妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第三十四話:残留宣言
 
 
 
 
 
「ヘクシュッ!」
 五回くしゃみをしてから、ふとシンジは後ろを振り返った。
 無論、そこには誰もいない。
「やな感じがする」
 今までこの悪寒がした時の理由は一つであり、それが外れた事はない。が、元凶は今この世界にはない筈だ。
「詐称がばれた?んな馬鹿な」
 笑ったシンジだが、それが寒い笑いである事は自分が一番分かっている。
「まさか…ね?」
 嫌な感覚を振り払うように首を振り、艦長室へ入っていく。
「あれ?姉御いな…ハウ!」
 見回そうとした途端、後ろからきゅっと抱き付かれた。
「遅いわよシンジ君、もう三十分も経つじゃないの」
「ちょっと格納庫をウロウロしてたから」
「何かあったの?」
「折角オーブの親玉が手放すと言ったんだ。これでステラも大威張りで出られるというもの。整備に付き合ってきたんだ」
 それを聞いて、マリューの手がすっと離れる。
「そう…ご免なさい全然知らなくて」
「ん」
 ソファに座ったシンジに、
「コーヒー?紅茶?」
「紅茶で」
 マリューが持ってきたカップを受け取り一口飲んでから、
「大事な相談があって呼び出した、訳でもなさそうだが?」
「……」
(?)
 カップを置いた途端、マリューの顔がずいと近づいてきた。
「ど、どうしたの?」
「慰めて」
「またバジルールと喧嘩したの?」
「違うわよ、いじめられたの!」
「い、いじめられた?」
「聞いてよシンジ君、バジルール少尉ってばひどいのよ――」
 マリューの話によると、やっと合流出来るのねと艦橋で溜息をついたら、索敵・警戒を厳にしろと、わざわざ真後ろで当てつけんばかりに言われたのだという。
「ふうん?困ったものだが、別に慰めはいるまい。三枚に下ろしたバジルールのミディアム・レア、アペリティフはジントニックで良かろう。五分で用意するからちょっと待…痛」
 ぎにゅ!
 シンジの頬が両側から思い切り引っ張られ、
「あたしはナタルを贅沢に使ったフルコースなんて、頼んでないんだけど?」
「ご、ごめん、悪かった。だから放して」
 パチン、と戻ってきた頬をさすっているシンジに、
「シンジ君って、なーんかパイロットの娘(こ)達には色々してあげてるみたいだけど、私には随分冷たいわよねえ」
(……)
 内心で小首を傾げてから、
「そんな事はないよ。姉御には感謝している」
「感謝?」
「総代表が姉御ではなくバジルールだったら、決して俺をストライクには乗せなかったろう。で、一生懸命に俺を怒らせて灰燼と化し、艦は沈めていたのはほぼ確実だ」
「シンジ君…」
(でもそれって…喜んでいいのかしら?)
 何となく微妙な気もしたのだが、無論そんな事を言う程マリューは単純でなく、
「じゃあ…慰めてくれる?」
「はいはい」
 よしよしとマリューの頭を撫でてから、座ってと自分の膝の上を指す。声は瓜二つなのだが、当然と言うべきか人間性(なかみ)は少々違う。とはいえ育ちも環境も違うし、今のミサトと同レベルの事を求めるのは酷だろう。
 コーディネーターのキラと、異世界人と名乗るシンジに全てを任せる度量は、生死の懸かっている戦場に於いては大したものだ。
「合流までの時間は?」
「このまま行けば二時間半の予定よ」
「ふむ」
 シンジは頷き、
「姉御、上着脱いで」
「…え?」
 
 
 
