妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第三十三話:三馬鹿達の自作自演――“ノーウズミ”
 
 
 
 
 
 轢かれた牛蛙みたいになっているシンジにきゅっと抱き付き、ご満悦のステラだったが、暫くしてから起きあがった。
「あの…お兄ちゃん」
「ん?」
「話があるの」
 抱き潰されてから、ステラのなすがままにさせていたシンジだが、ステラの口調に起きあがった。
「なに?」
「キラの事…」
「ヤマトの?」
 ステラは小さく頷いた。
「確かに、お兄ちゃんが一緒に乗ってくれれば機体の性能は上がる。でもキラは軍人じゃない。お兄ちゃんだって、モビルスーツに乗った事はないでしょう?」
「ん」
「素人がモビルスーツを動かして、しかも手を抜いて戦うなんて絶対に危険すぎる。ヤマトは優しい子だからって言ったけど…」
 ステラは少し躊躇ってから、
「それは一緒に乗っているお兄ちゃんを危険に巻き込む事。そんなのは…優しさじゃないっ…」
 やはり納得していなかったらしい。しかも、ストライクがキュベレイに阻まれて戻れず、急遽ステラが出た事でその思いが強くなったのだろう。それはシンジにもよく分かるだけに、もう決まった話だと一蹴するわけにもいかない。
「……」
 少しの間、シンジは黙っていた。宙の一点に向いている視線がやがて戻り、
「ステラ」
 と静かな声で呼んだ。
「は、はい…」
 怒られるものと、びくっと肩を震わせたステラだったが、
「ステラの言う通りだよ」
 シンジの言葉は意外なものであった。
「言うまでもなく、私もヤマトも軍事に関しては素人だし、無論モビルスーツの扱いにも長けてはいない。ステラに比べれば雲泥の差があるよ。ただ、先日出てきたハマーンを別にすれば、今のところ手に余る敵というのはいない。むしろ片手間で出来る位だ。言い方を変えれば、ハマーンさえ抑えれば何とかなる、と私は読んでいる。何よりも、ヤマトは軍に志願する為に乗っている訳じゃない。このまま主艦隊と合流したらさっさとオーブへ下ろしてもらう。そしたらそこでお役ご免さ」
「……」
(む〜)
 表情には出さなかったが、ステラは内心で口を尖らせた。戦闘データを見る限り、ハマーンにはかなり手こずっていたが、その他に対してはそうでもなかった。だからシンジの言う事は強ち間違いでもあるまい。
 が、問題はそこにはない。
 そう、出撃してアークエンジェルを守ったのはステラなのだ。立場的には微妙だし、軍功など興味もないステラだが、シンジが相手なら話は違ってくる。それなのに、シンジの口からステラの単語はまったく出て来ない。
「ラウ・ル・クルーゼなる奴は無能だが、ハマーンは違う。おそらく、ブリッツをすぐまた最前線に出す事はしないだろう。それに、アスラン・ザラの機体は腕を落としてある。戦力としては実質半減に近…あれ?」
 ふと気が付くと、ステラの表情がいつのまにかむくれ顔に変わっている。ステラの身体には触れていないし、一体何事が起きたのかと、
「どうかした?」
「…別に。敵の戦力は半減したしキラがいれば片手間で十分だし、良かったねお兄ちゃん」
(も、もしもし?)
 別に悪い事ではないが、どうしてそこでステラがむくれるのか。
「もうステラが出る必要ないよね。戦力は十分だしステラはオーブ軍なんだから」
(あ)
 そこまで言われてやっと気付いた。どうやら、シンジの口からステラの必要性を言って欲しかったらしい。それにしても、この世界へ飛ばされてから少々鈍くなっているような気がする。
「え、えーと」
 咳払いしてステラを引き寄せ、ひょいと抱き上げた。
「あっ、な、何を…は、離してっ、ステラなんてどうでもいいんでしょ!」
 かなりご機嫌斜めになっているステラを膝の上に乗せ、
