妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第二十四話:発露
 
 
 
 
 
 恋人同士ではない男女が密室で二人きりになった場合、女が無意識に身構えるのは、植え付けられた貞操の危機、と言う観念からではない。
 そんな後付のものではなく、女を女として見る男の視線に、本能が危険信号を発するのだ。
 それは、古来から男と女の二種類しかいない以上、女に対して識域下で反応してしまうのはやむを得ない事ではあるが、無論例外もいる。
 そして、この世界へと飛ばされた五精使いは――その例外に含まれる存在であった。
 
 
 
 
 
 シンジの表情にマリューは気付いたが、他の者は気付いていない。
 食事してくるわ、と軽く手を挙げて食堂へ来たシンジの足が、入り口で止まった。
 こちらに背を向けて、メイド姿のセリオを給仕係にして、綾香と一緒に何やら飲んでいる娘がいたのだ。
 シンジに気付いた綾香が手を挙げた。
「おはよう碇、早いのね。お供は一緒じゃないの?」
「ほっといてくれ。だいたい誰がお供だ」
「おはようございます碇様」
「あ、うん」
「ところで…」
 顔は振り向けぬまま、ちらっと綾香を見やる。
 それに気付いた綾香が笑った。何やら企んでいる笑みであった。
「さて問題、ここにいるのはラクスとミーア、さあどっち?」
(そんな悪寒がした)
 多分、訊かれるような気がしたのだ。しかも、後ろから眺めて分かる程付き合いは深くないときている。
「答えないと駄目?」
「後ろから見て分かる程に有能じゃないからご免なさい」
「あ?」
「って、降参するなら許してあげるけど?」
「……」
 こんな事を言われて降参した日には、碇シンジの名にカビが生える。
 そもそも――。
「で、降参したんですか?」
 戻ったら、とある男にウケケケと笑われた挙げ句、一ヶ月位店に出入り禁止にされかねない。
「誰が降参するか!ちょっと待ってろ」
 くすっと笑った綾香に、見得を切ったまではいいが、この位置からでは髪飾りも見えないし、正面からじっと見れば分かるのだが、後ろ姿からは分からない。
 腕を組んだ姿勢で、人差し指が小さく動く。
(この手はあまり使いたくはなかったが…)
 つかつかと歩み寄ったシンジが、その肩に手を置いて耳元で囁いた。
「己の人生に、矜持を見失いかけている娘だ――違うか?」
「『!』」
 その瞬間、手の置かれた肩が激しく揺れた。
「碇…聞いていたの?」
「聞いていた、とは?盗聴の趣味はないが」
「ああごめん…その…ミーアとその話してたのよ。白状しなさいってね」
「じゃ、やはりミーアか」
「ええ…おはようございます」
「うん」
 頷いて、
「食事はいいからミルクティーくれる」
「かしこまりました」
 セリオが、耳をピコピコと動かして立っていく。
 どさっと腰をおろしたシンジが、
「で、何を白状させようと?」
「決まってるじゃない、本当に満足してるのかって事よ。だって、よりによって影なのよ影。気になるじゃないのよ」
 どうやら、ラクスの影武者とばれたらしい。
「そんなのはおまえだけ。大体、人の生き方に首突っ込むものじゃないよ。来栖川は覇道をまっしぐらに歩いてきたのか?」
「覇道?」
 綾香が怪訝な顔になったところへ、
「碇シンジ様」
「ん?」
 セリオが横から呼んだ。
「綾香様は、姉の芹香様と比較される事も多かった為、きっとご自分の事のように――」
「セリオうるさい!」
「つまりおまえのは、自分がそうだったから他人の事も気になるクチか?」
「うるさいわねえ…そんなんじゃないわよ。大体、あたしの場合は比較じゃないわよ。姉さんとは全然性格違うんだし。ただ、おまえももう少し姉さんのようになれとか言われたりしただけよ」
(そう言うのは十分比較されていると言うんだ、来栖川綾香)
 喉の辺りまで出掛かったのだが、何とか止めた。
「もっとも、そうなったらそうなったでかなりヤバイんだけどね」
「何で?」
「だって、姉さんの趣味は黒魔術だもん。あたしは格闘技だけど。来栖川財閥の後継者が、二人とも黒魔術好きじゃ困るっしょ?」
 そう言って、綾香はころころと笑った。
「ほう…で、来栖川」
「なに?」
「来栖川は、姉上の事が好きなのだな」
「大好きよ」
「それは何よりだ。さて来栖川姉妹の事はともかく、ミーアの事は来栖川が突っ込む事ではない――例えそれが最下層の生き様だったとしても、な」
「さ、最下層の生き様〜!?」
「そう。良し悪しはともかく、生き様としては最下層だ」
 シンジは軽く頷いた。
