妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第十九話:メイドと傭兵部隊から、料理係と洗濯係を調達する事
 
 
 
 
 
「たかが一昼夜でしょう。そんな事で私を呼び出すとは迷惑千万」
 ウニ頭を揺らし、妖々とやってきた黒瓜堂の主人だったが、シンジを診るなり顔色を変えた。
「黒瓜堂さん…」
 葉子の呼びかけにも答えず、厳しい顔でシンジを眺めている。
「豹太」
「は」
 続いてシンジを診た豹太が、
「オーナーこれは…」
「多分間違いない」
 この部屋には、葉子と薫子しかいない。他の者達は席を外している、と言うよりウニ頭の毒気に当たらぬように逃がした、と言った方が正解かもしれない。
「く、黒瓜堂殿っ」
 急き込むように声を掛けた薫子に、黒瓜堂はゆっくりと振り返った。
「精神(こころ)が空っぽですよ」
「『…え?』」
「んー、何というか…」
 顔に手を当てて考え込んでから、
「生ける屍ってやつですかね」
「『!?』」
 黒瓜堂の言葉に、二人の顔が一瞬で蒼白になった。危険なウニ頭一人の台詞ならまだしも、後ろに控えている豹太の顔がそれを肯定しているのだ。
「わ、若様が…な、なぜ…」
 絞り出すような声で訊いた薫子に、
「さてね?理由が一々明白になるなら苦労はしない」
 冷たく突き放した。
「何者かの陥穽に落ちた、と言われるのですか?」
 葉子の声もどこか震えている。
「だから分からない、と言うに。もっとも、この本邸は御前とミサト嬢の霊的結界が張り巡らされているし、シンジ君の気もそう簡単に術者の仕掛けを許しはしないでしょう。これは私の想像ですが…」
「『ですがっ!?』」
「精神世界にいるんじゃないかと思いますが。それもかなりディープにね」
「ディープ?」
「どこかにある現実世界ですよ。シンジ君ならば別におかしくもない。地蔵への供え物を信じるタチじゃありませんが…シンジ君の財布を」
「え?あ、はい」
 持ってきた葉子から受け取ると、黒瓜堂は自分の財布を出した。
「百五十万しかない…金塊でなくて申し訳ないが、とりあえず我慢してもらおう。このまま寝かせておいて下さい。葉子嬢、君がついていて」
「分かりました」
「あと一昼夜経って目覚めなかったら、シビウ病院の院長へ連絡を」
「『…分かりました』」
 二人の声には、明らかに一瞬躊躇いがあった。
 医者としても女としても非の打ち所がないシビウだが――その意中に誰がいるのか、よく分かっている二人だったのだ。
 なお、シンジのポケットに突っ込んだ財布が忽然と消滅したと知ったのは、それから数時間後の事である。
 
 
 
 
 
