妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第二十五話:甘いテスト
 
 
 
 
 
 早足で追いつき、マリューをがしっと捕まえたシンジが、
「敵に追いつかれたか?」
「それならいいんだけど…標的がこちらならね」
「どういうこと」
「この艦は、一応モビルスーツを二機積んでるし、碇シンジ搭載型で出撃すれば、十分対等以上に戦えるでしょ?」
「それは買いかぶり過ぎ」
「そうかしら?」
 不意にマリューが足を止めた。止まれずに浮遊していくシンジの手を引いて、引き戻す。
「姉御?」
「この間、キラさんを助けにガイアで出たでしょ。あの時、その気になれば二機位は撃沈出来た筈よ。でもしないで戻ってきた。戦い方に、何か思う所があるんじゃなくて?」
「……」
 へえ、とシンジが驚いたようにマリューを見た。アスラン以下を討たずにとっ捕まえる話は、無論マリューにはしていないのだが、何か感じるところがあったのかもしれない。
「姉御のそう言う妙な所で勘の良い性格は好き」
「そう?シンジ君が何を思っているのかは訊かないけど、戦いに関してはシンジ君にお任せするから。頼むわね」
「姉御ってば、そうやって人を釣るのが上手いんだから」
「べ、別にそう言う意味じゃな…あ」
 シンジの顔がすっと近づいてくるのに気付いたが、マリューは避けなかった。二人の影が数秒重なり合ってから離れる。
 妖しい指つきで唇をおさえたマリューを、
「マリュー」
 シンジが静かな声で呼んだ。
「は、はい?」
「救護に向かったはいいが、その患者を殺したい場合――」
「え!?」
 何を言い出すのかと、こちらも真顔でシンジを見た。
「担架に毒針を仕込んでおけば良かろう。正面から行くだけでは、スマートなやり方とは言えん。救われておきながら、その娘のいるまえでコーディネーターを罵倒した因果応報がどうなるか、よく見ておくがいい」
「え…シンジ君っ!」
 思わず大きな声をあげてから、
「いえ…何でもないわ」
 力なく首を振った。シンジが言っているのはフレイのことだろう。
 やはり自分の勘は当たったのだ。おそらくフレイの父親が乗るモントゴメリを、何らかの方法で沈めると言っているのだ。
 無論利敵行為にも等しいが、シンジがこの艦を放棄することはあり得ない。おそらく、全力で守ってくれるだろう。
 それが分かっているだけに、マリューはシンジを追求する事は出来なかった。キラを始めとしたヘリオポリス組が、シンジにとっては最優先であり、中でも一緒に搭乗しているキラやステラは、おそらく妹のような存在なのだろう。
 少なくともフレイは、コーディネーターを忌み嫌っている事を、シンジに聞かれるべきではなかったのだ。
「ヘリオポリスで見つけた五人組を無事に地上へ帰すこと、それが私の最優先事項である事に些かの変わりもない。全てはその為にある。敵の狙いがこの艦にあるのなら、さっさと手を打たねばなるまい。姉御、急ごうか」
「え、ええ…そうね」
 差し出された手にマリューが漸く掴まったのは、十秒近く経ってからであった。
 
 
 
「熱源接近!モビルスーツ4!」
 一方標的とされたモントゴメリ内は、少々パニックに陥っていた。何しろ、敵艦の接近など全く感知しておらず、文字通り不意打ちを食らった状態にあったのだ。
「一体どういうことだね!何故今まで敵艦に気づかなかったのだ!」
 輪をかけてパニックを起こしているのはジョージ・アルスターだが、こんな民間人がいると艦の士気が下がるとばかりに、
「艦首下げ!ピッチ角30、左回頭仰角20!」
 艦長のコープマンが下した命令は、実際は余分なものであったが、艦の振動でジョージがまるで抱き付くように倒れ込んできた。
(くっつくな!気持ち悪いだろうが!)
 内心の思いは口に出さずにジョージを思いきり押しやり、
「アークエンジェルへ安全離脱を打電しろ!きっちり逃げ切れと言ってやれ!」
「了解!」
 間髪入れずに、
「なんだと、合流しないと言うのか?合流しなくてはここまで来た意味が無いだろうっ」
 クレームを付けたジョージを見据え、
「あの艦が落とされれば作戦が根底から覆る。事務次官殿、ここで慌てても何にもなりません。お静かに」
「……」
 一喝するような事はなかったが、その視線と口調はジョージを力なく座らせるに十分なものであった。
 
