妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第三十七話:来栖川クオリティ――Evil Point
 
 
 
 
 
「ではアスランもお気を付けて」
「ええ」
 見送る者と見送られる者、許嫁同士である筈の二人が交わした言葉はそれだけである。しかもアスランのみならず、ラクスまでもが互いの顔をまともに見ようとしなかったのだ。一体何があったのかと周囲の者達は内心穏やかでなかったのだが、無論当事者達は理由が分かっている――顔をまともに見られなかったのだ。
 身体を重ねたのは一度だけだが、その時は厳重に避妊しており、いくら出そうがまったく問題なかったのだが、今回は二人とも避妊具など携帯しておらず、しかも久しぶりという事もあって同時に達するのも早く――要は避妊せずに中出ししてしまったのだ。
 元々プラントには婚姻統制、と言う制度がある。人類が未だ完全には把握していない遺伝子操作から生まれた者達は、普通よりも妊娠・出産の率が低く、その為可能性の高い者同士の組み合わせを機械的に算出していた。無論、アスランとラクスはその計算に合致しており、単に親の意向だけで決められた相手ではない。
 つまり、妊娠率がかなり高いのだ。
 そして――ラクス・クラインはこの日危険日であった。
 お互いに合意の上だし、どちらが悪いという事もないのだが、騎乗位であられもなく腰を振って喘いでいたラクスも、殆ど保たずに出してしまったアスランも気恥ずかしくてたまらない。
 だから、端から見れば仲違いでもしたかのような別れとなったのだ。
 そのラクスと一緒に帰る事となったニコルは、ラクスの様子が気にはなったが、それよりもこの状況を安堵している自分に、複雑な思いを抱いていた。既にハマーンから、ルナマリアが呼び寄せられた事は聞いている。別に戦功に拘る性格ではないし、何よりもアークエンジェルにシンジがいる限り、墜とすのはまず無理だろう。強いとか強くないとか、そう言うレベルではないのだ。
(でも碇さんは敵なのに私…前線を離れてほっとしている…)
 ニコルは複雑な思いになるだけで済んだが、ニコルの両親はそうは行かなかった。確かに戦争へ行く事を反対はしたが、無論戦争は終わっていない。しかもクルーゼは負傷して戻るが娘は無傷で戻されたのだと知れば、一体何があったのかとびっくりするのは当然である。
「ハマーン、あの子に何か至らない所でもありましたか」
 心配そうな顔のロミナに、ハマーンは画面の向こうで微笑った。
「そうではないのだロミナ殿。今回ニコルを戻したのは、ニコルの責任ではなく私の指導容量の問題でな」
「あなたの?」
「ルナマリア・ホークを後方から呼び寄せた。赤服だが、前線に出すには不安が残るので実地で鍛える事になった。ただそうなると、クルーゼもそちらに戻ってしまい、他の連中も手が掛かるから、私一人で五人は面倒が見られん。だから、とりあえず目を離しても大丈夫なニコルを戻したのだ。済まない」
「いえ、ハマーンがそう言うのなら…」
「あの娘(こ)の責任などでは、断じてない事はこのハマーンが保証する。それよりもロミナ殿」
「はい?」
「久しぶりにニコルのピアノを聞いてやってくれ。暫く戻っていなかったから、ニコルの顔も見ていなかったろう。戦争はまだ終焉の気配を見せていない。ニコルがそちらにいられる時間もさほど長くはないのだ。状況によっては何時呼び戻す事になるかも分からないのだ」
「分かりました」
 ロミナは頷いた。
「ありがとうハマーン、お気遣いに感謝します」
 通信を切った後、ハマーンはソファに身を投げ出した。
「ニコル…母御の前でくれぐれも尻尾は出すなよ」
 
 
 
 
 
