妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第三十六話:おハルさんと踵
 
 
 
 
 
「おーい」
「ん?」
 後ろから聞こえた声に振り返ると、ムウが飛んでいた。
「何か?」
「いやさっきの事だけどよ…なんで俺を戻したんだ?やっぱりその、役に立たないと判断しての事かい」
「気になるか?」
「まあそりゃ…なあ?」
「使えるとか使えないとか、単に能力の問題で戻したわけじゃない。エンデュミオンの鷹、と聞いたがどう見ても雀だったから、と言うことでもない」
「……」
「用途が違うからだよ。本来ならヤマトとステラだけを出すところだが、ヤマトは素人だし、ステラは軍人だが連続して使えない。それでも、イージス以下の連中ならあしらえるが、向こうにはハマーンがいる。ヤマトの調子が絶好調でも、正直ハマーンだけは分からない。或いは――万一という事もある」
「おい!」
「万一、と言ったろう。軍人でもない自分を、しかも異世界での戦争時に過大評価する程物好きじゃない。そんな事より、もしもの事があればこの艦の護衛がいなくなる。MAがMSに勝てないと分かっていながら、出てもらわないとならない。その為にも、ストアライクやガイアが出られる時は、余計な危険は避けてもらう必要がある。それだけの事だよ。別に無能とか思ってる訳じゃない。だいたいだな」
「大体?」
「そこまでフラガの事は知らない。見た目で判断するのは危険だよ」
「ま、まあそれはそうだが」
「MAはMSに歯が立たぬと分かっていても、出てもらわざるを得ない事もある。その時は頼んだよ」
「あ、ああ…」
 任せたとは言われたが、仮にガイアとストライクが墜とされれば、メビウスしか残っておらず、しかもMAはMSに歯が立たないと言ったではないか。
 ふわふわと漂っていくシンジの後ろ姿を見ながら、一応信任されているのか或いは既に見捨てられているのかと、ムウは微妙な表情で首を傾げた。
 
 
 
 
 
