妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第十話:照り焼きと包み焼きと蒸し焼きの乱舞
 
 
 
 
 
「ち…違う!俺は…っ!」
 吐き出すような言葉が聞こえてくるまでに、十数秒かかった。
「俺は…なに?」
 先に反応したのはキラであった。シンジの方は、ミサイル発射と同時に撃沈され、そのミサイルが建物に直撃した様を眺めていた――チェックメイトだな、と内心で呟きながら。
「お、俺は…」
「分かっているさ、アスラン・ザラ」
「え?」
「丸焦げになったヤマトの姿を見てみたかった、だろう?」
「な…何っ」
「一瞬の逢瀬ではなく、お前は俺に捕らえられ、キラにとっちめられていた。キラと分からなかった、と言う事はあり得ないし、ましてさっさと逃げ込んだお前に、ヤマトがストライクに乗ると思ったとは言わせん。或いは、ヤマトの照り焼き――」
 物騒な台詞はそこで途切れた。シンジが呟いた通り、撃墜された敵機の放ったミサイルがとどめとなり、とうとう大地が割れだしたのだ。
 アークエンジェルとの通信を開いたシンジが、
「姉御、聞こえるか」
「え、ええ聞こえてるわ。そっちは大丈夫なの?」
「問題ない。それより、避難は完了済か?」
「一般人はね」
「一般人?」
「管制室で管理してる人数は、全員退避済み。だけど、不法入国者までは…」
「残ってる人間は犯罪者って事だな。分かった、いたらこっちで斬っておく」
 その間にも、大地の崩壊で辺りは凄まじい爆風に見舞われ始めた。
「シンジ君、ストライクを早く帰投させて。このままじゃ危ないわっ」
「ヤマトが操縦してるから大丈夫。それより、こっちはいいから宇宙空間に出て体勢を立て直して。そっちが沈んだら帰る場所が無くなる」
「分かったわっ」
 その場を離れ、と言うより半ば吸い込まれるようにふらつきながら、アークエンジェルが離脱していく。
 それを見たシンジが、
「ところでヤマト、モビルスーツで宇宙に出るのは初めて?」
「ええ」
「じゃ、初体験だな」
 危機感を微塵も感じさせないシンジの雰囲気のせいか、或いは笑みを含んだ言葉のせいか、キラの顔がうっすらと赤くなった。
「どうした?」
「べ、別にっ」
 横を向いたキラに、
「そろそろ吸い込まれる時間だ。ヤマト、少しベルトを締め付けるから」
「はい」
 ベルトがきつく締められ、二人の距離が更に近づく。と言うより、ほとんど密着状態だ。
「そこにいるヤマトの蒸し焼き注文男は後回しだ。とりあえず…吸われるぞ」
 シンジの言葉が終わるか終わらないかの内に、ストライクの背後で宇宙への扉が開いた。辛うじてソードを収納した瞬間に、凄まじい勢いで機体が吸い出されていく。
 反射的にレバーから手を離し、キラはシンジにぎゅっとしがみついた。崩壊する大地を眺めながら、シンジがその肩を軽く抱く。
(キラ…っ)
 一方イージスの中では、まるで食人族みたいな扱いをされたアスランが、きつく唇を噛み締めていたのだが、ストライクの二人はアスランの事などすっかり忘れていた。
 
 
 
 
 
「ヘリオポリスとの連絡が途絶えた?」
 コーヒーカップを手にしてスクリーンを眺めていたエリカ・シモンズは、その綺麗な眉根を寄せた。
 モルゲンレーテ社の技術開発主任で、ザフトの来襲でヘリオポリスのモルゲンレーテが空になった時は、オーブの本社にいた。
「困るのよね、定時連絡をサボられると」
 無論、実態はそれどころではなく、ヘリオポリスにあった社屋は宇宙に吹っ飛ばされているのだが、そんな事は分からない。
「まったく最近の若い子はサボる事ばかり考えるんだから」
 ブラックを飲み干して、苦い口調で呟いたエリカだが、その表情がふっと緩んだ。彼女の視線は一葉の写真に向けられている――それは、娘の写真であった。
 