 
 
「前方にて、戦闘と思しき熱分布を検出しました!先遣隊と思われます」
 ブリッジに入った二人を待っていたのは、凶報であった。やはりこちらを直接狙ってはいなかったのだ。
「姉御の勘が当たったな」
「ええ…」
 二人の表情に、唇を重ねた余韻など微塵も感じられない。シンジはいつも通りのんびりしているように見えるが、マリューの方は完全に軍人のそれへと切り替わっている。
「艦長、モントゴメリより入電、アークエンジェルは直ちに反転離脱せよとの事です」
「『!』」
 パルの報告で、ブリッジ内に一瞬にして緊張が走る。
 それを破ったのは、
「で、反転してどうしろと言うのだ?」
 首を捻っていると、端で聞いても分かるシンジの声であった。
「シンジ君?」
「だから、反転してどうしろと言うのかと訊いている。攻撃してきたのはいつもの連中だろう。で、奴らの狙いはこの艦だ。自力で撃退出来るから見物していろ、と言う訳じゃあるまい。最初に連中が全滅させられて、その後で悠々とこっちに向かってくるぞ。先遣隊と言う位だから、本隊とはまだ距離があるのだろう?」
「え、ええそれはそうだけど…」
「地球軍の考える事はよく分からん」
「そうね…ただ、まだ相手が特定出来てないわ。先に確認しないと。敵の戦力は?」
「イエロー257、マーク40にナスカ級!ジン三機と…X303イージスです!」
「あのナスカ級だというの!?」
「いつもの連中だと言っただろうが。別に驚くような事でもあるまい」
 緊張感のない声で言うと、シンジは小さくあくびをした。
「ふわーあ…さて、姉御どうするの?」
「どうって…どうしようか?」
 小さなウインクを受けて、シンジが横を向いた。
「バジルール」
「…え?」
 いきなり呼ばれて、驚いたようにシンジを見た。
「俺の考えでは、連中はとりあえず先遣隊とやらを叩き、こちらへの補給や合流を断ってからこっちへ向かってくると思っている。無論、素人意見だから軍事的に正しいかどうかは知らん。バジルールの意見は」
「……っ」
 敵はナスカ級と判明した。しかもイージスを積んでいる。その連中が、先遣隊を滅ぼせば満足して帰る訳がない事位、子供でも分かる話だ。
 しかも、ここで反転して逃げれば当然第八艦隊との合流は遅れるし、無論補給にも支障が出る。
 どう考えも道は一つしかないのだ。
「自分は…自分は先遣隊援護を…進言致します…」
 間髪入れずに、
「バジルールがああ言ってるが」
「ええ…総員第一戦闘配備。アークエンジェルはこれより先遣隊援護に向かう!シンジ君…お願い」
「分かってるよ姉御。出撃(で)る用意してくるわ」
 忽ち艦内に戦闘配備が通達され、また戦闘かと一般人はざわめき始めたのだが、
「『ふえ?』」
 それは、シンジを捜す三人組にとっても同様であった。シンジが一向に帰ってこないから、しびれを切らしてこちらから探しに行ったのだが、戦闘となれば話は違う。
「あらあら、お二人ともお部屋に戻られた方が良さそうですわね」
 シンジのことだから、二人がまだ寝ていると思って部屋へ迎えにくる可能性が高い。ウロウロしていて、ギリギリで搭乗するだけになっては元も子もないのだ。
 カサカサと部屋へ戻り、二人してベッドの上にちょこんと座ったところで、シンジが戻ってきた。
「ヤマト、しゅつげ…何をしている?」
 シンジが見たのは、二人揃って可愛らしく唇を突き出しているキラとステラの姿であった。
「謝罪しる!賠償しる!ウェーハッハッハ!」
「やかましい!」
 赤い物体に膺懲の一撃を加えてから、その持ち主を思い出した。これがあると言う事は――当然ミーアもいる。
「もう…碇様ってば乱暴ですわ」
 うっすらと笑って、
「さ、お二人がお待ちですわよ」
「…何がどうお待ちなのかきっちり説明してもらおうか」
「見ておわかりになりませんの?」
「ミーア、しまいには皮剥ぐぞ」
「あらあら怖いですわ」
 ちっとも怖くなさそうな口調で言ってから、
「ここを出る時、お二人の手を繋いで行かれたでしょう。どうしてですの?」
「ああ、あれか?二人の手が俺の服を握っていたからな。当然だろう?」
「『?』」
 少女達の顔に?マークが浮かぶのを見て、シンジはにっと笑った。
「何がどうして当然なのか、分かったら二人にはキスしてあげる。それも、腰に来る位甘くて濃厚な口づけを」
「『こ、腰に来る位っ!?』」
「勿論」
 シンジの言葉に、キラとステラの、そして何故かミーアの顔までが赤く染まった。
「ただし、機会は一人一回だけ。その代わりどちらが正解でも構わないよ」
「『い、一回だけ…?』」
「そう。と言うより、そもそも今は第一戦闘配備中だし。ほら、さっさと考える」
「え、えーと…」
 実際の所、シンジがキスしてくれるなどとは、ミーアはいざ知らず二人は思っていなかった。せいぜい、頬に軽く位だと思っていたのである。
 それが一転してキスを、しかも甘くて濃厚な物をと妖しい口調で告げられ、俄然二人は張り切った。
 とはいえ機会は一度だし、何せ思考が自分達の斜め右上だったり斜め左下だったりするシンジだけに、迂闊な事は言えない。怒られはしないだろうが、チャンスは一度しかないのだ。
「あ、あの…」
「はいステラ」
「わ、私達が良い夢を見られるように?」
「二人の手をつなぎ合わせるとどういう夢が見られると?不正解」
「あぅ…」
 