 イザークとディアッカが、そしてルナマリアが、ハマーンの前に蒼白な顔を並べて立っている。イザークとディアッカはあっさりとあしらわれ、唯一ガイアに抗し得たのはルナマリアだが、シンジが止めていなければストライクに撃ち抜かれていたのだ。
 が、話を聞いたハマーンは怒る事もなく、ふっと笑ったのみであった。
「ルナマリア」
「はっ、はい…」
「よくやった」
「あ、ありがとうござ…え!?」
「囚われていない方を回収してこい、と命じた。覚えているな」
「はい」
「ディアッカを回収、イザークも引き渡されたとあれば上々だ、よくやったな」
「ありがとうございます…」
 ハマーンの口調に嫌味も蔑みもない。だから余計に堪えるのだ。言うまでもなく赤服は一般兵ではない。数では互角の形勢で、味方の加勢ではなく回収に赴くエリートがどこにいるものか。
「さてイザーク」
「…はっ」
「奴が危険な存在だという事が、少しは理解出来たか?」
「……」
 胴にサーベルの一撃を受けた時点で、イザークの意識は飛んでいた。ただ痛みが急速に引いた事は、意識の中でぼんやりと感じ取っていたのだが、まさか敵に癒されたとは思わなかった。
 だいたい、決して軽傷ではなかった筈のそれを、跡形もなく治すとはどういう治療術なのか。
「我々の概念では考えない方がいい。いかに我らが侮られているとは言え、奴は一人なのだ。捕らえたモビルスーツを返す事がどれだけ不利益になるか、分からない事はあるまい」
 それを聞いた三人が、きつく唇を噛む。敵をあっさり帰す、と言う事が無謀であればあるほど、自分達は役立たずと証明されているようなものだ。機体の性能には差がない筈なのに、未だ一矢を報いる事すら出来ていない。
「ハマーン様…」
「何だルナマリア」
「敵は…いえ、あの碇シンジというのは一体何者なのでしょうか」
「異世界人らしいな」
「異世界人?というと、この世界の人間ではない、と」
「その通りだ」
 ハマーンの言葉が短いのは、もう幾度も繰り返したからではない。ルナマリアがもう少し空気を読めれば、それ以上は訊かなかったろう。が、この場で空気を読める程には、ルナマリアはいい女ではなかった。
「で、でもそんな異世界人なんかに…」
「なんかに?」
 反応したのはイザークであった。今回、屈辱のパラメーターが一番高い男である。
「そんな異世界人なんかに捕まって、あまつさえご丁寧に傷を癒された俺は赤服失格だと、お前はそう言いたい訳だな!」
「わ、私はそんな…」
「イザーク止せ。のこのこ出て行って、無様にもその素人に阻まれたのは私だ」
「……」
 激昂したイザークが、冷や水を浴びせられたような表情になる。
「はっきりしている事は二つある。一つは、碇シンジさえ捕らえてしまえば、あの艦はどうにでもなると言う事。決して殺してはならぬ」
「『!?』」
 討つのさえ難しいのに、どうやって捕らえろと言うのか。
「今敵艦には、ストライクともう一機正体不明のMSがある。確かにパイロットも並の腕ではないが、奴が同乗していなければすぐに分かる。相対した時にオーラのような物を感じないのだ」
 ルナマリアは知らないが、ストライクを撃墜寸前まで追い込んだイザークとディアッカには分かる。確かにあの時、ストライクは平凡なMSであった。
「し、しかしハマーン様」
「何だイザーク」
「仰有る事は分かります。ですが討つ事さえ困難なのに何故捕縛を…」
「お前達にはプライドがないのか?」
 お前達、とハマーンは言った。他の二人も同じ事を考えていると、その顔に書いてある。
「捕らえては帰され、しかも傷まで癒してのけた相手を多人数で取り囲み、嬲り殺しにしてこれで恨みは晴らしたと満足する気か?赤服も随分とレベルが下がったものだな」
 向けられた視線は凍夜のように冷たく、三人が揃って俯いた。
「まあいい、貴様達には十年かかっても理解出来ぬ話だろうからな。お前達は討つ事だけに専念しておけ。第八艦隊と合流されてしまうがやむを得ん。今度こそ私が出撃して、奴を捕らえてくれる。碇シンジの同乗機さえ擒にすれば、後は雑魚も同然だ。奴が乗ってる機体は分かるだろう。貴様らはそれ以外の方に集中しろ」
 さっさと身を翻したハマーンの背後に、
「お、お待ち下さいっ…」
 イザークの押し殺したような声がかかった。
「何だ」
「のめのめと帰ってきた我らに、こんな事を言う資格がないのは分かっています。ですが…ですが今一度…今一度我らに汚名挽回の機会をお与え下さい!」
 ディアッカとルナマリアが、揃って深々と頭を下げる。
「……」
 ハマーンは振り返ることなく、さっさと歩き出した。
「却下だ。ザフトでは、何時から汚名を挽回する教育をするようになったのだ」
「『?』」
 その姿がドアの向こうに消えてから、
「汚名を挽回…汚名は返上するものでしょ!」
「このマザコン!」
「な、何だと貴様今何と言っ…ちょ、ちょっと待てー!」
 室内から潰れたような声が聞こえてきたのは、それからまもなくの事であった。
 
 
 
 
 
「倒壊したヘリオポリスからここまで、よく艦とMSを運んでくれた。見事な手腕だな、ラミアス大尉」
「ありがとうございます。お久しぶりです閣下」
「うむ」
 久しぶりに会うマリューに、ハルバートンは満足げに頷いた。既に艦の報告は受けていたが、殆ど傷もない事を知り、想定外の結果に驚いていたところだ。
「先も戦闘中との報告を受けたが、援護もしてやれずすまなかった」
「いえ、ここまで戦闘時の不安はほぼ皆無でしたから。皆が、よく働いてくれました」
 コーディネーターと異世界人の事はまだ伝えていない。目にもしてない彼らの事を伝えるのは、ショックが大きすぎると踏んだのだ。
 無論、ステラが駆るガイアの事もだ。先の戦闘でガイアが出たのは、先遣隊が壊滅した後だったから、ハルバートンはストライクだけで敵を撃退したと思っていよう。
「そうか。皆は無事か?」
 ハルバートンの言葉に、ナタルが一歩進み出る。
「ナタル・バジルールであります」
 続いてムウが、
「第七機動艦隊、ムウ・ラ・フラガであります」
「おお、君がエンデュミオンの鷹か。君がいてくれて幸いだったよ」
「いえ何も出来ませんで…」
「謙遜しなくていい。君がいなければ、この艦は持たなかったろう」
(フラガ大尉…)
 手放しで褒められ、ムウの口許が歪むのを見たマリューは、さすがにムウが少し可哀想になった。無論マリューは、ムウのメビウスをキラがお持ち帰りしてきた事を知っている。
「ところでラミアス大尉、確か民間人の協力もあったと聞いているが、彼らはどこにいるのかね?」
「おそらく…食堂辺りではないかと…」
 マリューの歯切れの悪さには気付かず、
「そうか、では顔を出してくるとしよう。彼らに伝える事もあるのでな」
 その後ろから、
「閣下、あまりお時間が…」
「分かっている。とりあえず待たせておけ。優先順位というものがあるのだ」
 声を掛けた副官を制し、
「ラミアス大尉、案内してくれるかね」
「はいっ」
 弾んだような声は、無事に合流出来た喜びだろうと皆は思っていた――唯一ナタルを除いては。
 