「ステラがいなかったら、アークエンジェルは墜ちていたかもしれない。いなくていい、なんてそんな事はないよ――ステラには悪いけどね」
「そんな言葉じゃ騙されな…悪い?」
「この艦にオーブの関係者は、ステラしかいないでしょ。だから不安もあるんだ」
「どういう事?」
「ガイアが出撃したのはアークエンジェルを、つまりガイアを失わない為に必要不可欠だった、と証明する者がいない。地球軍じゃ正直説得力は低い。万が一にも、ステラに累が及ぶような事になったら困るでしょ」
「そ、それは大丈夫…だと思う」
「本当に?」
 うん、と頷いたが、少々頼りなさげであった。やはり、そんな事までは考えていなかったらしい。言うまでもなくシンジは、オーブへ行った事もないし、そこの代表と言われるウズミの事など知らない。偶然ガイアを収容し、オーブへ返す為やむなく出撃したというのは、いかにも地球軍にとって都合の良い話なのだ。それが本当であったとしても、地球軍の立場以外でそれを証明する者はおらず、へリオポリスの学生達だけでは説得力に欠ける。無論、シンジがいれば累など及ぼさせないが、行く前に帝都へ引き戻される可能性は十分にあるのだから。
「も、もし…」
「ん?」
「軍法違反だとか言ったら、お兄ちゃんと一緒にガイアでオーブを制圧しちゃうんだから」
 シンジがその前に帰るかも知れない、と言う事はまったく脳裏にないらしい。
「分かった」
 とシンジは頷いた。
「ステラがそこまで決心してるのなら、俺が言う事は何もない。ステラにもガシガシ出撃してもらうから」
「うん…」
 ふわっと抱きしめられて、ステラの表情が少し緩む。
 がしかし。
「でも、ステラまだご機嫌直ってないんだからね!」
 キッと睨まれた。
「まだ?」
「まだ!お兄ちゃん、ステラの事何にも言ってくれなかったんだから」
 異世界に飛ばされ、しかも同乗だけとは言え見た事もないロボットに乗り、あまつさえ少年少女をまとめるというのは、普通に考えれば並大抵の事ではない。が、シンジの危険な知り合いならこう言うだろう。
「シンジ君にとっては造作もない事。その為の悪の洗脳です」
 と。悪がどう繋がるかは分からないが、一応弱音を吐きたがらない性格にはなった。
「以心伝心、という言葉もあるが――」
「異人電信?」
「多分それとは根本的に違う。そうじゃなくて、言わなくても通じるって事。ステラは、言われた方が安心する?」
「お、お兄ちゃんだけなんだからっ…」
「それは遙か昔から分かってる」
(お兄ちゃん…)
 シンジの言葉をどう取ったのか、ステラは小さく頷いた。その耳元へシンジが囁く。
「ステラがいてくれるから助かってるよ。感謝してる」
「うん…でも今度から、ステラとも出撃(で)てね」
「ん」
 これで満足した、と思ったのだがステラはくるりと振り向いた。
「なに?」
「あの…ご褒美」
「ご褒美〜?」
 何でご褒美を、と言いかけて止めた。謝罪と賠償をお兄ちゃんに要求します、などと言われるよりましだと思ったのだ。
「だ、駄目?」
(二択だな。ケーキかキス、どっちかだ)
 シンジの脳裏では、天秤がカタカタと揺れている。片方に乗っているのはケーキとキスで、もう片方に乗っているのは部屋の隅に蹲ってグレているステラであった。
「いいよ、あげる」
「ほんとっ?」
 声からして変わったステラだったが、
「じゃ、じゃあね…」
 カサカサとシンジの耳元に口を寄せ、
「む、胸触ってくれる?この間みたいに暖かくしてほしいの」
「はい」
 シンジの反応が意外だったのか、一瞬驚いた表情を見せたステラだが、すぐ目を閉じてシンジに身体を預けてきた。うっすらと笑ったシンジが、ゆっくりとステラのボタンを外していく。
 なおその脳内では、白シンジが黒シンジ数名から袋叩きにされているところだ。
 この大嘘つき、と。
 