 ステラ撃沈。
 
 残るはキラ一人。顔を可愛く傾けて懸命に考えているが、そもそもシンジと共有した時間が短い以上、どうしたって思考を読むのには限界がある。
 シンジの服を握る事でシンジが出てくる夢を見ていたから、そのまま二人の手を繋いで夢の続きを、と言うことではないらしい。
(じゃあもっと単純な事?それとも複雑な事?えーと、うーんと…)
「は、はいっ!」
「ん、ヤマト」
「その、えーと…べ、ベッドから落ちないように…とかっ?」
 複雑な方向に考えるときりがない。だから単純な方に賭けたのだ。
「……」
 シンジがじっとキラを見た。
(ヤマトはやっぱり私を分かっていないとか…い、言われちゃうのかなっ)
 今からでも訂正出来たらいいのに、とキラがそんな事を考えた直後、シンジが微笑った。
「正解」
「ええっ、ほ、本当にっ!?」
「嘘など言っても仕方あるまい。大体、二人の手を繋ぐ理由など単純に考えれば、それが一番最初に出てくるだろう」
「でも…」
「何、ミーア?」
「碇様の発想は、私達とはだいぶ違っておられますから」
 ステラがこくこくと頷く。
「なんかひっかかるが…まあいい、ステラからね」
「あ、あの…お、お願いします」
 ぎゅっと目を閉じたステラが、わずかに唇を突き出す。ステラの緊張が、見ている側にまで伝わってきそうだ。
(何でステラからなの?)
 キラが内心で小さく口を尖らせた直後、シンジがステラの顔を捉えて唇を重ねた。
「ふむぅ…んっ…んむう…むちゅっ…んんっ」
 ステラの喘ぎが甘い物に変わり、シンジが舌を侵入させたのだと赤くなった目許が告げている。舌の絡み合う音と唾液の水音が静まりかえった室内に響き、ミーアは首筋まで――キラに至っては全身を真っ赤に染めている。
 やがてシンジが顔を離すと、二人の間を透明な唾液の糸が繋いだ。
(す、すごい…)
 ごくっと唾を飲み込む音がしたのは、誰のものだったのか。
「さて、キラ出るぞ」
「わ、私は…」
「ヤマトには別途使い道がある。さっさと行くぞ」
「え…は、はい…」
 釈然としなかったが、使い道という奇妙な言葉に一縷の望みを託し、キラはシンジの言葉に従った――初めて見る濃厚なキスに、まだ頭の中がぼんやりしていたという部分も大きかったが。
 出て行きかけたシンジが、出口で足を止めた。
「ステラ」
 濃密なキスの余韻など微塵もなく自分を呼んだ声を、ステラは少しだけ寂しく聞いた。
「はい…」
「ミリアリアには言っておく。ひっそりと出撃(で)られるように用意を」
「え…は、はいっ」
「そんなに苦戦しそうですの?」
 訊ねたミーアに、シンジは首を振った。
「否。そろそろ一匹捕まえておきたいのさ」
「『一匹捕まえる?』」
 