 置かれた一葉の写真を見ながら、くすくすと笑っているのは綾香である。
 その表情は、実に満足そうだ。無論映っているのはナタルであり、ナタルから剥いだメイド服を返しに来たシンジにもらったのだ。
 一体何を見て笑っているのかと、ヘリオポリス組が見たがるが、
「内緒だ。一応な」
 とシンジに言われているので、断固として開示を拒否している。
「人の秘密に興味持つより、自分達の進路を考えなさいよ。あんた達、艦隊と合流したらそのまま降りるわけ?」
「…そうも行かないでしょ。多分キラは残るし、ここに一人もう残るって決めてる奴もいるし…」
 俺は残るぞ!と一人残留を決めているのはサイだ。まだキラの意志も聞いていないのに、残るに違いないと決めつけ、キラだけ残せないと怪気炎を上げている。
「でもサイ、キラは俺達と違って軍服も着てないんだぞ。そのキラがどうして残るって分かるんだよ」
 訊ねたトールに、
「分からないのはあんたが鈍いからよ。よく彼女が愛想尽かさないわね」
「な、なんだと!」
「ミリアリアは分かってるわよね」
「う、うん…」
 ミリアリアは曖昧に頷いたが、ステラの事を考えればある程度答えは出る。
 当初シンジは、自分達をオーブまで送り届けると言った。が、事情は変わり一旦地球に降りてから、オーブへ向かう事になったのだ。ただし、ガイアは別送になる。多分シンジは残るだろう。降りてしまえば自分達は民間人だが、この艦とストライクは最初からザフト軍の標的だし、何よりもシンジはいれば十分役立つのだ。戦火の中にガイアとステラを残し、自分は民間人達と一緒に降下するとは思えない。
 そうなった時、ヘリオポリス組が全員降りると、残るのはステラだけになる。オーブまでの道行き、どころか途中で別れた上にシンジをステラに独占される事になる訳で――。
(絶対残るわよね…でもサイは、どうしてそこまで思い入れがあるのかしら)
「まあいいんじゃないの。ストライクとガイアが可動状態にあれば、まずこの艦が墜ちる事はないし。と言うより、エネルギー切れに持ち込む以外で墜とせる敵がいるなら知りたいわね。そうでしょう、サイ・アーガイル?」
「お、俺?何で俺に訊くんだよ」
「分からないの?」
 綾香は妖しく笑った。
「確かにあなた達はよくやってるわ。でも、いなければ絶対に困るって事はない。少なくとも、ストライクもガイアも、碇さえいれば単体で十分戦えるし、キラって子は自分だけ残ったって良かったと思いこそすれ、あんたを恨みなんかしない筈よ。それなのに、どうしてそこまで肩入れするのかな、ってね」
「キ、キラは俺達が降りても恨みはしないだろうよ。でも、良かったと思うなんてどうしてあんたに分かるんだよ」
 綾香の一撃で、フレイ諸共吹っ飛ばされたのはつい先日の事で、サイの腰は明らかに引けている。
「あんた達は、戦争が嫌でヘリオポリスに来たんでしょうが。あの子から見れば、友人達がまた元の生活に戻れるのよ。それを良かったと思わずに何て思うのよ」
「……」
 綾香の言う通りだろう。キラがストライクに乗ったのはシンジの存在もあるが、やはり友人達を守りたいからであって、ともすれば自分の事よりも優先していた可能性がある。自分の事だけ考えていれば、ストライクに乗ってシンジと一緒に悠々とザフトへ行っていれば良かったろう。
 だがキラはそれをしなかった。だからこそ、シンジもあれだけ目を掛けている。
 キラ・ヤマトはそういう娘なのだ。そのキラは、サイ達がオーブに戻る事を喜びはすれ、恨みなど決してするまい。
 寧ろ、残ると聞けば胸を痛めるのは目に見えている。トールとて、決して自分だけ安全な地へ行く事を良しとはしないが、何故サイがそこまで固執するのかは、正直疑問でもあったのだ。
「なあサイ、もしかしてお前、キラから何か聞いてるのか?だからそんなに残るって…」
「…だよ」
「『え?』」
 俯いたサイの声は、ヤブ蚊が叫ぶようなものであった。
「何だって?」
「友達なんだよ、キラの!」
「いや、そりゃ俺達はキラの友達だけどさ」
「違う!あのイージスのパイロットは、キラの幼馴染みなんだよ!そんな奴と戦ってるのに、キラは寝返りもしないで、俺達を守る為に戦ってくれたんだぞ。そのキラがほぼ間違いなく残るのに、自分だけさっさと降下なんてできるかよっ」
「『……』」
(あーあ、ばらしてやんの。ばっかみたい)
 綾香は知っていたから、別に驚きもしなかったのだが、トール達に取っては寝耳に水であった。サイだって、綾香に轟沈されて運ばれたベッドの上で偶然知ったに過ぎない。
 さっと顔色が変わったが、
「あの子がストライクに碇と乗れば、モビルアーマーなんかじゃ歯が立たないわよね」
「?」
「多分、敵が幼馴染みって事はさっさと知っていた筈よ。それでもあの子は敵に付く事は全くしなかった。敵軍の歌姫を返しに行った時も――さっさと帰ってきたわよね。あの子は、そう言う子でしょ?その気になればいつでも向こうへ行けたのに」
 綾香の言葉が、皆を引き戻した。
「あたしが口出す事じゃないけど、残るっていうのは、あの子にとっては荷物になる事よ。よく考えるのね」
 