 
 
 
 
「家の解体現場を持ってきたような感じだな」
 正直、さすがのシンジも宇宙に放り出される時点で、いくばくかの恐怖はあったのだが、一応息はちゃんと出来るし言葉も出る。
 少し耳鳴りがする位のものだ。既に周囲の観察に入っていたシンジが、ふとキラの様子に気付いた。
「ヘリオポリスがこんなに壊れ…壊れっ…」
 譫言のように呟くキラを見て、シンジは座席のベルトを外した。身体を自由にしてからキラの肩を掴み、向きを変えてその顔を自分の胸に押しつける。
「壊れ…もご!?」
 不意に自由を奪われて、キラがジタバタと暴れるがシンジは離さない。二十秒位立ってから、漸くキラを離し、
「落ち着いた?」
「大丈夫…すみません」
「ヤマトはずっと此処にいたのか?」
「ええ…」
「そうか」
 宇宙に浮かぶ塵を見ながら、
「ならばショックも大きいだろうが、敵を退治した訳じゃない。気を抜くと、今度はこの機体がこうなりかねん。俺では所詮、補助しかできないのだ。精神的にきついと思うが、もう少しがんばってくれ」
 シンジの言葉に、キラがこくっと頷いた。手の震えは止まっているし、もう心配なかろうと向き直らせようとしたが、その手が掴まれた。
「ん?」
「もう少し…もう少しだけこのままでいさせて下さい…」
「……」
 身を預けてくるキラを片手で抱き寄せ、シンジは自分の左手を眺めていた。こっちの手をどうしようかと、迷っていたのである。
 暫し沈黙が流れた後、
「ヤマトは、一人でこのコロニーへ?」
「いえ…両親も一緒でした…」
「犯罪者か?」
 不意にシンジが、ろくでもない事を言い出した。
「は、犯罪者?」
「正確に言えば、不法滞在者なのかって事だ。そうなのか?」
「ちっ、違いますよっ」
「ならば問題ない」
「あの…シンジさん?」
「アスラン・ザラをとっちめていてヤマトは聞いてなかったようだが、さっきマリューの姉御に確認した。管理局に登録されている人間は、全て避難したらしい。残っているのは管理出来ない連中、すなわち不法入国の連中だけと言っていた」
「良かった…」
 心から安堵の表情を見せたキラの頭を、シンジは軽く撫でた。
「有事の時の手配がしっかりしていれば、遠くないうちに会える筈だ」
「そうですよね。あの…」
「ん?」
「シンジさんもご両親はおられるんでしょう?心配なさってるんじゃありませんか?」
「されたら困るが――いつもなら」
「え?」
「物わかりの良い姉と祖母のおかげで、早くから海外を一人でウロウロさせてもらっていた。留守中に余計な心配などされたらたまらんぞ」
「じゃあ、異世界に来ちゃっても大丈夫?」
「大丈夫…って、幾ら何でもそれは無理だ。そもそも、ここへ来る直前まで、メイドさんの膝を枕に昼寝中だった。つまり、いきなりの人間消失だったわけだが。それと親はいない、と言うより行方不明だ。いい年した夫婦が、いちゃいちゃしながらどこかを旅行でもしているのは間違いないところだが」
「あ…ごめんなさい、変な事言っちゃって」
「端的に聞けば俺でもそう思うから大丈夫。それよりも、ヤマトの方が問題だ」
「私の?」
「碇シンジという存在は、ある意味希有だ。普通ならば親がこんな自由にさせないし、その結果として妙な度胸がつく事もない。だからこんな状況になっても、とりあえずまったりしていられるわけだ」
 まるで他人事みたいに言ったシンジが、
「でも、キラ・ヤマトは違う。元から戦争が嫌いで、人を燃やした事も撃った事も斬った事もない、ごく普通の優しい女の子だ。蒸し焼きにされかかった位で、戦争に身を投じろと言うのは酷な話だ」
「シンジさんは…このまま地球軍に味方されるのですか?」
「戦争に参加するのか、と言う意味?」
 キラは小さく頷いた。
「戦争などどうでもいい。ただ、ザフトとやらに降らない事と、どこかでのんびり避難していて、ふっと元の世界に帰れるとは思わない事、この二つだよ。味方、と言う発想はないし、軍への組み込みなどお断りだ。もっとも、六人を安全な場所まで送るのが最優先だから」
「……」
 キラはシンジに寄りかかったまま、少しの間口を開かなかった。シンジはと言うと、物珍しそうに辺りを見回している。
 まさか、この年で宇宙旅行が出来るとは思わなかったのだ。状況は少々奇異だが、宇宙旅行の一種に変わりはない。
 ふとその表情が動いた。
「うん?」
「シンジさん?」
「あっちだ」
 その手が動いて左側を指した。
「あっち?」
「アスラン・ザラがいる。おそらく、運搬船もあの方向だろう」
「見えたの?」
「まさか。ただ、気配がした。崩壊したヘリオポリスの残骸からは、感じなかった気配が。討伐しに行ってもいいが、ヤマトは少しお疲れだろう?」
