妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第三十二話:ラクス様のお時間:外面似菩薩内面如夜叉
 
 
 
 
 
 知る者は少ないがニコルは、ハマーンとは小さい頃からの知り合いで、ハマーンが色々と目を掛けてきた。プラントを守る為、と言えば聞こえはいいのだが、両親にとってはピアノの道へ大成させたい愛娘であり、ヤダヤダと駄々をこねるニコルをやんわりと後押ししたのはハマーンなのだ。最後には、ハマーン・カーンがそこまで言うならと、両親も許可したのである。
 敵が言うままに、文字通り不用心で出てきたハマーンだが、確かに戦闘中人質を取ったと知って自分には目もくれず、危険な気さえ漂わせてさっさと戻った相手だったからと言う事はある。が、一番の理由はニコルであった。単にラクスが囚われているだけなら、ここまで不用心では無かったろう。
 だから、俯き気味に入ってきたニコルを一瞥し、外傷は無いようだと見抜いて安堵したのだ。
「ハマーン、ごめんなさい…。私のせいで危険な目に…」
 謝ったニコルを、ハマーンは立ち上がって優しく抱きしめた。
「そんな事はない。ニコルにもしもの事があれば、ユーリ殿とロミナ殿に申し訳が立たないからな。それに、私は身の危険を感じてはいなかったさ。ブリッツを拘束する事もせず、キュベレイに銃を向けようともせずにあっさり返すなど、世界中を探しても一人しかいないだろうが…私はそう言う相手だと思っていた」
 キラに言った事と違う。例え自分が帰れなくとも、と言ったではないか。
 どちらが本心なのか。
 キラに――正確にはシンジに向けて言った事が本心だ。とはいえ、命に替えても等とニコルに告げる事もない。その辺は、シンジと似ている所がある。
「ところでニコル」
「はい」
「率直に訊くが――」
 ニコルを椅子に座らせ、
「あの異世界人とはどこまで行った?」
「!!」
「責めている訳ではないのだ。異世界人の分際でモビルスーツに乗り、しかも直接操縦せずに操縦者・機体の能力を上げるなどどう考えても尋常ではないが、現実がある以上私は否定しない。あの異世界人がどう考えたかは知らないが、私が丸腰で来る保証はない。しかもブリッツは完全装備だった。私なら、少なくとも完全催眠を施してから帰すだろう。だがニコルを見れば、そんな施術が無いのはすぐ分かる。だとすれば、少なくともキュベレイと組んで逆襲はしてこない、という前提がある筈だ。ただ勘違いはしないでほしい。例え抱かれていても、襲われたのでなければ私はいいと思ってる」
「ハ、ハマーン私はっ…その…」
「一緒に乗っていれば便利だから、という単純な理由で惹かれもするまい。ストライクに乗っていた娘の表情は、単なる相棒を見る以上の物だったよ」
「……」
 実際はそこまでの確信は無かったのだが、ハマーンの言葉にニコルが引っかかった。十数秒後、ニコルは全てをハマーンに話したのだ。
 シンジがコーディネーターの身体に興味を持っていた事、だが少しも変わらぬと知るとあっさり飽きてしまい何故か自分の方から見せつけた事、何時しか入ってきたキラと競うような形になり二人一緒に弄られ、しかも初めてのお尻まで指で弄られて何度も達してしまった事もすべて告げた。
「……」
 指だけ、と言うのはさすがに驚いたのか、ハマーンはすぐには反応しなかったが、少し経ってから頷いた。
「よく話してくれたな。しかし、これで私も決心がついた。ニコルには、怪我人について一旦プラントへ戻ってもらおう。ご両親には囚われた事は伝えていないが、無事な顔を見せれば喜ぶだろう。久しぶりに、ニコルの演奏を聴かせてくるがいいさ」
「ハマーン…でもあの、怪我人って?」
「今からできあがる」
「え!?」
 ニコルの表情が硬直したところへ、インターホンが鳴った。
「クルーゼだ。呼んだかね」
「ああ、入ってくれ」
 ドアが開いてクルーゼが一歩踏み込むのと、ハマーンが電光石火の早さで銃を引き抜くのとが同時であった。肩口を射抜かれたクルーゼが吹っ飛ぶのを、ニコルは呆然として眺めていた。
「異世界人はブリッツを武装解除もせず、私を攻撃する事もなくニコルを帰してきた。その心が分からぬ無粋な輩、と指弾はするまい。だがストライクの戦闘能力は、お前などより遙かに高い。その気になればお前を撃退し、悠々とブリッツを狙い撃つ事も出来たのだ。無論、私ごとな。そんな事も分からぬようになったとは…ラウ・ル・クルーゼ隊長、お前には休養が必要だよ。そう思うだろう?」
 悠然と銃をしまい、
「ニコル、隊長をお送りしろ。ラクス嬢を送ったついでに、箱詰めでもして持って行け。アスラン・ザラのイージスも修理が必要だろう。私はガモフで、アークエンジェルを追う。使えない坊や二人だが、このまま行かせる訳にもいかないからな」
「…分かりました…」
 ニコルにも、ハマーンがシンジとどこか通じる物があったのだろうという事は分かっている。ただ、まさかクルーゼを撃ち抜くとは思ってもいなかった。
 が、意外にもクルーゼはすぐに立ち上がった。
「…相変わらず手が早いのだな、ハマーン。とはいえ、両足を撃ち抜かれなかっただけでも幸いかね?ニコル」
「は、はい」
「見ての通り私は負傷した。ラクス嬢の事もあるし一度プラントへ戻る。悪いが君も来てくれるかね」
「は、はっ…」
 どうやら、この程度はかなり穏便な部類に入るらしかった。
 