「生き方というのは、無論人によって違う。人の数だけあると言っても間違いじゃあるまい。良いものばかりじゃないが、自分で自分の生き方を決めている分には、まあ人間としての矜持は残っている。が、自分の名を持ちながらそれを名乗る事も許されず、あまつさえ他の人間の影となって生きるというのは、そこに自分が存在出来ぬ生き方だ。個人の自由ではあるが、生き様としては最下層だな」
「あ、あのさ…」
「あ?」
「そ、そこまで言わなくてもいいんじゃないの…?」
「事実だ」
 シンジの声は、寧ろ冷たくさえ聞こえた。
「とはいえ、別にそれを批判する訳じゃない。寧ろ、人間が歪まずに済んでいるミーアは大したものだとすら思っている。俺がそんな生き方を強要されたら、とっくに狂っている可能性が高い、と自信を持って言える事だし」
「……」
 妙に自信を持って言い切られると、急にミーアがえらく見えてくるから不思議なものだ。確かに、自分の名を名乗る事もろくに許されず、それどころか赤の他人として生きる事を強いられれば、自分だってどうなるか分からない。
「で、ミーアはそれで満足してるの?」
「何故…それをお訊ねになるんですの…」
「……」
 少女の口調にある種の物が混ざった、と気付いたのはセリオ一人だったが、紅茶にミルクを注ぐ手を止める事はなく、口を出す事もしなかった。
「これは俺の勘なんだが…」
「勘なんだが?」
「ミーアがこの艦に来て初めて笑った時があった。その時に、それがひどく薄いものに見えた気が、した。あたかも、こういう場合は笑うのだと、状況に応じて喜怒哀楽のスイッチが切り替わるよう、プログラムでもされているかのように。俺の勘違いかも知れないがな。あ、ありがと」
 セリオからカップを受け取って一口飲む。美味しい、と頷いた。
「とーぜんでしょ、あたしのセリオなんだから」
「自分で修行したのだろう。別におまえのという事は全然関係無…イテ!」
 余計な事を口走ったせいで、むぎゅっと足を踏んづけられた。
「おまえのそう言う言論――」
「…じゃない」
「『え?』」
「私は…私はジャンクじゃない!私だって自分の名前を言える生き方がしたかったわ!でも仕方ないじゃない、出来なかったんだからっ!!」
「ミーア…」
 堤防が決壊したのか、爆発的な感情の発露を見せたミーアを、綾香はただ見つめるしか出来なかったが、シンジは違う。
 そもそも、この程度なら幾らでも見慣れてきた。
 別に珍しくもない。
「ミーアをジャンクと言った記憶はないが…そう言われて育ったか?」
 少し経ってから、ミーアが小さく頷いた。
「そうか。が、まだ己の矜持を持っているなら捨てたものでもあるまい。ところで、ラクス・クラインはプラントの代表格の娘の筈だ。そう、おいそれと影を作れるものではあるまい。プロダクションなどが出来る事ではない。誰が、ミーアをラクス・クラインの影とした?」
「エザリア・ジュール様が…」
「知ってる?」
 無論シンジが知る筈はないから、そのまま綾香に振る。
「確か…評議会のメンバーじゃなかったかしら。聞いたような記憶があるわ」
「そうなのか?」
「ええ」
「で、男?女?」
「エザリア様は…クルーゼ隊所属イザーク・ジュールさんのお母様です」
「ろくな事を考えん子持ちだな。やれやれだ。つまらない事を訊いて済まなかった。この話はここまでにしよう。これ以上ミーアの心を抉るのも下らん話だ。さてと俺はこれ…ん?」
 立ち上がったシンジの袖が、くいと引っ張られた。
「もし嫌でなかったら…碇さんが嫌でなかったらその、私の話を…」
「ふむ?」
 あっさりと腰を下ろし、
「五分で終わる話でもなさそうだな。セリオ」
「はい?」
「軽食でも作ってくれる」
「かしこまりました」
「相手にもよるが、胸の内は吐露した方が楽になる、と言う事もある。俺で良いなら聞かせてもらうけど」
「はい…」
「それと来栖川、おまえは退出」
「あ、あたしだけのけ者にしようっての?」
「別にいたって仕方がないだろうが」
「あ、あんたねー!だいたいこの――」
「あの、いいんです」
 当然のように追放されかけ、怒気を漲らせて立ち上がった綾香を、慌ててミーアが制した。
「面白い話じゃないけど…来栖川さんも聞いていて下さい」
「当たり前でしょ、まったくもう!」
「…何で怒る?本来なら聞く筋じゃあるまい」
「う、うるさいわねえもう!」
(困った娘だ)
 そう思ったが、無論口にはせず、
「さて、それじゃ話してもらおうか。それとその前にミーア」
「はい?」
「涙拭いて」
 シンジの指がミーアの顔に触れ、わき上がっていた涙をそっと拭う。
「碇さん…」
(なーんかこいつ、こういう仕草が普通に出来るのよね。しかも自然体だし、相当やり慣れてるのかしら)
 