「ごめんなさい、少し…」
「私と違って無駄に頑丈じゃないからな。もう少しふわふわしていくか」
「はい」
 がしかし、静けさはすぐに破られた。
「X105ストライク、X105ストライク、応答せよ!」
 女の声が飛び込んできたのだ。宇宙に放り出されてからは、アークエンジェルと連絡を取っていないが、今は心配されたい時間ではない。
「誰だ貴様」
 シンジの低い声に、向こうからは硬直した気配が伝わってきた。
「ナ、ナタル・バジルール少尉であります」
「そのバジルールが何の用だ」
「い、いえその…」
 安否を気にして――重要なのはストライクだが――呼びかけて、まさかこう返ってくるとは思わなかった。
 一瞬視線を宙に泳がせたナタルを見て、
「こっちに繋いで」
 通信を切り替えたマリューが、
「マリューです。キラさんは大丈夫?」
 シンジは、とは訊かなかった。無論気にはなるが、シンジは例え自分が重傷を負っていてもキラを優先すると分かっていたからだ。
「少しお疲れだ。連中のいる方向は分かったが、追撃も面倒なのでそろそろ戻る」
「ええ…え!?ザフト艦の?」
「ほぼ間違いあるまい。どうかしたか?」
「い、いえ…それで、目視出来る距離にいるの?」
「違う、そんな距離じゃない。ただ気配をまったく消していないからいるのは分かる。こっちに気付いて追ってくるような距離じゃあるまい」
「そう…こちらの位置は分かる?」
「何とかなる」
「では帰還して。気をつけてね」
「ん」
 通信を切ったマリューに、
「ザフト艦がどうかしたのか?」
 ムウが訊いた。
「いる方向が分かったらしいのよ。気配を感じたんですって」
「気配を感じた?んな訳がな…」
 ないだろう、と言いかけて止めた。人間の手から炎が噴き出し、それによって自分も炭化させられそうになったのは、つい最前の事だ。
「それで距離は?」
「そこまでは分からないみたい。ただ、こっちに気付いて追ってくる距離じゃないだろうって言ってたわ」
「じゃ、見つけたのは髪の長い方か…」
 呟いたムウの口許が、微妙に歪むのをマリューは見逃さなかった。キラを始め、サイやトール達は完全に信頼を置いているのにね、と内心で小さく笑った。
「シンジ君が言うのならおそらく間違いないわ。ただ、もし戦闘になったらストライクは問題ないけれど、こっちはきついわね。陣容が薄すぎるわ」
「ああそうだな…で、どうする?」
「さっさと逃げるのが一番でしょうね。君子危うきに近寄らず、だわ」
 そんなアークエンジェルの方針会議など知らぬ二人は、水を差された格好になり、そろそろ帰投しようかいう所であった。
「じゃ、シンジさん行きますね…あら?」
「どうした?」
 不意に金属音が鳴り響き、キラがはっと顔を上げた。
「待って下さい今モニターに…」
 拡大して映し出されたのは、光を発している乗り物であった。
「これは?」
「…これはヘリオポリスのポッドです!」
「何でそんなものがこんな所に?」
「多分、機関部が故障して動けなくなっちゃったんだと思います。それで漂流を…」
「宝物積んでるのかな」
「え?」
「いや、いい物があったら没収して…冗談だ」
 身ぐるみ剥いだ上で火精の試し撃ちに使う、とも言っていないのに、眼をうるうるさせてキラがシンジを見る。
(つくづく…戦争には向かない娘だな)
 それは少し間違った認識だった、とシンジが知るのはしばらく経ってからの事だ。
「言ってみただけだ。このまま放置はできないのだろう?分かっている、回収して戻るぞ」
「はいっ」
 よいしょとポッドを担いでアークエンジェルに向かう。
 だが二人を待っていたのは、受け入れ拒否の応答であった。
「駄目?どうしてですか!避難している人達が乗っているんですよ。壊れて漂流していたのに、また放り出せと言うんですかっ!」
「許可していないのに勝手な行動を取るな。ストライクはいつから救命ポッドの回収役になったのだ」
 頭から相手にしてない、という口調はナタルだ。
「そんな事言ったって、浮いていたんだから仕方がないでしょう。放り出す事なんて出来ませんっ」
「……」
 シンジは交渉せず、黙って眺めていた。
「すぐに救援艦が来る。第一、アークエンジェルは戦闘中だと分かっているのか!」
「で、でもっ」
 言いかけたキラの肩をシンジが叩いた。
「置いて」
「シ、シンジさん…」
「いいから」
「分かりました…」
「そうしたら、次にソードを抜く」
「ソードを…ですか?」
「そうだ。抜いたら大上段に構えて、そのまま艦橋横に回れ。そこで思い切り振り下ろすんだ」
「そうすると?」
