妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第三十一話:ハマーンのプライド
 
 
 
 
 
「レコア、いるか」
「いるわよ?」
 ノックの音に、レコアは読んでいたカルテから顔を上げた。レコアの部屋は別にあり、ここは救護室の控えのような形になっていて私室ではない。別にノックをする必要もないし、第一すぐに入ってこようともしないのだ。
「開いているわ、どうぞ」
「ん」
 入ってきたシンジを見て、レコアの表情がわずかに動いた。シンジの髪が濡れているのに気付いたのだ。シャワーでも浴びて、そのまま来たのだろうか。
「ちょっと今から出てくる」
「どちらへ?」
「ブリッツに、ラクス・クラインとニコル・アマルフィを積んで返してくる」
「ブリッツって昨日ステラが捕らえた機体よね。パイロット諸共敵に返すって、それ利敵行為だと分かっての事?」
「返したところで、敵の戦力が増える訳じゃない。連中のモビルスーツなど、私がその気になればいつでも墜とせる」
 無論シンジが操縦できるわけではないし、一番の要因はキラになるのだが、ヤマトがとは言わなかった。
「それに、出撃は艦長命令でもないし、間抜けな副官の指示でもない。それを戦果とするのは、ちと厚顔と言うものだろう」
「ふーん…」
 まじまじとシンジを眺め、
「少し違うような気もするけど、私の理解を得たい、と思って来たのではないでしょう。なぜそれをわざわざ私に言いに来たの?」
「レコアも知っている通り、姉御ともう一人の凸凹コンビは隣の部屋で眠っている。まだ起きまい。ブリッジのクルーには私が話をしておく。というわけで、レコアにはエンデュミオンの雀をおさえておいてもらいたい」
「フラガ大尉を?気に掛ける程でもないと思うけど…第一、縛るか焦がすかしておけばいいんじゃないの?」
 綺麗な顔をして、レコアも物騒な事をあっさりと言ってのける。
「今はそういう気分じゃない。無論レコアの言う通りだが、穏便な気分なんだ」
「女の子達と色々語り合いでもあったの?」
「うん」
 隠すことなく頷いたシンジに、レコアは苦笑したが、咎めようとはしなかった。
「いいわ。バジルール少尉なら、また人質にしかねないし、私も彼女がウェルダンにされて炭化するところは見たくないものね。でも、君のお願いだけじゃ対価としてちょっと安いんじゃない?」
「レコアならそう言ってくれると思っていた。何が出来る訳でもないが、チーズケーキで。直径はレコアが決めてくれ」
「直径って、丸型を作ってくれるの?」
「ストロベリーケーキが良ければそうするが」
「ふふ、チーズケーキでいいわよ。でも、余計な荷物を持っていくんだから気をつけるのよ。万一の事があれば、この艦の命運は決まるんだから」
 シンジが出て行った後、レコアはボトルを手にしてちゅーっと飲んだ。
 シンジはケーキを作ると言った。丸型かと訊いたのは、シンジの意図を読みたかったからだ。マリューとナタルがダウンしている内に出るのなら、丸型のケーキなど作っている暇はない筈だ。つまり――そのまま向こうについたりはしない、と言う事になる。
 実際のところ、ブリッツを返すという事については、レコアはさほど心配していなかった。シンジの言う通り、ガイアの出撃はブリッジからの指示ではない。ひとえにシンジの伝言か、或いはシンジが心配だったから独断で出たのだろう。その結果、運良く捕らえられたに過ぎないが、ガイアの戦闘能力から判断する限り、別に返した所で戦力が逆転したりはしない可能性が高い。
 それに、ブリッツのパイロットが女だという事は聞いている。ヘリオポリスの学生達を手懐けたシンジの実績からして、敵対心を抱いたまま返す事は考えにくい。そこまでシンジも間の抜けた事はするまい。
「なんとか、してくれるでしょ?」
 レコアが呟いた数分後、シンジはブリッジにいた。現在艦は停止しており、番をしていたのはパルとノイマンであった。
「断る」
 シンジの話を聞いたノイマンは、開口一番はねつけた。それを聞いたパルの方が、こいつは何時から命知らずになったのかと、心配になった位である。
「俺達は君と違って軍人だ。事情はどうあれ、地球軍から奪われた機体が一度こちらに戻ったのに、それをまた敵の手に渡すなど明らかな軍令違反だ。それ位は分かるだろう。とにかく却下だ」
「……」
 聞いているシンジの表情に変化はないが、激昂するタイプではないと分かっているだけに、パルは気が気ではない。
「ふむ」
 一つ頷いたシンジにノイマンは背を向け、
「そう言う事は軍人として決して出来る事じゃないんだ、悪いな。ただし――目端の利く奴が、格納庫にある開閉ボタンに気付いた、としてもそこまでは管理出来る事じゃない。隠しておける大きさでもないからな」
「軍人に無理を言って済まなかった」
 シンジが出て行った後、パルがノイマンに駆け寄った。
「おまえって何時からあんな度胸…げ!?」
 機械みたいな音を立てて、ノイマンがゆっくりと振り向く。
 その顔は――蒼白であった。
「寿命が…九年六ヶ月縮んだよ」
「…そうか」
 算出基準を突っ込む事も出来ず、パルは頷くのが精一杯であった。
 