 
 
 
 
 マリューとナタルの寝顔を見ながら、シンジは小首を傾げていた。二人の顔はシンジの手によって完全に治療されており、互いに付け合った傷の痕など微塵もないが、シンジの関心はじっと見つめるその先には無かった。
 その脳裏にあるのは、フレイ・アルスターの事であった。サイの思いはともかく、フレイがサイを頼っているのは間違いない。しかも炭化カードを常に引き当てそうな言動もあり、サイにしがみつくのは必須だろう。それはフレイの自由だが、サイがすがってくるフレイから身を引いた所を既にシンジは見ている。
 そしてそれが、単に巻き添えを拒んだからではない、という事もまた。当初はいざ知らず、仲間の為に身を賭しているキラの事もあり、我が儘な言動を繰り返すフレイからサイの心が離れ掛けているというのが事実だろう。が、フレイにはサイしかすがれる相手はいない。そしていざとなれば、ナタル同様人質等という下劣な発想を厭わない娘だ。
 幾つかの前提を元に、サイの心がキラに向いた時の行動を考えると、さして時間は掛からずに答えは出る。それもかなり限られたものだ。
 単なる友情、だけでサイが抱き付いたとも思えない。仮にキラがサイの思いに応えた場合、フレイの存在は状況悪化の一途を辿らせるものにしかならず、一言で言えば疫病神そのものだ。
「ガーゴイルとヤマトのカップリングの為にも、今のうちに滅ぼしておくか。冥府にいる父親と仲良くしてもらった方が良かろう」
 穏やかな表情で物騒な事を呟いた時、マリューとナタルの目がうっすらと開いた。
「『う…んっ…』」
 もにゃもにゃと目をこすった二人が、互いを認識した次の瞬間、険しい表情で起きあがったが、小さくあくびをしたシンジに気付いた。
「シ、シンジ君…」
「姉御、おはよう。よく眠れた?」
「え、ええ…あれ?」
 シンジが何も知らない、と思う程マリューも間抜けではない。どこか恥ずかしそうに頷いたのだが、何気なく自分の顔に触れたまま固まった。
「き、綺麗に…なってる?」
 マリューが、ついでナタルが自分の顔をぺたぺたと触り、怪訝な表情で顔を見合わせてぷいとそっぽを向く。
「二人の顔は治しておいたから」
 事も無げなシンジの台詞であった。
「『え!?』」
「艦長と副長の対立はともかく、二人が取っ組み合いをして顔に傷を付け合った、と言うのは外聞的にもよろしくない。なので治しておきました。喧嘩するなとは言わないけど、艦内じゃない方がいいでしょ?」
「ご、ごめんねシンジ君…」「あ…ありがとうございます…」
 ん、とシンジは頷き、
「バジルール、今回はマリュー艦長に免じた。次は必ず炭化させる」
 口調は、あくびをした時のものであった。
「!」
「人質策など下の下策、娘を人質にする連中かと敵からも味方からも不信感を招くのみ。結果だけを追求するのは、必ず我が身に災禍をもたらすと覚えておくがいい」
「……」
「無論、結果も求められる訳だがその前に姉御、この艦にはリングとか積んでないの?」
「リング?輪じゃなくて、プロレスとかに使うリング?」
「うん」
「…何に使うつもり?」
「俺には無関係だけど、姉御もバジルールも納得してないみたいだし、一回十ラウンド制でボクシングでもやればすっきりするんじゃないかと」
「駄目よ。理由は二つ、一つはこの艦にそんな物は積んでないわ。二つ、私は弱い者苛めは好きじゃないの。よって却下」
「はあ」
 頷いたシンジを、
「碇シンジさん」
 ナタルが呼んだ。
「うん?」
「弱い犬程よく吠える、と言う言葉をご存じですか」
「…聞いた事はある」
「能ある鷹は爪を隠すって言葉も知らないみたいね」
「井の中の蛙の間違いでしょう」
(やばい挟まれた!)
 二人とも見えざる火花を散らしていながら、お互いをまったく見ようとはしないのだ。危機の度合いで言うと、ハマーンのキュベレイに追い込まれた時のざっと八倍見当になる。
(誰か助けて!)
 内心でSOSを出した時、カーテンが開いてレコアが顔を出した。
「お二人ともお互いにだいぶ溜まっているようだから、いずれ発散させて差し上げますわ。でも今はとりあえず、一時休戦なさって下さい。昨日から艦も停止したままですし」