「…仲直り?」
 差し出された手を、ナタルは疑心たっぷりの視線で見つめていた。
「貴女とは色々あったけど、もうこれでお別れになると思うの。艦隊とは合流したし、私の役目も本来なら終わりだけど、オーブまでは最優先で行かなくちゃならないから、そこまでは艦長でいさせてもらうつもりよ。でもあなたは違う。優秀だし、私なんかに付く事はないから配置も換わると思うわ。これで最後だから、仲直りしましょう」
「……」
 また罠かとも思ったのだが、確かにマリューの言う通り配置換えになる可能性が高い。それならば意地を張り合うのも大人げないかと、ナタルは黙って手を握り返した。
「閣下には、まだシンジ君の事もキラさんの事もお話ししていないのよ。来られたら早急にお話ししておかないと、閣下が危ないわ」
「危ない?」
「シンジ君が地球軍をどう思っているか、ナタルも知っているでしょう?」
「ええ…。艦長、一つだけ教えて頂けませんか」
「なに?」
「地球軍をそこまで忌み嫌う彼が、なぜコーディネーターの娘(こ)諸共寝返らず、地球軍所属の本艦を守ってきたのか、艦長はご存じだったはずです。教えて下さっても良いのでは」
「……」
 最後だからと自分から仲直りを言い出した以上、無下に突っぱねる訳にもいかず、困った表情(かお)になったマリューが、ナタルの耳元へ口を近づけた。
 
 はふぅっ。
 
「ひゃっ!?か、かか、艦長っ!?」
「冗談よ。でも、絶対に内緒よ」
「分かっています」
 もう一度口を近づけて、
「私と、シンジ君のお姉さんが同じ声だったそうよ」
「!?」
 そんな単純で馬鹿馬鹿しいとも言える理由で、この艦に命を預けたというのか!?
 しかしマリューの顔に嘘はない。事実だろう。
(そんな理由で…しかもコーディネーターの娘二人と共にこの艦を守ってきた…)
 もしかして、結構いい奴なのかとほんのちょっとシンジを見直したナタルだったが、その感傷をマリューが打ち砕いた。
「それにしても…」
「え?」
「ナタルって随分感じやすいのね」
「か…か、艦長ーっ!」
 
 
  
