妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第二十三話:シンジ陥穽――“浮気確定”と“言論統制”の夜
 
 
 
 
 
 ブリッジが、第八艦隊先遣隊の通信を拾って沸き返った少し後、ミーアとラクスはシンジの部屋に来ていた。
「アスラン・ザラの婚約者〜?」
「ええ、アスランはわたくしの婚約者ですわ」
「で…好きなのか?」
 ラクスは答える代わりに、口許に手を当てて頬をぽっと染めた。
(……?)
 シンジの様子を見ていたミーアは、内心で首を傾げた。別にラクスがアスランを愛していようと、シンジには全く関係ない筈なのだ。いくらシンジでも、ろくに話してもいないラクスに惹かれたりはするまい。
「あの、碇様」
「ん?」
「アスランが…どうかしましたの?」
「どうかというか、ヤマトに随分とご執心でな。到底婚約者がいるようには見えなかったぞ。それと今は…ハッ!?」
「そう…キラ様にご執心…ですのね…」
 シンジの言葉にラクスが反応した。
 ふふ、うふふふとラクスが笑う。表情はにこやかなままだが、それは余りにも危険な笑みであった。
「それで碇様、キラ様はなんと?」
「え、えーと――」
 ずい、と身を乗り出したラクスがシンジに迫る。
(ヤマトも満更ではない、と言うか結構乗り気だったような気もするが…)
 がしかし、危険な笑みを浮かべた歌姫に迫られている状況で、口に出来る事ではない。
「んー…そうだな、どう思っているかは分からない。ただ一つはっきりしている事は――アスラン・ザラとその仲間達は敵、と言う事だ。そして、ヤマトがその気になれば向こうに付く事も出来た」
「『……』」
「私は、ヤマトが寝返るとは思っていない。それはあり得ないだろう。ただ…」
「ただ?」
「ヤマトは優しすぎる。モビルスーツの事などまったく分からない私でも分かる事は――ヤマトは乗るのに向いていない、と言う事だ。敵機を沈める事よりも、花を愛でる方が合っている娘だよ」
「確かにそうかも知れませんわね。でも碇様」
「何、ミーア?」
「全員でないとはいえ、やっぱりナチュラルの方々はコーディネーターを避けたり嫌ったりしますわ。きっとキラ様も同じ思いをされている事でしょう。でも碇様が確信される程この艦にいる事を選ぶのは…」
「選ぶのは?」
 この時点で、シンジはミーアの発想が読めていない。
「そうまでしても守りたい、いえ離れたくない方がおられるからではありませんの?」
「まあそれはヘリ…ナヌ?」
「ミーア、それはどういう意味ですの?」
「あのね――もご」
「言うな!口外禁止!」
 言論弾圧を図ったシンジだが、その手をラクスがやんわりとおさえた。
「碇様、コーディネーターとナチュラルは均等に見られる碇様が、ご自分の恥ずかしい秘密をミーアにだけ教えるのは不公平ですわ。いけない事ですわよ」
「……」
 三枚におろして然る後味噌煮にして缶詰、と言う発想が浮かばなかったと言えば嘘になるが、それよりもどう突っ込むべきか言葉が出てこなかった、と言う方が正しい。
 それを他所に、ミーアがラクスにひそひそと耳打ちする。
「あらあら…キラ様が焼き餅を?碇様、あんな可愛い方を泣かせるのはいけない事ですわよ?」
「…それ以上言うと簀巻きにするぞ」
「まあ怖いですわ」
 そう言いながら、ラクスはくすくすと笑っており、同じ笑顔でもさっきのそれとは完全に異種の物になっている。
 ミーアに耳打ちされて、自分の許嫁の立場は安泰と安心したらしい。
「…おまえ達はとりあえず酢漬けにしてピクルスに――」
 シンジの手がにゅう、と動いたその時、ドアがノックされた。
「誰」
「ステラです」
「ステラ?」
 ちらっと時計を見た。寝るにはまだ早い。
 何か用でもあったのかと、
「開いてる」
 何も考えずに招じ入れた次の瞬間、シンジの表情が凍り付く――そこにいたのは、パジャマ姿で、しかもマイ枕を手に立っているキラとステラの姿であった。
「なっ!?な、なんで…」
 硬直したシンジと、妙に緊張した少女達の間の雰囲気、そして何よりもその格好を見れば第三者でもほぼ見当はつく。
「あらあら…碇様は随分と慕われておられるんですのね?」
 何も含まない――純粋なだけに手に負えない――ラクスの声が追い打ちを掛ける。
「今、碇様と色々とお話をしていたところですの。さ、お二人ともお入りになって下さいな」
「……」
(マイガッ!)
 