 
 
「ぬ、脱ぐの?そ、それってシンジ君…」
「姉御へのご褒美に、癒しではなく快感の贈り物を」
「え、えーとそのっ」
 アワアワと周囲を見回したが、覚悟を決めたように立ち上がった。背を向けて、ぷちぷちとボタンを外していく。胸をおさえて振り返ったその顔は、ほんの少し上気しているように見えた。
「や、優しくお願いね」
「了解」
 シンジは頷いたが、マリューはまだブラごと胸を隠したまま外そうとはしない。
「あ、あのね…」
「何?」
「お、おっぱいの大きさにはちょっとだけ…じ、自信あるんだけど…」
「じゃ、見てあげる」
「う、うん」
 ぽすっとシンジの膝の上に座り、手は離れたがブラは外していない。
「あの…シンジ君が外してくれる?」
「ん、いいよ」
 シンジの手がブラに掛かると、マリューは恥ずかしそうに少しだけ身を捩った。が、これはマリューの誘いであった。元よりマリューは、シンジがキラ達に何をしているのかなど知りもしないし、無論元いた世界での異性関係など尚更だ。そのシンジがどこまで慣れているのかと、試してみたくなったのだ。
「えーとこうやって…」
 もぞもぞとブラをまさぐっているが、一向に外れる気配はない。面倒なフロントホックでもなく、普通のタイプだ。
(シンジ君可愛い)
 手慣れた手つきで責められたらどうしようかと、応じはしたがちょっと固くなっていたマリューだったが、ぎこちないシンジの反応に警戒心も緩んだ。
「シンジ君、ブラとか外すのは初めて?」
「う、うん」
「じゃ、教えてあげるわ。外し方なんて簡単…!?」
 笑みを浮かべて振り向いた途端、するりとブラは外されていた。あっという間に乳肉がシンジの手に収まり、きゅむっと柔く指が食い込んでくる。
「シ、シンジ君あなたっ、ふひゃっ!」
「姉御が何やら企んでいるのは分かっていた。だから警戒を解くのを待っていたの。慣れきった事を、不得手に見せかけるのも楽ではないよ」
 耳元で囁いたシンジが、その耳朶をはむっと甘く噛んだ。
「私をっ、ふあっ、だ、だましたのねっ、あぁんっ」
 耳朶は弱いのか、身悶えして喘ぐマリューの乳房が急速に熱を帯びてきた。その乳房に、少し指を食い込ませたままふにふにと揉む。
「騙される方が悪い、と言うより先に謀ったのはだーれ?」
「あ、あれはシ、んんっ!」
 身悶えするマリューの唇から、あふぅっと熱い吐息が漏れる。快感に囚われそうになりながらも、その本能は変だと囁いていた。性器に触れるどころかキスすらしていないのに、早くも達しそうになっている。
(い、いくら最近してないって言ってもこんなの変っ…で、でもだめぇっ)
 強弱を付けて指が乳肉に食い込む度に、未体験の快感が全身を覆い、感じ過ぎと気付いていながら、身体は抜け出す術を知らない。主導権を取り戻せぬまま、一際高く喘いだマリューが四肢を突っ張らせたのは、それから二分も経たぬ内であった。
 快楽のみを乗せた揉み方だが、予想通りの反応にシンジは満足であった。が、ふと足の違和感に気付いた。
(ふむ、濡れてる)
 マリューを乗せている足が濡れているのに気付いたが、何も言わなかった。愛液が、下着だけでは止まらなかったらしい。
 シンジに寄り掛かり、荒い息を吐いていたマリューが、やがてゆっくりと振り返った。
「もう…おっぱいだけでイったなんて初めてよ…」
 妖しく濡れた目で、シンジをちろっと睨む。
「大きい上に感度も良くて何より」
「も、もう…っ」
 顔を赤くして降りようとしたマリューが凍り付く。シンジの服に出来た染みに気付いたのだ。
「あ、あのっ、これはそのっ…」
「自分の状態に気付かぬ程に感じていた、と言う事。シビウの弟子としては冥利に尽きる、と言う所かな」
 無論シンジはさっきから気付いている。うっすらと笑って、マリューの額に軽く口づけした。
「シンジ君…」