 レコアが差し出したのは、カットされたチーズケーキであった。
「これ、レコア少尉が?」
 レコアはうっすらと笑って、どうぞと促した。一口食べた二人が、期せずして同時に美味しいと呟く。
「ですって、シンジ君?」
「え?これシンジ君が作ったの?」
「ええ、フラガ大尉をおさえる代わりに作ってもらいました」
「フラガ大尉を?何かあったの」
「別に」
 シンジは軽く首を振って、
「燃やしたりして足止めするのが面倒だったから。ブリッツとパイロット、それとラクス・クラインをザフトのボンクラ共に返して来…」
 プーッ!
 碇シンジ――マリュー・ラミアスとナタル・バジルールに顔射さる。
 シンジが顔に吹き出されたチーズケーキを拭おうと手を伸ばすまで、十秒近く掛かった。その間、犯人達は無論レコアまでもが凍り付いていたのだが、シンジは別段怒った様子もなく、
「少し想像とは違ったが、一応想定内かな」
「ご、ごめんねシンジ君。でも…どうして返しちゃったの」
「ガイアのパイロットはステラだが、ストライクのパイロットは本来ヤマトじゃない。ヤマトが優秀だから、正規パイロットがお役後免になったという訳でもないし。つまりこっちにあってもパイロットはいない。そして機体はともかくパイロットは捕虜だ。またぞろ人質作戦など展開されては迷惑千万」
 シンジの言葉に二対の視線がナタルに向き、ぐっと唇を噛んだナタルが俯く。
「というとナタルが心ないロクデナシに聞こえるが、実際はヤマトの問題だ。バジルールは関係ない」
「『え!?』」「……」
 ナタルとレコアが驚いた表情を見せる横で、マリューの反応は微妙であった。
「二人とも知っておくといい。イージスのパイロット、アスラン・ザラはヤマトの幼馴染みだ」
「『!』」
「じゃ、じゃあ友達と…」
「そうだ。ただ、ヤマトは私と違い平穏な道を歩んできた優しい娘なので、戦闘にはそもそも向いてない。このまま戦場に駆りだした場合、精神に問題を来す可能性も決して低くない。だから捕まえる事にした」
「つ、捕まえるってもしかして…ザフト軍全部を?」
「レコアと違って優秀じゃないのでそれは無理」
「……」
「イージス以下四機だけ。七回もとっ捕まれば恥じて出てこなくなるだろう。先回の戦闘で、ヤマトとキスしてる所を見られたので、イージスは腕を落として追い払っておいた」
「キっ…!」
 何故か赤くなったナタルに、
「バジルール、何か言いたそうだが」
「あなたがストライクに乗る事で、強さを発揮しているのは認めます。ですが先日の戦闘では…その…」
「私とヤマトがハマーン・カーン相手に手こずり…どうした?」
「い、今何て?ハマーン・カーンって…言ったの?」
「本人がそう言ってたが…ん?」
 ナタルが、ついでレコアが蒼白になっていく。マリューはもう知っていたのだが、ナタルは知らなかったのか、或いはさして気にしていなかったのか。
「ナスカ級にハマーン・カーンがいたなんて…」
 二人の反応からシンジは、ハマーンがどうやら有名らしいと知った。
(初弾で討たれなかっただけラッキーだったのかな)
 ぼんやり考えたシンジにナタルが、
「そ、それでその…ブリッツを返したとはどうやって…」
「ハマーンに、キュベレイに乗って丸腰で出てこいと言っておいた。で、出てきたハマーンに持たせて返した。さしたる事じゃない」
 それを聞いたマリューとナタルが顔を見合わせる。今度はいずれもそっぽを向かなかった。どうやら、理解の範疇を超えたらしい。
「話を戻そう。バジルール、相手はともかくとして、先日の戦闘でストライクが戻れなかった為、アークエンジェルに三匹が取り付いたのは事実だ。そう言いたいのだな」
「そ、それは…あります」
「バジルールの言う通りだ」
 シンジはあっさり認めた。別に間違っていないし、無理矢理粉塗しようとも思っていない。
「しかしこれは既に決まった事だ。変える気はない」
「……」
「とはいえ、事実に目を閉じ理想だけを叫ぶのは愚かというものだ。私はともかく、ヤマトはそこまで愚かではない。そこで、マリュー艦長にある作戦を上申する」
「ふえ?」
「作戦名は――自作自演王国」
「『じ、自作自演王国〜?』」
「そう。現実を見つめなきゃ」
 