 
 
 そんなアークエンジェルの妖しい光景とは違い、先遣隊はあっという間に大苦戦の状況へと追い込まれていた。
「護衛艦バーナード沈黙、X-303イージス、更にローへ向かっていきます!」
 飛び込んでくる報告は、いずれも凶報ばかりであった。
(アークエンジェルを逃がしたのは正解だったな…例え先遣隊が全滅してもアークエンジェルとモビルスーツは届けられる。頼んだぞ…)
 この時、既にコープマンは先遣隊の全滅を覚悟していた。かつては彼も、宇宙空間に於ける戦闘時にモビルスーツなど不要と思っていたが、4機のモビルスーツにあっという間に追い込まれている現状に、時代の変動を認識せずにはいられなかった。
(これも報いか)
 内心で苦笑したコープマンの横で、
「奪われた味方機に墜とされるなど…そんなふざけた話があるかっ!」
 地団駄を踏むジョージがいた。
(少しは…現実を静かに受け入れると言うことが出来ないのか?これだから現場を知らない役人は迷惑なんだ)
 
 
  
「あの…シンジさん」
「ん?」
「さっき言っていた私の使い道って何のこと?」
「じきに分かる。それより、現状の敵勢力のままでは困るのだがな」
「え?」
「ジンが3匹とイージス、あのアスラン・ザラが戻ってきたらしい」
「アスランが?じゃあブリッツも?」
「いないから困ってる。アスラン・ザラ一匹では、ボコボコにしても弱い者いじめで面白くないからな。ヤマト、ジンはさっさと潰すぞ」
「ええ、分かってます」
「それでいい。さ、急ごう」
「あ…うん!」
 差し出された手を握り、早足で急ぐ二人だが、不意にキラが足を止めた。
「どうした?」
「いえ…今なにか呼ばれたような気がして…」
「?」
 二人して周囲を見回すが、辺りには誰もいない。
「気のせいじゃなくて?」
「…そうかもしれません。すみません、急ぎましょう」
「ん」
 がしかし――気のせいではなかった。
 フレイがじっと見つめていたのである。本当は声をかけたかったのだが、シンジがいたから出来なかったのだ。
(キラお願い…パパの…パパの船を必ず守って!)
 俺にその気はない、とシンジが聞いていたら間違いなくそう言ったろう。その意味では、姿を現さなかった事は、ある意味正解だったのかもしれない。
 守る気はないと予め告げられていれば、覚悟も出来ぬまま父の死をただ見つめるだけしか出来ないのだから。
 そんなフレイの事など気付かずに急ぐ二人の背後で、
「モシモシ?モシモーシ!」
 甲高い声がした。
「はん?」
 振り返ると、ラクスが部屋からひょっこりと顔を出していた。無論甲高い声は、ラクスではない。
「碇様…何事ですの?」
「戦闘配備。ちょっと掃除してくるところだ」
「戦闘配備?では戦いに?」
「違う」
 シンジは首を振った。
「『え?』」
「アスラン・ザラと愉快な仲間達が来襲してきたから、軽くひねってくるだけだ。戦いという程でもない」
(シンジさん…)
 シンジを見つめたキラだが、
「アスラン…が?」
 わずかに曇ったラクスの表情に気付いた。
「ひねってくる、と言ったろう?諸般の事情で、今は討ち取らん事になっている」
「まあ…本当に?」
 それを聞いて、一転してラクスの顔に安堵の笑みが浮かんだ。
「ただし、周囲には内緒だぞ」
「はい、分かりましたわ」
「それとそこのうるさい物体と一緒に、部屋で留守番してること。ちゃんといい子にしているように」
「碇様、この子はハロですわ」
「分かった分かった。ハロと一緒にいい子でな」
「オマエモナー」
「……」
「あらあら、ハロもいい子にしていないといけませんわ。あの…お二人とも気をつけて」
「…行ってくる」
 格納庫に着いた二人が、私服のままでストライクに乗り込んでいく。依然としてキラは軍に志願していないし、無論シンジも入隊などする気は毛頭無い。
 ただ、それは生き方の問題であって、ヘルメットも宇宙服も着用せずに乗り込むと言うのは、見送るコジローにはあまりにも無謀に見える。とはいえ、言ってすぐに着る位なら最初から着ているだろうし、二人の仲が良い状態でシンジが乗らぬと言い出せば、キラまで降りる可能性がある。そうなれば、文字通り本末転倒の状況になり、それだけは絶対に避けねばならない。
 シンジは地球軍――ナチュラルをよく思っていないし――キラはコーディネーターなのだ。
「メビウスゼロ式フラガ機、リニアカタパルトへ!」
「ん?」
 ミリアリアの声を聞いたシンジが、
「フラガ、ちょっと待て」
「俺かい?」
「それ以外にいないだろ。出撃したら、イージスを足止めしておいてくれ」
「イージス…X303をか!?」
 敵の勢力は分かっているが、無論イージスはその中で最も強い。それに対して、こちらは有線式ガンバレルを搭載しているとはいえ、所詮はMAであり、戦力の差は圧倒的だ。