 
 
(敵の大群に囲まれてる方が楽かもね…と言うよりどうして正面から相手するのかしら)
 シンジの上申した策は、実に単純な子供だましであった。乗っている一般人数名を人質にした上で、ステラにガイアでの出撃を迫る映像を録り、それをオーブの総代表ウズミ・ナラ・アスハに送りつけようと言うのだ。怪しすぎる自作自演だが、シンジはそれでも構わないという。
「いくら緊急時の措置とは言え、こっそり開発していたガイアが大暴れしていては、国主として色々問題があろう」
「でもシンジ君、ウズミ代表の事を知ってるの?」
「……」
 訊ねたマリューにシンジは、夏の店先で虫除けの灯りにぶつかって落ちる虫を見るような視線を向けた。
「それが問題になれば、畢竟操縦者への追求も出てくる筈だが」
「そ、そうね」
 無論シンジはウズミの事など知らないし、ステラの処遇だけを気にしているのだ。
 で、それをどうするかとマリューとナタルの意見が対立しているところだ。やむを得ないだろうと言うマリューに対し、ナタルは地球軍の関与が知れれば外交問題に発展すると譲らない。確かにそんな映像を送れば、アークエンジェルクルーが無関係であるとは思うまい。そもそも国是として、他国へ侵略せずまた侵略させず、を唱うオーブだが、ガイアを失ったところで別にオーブが侵される訳ではない。ナタルの言う通り、問題になる可能性は大いにある。
 が、シンジはそんな事など気にもしていないのだ。少なくともオーブ国民が人質にされた、と言う映像があれば言い訳にはなる。国民に知れて問題になった時には、オーブの方で映像を更に過激にも出来よう。このまま失敬するならいざ知らず、オーブまで返しに行くと決めているのだ。感謝まではされずとも、恨まれる筋合いは無いというのがシンジの発想である。
 マリューは、シンジとヘリオポリス組の関係を知っているから、シンジの言う事は理解出来る。が、ナタルには分からない上に理解しようと言う気もない。そんな二人が話し合っても折り合う訳はなく、またも視線を合わせぬまま互いの人格攻撃になりかけたところで、レコアが割って入った。
「艦長も副長も、そんなに熱くならないで下さい。お二人の仲が良いのは分かってますから」
「『…何ですって』」
 向けられた視線には殺気すらこもっていたような気がしたが、サクッと受け流し、
「お二人の性格がバジルール少尉だったら、今頃は艦内で反乱が起きてます。両方ともマリュー艦長だったら…」
 レコアはちょっと首を傾げて、
「多分シンジ君の取り…モゲッ!?」
 電光石火でその口に押し込まれたのはハンカチであった。
「レコア、私はあなたがウェルダンにされるところを見たくはないのよ?」
 にこっと笑ったマリューに、何故かレコアは背筋が凍り付くような気がした。
「ご、ごめんなさい」
「今回だけは黙っていてあげる」
「?」
 事情が読めないナタルは、怪訝な顔でマリューとレコアの顔を眺めている。
「まあいいわ、ナタル」
「…はい」
「私達が喧嘩しても仕方ないし、今回は協力してちょうだい。合流しても、第八艦隊にあのキラさん以上のパイロットがいないのは貴女も知っているでしょう。どのみちオーブに返す機体だし、その道中が平穏に済むとは思えないわ」
「…分かりました。では艦長」
「何?」
「第八艦隊と合流しても、キラ・ヤマトは降ろされないのですね」
「どういう事?」
「艦隊と合流すれば、一般人は地球へ送るでしょう。お忘れですか」
「忘れてないけど…ああ、そう言う事ね」
 マリューがレコアを見た。
(え?あ、その意味ね)
 民間人を下ろすとは言え、オーブへ直接向かう訳ではない。一旦地球軍の勢力下へ行き、そこからオーブなりその他の場所へ送る事になる。そこへガイアも積んでいくというのは、出来ない事はないが効率が悪い。
 従ってガイアはまだ暫くアークエンジェルへ積んでおく事になり、当然ステラも一緒だ。戦闘の可能性を考えれば、シンジは残るだろう。
 キラ達が全員地球へ降りれば――ステラはシンジを独占出来るのだ。
「ナタルってちょっとお子様よね」
「な、何ですと!」
「そうですね…ちょっと鈍感かも」
「レコア少尉、私を侮辱しているのか!」
「だって…」
 マリューとレコアが顔を見合わせて、
「『本当の事だもの。ね?』」
「ーっ!」
 