「碇さん、これでもう五回連続大富豪じゃないですか。何か細工してません?」
「異世界で、細工してまでトランプゲームに勝ちを収めたくはないよ。今日はたまたま運が良かっただけさ」
「もしかして向こうの世界でもそういう家の生まれなんですか?」
「ううん、そんな事はない」
 名将として知られるハルバートンが目覚めた時、その身体は縛られて床に転がされており、しかも子供達はトランプに興じている最中であった。
「…そろそろ起こしてもらえんかね」
 が、反応はない。
「聞こえないのか、いい加減に――!」
「いい加減に?」
 トランプに興じていた少年達が、一斉にこちらを向いたのだ。まるでハルバートンが起きるのを観察していたような表情であり、皆実験動物でも見るような視線で見下ろしている。
「いい加減にどうしろと?デュエイン・ハルバートン准将」
 穏やかな声で訊ねたのは、長い黒髪を揺らした青年であり、どうやらこいつがここの中心になっているとハルバートンは見抜いた。
「起こしてもらえると助かるのだがね。ついでに縄はほどいてもらいたいが」
「精神異常者には頼まぬ方が良い、と思うが?ほどいた縄でそのまま首を絞められる可能性がある」
 その口調は、どこか愉しげであった。
「異世界から来て、しかもMSを知らぬ者が同乗して戦果を挙げているなどと、普通は誰が信じるのかね」
「それもそうだな」
 ふむ、とシンジは得心した表情で頷き、
「ガーゴイルとケーニヒ、こちらを艦外へ放り出すから手伝え。呼吸補助装置は不要のようだ」
「『了解』」
 シンジの手がにゅっと伸びてくるのを見て、
「ちょ、ちょっと待ちたまえ。は、話し合おう。話し合う余地は、あ、ある筈だ」
「残念だが、たった今消滅した」
「わ、分かった!私の失言だ、認める!」
 言うまでもない事だが、戦場に於いて兵というのは常に死と隣り合わせであり、指揮官とて例外ではない。そのハルバートンがジタバタと藻掻いたのは、いくら何でもこんなところで艦外に放り出されれば死は確定だし、戦死との間に超えられない壁のある死に方はしたくなかったからだ。散る時は、戦場で散ると入隊した時から決めている。
「認めたからと言って、別に生かしておく理由はない。そもそも、プラントに核を撃ち込んで大量に抹殺した挙げ句、数を頼みに強引に開戦したいかれた連中の中ボスだろう」
「……」
「とはいえ、MAではMSに勝てぬと、MSの開発を企んだおハルさんに免じて、今回は釈放しておく」
「お、おハルさん?」
「デュエイン・ハルバートン、ではなかったのか?それともおフユさんの方がいいのか?」
「…おハルさんでいい」
 アジア連合を訪れた事が無かったら、言葉の意味は理解出来なかったろう。
(極東の出身者なのか?)
 まだ疑念が晴れた訳ではなかったが、とりあえずハルバートンは解放された。まだ失神しているホフマンは、転がされたままだ。
 咳払いして、
「精神病患者扱いした事はお詫びする。だが、この世界へ来たばかりにしては随分と慣れているようだが」
「異世界に飛ばされた者が皆、慌てふためいて自滅するのみとお思いか?少なくとも、状況を把握してさっさと対応出来る位には、悪の薫陶は受けてきた――例えそれが最上のものではなかったとしても。それに、私のいた世界とほぼ変わらぬ作りなのも幸いした」
「ふむ…」
 改めて、ハルバートンはシンジをじっと見た。話を聞いた時は一笑に付したものだが、その顔を見れば正気か気狂いか位はすぐに分かる。
「これは失礼した。既に知っているとは思うが、私は第八艦隊司令官、デュエイン・ハルバートンだ。この艦を守ってくれた事に感謝するよ。ありがとう」
 差し出された手を、シンジは黙って握り返した。
「それと報酬と言っては何だが――君らに伝える事がある」
「『?』」
 一同を見回し、
「君たちのご家族の事だが、消息を確認してきた。皆、無事との報告が入っている」
「『!?』」
 一瞬置いてどっと歓声が上がり、手を取り合って喜んだが、ヤマトの反応は微妙なものであった。無論嬉しくない事はないが、想い人は両親との再会など叶わないのだ。何せこの世界にいないのだから。
 もっともキラは、シンジの両親が揃って行方不明であり、いい年して仲良く世界旅行でもしているのだろうと、シンジが達観している事など知る由もない。
 と、ハルバートンがヤマトの表情に気付いた。