「五分でいい、その間に掃除して戻る。フラガ、無理か?」
「…異世界の大将にそこまで言われて引き下がったんじゃ、俺の立つ瀬が無いでしょ。五分でいいんだな?」
「構わん。もしストライクが五分経って来なかったら、ガンバレルを全部ぶつけて機体一つでもいいから帰投しろ」
「わかった。ムウ・ラ・フラガ、メビウス出撃(で)るぞ!」
 正直無謀な挑戦だが、ムウには不思議と、恐怖感はなかった。ストライクは必ず来る、と本能が察していたのかも知れない。
 勢いよく飛び出していくメビウスだが、
「フラガ待て!」
「どうした!?」
「こっちの準備がまだだ。ストライクがのこのこ顔を出してからにしてくれ」
「分かった分かった」
(あれで…気を遣ってるのか?)
 狭い機体内で、ムウはふっと笑った。
「碇さん」
 画面にミリアリアの顔が映る。
「ハウ、敵の勢力に変化は?」
「いえ、ありません」
「まだ4匹のままか…足りんな」
「え!?」
「いや何でもない。装備は?」
「エールストライカースタンバイ、出来ています」
「ん」
 シンジが頷いたところへ、
「あの、シンジさんっ」
「ガーゴイル?どうかしたのか」
「ご存じと思いますが、先遣隊の艦にはフレイのお父さんが乗っています」
「フレイのお父さんが!?」
 反応したのはキラであった。言うまでもなく、この時までキラは知らなかったのである。
「ああ、だからキラ…頼む」
「分かっ――」
「断る」
「!?」
 ストライクから聞こえた声に、ブリッジ内が一瞬で凍り付いた――ただ一箇所、艦長席を除いては。
(うん、とは言わないでしょうね…)
「『シンジさん…』」
「姉御の話を聞いていなかったのか?バジルールも言っていただろうが」
(私!?)
 いきなり引き合いに出されて、ナタルが目を見開いた。
「先遣隊が危機だから助けに行く訳ではない。そんな事は先遣隊から断ってきただろう。危機的状況である事位、向こうも分かっているからこの艦を逃がそうとしたのだ。それをあえて助けに行くのは、その後連中がこっちへ向かってくるのがほぼ確定だからだ。敵の始末が最優先で、艦の護衛を同時にやっていればこちらが危なくなる。それ位はガーゴイルとて分かっていよう?」
(ガーゴイル!?ガーゴイルって…何だ?)
 シンジの声はブリッジ内には通っていたが、ガーゴイルの実体を知る者は、その中にはいなかったのである。皆内心で首を傾げたが、この状況でシンジに訊こうとはしなかった。
「余裕があれば考える。大体、どの艦に乗っているのか分かっているのか?」
「え、えーと…」
(事務次官が同乗している艦はモントゴメリよ。でも教えたら…)
 マリューはあえて口を挟まなかった。シンジが知ったら、真っ先に沈めに行くに違いないと確信していたのだ。
「事務じ――!」
 言いかけたナタルをマリューが見た。
(恨まれたくなかったら黙っていなさい)
(マリュー…艦長…)
 ほんの一瞬だけ女同士の思いが通じ――そしてすぐに切れた。
「手が回ったらまた考えるとしよう。それとミリアリア」
「はい?」
「援護要員が出る。頼んだぞ」
「え…分かりました」
 シンジの小声に、一瞬怪訝な顔になったがすぐに頷いた。理解したらしい。
「ヤマト、出るぞ」
「はい!」
「システムオールクリア、進路グリーン!ストライクどうぞ!」
 ミリアリアの声に送られ、
「キラ・ヤマト、ストライク、シ…シンジさんと出撃(で)ます!」
(別に顔を赤らめんでも)
 シンジは内心でそっと突っ込んだが、ブリッジではミリアリアがくすくすと笑っていた。
「キラってば赤くなっちゃって…可愛い」
 宇宙空間に飛び出したストライクが、フェイズシフト装甲に覆われて機体の色を変える。
 既にムウのメビウスは待っていた。
「フラガ、行くぞ」
「おう」
 一方アークエンジェル内では、
(まったくブリッジを何だと思っているのだ!)
 笑っているミリアリアを、叱ることも出来ずにイライラしているナタルがいた。場所を考えれば確かに笑うところではないのだが、無論ミリアリアは軍人ではないし、誤った成果主義でシンジの逆鱗に触れたがるナタルとはまったく違う。
「バリアント、一番二番照準…撃てーっ!」
 ナタルの声を聞きながら、
(感情を声に出さない訓練した方がいいわよ、ナタル)
 マリューは内心でひっそりと笑った。
 その攻撃でジンが撃沈され、
「アークエンジェルが?」「来てくれたのかっ!?」
 モントゴメリ内ではジョージが思わず腰を浮かせたが、コープマンはギリッと歯を噛み鳴らした。
「馬鹿が…!」
(玉砕覚悟でこっちが壁になろうとしているのに…何を考えてやがる!?)
 