 
 
 ステラを肩に担いだシンジが、医務室へ入ってきた。
「ごめんちょっと使い物にならなく…あれ?」
 シンジが見たのは、縛られて転がっているナタルと、それを見ながら紅茶を飲んでいる二人の姿であった。
「な、何かあったの?」
「子供が駄々をこねるから縛っておいたの。たまにはお仕置きが必要でしょ?」
 と、マリュー。
 はあと頷いたシンジに、
「もうすぐ艦隊と合流でしょ?ガイアはすぐに降ろせないから積んだままになるんだけど、キラさん達は全員降りるのかしら」
「レコア?」
「だから、彼女達が全員降りたら君の側にいるのはステラ・ルーシェひと――」
 言い終わらぬ内に、ステラがむくっと起きあがった。
「じゃあステラがお兄ちゃんを独りじ…いたっ」
 ぽかっ。
「うるさい」
 ぼんやりと事情を理解したシンジの一撃がステラを襲う。ぽいっと放り出されたステラを見たマリューとレコアの表情が固まった。
(レコアこの顔って…)(え、ええ…)
 目許を赤く染め、ふにゃふにゃと緩みきった表情は、二人に否応なくある行為を連想させたが、
「とりあえずマリューとレコアが妄想好きの変態なのは分かった。ほらバジルール起きて」
 深夜、道の真ん中で泥酔して寝込んだ挙げ句に轢かれるろくでなしでも見るみたいな視線を向けてから、ナタルの縄を解いて起こす。
「碇シンジ、さん…」
 珍奇とも言えるシンジの反応に、ナタルが目をぱちくりさせたところへ、
「少尉さんの協力がいるから、さ」
 よう、と片手を挙げてムウが入ってきた。
「フラガ大尉?」
「ナタル・バジルールのワーニングコメントが要るんだよ」
「ワ、ワーニングコメント?」
「この映像はウズミ・ナラ・アスハ向けに製作されています。それ以外の一般人共が見た場合、呪われても本官は責任を取りませんってバジルールに吹き込んでもらう」
「な、何ですと!?」
「この間アルテミスでは高みの見物を決め込んでいたんだ、たまには協力しろ」
「い、い…嫌ーっ!」
 とうとう壊れたナタルだが、無論許される筈もなく、マリューとレコアにあっさりと捕まった。
 そのナタルの前にシンジが屈み込み、
「正気のまま協力するか、完全に操狗となって正気に戻った時我が身を呪いたくなるような役を演じるか、いずれか選ぶがいい。両方とも嫌だというのなら次の戦闘時、爆弾を抱えて敵機に突撃してもらう」
(うわ…マジだ)
 最初計画を聞かされた時、ムウは冗談だと思っていた。緊急避難的な措置なのだし、返しに行くのだからわざわざ刺激する事もないと思ったのだ。が、どういう理由にせよオーブが開発していた機体なのは事実だし、ただでさえ平和主義のオーブで、兵器と聞いただけで思考が停止するような輩がいないとは言えまい。それはどうでもいいのだが、万一シンジがガイアと共に着いた先でステラに糾弾の矛先が向いたら、と考えた時、ムウの取る道は一つしかなかった。
 ムウとて、文字通りの死人の山を見たくなどはないのだから。
 シンジの場合、自分の身よりもヘリオポリスのガキンチョ共を優先している節がある。ミサイルにナタルを縛り付け、敵艦目がけて射出する位は本当にやりかねない。
 だから、
「きょ、協力します…」
 ナタルが蚊の鳴くような声で言った時、心から安堵したのだ。
(そう言えば爆弾を抱えて敵機にって…どこかで聞いたような気がするんだが…)
 