「キラ・ヤマトと言ったね。君は嬉しくないのかな?」
「い、いえその…そんな事はありません。でもシンジさんは…」
「俺の事は良い。それに、うちの親は二人して世界旅行中だ。異世界に飛ばされたからと言って、慌てふためく程間抜けじゃないよ」
 ふっと笑って、シンジがキラの頭を撫でる。
「ところでおハルさん」
「ん、何かね」
「なぜプラントに戦争を仕掛けた?」
「…!」
「核を撃ち込んだ挙げ句自爆だと言い張り、しかも戦争を仕掛けるというのは、相当なろくでなしの証明だがそれを責める訳じゃない。聞きたい事は別にある。ヘリオポリスでザフトの物騒な連中が襲ってきた時、ヤマトはストライクのOSを書き換えた。あの時点で、OSは開発途中では無かったと聞いたが」
「その通りだ。既にOSは実用レベルにあった」
「だがそのOSは、ヤマトに言わせれば機体の性能を引き出せるレベルではなかったと言う。ヤマトがあそこで書き換えてくれなければ、今頃は宇宙(そら)の藻屑と化している。無論ヤマトの優秀さもあるが、それだけではあるまい。同じ機体でも、ナチュラルとコーディネーターでは、運用範囲に雲泥の差がある。最初から勝算を無視した戦いだったのか?」
 それは、前から聞きたい事だった。雲南の地で、フェンリルとのコンビで雲霞の如き降魔を片づけたシンジは、質が量をあっさり凌駕する事を身を以て知っている。キラやステラの能力を見れば見る程、開戦自体が無謀だったように思える。別に無謀でも良いのだが、切り札位は持っていないと死んでいく兵に犬死にを強いるのと同義になる。
「数頼みだった、のは事実だよ。正直、ここまで長引くとは思っていなかった。だが、だからこそこのGシリーズを量産化させ、これ以上、兵を無駄死にさせる事は防がねばならないのだ」
「同じ機体では同等の戦いが期待できない、と言ったのが分からなかった?」
「……」
 やはり、単純な数頼みだったらしい。
「まあいい、おハルさんに突っ込んでもせんのない事。それはそうと、マリューの姉御から聞いていると思うが、月基地へ着いた後はオーブ行きの最優先をお願いしたい」
「それなら聞いている。が、その必要はない」
「無い?」
「と言うよりも、道筋が少し違う。アークエンジェルには、このままアラスカへ降下してもらうつもりだった。MSは何としても量産体制を取らねばならんからな。地球へ降下後、アラスカよりも先にオーブへ向かってもらう。それで良かろう」
「大幅な改造が必要だと思うが、そこまでは関知する所ではない。ではそのように」
「大幅な改造?補修ではないのかね」
「おハルさんも現場に出ておらず、少々理解能力が落ちたと見える。同性能の機体ならコーディネーターが上、そして見本とするにはこの上ないMSが四機、既に向こうへ渡っている。同じ物を作ってどうしようと?」
「確かにその点については、大いに考慮が必要だな」
 ハルバートンはあっさりと認めた。
「あのGシリーズは、ザフトのMSに対抗する為に考案したものだが、我々ナチュラルではあのOSレベルが運用の限界だった。それを君が書き換えて、敵の半分の数でこの艦を守ってくれたのだからな。アークエンジェルが殆ど無傷とは、恐れ入ったよ」
「い、いえそれは…シンジさんが一緒に乗ってくれたから…。私一人だったら怖くてとても…」
「いい騎士(ナイト)に巡り会えたようだな」
「はい」
 シンジの眉がわずかに動いたが、何も言わなかった。金色のヒゲをアフロにしてやろうか、位は考えたのだが、キラが嬉々として頷いているのでは無粋になる。
「ところで、君らには除隊許可証が発行される。あとで受け取ってくれ」
「『除隊許可証〜?』」
「面倒な話だが、民間人を戦闘に参加させると問題になってしまうのだ。君らを遡って志願兵扱いとし、合流を機に除隊とするのだ。早く降りて、ご両親を安心させてあげるといい」
「あ、あの〜」
「何かね?」
「俺は…い、いえ自分はトール・ケーニヒと言います。自分達はもう、残ると決めてるんですけど…」
「何と!本当かね」
 はい、と手が数本わらわらと挙がる。
「君らのおかげで色々助かったのは知っている。だが…ご両親に会ってもいないのだろう。戦場に残るという事は、死と隣り合わせなのだぞ」
「俺達は碇さんを信頼してますから」
 サイが笑った。
「異世界から来て、俺達をオーブまで送るって言ってくれた人を残して、自分達だけ降りるなんて出来ないっすよ」