 
 
「サイに…抱き付かれちゃった…」
 はーあ、と溜息をついてキラはベッドの上でごろごろと転がっていた。目を閉じると思い出す感触は、サイの腕ではなく昨夜のシンジの指のものだ。まだお尻の中に、シンジの指が残っているような気がする。
「じっ、自分でもした事無いのにお尻でなんてっ…。も、もうシンジさんのえっち」
 がしかし、頬を染め枕をぎゅっと抱きしめて転がっていては、説得力は少々足りない。
「でも…」
 ふっと真顔になったキラが、転がるのを止めて天井を見上げた。
「あの娘(こ)は…ニコルはどうするんだろ。また私達…戦うのかな」
 正確に言えば、キラが心配しているのはニコルと戦う事ではなかった。シンジといる限り、またニコルと戦っても捕らえる自信はあったし、絶対に負けないとは思っている。ただ、もしも降格などされて一般兵が乗るような機体で出てきた場合、攻撃前にその都度相手の顔を確認などしていられない。
 知らずに墜としたら、とそれを心配しているのだ。
「ニコル…軍隊をクビになってくれないかな…」
 キラなりに気遣ってはいるのだろうが――呟いた台詞は少々ろくでもないものであった。
 そしてキラは――自分の願いが打ち砕かれると知る事になる。
 
 
 