 
 
  
 
 オーブ首長国連合総代表、ウズミ・ナラ・アスハの執務室――。
 送られてきた映像を見るウズミの手元で、折られたペンは既に五本を超える。地球軍第八艦隊所属艦アークエンジェルより、オーブ代表のみ見られたしと映像が送られてきたのは、数十分前の事であった。
  
 サングラスを掛けた長髪の青年が、三人の娘達に機銃を突きつけている。彼女達はいずれも、オーブの民間人だ。
「私の名は黒瓜堂、と言う。帝都の住人だが、この世界に属する者ではない。訳あってガイアと共にアークエンジェルに乗り込んだが、パイロットは艦の危機にも関わらず、他国を侵略せぬ理念に背くので協力出来ぬと言う。その為、やむなくガイアを没収する事にした。この小娘共を何に使うかなど、訊くまでも無かろう」
 既に機銃の引き金には指が掛かっており、機銃で娘の顔がくいと持ち上げられた。
「ガイアのパイロット、ステラ・ルーシェは妙に忠誠心が高い。例え我が身を犠牲にしても勝手には乗れないと言って聞かん。そこでオーブのボス、ウズミ・ナラ・アスハから直接のお言葉を頂きたい。即ち、オーブはガイアの所有権を手放すと。肯定の回答が無い場合、三十分毎に一人。九十分経過後は、先だって捕獲した脱出用ポッドに詰まっていた連中から無作為に抽選で選ぶ事とする」
 三十分毎にどうするのか、犯人は何も言っていない。が、青ざめた娘達の顔色を見るまでもなく分かり切った事だ。
「さてと、とりあえず言ってもらおうか」
「な、何を…ですか…」
「ノーウズミ、と言え」
「……」
 肩を震わせて何も言えないのを見ると、躊躇うことなく引き金を引いた。忽ち床に銃弾が穴を穿ち、その中の一発が跳弾となって娘の肩をかすめる。他の二人が悲鳴をあげたが、突きつけられた銃口が身動きを許さない。
 唇の動かぬ彼女達に、
「言って、言って」
 囁くような声をちゃんとカメラは捉えていた。明らかに怪しい。
「…ノ、ノーウズミ」
 台詞にどんな意味があるのかはさっぱり分からない。
 が、ウズミにもう少し余裕があれば気付いたろう。さして自分を隠そうともしていない犯人は一人で、艦内を制圧している雰囲気など無かった事に。
 そして、何発も跳ね返ったそれは明らかに犯人にも当たったのに、怪我をした様子など微塵もなかったことを。
 何よりも、頑固に参戦を拒んでいる筈のステラが、姿どころか声さえ聞こえない事に気付いたろう。
 なおステラは――出せなかったのだ。私もお兄ちゃんに嬲られる役が欲しいと駄々をこねた為、シンジに捕縛されて放り出されていたのだ。
 積極的な人質は傍迷惑なだけである。
 まして、筋書きを自ら作りたがる人質などは。
「ウズミ・ナラ・アスハ、この娘達は三人で150キロにもならぬ。一方ガイアは33.4tの重量だ。どちらが重いかは、よくお分かりの筈だ」
 
 
 
  
 