 セリオとまほろの目がちらっと自分の主を見た。いずれもシンジに捕らえられており、しかもその体勢に隙はない。
 無論、主の犠牲を厭わなければ、シンジを八つ裂きにする事など簡単だろうが、そんな事が出来る訳はない。しかも、無茶苦茶なシンジの言葉を信じるしかない状況なのだ。
「『……』」
 二人のメイド娘は静かに向き合った。
「あなたに恨みはありませんが…」
「分かっています」
「どちらが勝っても、恨みっこはなしにしましょう。では」
 一瞬の静寂が流れた直後、二人は同時に地を蹴った。その拳は真っ直ぐに額を狙っている。最初から必殺の一撃で勝負を決める気なのだ。
 だが、二人の拳が相手に触れる事は遂に無かった。間違いなく相討ちに見え、優と綾香の口から、あっと声が上がったその刹那、綾香とまほろの間に炎が飛んだのだ。
 反射的に二人が後ろへ飛び退く。
「戦闘メイドで、おまけに相討ちと分かっていても主を優先するか。ふむ」
 妙な台詞を口にして、シンジが二人を解放した。
「…ちょっとあんた何の真似よ」
「無機質な目であれば壊し合ってもらおうか、とも思ったのだがな。人外の存在のくせに、双眸に刹那色が流れた。失礼したね」
「『…え?』」
「禿頭が食堂で暴れていた時、私ともう一人、君らを解放した少女は外にいたのだ。あの時の動きで、君ら二人が人外なのは分かっていた。何の助走も前動作も無しにあの距離を一瞬で詰めるのは、人間には無理な注文だ。とはいえ、明らかに人型ロボットの原則を組み込まれていないメイド型ロボットが、単なる戦闘型というのならば二体も放置は出来なかったのでね。人間に危害を加えてはならぬと、少なくとも人に仕えるロボットには組み込んでおくのが原則の筈だ」
 世界は違ってもその辺は変わるまいと、シンジの読みであった。
「ち、違いますっ」
「うん?」
「まほろさんは戦闘用アンドロイドだけど、優しくて家事は得意だし料理も上手で…ちょ、ちょっとえっちな事とか苦手だけど僕の大事な人なんですっ!」
 だったら尚更だと思うが、と喉の辺りまで出掛かったのだが何とかおさえた。
「戦闘用アンドロイド、か。まあいい、そちらは?」
「うちで作ってる機体よ。本業は家事。別にAIをコントロールしなくても、一般人に危害など加えたりはしないわ。あの時は私の身が危険と判断したからよ」
「別に追求する気はないんだ。それより家事が得意なら、君らに協力してもらいたい事がある」
「協力〜?」
「既に食事して気付いたと思うが、はっきり言ってまずい」
「…料理人に喧嘩売ってる?」
「あれは料理人じゃない。整備兵か何かが、片手間に冷凍食品を温め直してるだけだ。ああ言うのは料理じゃなくて、食料という」
「ふうん…」
 綾香はシンジをまじまじと眺めて、
「いいわよ」
 拍子抜けする程あっさり頷いた。
「綾香様?」
「いいのよセリオ。さっきあんた達を止めた時、完全に見切っていたしね。それに、私達に向けていた殺気も疑似(フェイク)だったみたいよ。違う?」
「さて」
「…なんか癪に障る奴ね。まあいいわ、セリオとそっちの…まほろさんて言ったかしら、あなたもいい?」
「私は…」
 まほろがちらっと優を見る。こちらは綾香と違って、まだ納得していないらしい。
「僕はいいよ。その人が言うように、単に試したいだけだったのかもしれないし、僕もまほろさんも無事だったんだから」
「優さん…分かりました」
 まほろが向き直った。
「優さんがああ言っておられるから、ご協力はします。でも私はあなたを信用した訳ではないし、許した訳でもないんで…!?」
 言い終わらぬ内に、その足元が凍り付いた。文字通り、氷に包まれたのである。
 無論シンジの仕業だ。
「それはこちらの台詞だ。単に物騒なメイドロボットならいざ知らず、戦闘用アンドロイドとあっては危険性は比較にならん。この場で頭脳を作り替えられてみるか」
 冷ややかに言ったシンジの肩を、綾香がぽんと叩いた。
「止めなさいよ。あなた、この艦の側の人間なんでしょ?この娘が暴れて艦内を破壊でもしたら困るでしょ」
「別に困らんが」
「…そう言う時は嘘でも困るって言うのよ。大体、うちのセリオにだけ全部やらせようと言うの?」
「だから脳内を改造してまともな家事メイドに…痛!」
 スパン!
 ハリセンの一撃がシンジを直撃し、
「止めなさいっつーの。それとそこの坊やも、ちゃんと管理しとくのよ。次はあたしが仲裁に入れないかもしれないわよ」
 偉そうな口調だが、これもどこかシンジと似ている――それが至極普通に出てくるのだ。
「分かりました…」
 納得していない風情の優だったが、まほろのふくら脛辺りまで、既に厚い氷に覆われているのだ。どう考えてもまほろが不利と諦めたらしい。
 立ち上がった優に、
「少年、メイドを置いてどこへ?」
「お湯を沸かしてくるんですよ!これじゃまほろさんが動けないでしょう」
「必要ない」
「え…あっ!」
 シンジが手を翳した次の瞬間、まほろの下半身が水蒸気に包まれたのだ。一瞬顔色を変えた優だが、それが消えた時まほろの足は元に戻っていた。
「わざわざ湯を沸かすのも面倒な話だ」
「『……』」
「とりあえず今日の晩からお願いする」
 背を向けたシンジに、
「あのさ」
「何か?」
「ナチュラルにもコーディネーターにも、手から火とか氷なんて出せる奴はいないわよ。あなた…何者なの?」
「碇シンジ。通称異世界人という」
「異世界人〜?」
 首を傾げた綾香に、
「普通は違う世界から来た人の事を指します。一般的には空間同士が一時的に接触して起こると考えられています」
「ふーん」
 シンジが出て行ってから、
「それって…この世界の人間じゃないって事?にしては、随分と落ち着いてない?」
「そうですね」
 セリオは頷いて、
「綾香様でしたら、泣いて芹香様に助けを呼ばれるでしょうから」
「セリオうっさい!」
 