「じゃ、点呼取るぞ。残る残る残る残る降りる残る降り――」
「残るわよ」
「…ちょっと待て」
 シンジ、キラ以下のヘリオポリス組は食堂に来ていた。残る、と声を上げたのは綾香である。
「来栖川が残ってどうする。これ以上民間人を巻き込むのは却下だ」
「ミーアは民間人じゃないの?碇じゃ守りきれないわよ。それとも、一人で全員背負い込むつもり?」
 気が合ったからか本来の性格故か、綾香の台詞には忌憚がない。別にどういう呼称だろうと、シンジ本人はさして気にしないのだが、碇と呼び捨てにしているのは綾香ただ一人である。
「分かったような分からんような台詞だな。来栖川に策があるのか?」
「無いわよ?ある訳ないじゃない」
「ほほう」
 二人のやり取りに周囲は冷や冷やしているが、当人達に緊張感はない。
「具体策じゃなくてさ、あんたが一人で背負い込むより分担した方がいいでしょって言ってるのよ。無論月基地じゃ降ろせないだろうし、そもそもこの先どうなるか見えてはいないんでしょ?」
「むう」
 確かに綾香の言う通りだ。
 シンジは未だこの世界へ飛ばされた原因を分かっていない。戻れる方法も分かっておらず、つまり何時この世界から消えるか分からないのだ。シンジの姿がいきなり消えた場合、ミーアの命運は大凡見当がつく。
「分かった。但し、その時はその身に代えても守ってもらうぞ」
「来栖川綾香の名に賭けて守ってあげるから、安心しなさい」
「ふむ。ところでおまえの相棒は?」
「ミーアと一緒にステラを診てるわ。ちょっと疲れてるみたいだから」
 なるほど、とトールは理解した。だからキラが、シンジに密着したポジションを独占しているのだ。
「そうか。では、予定通りで問題ないな。美里君には感謝している。おかげで助かったよ」
「い、いえ…」
 セリオと並び、料理係としてまほろを借り出した。そのおかげで、食事は随分とましになったのだ。
「で、でもあの碇さんっ」
「何かな?」
 優を見るシンジの視線は、弟に向けるようなものであった。
「あの、みんなが残るのに僕だけ降りるなんて…」
「美里君だけではない。ヘリオポリス離脱後に収容した民間人は皆降りるんだ。ここにいる連中は、物好きなナチュラルばかりだ。君は降りて、平和な生活に戻るといい。ここまでの協力に感謝するよ」
「でも…」
「いいんだ」
 ぽん、とシンジが優の肩を叩く。
「気持ちは有り難く受け取っておくよ。それに」
「それに?」
「絶対に残さないと、君のメイドさんからオーラが発しているから」
「え!?」
 見ると、確かにまほろからは怪しいオーラが立ち上っている。
「優さん、残るなんて絶対に不許可ですからね!」
「…はーい…」
「メイドさんの言う事は素直に聞くものだ。縁があったらまた会おう」
「はい…」
 仕方なく優が頷く。と、シンジを見たトールが僅かな違和感に気付いた。
「あれ…碇さん」
「どうしたケーニヒ」
「何か、服と髪が乱れてませんか?」
 トールの言葉に、他の者達が見ると確かに乱れがある。シンジは微妙な表情で髪をかき回し、
「洗濯係に反乱起こされたんだ。大したことじゃないから気にするな」
「『はあ…』」
 
 
 
「異世界人とコーディネーター?しかもオーブ所属の機体まで積んでいたのか!?」
「はい…」
 何てこった、とハルバートンは頭を抱えた。さっきムウを称賛した時、単なる謙遜の反応でないように見えたのが気になったが、まさか本当に出番が無かったとは思いも寄らなかった。
 しかもコーディネーターの娘がいた、と言うだけならいざ知らず、異世界人が同乗して戦果を上げたとは一体どういう事なのか。
 が、三人の顔を見る限り極めて真剣な表情で、冗談を言っているようには到底見えない。つまり、今までアークエンジェルとストライクは、コーディネーターと異世界人に守られてきた事になる。
 無論、ハルバートンもそれを即座に否定する程間抜けではないのだが、なにせ状況が状況だけに、どう対応すべきか咄嗟には分からなかったのだ。しかもその異世界人が、ヘリオポリスから脱出した少年達を統率している、と来れば尚更である。
「分かった」
 ハルバートンは頷いた。
「とりあえずその異世界人とやらに会ってみよう。我らをどう判断するのか、対応はその後でいい」
「あ、閣下…」
 地球軍にはかなり悪感情を抱いている、と言おうとしたのだが言えなかった。
 ハルバートンの後ろ姿が――ひどく疲れたものに見えたのである。
 
 
 
