妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第二十二話:侠気発動――五精使いが伝染?
 
 
 
 
 
「おはよう、シンジ君」
 入ってきたシンジに、マリューは微笑って片手を挙げた。
「ん。昨夜はちゃんと寝た?」
「ありがと。大丈夫よ」
 シンジの顔を見るとほっとする。単に魅力があるとかそんな事ではなくて、その口から決して無理という言葉が出ないからだと、マリューは気付いていた。
 多分、元いた世界でもそうだったのだろう。人外の力を持っている、と言う事も無論あるのだろうが、それだけで万事を切り抜けられる訳もない。だからこそ、ヘリオポリス組が、こうまでシンジを信頼しているのだ。
 シンジといれば何とかなる、と。
「朝からごめんなさいね。昨日の、もう一人の少女の事を訊いておきたかったの…な、なに?」
 つかつかと歩み寄ってきたシンジが、マリューの顔をじっと見つめたのだ。
「今朝はいい」
「え?」
「顔色も良いし、艶も悪くない。疲労度は溜まっていないと見える」
「そ、そうかな」
「うん。で、昨日の娘――ミーア・キャンベルの事だが…」
 五分後、話を聞き終えたマリューは、小さく口を開けた。
「…姉御?」
「え?あ、ああ、大丈夫聞いているわ。ちょっとびっくりしただけよ。でもまさか容姿だけを買われた影武者だなんて…」
「ただ素人意見だが、声を聞く限りではさほど差があるようには思えなかった。求められているのは、片方には声だけ、片方には容姿だけ、と来ている。二人の間に、微妙な空気があったのは気付いていたか?」
「ええ、それ位はね。妙だと思ったけど、そう言う事情があったとはね…」
「まあ二人の関係はともかく、処遇が面倒だな」
「処遇?」
「姉御はどうしようと思っていたのだ?」
「どうって…このまま月基地まで…シ、シンジ君!?」
「失望した。帰る」
「ちょ、ちょっと待ってっ」
 さっさと歩き出したシンジの肩を、マリューが慌てて掴んだが、あっさりと振り解かれた。
「な、何を怒っているのよ」
「誰も怒ってなどいない。失望した、と言ったのが聞こえなかった?だいたいあの娘、プラント最高評議会のボスの娘だぞ。そんな娘を連れて行ったら、いかれたナチュラル共が何に使うと思ってるんだ」
「そ、それは…でもシンジ君はどうしろって言うの?送り返すなんて言うんじゃないでしょうね」
「……」
「そう思ってるなら随分と甘いんじゃないの?だいたい、どうやって送り返すつもり?」
「誰が送り返すと言った。だから頭が悪いと言うんだ」
「そ、そんな言い方ないでしょ。じゃあどうしろって言うのよ」
「連れて行かせればいいだろうが」
「連れて…行かせる?」
「フラガが言っていたクルーゼとかいう奴は、また戻ってくるのは間違いない。ナチュラルがこんな物を造っていた、と言いつけに行っただけらしいからな。ポッドを修理して、その時に呼びつけて持って行かせれば済む話だ。それとも――」
 シンジの手が、マリューの顔をくいと持ち上げた。
「ラクス・クラインを月まで連れて行けば、政治利用されるのは分かり切っている。乃至は人身御供にすらされかねん。それが分かっていながら、どうしても連れて行きたい、と?」
「そ、そんな事は…思ってないわ」
「本当に?」
「も、勿論よ。甘いって言われるかもしれな…あっ」
「姉御ならそう言ってくれると思っていた」
 シンジの顔がゆっくりと近づいてくる。
「だ、だめよまだお昼にもなってないのにっ、だ、駄目って言って…あんっ」
 そうは言うが、その手はシンジを押しのけようとはせず、いつしかきゅっと目を閉じてその唇は僅かに突き出されている。
 ちう。
(あ、あれ?)
 頬の辺りで音がした。
「も、もー、いきなりちゅーするなんて…」