 
 
「バジルール少尉」
 後ろから呼ばれて、ナタルがぴくっと反応した。
「何でしょうか、ラミアス艦長」
 振り向いた顔は、まるで能面のようだ。勝ち誇ったマリューが更に追い打ちでも掛けに来たかと思っているから、無表情な事この上ない。
 その肩をぽんと叩き、
「そんな顔しないで、ナタル。朝は言い過ぎたわ」
「え?」
「艦内物資を考えれば、出来れば余計な人数は増やしたくないところだし、自分が経験して無理だと分かったからこそ、私に言ったのでしょう?」
「え…艦長?」
 ナタルがもう少しマリューに近い性格であれば、二人はあっさりと和解出来たかもしれない。
 だがナタルは根っからの軍人であり、物事はすべて策として考える所がある。マリューの言葉も、自分を持ち上げて叩き落とす作戦と読んでしまったのだ。
「そう思って頂けたのなら幸いです。ラミアス艦長」
 ビシッと敬礼したナタルに、マリューの眉がぴくっと動いた。マリューには元々他意は無かった。シンジの膝枕で眠って機嫌も直って疲れも取れたし、ここはやはり自分から折れて仲直りしておこうかと思っただけである。
 シンジに言った事は本心だったのだ。
 がしかし、ナタルがそれを遠回しに拒否しているとマリューはすぐに察した。マリューもまた女なのだ。
「貴女があくまで強情に意地を張るなら別に構わないわ。好きにすれば」
 マリューの言葉に、今度はナタルの眉が上がった。
「あっさりと本性を出しましたね。貴女は最初からそれが目的だった――私が応じれば私を侮辱する気だったのでしょう」
「…何ですって」
「…何でしょう」
 軍服姿の女同士が睨み合い、視線が火花を散らす。廊下の一角に危険な雰囲気さえ立ちこめたが、それを破ったのはシンジの声であった。
「姉御、過不足が分かった。今どこにいる」
「…今行きます」
 答えながら、マリューはナタルから視線を外さず、ナタルもまたマリューを睨んだままだ。
「『……』」
 まだ睨み合っていた二人だが、ほぼ同時にふいっとそっぽを向き合った。
 