「第八艦隊の親玉のおハルさんは、姉御によればMSの発案者らしい」
「お、おハルさん!?」
「デュエイン・ハルバートン、即ちおハルさんだろう?」
「え、ええまあ…」
「この艦は新造艦だし、地球軍が開発したMSはザフトへ対抗する切り札だ。つまりこの艦は何としても敵の手に渡したくないだろうし、それに伴って料理係と洗濯係を補給させるつもりでいる。ほら、洗濯係は有能なのがいただろう」
「確か、シュラク隊の人達でしたよね」
「そう。彼女たちは有能だが、無論洗濯係が本職ではないし、どこにも属さない傭兵だからと言う事で降りるように言ったのだが――」
 自分達を引き込んでおいて、代わりも見つからないうちに何を言うのかと、寄って集って揉みくちゃにされたのだという。
「それでシンジさん、大丈夫だったんですかっ」
「大丈夫だよヤマト。別にボコボコにされた訳じゃないから」
「それならいいけど…」
 そっとシンジの袖をとったヤマトを、微妙な視線で見ているサイと、そんなサイを複雑な表情で見ているミリアリアがいる。ミリアリアは既に、サイの視線がどこに向いているのか気付いている。
(フレイを…どうするのよサイ)
「ちょっと待って碇」
「あ?」
「今料理係をって言わなかった?セリオじゃ足りない訳?」
「負担が増える。構造は知らんが、完全無欠じゃあるまい。負担を増やしてオーバーヒートでもあったら一大事だろう。負担は分担、と誰かが言ってなかったか?」
「わ、分かったわよもう!」
「一般人が軍務に携わる、と言うのは少々問題がありそうな気もするんだが、来栖川はそのままの身分で良いのだな?」
 シンジの言葉に、綾香はふっと笑った。
「あたしを無理に地球軍所属になんてしたら、大西洋連邦首脳陣の首が五、六個吹っ飛ぶわよ」
「あー、はいはい」
「ちょっと碇!あたしの言う事信じてないでしょ」
「さてとりあえずおハルさんがまともである事を願って――おっと」
 ひょい、と避けたその先をマグカップが飛んでいく。誰が投げたのかなど、言うまでもあるまい。
「俺に物を投げて命中させようなど、410年とんで20日早い。修行して出直せ」
「あ、あんたねー!」
 わなわなと肩を震わせた綾香が、腕に付けた時計に口を近づけ、
「セリオ!第一級戦闘装備で食堂に来なさい、大至急よっ!」
「物騒がお好きと見える。五精使いを相手にロボットが抗えるか、見せてもらうとしようか」
 シンジは笑っているが、見かねてミリアリアが割って入った。
「二人ともいい加減にして下さい。ここは無人の大草原じゃないんですよ。来栖川さんも、こんなところでそんな装備させてどうしようって言うの!」
「…だって碇が…」
 指先を絡ませてもにょもにょ言ってる綾香に、
「碇さんはこの世界の事を何も知らないんだから、仕方ないでしょう。来栖川さんのお祖父さんって、来栖川重工の会長さんでしょう?」
「『え!?』」
 ミリアリアの言葉に食堂内がざわめく。そんな事は知らなかったらしい。
「来栖川重工会長の孫って…どえらいお嬢様じゃん」
「そんな子を乗せてていいのかよ」
 綾香がふふんと笑う。満足したらしい。
「いいのよ、お祖父様はあたしの言う事なら何でも聞いてくれるんだから。それにあたしは自分の意志で乗ってるのよ。誰にも文句は言わせないわ」
 それをシンジの静かな声が断ち切った。
「だから子供だという」
「…何ですって」
「無理矢理軍人にすれば首が飛ぶ、とさっき言ったな」
「それが何よ」
「この艦は墜ちぬ、と決まった訳ではない。この艦が墜ちて来栖川が散った場合、その首脳陣達とやらに累は及ばないのか」
「…!」
「ミーアの事を考えて残る、と言ってくれた事は感謝する。だが、それは子供の決意であってその祖父から見ればそうはいかない。まして、その地位が高ければ尚更だ。有り難く残ってもらうつもりだったが、気が変わった。やはり来栖川は残せぬ。小型艇で地球に降下するように」
 そこへセリオが飛び込んできた。居合わせた者達が思わず身構えた程の重装備であり、
「綾香様、お呼びでしょうか」
「…何でもない。もういいわ」
「かしこまりました」
「ステラは?」
「だいぶ回復されました。間もなく目覚めるかと」
「そう。ステラの様子を見に行ってくる」
 つかつかと歩き出した綾香が、シンジの後ろで足を止めた。
「あんたもそういう祖父を持ってるとでも言うの」
「世の中には、金とか地位とか、自らは望まぬ物を付帯される生が待っている者もいるのだよ、来栖川綾香嬢」
「……」
 
 
 
 
 
