妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第四話:憑依
 
 
 
 
 
「ここにはまだ人がいるんですっ。こんな物に乗ってるなら何とかして下さいっ」
 キラの言う事は尤もだが、マリューは専属操縦者ではないし、そもそも操縦経験自体ないと分かっているはずではなかったか。
「ヤマト、この姉御が操縦者って訳じゃない。言ってみても詮無い事だ。ところで他にもまだいるようだが、どうする気だ?」
「碇シンジさん、この機体はまだOSが完全じゃないんです」
 パネルを操作したキラの眉が寄った。
「ん?」
「こんなOSでこれだけの機体を操作しようなんて、無茶にも程がありますっ」
 キラの指弾に、
「まだすべて終わっていないのよ。仕方ないでしょうっ」
 マリューがばつの悪そうに言い訳したが、
「すべてが終わっていない機体に一般人二人を搭載し、しかもからきし素人の作業員が操縦していた、と?」
 ゆっくりと振り向いたシンジの視線に、その身体が硬直した。
「これに乗せられた事で救われたのは事実だ。それには感謝する。だが警備の甘さと、不測の事態を想定して予め操縦者を備える事すらしなかった責任は、また別の話だが」
「…分かってるわ…」
 “本物”はここへ向かっている最中の筈だが、言っても仕方のない事だ。
「ヤマト、打つ手は」
 俯いたマリューから関心が失せたように視線を外し、シンジがキラに訊いた。
「OSを書き換えて再起動させます。それしか手はありません」
「書き換えて大丈夫か?」
「私はこの専属操縦者じゃないので、自分に合わせないと動かせませんから」
「ふうん」
 言われても分からない。分かる方が問題だが、目下はそれしか方法はあるまい。このままマリューに任せておいても、嬲りものにされるだけだ。
「マリュー・ラミアスさん、そこ空けて」
 冷ややかな、と言うよりまるで無機物に向けるような口調で言われて、マリューが慌てて後ろに下がる。
「ヤマト、気持ち悪いかも知れないが我慢してくれ。身体を保護するにはこれが一番確実だから」
「わ、分かってます」
 シートにキラごと移動したシンジが、その身体に後ろから腕を回して軽く抱きしめたのだ。柔い乳房の感触が伝わってきたが、シンジの関心事はわらわらと向かってきている敵機に向いていた。
「頼んだ」
「はい!」
 シンジの声に、キラの表情が一瞬で引き締まる。キーボードを引き下ろし、猛烈なスピードで叩き始めたそこへ、敵機が突っ込んできた。
「……」
 キラは即座には反応せず、マリューが思わず息を飲んだ程の距離になってから、頭部のバルカン砲を発射した。
「何!?」
 数歩たたらを踏んだ敵機が飛び上がって斬りつけてくる。その顔面に、モビルスーツの右拳がのめり込んだ。
 俗に言うクロスカウンター、敵機のソードはかする事も出来ぬまま、その機体は殴り飛ばされた。
「お見事」
 キラの耳元でシンジが囁く。
「い、いえ…」
 ちょっと照れながらも、キラのキーを叩く速度は更に上がっていく。
 そこへ、
「別のお客さんだ。ヤマト、斜め前方へ逃走を」
「はい」
「この機体に武器は?」
 シンジが振り向いてマリューに訊いた。
「ヴァ、ヴァルカン砲とアーマーシュナイダーだけで…」
「ヴァルカン砲って、頭の横のあれ?」
「え、ええ…」
「アーマーなんとかってのはハンマーか何か?」
 甲冑(アーマー)をも砕く強力な武器かと思ったら、
「アサルトナイフよ…」
「何それ」
 キラがキーを叩くと、装備図が出てきた。頭部にVALCAN GUN、腰部にASSAULT KNIFEがそれぞれ二つある、と表示されている。
「『これだけ?』」
 キラとシンジの声がぴたりと重なった。
「え、ええ…」
 マリューのせい、と言い切れる事ではないが、ど素人のシンジから見ても驚くやら呆れるやらの軽装備であった。
 万一の事態は、全く想定していなかったのだろう。