 
 
 
 
「坊や達には荷が重い」
「彼らでは不服かね」
「不服?私は事実を言っているのだクルーゼ。アルテミス内に囚われていた脚付きなど、カゴの鳥も同然だ。それを三機が雁首揃えていながら逃がすなど、赤服の名が泣くぞ?」
「……」
 プラントからとって返したクルーゼの仕事は、まずガモフと合流する事であった。アルテミスでアークエンジェルをロストしてから、ウロウロと探索してはいたものの、影も形も見つけられなかったのである。
 ただし、クルーゼはハマーンが全力で探してはいなかったと見抜いていた。そして、何かを庇っているらしいことも。
 進路から逆算すれば、どこへ向かうかはある程度読める。無論、さっさと見つけて追撃するまではいかずとも、無為無策でウロウロするハマーンでない事位、クルーゼが一番分かっている。
「アルテミスで、ニコルは無事に帰されたそうだ――アスラン・ザラを伴ってまた来るように、とな。ニコルは攻撃もできなかったらしい」
「……」
「ヘリオポリスで、どこかの無能な隊長が腕をもがれて帰ってきた事があっただろう。その時に乗っていたのもおそらく奴だ」
「異世界人かね」
「そうだ。おおよその見当は付くが、ガモフでは追い切れないのは目に見えている。だからお前が戻ってくるのを待っていた――私がアルテミスの残骸を眺めてうっとりしていた、と思っていたか?」
「まさか」
 クルーゼは肩をすくめた。
「私はそこまで無能ではない、つもりだよ。ナチュラルのところへ乗り込んで、のこのこと右腕を持っていかれる位には役立たずであっても、な。ただ、もう少し待ってやってはもらえんかね」
「何の事だ?」
「君の出撃だよ。おそらく、君のキュベレイなら十分勝算はあるだろうが、ストライクを撃つ為に呼び寄せたのではない。悪いが、もう少し堪えてくれたまえ」
「部下を信じるのは自由だが、求められるのは適正な評価だ。足りぬところは足りぬと――」
 ハマーンが言いかけたところへ、
「クルーゼ隊長、ハマーン様、ブリッジへお出で下さい」
「何事だ」
「通信を傍受しました。地球軍の艦隊かと思われます」
「地球軍の?」
 入ってきた報告に、二人は顔を見合わせた。
 
 
 
 
 