 
 
 
 
 索敵レーダーの違いか、或いは通信担当の能力差なのか、ヴェサリウスでは既に先遣隊の位置を捉えていた。
 アークエンジェルの位置もある程度予測出来るが、この連中の目的が、出迎えか補給にある可能性が高い以上、先にこちらを叩く必要がある。
「こちらから…仕掛けるのですか?」
 クルーゼの言葉にアスランが微妙な表情を見せると、
「当たり前だろうが。俺達はここへ何をしにきてるんだよ。お前と違って、婚約者だけ探してれば済む訳じゃないんだぞ」
 早速噛み付いたのはイザークであった。
「……」
 何も言わず、苦虫を噛み潰したような表情になったアスランをちらっと眺め、
「何をしに来ているのか、私が訊きたいものだなイザーク。要塞に籠もられたまま手も足も出ず、その要塞を折角ニコルが破壊してくれたのに、仕留めるどころか姿を見る事も出来ずに戻ってきたのは、さて誰であったか」
「そ、それは…」
「それは?それとも、利敵行為とでもいうのかな」
 ハマーンの冷たい言葉が、更に追い打ちをかける。
「ハ、ハマーン様っ!」
 さすにイザークが血相を変えたところで、
「イザーク、落ち着きたまえ。ハマーンとて、向こうの足の方が早かった事位は十分承知している。ただ今は、こちらの方針に異論を唱える時ではないと言っているのだ。無論ラクス嬢も大事だが、モビルスーツを積んだ敵艦が健在で、しかもそこへ補給乃至は合流の可能性が高い敵がいる以上、それを放っておく事はできん。ラコーニとポルトの部隊は遅れているが、ハマーンの艦が合流したから戦力的に問題はない。おそらく、敵艦は既に脚付きと交信している筈だ。敵の先発隊を叩く、と言うよりはその後にある大物が目当てだ」
「第八艦隊の本隊でありますか?」
「違う。補給か合流と言ったろう。その目的で来ている友軍が攻撃された場合、脚付きはまず間違いなく救出に来る。戦力差は歴然だが…」
 少し躊躇ってから、
「敵のモビルスーツは、一機でこちらの四機に相当する実力を持っている。十分に…」
「機体が強い訳ではない。ついでに言えば、敵機からオーラが出ていなければどうという事はない。貴様らが全機で掛かれば何とかなる」
 クルーゼの言葉を遮ったハマーンだが、そのハマーンでさえも楽勝とは言わなかったのだ。
「ただし、敵機からオーラが出ている時は、貴様らが束になっても敵わぬ可能性がある。その時はこちらの指示を待て。くれぐれも勝手に動き回って自滅するなよ」
 アスランとニコルは、ハマーンの言う事が分かっている。特にニコルは、身を以て体験しているから尚更なのだが、イザークとディアッカは違う。
 特にイザークは、シンジと遭遇していないどころか、先だってキラが一人で飛び出した時に討ち取る寸前まで行っており、本音を言えば何程の事やあらんと思っているのが実情だ。
 ただ、その武勇で知られるクルーゼとハマーンが、二人揃ってこうまで言う以上、何かあるのだろうとぼんやり感じ取っている程度だ。
「アスラン以下四名は、直ちに出撃の準備を。ヴェサリウスから先に出る。イザーク達は、ガモフから準備が出来次第出撃したまえ」
「『了解!』」
 