「下らぬ洒落を…テロリストが!」
 しかし、とりあえずガイアが無事と分かり、ウズミは僅かに安堵した。
 問題はこの後だ。人命が懸かっており、しかも半分諦めていた所だからガイアを手放すのは構わないが、得体の知れぬ輩にあの機体が渡った場合、その後何をする気なのかが分からない。等身大で武装もしていない玩具もどきではないのだ。
「アークエンジェルの連中は何をしているのか。外交ルートで厳重に抗議…は出来ぬな…」
 最悪の場合、既に艦内が制圧されている可能性もある。そもそも、地球軍ならこんな事をする必要はないし、ザフトならばさっさと持って行っているだろう。
 では何者なのか。
 考えてみたが結論は出ず、その間にも期限は刻々と迫ってくる。
 瞑目していたウズミが、ゆっくりと目を開けた。室内を完全に遮断してから、アークエンジェルへの通信回線を開く。暗号化するとか盗聴防止とか、その手の事に関してオーブを上回る国はない。
 ザフト、連合何れもオーブには及ばないのだ。
 回線はすぐに繋がった。
「オーブ首長国連合代表、ウズミ・ナラ・アスハだ。黒瓜堂と名乗った者はそこにいるのかね」
「ここにいる。で、決心はついたのか」
「人質に指一本触れぬと、そしてアークエンジェルが安全圏へ脱した後は破棄する事を約定せよ。その名に賭けてだ」
「…破棄?」
「テロリストの手に渡った物を返せとは言わぬ。だがそれは、正規軍でない物が扱って良い代物ではない。それ位は分かっていよう」
「……」
(俺がテロリストでしかも道を説きに来た。錯乱したか?)
 肩を竦めたシンジに、撮影に回っているマリューが怪訝な表情になったが、映像は入っていないから構わない。
「良かろう」
 
 
 
 一方的に通信を切ってから、シンジは振り返った。
「新たに用意しろとは言っていないが、閣僚と相談してからとか三十分は無理とか、必ず言ってくると思っていた。が、あっさり回答した上に破棄しろと来た。度量があるのか脳裏に虫が巣くっているのか…はて」
「どうかな、あれは俺達に言ったような気がするんだが」
「フラガ大尉?」
「いくらウズミ代表でも、アークエンジェルが完全に乗っ取られたとは思ってないだろう。ザフトの手に渡るよりは、まだ共同開発していた地球軍の方がましさ。テロリストをとっ捕まえて奪還してくれ、とまで思ってるかは分からないが――破棄って言うのは、オーブの理念から来たものだろうな」
「オーブの理念?」
「他国の侵略を許さず他国を侵略せず、だよ。オーブは開戦当時から中立を宣言してきたのさ」
「ふうん…」
 奇妙な視線でムウを眺め、
「それはギャグで言ってるのか?」
「え?」
「最新鋭のモビルスーツで固めた一個師団でも持ってるならまだしも、ステラから聞いた軍容では前半が関の山だ。侵略しないなんて事自体戯言だが、それは貧弱な国なら誰でも出来る。が、させないってのは言葉だけで出来る事じゃない。どうやらウズミは少々誇大妄想の癖があると見える」
「……」
「まあいい。ステラに累が及ばなければそれでいい。オーブの指導者が妄想狂だろうが精神病だろうが、私には関係のない話だ。さてバジルール、出番だ」
「ど、どうしても参加しなくては…な、ならないのですか」
「その格好のまま、バジルール少尉のプロモーションビデオ撮影に切り替えても構わないが」
「や、やらせて頂きますっ」
 何故か顔を赤くし、手をきつく握りしめたナタルの耳元で、
「ナタル可愛いわよナタル」
 囁いたマリューをキッと睨むその表情は、屈辱に満ちていた。
 そのナタルの格好はというと、メイド服に軍帽姿の奇妙なものに変わっている。無論、メイド服の提供は綾香である。
 なお、この場で最も満足げなのはシンジでも綾香でもなく――艦長のマリュー・ラミアスであった。何を思ったのか、メイド姿にさせられているナタルを見ながら、実に生き生きとした表情なのだが、その手に邪悪な武器が――カメラが握られている事にナタルは気付いていない。
 シンジは一人気付いたが、何も言わなかった。
 今の二人の関係からして大凡の見当が付いたのである。
 
 
 