(これが針のむしろ、というやつか?)
 言うまでもなく、シンジは二人の何れにも手を出してはいないし、まして時間差をおいて誘った訳でもない。
 がしかし、シンジの横をぴったりと固めているキラとステラからは、形状しがたいような空気が漂ってくる。ラクスはにこにこと笑って見ているが、さすがにミーアは雰囲気を読んだらしい。
 こほん、と咳払いしてシンジを見る。何か言えと言うのだ。
(……あ、そうだ)
「ステラもヤマトも、呼び出した記憶はなかったが…それとどうして枕を持参で?」
「ステラは…おに、いえ碇さんとお話ししたくて…」
「わ、私だってシンジさんと色々お話ししようと思ってっ…」
 よく分からないが、同じような事を考えてやってきた二人が、部屋の前で鉢合わせしたのだろう。
(困ったもんだ)
「あの、ステラ様?」
「なに?」
「いつもは、枕を持ってこられませんの?」
(ラ〜ク〜ス〜!)
 視線だけで人を失神させられたら、とこの時程強く願った事はない。
「持ってこない。だって…」
 きゅっとシンジの手を握り、
「いつもは腕枕だから」
「あらあら…お優しいので――」
 ふう、とシンジが息を吐き出したシンジが、ちらりとラクスを見た。
「お、お優しい方ですわね」
「うんっ」
 嬉々として頷いたステラだが、
「いつもは、と言える程回数を重ねた記憶はナイ。勝手に既成事項にしないでもらおう」
「あ、あぅそれは…」
「まったく俺の人格が疑われ…何?」
「別に疑ったりはしませんわ。一緒に寝ているだけ、なのでしょう?」
「ミーア?」
「お二人を見れば分かりますわ。碇様の側に来られた途端、お二人の雰囲気が変わりましたもの。碇様がおかしな事を――もご」
「分かった分かった。もういいから勘弁して。それよりヤマト」
 本命の案件を思いだして、キラを見やった。
「はい?」
「こちらのラクス・クラインだが…アスラン・ザラの許嫁らしい」
「アスランの許嫁?そうなんですか…」
 キラの視線が、ラクスの全身を上から下まで眺めて、
「いいんです。何となく分かってましたから」
「ヤマト?」
「アスランのお父さんはプラントの偉い人だし、許嫁の一人や二人いたっておかしくはありません。それに…」
「それに?」
「ううん、何でもありません」
 身体を預けてきたキラを見て、シンジは首を傾げ、ミーアは内心で小さく溜息を吐いた。
(通じない想い…というのも困ったものですわね)
 そんなミーアの内心など知らぬシンジが、
「そういえば、フレイ・アルスターが面白い事を言ったな。コーディネーターは、自然の摂理に反した存在なのだ、と」
 シンジの言葉に、ステラ以外の娘達の顔が一瞬曇る。
「だが、さすがのコーディネーターでも、五精を操る事はできまい。火も風も水も使えぬ存在だ。そうなると、碇シンジは目下、この上なく自然の摂理に反したとやらの存在だな」
(お兄ちゃん?)
 何を言い出すのかと、内心で首を傾げたステラだったが、
「この四人が組んだ場合、どれ位の所要時間でこの艦を制圧できるのか、試してみたい気分になる」
 それは、穏やかな口調ながら物騒極まりない内容であった。
「シ、シンジさんっ!?だ、駄目ですよそんな事考えちゃっ」
 キラが慌てて手を振るが、
「何故?」
 変わらぬ口調で聞き返した。
「…え?」
「異分子である俺の事はどうでもいい。だが、ステラもヤマトもコーディネーターで、本来なら敵に、少なくともこちらにいなくてもおかしくはない。そんな二人に救われていながら、ヤマトがいる場でコーディネーターへの憎悪と反感を隠そうともしない小娘がおり、また乗員の大半はヘリオポリス出身の者達で構成されていながら、艦内の空気は誅戮へ向かおうともしない。勿論、ヤマト達が報酬や名誉など、つゆほども望んでいない事は分かっているさ。とはいえ、このままこの艦を守る為に戦う、というのは少々――どうした?」
 見ると、娘達が小さく口を開けてこっちを見ている。
「あの…誅戮って?」
「一言で言うと成敗。分かり易く言うと五体ばらばら」
「『バ、バラバラ…』」
「そう。ばらばら。そもそも、フレイ・アルスターは私から見れば精神病患者だ。それも重度のな。が、現状を見るとあれがデフォルトなのかとさえ見えてくる」
「それは…どういう事ですの?」
「これはミーア達に言っても詮無い、と言うより関係のない話だが、ナチュラルがすべて脳を患っている訳ではあるまい、という話だ…包みすぎ?」