「先日のお返しだ。で、そのわずかに突き出された唇は?」
「な、何でもないわよっ」
 赤くなって横を向いたマリューを置いて、シンジはソファにどさっと腰を下ろした。自分の膝の上をぽんぽんと叩く。
「あの…いいの?」
「埃払いじゃない」
「じゃ、じゃあ…」
 マリューの頭を膝に乗せたシンジが、
「艦長としてどうするか、だけじゃなくて、もっと大局から考えないとならない。手間が掛かるし、後々面倒になりそうだから留め置く、なんて言うのは愚の骨頂だ」
「……」
「ま、俺が最優先に考えるのは俺のプライドだけどね」
「シンジ君のプライド?」
「ヘリオポリスを脱した後漂っていたポッドを拾ってきたのは、単に放っておけないと感じたからだ。雨の日に濡れている子猫を拾う時、自分は道義的に正しい事をしているのだ、とか一々理由付けをするか?そんな奴は、死の瞬間まで自分はまだ死ねない筈だと自問自答を繰り返していればいいのさ。ステラやヤマトが拾ってきたのだって、大義の在処など一々考えていないし、無論中の人によっては政治利用出来る、なんて事は欠片も思ってないだろうよ」
「シンジ君に褒めてもらいたい、とかは無いかしらね〜?」
「うるさい、却下だ。とにかく、漂っていたから拾ってきた娘を政治利用、まして人質にするなど論外だ。そんな事をする位なら、この艦を爆破する方が優先だ」
 こういう場合、普通はハッタリなのだが、シンジの場合ネタでない所が困る。
「人質を取る位なら討ち死にした方がましってこと?」
「もちろん」
 シンジは当然のように頷いた。
「尤も、ヤマトが安定している時ならこの艦が足を引っ張らない限り、撃沈なんてあり得ないけどね。バッテリーの関係があるから、どうしても相互依存にならざるを得ないし。艦長がしっかりしてよね」
「うん…善処する。それで…」
「ん?」
「大局から見るって、何処の観点なの?」
「同盟国、乃至は中立国側から見た視点。今地球上は、地球軍対プラント軍の何れかに、全ての国が分かれている訳じゃない。日和見もあるしオーブのような中立宣言国もある。確かにお偉いさんの娘だろうが、その娘が別に軍人という訳じゃあるまい。軍人の子息が一般人、と言うのはよくある話だ。そんな一般人の小娘を捕まえて人質に、乃至は政治利用しようとすれば人は何と見る?私なら、そんな腐った輩と手を組むなど間違ってもご免被る。年端もいかぬ娘を人質にする軍、と言うのが周囲からどう映るか、一歩立場をずらして考えればすぐに分かる筈だ。姉御なら、勝利への執念だと諸手を挙げて歓迎するか?」
「……」
 シンジの言葉は、痛い所を突いていた。確かに、最高評議会議長の娘とくれば、利用価値はかなりある。彼女が乗っていると言えば、人質と言わぬまでも敵の攻撃を退ける事は出来よう。
 だがその代わりに、少女を人質にしてまで遁走する連中、と言う誹りは免れまい。戦況を有利に運べるとしても、一時的な物でしかない。シンジが言う通り、地球に存在する国々の中には、連合軍に対して批判的な国も無論あるし、同盟国の中とて決して一枚岩でないのは、アルテミスでの出来事が嫌でも教えてくれた。
「確かに…シンジ君の言う通りだとは思うわ…。いいわ、二人一緒に返し…いた!?」
 ぽかっ。
「まったく朝からもう…二人一緒に返してどうする気さ」
「え?」
「音声担当とヴィジュアル担当がいるのは、無論機密事項だろう。それなのに、二人まとめて返してネタばらしするのか?下手したらどちらかの命に関わるぞ」
「命…ってそこまで!?」
「そこまで」
 深々と頷き、
「これは俺の勝手な想像だけど…プラント評議会のトップは、おそらく穏健派だと思う。乃至は強硬派でも家庭内にはそれを微塵も持ち込んでいないか、だ。父親からいかれたナチュラルを殲滅すべし、と言う思想を植え込まれていれば、あんな天然少女は出来上がらない。縦しんば出来たとしても、ここがナチュラルの――敵の船と知ってあんな態度は取れまい?」