「ヤマト、OSの書き換えをすればヤマトでもこの機体は操縦出来るか?」
「ええ…やってみます」
「じゃ、とりあえず逃げるぞ」
「わかりました、やります。それでその…」
「ん?」
「操縦レバーだけお願いしていいですか?逃げるだけでいいですから」
「無理」
 間髪入れずに却下したシンジが、
「後十五秒くらいなら保つ。ヤマト、命はお前に預けたから」
「碇シンジさん…」
「あの、私の命も?」
「『うるさい!』」
 きれいにハモった声で追い払われ、しゅーんとマリューが小さくなった数秒後、
「できたっ」
 キラの声と同時に機体が被弾した。
「上?真っ直ぐっ?」
「直進」
「はいっ」
「それと武器は使うな」
「え!?」
「武器ならあるだろ。ほらあそこに」
 シンジが指差したのは、敵機が腰に差している銃であった。
「そうですね」
 キラがにこりと笑う。
(さっきまで全然笑っていなかったのに…)
 マリューが心の中で呟いた。妙な所で波長が合ったのだが、その辺はマリューには分からない。
「ところでヤマト」
「はい」
「お荷物、もとい友達はどうした?」
「えーと…」
 小窓を出したキラが、
「もう大丈夫です。だいぶ引き離しましたから」
「じゃ、大丈夫だな。行くか」
「はい」
 まだ完全ではないが、さっきよりは随分とましな足取りで機体が走り出す。たちまり緑の機体に取り囲まれた。
 四方を見回したシンジが、
「右が弱そうだ。そっちに突っ込んでタックルを」
 間髪入れずに肩を下げた機体が右側の敵機へ突っ込んでいく。想定外の動きだったらしく、敵機はあっさりとひっくり返った。
「胴体を蹴飛ばして俯せに。出来るか」
「やってみます」
 ポカスカと蹴飛ばすが、ひっくり返すまでには至らない。
 上手く操作できないらしく、
「このー!」
 苛立ちの表情を見せるキラに、
「落ち着いて。慌てる事はないんだから」
 レバーを握るキラの手に、シンジが自分の手を重ねた瞬間、
「『!?』」
 二人の表情が動いた。
「なんか今…」「ええ…」
 微弱な電流でも流れたような感じがしたのだ。ただそれは、決して不快な感触ではなかった。
「まあいいや、もう一度」
 言われるままに試す――あっさりと機体は蹴り飛ばされた。
「『え!?』」
 決してキラが手抜きをしていた訳ではない。むしろ、一番驚いているのはキラ自身なのだ。
 何故こんなに攻撃が力強くなったのだ!?
「ほら、びっくりしてないで武器没収して」
「あ、はいっ」
 片足で敵機の背を踏んづけたまま、銃とソードをかっさらう。これで心許なさもだいぶ解消された。
 そこへ、
「貴様らにモビルスーツなど生意気だと言っただろうがー!」
 ソードを構えて突っ込んできたのは、さっき吹っ飛ばされた奴だ。もう立ち直ったらしい。
 銃を構えたキラに、
「まだ」
「え?」
「どうやらあれが一番燃えてる上に使えるらしい。あれを始末すれば後は烏合の衆だろう。真正面から撃っても逃げられると施設に害が出る。一般人がいると困る。後ろに回り込んで」
「分かりました」
(この子一般人の事まで考えて…)
 感心したマリューだが、この場合は視点が少し間違っていた。人道的とかなんとかそんな事ではなくて、万が一にも自分と同じ世界の住人がいたりでもしたらと、そっちを考えたのだ。
 この世界の事を思いやる程、シンジは似非人道主義者ではない。
 機体を走らせて何とか後ろに回り込もうとするが、機体のレベルが劣るとはいえ操縦は敵の方が慣れている。
 回り込もうとする所へ銃撃を浴びせてくるから、どうしても避ける方に重きが置かれてしまい、なかなか上手く行かない。
 がしかし。
(でも不思議…この人の手が重なってから機体が軽くなった気がする。それに、敵の銃撃は間違いなく当たらなくなっている…)
 突如機体が軽くなると言う奇妙な現象だが、当たらなくなった敵の銃撃を見ても間違いない。キラがちらっとシンジの横顔を見た。
「何?」
「い、いえ」
 慌てて操縦に専念したキラだが、急に動きが変わった事は敵の方でも察知していた。