 
 
 
 
「ね、シンジさん」
「うん?」
「開閉ボタンがある場所、何時から知ってたんですか?」
「知らないよ。あるんじゃないか、というヒントがあっただけさ」
 キラの頭を軽く撫で、
「それ以上は訊くな。情報源にも色々あるから」
「はい」
 二人とも相変わらず私服で、しかもヘルメットすら付けていない。知識がないシンジはいざ知らず、キラまでも付けていないのだ。なお、先だっての出撃以来、キラが最大限未着用でいようと決めた事をシンジは知らない。
 そう――狭い機体の中で妖しくキスを交わした時からだ。
「さっき、武装無しで出てくるように言ったでしょ?本当に出てきますか?」
「来る」
 シンジの反応は、妙に自信に満ちていた。敵がわらわらと出てくる事など、考えてもいないらしい。
「あの…もし良かったら、理由を教えてもらえませんか?」
「私は、アスラン・ザラを要求しなかったし、敵の指揮官を指定もしていない。ハマーンを指名したのだ。ハマーン・カーンというのが、あのキュベレイに乗っていた女なら、必ず武装せずに出てくる。理由は――私が逆なら、そうするからだ。ヤマトも聞いていたと思うが、命の保証をするとは言ってない。返して欲しければ丸腰で来い、と言っただけだ。つまり、聞きようによってはハマーン・カーンの命と引き替えに、とも取れるだろう」
「だ、だったら…」
「私ならそれでも出る。決して、他者の出撃は許さずにな。それだけのプライドを持った女と見たから指定したのだ。ヤマトにも、いずれは分かる時が来るだろう」
「……」
 単に女の魅力がある、とかそう言う視点で言っていない事は分かった。ただ、ハマーン・カーンが女である事に変わりはないし、どう反応していいのか迷っていたキラの頭を撫でて、
「もっとも、敵がウヨウヨ出てきてもヤマトならあっさり撃退出来る、と言う事もあるけどね」
「シンジさん…」
 それを聞いて、キラのご機嫌がちょっと良くなった。
 
 
 
「ハマーン様を一人で、しかも丸腰でなど行かせて良かったのですか?」
「良くはないさ、アデス」
「はっ?」
「とはいえ、ハマーンが言いだしたら聞かぬ性格と言う事は、君も知っているだろう。それに、わざわざブリッツとニコルとお姫様を返してくれるというのだ。とりあえずは要求を呑まねばなるまい」
「現在アークエンジェルは、機関停止しています。ストライクからの通信を、本物だとお考えですか?」
「それだけ舐められている、と言う事だよ」
 クルーゼの声が低い物に変わった。
「言うまでもなく、奪取したモビルスーツはいずれも地球軍が作っていた。つまり、手に負えないと言う事はないのだ。にもかかわらず返してくるという。先日はアスランが腕を落とされて戻ってきた。連中から見れば、ブリッツを返したところでどうと言う事はない、と思っているのさ」
「……」
 発想は全く違うが、クルーゼはシンジの思考をほぼ読んでいた。尤も、ここまであしらわれた上でこんな事をされれば、自分達が眼中にない事など大凡察しは付く。
「折角返すというのだ、厚意はお受けしなければな」
 クルーゼがにやっと笑った。
「ヴェサリウスは機関停止、シグーの出撃準備を急げ。母艦の援護もなく、しかも荷物を持って宇宙にふらふらやって来る事の意味を、異世界人とやらにきっちり教えてやらねばなるまい?」
 