 
 
 
 
 お寝坊な娘二人を置いて部屋を出る時、シンジは二人の手を繋いでおいた。二人ともシンジの上衣をきゅっと掴んでいたから、引き離したままにすると、シーツを掴んでベッドから勝手に転落する可能性がある。
 がしかし。
 二人にしてみれば、手を繋いでいる事は身体が感じ取っており、言うまでもなく意識の中ではシンジと繋いでいるのだ。
 だから、シンジに優しく揺り起こされる夢を――しかも何故か甘い口づけ付――彼女達の唇は、控えめながらもそろって可愛く突き出された。
 無論その先にあるのは、シンジの唇ではなく、お互いの寝顔である。二人ともまだ処女だし、異性に対して積極的な性格とは程遠かったが、妙に積極的になっている原因はシンジにある。妖艶な美貌と妖美な肢体の持ち主にして、百度の交わりを強いる想われ人の存在もあって、シンジの場合、男が女に対して無意識に伸ばす触手のようなものがない。弱気受け、とかそんな性格ではないが、いつの間にか相手の方が積極的になったりする。
 キラとステラの場合がそれであった。別に二人が、淫らで積極的な性格へと大変身を遂げた訳ではない。
「お兄ちゃん…」「シンジさん…」
 そっと突き出された柔らかい唇同士が、まさに禁断の接触を遂げようとしたその寸前で、ドアがノックされた。
「『!?』」
 二人の目がぱちっと開き――五秒で状況を把握した。手を振り払い、がばと起きあがってお互いをじっと見る視線はきついが、その頬は少し赤い。
 お互いに、自分が何をしようとしていたのかは分かっているのだ。
「寝ている間にキスしようとするなんて信じられない」
「それはキラでしょ。だいたい女同士で手を握って来るなんて」
「『……』」
 少し剣呑な雰囲気で二人が睨み合ったところへ、
「ウェーハッハッハ!」
「ほら駄目ですわ、静かにしないと。失礼いたしますわね」
 赤い物体をおさえて、ひょこっと顔を出したのはミーアであった。
「お食事をお持ちしましたわ。碇様が、お部屋まで運んでいくようにと…あら?」
 二人の間に漂う何やら険悪な雰囲気に気付いた。
「お二人ともそんな怖い顔で…何がありましたの?」
 
「返さないの?」
「返す訳にもいかないだろうが。返すなら、先にラクス・クラインからだ。ヴィジュアル担当と音声担当が一緒に出て行ったら面倒だろう」
「あ、そっか」
 ミーアは本来、ラクスと同じ話し方ではないと知ったシンジが、自分や綾香の前では地のそれでいいと言ったのだ。
 ラクスと違ってまだしばらくは一緒だから、と付け加えたシンジに、綾香が首を捻ったのである。
「ミーア・キャンベルはミーア・キャンベルであって、ラクス・クラインではあるまい。自らに向けられるいかなる感情も、自分を通り越しているなど通常なら決して耐えられぬ生き方だ」
「碇さん、来栖川さん、ありがとう…」
 泣き笑いの顔になったミーアの頭を、綾香とシンジがくしゃくしゃと撫でた事を、無論キラもステラも知らない。
 いつもなら、或いはキラとステラも気付いたかもしれない。
 ミーアの表情が、どこか吹っ切れたようなものになっていたことを。
 そして瞳に、涙の痕がかすかに残っていたことを。
 がしかし、今の二人にそんな余裕はなかったのだ。
 話を聞いたミーアは暫し考え込んでいたが、
「それは危ないところでしたわね。お二人の柔らかい唇がくっつき合ってはもったいないでしょう」
 ふふ、と笑ったミーアに、キラとステラの顔がかーっと赤くなる。
「でも、お二人とも相手を責めてはいけませんわ。仕方のない事だったのですもの。そうですわね、ここは一つ私に良い案がありますわ」
「『良い案?』」
「ええ」
 自信たっぷりに頷いて、
「さ、お二人とも耳を貸してくださいな」
 