「ちっ、さっきからちょこまかとっ!」
 生意気にこっちの銃撃すら避け始めた敵に舌打ちしたが、足止め出来ないのはこちらも同じだ。
 とそこへ、さっき敵を包囲していた仲間達がわらわらと向かってきた。
「よし包囲殲滅してやる」
 ミゲルがにっと笑った直後、いきなり一機が吹っ飛ばされた。
「まだ敵がい…!?」
 油断しているからだと舌打ちしかけた瞬間、その表情は凍り付いた。
「何だあの四足獣みたいなやつは!?バクゥか…げ!?」
 獣みたいな格好のMA(モビルアーマー)なら、ミゲルも知っている。
 だが、今目の前に現れたそれは、明らかにバクゥなどとは異なる存在であった。しかも、にゅうと立ち上がったのである。
 それを見ていたシンジが、
「ヤマト今」
「はいっ」
 機体が地を蹴った次の瞬間、
「きゃあっ!?」
 キラの口から可愛い悲鳴が上がる――機体が飛びすぎたのだ。どう考えても十分、乃至は足りない位にしかペダルは踏んでいないのに、バンジージャンプでもするかのように機体は大きく飛び上がった。
 ここに来て、キラにも漸く分かり始めていた。さっきの蹴り飛ばした時と言い、今の跳躍と言い、いずれもシンジの手が重ねられている時に、想像以上の力が発揮されている。
(私に…力が注ぎ込まれている?この人は一体…)
 ゴロゴロと回転前屈しながらも、何とか背後に回った瞬間、
「よし撃て!」
 完全に無防備の背後から銃撃を加えながら機体が起きあがる。シンジは被弾した背中を眺めながら、
「投擲」
 キラの耳元で告げた。
「はい」
 奪い取ったソードを投擲しようと腕を振り上げた時、すっとシンジの手が離れた。もう良かろうとの判断からだったが、
「だ、駄目っ」
 まるでこっちが的にされかかっているかのような声に、
「何事?」
「て、手をおさえていて下さいっ、力が違うみたいなんです」
「力?そうなの?」
 実はこの時点まで、シンジは事態を把握していなかった。キラと手を重ねた時、何か妙な感触はあったものの、その正体は分かっていない。
 直接操縦していないから当然と言えば当然だが、キラの台詞に何となく事態を理解したシンジが、もう一度手を重ねた直後、
「てやああっ!」
 完全とは言えぬ手つきで投擲されたそれは、唸りを上げて敵機を襲い、その肩口を深々と貫いた。
「…げ!?」
 思いもよらぬ威力に、シンジの方がびっくりして、
「あんなに勢いあったっけ?」
「い、いえその…手が重なっているとすごく力が出る感じがするんです。だからきっと…」
「そんな威力がねえ」
 自分の手を眺めたシンジが、
「まあいい、刺さった所に銃口押し当ててぶっ放せばそれで終わるだろう。さ、行こうか」
「ええ」
 ドカドカと近づいて突き刺さったソードを引き抜こうとしたその時、
「『ん?』」
 敵機の中から何かが飛び出してきた。
 人だ。おそらくは操縦者だろう。
「なにあれ?」
「さあ…」
 呑気な二人を余所に、マリューの顔色がさっと変わった。
「まずいわっ!ジンから離れてっ!」
「ジン?」
「あの機体よ、早くっ!」
「姉御がああ仰有ってる。後退」
「はい」
 よいしょっと下がろうとした次の瞬間――敵機が大爆発を起こした。どうやら自爆したらしい。
「やるなあ」
 呑気に呟いたが、その手はキラを捕まえてしっかりと抱き込んでいる。爆風に吹っ飛ぶ車を見ながら、マリューもついでに助けておこうかと見やったシンジが見たのは、
「バク転?」
 後ろ向きに一回転して壁におもいきり身体をぶつけ、失神しているマリューの姿であった。
「ま、仕方ないか」
 ミサトと声が同じ、と言う事はミサトを重ねて見ていると言う事だ。機体の起動から運用まで、少々当てにならん女(ひと)だ、と言うランク付けになったのは仕方あるまい。
「掴まってるように」
「は、はい」
 キラも本当は悲鳴を上げかけたのだが、シンジに微塵も怖れる様子が無かった事で、自分を取り戻した。
 シンジの裾をぎゅっと握りしめるキラ。
 