  
 
「本命のご登場だな…ガモフからはまだ出られんのか?」
「五分以内に出撃可能、との事です」
「分かった」
 無論ヴェサリウスからも、アークエンジェルの接近は探知しており、とりあえず罠に自分から入ってきたところだが、実にあっさりと噛み破ってくる敵である事も分かっている。
「いいか、雑魚にあまり時間を掛けるなよ。アスラン、イザーク達が合流するまで牽制しておけ」
「了解!」
 そのイージスのレーダーには、ストライクが認識されていた。
「キラ…」
 もう一度チャンスを与える、とクルーゼは言ったが、今回は一対一ではない。イザーク達が合流してくれば、間違いなく説得どころでは無くなるだろう。
(何とかその前に…ん!?)
 回線を開こうとしたが、その視界に映ったのは突進してくるストライクの姿であった。
「キラッ!」
 反射的に銃を構えたが、ビームを発射する前にストライクはあっさりと横をすり抜けていた。
「な、何だ?俺を無視…して?キラ待てー!」
 慌てて機体を反転させようとしたアスランだが、その前に猛然とMAが突っ込んできた。
「おまえさんの相手は俺がする。大将…頼むぜ!」
「ちっ…邪魔をするな!」
 
 
 
「ときにヤマト」
「はい?」
「碇シンジ搭載の場合、ストライクは武器の攻撃力が上がり、ガイアは機動力が上がるらしい。火力が上がるんだから、無駄弾は撃つな。フラガも後方で待ってる事だし、さっさと終わらせる。ヤマトの戦闘能力、見せてもらうよ」
「はい!」
 銃は手にせず、サーベルを引き抜いたストライクが、猛然とジンへ向かっていく。一機はアークエンジェルに撃沈されており、残りは二機、それが左右から挟み込むようにして向かってくるのを見たキラの瞳が光った。右側の機体に近接し、向けられた銃口の下へ潜り込むと腰の辺りへサーベルを叩きつける。上下を切り離された機体が爆発するのも待たず、機体を一回転させてもう一機へ向かった。
 慌ててサーベルを抜いたが、気にした様子もなく大上段から一気に振り下ろした。鍔迫り合いになる事もなく、ジンが肩口から大きく切り裂かれ、これも為す術なく炎上する。
「火力が上なら、これでいいんですよね?」
「上出来だ」
 褒められてにこっと笑ったキラが、
「シンジさん、その…も、いいでしょ?ねえキスぅ」
 ちょっぴり唇を突き出したキラに、シンジが微笑った。
「もう少し待って。予定が早まったが、早すぎる事はない。フラガの所に戻るぞ」
「…はーい」
 おあずけにされたが、シンジが約束を破ることはあるまいと信じているから、素直に機体をかえす。
 戻ってみると、ムウのメビウスは既に4つのうち3つまでを喪っていた。しかも遊ばれているのか、MAに変形したイージスに追い回されている。
「ま、一応アスラン・ザラ相手だからな。ヤマト、とりあえず撃っとけ」
「了解」
 57ミリ高エネルギービームライフルが轟然とビームを叩き出し、慌ててイージスが回避する。