「予想以上に感じてくれた、とはいえ少し感じ過ぎてる。処女でもなさそうだし、少々お疲れと見える。確か、元々管理職では無かった筈だ。何やらの艦隊と合流すれば、艦長の一人や二人は回ってくるだろう。そしたらお役ご免だ。姉御には、少し休息が必要だよ」
「……」
 マリューは何も言わずシンジの首に腕を回し、きゅっと抱き付いた。
「優しいのね、シンジ君。でも…」
「でも?」
「そうやってキラさんやステラさんの事も気遣っているんでしょ。しかも私まで…異世界から飛ばされた貴方の心は誰が癒してくれるの…」
「悪の師匠」
「…え?」
 シンジの口から出たのは奇妙な単語であった。
「中国の奥地では今一つ評価が上がらなかった。下がりはしなかったと思うが、上がった節がない。が、ここで異世界から悠々帰還すると間違いなく評価が上がる。即ち、俺は必ず帰るという事。俺はそれで十分」
「シンジ君…」
「自分の事は自分で分かってる。その上で考えれば、フォローが必要なのはパイロット、そして艦の親玉と決まってくる。まして少々欠点はあるが、姉貴と似ているからと、助けた相手となれば尚更の事」
 マリューの髪を軽く撫でてから、
「姉御はシャワー浴びてきて。私は着替えてくる」
「え、ええ…」
 立ち上がって身繕いしたマリューが、少し恥ずかしげにカサカサと出て行く。服に出来た染みを暫く眺めてから、シンジもゆっくりと立ち上がった。
 三十分後、二人は並んでソファに座っていた。その距離は、幾分縮まったように見える。 
「そう言えば」
「え?」
「ヤマト達は全員降ろすがガイアは降ろさない、とか何とか言ってなかった?」
「ええ」
「どういう事?」
「え?もしかしてシンジ君…知らないでうんとか言ってたの?」
「まあ…そうとも言う」
「もう、シンジ君ってばいい加減なんだから」
 今度はマリューがシンジの髪をくしゃくしゃとかき回したが、何故かその表情は嬉しそうに見える。
「第八艦隊の旗艦メネラオスには、小型艇が積んであるのよ。今回、途中で回収した人数位は乗せられるわ。だから、小型艇を地球軍の勢力圏に降ろして、そこからオーブか或いは希望する所へ送るのよ。ただガイアは積めないから、ステラさんにはまだ乗っててもらう事になるわ。ハルバートン提督に話して、月の後はオーブ行きを最優先するつもりだけど」
「それでヤマト達を先に降ろすって言ってたの?」
「ええ、地球降下が絶対安全とは言えないけど、このまま戦闘に参加し続けるよりはいいでしょ。それで、シンジ君はどうするの」
「このまま乗り続けるのかって事?」
「ええ」
「残るに決まっている。ステラの事もあるし、だいたいミーアはまだ降ろしてないんだぞ。俺がさっさと降りたら、ろくでなしのナチュラルが何をする事やら」
「…ごめんなさいね…」
 ミーアを一緒に降ろした場合、帰すのが難しくなる。その一方で、シンジがいない状態でミーアを連れていれば、月にある地球軍本部が嬉々として使おうとするのは目に見えている。外見はどう見てもラクス・クラインなのだ。
「別に姉御が謝る事じゃない。そんな事より、少しは戦闘時が楽になるな」
「どういう事?」
「ヤマトは当然降りるだろう。そうなれば残るのは生粋軍人のステラとガイアだ。手加減が無用なら、まず引けを取る事はない。ステラの戦闘能力なら、数十機が相手でも十分勝てる筈。ヤマトもこれでやっと楽になれ…痛」
 ぽかっ。
「そう言う事言わないの」
「ハン?」
「そんな簡単にあなたを置いて降りられるなら、キラさんは最初から乗ったりしないわ。キラさんの事、そんな風に見ていたの?」
「降りる、ではなくて降ろすのだよ姉御。あの子は私とは人種が違う。立ち塞がる敵を滅ぼして通る私とは違い、まだ手は朱に染まっていない。ヤマトがどう言おうが、一時の感傷で道を誤らせてはならない。ヘリオポリス組に命じ、例え縛ってでも降ろすつもりだ」
「キラさんの事、随分気に掛けているのね…」
「少し違う」
「え?」
「私の為、乗りたくもないモビルスーツに乗り、関わりたくもない戦闘へ身を投じてくれた娘への――せめてものお礼だよ」
「……」
 