「そうか、そう言う事か…」
 再度送られて来た映像を見た時、ウズミは全てを理解した。
 
「こ、この映像はウズミ・ナラ・アスハ代表向けに作られており、そ、それ以外の者が視聴した時は…しっ、身体に著しい損害を及ぼす…かっ、可能性が痛っ」
「とちり過ぎだ馬鹿、やり直し!」
「くっ…!」
 メイド服を着せられ、羞恥と怒りで顔を染めている女の顔に、ウズミは見覚えがあった。しかもこっそり撮ったらしい映像では、擦過傷を受けた筈の娘がタオルでそこを擦られると傷は綺麗に消えたのだ。
 とどめは強情を張っている筈のステラ・ルーシェの映像であった。
「もー、私だってお兄ちゃんに嬲ってほしか…あう」
「うるさい」
 ぽかっと一撃されても、それすら嬉しそうに犯人に寄り掛かる姿には、出撃を強いられていた雰囲気など微塵もない。
「誰が嬲ってるか。大体ステラが甘えてる映像じゃ説得力がないだろ。ウズミに映像は送ったし、ガイアをオーブへ持って行くまで一緒なんだから我慢しなさい」
「はーい」
 
 映像が切れた後、ウズミは暫く動かなかった。蒟蒻で後頭部を殴られたような、そんな妙な衝撃が脳裏を覆っていた事もあるが、その目は鋭く画面を見つめている。
 送られてきた映像の意図がどこにあるのか、脳をフル回転させて読み取ろうとしていたのだ。どう考えても必要のない人質、そしてわざわざ別に送られてきた自作自演を明かすような映像と犯人と親しげなステラ――。
 十五分後、ウズミが呼び寄せたのはエリカであった。
「ウズミ様、お呼びでしょうか」
「うむ。先のモビルスーツ及びヘリオポリス倒壊の一件だが、やはり代表が何も知らなかったでは済むまい」
「しかしガイアについてはまだ消息も…ウズミ様?」
 微笑った――確かにウズミは微笑ったのだ。
 それは、長年ウズミを見てきたエリカが、一度も見た事のない表情であった。
「良いのだよ、エリカ・シモンズ」
 笑みは崩れぬまま、
「私は退位する。後継は弟のホムラで良かろう」
「ウズミ様っ!?」
「もう決めた事だ。そんな事より、君を呼んだのは政治の話ではない。新型機開発の話だ。モビルスーツの開発に関しては、私が引き続き把握しておく。経過は全て私へ報告するように」
「ウズミ様…」
 一体何があったのかと、狐につままれた気分のエリカだったが、元より政治は自分の分野ではない。それにウズミの決意は固そうだと、何も言わず一礼して下がっていった。
「お兄ちゃん、か…」
 宙を見上げた呟いた表情は、妙に満足げなものであった。
 
 
 
 
 
「黒ちゃん、大丈夫!?」
「大丈夫」
 激しく咳き込んだ黒瓜堂に、オカマのボディガードが慌てて駆け寄る。
「風邪でもひいた?」
「違う」
 黒瓜堂はぶるぶると首を振った。危険なウニ頭が怪しく揺れる。
「2%の可能性で誰かが噂してる。で、残りの98%だが――」
 未だ目覚めぬシンジのシンジの横に鞘ごと置いたのは、フェンリルから借りてきたエクスカリバーであった。シンジのポケットに突っ込んでおいた財布が、現金ごと消滅したのは既に確認している。
「誰かが私の名前を騙っているんだな。大凡見当は付くが」
「…誰なのよう」
「私の一番弟子、或いは――私の友人か。月の赤い夜でなければお仕置きだな」
「?」
 自ら悪の親玉を称するだけあって、異世界にいるシンジが下手人という事は何となく気付いていたらしい。
「まあいいけどねい。で、この坊やはいつ帰ってくるの?」
「まだ先だろう。とりあえず――現状には結構満足しているようだ」
 
 
 
 
 
(第三十三話 了)

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