 また一歩、関係悪化が前進したらしい。
 
 部屋へ戻ってきたマリューは、ゆっくりと深呼吸した。一回、二回…四回深呼吸してからドアを開ける。
「お待たせしたわね」
「うん」
 ちらっと顔を上げたシンジが、マリューの顔を見た。
「……」
「な、何かな」
「つくづく…表情の演技が下手と見える」
「な、何の事?わ、私は別にっ…」
「別に構わないよ」
「え?」
 シンジは軽く片手を上げた。
「別に二人の喧嘩に首を突っ込む気はない。元から合わなさそうなのは分かってるし」
「……」
(バレバレ、か…)
「メイドさんの件だが、一応片が付いた。お二人様、食事系をまかなってくれるそうだ。これでだいぶましになるでしょ。それと、洗濯系は別に発見した」
「別に?」
「アルテミスで拾った残存兵の中に適当なのがいたから」
「ふうん…!?」
 人名の書かれた用紙を見たマリューの顔色が変わった。
「シュラク隊!?」
「は?」
「マーベット=フィンガーハットを筆頭に、女性ばかりで構成された隊よ。流れ者の傭兵なんだけどね、グリマルディ戦線では、彼女達がいなかったら地球軍は壊滅していた、とすら言われる程よ。装備と戦果が完全に反比例しているのよ」
「良い方に?悪い方に?」
「断然良い方によ。あちこちを渡り歩いていると聞いたけど、まさかアルテミスにいたなんて…それで、あっさり承諾してくれたの?」
「勿論」
「そう…」
 どう考えても腑に落ちないのだが、説得したのはシンジだしと納得する事にした。
 ただし、マリューは知らない。
 シンジは恫喝も、甘い言葉も使っていない、と言う事を。
 こう言ったのみである。
 家事も出来ない女など、脂肪の塊が女の皮を被っているだけに過ぎない、と。最大限の挑発に、抑え役である筈のマーベットからして乗ってしまったのだ。
「つまりあれだ――飛べない豚はただの雌豚」
「何ですってっ!?馬鹿にしないで、家事位出来るわよっ!」
 目下、洗濯物の山を前に何か変だと、首を傾げている所である。
「ステラが頑張ってくれたおかげで、弾薬とか物資は少し増えたが、やはり一番の問題は水だな。水が足りない。正直、俺の精(ジン)で補えない事はないのだが、地上じゃないから不安が残る」
「そうね…。何とかしないと…あら?」
 不意に手元の電話機が鳴った。
「どうしたの?」
「懸案が片づくかも知れん。艦長、ブリッジへ来てくれ」
 通信はムウからの物であった。
「懸案が?分かった、今行く」
 通話を切ったマリューが、
「シンジ君も一緒に来てくれない?」
「俺が?」
「懸案って言ったら物資の事しかないし。無理にお願いはしないけど…」
 少し考えてから、シンジは頷いた。
「ごめんね、付き合わせちゃって」
 