「ツィーグラー合流しました。ヴェサリウスも一緒です」
「分かった」
 軽く頷いたハマーンの前には、第八艦隊の布陣図がある。
「ゼルマン、どう思う」
「はっ?」
「おそらく奴はストライクに乗ってくる。ストライクさえ捕らえれば、あとは怖いものなどない。アークエンジェルも墜とせよう。この軍容で、出来ると思うか」
「…戦力的にはこちらが有利です。ですが敵も第八艦隊と合流しておりますからな。難易度は上がったやもしれませぬ」
「守るものが増えた、とは考えないか」
「ハマーン様、増えたと言われますと?」
「ストライクと謎のMSを積むアークエンジェルは、確かにかなり手強い。艦長は誰だか知らんが、見ず知らずの異世界人の能力を信じて、しかもコーディネーターに操縦させているのだ。その度胸も胆力も大したものだし、奴もそれに応えて我らを一歩も近づけさせておらん。が、それはあくまであの艦に限った事で、合流した連中は違うだろう。異世界人とコーディネーターという、ある意味最凶のコンビを真っ先に出す度胸はあるまい。ナチュラルなどその程度のものだ。縦しんば出撃したとしても、補給の関係がある以上、アークエンジェルだけ守る、と言う訳にもいくまい。尤も、連中はアークエンジェルを降下させようとする可能性が高いがな」
「月基地へ、ではないのですか」
「月基地へあれが行っても、月基地の防衛力が上がるに過ぎん。開発データをアラスカへ持ち込み、増産体制を取る方が為になる。連中が凡庸でも、その位は分かるだろう。つまり放っておけば、こちらの庭から抜け出されてしまう。その前に墜としておきたいところだ」
「イージスは修理を終えて戻りました。ジンは現在二十五機あります。ただ――」
「ただ?」
「捕らえられたのにあっさり帰されると、ショックは相当なものでしょう。何よりも、気負いが心配です」
「逆スパイになったのではないか、と言う事か」
「はっ」
 普通に考えれば、捕らえられて何の交渉もなく帰されるというのはあり得ない。と言うよりも、言いくるめられて逆にスパイにでもされたのではないかと見るのは、至極普通の事だ。無論ハマーンもゼルマンも、そんな事は疑っていない。
 ただ問題は、当人達はそう思わないだろうと言う事だ。疑いを晴らさんと冷静さを失うような事があれば、それこそ死に直結する。
「まあ奴らがそこまで考えはしないと思うがな。それに、そんな風評を広めさせる程クルーゼも無能ではない」
「!」
「どうしたゼルマン、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして」
「い、いえその…もしやクルーゼ隊長をプラントへ送られたのはそれを防ぐ為に…?」
「さてな」
 ふっと笑ったハマーンだが、その表情を見る限り大外れでも無かったらしい。
「分かりました。ただここは、ヴェサリウスにお移り下さい。あの艦の方が小回りは利きます。ここは私にお任せを」
「分かった、ここは貴様に任せる」
 だがハマーンは、ゼルマンがその出て行く背に向かって直立不動で敬礼しており、
(ハマーン様、今生のお別れでございます)
 内心で語りかけていた事には気付かなかった。
 
 
 
 
 
「大丈夫だ、案内はここまでで良い。何、その異世界人とて鬼でもなければ蛇でもないのだろう」
(鬼と蛇を足したより強い気もするんですが…)
 一応警告はしたし、とマリューとナタルは顔を見合わせて戻っていった。直接話がしたいと聞かないハルバートンが、ホフマンと共にやってきたのだ。それはハルバートンの自由だが、シンジ自身が地球軍に好感情を持っていないし、キラに銃口を向けた兵士が三人、文字通り炭化させられているのだ。マリューとて、こんな所でハルバートンの包み焼きなど見たくないのだが、本人が言うのだから仕方ない。
「まったくラミアス大尉は心配性だな。異世界人などいる訳がない。ただの記憶喪失か、或いは精神に異常を来した者に決まっている」
 豪放に笑って扉を開けた次の瞬間、
「踵!」
 突如として降ってきた踵がその脳天を直撃し、ハルバートンがぶっ倒れる。
「き、貴様っ!?」
 ホフマンが慌てて銃を抜こうとするも、
「再踵!」
 これも同じく踵の一撃を受け、そのまま前のめりに倒れ込んだ。
 無論、踵落としを降らせたのはシンジの仕業であり、
「記憶喪失乃至は精神異常者とは俺の事か?」
 ぼかっと蹴飛ばし、
「このヒゲと禿頭は第八艦隊の下士官か?お望み通り、照り焼きにしてくれる」
「照り焼きって言うと何か塗ってから燃やすんスか?」
 ノっていたサイだったが、その襟章を見てすうっと青くなった。
「い、碇さんこれ…」
「どした?」
「だ、第八艦隊の司令官ですよこの人」
「何で分かる?」
「だってこの襟章がほら…」
「じゃ、これがおハルさんか」
 やれやれと肩を竦めて、
「とりあえず、縛って転がしておいて」
「『了解』」
 わらわらと寄って集って忽ち縛り上げ、司令官とそのお付きは床に放り出されてしまった。
 
 
 
 
 
(第三十六話 了)

TOP><NEXT