 
 
「ニコル」
「何でしょうラクス様」
「暗い顔ですわね…」
「い、いえ自分は別に…」
「キラ様と碇様の事、お嫌いですか?」
 少し経ってから、ニコルは小さく首を振った。
「いつか、戦わないでまたお会い出来れば…いいですわね」
 はい、とブリッツのコックピット内で頷いた声は、蚊が鳴くようなものであった。ラクスの言う事は理想だが、自分がクルーゼ隊に所属しており、そしてアークエンジェルを追っている以上、すぐまた戦う事になるのは目に見えているのだ。
「ラクス様、私は…いえ、なんでもありません…」
 俯いたニコルを、ラクスが優しく抱きしめる。レーダーがキュベレイを認識したのは、それからまもなくの事であった。
 なおブリッツは自力で飛行しており、ストライクからは何の干渉も受けていない。銃口を向けられてすらいないのだ。
 
 
 
「来たか。ヤマト、止めて」
 ストライクでもキュベレイの接近は認識しており、すうっと機体を停止させた。わずかに遅れてブリッツが止まる。
「無事に帰す、とは言っていないのにのこのこやってきたハマーン・カーンか?」
「物好きなハマーン・カーンだ」
 通信窓が開き、ハマーンの顔が映し出される。それを見て、シンジがふっと笑う。
「シ、シンジさんは…」
「うん?」
「シンジさんが無事に帰すとは言っていないのに、どうして出てきたんですか」
 キラの台詞を、シンジは黙って聞いていた。やはり、自分で確認したくなったのか。
「私が逆の立場ならそうしている、と聞かされなかったのかなお嬢ちゃん」
「お、お嬢ちゃんじゃありません!キラ…キラ・ヤマトです!」
「それは失礼した」
 だが言葉とは裏腹に、ハマーンの顔に笑みが浮かぶ。
「私が無事に帰れなくともブリッツとニコル、そしてラクス嬢は無事に帰るだろう。だから来たのだよ」
「ほら、言ったろう。そう言う物好きなのさ」
「……」
 なんか面白くない。
 理由はよく分からないのだが、心のどこかがもやもやする。
 そんなキラにもう用はないとばかりに、
「碇シンジと言ったな。単機はまだしも、私が本当に丸腰で来ると思っていたか?」
 いや、とシンジは首を振った。
「何となくそんな気がした。それだけだ。ハマーン・カーン、いずれ私が撃ち落としてくれる。ただ――」
「ただ?」
「私を積んだとはいえ、ヤマト操るストライクの前に手も足も出ない連中と一緒にいるには、勿体ない女だな」
「それは私の台詞だ。貴公がいなければ、あの坊や達でもとっくにアークエンジェルは墜ちている。合流する隊には、ストライク同乗の碇シンジにだけ気をつけろと、厳命しておくつもりだ」
「買いかぶり、と言う単語を知っているか?まあいい、ブリッツは帰す。適当に持って行くがいい」
「…いずれ借りは返す。ニコル!聞こえるか」
「は、はい…」
「自力で飛行出来るな?先に戻っていろ」
「分かりました…」
 ふわふわと戻っていくブリッツだが、それを見てハマーンの眉が寄った。
「やれやれ…一晩でもう牙を抜かれて戻ってきたか。それにしても…恐ろしい相手だな」
 ハマーンの言葉にキラがシンジを見、
「何の事やら。言い掛かりだな」
 シンジはついっと横を向いた。
「そんな事より、用が済んだのなら帰れ。こっちは忙しいんだ。がしかし…自分の勘に自信があるのなら、ニコルは外せ。全く見知らぬ仲ではないのだろう」
「…ニコルがそれを望むなら、な…」
 キラには何故か、ハマーンの声が遠くに聞こえような気が、した。ただ、どうしてかは分からなかったが。
「私はこれで失礼するよ。碇シンジとキラ・ヤマト嬢」
「いずれまた」
 キュベレイとブリッツが遠ざかってから、
「さ、帰ろうか」
「はい」
 シンジの言葉にキラが頷いた直後、レーダーが反応した。
「シンジさんっ」
「どうした?」
 叫ぶようなキラの声とは対照的に、シンジの声はのんびりしたものであった。それを聞いて落ち着いたのか、
「ナスカ級がエンジン始動しました。あとモビルスーツがこちらへ向かってきます!」
「ケーキの下ごしらえもしてないのに。やれやれ」
「ケ、ケーキの下ごしらえ?」
「礼もせずに、ブリッツとあの二人を連れ出せると思ったか?結構手回しが必要なんだよ。さて、さっさと片づけて帰る…ほう?」
「どうしたんですか?」
「ほらあれだ。ヤマトに腕を落とされて、ついでに背中に砲身をぶつけられて逃げ帰った奴だ。もう修理したと見える」
 どれどれと見ると、確かにシグーの姿が見える。
「しかしいくら母艦が停止してるからと言って、もう少し早く来るものだ。遅刻だぞ」
 つられたようにキラが笑った。
「そうですよね。それじゃ――!?」
 二人の目に映ったのは、後方から放たれたビームであった。それだけなら驚くには値しないが、問題はその標的にあった。それは間違いなく、シグーを狙っていたのである。
「『えーと』」
 シンジとキラが首を傾げたところへ、
「いい加減にしろラウ・ル・クルーゼ。貴様は私に恥をかかせるつもりか」
 聞こえてきたのは、殺気すら帯びたようなハマーンの声であり、それを聞いたキラが映像を切り替える。そこには、銃を構えるキュベレイの姿があった。
「あー、ずるっこ!」
 シンジは丸腰で、とそう言ったのだ。そしてキュベレイが構えているのは、ブリッツの武器ではなかった。
 キラの声が聞こえたのかどうか、
「異世界の青年が引き金を引かせるなら、私は撃たれる気でいたよ。魂の部分で理解出来ぬ輩用に持っていた、と思ってくれ」
「分かっている、ハマーン」
「シンジさん…」
 言い訳にしか聞こえなかったが、シンジは別段怒った様子もない。数秒置いてから、もう一度ハマーンの声が響き渡った。
「それ以上僅かでもストライクに近づけば、私がお前を撃ち抜く。ここからでも、私になら出来るぞ」
 二人には、急停止して戻っていく機体の中でパイロットの舌打ちする音が聞こえたような気がした。
「ラクス・クライン、元気でな。ヤマト、戻るぞ」
「はい」
 ニコル、とは言わなかった。それは自分がいるからなのか、あるいは他の理由があっての事なのか考えてみたが結論は出ず、キラはシンジの横顔をちらっと見た。
「どうかしたか?」
「ううん、なんでもないです」
「そうか。大体予想が付くが、と言ったらどうする?」
「聞きたいです」
「却下」
「えー、シンジさん意地悪しないで教えて下さいっ」
「やなこった」
「シンジさんの意地悪!」
 シンジの腕を取ったキラがぽかぽかとシンジを叩き、機体がギシギシと揺れた。
 