 キラが、昨夜を思いだして転がっている頃――シンジはステラの攻撃を受けていた。
「お兄ちゃん意地悪」
 ぷうっと頬をふくらませてシンジを睨んでくる。少し疲れ気味だった事もあり、熟睡していたステラを起こさなかったのだが、それが機嫌を損ねているのだ。
 ブリッツとニコルを返したと聞いて、絶対に怪しいと疑っている。
「普通は返さないし、それに武装も取り上げないで返すなんてありえない。ブリッツは武装解除したの?」
 首を振ったのが墓穴であった。
「それなら出てきた敵と挟撃される可能性があるんだから、もっと危ない。お兄ちゃんがそんな事を分からない筈はないもん。どうしてステラを起こしてくれなかったの」
 ただし自分も一緒に行ったのに、ではなくその前にシンジがニコルに何かしたと見抜いているのだ。どうして自分も入れてくれなかったのかと拗ねている。ただ困ったと言うより可愛いと見えてしまうステラの表情だが、シンジの目的はステラの拗ね顔を見る事ではない。それに、ニコルだけではなくキラもおり、二人に何をしたかをステラが知ったら、どうなる事か分かったものではない。
 が、このまま拗ねていられても困る。
「ステラはどうしたら機嫌直してくれる」
 下手に出てみた。
「じゃ、じゃあ…ぎゅってして」
「え?」
「だからその…ステラのことぎゅって抱きしめ…あっ」
 言い終わらぬ内にステラは引き寄せられ、きゅっと抱かれて押し倒されていた。ベッドの上で、シンジの手が柔く抱きしめる。
 びっくりしたハムスターみたいな顔になったステラがうっすらと赤くなり、
(お兄ちゃん…嬉しい…)
 おずおずとシンジの身体に手を回そうとした時、シンジはすっと起きあがった。
「さて、機嫌取るの終わり」
「!?」
 その口から出てきたのは、ろくでもない事この上ない台詞であった。
「ステラ・ルーシェ」
「…何」
 もうステラは完全にむくれてしまい、ぷいっとそっぽを向いている。
「既に姉御には言ってあるが、本日作戦を実行する。作戦名は自作自演王国」
「…自作自演?」
「そう。いつまでもガイアをこっそりと犯罪者みたいに出撃させる訳にはいかない」
「それって、この間言ってたオーブに送る映像の事?」
 ステラの顔がちょっと戻ってきた。
「そう、それ。ストライク一機ではどうしても限界がある。地球軍から奪った機体に乗ってる連中なら大した事はないけど、向こうにはかなり出来るのがいると判明したし」
「じゃあ…ガイアにステラと乗ってくれるの?」
「ステラが迷惑でなけれ…うぷ」
「もぅっ!」
 言い終わらぬ内にシンジは飛びつかれ――ステラの下で雨蛙の潰れたような声がした。
 
  
 