 こくこく。
「この戦争は、端から見ればどう贔屓目に見てもナチュラルに大義が見いだせん。まして、プラント側が開戦の口実にする為に自爆テロを仕掛けたなど、三歳児でも騙されん戯言だ。ステラに教わったが、形勢的には謂わば地球全土対人工衛星数個、と言ったところで、まともに考えれば戦を避けこそすれプラントから仕掛ける事などあり得ない情勢だろう。まあ、それでも自分達に大義があるとか思いこんでるいかれたナチュラルも多いのだろうが、問題は全部がそうなのかって事。結果的に自分達より優れた種となったコーディネーターを嫉み、妬み、迫害し、核まで落として勝手に始めた戦争もどきを肯定する連中ばかりなのかと。無論フレイはその中に入っている訳だが、その精神病患者が大手を振ってまかり通る現状は、それを容認する者ばかりと思われてもおかしくない。そして――」
 シンジの手が、左右に座る二人の髪に触れた。
「そんな連中を、命を賭けて守り続けるのはどうかって話だよ。俺だったら…多分ご免だね。もっとも、二人とも優しいから、そんな事は考えないだろうけど」
「碇様は…地球軍の方針には反対ですの?」
「大反対」
 訊ねたラクスに、シンジは瞬時に応じた。まあ、と驚いたような表情を見せたラクスだが、どうしてですの?と突っ込んではこなかった。
 ちょこんと首を傾げたミーアが、
「確かに、碇様のお気持ちは分かりますわ。でも…」
「でも?」
「キラ様とステラ様のお考えは、少し違う所にあるような気がしますの」
「ほう?ミーアには二人の思いが分かると?」
「ええ」
 ミーアはうっすらと笑って頷いた。
「多分ですけれど。お二人とも艦内の皆がコーディネーターを敵視しても、あまりお気にされないと思いますわ。だって、お二人が守りたいのはい…もごっ」
(速!)
 ミーアが何を言おうとしたのか、正直シンジには分からなかった。
 だが、何やら危険な単語か隠語を口にしようとしたらしく、文字通り目にも止まらぬ早さで動いたキラとステラが、その口を塞いだのだ。
「二人とも…何をしている?」
「『な、何でもないのっ』」
 少しぎこちない笑顔を見せて首を振った二人を見て、ふうっと息を吐き出し、
「まあいい。何を秘匿しようとしたかは知らないが、二人がそこまで隠匿したがるなら無理に訊こうとは思わないよ。二人の度量が大きいなら、それはそれで良い事だ。な?」
「『う、うんっ』」
 揃って刻々と頷いたキラとステラだが、その動きはどこか機械人形に似ていた。
(今晩は言論統制の夜…だな?)
「なんかギクシャクした動きだが…まあいいや、二人でコーヒーでもいれて。俺は紅茶でね」
「『はい』」
 その後はもう、シンジもナチュラルの事には触れなかった。キラとステラが何を隠したのかは知らないが、余程言いたくないようだし、無理に引き出す事もないと判断したのだ。
 無論シンジは、それがついさっき自ら言論統制しようとしたのと同じ内容だとは、知る由もない。
 遺伝子を弄ったからと言って別物に変わる訳でもあるまいし、と言うのがシンジのコーディネーターに対する見方である。
 事実――火も水も風も土も使えはしないのだ。能力と耐久性が上がった位で別物ならば、メダリスト級の運動選手はすべて非霊長類、と言う事にでもなりかねない。
 ただ、プラントへ従事するにはコーディネーター以外不可、と言われた事には少し興味があった。ミーアやラクスなど、見かけは普通の娘だし、膂力でサイやトールを凌駕してはいない筈だ。人種が別物に変わった筈でもないのに、一体何を以てそうまで言わしめたのかと、
「プラントの話が聞きたい」
「プラントの、ですの?」
「こっちは生まれも育ちも地球(テラ)でね。コロニー生活は実現もしていないし、まして体験など遙か無縁できたんだ。是非、聞きたいもんだ」
 水を向けられたミーアが、
「私でよろしければ…」
「ん」
 無論、プラントだからと言って八本足の宇宙人と同居する訳ではないし、常に宇宙服を着用しなければならない、と言う事もない。
 寧ろ地球上でのそれと大同小異なところの方が多いのだが、シンジにとっては全てが初耳である。
 元より、地上や地下には興味があっても天空にはさっぱり縁がないと来ているシンジなのだ。。
 一方キラやステラに取ってはよく知る事だが、興味津々で聞き入るシンジの横顔を、彼女達も微笑って見つめていた。