「…そうか」
 数秒経ってから、ハルバートンは頷いた。
「碇シンジ君、と言ったな。随分と信頼されていると見えるな」
 否、とシンジは首を振った。
「数頼みで適当に戦争を仕掛ける連中が親玉だからな。影響を受けて、物好きで楽天家のナチュラルなんだよ」
 その表情を見たハルバートンは、仲間達が戦場に留まる事に、この青年が決して賛成してはいないと知った。
(単騎大軍の前に立ち塞がって味方を逃がすタイプか。なるほど、信頼されるのもむべなるかな)
 シンジを見直す気になったハルバートンだが、地球軍に対してかなり悪感情を抱いているらしいシンジが、どうしてここまで寝返る事もせず艦を守ってきたのか、とひどく気になった。
 それから十分後、シンジとハルバートンは廊下を歩いていた。たたき起こしたホフマンは、除隊許可証を作成しに戻っている。残ろうが残るまいが、書類は必要なのだ。役所仕事とは、そういうものである。
 まだマリュー達には、アラスカへ真っ直ぐ降りる事は伝えていない。ハルバートンが伝える事だが、一緒に来てくれと引っ張られたのだ。
「ここまで艦を守ってもらったが、私には何も報いる事が出来ずに済まないと思っているよ」
「いや、出来る事はあるんだ」
「ん?」
「先だって、ザフトの歌姫を拾った。名前をラクス・クラインという。おハルさんはご存じか」
「名前は知っている。プラント最高評議会議長、シーゲル・クラインの娘だろう。会えるかね」
「返した」
「何?」
「ザフトに返した、と言ったのだ。ハマーン・カーンに取りに来させてな」
「ハマーン・カーン!?ハマーンがクルーゼ隊にいるのか!」
 ハルバートンの顔を見たシンジがふっと笑った。同じ反応をされた事を思いだしたのだ。
「ハマーンはそうとう高名と見える。丸腰で来いと言ったら、キュベレイでのこのこやってきたので返しておいた。話はそこじゃない」
 見逃してくれ、と言うのかと思ったら違うらしい。と言うよりも、返した事など問題とも思っていないらしい。
「この艦は結構人手不足だが、余っている部署もある。医務室担当が二人いて、一人で十分の状況だ。エマ・シーンは私の事が余程気に入らないと見える。シュラク隊を降ろすので洗濯係がいなくなるから、交換で洗濯係を調達して」
「ちょ、ちょっと待て今なんと言ったのだね」
「洗濯係が欲しい、と。洗濯係は希少価値が高い?」
「そうではなくてその前だ!シュラク隊とか言わなかったか!?」
「マーベット以下、結構優秀な洗濯係だった」
「悪いがちょっと待ってくれたまえ…」
 壁により掛かって頭を抱えるハルバートン。
 拾ったラスク・クラインを返してきた、と言うだけで理解範疇のぎりぎりなのに、敵にハマーン・カーンがおり、しかもあのシュラク隊を洗濯係として使っていたという。常識という名の城に核が撃ち込まれ、音を立てて崩壊していく様が、ハルバートンの脳裏にはくっきりと描かれていた。
 たっぷり二分間、ハルバートンは動かなかった。
「そ、その何だ…」
「……」
「ラクス・クラインを返した時、そのままザフトに付かなかった事は…天に感謝せねばならんな…」
 辛うじて絞り出したのがこの台詞だったが、
「天に感謝する程でもない。私が私である限り、ザフトへ味方する事はあり得ないのだから。おハルさんは心配性と見える」
 微笑ったシンジに対し、もはや切り返す余力はハルバートンに残っていなかった。
 それでも、マリュー達三名を呼びつけた時には、もう表情は元に戻っており、大したもんだとシンジが感心した位だ。
「『アラスカまでこの人員で!?』」
 マリューとナタルの口から同時に声が上がり、一体何事かと内心で首を捻ったシンジだが、どうやら二人とも別れるものと思いこみ、仲直りでもしたのだろうと気付いた。そうでなければ、アラスカまで一緒だと知ってこんな反応はするまい。二人が顔を見合わせ、ぷいっとそっぽを向いたのがその証左だろう。ハルバートンが突っ込まなかったのは、二人にとって僥倖だったに違いない。
「そうだ。ただし、アラスカへ行く前にオーブへ向かえ。その後、アラスカへ向かうように。オーブは最優先事項だと、ミスター碇と話がついたからな」
「あ…」
 言われて、思いだしたようにマリューがシンジを見た。どうやら忘れていたらしい。シンジは反応せず、黙って聞いている。
