェルを除いてね。こっちを引っ張り出したい以上、おそらくこっちへ向かってくるのは最後の最後になるはずだから。軍人は上官命令には絶対服従だが、放っておけばお仲間が全滅する。さてバジルールどうする」
「わ、私に言われても…」
「あなたの意見を聞いているのだバジルール。別に責任を問おうとかつまらない事は考えてない。この状況での最善策をどう考えるか、と訊いている」
「…か、艦隊を離脱すれば…」
「離脱、とは?」
「本艦だけ降下に移るのです。敵の狙いが本艦なら、奴らを引きつけて艦隊からは引き離せます」
「つまり、この態勢のまま囮になってさっさと逃げる、と」
「そうです」
「むう…」
 シンジは微妙な表情で首を傾げ、
「四十五点というところだな。降下に移れば、敵はこの艦を目指して殺到してくるだろう。振り切るのは構わないが、敵がいなくなる訳じゃない。獲物を逃がして不機嫌な奴らの前に残るのは、ストライクもガイアも搭載していない弱っちいMAと惰弱な戦艦だけだ。なぶり殺しにされるぞ」
「で、ではどうしろと!」
 思わず声の大きくなったナタルだが、シンジは別段気にした様子もなく、
「姉御はどう思う?」
 と訊いた。
「えっ?」
 困ったのはマリューである。マリューもまた、ナタルと同じ事を考えていたからだ。
(も、もーいきなり訊かないでよね)
 が、恨み言を言っても仕方がない。何よりもマリューは艦長なのだ。
(で、でもどうしたら…あっ)
 出るよ、とシンジが言った事を思い出したのだ。それに、ナタルの言った単独降下自体は悪くない筈だ。
「降下自体は悪くないと思うわ。でも先に掃除が必要ね。ある程度敵を片づけてから降下を開始、この艦に敵を引きつけてその間に第八艦隊には撤退してもらう。格好は悪いけど、損害は一番少なくて済むと思うわ」
 シンジはふふっと微笑った。
「シンジ君?」
「良い案だ。ではそれで行こう。そうだな、被害があと…あ、墜ちた」
 言いかけた時、今度はブリッツのグレイプニールの直撃を受けて、MAが二機炎上した。それを見たシンジがすっと立ち上がり、
「これよりストライクは出撃する。姉御、メネラオスへ回線を繋いで、敵を引きつけて降下してやると伝えて。反対したらこう言うんだ――匹夫いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや、と」
「お、お尻っ?」
 かーっと赤くなったマリューの頬をむにっとつねり、シンジはすたすたと出て行った。
「誰か…意味分かる人いる?」
 誰も答えない。どうやら知らないらしい。
 匹夫とは無論お尻の事に非ず――豎子よりも更にランクダウンした蔑称だ。
 なおこの言葉を使う時、匹夫ではなく燕雀を使うのが普通である。
 シンジの出て行った後、メネラオスへ回線を開いたマリューが見たのは、苦渋に満ちたハルバートンの表情であり、降下を告げると意外にもあっさりと許可が出た。
「だいぶ…鈍ったらしいな…」
「え?」
「いや、こちらの話だ。アークエンジェルはきっちり送ってやる。送り狼は一匹も通さないから安心するがいい!」
「え?あ、あの閣下…」
 掃除までこっちでやります、と言おうとしたのだがマリューの反応を待たずに回線は切れた。
「どうしよう…」
 盾になどなられたらそれこそ困るのだ。
「仕方ないんじゃないですか」
 振り向いたのはトールであった。
「コーディネーターだからとか異世界人だからとか、そんな理由で碇さんやキラを出さなかったのは向こうですよ」
「確かにね。でも、だからと言ってシンジ君は艦隊を全滅させる為に出撃したんじゃないのよ…」
「ではどうされるおつもりですか。邪魔だから大人しくしていろと、提督に進言でもされるのですか」
 横から口を出したのはナタルだが、その言葉には明らかにトゲがある。
「!」
 マリューがナタルを睨み、ナタルがにらみ返す。仲直りした筈の二人が、また険悪になっているのは無論理由がある。
 とまれ、女同士の睨み合いをよそに、
「本艦隊は間もなく、大気圏突入限界点までの、アークエンジェル援護防衛戦に移行する。厳しい戦闘ではあるが、地球軍の意地に賭けても一機も敵を通すな。各員、一層奮励努力せよ!」
 という、男気と無謀さの溢れた命令が流れてきた。
 それを聞いてびっくりしたのがキラである。
「シ、シンジさん、私達が片づけて第八艦隊を逃がすんじゃ…シンジさん?」
 ひょいと横を見たキラは驚いた。シンジは、キラがかつて見た事のない表情をしていたのである。
「皇国の興亡この一戦にあり、か。兄弟三人を失っても、桜花の紋章は祖母の誇りだそうな」
「シンジ…さん?」
「適当に持ってきたのか或いは何らかの思いがあったのか…ヤマト、出撃するぞ。敵を倒す為ではなく――我が前に立ち塞がる愚か者を滅ぼす為に」
「は…はいっ!」
 メネラオス内では、
「閣下、アークエンジェルだけを行かせて良いのですか」
「死んでいった者達への、せめてもの償いだ。最初からストライクを出していれば、ここまでの損害は無かったろう。あれを出せなかった私のミスだ」
「……」
 ホフマンの讒言でシンジ達を控えに回してしまったハルバートンだが、眼前の惨状を目の当たりにしてひどく後悔していた。自分達がまったく歯の立たない敵を相手にして、アークエンジェルは二機のMSだけで、殆ど無傷でここまで来たのだ。それなのに部下の言葉に踊らされて兵士達をあたら死なせた以上、アークエンジェルは何としても降下させるとハルバートンは決意していた。
 そう――例え我が身と引き替えにしても。
「全軍に通達。陣形を建て直して迎撃態勢を取れ。艦を密集させ、決して敵を通すなと!」
「了解」
「それから小型艇をさっさと出せ。今ならまだ間に合う」
「はっ!」
 