「デブリ帯で補給を!?」
「ああ、この状況ではそれが一番…というよりそれしか無いだろう。他にあるとすれば、迎えの艦隊だが今は期待出来そうにないし…」
 ムウの歯切れが妙に悪いのは、マリューの側にシンジがいるからだ。呼んだ時はまさかいるとは思っていなかったのだが、何故か付いてきた。
(なんで来るんだよ、こんな時に…)
 内心でぼやいたムウだが、まさかマリューが引っ張ってきたとは思いもしなかった。
「デブリ帯で…ね」
 呟いたマリューを、シンジはちらりと見た。眺める風情が強いのは、事情を知らないからだ。
 第一、デブリ帯という単語などシンジの知識にはない。デブリという名の隊か、位に思っているだけである。
 補給が絡んでいるから、結構重要そうな気もするが、ここにナタルの姿はない。正確に言えば、マリューと入れ違いで出て行ったのだが、一瞬だけ絡んだ視線が火花を散らし、二人が一言も口を利かずにお互いそっぽを向いて擦れ違うのを、シンジは何も言わずに見送った。
「姉御、それは有名人か?」
「へ?有名人?」
「デブリ隊、ではないのか」
「デブリ帯…」
 舌の上で転がすように反復してから、ぽんっと手を打った。得心したらしい。
「字が違うわ。人のそれじゃなくてデブリ帯、言い方を変えればデブリベルトよ。要するに、人類が宇宙に出て以来色々と置いてきたゴミの山よ。よく言えば宇宙の墓場なんだけど…はっきり言っちゃえばゴミ捨て場ね。迂闊に近づくとこっちまで引きずり込まれて、そこの住人になりかねないわ」
「ほう…で、フラガはそこで何をしようと?」
「あ、いやその…なんだ、戦闘で沈んだ戦艦とか沈没した民間船とかあるんで…その、そこから少し拝借しようかな、と」
「器用な事を考える」
「き、器用?」
「没収ならいざ知らず、拝借ならば借用だろう。無論返さねばなるまい。どこかで物資を補給したら、また返しにくるのか?」
「い、いやそれは言葉のアヤで…」
(そうか、そう言う事か)
 シンジを黙って見つめているマリューを見て、ムウはなぜマリューがシンジを連れてきたのかを知った。
 確かに、ヘリオポリス組の中でサイ達は軍属として、地球軍に志願したが、徴兵とはそもそも異なっており、完全に自由意志だ。しかも、キラに至っては未だに立場は民間人である。
 ムウは、シンジがいる限りキラが志願する事は無いだろうと見ている。それにステラはオーブの軍属だ。
 だが、アークエンジェルに吸引機能がある訳ではないから、回収作業は彼らに任せざるを得ない。現状から考えると反発する可能性が高く、しかもそれを強引に抑え込むだけの権威はないのだ。
 だからシンジを呼んだのだろう。シンジがゴーサインを出せば、誰一人として嫌がる者はいるまい。よく分からないが、彼らの間でシンジは絶対的な存在らしいのだ。
「そう言えば…」
 ふと思いだしたようにシンジが言った。
「劣化人種のナチュラルが、コーディネーターに核を打ち込んで数十万人を虐殺した事があったろ」
「『!』」
 シンジの言葉で、ブリッジ内に一瞬にして緊張が走る。責めている口調がないだけに尚更だ。
「え、ええ…」
「遺体やら何やら全て回収されたのか?」
「さ、さあ…それは…分からないわ…」
「大量に殺しておいてあとはどうでもいい、か。つくづく劣化人種だな、ナチュラルというのは」
 冷ややかに言い捨てたシンジに、
「し、失礼ですが…」
「あ?」
 士官の一人が声を掛けた。
「自分は、ジャッキー・トノムラであります」
「ほう。で、そのチャッキーが何を?」
 ジャッキーと言っただろが!と言うツッコミは、内心にしまいこんだ。
「わ、我々ナチュラルが、理由もなくコーディネーターを排した訳ではありません。無論…」
 言いかけたジャッキーに、シンジは軽く手を挙げた。
「やめておけ、これ以上ナチュラルが度し難い人種で、畜生にも劣る存在であるとご丁寧に説明する事もあるまい。無論、全てのコーディネーターが、ナチュラルとの共存を望んだとは言うまい。中には見下す者もおり、それを脅威に思う事もあったろう。だが、見下したついでに首をねじ切ってみたり、ナチュラルのくせに生意気だと、自分達の奴隷にしようとでもしたのか?反撃の手立てがないのをいい事にテロを起こし、誅殺を企み、挙げ句の果てには核のプレゼントだ。これ以上の言い訳は、自分達は屑だと説明するようなものだ」
「……」
「別に劣等さを再確認しようと言う訳じゃない。この世界の住人でもないし、俺には関係ない事。そうじゃなくて、近づく者を引きずり込むとさっき姉御は言った。核を打ち込まれたコロニーの残骸が漂流して流れ着き、万単位で遺体を見る事になりはしないか、と言っているのだ。そのコロニーがあった場所はここから遠いのか?」
「あり得ない距離じゃ…ないわ」
 マリューは正直に認めた。シンジがナチュラルという人種に対し、嫌悪感に近い感情を持っているのは分かっているし、今更取り繕っても仕方あるまい。
 ただ、シンジのこういう姿しか見ない者は、コーディネーターのキラと同乗したストライクごと寝返ってもおかしくない、と考えるかもしれない。
「……」
 しばらくパネルを眺めていたシンジは、
「却下」
 首を振った。
「やっぱり駄目?」
(やっぱりって艦長…)