 が、何かに興じていると時間があっという間に過ぎるのは、どの世界でも変わらない。ふとシンジが時計を見た時、既に十二時近くになっていた。
「もうこんな時間か。ミーア、色々と楽しい話だった、ありがと」
「いえ、私も碇様が熱心に聞いて下さるから…えーと」
(……)
 じーっと見つめる二対の視線に気付き、
「お、お話甲斐がありましたわ」
「そう?」
「ええ」
 再度言論統制が掛かったらしい。
「歩んできた歴史に、そう大きな差はないが時空が変われば随分と変わる物だ。ただ…惜しい哉」
「惜しい?」
「無意味な戦争などしていなければ今頃は、とりあえず太陽系までは制覇していただろうに。そろそろ、UMAからの信号を受信している頃だ」
「『……』」
 無論シンジは平和論者ではない。帝都にいる頃から、敵は粉砕して通る主戦論者だったし、中国の奥地で無数の降魔を、フェンリルと主従二騎で殲滅してきたのも、ついこの間の事だ。
 この世界に於いても、成り行き上とはいえ、キラやステラと同乗する事に躊躇はなく、そもそも目覚めた直後にザフト兵を数十名始末している。決して平和論を唱えている訳ではないのだが、あくまでもこの世界の人間ではなく、文字通り対岸の火事だ。
 だから、惜しいという声も異世界の出来事止まりの感があるが、この世界の住人である彼らにとっては、重くのし掛かってくる。
 非難される以上に辛い、というのはよくある事だ。
「別に、ミーアやラクスを責めている訳じゃない。第一、このまま順調に行けばザフトは俺に殲滅される予定なんだから。そんな奴が言える筋じゃないでしょ?」
「い、碇様にそのおつもりがないのはよく分かっていますわ。ただ…これが異星人との戦いならともかく、少し進化したとはいえ同じ人間同士の戦いを、違う世界から来られた方にお見せする事になったのが…哀しい事ですわ…」
 それって単に見栄じゃないの?と、ふと訊いてみたくなったシンジだが、結局シンジの口から出たのは、
「ま、思考能力だけ退化した訳じゃないだろうし、いずれは収まるところに収まるさ」
 という、かけ離れたものであった。
 訊いてみたい気はかなりしたのだが、ラクスは結構な天然娘である。そもそも、シンジと違って必要ならば粉砕して前に進む、と言う思考は欠片も持ってはいるまい。
 そんな娘に問い質すのは、酷な気がしたのだ。
 というより無意味だろ?そう言って脳裏で嗤った黒シンジを、シンジは頭を振って追い払った。
 黒は、シンジの好む色ではないのだ。
「そうだといいのですけれど…」
 俯き気味で、哀しげに微笑ったラクスだが、ミーアの方はも少し現実を見ていた。
「あの、キラ様」
「あ、はい?」
「一つお訊ねしてもよろしいですか?」
「うん。何?」
「クルーゼ隊の――アスラン・ザラの事は…もうよろしいのですか?」
「!」
 ミーアの言葉に、ラクスがはっと顔を上げ、キラの表情が一瞬硬くなった。
 ――七縦七擒――
 シンジとキラが交わした約束は、無論二人だけの秘事であって、誰にも告げてはいなかったのだ。
「そ、それは…」
「敵を見逃すというの」
 横から口を挟んだのは、無論ステラである。その視線は、まっすぐにキラを射抜いていた。
「討つか見逃すか…単にその二択ではあるまい」
 シンジが口を開いたのは、キラの手が袖をきゅっと握ってきてからであった。自分で言うならそれも良しと、キラに任せていたのだ。
「碇様?」
「ザフトは殲滅、と決めているし、アスラン・ザラが敵である事もまた、変わりはない。ただ俺の目が曇っていないならば――キラ・ヤマトという娘が、モビルスーツを駆って敵を殲滅するより、温室で花を愛でる方が合っている娘である、と言う事も事実だよ。そこで、だ」
 何か言いかけたステラを制するように、
「その娘と同乗する事になった人間増幅器(リーサル・ブースター)はこう考えた。殺すよりなお難しくて愉しい事がある、と。つまり捕らえる」
「『捕らえる?』」
「そう。正確に言えば七縦七擒。七回とっ捕まえて七回放つこと。心を攻める、なんて良策じゃないが、普通は四回も捕まえられた時点でプライドは木っ端微塵になる。そこまで力の差を見せつけられたら、出てこようとは思うまいよ」
「アスランを七回も…」
「いや、ヘリオポリスからかっ浚っていった機体に乗ってる四人組。誰か一人を数度でも構わないし、理想は全員をそれぞれ一回以上だな。客観的に見て、アスラン・ザラ以下の四人組は、どれも大した存在ではない。討ち取ろうと思えば簡単に討ち取れる。ただ、今のヤマトに死屍累々となったそれを踏みつけていけ、と言うのは酷な話だし、それよりもとっ捕まえてから放つ方が、趣があって面白い」