 
 
 同時刻、アークエンジェルのブリッジでは、気まずそうに赤くなっているパルとノイマンがいた。念のためにと回線を開き、どうやらシンジが敵のハマーンと何やら分かり合ったらしい、というのは分かったのだが、その後回線を切るのを忘れていたのだ。
「音声は一切の痕跡を残さぬように完全に抹殺だな」
「ああ」
 自分達の耳にしたものが、パンドラの箱にもなりかねないのだと、二人の本能が猛烈な危険信号を発していたのである。
 
 
 
「ん、美味しいじゃない。ケーキはよく作っていたの?」
「自分が食べたいものは自分で作る。これが五精使いのクオリティ」
「器用なクオリティねえ」
 レコアはふふっと笑って、ボトルから紅茶を吸った。礼だ、とシンジの作ったレアチーズケーキは、甘みと酸味のバランスも良くいい味だったが、紅茶をボトルから飲んだ時点で台無しだ。
 こんな時は、宇宙にいる事を呪いたくなる。
「ところで、呼び出した敵のモビルスーツだけど、パイロットの事は知っていたの?」
「ハマーン・カーンか?昨日、えらく苦戦したがそれだけだ」
「…そう」
 ここからモニターで眺めていたから、大体の事は分かる。シンジは敵を攻撃しなかったし、出てきた敵は後ろから砲撃されたのだ。
 戦闘の事は自分には分からない。ただ、あそこでブリッツ共々攻撃に出れば、俄然有利になる。ましてシンジは、苦戦したと言ったのだ。にも関わらず攻撃するどころか、出てきた味方を撃ってまで攻撃させなかった。
(何か、妙な所で通じるものでもあったのかしらね)
 異世界人の考える事はよく分からない。
「そういえば、さっき隣に二人組が来たわよ」
「二人組?」
「プラントの歌姫に似た娘(こ)とあなたの相棒が」
「相棒…」
 単語を舌の上に乗せてから、
「ヤマトとミーアが?」
「ええ。昨日重傷を負って運ばれてきた子を見に来たみたいだけど、違う物まで釣っちゃったみたいね」
「ほう――」
 