 
 
 
 
「グゥレイトッ!数だけは多いぜ!」
 前半と後半の繋がりが不明な台詞を呟きながら、嬉々として撃ちまくっているのはバスターのディアッカだ。
 一方デュエルのイザークはと言うと、血眼になってストライクを探し回っている。何としても自分が手足を切り落とし、達磨にしてから逃がしてやると固く決意していたのだ。捕まった挙げ句に傷を癒され、詫び付きで帰されたのをただ討っては、ジュールの名に傷が付くとその意志は固い。
「イザーク、前に出すぎだぞ」
「うるさいっ、この腰抜けが!」
 と、アスランが言ってもまったく聞かないので、仕方がないからルナマリアのブリッツが付いている。
「イザーク、いくら何でもそんな斬り込み方は無茶よ。取り囲まれたらいくらデュエルだってピンチに陥るわよ」
「黙れブタマリア!」
「ぶ、豚!?い、い、言うに事欠いて豚ですってー!」
 昨日、体重計に乗った所一キロほど増えており、ルナマリアの乙女心に大いなる傷が刻まれた。無論イザークがそれを知っているとは思えないが、言って良い事と悪い事がある。
「だ、誰が豚なのよっ!」
「お前だお前。ブタマリアはさっさと下がってろ」
「ふうん…そーゆー事言うんだ…」
 ルナマリアの表情が変わった。すう、とその眼が据わり危険な色を帯びる。
「マザコン」
 ぼそっと呟いた言葉に、イザークが敏感に反応する。
「何だと!」
「マザコンだからマザコンって言ったのよ。未だにエザリアさんのおっぱいから離れられないくせに。ママのおっぱいの禁断症状でヒステリーでちゅかー?」
 陰湿とかねちねちとか、男は女に遠く及ばない。図星かどうかはともかく、イザークの眉がみるみる吊り上がっていく。
「こっ、こっ、このブタマリアがー!」
「何よこのマザコン!」
 