 同じ頃、ヴェサリウスでも天井を見上げている娘がいた。
 ラクスだ。ただこちらはキラやステラとは違い、あまり幸せ回路が作動中とは言えない状態だ。アークエンジェルでは、ラクス・クラインを人質にしている!と宣言されたが、言うまでもなくあれは自分ではない。しかも、どうやらミーアは自分からわざわざブリッジへ行ったらしいのだ。
 物好きとかそう言う事はともかく、自分は完全に蚊帳の外だったのだ。自分の知らない所で人質騒ぎが起き、しかも人質にされたのはラクスと言う事になる。その上、いつの間にか自分がザフトへ送付される事になり、ミーアは残ったのだ。
「も〜、つまらないですわ」
 アークエンジェルでは、特にちやほやされたりはしなかったが、シンジ達は普通に接してくれた。シンジの部屋で皆と話した晩の事は、令嬢育ちのラクスにとってはとても新鮮であった。が、戻ってきた途端腫れ物に触るような扱いで、また現実に引き戻されてしまった。
 何よりも――ミーアとの責め合いで完敗し、泣きながら達する所をキラ達に見られてしまったのだ。見られたまでは仕方ないとして、彼女達の記憶には負けたラクスの記憶だけが残るだろう。口惜しさだけが残り、戻ってきたら今度は腫れ物扱いになってしまった。
 ラクスの可愛い口許がちょっとふくれ気味なのも、やむを得ないのかもしれない。
 と、ハロが廊下に飛び出した。中途半端に知能の高いこの物体にとって、扉をあけて抜け出す事など造作もないのだ。
「こらっ!」
 廊下から聞こえた声に、ラクスの表情が少し緩む。
「アスラン、お久しぶりですわね」
「お帰りなさいラクス」
「はい」
 ラクスはにこっと笑って頷いた。
「アスラン、少し外に出てはいけませんの?」
「えーと…」
 ちょっと困ったような顔で、
「ここは戦艦です。ラクスはその…客人ですから、出歩かないでここにいて下さい。ね?」
「せっかく戻ってきたのに…」
「ラクスの立場はそういうもので…ラクス?」
「アークエンジェルでは、碇様のお部屋で色々お話ししましたわ。閉じこめられなんてしませんでしたのに」
「碇様…ってあの異世界人!?ラクス、何かされませんでしたかっ」
 ラクスはうっすらと笑った。
「あの方は、そのような事をする方ではありませんわ。とても紳士的でしたし、皆から信頼されていましたわ」
 シンジがそれを聞いてどんな顔をするかはともかく、ラクスにはそう見えたらしい。
「わたくしにプラントの話を聞きたい、と言われて。お話しして差し上げましたの」
「あの異世界人に?」
「ええ。自分のいた世界ではまだ宇宙に進出していないから、とても興味があるのだと。そしてこうも言っておられましたわ――惜しいと」
「惜しい?」
 アークエンジェルで、ラクスがシンジに同じ口調で聞き返した事を無論アスランは知らない。
「無意味な戦争などしていなければ、今頃この世界はUMAからの信号を受信していただろうにと…」
「……」
 複雑な表情になってから、
「UMA?」
 思いだしたように聞き返した。
「Unidentified Mysterious Animal、未知の生物の事ですわ。ネッシーとか雪男とか、アスランも聞いた事はおありでしょう?」
 このお姫様、知識の範囲は奇妙なところにも及んでいるらしい。
「ええ…」
「でも、こうも言っておられました。いずれは収まるところに収まる、と」
「…」
「碇様がどういう方なのか、わたくしもよく分かりません。でも、キラ様の事は花を愛でる方が合っている娘(こ)だけど決して寝返りはしない、と。本当に信頼しておられましたわ」
「それは違いますっ!」
 思わず大きな声を出したアスランだが、ラクスは驚いた表情もせずに受け止めた。
「アスラン?」
「あいつは…キラは騙されているだけなんです!そんな事を言われてその気になってモビルスーツなんかに乗って…本当は僕たちの敵じゃないのに!」
「どうしてですの?」
「ど、どうしてって…あいつの両親はナチュラルだけどキラはコーディネーターですよ。ラクスも知っているでしょう」
「地球軍に、コーディネーターは一人もいないのですか?いれば、それは皆騙されたり強制されている兵士ばかりなのですか?それとも――全て裏切り者だと?」
「ラクス…あの艦(ふね)で一体何を吹き込まれたのですか」
「プラントが悪い、などとわたくしは言っておりませんわ。端から見ればどう見てもナチュラルに大義が見いだせない、と言われたのは碇様です。でもアスラン」
「何です」
「軍とかプラントかそんなものではなく、全てを賭けて信じ、また信じてくれる人はいますか?この人となら命を共にして戦える、そんな人はいますか?」
「な、何を急に…」
「碇様とキラ様はそんな関係です。だから、あの二人はとても強いのですわ。碇様の言葉が口だけなら、キラ様が信じるとお思いですか?」
「……」
 それはアスランにも分かっていた。四機に囲まれていたストライクを迎えにきた時、私のキラをとシンジは言ったのだ。それも当然のように。
 そこに隷属とか恋情とか、そんなものとは違う何かがある事にアスランも気付いていた。だが、キラとの付き合いは自分の方が遙かに長いのだ。
「他の方達がどう思っておられるのか、わたくしには分かりませんわ。でも碇様やキラ様は戦いに身を投じていても、戦いが続く事を望んでいるようには…わたくしには見えませんでしたわ」
 ラクスの言葉が、更にアスランを締め付ける。二人とも軍服を着ていないところからして、まだ地球軍に所属してはいないのだろう。いわば民間人だ。
 キラは無論素人だし、シンジに至ってはモビルスーツの存在すら知らなかった。そんな素人コンビが、謂わば片手間で動かしているモビルスーツ相手に自分達は苦戦し、あまつさえニコルは捕らえられてしまったのである。ラクスに悪気がないのは分かっているが、その方が却って始末に負えない事もあるのだ。
「でもキラ様は…あなたと戦いたくはない、と…」
(あら?)
 言ってから、ラクスは内心で小首を傾げた。
 キラがアスランを討つ事に躊躇いがあるから取った策、と言うのは分かる。が、それは捕らえる自信があるから戦うだけならもう吹っ切った、という事なのか或いは戦う事も嫌なのか、そこまでは聞かなかった。
 たださすがのラクスも、シンジの言った七縦七擒については触れなかった。七回捕まえて七回放す予定だそうですわ、などと言われたらアスランの立つ瀬があるまい。
「僕だってそうです!誰があいつと戦う事なんか…」
「そうですわね…」
 よく分かる、という風に頷いてから、
「アスラン、一つお訊きしても…いい?」
「はい?」
「その、碇様が…」
「!?」
 やはり何かあったのかと、身を乗り出してきたアスランに、
「わたくしがあなたの許嫁とお話ししたら、好きなのかと訊かれましたの。どうしてだと思います?」
「…ま、まさか…」
 思わずラクスの肩を掴んだアスランだったが、
「ヤマトに随分とご執心で到底婚約者がいるようには見えなかった、と」
「う…あー、い、いやそれは…そのっ…い、異世界人の罠…そう、あなたと私の仲を裂く罠なのですっ」
「……」
 ここまでアワアワされると突っ込むのが可哀想になる位だ。
「でもわたくしは信じていますもの。ね、アスラン?」
 ラクスはにっこりと笑ったが、その瞳の奥にある漆黒の何かが自分を捕らえている事にアスランは気付いた。
 