「で、でもおに…いえ碇さん…」
(おに?)
 シンジが鬼?と訊く者は、さすがにいなかった――無論、内心では慎ましく突っ込む向きもあったのだが。
「無論、ステラに取ってもらう戦術も同じだ。ストライクが逃した敵を、ガイアが八つ裂きにしては意味がないのだから」
「それって…」
「ステラに出撃(で)てもらう時は、残念だが必ずくる。アークエンジェルが足手まといである事は事実だからな。こればかりは、例え殲滅方針を取っていても変わらない。敵が百機いて、七割を殲滅している間に残りの三割が艦に取り付けば、撃沈の憂き目に遭うのは目に見えている…どしたの?」
「残念…なの?」
「それはそうだ。本来ならば出していい機体ではないのだから。一級の切れ味を持つ刀でも、今は使って良い状況ではない。筋から言えば、ガイアの出番はあってはならない、とそういう意味」
「そ、そう…良かった」
(…勝手に思いこんで突っ走ったな)
 出したくないのに仕方ないから出す、それが厄介者扱いされているからだと思ったらしい。
「ただ何にせよ――」
 立ち上がったシンジが、カップに残った紅茶を飲み干し、
「機体の条件は一緒だが、キラが、或いはステラという頼りになる戦力があるから出来るゲームさ。二人とも、頼りにしている」
「ゲーム、ですの?」
「そう、ゲーム」
 少し冷ややかに頷いた。
「異世界人はともかく、居合わせたと言うだけの理由で本来は同胞である筈のコーディネーターと戦い、しかもそれを感謝するどころか忌むようなたわけがいる中では、やり切れない娘もいるだろうが」
「『……』」
(シンジさん…)
「ま、一番の理由は俺の我が儘な訳だけどね」
 少し口調を緩めて、
「特にステラには、付き合わせて済まないと思っているよ」
(お兄ちゃんっ)
 ステラは勢いよく首を振った。
「さてと、夜ももう遅い。ステラとキラは、それぞれ二人を部屋までお送りして」
「『あ、はい…』」
 送って、とは言ったが、戻っておいでとは言わなかったし、そんな響きもない。二人の双眸に一瞬宿った光に、先に気付いたのは同性であった。
「あの、碇様」
「ん?」
「すみませんが、ちょっとベッドへ横になって頂けませんか?」
「あ?」
「お願い致しますわ」
 手を合わせて頼むミーアに、怪訝な視線を向けたシンジだが、何も言わず横たわった。
「で?」
「もう少し真ん中に行って下さいませ」
「……」
 ベッドは結構大きく、シンジが中央へもぞもぞと動くと、左右にスペースが出来る。
「キラ様はこちら、ステラ様はそちらへ。お二人とも碇様の横へ…あ、駄目ですわお動きになっては」
「何でそんな事をって…あ、こらっ」
 起きあがろうとするシンジを、ミーアがそっと抑える。
(!)
 刹那、シンジの目に浮かんだ光は、幸い誰にも気付かれる事はなかった――白魚のような手なのに、シンジの身体は微動だにしなかったのである。
「ほら、お二人が一緒でもちゃんと余裕はありますわ。碇様、これでもいけませんの?」
 片方だけにすると角が立つからか、或いはそれ以外の理由からか、シンジが二人をこのまま返す気だとミーアは見抜いていたのだ。
「…別に少女の柔い身体を抱いて良い夢を見ようって言う発想じゃない。だいたい――う…」
 余計な口を出すなと、即座に却下しかけたシンジの目に映ったのは、瞳をうるうるさせて自分を見るキラとステラであった。
「シンジさんが迷惑って言うなら帰ります…」「無理にはお願いできないもの…」
(兵糧攻めかい!あ…水攻めか?)
 この場合はどっちになるのかと、真摯な表情で考え出したシンジだが、無論見ている方は分からない。どうやら本気で嫌がっているらしいと、哀しげに立ち上がろうとしたところでその手が引かれた。
「『え…!?』」
「筑前守は、備中の地に水攻めと兵糧攻めと両方してのけたんだ。すっかり忘れてた」
「『?』」
 少女達の顔に?マークが浮かぶ中、シンジはうっすらと笑った。
「キラとステラは、二人を送っていって。その後、二人とも戻っておいで」
「あ…」
 シンジの言葉に、一度は諦めかけた少女達の顔に笑みが浮かぶ。
 おやすみなさいませ、と一礼して去っていくミーアとラクスを、シンジは片手をあげて見送った。
 