 ゴニョゴニョ…ヒソヒソ。
 
 そして三十秒後――ミーアの手を、キラとステラがぎゅっと握った。
 余程満足のいく内容だったと見える。
 
 
 
「あんな事言わせたのって、最初から計算ずくだったわけ?」
「何の事だ?」
「ミーアの事よ。あたしには突っ込むなとか言っておきながら、自分は最下層の生き様だとか言っちゃってさ。ミーアを泣かせた時は、何を考えるのかと頭の中を疑ったわよ」
「おまえに疑われるようでは俺の脳も随分と堕落…痛!」
「いちいち、一言多いってのよ…何セリオ?」
「綾香様が、特に親しくない男性に直接攻撃を、それも短時間で二度もされるお姿は初めて見ました」
「ちょっと待て」
「はい?」
「それって、来栖川が普段はお淑やかって事か?」
「いえそう意味ではなくて普段は――」
「あんたそれ以上言ったら分解するわよ!」
「仲が良いようでなによりだ。ミーアの件だが、別に計算ずくって言う程大したもんじゃない。ただ、影の生き方を本当に良しとしているのか気になった、とそれだけの話だ。別にミーアを診ようとか、大層な事は思ってない」
「見る?目の前にいたじゃない」
「……」
「綾香様、眺めるとかそういう事ではなく、診断の意味で言っておられるのだと思いますが…」
「…そうなの?」
「世の中やっぱり馬鹿ばっ…アーウチ!」
「あんたそのうち、絶対に縛って逆さ吊りにしてやるからね!セリオ行くわよ」
「はい、綾香様」
 一礼したセリオが、
「あの、本心から怒ってはおられないと思いますから…」
「分かっている」
「何ゴニョゴニョ内緒話してるのよ。さっさと行くわよ!」
 二人が出て行った後、シンジはぽかぽかと蹴飛ばされたり踏まれたりした足をゆっくりとさすりながら、
「元気の良い事で何よりだ」
 呟いた声は、何故か笑みの混ざったものであった。
 
 
 