「艦橋がぶった切られる。この女、バジルールとか言ったな。生身で宇宙に放り出されれば、少しは避難民の気分も味わえるだろう。ヘリオポリスが崩壊した原因を、都合良く忘れたと見える」
「……」
 数秒黙っていたが、キラはきっぱりと頷いた。
「分かりました、やります」
 それを聞いて、顔色が変わったのは無論マリューとムウだ。キラだけならまだしも、ストライクにはシンジも乗っているのだ。
 現に、救命ポッドをそっと宇宙空間に置いたストライクは、対艦刀に手を掛けたではないか。
「バジルール少尉、この艦を沈める気!シンジ君、この艦の責任者は私です。勝手に攻撃しないで」
「ほう。ヤマト、構えて」
「ちょ、ちょっと待ってシンジ君!不許可なんて言ってないわよ」
「足りない」
「え?」
「最低でも縛って逆さに吊し上げ、これは譲れない」
 無論、マリューを縛れと言っているのではあるまい。
「そ、それは…」
 さすがに躊躇したマリューだが、シンジに躊躇はない。
「決まりだ。ヤマト、艦橋だけ器用に切り落とせよ。後はまた考える」
「はーい」
 物騒な連中が物騒な物を構え、しかも振り下ろす寸前と来た。ここに来て、とうとうマリューも覚悟を決めた。
 違う意味で軍法会議になりそうな道を取る事にしたのだ。
「いいわシンジ君、あなたの言う通りにします」
 内線でレコアを呼び出し、ロープを持ってくるように告げた。艦橋に入ってきたレコアに、
「バジルール少尉を縛って逆さ吊りにして」
「…はっ?」
 聞き返したのは当然だが、
「早くしなさい!」
 マリューはやや険しい声で促した。ナタルはともかく、周囲が何も言わないのは、マリューが単に個人的感情だけで動いていないと分かっているからだ。
 ここでストライクが対艦刀を振り回し、艦橋を切り落としでもしたらどうなるかなど、考えたくもない。
「バジルール少尉…我慢して下さい」
「……」
 縛られたナタルが逆さに吊られた状態で、
「これで…いいかしら」
「俺はともかく、ヤマトはヘリオポリスの民間人だ。その親が乗っているかもしれぬシャトルを放り出せとは、随分と情に厚い軍人のようだな」
(シンジ君…)
「戻ったら蒸し焼きにしてくれる」
 一方的に回線を切り、
「と言うわけでお持ち帰り」
「はい」
 ストライクがもう一度ポッドを担ぎ上げ、ゆっくりと戻ってくるのを見てブリッジにいた面々は、心から安堵した。
 死神は既に、その刃を自分達の首筋に突きつけていたのだ。
「さてと…」
「はい」
「成功だか失敗だか微妙なラインの出撃だったが…ヤマト、お疲れだね」
「いえ…私のせいでシンジさんの足を引っ張ってしまってごめんなさい」
「別にそんな事はない。この機体にはヤマトも全く慣れていないし、あの状況でアークエンジェルは荷物以外の何物でもない。俺の指示の方が失敗さ」
「え?」
「もっと敵を引きつけた状態でさっさとブーメランを放っていれば、今頃はアスラン・ザラを捕まえて丸焼きにしていた頃だ。或いは、ヘリオポリスも壊れなかったかもしれん」
「そんな事は…」
 確かにそうかもしれないが、そんな事を冷静に振り返る事の出来るシンジに、キラは感嘆と言うよりもただ驚いていた。
 恐怖の感情とか――死への恐怖すら持ち合わせていないのではないか、と。自分がもし、シンジの言うようにモビルスーツもなく世界を巻き込んだ戦争もない世界にいて、いきなりここへ飛ばされたら何も出来ないだろう。
 力があればどうにでもなる、と言う問題ではないのだ。
(どういう…人なんだろ…)
「ま、次はもう少し上手くやるさ、と言いたいが…」
「言いたいが?」
「ヤマトにあまり無理はさせられない。代わりの出来る者がいればいいが…」
「私は大丈夫です。それに、シンジさんは一緒に出てくれるんでしょう?」
「一応そのつもりだ」
「それなら心配しないで下さい。私なら大丈夫ですから」
(コロニー崩壊でアワアワしていたようだが…)
 無論口にはしなかったが、少々不安を覚えていたのは事実だ。シンジとて、自らの精神状態に絶対の自信があるわけではない。
 現実と向き合っていないからこそ、と言う部分がある事は、自分が一番分かっている。
「ヤマトがそう言うのならそれで良かろう。ところでヤマト」
「はい?」
「さっきヤマトが寝ていた時、服の中から小さな鳥が出てきたぞ。また服の中に戻っていったが。あれは機械鳥か?」
「ええ…」
 キラの表情が少し曇る。
「いや、つまらない事を訊いたな。忘れて」
「いえいいんです。あれは…アスランが私に作ってくれたもので…」
「アスラン・ザラが?そうか」
 それ以上は言わず、ストライクはポッドを抱えたまま、ゆっくりと艦内に入っていった。
  