「確かに随分とおっとりさんだったけど…それがあの子達の命とどう関係するの?」
「プラントの歌姫=評議会のボスの娘だ。つまり、考えようによっては錦の御旗にする事も出来る」
「?」
 ?マークが浮かんだマリューの頬を、シンジがぷにっとつついた。
「分からない?」
「ごめんなさい…分からないわ」
 やれやれ、と肩を竦めて数度マリューの頬をつつく。
(ん…く、くすぐったいんだけど…)
 もじもじと身悶えするが、シンジの指を止めようとはしなかった。
「普通に考えれば自分達を迫害した挙げ句核を打ち込んでくるような連中は、殲滅すべしと考えて当然だし、ましてユニウスセブンに近親者や友人がいれば尚のことだ。そういう連中が評議会にいれば、親玉の穏便姿勢は歯がゆく映るだろう。軍務と家庭を完全に切り離している、と言うよりは穏健派と考えた方が可能性は高い。その議長の娘によく似た者を影武者に仕立て上げいざという時は――」
「いざという時は?」
「ナチュラルの暗殺者に和平派の議長は殺された。あくまでも和平努力を踏みにじるナチュラルは許せない、と娘が涙ながらに訴える。ただでさえ有名な歌姫と来れば、その効力は絶大なものだろうな」
「シ、シンジ君っ!?」
 跳ね起きようとしたマリューを軽く制して、
「可能性としてはあり得る、と言う話さ。おそらく…結構な可能性で当たっているとは思うけど。無論、今すぐにどうこうって事はないだろうが、ミーア・キャンベルは天然ボケをかます歌姫に手を焼いた音楽関係者が仕立てた…のではないような気がする。これはあくまでも私の想像に過ぎないけれど」
「シンジ君の勘って…結構当たるのよね」
「当たる。それも悪い方は特に、ね。とはいえ、こちらが何か出来る訳じゃない。それがもし事実とすれば、目的達成の為にも二人が同時に姿を見せればどちらかを――後々邪魔になりそうな方を始末しようとする可能性は高い。こちらに出来る事は、二人を一緒に返さないことと、ミーアを誰の手に渡すか無い知恵を絞って考える位の事さ」
「…そうね」
「俺の勘が当たるなら…終焉にも関わってくるかもしれない、が」
「終焉?」
「いや、何でもない。姉御、少しおやすみ」
「だ、大丈夫よ私まださっき起きたばっかり…シ、シンジ君…」
 シンジの黒瞳が、マリューの顔をじっと覗き込んだ。
「おやすみ、姉御」
「じゃ、じゃあ少しだけね…」
「ん。姉御の休息、と言うより状況を変えて考えてみたいんだ」
「え?」
「この艦長室でふんぞり返って考えれば、また違った案も浮かんでくるかもしれん。戻る事はおろか、来れた状況すら未だに分かっていないんだ」
(あ…)
 冷静さを失うことなく状況に対処しすぎたせいですっかり忘れていたが――シンジはこの世界の住人ではなかったのだ。
「シンジく…!?」
 言いかけたマリューの顔に、シンジの顔がすっと近づく。
 二つの影は一瞬重なり、そしてすぐに離れた。
「もう…えっちなんだから」
 妖しい手つきで唇に触れたマリューの目許は、うっすらと染まって見えた。
 それから十分後、
「艦長、レコアです」
「入れ」
「?」
 中から聞こえてきた声に、レコアは首を傾げた。いつからマリューの声は男の物になったのだ?
 扉を開けた瞬間、レコアの全身が硬直する。その視界に映ったのは、シンジの膝を枕に寝息を立てているマリューの寝姿であった。
「艦長はお疲れの為、休んで頂いている。レコア・ロンド、何用だ」
 艦長を膝に乗せ、艦長になりきってみたそれとは、明らかに異なるシンジの雰囲気であり、レコアは思わず直立不動の姿勢で敬礼していた。