「おはようございます艦長」
「おはようバジルール少尉」
 お互いに嫌な女と認識しており、相容れない存在だと分かり合ってしまった二人だが、ブリッジ内でいきなり殺伐とするのもみっともない話だと、表面的には穏やかであった。
 とそこへ、
「レーダーに艦影三を捕捉しました。護衛艦モントゴメリ、バーナード、ローです!」
 ロメル・パルの報告が入り、ふうっと息を吐き出したマリューが、
「ちょっと用があるから後は頼むわね」
「…分かりました」
 どうしてもシンジの事が気になり、話がしておきたかったのだが、
 ふわふわと浮いてナタルと擦れ違った時、
「逃げるのですか」
(…何ですって?)
 確かにナタルから見れば、自分の顔を見た途端席を立ったようにも思えるのだが、実際は違う。
 ただ一度反発し合ってしまうと、お互いのやる事なす事全てが自分への嫌味に思えたりするもので、この場合のナタルがそれであった。
 少なくとも現時点で敵を探知していない。それなのに逃げるのか、などと言われてマリューもムカッと来た。
「あなたの顔を見ていたくないだけよ」
 二人とも小声だったから、先遣隊との合流に嬉々としているクルー達は気付かなかったが、出て行く時二人の肩がぶつかった。
 どちらか――多分両方が少し押したのだろう。一瞬睨み合ったが、何も言わずにマリューは出て行った。
「整備には関係ないし、昼寝って事もないわよね…食堂辺りかしら」
 今の自分は、多分強張った顔をしていると思う。シンジの顔を見ないと、元には戻るまい。
 食堂にやってきたマリューだが、もしも他の誰かがいると困ると、そっと中を覗くとシンジが一人で何かを飲んでいた。
(よし、OK)
「シンジ君、良いかしら?」
「おや姉御…どうかしたか?」
「え?」
 ちょっとオイデと手招きされ、シンジの横に座るといきなり頬を触られた。頬をぷにぷにと数度つままれ、
「よし治った」
「シンジ君?」
「何か強張ってたぞ?」
「あ…」
「また喧嘩したの?」
「べ、別に…」
「まったくもう、マリューは世話が焼けるんだから」
 原因は?と訊くことはなく、その頭をよしよしと撫でた。どちらが年上だか分からない。
 誰としたのか、など訊くまでもない。相手は一人しかいないのだ。
「で――」
「え?」
「単に俺の顔を見る為だけに来た、とは見えなかったが。何か話があったの?」
「あ、えーとその…」
「第八艦隊とやらと合流してからの話?」
「あ、ううんそうじゃなくて…」
「ふうん?」
 よく考えれば、フレイに害意を持っているのかなどと、直接訊けることではない。縦しんば訊けたとしても、別に?と返されればそれで終わりである。
 マリューの横顔を眺めたシンジが、
「肩と一緒に胸も揉んで欲しいとか?俺は構わないけど」
「な!?」
 マリューの顔が火を噴いたように赤くなり、
「もー、シンジ君てばそれってセクハラよっ」
 抗議した割に、その口調はどこか嬉しそうだ。
 が、相手が悪かった。変化球を投げて通用する相手ではなかったのだ。
「あっそ、姉御が言うならやらない。失礼しました」
「ちょ、ちょっと待ってっ」
 さっさと立ち上がったシンジの手を、マリューは慌てて捉えた。
「艦長、それセクハラとやらじゃないの」
「ご、ごめんねその…スマートな返し方とか出来なくて…。肩はお願いするわ。それと、む、胸も…や、優しくね?」
 直球しか通じない相手と知ったが、いきなり対応を変えられる訳もなく、これがマリューの精一杯であった。
 だが、シンジはマリューの手を解き、つかつかと出口に歩いていく。
(シンジ君…あれ?)
 出て行くのかと唇を噛んだマリューだが、シンジはロックして戻ってきた。
「あっち向いて」
「う、うん…」
 シンジの手が肩に触れ、ゆっくりと揉みほぐしていく。
「乳が大きい場合、肩が凝るタイプと凝らないタイプがあるそうだが」
「そうね、まあ無重力圏にいるなら特に問題はないんだけど…って、私の胸おっきい…かな?」
「さあ?見たことないし。別に小さくても大きくても…アレ?」
 肩を揉んでいた手がすっとおさえられた。
「どうでもいい、のかしら?それともどちらでも魅力に変化はない、なのかしら?」
 低い声の誰何には、一転して危険なものが混ざっているような気がする。
「そ、それはほらえーと…」
「何かしら」
 どっちに転んでも厄介な事になりそうな気がするしと、どうやって逃げようかと脳を回転させたそこへ、
「艦長、ブリッジへお戻り下さい!」
「どうしたの」
「ジャマーです!エリア一帯が干渉を受けています」
「敵が接近したというのか?わかった、すぐに戻る。とりあえずフラガ大尉を起こしておいて」
「了解しました」
 はーあ、と溜息をついて、
「シンジ君にきっちり答えを聞けると思ったのにざんね…ふひゃっ!?」
 むにっと、いきなり乳房が揉みあげられた。
「大きさと感度は上クラスらしい」
「も、もーシンジ君っていきなりなんだから」
 赤い顔で怒った場合、基本的に説得力の効果は発生しない。
 が、それも一瞬のことですぐに軍人の表情になり、
「悪いけど一緒に来てくれる。あなたの勘で判断してもらう事になるかもしれないから」
「ん、いいよ」
 シンジも気軽に立ち上がり、後に続く。
 出口まで来たところで、
「碇シンジ君」
 マリューが真面目な顔でシンジを見た。
「何か?」
「今度は生でちゃんと確かめてもらいますからね」
「え?生って…あ、こら待てー!」
 僅かに頬を赤くして歩き出したくせに、口調は真面目そのものだったせいで、一瞬理解出来なかった。
 数秒経ってやっと真意を理解したシンジが、慌ててマリューの後を追っていく。
 
 マリューはこう言ったのだ――ちゃんと生乳を触って確かめてよね、と。
 
 ほぼストレートな直球だったのに、理解出来ない方が悪いのだ。
 
 
 
 
 
(第二十四話 了)

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