「ガイアが使えないからな。今のヤマトは少々不安定になってる。水がこれしかないからこれを使え、と言う事じゃないでしょ。作業に狩り出す気でしょ?」
「え、ええ…」
「なら無理だな。今のヤマトに浮遊死体が集まって出来たオブジェを見せたくはないんだ。これ以上不安定になられると、次の戦闘に支障が出る。ストライクに、ヤマト以外に乗せられる者はいるまい?」
「『……』」
 シンジ自身はさほど嫌そうでもなかったが、キラの精神状態が不安だから無理だという。
「艦長、キラお嬢には俺から話してみ――」
「宇宙の藻屑になりたいのなら止めないけど?」
 言いかけたムウの言葉を、マリューが冷ややかに遮った。
「い、いや俺は別にそう言う意味で言った訳じゃ…」
「別に構わないけど」
「『え?』」
「俺ではヤマトを甘やかすから自分がビシッと言って聞かせる、とフラガはそう言っているのだろう。エンデュミオンの雀がどこまで出来るか分からないが、お手並み拝見でも構わないけれど?」
「ほら許可が出たぜ?」
「…大尉は黙っていて下さい。あなたが言ったって、キラさんのダメージが軽減される訳ではないでしょう」
「はいはい」
 肩を竦めたムウだが、シンジは別に地雷原を投下する気だった訳ではない。確かにキラは優秀な少女だが、シンジの目から見れば余りにもか弱すぎる。その面だけがキラの全てなのか、見てみたいと言う思いもあったのだ。
 しかも、反対はしたが代案がないと来ている。あまり格好のいいものではない。
 ムウの方も、何となくシンジから危険の匂いを感じなかった為の台詞だったのだが、マリューには分からなかったらしい。
「んー…」
 パネルを眺めていたシンジが、ふと思いだしたように顔を上げた。
「姉御、ステラが回収してきた団体の…何と言ったかな?」
「シュラク隊?」
「シュラク隊!?お、おいおい、今シュラク隊って言ったのか?」
「ええ。ステラさんがアルテミスで回収してきたの。ついでに、今は洗濯係だそうよ」
「……」
 ムウは、あんぐりと口を開けた。自分のそれより装備の劣るMAでジンの前に立ち塞がり、しかも散々翻弄してから悠々と引き上げた勇姿は、今も脳裏に焼き付いている。
 その勇猛なシュラク隊がなぜ洗濯係などしているのだ!?
「料理係は見つけたが、洗濯担当がいない。丁度いい所に丁度いい連中をステラが拾ってきたので洗濯係に免じた、それだけの事だよ。この非常時に、洗濯出来る連中を遊ばせておく余裕は無いし」
「洗濯係、ねえ…」
 何とも複雑な思いで溜息をついたムウだが、シンジには関係ない。と言うよりも、単純に洗濯担当としてしか見ていないのだ。
「姉御、もしヤマトにやらせるとして、ストライクで船を担いできて艦内で解体するのか?」
「いいえ、ミストラルという小型のポッドがあるのよ。兵器は大尉のMAとストライクしかないけど、ミストラルは十数機積んであるからそれを使うわ。汎用性も高いし、作業にも向いてるの」
「ふうん…じゃ、ステラ使うか」
「ステラさんを?」
「戦闘にはならないだろうし、作業の補助位だろ?それならストライクにステラ積んで出て貰って、作業は洗濯係の皆さんにやってもらう。昨日まで一般人だった学生よりは遙かに使えるはずだ」
「ストライクにステラさんを?戦闘はないかも知れないけど…いいの?」
「ヤマトは次の戦闘時まで冷蔵保管だ。どう考えてもその方がいい」
 そんな事言ってるんじゃないのよ、とマリューは内心で呟いた。
 サイ達は、アークエンジェルを見捨てられないから志願した、訳ではない。
 キラが乗っているのは、ヘリオポリスを沈めたザフトを許せないから、ではない。両方とも根幹部分でシンジが関わっている。
 無論全てではないが、目下ストライクはシンジを合わせてワンセットになっており、キラが一人で出撃したりすると、先般のような事になる。キラの想いは、単に道具として見ているシンジとは、かなり異なっているとマリューは見ているのだ。
 そのキラが、例えシンジが乗らないとは言え、ストライクにステラを乗せると言って納得するかどうか。
(火種にならなきゃいいんだけどね)
 かと言って、シンジの言う通り死体の山にでも遭遇すれば、キラの精神状態にどういう影響があるか分かったものではない。
(結局…子供を使わざるを得ない大人が役立たずって事、なのよね…)
 無論、人数がいればまた話は変わってくるのだが、如何せん現在の人数ではどうしようもない。観光旅行で言うところの最少催行人数というやつだ。
 料理や洗濯に至っては、女手皆無の有様である。女手が出来たのはひとえにシンジのおかげで、マリューならば、と言うよりシュラク隊を少しでも知る者であれば、彼女達を洗濯係になど思いも寄らないだろう。
 異世界人のシンジで、まったく先入観がないからこそ出来たのだ。
「姉御、それでいい?」
「…え?あ、ああ…そうね、シンジ君に任せるわ」
 シンジに丸投げしちゃえ、と言う考えがまったく浮かばなかったとは言えない。
 とまれ、
「じゃ、決まりね。俺は夜のお仕事があるからこれで」
「よ、夜の仕事?」
「そ。それとその前に洗濯係を一部配置換え」
「…お願いね?」
「分かってる」
 シンジは片手をあげて、ふらりと出て行った。
 