「はっ、あの、その…せ、先日収容した二名の健康データを持って参りました」
「ありがとう。見せて」
「は、はい」
 書類を受け取って眺めたシンジは、
「二人とも健康体。異常は全く見られない、と?」
 訊ねた声は、最初にレコアをココアと呼んだ時の物であった。やっとレコアの表情が元に戻る。
「ええ、問題な…いえ、ありません。二人とも至極健康体ですわ」
「それは良かった。二人は今どうしている?」
「ミーア・キャンベルはシャワーを、ラクス・クラインは部屋にいるかと思いますが」
「分かった。二人の関係は従姉妹同士でよろしく」
「構いませんが…実態は?」
「レコアはどう思う?」
「私は…」
 レコアは小首を傾げて、
「よくは分かりません。ただ、何となく陰謀の匂いがしました」
 それを聞いてシンジはうっすらと笑った。
「単なる医務官にしておくにはもったいないね」
 レコアの口許に笑みが浮かび、
「私はこれで十分よ。あなたこそ、癒しには長けているんじゃなくて?男の膝で眠っただけで疲労が取れる艦長と――」
「おかしな物言いは止してもらおうレコア・ロンド」
 シンジの視線がレコアを捉える。睨んではおらず、ただ眺められただけなのに、レコアは確かに全身が凍り付いたのを知った。
「ご、ごめんなさい…」
「癒しの対は呪詛――自らの身体に凄まじい責め苦を与えても眠るのを怖れる悪夢を、話の種に一度見てみるか?とある知り合いからこっそり習ったが、未だ実践機会がなくて困っていたところだ」
「え、遠慮…するわ…」
 力なく首を振るのが精一杯であった。
 レコアが夢遊病者のように退出した後、
「ご免、起こしたね」
 シンジの指がマリューの髪に触れた。つい最前、視線だけでレコアを凍てつかせたとは到底思えぬ口調であった。
「いいの、昨日は結構眠れたから。レコア少尉に…恥ずかしい所見られちゃったわね」
「見られた、それで終わりだ」
「え?」
「口外する事はあり得ない。正確に言えば――出来ない。本人の意志とは関わりなく、口は動かない。その程度の芸当なら、何とか守備範囲だ」
「シンジ君…」
 脅かして口を封じたとか、そんなレベルではないらしい。
「ありがと、もう起きるわ。艦長席がいつまでも空いてると、また厳格な副長さんに怒られちゃうから」
「ふーん…ん?」
「え?」
「今、何て言った?副長がどうとか聞こえたが」
「あ、ああ例えよ例え。別に怒ったりはしないと思うけどね」
 笑って誤魔化したマリューに、
「そうじゃなくて。副長って誰?」
「バジルール少尉よ」
「あ?」
「だって、流れ的にそう言う感じでしょ?フラガ大尉には…勤まらないもの。本当は、艦長もしっかりした人の方がいいんだけどね」
 起きあがったマリューが、
「シンジ君…色々とありがとう。でも、自分の事も大事にしてね?今あなたに何かあったら、キラさんの精神状態がどうなっちゃうか…」
「つまりヤマトの精神状態維持用にって事?」
「ちっ、違うわ私はそんなつもりで――」
「分かっている」
 シンジの人差し指が、軽くマリューの唇をおさえた。
「最初は姉貴に似ているから助けたが、やはり放っておけない性格だな。世話の焼ける性格だ」
 うっすらと笑って、
「ナタル・バジルールが艦長になった場合、三日以内にストライクの攻撃で撃沈される可能性が94%だ。じゃ、俺はこれで」
 片手を挙げて出て行こうとしたシンジの肩が、ドアのところでおさえられた。
「ん…む!?」
 振り向きざまに、マリューの柔らかい唇が押しつけられる。舌は入って来なかった。
「だから私が艦長じゃないとならないのよ。頼りになるけど怖い人がいるから、ね?」
 婉然と笑ったマリューが、
「さっきのお返しよ」
「…不覚」
 一言呟いたシンジが、ふらふらと出て行く。したのではなく、されたのがショックだったらしい。
 