 
 
 
 
「このような事態になろうとは…いかがされます?中立国のコロニーを破壊したとあっては評議会とて…」
「地球軍の新型兵器を製造していたコロニーを、中立とは呼べまい」
 アデスの言葉に冷ややかに応じたクルーゼだが、アデスの本意はそこにはない。問題は、ナチュラルごときが作った新造モビルスーツと新造戦艦に、こちらが手も足も出なかったと言う事にある。
 ジンが撃破され、ミゲル以下数名が戦死した。しかも、敵の兵力はほぼ無傷に近い形で残っているのだ。
 それはクルーゼも分かっている。普段より幾分冷ややかな口調は、そのせいもあったのかも知れない。
「しかし…」
「住民のほとんどは脱出している。さして問題あるまい。何よりも、だ」
 クルーゼがくるりと振り向いた。
「血のバレンタインの悲劇に比べれば大した事ではない。そうだろう、アデス?」
「……」
「それよりも、連中の動きが問題だ。新造戦艦の位置は分かるか?」
 問われたクルーが首を振った。
「いえ、この状況では…」
「まだ追われるのですか?こちらにはもうモビルスーツが…」
「あるじゃないか。地球軍から奪ったのが、それも四機もある。十分だとは思わないか?」
 仮面の下で、クルーゼは怪しく笑った。
 