 
 
 それから十五分後――。
「助けてー!」
 雁字搦めに縛られ、柱に繋がれたシンジがいた。降ろす、とシンジに言われたキラが赫怒し、抗う間もあらばこそ、しかもサイ達までもがキラの側に回り、あっという間にシンジは縛り上げられてしまったのである。
「私に降りろってどういう事ですかっ!」
「どうもこうもヤマト、これ以上お前が戦場にいる必要はない。また元の平穏な生活に戻れと…もごっ」
「シンジさんの馬鹿っ!」
 その口にハンカチが押し込まれ、シンジは吊されたままジタバタと藻掻いた。
 そこへ、
「艦長!これは一体何の騒ぎで…!?」
 姿を見せたナタルが、シンジを見てぎょっと立ち竦んだ。
「シンジ君が、キラさんにメネラオスの小型艇で地球に降りるように言ったのよ。で、その結果がこれ」
「は、はあ…」
「言ったでしょ?ナタルがお子様だって」
「……」
 どうやら、キラに降りる意図はないらしいとナタルは知った。それはそれで有り難い事だが――自分がお子様と言う事に何の関係があるというのか。
「むーむー!」
 暴れるシンジに、
「私が残る事に反対しませんか?」
「……」
 シンジがこくこくと頷くと、漸くハンカチを取り除いた。
「まったく粗暴な奴らだ。ガーゴイル、さっさとおろせ」
「は、はい」
 降り立ったシンジが、キラをじっと見た。その視線を受け止めきれず、キラが視線を外す。
「ガイアは搭載出来ぬと聞いている。そしてミーアの事もある以上、私は残る。機を見て帰す事、そしてオーブでステラにおかしな追及の手が伸びぬよう、確認する事は最低限の責務だと思っている。が、ヤマト達は違う。何ら責務も持たないし、私がオーブまで同道出来ないが、こんな戦艦に乗っているより遙かに安全だ。そんな事など、私が言わずとも百も承知の上だと思ったが?」
「そんな事は分かってます。私だって、無条件で残るなんて言ってません」
「ほう…」
「私達をオーブへ送り届けるって、シンジさんは言ってくれました。あの約束…無かった事にして下さい。自分で選んで残るんだから、これ以上シンジさんに迷惑は掛けられません」
「!?」
 それを聞いて驚いたのはマリューである。一体何を言い出すのかと、驚いたようにキラ達を見たが、その顔は何れも決意で満ちていた。少し強張っているようにも見えるが、既に決心はついているのだろう。
(あなた達…)
 マリューは何も言わなかった。予想通りの行動とはいえ、このまま戦闘に参加させ続ける事が良いのかどうか、マリューにも分からなかったのである。
「キラさん」
 マリューが重たい口を開くまで、十数秒掛かった。
「はい?」
「あなた達の行動を制限する権限は、私にはありません。ただ…コーディネーターであるあなたには、例えこの艦を守ってもらったにしても…月本部が感謝するとは限りません。シンジ君がいる限り、あなたの身に累が及ぶ事は無いでしょうけれど、あなたにはつらい事になるかも知れないわ」
 それは裏を返せば、自分達がろくなものではないと認めるようなものである。
「いいんです。私はもう…覚悟は出来ています。シンジさん一人だけ、戦場に残して置く事は出来ません」
(キラさんがいない方がやりやすい、と言ってた事を知ったらどんな顔をするかしら?)
 無論そんな事は口にせず、
「そうね…」
 頷いてシンジを見た。
「シンジ君、後はあなた次第よ。キラさん達が残るのなら、また一緒に乗る事になるんだし、嫌々一緒に出ても逆効果になるだけよ」
「……」
 シンジの視線が向いた先は、何故かナタルであった。
「あの…何か」
「バジルールも同じ意見か?」
「……」
 少ししてから、ナタルは頷いた。
「月基地に着いた時に民間人の、しかもコーディネーターをパイロットにしている事は、ほぼ間違いなく問題になるでしょう。それを考えれば、今の内に降ろした方が本人の為にはなると思います。ですが…」
「ですが?」
「オーブ軍属のステラ・ルーシェもヘリオポリスの民間人であるキラ・ヤマトもコーディネーターであり、彼女達がいたからこの艦が守られてきた事もまた…事実です。私はその事には、感謝したいと思っています」
 シンジは頷いたが、他の者達は驚いたようにナタルを見た。軍紀にしか興味の無いようなナタルの口から、こんな言葉が出るとは意外だったのだ。
「つまり、それだけ恩のあるヤマトは、少なくともナチュラルのろくでなし共の追求から守らねばならない、と言う事だな――例え月基地を血の海に変えても」
 その言葉に、マリューがぴくっと反応したが何も言わなかった。
「ヤマト、今一度だけ訊く。本当に――良いのだな?」
「はいっ」
「分かった」
 一つ溜息をついたシンジが、
「姉御、ヤマトの軍属手続きを」
「え!?」
「バジルールの言った事を聞いていなかったのか?例えコーディネーターでも、軍属となればまた扱いは違ってこよう。気乗りはしないだろうが、その方が良かろう」
「で、でもシンジさんは?」
「ろくでもないナチュラルの軍服を着ろ、と?間違ってもお断りだ」
「わ、私だって嫌ですっ。大体、コーディネーターなんかを地球軍所属にして、とか言い出すのは目に見えてるじゃないですか」
「それもそうだな、ではそのままで」
 あっさりと前言を翻し、
「ヤマトは分かった。で、おまえらは何で残る訳?」
 シンジが簀巻きにされて吊されたのは、それから三十秒後の事であった。
 