 
 
「嫌!嫌ったら嫌よ!」
「フレイ!」
 食堂から聞こえた言い合う声に、キラは足を止めた。その表情が微妙に変化する。中にフレイがいるのは分かっており、正直言ってあまり入りたくはなかったのだ。
 ヘリオポリスではごめんなさい、と謝ってはきたものの、
「サイ、これでいいの?」
 と言わんばかりにサイを見た事に、気付かぬようなキラではない。
 それでも食堂へ足を踏み入れたのは、もしかしたらシンジがいるかもしれないと期待したからだ。昨夜から姿を見ておらず、とりあえずステラの所にいないのは分かっているが――ステラも探している所へ鉢合わせしたのだ――何処にいるか分からない。
 もしかしたら端で、冷ややかに眺めている可能性だってあるのだ。
 がしかし――。
「あ、キラおはよう」
「うん」
 キラに気付いたカズイが軽く手を挙げたが、やはりシンジの姿はない。
「どうかしたの?」
「あの女の子の食事をさ、ミリイが持って行ってって頼んだら、フレイが絶対に嫌だって…それだけだよ」
「私は嫌よ。コーディネーターの子の所に行くなんて絶対に嫌。怖いじゃないのよ」
「…フレイ」
 キラが来た事にミリアリアが気付いてフレイを制した。
「あ、その…キラは別よ。それは分かってる。でも…あの子ザフトでしょ。コーディネーターって、頭がいいだけじゃなくて運動神経だってすごくいいって言うじゃない。もし何かあったらどうするのよ。ねえキラ?」
「え、えーと…」
 こんな時、何と答えれば良いのか。
 私もコーディネーターなんだけど、と?
 それともそんな事はないと思うけど…と?
 ちょっと困った顔になったキラを見かねた、かどうかは知らないが、ツッコミは想定外の方向から入ってきた。
「ちょっとあんた、ナチュラルの恥をさらすのもいい加減にしたら?」
「な、何よあんた…」
 隅でコーヒーを飲んでいた綾香が、足を組んだままこちらへ向き直り、フレイを睨んでいる。
「あんたが馬鹿なのは勝手だけど、その馬鹿さ加減を広められるとこっちまで同じ目で見られるのよ。アルテミスでそのキラっていう娘(こ)が、コーディネーターって平然とばらして売り渡したわよね。みんなから軽蔑の視線を向けられていたのに気付いてない訳?随分とおめでたいのね」
「な…っ!」
 フレイの顔が真っ赤になり、
「あ、あの場はああするしかなかったし、キラだって納得してくれたわよっ!あんたこそ、何も出来ないで震えていただけのくせにっ!」
 次の瞬間、綾香の身体が動いていた。あっという間に距離を詰め、フレイの胸ぐらを掴んでテーブルに押しつける。
「何も出来ない?言っとくけど、あたしは仲間を売って自分だけ安全な距離にいるほど屑じゃないの。このセリオにはね、対人戦――」
「来栖川綾香、そこまでで良かろう」
 長い髪を揺らして入ってきたのはシンジであった。
「シンジさ――」
 声を上げかけたキラだったが、その後ろにミーアがいるのに気付いて表情が少し硬くなった。
(どうしてシンジさんが一緒に…)
 シンジはつかつかとフレイに歩み寄り、その細い首に手を掛けた。力を入れる事はせぬまま、
「人間の生き締め、と言うのはやった事がなかった。出来れば一度してみたいところだった。異世界人は恐怖の対象にならないのか?」
 言葉も出ないフレイから手を離し、
「天然ボケの入ったようなコーディネーターの少女より、友人を平然と売り飛ばすおまえさんの方が、遙かに怖いと思うが?」
 そうよそうよ、と言わんばかりに綾香がフレイを見る。
「べ、別にキラは友人じゃ――!?」
「だから良いというに」
 シンジの手が綾香を止めていなかったら、その一撃は間違いなくフレイの顔面を襲っていた。それも平手ではなく拳である。
「ヤマトに謝った、とは聞いているが、本心ではなくガーゴイル辺りに強いられたからだろう。友人ではないし一人の犠牲で自分達が助かるのなら、とそれがフレイ・アルスターの本性なのだ。そんな性根を批判しても仕方あるまい。それが限界なのだから」
 風で叩きつける事もせず、火で炙る事もしていない。首に手を掛けはしたが、力は全く入れていない。
 前回とは違ってひどく静かなのに、その言葉は一字一句が冷たい刃となってフレイに突き刺さる。
「あの…碇さん」
「どうした?ミーア」
「いえ、私達のせいで随分とご迷惑をお掛けしてしまって…」