 ――外面菩薩内面夜叉――
 
 それは、ラクスの為にある言葉なのかも知れない。
「…し、失礼しました。じゃ、じゃあ私はこれでっ」
 逃げるように踵を返すアスランの背後へ、
「この頃のアスランは、いつも辛い顔をなさっておられますのね」
 何かを隠しているお顔も、と言おうかと思ったのだが止めておいた。
「にこにこ笑って戦争は出来ませんよ」
 何も言わずに一歩踏み出したが、
「キラ様は――」
 聞こえてきた声にその足が止まった。
「キラ様は、笑っておられましたわ…心からの笑みで。わたくしでは…あなたが心からの笑みを見せるお相手には…なれませんのね」
 寂しげな眼差しとわずかに俯いた姿、これは必須ポイントになる。
 そして…あっさりと釣れた。
「すみません、自分の事しか考えていなくて。ラクスも、つらい思いをしてきたのでしたね…」
 戻ってきたアスランの手がそっと伸びて、遠慮がちにラクスを抱きしめる。と、次の瞬間ラクスが何かに躓いたように体勢を崩し、二人はベッドへ倒れ込んだ。
「す、すみませんっ」
 顔を真っ赤にして慌てて起きようとするアスランを、今度はラクスが抱き止めた。
「謝る事はありませんわ。わたくし達は、許嫁の間柄でしょう?それとも…親が決めた関係だけ、とアスランは思っておられますの?」
「い、いえそんな事は…」
「クルーゼ隊長が怪我をなさったのでしょう?艦が発つまでまだ時間はあります。わたくしたちには、もっと親睦を深め合う時間が必要だと思いませんか?」
「ラクス…」
 珍しい、と言うよりラクスがこんなに積極的なのを見るのは、アスランにとって初めてであった。小さく誘うように開いた唇に、アスランが引き寄せられるように自分の唇を重ねていく。
 間もなく、放り出された衣服が床の上に散乱し、ベッドの中からは混ざり合った男女の熱い吐息が洩れ聞こえてきた。
 なおハロはと言うと勝手に動作し、施錠と完全防音にこれつとめている。元はアスランが作った物で、今はラクスの所有になっている物体は、主達の行動を植え付けられた知能の中で判断したのかもしれない。
 とまれ、ラクスの漂流とシンジの存在とキラの想いは、許嫁のくせに微妙に距離の遠かった二人を、少しばかりだが近づけたらしかった。
 
 
 
 
 
(第三十二話 了)

TOP><NEXT