 それから数時間後、シンジはベッドの上で天井を見上げていた。今度は少々手こずったが、シュラク隊に物資の奪取作業をしてもらう手筈は整った。
 ジュンコ=ジェンコと名乗ったブルネットの娘は何となく印象に残っているが、他も皆動作に無駄な部分が全くなく、一挙一動がよく鍛錬されたものであった。
 マリューの話ではどこかで大活躍したらしいが、
「さもありなん。納得いく話だ」
 シンジが呟いた時、ドアが控えめにノックされた。
「どうぞ」
「お邪魔…します」
 リスみたいにそっと顔を出し、おずおずと入ってきたステラの服装はイチゴ模様のパジャマ姿であった。
 なお、イチゴはサンエンジェルである。
「よくお似合い」
 何でこんな物が艦に積んであるのかと、内心で首を傾げながらも褒めると、ステラの頬がほんのりと赤くなった。
「少し…恥ずかしいかも…ちょっと、むこうを向いていて…」
「ん」
 ちらっとステラの胸元を見て、
(控えめだ)
 などと、ろくでもない事を考えながら身体の向きを変えたシンジの耳に、間もなく衣擦れの音が聞こえた。
 
 しゅる…。
 
(しゅる?)
 パサッと落ちるならまだしも、少し妙な音だとは思ったが、ステラとの約束があるから振り向かなかった。
 がしかし。
 しゅるしゅる…ふぁさ…しゅる…。
(何!?)
 こちらの文化を考えるに、日本とさして差異はないようだ。となると、ステラが身につけているのは四枚だろう。
 縦しんば――全裸になるとしても、何故こんなに時間がかかる?
 いや、それよりもこの音は何なのだ?
(あー、気になる!)
 この世界の構造より、今自分がいる環境の詳細より――その十二倍近く気になるものの現出に、一人悶々としていたシンジだったが、懊悩の時はまもなく終わりを告げた。
「もういいよ…」
 振り向いたシンジの眼が大きく見開かれた。
「た、谷間!?」
 第三ボタンまで、一つ余計に外した上衣の胸元にあるのは、明らかに谷間であった。それも無理に作ったものではなく、それどころか明らかに重量感が感じられる。
「寝る時もあまり外さないけど今日は…」
「……」
 シンジの視線がゆっくりと床へ向く。そこにわだかまっていた白布に、シンジの口が小さく開いた。
「アンビリーバボウ」
 半ば呆然として呟いたシンジを見て、くすっと笑う。
 満足したらしい。
 
 
 
 
 
(第十九話 了)

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