「別に迷惑という事もないが」
(私達?)
 キラ以外は、ミーアとラクスの事を知らない。
 とことことフレイの前に歩み寄ったミーアが、
「あなたは…地球軍の方ではありませんのね?」
「そ、それがどうしたのよ」
「私と一緒ですわね。私はミーア、ミーア・キャンベルと申します。仲良――」
「触らないでっ」
 ミーアが差し出した手を、フレイが払いのけたのだ。僅かにシンジの眉が上がったが、何も言わない。
 だがその背後で、凄まじい殺気の炎が燃え上がった。火元は言うまでもない。
「碇君…もう止めないわよね」
 シンジはふっと笑った。
「止めるに決まってるだろうが」
「何で!?なんでこんな馬鹿女放っておくのよ?こんな奴がいるとナチュラル全体が差別主義者に思われるわよっ」
「ほう…」
 綾香の顔をまじまじと眺めて、
「ミーア、そう思うか?」
 綾香の顔を眺めたまま訊いた。
「いいえ?」
 ミーアは柔く首を振り、
「コーディネーターの中にも、自分の能力を過信してナチュラルの人を見下すいけない人はいます。でもそれが全てではありません。ナチュラルにもコーディネーターを忌み嫌う人はいるでしょう。でも、こちらのような方は少数だと分かっていますから」
「と言う訳だ、綾香。この手の精神病患者がナチュラルの全てではない事位、ちゃんと分かっているそうだから安心するがいい」
「……」
 ふーう、と綾香が大きく息を吐き出すまでに十秒近く掛かったが、
「分かったわよ。そこまで言うなら放っておくわ。こんな馬鹿に一々腹立てるのも下らないしね」
「それでいい。精神を患った小娘相手に、正論を吐いたり義憤を感じるなど時間を浪費するだけだ」
 患者扱いされたフレイの肩が、ぶるぶると震えだした。
「…によ…何よいい子ぶっちゃってっ!コーディネーターなんて普通じゃない、摂理に反したコーディネーターがいるから世界がおかしくなるんだってみんなだって思ってるくせにっ!」
 当たる人間をすべて突き飛ばし、フレイが食堂から走り出ていく。
「フレイ…」
 一瞬追い掛かったミリアリアだが、その足はすぐに止まった。自分達を安全地まで送ると約してくれた異世界人は火や水や風を使え、この艦と自分達を敵から守ってくれるモビルスーツのパイロットはいずれもコーディネーターである。
 いわば、フレイの言う摂理に反した人間が満載の状況なのだ。ここでフレイを追う事は簡単だ。無論、フレイを追ったとてシンジもキラも、責めはしないだろう。
 だが少なくともシンジ達三人は、人種によって判断はしていないのだ。その中で、一人人種差別の炎を燃やすフレイを慰めに行く事は、ミリアリアには出来なかった。
「言っとくけど、今度あの馬鹿女が同じ事言ったら、全治六ヶ月にして病室に放り込むからね」
「仮定形は良くない」
「え?」
「必ず言う、と分かり切っているのに仮定形にするのは八百長というものだ」
「…違うと思うけど。まあいいわ、ところでなんでその子が艦内を出歩いてるの?その子、昨日漂流していたザフトの娘(こ)でしょ?」
「何か問題が?」
「何かって…私は知らないけど普通は隔離とかされるんじゃなくて?」
「姉御は…もとい艦長はそんなに締まりが…いや度量は低くない。別に艦内を…ん?」
 ふと気付くと、キラが自分をじっと睨んでおり、その様子をミーアが楽しそうに見つめている。
「ヤマト?」
「何でもありませんっ!」
「碇様、想い人を泣かせるのは良くありませんわ。碇様は女泣かせですのね?」
「…何だこの下界慣れした歌姫は」
「歌姫?」
 シンジの言葉に綾香が反応した。
「歌姫、歌姫…あーっ、思いだした!確かプラントの歌姫がラクス…ラクス?」
 さっき、ミーア・キャンベルと名乗っていなかったか?
「ラクス・クラインはヤマトが拾ってきた娘。こっちはステラが拾ってきたミーア・キャンベル。ラクスの従姉妹だよ」
 無論、ミーアには既に言い含めてある。
「ミーア・キャンベルです。よろしく」
 差し出された手を、綾香がきゅっと握る。
「来栖川綾香よ。こっちはセリオ。よろしくね。それと、私はナチュラルだけど、ナチュラルはあんな馬鹿ばっかりじゃないから」
 無論フレイの事だろう。
「分かっていますわ。聞き分けがなくて困った方ですわね?」
 あどけない顔でくすくすと笑う。
 可愛い物にはトゲがあるとは――こう言うのを指すのだろうか。
 