「一刻も早く、このGはアラスカへ持って行かねばならん。量産の前に、大改造が必須なのだ。既に四機が向こうに渡っている以上、同じ物を増産したところで彼我の差は開くばかりだからな」
 奪取された事を責められていると思ったマリューが俯いたが、
「ヘリオポリスの倒壊からアルテミスの一件まで、君を責める気は無いのだよラミアス大尉」
 その口から出たのは、意外な言葉であった。
「状況からして、ザフトに情報が漏れていたのは間違いないだろうし、不測の事態を予測して十分な部隊を配置しなかった軍に問題がある。ここまで、よくGと艦を守ってくれたよ」
「閣下…」
「コーディネーターの少女達にも、そしてミスター碇にもお礼を言わねばならん。とはいえ、せめて無事に降りてもらおうと思ったら残るという。ますます以て何も出来ん。よって、ミスター碇の要請に応えさせてもらう事にした」
「シンジ君の?」
 何を要請したのかと、三人が怪訝な顔でシンジを見る。
「何って、バジルールのパンツとブラを洗濯してくれる人」
「なっ…!?」
 シンジの言葉に、ナタルの顔のみならず全身が真っ赤に染まった。言葉にならず、口をぱくぱくさせているナタルだが、
「シュラク隊を降ろすのだ。代わりがいるのは当然だろう」
 冗談めいた、どころか別に面白くもなさそうな口調でシンジが言った。
 シンジとナタルを眺めて、ハルバートンが豪放に笑った。
「確かにその通りだ。人員が割けぬ状況だが、私からのせめてもの礼に人数は用意させてもらった。それと、物資は積めるだけ積んでいくがいい。それからラミアス大尉」
「はい」
「その、今回の人員派遣について、エマ少尉と交換という申し出だったのが、それで良いのかね」
「エマ少尉を?」
 ちらっとシンジを見て、マリューは頷いた。
「シンジ君から話があったのなら、それで構いません」
 シンジが言い出したから、と言う事もあるが、レコアがシンジと気の合う事、そしてエマがシンジを気に入っていない事はマリューも知っている。レコアからも聞かされたし、自分でも直接確認したのだ。
「分かった。ではそのようにしよう。ミスター碇、洗濯等の担当については間もなく乗艦させる」
「よろしく。では俺はこれで。ちょっと出撃(で)てくる」
「出撃?敵の接近情報は入っていないぜ?」
「だからだよ、フラガ。連中が追っているのは第八艦隊ではなく、アークエンジェルとストライクだ。そのアークエンジェルがのんびりと補給を受けているなら――ハマーンは決して見逃さない。直接出てこなければストライクで事足りる。万一の時には姉御、ガイアを出して」
「ええ、分かったわ」
 ふわふわと出て行くシンジの背に、
「ミスター碇」
「?」
 ハルバートンの声にその足が止まる。
「さっきの少年が、君が俺達をオーブまで送ると言ってくれた、と言っていた。君が同乗するのはオーブまでだろう。そこまでの道程、この艦とストライクを頼む」
(……)
 マリューは驚いた。ハルバートンが、深々と頭を下げたのだ。
「オーブまではきっちり送る。五精使いの名に賭けて。そうでないと悪の経験値が下がるから」
「無事、元の世界へ帰れる事を祈っているよ」
 シンジは軽く片手を挙げて出て行った。
 その後ろ姿を見送り、
「生死のかかった戦場で、口先だけの者に決して人は付いて来ない。まして異世界から来たなど、それが真実と分かればそれだけで警戒、或いは敬遠してもおかしくないのに、ヘリオポリスの少年達があれだけ信頼する理由がどこにあるのか――羨ましいものだな。力でおさえるのではなく、自然と慕われる事など熟練した将にすら難しい事なのにあっさりとやってのけていたよ」
 食堂で少年達を見た時、ハルバートンはそれに気付いた。理解しがたい事ではあるが、目の当たりにした以上頑なに目を背ける愚将ではなかったのだ。
 アークエンジェルとストライクを頼む、と頭を下げたのは、自分とホフマンを失神させた危険人物ではあるが、それだけの力を持っていると信じたからだ。
 ただそれは、裏を返せばコーディネーターと戦争中の今、コーディネーターと異世界人に託さざるを得ない窮境の表れでもある。
「さっき彼はバジルールと言った。別に少尉でもナタルでも構わんが――その前にマリューの姉御と言っていた。ラミアス大尉は、彼とはなかなか良好な関係のようだが、どうして姉御なのかね?」
「……」
 