 
 
 今から一時間程前、シンジがケーキの材料を冷蔵庫で冷やしてた頃――。
「キラ」
「あ、ミーア」
 後ろから呼ばれて、キラは振り返った。
「お帰りなさい」
「うん、ただ今」
「それで、どうだったの?ニコルと貧乳のお姫様はちゃんと帰った?」
「うん…」
「キラ?どうかしました?」
「何か…シンジさんが敵のパイロットの女の人と分かり合っちゃってた…。別に怖くは無かったけど、出てきた敵を後ろから撃ってたし…はう!?」
 きゅ、とミーアに抱きしめられてキラが小さな声をあげた。豊かな胸の感触が、むにゅっと伝わってくる。
「つまり――」
 キラの耳元に口を寄せ、
「焼き餅ですのね?」
 と囁いた。
「ち、ちち違うよっ、そ、そんなんじゃないものっ。や、焼き餅なんて焼いてないよ!」
「ふふ、キラってば可愛いですわ。ところで、どこか身体の具合でも悪いの?あちらは救護室でしょう?」
「フレイの姿が昨日から見えないんだ。多分お父さんの事で、ショック受けて寝込んでると思うの。だから…一言謝りたいの」
(げ!余計な事しなくていーから!)
 無論ミーアは、フレイが精神的ダメージ以上に、重傷を負ってミイラ女状態になって寝込んでいる事を知っている。多分、父親の艦が落とされた事など知らないだろう。そんな所へキラがのこのこ行ったら、爆雷投下になりこそすれ、改善など決してされない。キラの反応はともかくとして、フレイがキラに手を出せばシンジが絶対に黙っていない。間違いなく殺すだろう。それも、死を哀願するようなやり方で、だ。
 バッドエンドは火を見るより明らかだが、多分キラには言っても理解出来まい。
 だから。
「そ、それは…イ、イイかもしれませんわネ」
「ミーア…何か言葉が上擦ってない?」
「き、気のせいですわ。とにかく、私も一緒に行ってあげるから。一人で行くより、その方がいいでしょう」
「うん…でもいいの?」
「友達でしょ?」
「ミーア…ありがと」
 いいのよ、と微笑いながら、
(この子って同性の友達少ないのかしら?)
 ふとミーアは、妙な事を考えていた。
 間もなく救護室に着くと、レコアが出迎えた。キラがフレイに会いたい、と伝えると一瞬微妙な表情になったが、背後にいたミーアの目配せに気付き、いいわよと通してくれた。
 失礼します、とそっとカーテンを開けた瞬間、キラがびくっと立ち竦む。包帯だらけのフレイに気付いたのだ。
「ミーア、ど、どういう事っ」
「んーと…」
 ちょっと考えてから、全部話す事にした。どのみち分かる事だし、シンジ経由よりはまだましだろう。話を聞いたキラが、みるみる蒼白になっていく。
(あーやっぱり)
 多分こうなるだろうとは思ったのだが、起きてしまった事は仕方あるまい。それにしても、コンビの相棒とはえらい違いである。シンジならば、例え屍山血河が築かれようとも眉一筋変えまい。
「でもキラが気に病む事じゃないわ。それに、碇さんでさえ手に負えなかった相手でしょう。私のせいで、などと口にしては駄目」
 ミーアは、モントゴメリを墜とされた事でシンジが懊悩しているのを知っている――自分が墜とすはずだったのに、と。シンジが本気で追い込まれた相手なのだ。キラの反応次第では、それこそ二人の関係に亀裂が入りかねない。
「でも…あぅ」
 言いかけたキラの顔を、ミーアがくいと持ち上げた。
「私に二度、言わせる気?」
 シンジと似たような台詞だが、シンジと違ってミーアの気はひどく危険なものであった。
「ご、ごめんなさい…」
「あなたがお友達を討てないから、碇さんも合わせたのでしょう。イージスのパイロットが友人だから討てない、そんな甘い事を言ってる子を背負って、どれだけ苦労していると思っているの。自分のせいだと言って、敵は全て討てるの?それが出来ないのなら、黙っている事ね」
 確かにキラの能力は高い。間違いなく、ステラのそれを凌駕しているだろう。そこへ持ってきてシンジを加えて増幅し、シンジと同じ思考になれば文字通り敵無しだろう。アークエンジェルを追っている敵など、壊滅させるのは造作もないはずだ。
 だがキラの心が弱く、踏み切れないからシンジもそれに合わせたのだ。結果、前回の戦闘ではステラがいなければ、アークエンジェルが危機に陥っていたのは間違いない。はっきり言えば弱い原因はキラ一人にあるのに、それを自覚もしていないらしいから腹が立つのだ。無論ミーアも戦闘に関しては素人だが、討てる敵を討たない事が危機を増大させること位は分かる。
 ミーアの冷ややかな視線に見据えられ、キラがとぼとぼとフレイの枕元へ歩み寄る。
 フレイの父を守れなかった事、自分のせいでシンジが苦労していると言われた事、自分は結局荷物にしかなっていないのではないかと、色々な思いが混ざり合い、キラの目からぽろぽろと涙が落ちる。
「フレイ、ごめ、ごめんなさい…」
(碇さんて、こんな荷物を抱えて戦ってる訳?)
 キラの脆さを改めて目にしたミーアは、異世界から飛ばされてそこで会った者達をまとめあげ、しかも自ら戦場に同行しているシンジが偉大な存在に見えてきた。
 無論、帝都に帰ったらうるさく言われそうだから、等という理由で雲霞の如き降魔の大群に、主従二騎で飄々と挑んだシンジの事などミーアは知らない。
「私が…」
 言いかけた時、不意にその手が掴まれた。
「サ、サイ…」
 サイ・アーガイルがいつの間にか起きていたのだ。
「あのイージスのパイロットがキラの友達って、本当なのかよ」
「…う、うん…サイ!?」
 起きあがったサイが、不意にキラを抱きしめた。
「キラ、ごめんな…」
「え?」
「お前がそんなものを背負っていたなんて、俺達は全然分かってなかった…。キラだけを戦場に行かせて…しかもフレイにはコーディネーターがいるから世界が混乱するなんて言われて…」
 フレイの事は知っていたらしい。
「キラ、本当にごめんな…」
「い、いいの。私だって全然頼りないけど…でもみんなの事は…必ず守るから」
(あーあ、出来もしない事言っちゃって。ほんっとに世間知らずのお嬢様なのね)
 