 それから十五分後、シンジは両脇から身体を預けられて、天井を見上げていた。左右の二人が寝ていないのは分かっているが、さっきから会話はない。
「ヤマト…」
 ふとシンジが口を開いた。
「はい?」
「明日――正確に言えば今日だが、第八艦隊とやらが合流する」
「ええ」
「ブリッジの連中は安堵していたね」
「私も…マードック曹長に言われました」
「ゴマヒゲでぶに?何と?」
 シンジの台詞に、ステラがくすっと微笑う。
「もう安心だろうが無事に合流するまでストライクの整備は私の仕事、それとその後も志願して残ってもいいんだ、と」
「あのでぶ…私服の意味が何も分かってないのだな。まあいい、それでヤマトは何と?」
「いえ、特に…」
「そうか。で、もう用はないと思う?」
 シンジの問いに、キラの身体がピクッと反応した。もう用はない、と言う事は即ち第八艦隊から人員も補充され、キラが出る必要は無くなると言う事だ。そうなれば自分達は艦から降り、この艦に残るのは――。
「わ、私はっ…」
(ん?)
 既に電気は消えていたが、シンジもキラの妙な気配に気付いた。
(……)
「ヤマトの出る幕が無くなる、と言う事じゃないよ。いやそうなんだが…このまま合流して一般人はお役ご免になれると思っているか、と言う事」
「?」
「ステラは分かる?」
「勿論」
 少し誇らしげに頷き、
「敵がこのまますんなり用済みにしてくれるかって言う事でしょ?」
「そう言う事」
 キラがステラの立場なら、分かっていたのかも知れないが、用済みというところが勝手にクローズアップされてしまい、肝心な所がぼやけたらしい。
「で、どう思う?」
「無理だと思う。地球軍が無能でないなら、だけど」
「良い読みだ」
(どういう事なの?)
 無能でないなら、と言う事は有能という事だろう。
 普通に考えれば、地球軍が有能なら追われていても逃げ切って合流出来る、乃至は追いつかれる前に合流出来る、となる筈だ。
「襲撃を事前に予知出来ないばかりか、情報が筒抜けになっている事も知らずにむざむざと四機を奪われた――というのが事実なのか、或いはザフトの連中が運と偶然に最大限恵まれた結果だったのか」
「ヘリオポリスでの事?」
「そう。前者ならばかなりの可能性で、言いつけに行って戻った連中にこちらの位置を抑えられた上で、適当な場所で襲われる。後者ならば…」
「逃げられるんですか?」
「戻ってきた連中が運と勘だけでこっちを探し当て、ワラワラと襲ってくる」
「お、同じじゃないん…ですか?」
「同じだよ」
 シンジはあっさり頷いた。
「つまり、ブリッジのお気楽な連中が考える程、物事は上手く行かないって話。大体、俺の勘がそんな平穏な空気を読んでないし」
「それって…ざわざわするの?」
「ざわざわ…んー、そんな感じかな」
 訊かれて、ちょっと考えてから首を縦に振った。
「どの辺り?」
「どの辺り〜?また随分と奇天烈な…って、それもそうだ。胸の辺り…こら」
 言い終わらぬ内に、ステラが頭を乗せてきたのだ。
「不穏な感じの鼓動がする…痛」
 ぽかっ
「そんな鼓動があるか!まったくもう」
 私も確認を…と、続こうとしていたキラを制し、
「二人とも、もう寝るよ。ベッドの中でもぞもぞ暴れないの。いいね?」
「『はい』」
 返答は一緒だが、口調は少々異なっていた。
 一方は少し物足りなさげに、そしてもう一方は満足げに。
 