 
 
 シンジがハルバートンに伴われて去った後、食堂ではちょっとした騒ぎが起きていた。
 フレイが来たのである。正確に言えば、除隊許可証を持って仏頂面でやってきたホフマン――コーディネーターの一件は不問ですかなと口走った為、またもシンジの一撃で吹っ飛ばされ、いいからさっさと許可証を用意しろとハルバートンに追い払われた――に、フレイが自分も軍に志願すると言いだしたのだ。
 サイ達は呆気に取られたが、綾香は冷ややかな視線で眺めている。
「だってサイ達は軍に入るんでしょう。それに…」
 キラに向き直り、
「戦争が嫌だったキラだって、私達を守る為に一生懸命戦ってくれてるんだもの。私だけ…私だけ安全な所に逃げ出すなんてできないわ!」
 その手をぎゅっと握ったフレイに、泣きそうな顔になったキラだが、彼女は知らない。
 イージスのパイロットが――アスラン・ザラがキラの友人だと、既にフレイが知っている事を。
 そしてモントゴメリが轟沈して父を失った事で、フレイが怨嗟の念を抱いている事を。
 何よりも、自分の許嫁がキラに抱き付いた時にフレイが起きていた事など、キラは知る由もなかったのだ。
「この間父が死んだ時、最初はとてもショックでした。でもキラ達も必死に戦ってくれた結果で、仕方のない事だって…」
「父?では先遣隊に?」
「父はジョージ・アルスター、私はフレイ・アルスターです」
「そうか、君が事務次官の…」
「はい…。戦争を終わらせる為に父は働いていました。でも、それは叶うことなく死んでいきました。戦争なんてない方がいいと思います。でも戦ってしか守れないものがあるなら私は…私は!」
 フレイを抱き止めるキラを見ながら、
(あーあ、すっかり騙されちゃって。だいたい、父の意志を継いでなんてのが、役に立つはず無いじゃない。単に許嫁の心が他の女に向いたから、取られないよう必死になったって所でしょ。ま、碇が却下すると思うけどね)
 この中で一番冷徹に分析していたのが、客分の綾香だったというのは、ある意味当然かも知れない。傍目八目、というのは迷言ではないのだ。
「サイ・アーガイル」
 シクシクと泣くフレイが、ホフマンに連れられて出て行った後、綾香が冷たい声で呼んだ。
「な、なんだよ」
 人差し指で来いと招く。先の事があるから警戒してはいるが、それでも逆らった結果の方を考えたのか、とことことやってきた。
(あんた、あのキラって子の事好きなんでしょ)
「!?」
 囁かれ、サイの顔がさっと赤くなり、
「な、な、何言ってるんだよっ!お、俺はそんなっ…」
「違うって言うの」
「え…あ、い、いやその…ち、違わな…」
(許嫁とやらがいたら邪魔になるわよ。もう父親は死んだんでしょう?)
 その耳元へ口を寄せ、甘い声で囁いた。
「来栖川…さん…」
 悪の経験値では、シンジに勝るとも劣らない綾香の一石であった。
 明らかに動揺したサイの表情が激しく揺れ、ふらふらと、まるで夢遊病者みたいにサイが食堂から出て行く。
「ちょ、ちょっとあなたサイに何を言ったの」
「アーガイルに訊いたら?別に口止めもしてないし、彼を非難した訳でもないわよ」
 ミリアリアに、綾香はころころと笑った。
「悪のポイント――EPとでも言うのかしらね――も高いのよ。それが来栖川クオリティよ」
 