 
 
 
 
「お疲れ様。あら、キラさんは?」
 シンジを挙手で迎えたマリューは、キラの姿がないのに気付いた。
「ポッドの中身が気になるらしいから置いてきた。しかし…微妙に進歩した世界だな」
「何の事?」
「機体から降りた途端、逆さに浮いた。宙で逆しまに浮いたのは初体験だよ。いきなり宇宙遊泳が出来るとは思わなかったが」
「まだ人類は宇宙進出していないの?」
「せっせと探査機を送り出しては、片っ端から行方不明になってる所さ。もっとも、どこかの惑星が開発されたら、本国と植民地の間で戦争にもなりかねないが――この世界のように」
(この世界!?この青年は何を言ってるんだ)
 ブリッジにいるクルー達は、シンジの事をまったく知らない。だから、奇々怪々な会話が成立している二人には、当然のように怪訝な視線を向けている。
 そんな視線など、二人とも気にした様子はなく、
「で、この先?」
「今、考え中なのよ。さっき、ザフト艦の気配を感じたって言ったでしょう?」
「正確に言えばアスラン・ザラの気配だ。軍の事は分からないが、あれとて運搬船なしで宇宙を一人旅は出来まい。運搬船が不要なら話は別だけど」
「そんな事はないわ。搭載艦は絶対に必要よ」
「なら確定だ。はぐれたのでなければ、近くにいると見て間違いないだろう。但し、距離は決して近い感じではなかったが」
「追ってくると思う?」
「あそこに――」
 縛られて宙に浮いているナタルを一瞥し、
「あそこに浮いている優しいお姉さんが、これからウェルダンになる可能性と同じ位に」
「『!』」
 高いのか低いのか分からないが、シンジの口調からするとかなり高確率らしい。
「あの…シンジ君」
「ん?」
「バジルール少尉の蒸し焼きの件なんだけど…この艦は今かなりの人手不足なのよ。包み焼きにするのはちょっと勘弁してもらえないかしら?」
(包み焼き!?)
 誰がそんな事を言ったのだ、やはりこの艦長はアブナイ存在だとクルーの認識が一致した。
「まあいい。姉御がそう言うならこの場は保留にしておく。ただし、次にやったら蒲焼きにしてくれる」
「うん…その時は止めないから」
(艦長ー!)
 むーむー!とジタバタ暴れるナタルの恨みが、マリューに向けられたのは言うまでもない――八割位逆恨みだが。
「え、えっと…」
 咳払いして、
「追撃されちゃうと、現在の陣容じゃきついのよ。イージスの投入から考えて、敵は奪ったMSを全部投入してくるでしょうし、戦艦も二隻いるわ。いくらキラさんとシンジ君のコンビでも、この不慣れな状況で撃破は無理だし、何よりもキラさんに無理強いは出来ないわ」
(碇シンジをなぜ後回しにする?)
 またも火種を煽る気かと思った者もいたが、シンジはにっと笑った。
「感情に生きる女の象徴で単なる役立たずかとも思ったが、そうでもなさそうだ。そこの眼鏡の人、浮いてる物体の縄ほどいて」
「お、俺か!?」
「ええ。名前は?」
「俺はダリダ、ダリダ・ローラハ・チャンドラII世だ」
(俺はダレダ?)
 ふるふるとシンジが首を振った時、マリューはシンジの心の中が見えた。
 縄を解かれたナタルに、
「考える位出来るだろう。良い案出せ」
 ふわふわと浮いてきたナタルが、
「ナタル・バジルール少尉であります。助命に…感謝致します」
 普段より、五倍位低い声に聞こえたのは気のせいではあるまい。
「名案があるわけでもありませんが…艦長」
「何?」
「私は、アルテミスへの入港を具申致します」
 アルテミスと言えば月の女神、と相場が決まっている。純潔の象徴とも言われているが、とまれ月行きなのは間違いあるまい。
 がしかし。
 事態がそんなに易しくない事を、この時点でシンジは知らなかった。
 
 
 
 
 
(第十話 了)

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