 翌朝、十時を回っても一向に目覚めぬ二人を置いて、シンジは起きあがった。なにしろ、二人とも妙に幸せそうな顔で眠っており、シンジの上衣をきゅっと握ったまま離さないのだ。
 起こしたら、甘い顔で呪詛を向けられそうな悪寒さえする。
 ブリッジから聞こえてきた初めての声にその足が止まった。
「うん?」
 さっさと合流しろと、客が待ちきれずに直談判にでも来たかと足を踏み入れると、スクリーンに二人の男が映っていた。
「救助した民間人名簿の中に我が娘、フレイ・アルスターの名があった事に驚き、喜んでいる」
「……」
「出来れば顔を見せてもらえるとありがたいのだが…」
 横にいた軍人にやんわりと制され、ブリッジ内は一瞬微苦笑に包まれたのだが、気配に気付いたマリューが振り返り、
「あ、シン――!?」
 声を掛けようとした瞬間、その表情は凍り付いた。
 シンジは――確かに笑っていたのである。
 そしてそれが、本来の喜怒哀楽という感情の何れにも属さない物である事を、マリューは一瞬で知った。
 いや、本能が察したと言うべきか。
 それは、見る者を凍てつかせる氷の笑みであった。
「姉御、おはよう」
 シンジの声にクルー達が振り返り、ある者は頭を下げ、ある者は手をあげて答える。
 マリューに声をかけた顔には、凍てつく氷の冷たさは微塵も見られなかった。
(私の気のせい…なの?シンジ君…)
「フレイ・アルスターのお父上?娘思いのお父上と見える」
 そして、そう言って微笑った口調にもまた――その内心を覗わせるものは微塵も感じられなかったのだ。
(ここにナタルはいないし…た、多分私を見ての笑いじゃないわよね?でもそれって…フレイさんのお父さんと知って笑ったって事!?)
 
 
 
 
 
(第二十三話 了)

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