 
 
 
 
 その頃、ナタル・バジルールは、死体に突撃されて意識を取り戻していた。ゆっくりと目を開けたら、目の前にいきなり血まみれの死体があったのだ。
 死体に起こされる経験は、生まれてから初めてだ。
 マリュー・ラミアスのお呼び出しをアークエンジェルの艦長に命じられ、向かっていた所で爆発が起きたのは覚えている。
 強力な時限式の爆薬でも仕掛けられたのだろう。
「そうだ、アークエンジェルは!?」
 死体と残骸が浮遊している状況にしばし呆然としていたが、やがて首を振って我を取り戻した。
「誰か!生き残った者はいな…」
 叫んだナタルの前に流れてきたのは、ぼろぼろになった軍帽であった。
「くそっ…こんな…」
 ナタルの頬を涙が伝う。
 当人達は知らないが、ここへ来る前ナタルとキラは会っている。
 このへリオポリスは、建前上はオーブ連合首長国の出島であり、本来は少年兵などほとんどいない所だ。
 そんな所で、一般人の彼らを見て、
「この年で前線に出る者もいるのに平和なことだな」
 と、意味不明で奇怪極まる嫌味を口にした女だが、一応泣くという機能は残っていたらしい。
 
 
 
 
 
「ヤマトの友人達が無事な事を祈っておこう。大丈夫か?」
「大丈夫です。碇シンジさんが支えていてくれましたから」
「そう」
 改めて辺りを見ると、結構な惨状になっている。折角その辺の建物は無傷で済まそうとしたのに、何て事をしてくれるのかと、シンジの表情に薄く怒りの色が浮かぶ。
「ヤマト、操縦は初めてだったのか?」
「ええ、初めてです」
「それにしては見事な戦いぶりだった。よくやった」
「は、はい…」
 よしよしと頭を撫でられ、キラの身体から力が抜けていく。キラとて、決して怖くなかったわけではない。
 雲南の地で、雲霞の如く群がる降魔を主従たった一騎で殲滅してきたシンジとは、訳が違うのだ。
「で、でもあの」
「ん?」
「い、碇シンジさんが色々と助けてくれ…え?」
 話しかけている対象の興味が、不意に自分からそれたとキラは気付いた。
 シンジの視線の先を見ると、さっきの四本足の機体が次々と敵を撃破しているところであった。
 敵機――ジンの自爆に伴い、一時的に戦闘が中断されていたものらしい。
「どういうパイロットが操縦してるのか知らないが、かなり出来る。愛機だろうが、ああまで余分な動きを減らせるとは、な。大したもんだ」
 ストレートに感心しているシンジに、キラの口許が可愛く尖る。確かにすごいかもしれないが、自分は全くの素人状態で敵を撃破したのだ。
(わ、私だって…)
 キラがちょっと面白くないのは当然とも言えるが、シンジには関係ない。と言うよりも、掛け値無しの勝算には他意がないだけ、ある意味悪いと言えば悪いのだ。
 そんな微妙な空気をよそに、四本足の機体はあっという間にジン全てを撃破した。
 もう一度立ち上がって通常の機体へと変化して、どうするのかと見ていたら、不意に機内に声が響いた。
「こちらZGMF-X88S、ステラ・ルーシェ。ストライク、応答せよ」
 涼しげな声に、二人の反応は対照的であった。
「あれも娘が運転か?」
 単純に驚いたシンジに対し、
「ステラ・ルーシェ?ステラなの!?」
 半ば唖然として呟いたキラに、
「ヤマトの知り合いか?」
「ええ…」
 頷いた声は、複雑なものであった。
 
 
 
 
 
(第四話 了)

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