 
 
「ほう、フレイ・アルスターが軍属を?」
「ええ、自分だけ降りられないってサイみたいな事言ってました…」
「そうか」
 キラに話を聞いたシンジは、綾香の予想とは違ってすぐに反対したりはしなかった。
「ヤマトはどう思う?」
「どうって…シンジさん?」
「ヤマトは、アルスターの事をそんなには知らないのだろう?」
「はい」
「私はもっと知らない。が、幾つか分かっている事がある。アルテミスで、我が身可愛さにヤマトがコーディネーターだとばらし、人身御供として差し出した。先回の戦闘では、父親を守りたい為とはいえラクス・クラインを人質にしようとした。目的が叶わなかったら殺す、とはっきり来栖川に言っている。少なくとも、私は一番嫌うタイプだ」
「……」
 それはキラにもよく分かっている。シンジがフレイみたいな行動を取っていたら、どうして自分達がこんなに信頼を寄せるものか。
 まして――想いなど。
 きゅっと腕を組んできたキラに、
「ヤマト?」
 シンジが怪訝な目を向けた。
「ううん、何でもない。でももうちょっとこのままで…」
「それは構わないが…」
「あのね、シンジさん」
「ん?」
「確かに、フレイの行動はちょっとずるく見えるかも知れない。でも、だから志願されても邪魔だとか、私は言いたくないんです。フレイの志願が認められたのなら、私は仲間として一緒に戦いたいって…」
(そう言うのは優しい、ではなく甘いという。その甘さ、必ずどこかで綻びに繋がるぞヤマト)
 人を疑う事を、のみならずその本性を見抜く術など持ち合わせていないのだろう。
「そんな事を言ってるヤマトだから――」
「わ、私だから?」
 怒られるのかと思ったら、
「だから私が付いていてやらないとならないのだ」
 くしゃくしゃと髪をかき回された。
「…はいっ」
 シンジ達が向かったのは、ストライクのある格納庫ではなく民間人が乗る小型艇であった。
 着いた途端シュラク隊に見つかり、早速シンジが拉致られる。状況が分からずアワアワしているキラの元へ、幼女がやってきた。
「あのね、お姉ちゃん」
「え、えーと、なに?」
 どうしていきなり幼女が寄ってくるのかとびっくりしたキラだが、その前に差し出されたのは折り紙で作った花であった。
「今までありがと」
 屈んで受け取った頬に口づけされ、キラが赤くなる。母の元に戻ると、母親が一礼したが、幼女から頬に口づけされて赤くなる娘というのは少々怪しい。
 一方シンジの方はと言うと、
「坊や、必ず約束は守ってもらうぞ。オーブへ来る前に撃沈などされたら、あの世まで連れに行って袋叩きにしてくれる」
「へいへい」
「何だその返事は!」
 数人から揉みくちゃにされている姿を、葉子達が見たら仰天するに違いない。ガイアを返しにオーブへ行くから、その時にケーキを作ってお礼すると言う事で、一応話が付いたのだ。
「オーブに行く事は、既におハルさんと話がついたから問題ない。そんな事より、折角返しに行ってやったのに、ボンクラな連中が邪魔しないかそっちが心配だよ」
「それなら大丈夫よ」
「マヘリア?」
「その時は、行政府を占拠してでも入国させるから。あたし達を只の綺麗なお姉さんと思ったら大間違いだ…ちょ、ちょっと坊や!?」
 あっという間にマヘリアは縛り上げられてしまい、
「で、他に綺麗なお姉さんは?」
 微笑って訊ねたシンジに、シュラク隊のメンバーはふるふると首を振った。
(まさか綺麗なお姉さんがNGワードだったなんて…)
 