 
 
「なかなか…仲の良い恋人達だな」
 ハマーンの声を聞いた途端、アデスは背筋に冷たいものが走るのを感じた。スクリーンには、戦場のど真ん中で銃口を向けあっているデュエルとブリッツが映っている。
「ハ、ハマーン様…い、いかがなさいますか」
「出るぞ。キュベレイを用意しろ」
「はっ!」
 私が自ら、とアデスは席を立った。
 その怒りが自らに向けられていないと知っても、冷気を帯びたハマーンの視線はそれだけでその場の空気を凍てつかせており、それには耐えられそうもなかったからだ。
 冷ややかな視線を両機に向けたまま、ハマーンはアスランとディアッカへ回線を開いた。
「貴様らにも、あの仲睦まじい恋人達の姿は見えているな」
「『は、は、はいっ』」
「別に止めずとも良いから、二機の側に付いていろ。私がキュベレイで直々に撃墜してくれる」
「『!?』」
 それを聞いた二人が慌てて二機へ向かってすっ飛んでいく。既に異変を察知してジン数機が護衛に向かっているが、仲間割れを見て取ったMAが突っ込んでくる。オペレーターが思わず声を上げた次の瞬間、二機の銃が同時に動き、斉射を浴びたMAは大爆発を起こして炎上した。
 
 
 
 
 
「フラガも出撃して」
「ほう!?」
 先回はご丁寧に回収されてしまったから、いきなり出撃をと言われてムウは驚いた表情を見せたが、やはり続く言葉は普通ではなかった。
「と言っても、ジンだの敵艦だのデュエルだのは相手にしなくていいから」
「え?お、おいそれじゃ俺は…」
「メネラオスから民間人を乗せた小型艇が射出される筈。ギリギリまでそれの護衛を頼む。それ以外の殲滅はこちらで引き受けるから」
「…分かった。いいだろう、小型艇へは一歩も敵を近づけさせん」
「頼む」
 ストライクが出れば、ジンはともかくGの四機は間違いなくストライクへ殺到する。少なくとも最大の難敵を抱える必要はないのだ。
 とそこへ、
「お届け物に来ましたわ」
 笑みを含んだ声がして、姿を見せたのはミーアとミーアに寄りかかって歩いてくるステラの姿であった。
「ステラ!?完全に治ってからと言ったのに」
「お兄ちゃん、ステラ出撃します」
「…もしもし?」
 何か様子がおかしい。またぞろミーアが煽りでもしたのかとミーアを見ると、
「もう、ステラってばひどいですわ。せっかく私が子守歌を歌ってさしあげたのに、がばっと跳ね起きて出撃した方がいいなんて」
「…はあ」
 ますます事情が分からないシンジの元へ、ステラがとことことやって来た。
 シンジの耳元へ口を寄せて、
「この間ラクス・クラインが歌っていたのと同じだったけど、ユーロミックスだった」
「そ、それはそれは」
 月経で体調を崩している耳元でユーロ調の歌など歌われては、出撃に逃げたくもなろう。
「それなら仕方ない。でも、決して無理はしないようにね」
「うん、ありがとお兄ちゃん」
 ムウのメビウスが、続いてステラのガイアが出撃していく。
 そして最後に、矢のように飛びだしていったのは、
「ストライク、これより吶喊する」
 かつてないオーラを帯びたストライクであった。
「『と、吶喊!?』」
 物騒な、しかも発進時にシンジが言葉を発したのは初めてであり、険悪だったマリューとナタルも思わず顔を見合わせたのだが、群がるジンの中に飛び込んだストライクが対艦刀を一戦させると、あっという間に三機が唐竹割にされた。
 エールでもランチャーでもなく、近接戦闘にはあまり向かないソードストライカーと来た。
 ハルバートンの言葉が、シンジの中の何かに火を付けたらしい。
 
 
 
 
 
(第三十八話 了)

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