「フラガ、5分は無理だったか?」
「何言ってんだよ、もう時間オーバーだぜ」
(4分30秒ですシンジさん)
(分かってる)
 キラの頭をよしよしと撫でて、
「そうだな。フラガは帰投を。後はこっちでやる」
「頼んだぜ」
 既に本体にも被弾しており、どうにかアークエンジェルへと帰って行く。
 一方ストライクはその動きを止めており、モビルスーツに変形したイージスも宇宙空間でストライクと向き合った。
「あの…キラ?」
 少なくとも攻撃してくる意志はなさそうだと、こわごわ回線を開いたアスランが見たのは――性犯罪を犯して放り込まれ、出所後直ちに再犯をやってのけた犯罪者を見る目で、自分を見る二対の目であった。
「なっ…キ、キラ…」
「先だってアルテミスでは、おまえを伴って戻ってこいとニコル・アマルフィに申し伝えたのだが、あの娘はどうした」
「も、もうじき来る!そうしたらお前など…あ」
 今の自分は、キラの説得に来ている身なのだ。
「私など一ひねり、か?まあいい、それよりヤマトからお前に訊きたい事があるそうだ」
「キラ?」
「ねえアスラン」
 キラがアスランを呼ぶ。
 それは妙に甘い声であった。
「な、何だよ」
「ラクス・クラインって、可愛い子だよね。許嫁なんだってね、どっかの誰かさんの」
「!?」
 その瞬間、画面越しでもはっきり分かる程、アスランの顔色が変わった。
 赤から青、青から白、白から紫へと変わってまた元に戻り、変色を繰り返す。
 そして決定打となったのは、
「サイテー。アスランなんて大ッ嫌い」
 軽蔑のまなざしを向けてくるキラの一言であった。
「キ、キラ…」
 ザフトのエースが、顔色を四色に変えながら狼狽える姿を、候補生が見たらなんと言ったろうか。
「どっ、どうしてそれを…」
 辛うじて上ずった声を絞り出したアスランの目が大きく見開かれ――次の瞬間、その表情が怒気に満ちた。
「ヤマト、ちょっと上向いて」
「はい?あっ、シ、シンジさんそこだめぇっ、く、くすぐった…ひゃあっ」
 アワアワと左右を見回してから視線を戻したアスランが見たのは、キラの首筋にシンジが唇を付け、ねっとりと這わせている姿であった。
 下顎の辺りまで来たところで唇を離し、
「まだご褒美をあげていなかった。キス、しようか?」
「も、もうシンジさん…はい」
 こくんと頷いたキラと、シンジが唇を触れ合わせる。明らかにそれは親密な関係にある者同士のくちづけであり――それを見た瞬間、アスランの中で何かが弾けた。
「貴様ァー!この場で宇宙の塵にしてやるっ!」
 猛然と襲いかかってくるイージスを、いとも簡単にかわしたキラとシンジの口許に、妖しい笑みが浮かんだ。
  
 
 
 
 
(第二十五話 了)

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