 
 
 
 
「ストライクが出撃してる?」
 報告を受けたハマーンは、チッと舌打ちした。向こうがこっちに気付いていないのは分かってる。のんびりと補給を受けているのは分かっているから、不意を突いて一気に仕留めるつもりでいたのだが、既にストライクは単機出撃しているという。
 第八艦隊の動きを見る限り、戦闘態勢は取っていない。おそらく、碇シンジが自分の判断で出てきたのだろう。
 ただ、碇シンジが同乗しているかどうかは分からないが、分かる位置まで接近させる訳にもいかない。二人乗りなら、ストライク一機でこちらの四機以上に相当するのだ。
 既にアスランのイージスは修理が済んでおり、赤服四名が待機して、ハマーンの指示を待っている。
「第八艦隊と合流した事で、異世界人とコーディネーターのパイロットなど、危険分子と判断して出さなくなるかと思ったが…やはりハルバートンは、退場してもらわねばならんな」
 そんな柔軟性を持った知将など、こちらにとっては邪魔になるだけだ。
「イザーク、ディアッカ、ルナマリアは搭乗したまま待機しろ。指示があり次第出られるようにしておけ」
「『了解!』」
 続いてガモフにいるアスランに回線を開き、
「説得して聞く相手ではないが、こちらに捕らえられれば何よりだ。だが万一の時は討たねばならん。お前にあの娘を討てるとは思えんので今回は待機していろ」
「ハ、ハマーン様!」
「何だ」
「わ、私はもう…覚悟は決めています。もう迷いはありません。キラは…キラは私が討ちます!」
「私でも倒せなかった相手だがな。期待しているぞアスラン」
「い、いえあのっ…こ、心構えの事でっ…」
「まあいい。そこまで言うのなら出撃しろ。が、相手はお前などより遙かに強い事は頭に叩き込んでおけ」
「了解…」
 ハマーンが怯儒とも言える指示を出したのは、ストライクの――と言うよりシンジの厄介さを知っているからだが、単にそれだけではない。
 いくらストライクのパイロットが有能でも、無防備状態の艦を守るのに一機では少なすぎる。いざ戦闘となったら五分五分で出してこない可能性もあると踏み、ハマーンは五分の可能性に賭けたのだ。
 
 
 
 
 
「よし、搬入終わり。さ、帰るぞヤマト」
「はーい」
 予想していた敵襲もなく、物資はごっそりと積み込んだ。もう大丈夫だろうとのんびり戻っていったシンジ達だが、自分達の知らぬ所で事態が動き、状況がハマーンの読み通りになっていく事など予想もしていなかった。
 ストライクが戻ったと知り、ハマーンは全軍に進撃の命令を出した。一斉に接近してくる敵を察知し、マリューは艦内に第一戦闘配備の命令を出したのだが、
「ほう、待ってくれていたとは気前の良い事だ。ヤマト、もう一回」
「はい」
 出撃しようとしたそこへ飛び込んできたのは、
「全艦密集陣形で迎撃体勢をとれ。ただしアークエンジェルは動かず本艦に付け」
 と言う、信じられないものであった。
「…血迷ったか?」
「シンジさんどうしましょう」
「おそらく讒言でもあったのだろう。名将ハルバートン…惜しい哉」
 格納庫でそれを聞いたシンジは、天を仰いで慨嘆した。
「とはいえ自ら自滅を選んだのなら仕方ない。水鉄砲が重機関銃にどこまで抗えるのか…見せてもらうとしよう」
「はい…」
 
 
 
 
  
(第三十七話 了)

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