 
 
「ところであの二人、このまま連れて行くのかい?」
「あの二人?」
 パネルから視線を戻して聞き返したマリューの表情が、どこか艶があるように見えるとムウは気付いた。
 口調にも、どこかしら余裕があるような気がする。
(気のせいかな)
「ラクス・クラインと、ミーア・キャンベルだよ」
「ああ、あの子達ね。フラガ大尉はどう思ってるの」
「どうって…この後はもう寄港予定は無いだろう?このまま連れて行くしかないんじゃないか」
(普通はそう思うわよね)
 マリューは内心で微笑った。クルーゼ隊はまた来るから、つまり敵襲があるのは間違いないと織り込んで、その敵に持って行かせる事などシンジでなければ考えもするまい。
 既にコジローに命じて、二人が乗っていたポッドを全力で修理するように命じてある。怪訝な顔をしていたから、無論マリューの意図など分かりはするまい。
「連れて行けばどうなるのかしら?」
「どうって…そりゃ大歓迎だよ。なんせ一人はあのシーゲル・クラインの娘だ。利用方法は幾らでもある」
「父親が大政治家であっても、娘が政治家だったり軍人だったりするとは限らない、そうではなくて?」
「か、艦長?」
 いきなり何を言い出すのかと、ムウは目を見張った。
「彼女達は民間人よ。その彼女達を、政治利用されると分かっている所へ、嬉々として連れて行くのはどうかと思うけど」
「い、いや俺は別に何も…」
 ムウが口ごもった時、
「そう仰有るのなら彼らは――」
 挑戦的な口調が下から聞こえた。
「……」
 昇ってきたナタルが、
「今もこうして操艦に協力し、戦ってきた彼らも子供の民間人ですよ。それをお忘れですか」
 立ったまま、挑発的な視線を向けてきた。昨日までなら、間違いなくマリューはにらみ返していただろう。
 が、今のマリューには余裕がある。シンジと、キスしたりされたりをしてきたおかげなのか、気持ちに余裕がある事にマリューは気付いていた。
 そんな事でも私に絡む程余裕がないのね、と眺められる程で、昨日とは文字通り雲泥の差がある。
 そんな余裕が、小さな笑みとなって唇に浮かんだのかも知れない。そしてそれは、ナタルには挑発に映ったらしい。
「艦長には、随分と余裕がおありと見える。キラ・ヤマトや彼らを戦闘に参加させたのは確かにやむを得ない事情からでした。とはいえ、その一方であの少女達だけは巻き込みたくない、とでもおっしゃるのですか?随分と身勝手な人道主義もあったものですな」
 ふう、と溜息をついて、
「バジルール少尉、私が気に入らないのは分かるけど、そう言う絡み方ってヒステリックでみっともないわよ」
「な、なんですと!」
 精神的にどちらが優位か、端で聞いているムウにはよく分かる。何があったかは知らないが、今日のマリューは余裕たっぷり、と言うのかナタルを相手にしていないのだ。
 顔色を変えたナタルが詰め寄ろうとしたその時、
「『あの〜』」
 頼りない手が二本上がった。
 サイとトールだ。
「何かしら?」
「発言しても…いいでしょうか」
「いいわ、許可します」
 はっ、と一礼したサイが、
「俺…いや自分達は戦闘に参加した記憶はあっても、参加させられた覚えはありません。異世界から来た碇さんが俺達を安全なところまで送ると約束してくれて、キラも民間人なのに碇さんと一緒に戦っている。そんな状況を見ているだけが嫌で、自分達は志願しました。あくまでも自由意志です」
「それに、確かに年の頃は一緒かも知れませんが、完全に自分の意志で参加した自分達と、少なくともプラント側の人間で、しかもトップレベルの人の娘を政治利用する、と言うのは全然違うと思いますが…」
 その後を受けたトールの言葉にも、全く淀みも躊躇いもなかった。ミリアリアが見たら、さぞ株価が上がるに違いない。
 最初の頼りない手からは、想像も出来ない口調であり、内容であった。
「バジルール少尉、確かに私の言っている事は甘いかも知れない。でも貴女の言っている事は友を、そしてシンジ君を信じて志願して来た彼らに対し、とてつもなく失礼な事を言っていると分かっているの?」
 マリューの口調が厳しい物に変わった。
「戦友を思っての志願と、敵軍トップの娘を政治利用する事が同レベルに列せられる事かどうか、少しは考えてから物を言いなさい!」
 ギリッと歯を噛み鳴らすナタルから、サイとトールがついっと視線を逸らした。
 