 
 
「と、言う訳なのよ。釣りたくもないものを釣っちゃったみたいね」
「ほほう」
「ま、男なんて単純だし、あの子があそこでぽろぽろ泣いてるのを見たら、簡単に参っちゃってもおかしくはないでしょうね。問題は、彼女にそんな気がない事と――」
「事と?」
「フレイ・アルスターがそれを知った事なのよ。私はその場にいなかったけど、計測機器が彼女の目覚めを伝えていたわ。相棒、と言うより保護者として君はどうするの?」
 レコアから聞かされた話は、思いも寄らぬものであった。どうやら、かなりの確率でキラがサイの心を、それも本人がまったく予期せぬところで射抜いてしまったらしい。
「ふむ…」
 真剣な表情で考え込んでから、ふっと顔を上げた。
「見物」
「…え!?」
「私には直接関係ないし、そういうドロドロは端から見るに限…痛!」
 スパン!
 プラスチックファイルの一撃がシンジを襲い、
「キラさんの精神状態に悪影響が出たらどうする気!あなたも無関係じゃいられないのよ」
「レコア」
 シンジが真顔になった。
「生きていく、と言うのはある一つの事だけやっていればいい、という訳じゃないのはレコアの方がよく知っているだろう。ヤマトとていつまでも、有能だが感情面が足を引っ張るだけの娘ではいられまい。降りかかった災厄は、自分で振り払ってもらわないと。それとだな、俺はヤマトの保護者じゃないぞ」
 シンジが出て行った後、
「とか何とか言っちゃって、あの子に何かあればこの艦を敵に回しても守っちゃうのよね」
 くすっと笑ったその顔は、人生の機微を知り尽くした熟れた女のものであった。
 
 
 
 
 
(第三十一話 了)

TOP><NEXT