 
 
「貴様ら、気は確かか?」
 ハマーンが呆れたようにイザークを見た。ニコルはプラントへ戻したし、アスランは断たれたイージスの右腕応急修理の為、まだ戻ってきていない。つまり単純に考えて戦力は半減以下なのだ。
 それなのに、
「奴らが合流するのをこのまま黙って看過は出来ません!」
 と、イザークが言いだしたのだ。出撃するのは勝手だが、たった二機で一体何が出来るというのか。数の上では互角で、しかも戦闘能力では彼我に差があり過ぎる。
「アスランが腕を落とされ、帰されたとはいえニコルは囚われの身になったのです。このまま合流すれば、ますます手は出せなくなります。ハマーン様はそれで良いのですか」
「五対二で完敗だったのが、二対二になって勝てる、乃至は一矢報いる事が出来ると考える根拠を知りたいものだなイザーク」
「ぜ、前回は我らにも油断がありました。しかし今回は違います。それに数は三対二、やわかひけなど取るものではありません」
「三対二?前回私が出たのは、ヴェサリウスにクルーゼがいたからだ。だが今回は違う。指揮官に艦を放り出して出撃しろ、とお前は言うのだな」
「そ、それは…」
「まあいい」
 ハマーンはふっと笑った。
「貴様らだけを出した所で、擒にされるか討たれるかのどちらかだ。能力を向上させられぬ時点で既に不利なのに、数が同じではわざわざ負けに行くようなもの。いいだろう、私も出撃してやる。だが、実力は向こうの方が遙かに上という事を忘れるな。そして――ストライクのパイロットは素人だと言う事もな」
「『!』」
 
 
 
「艦長」
 後ろから聞こえた声に、マリューは足を止めた。
「何、ナタル?」
「その…お訊ねしたい事があります。艦長は途中から志願した民間人が…いえ、キラ・ヤマトが残る事を分かっておられたのですか」
「分かってたわよ。そして、シンジ君は降ろしたがるだろうって言う事もね。でもその顔を見ると、まだ理由は分かってないみたいね」
「その訳を、お聞かせ願えませんか」
「お断り」
「!」
「勘違いしないでね。別に意地悪で言ってる訳じゃないのよ。あなたにもいずれ、分かる時が来るわ。きっとね」
「…いつも貴女はそうだ。そうやって余裕ぶって私を見下して…っ。もう結構ですっ」
 ぷいっと身を翻して去っていくナタルの後ろ姿を身ながら、
「私も余裕がある…訳じゃないんだけど」
 マリューが微妙な表情で呟く。
 敵襲来の情報が入ったのは、それから十分後の事であった。
  
 
 
 
 
(第三十四話 了)

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