 
 
 その日のおやつ時間――。
「ほう、そんな事があったのか」
「ええ…最初は黙っているつもりっていうか、何も言う気は無かったんですけど、なんか勝手に身体が動いちゃって…」
「俺も…」
「ガーゴイルとケーニヒにそんな根性があるとは初耳だ。見直した」
「い、いやあ…」
 トールが頭をかきながら、
「その…少しだけ碇さんに近づけたかなって…」
「私に?」
「だって碇さんならきっとこう言うんじゃないかなって…あ、す、すみません調子に乗っちゃってっ」
 打ち消すように慌てて手を振ったトールに、シンジは無論怒る事はなく、
「お前の想い人はああ言っとるが?」
 ミリアリアを見やった。
「その…」
 こほんと咳払いして、
「トール…なんだかかっこ良く見える…」
 きゅっと腕を絡めていった。
「ミ、ミリイ…」
「あーあ、見せつけてくれちゃって。お熱いこって」
 やれやれと肩を竦めたサイだったが、
「でも言い出しはサイだったんでしょ?私、サイの事見直したよ」
「キラ?えーと…本当か?」
「うんっ」
 目をキラキラさせて自分を見る少女から、サイは慌てて目を逸らした。
(ヤバイよ、俺マジヤバイ。だ、駄目だキラの目を見ちゃ駄目だ…俺がんばれ、超がんばれって…キラってこんなに可愛かったっけか!?)
 
 
 
 それから数時間後、第八艦隊先遣隊からの雑音が混ざった音声を拾い、ブリッジは湧き返ったのだが――それは同時に、増援部隊を追加して今度こそと燃えるクルーゼのヴェサリウスに、その意図を読ませる事でもあった。
 
 
 
 
 
(第二十二話 了)

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