妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第三話:縦読み VS ネコ耳
 
 
 
 
 
「ふにゃあ…クシュッ」
 半裸の少女がベッドから起きあがり、小さくくしゃみをした。毛布は床に落ちており、どうやら寝冷えでもしたらしい。
「いけない寝過ごしちゃった」
 身軽に起きあがり、下着を手にしようとした時、聞こえてきたのは大きな爆発音であった。
「ええっ?実戦訓練するなんて聞いてないのに!」
 ブラだけ付けた格好で窓際に走り寄った瞬間、その表情が一変した。
「あれは…ザフト!?」
 可愛い少女の顔が一転して戦士の物へと切り替わる。
「へリオポリスを蹂躙なんてさせないんだからっ!」
 飛び出して行った時、ポケットからパスケースが落ちた。
 真ん中で開いたページには持ち主の名前が書いてある。
 
<ステラ・ルーシェ>
 それが少女の名前であった。
 
 
 
 
 
「ヤマト」
「はい?」
「この星――この世界では、初めて=任せてなのか?」
「さ、さあ…」
 シートの後ろに乗ってと言われたが、どう見ても一人乗りの造りになっており、仕方ないからシンジがキラを抱きかかえている。相手がシンジ、と言う事より男の腕の中にいるのは初めてとあって、うっすらと頬を染めているキラだが、無論シンジはそんな事に興味はない。
 ただし、こんな状況でそんな事を気に出来るキラに、違う意味で感心しているところだ。
 ごにょごにょと囁いているが、三十センチも離れていない距離では全く無意味で、マリューの耳には丸聞こえである。
「そこ、うるさいわよっ!」
 キッと睨んで叱りつけてから、
「この機体だけでも…私にだって動かす位っ…」
 マリューの歯を食いしばっての台詞に、シンジとキラの不安が二乗になる――倍ではなくて二乗だ。
 動かした事すらないと、自分で白状してしまったのである。
 ただ、一応内部構造は分かっているらしく、幾つかのボタンを押すと正面のモニターに外の光景が映し出された。既に外は火の海となっている。シンジは、モニターを見たキラの表情が、少し曇った事に気が付いた。
(ヤマト)
(はい)
(いや…何でもない)
 シンジは軽くキラの頭を撫でた。シンジが見た範囲で判断する限りでは、アスランとキラは知り合いだ。それも単なる友達以上の。
 ただ今のアスラン・ザラは軍人となっており、かつての友達よりも任務を優先した。これがシンジだったら、機体には必ずキラを連れて乗り込んだろう。
 その事をどうこう言う気はない。軍人としてはそれが当然だし、足手まといになって任務が遂行出来なければ意味がないし、別に二人ともシンジの知り合いでは無いからだ。
 だがキラは民間人で、しかも娘だ。おそらくはショックを受けていようし、それに加えて――ここから出る為にはアスランの乗った機体を撃破して出ねばならぬ可能性もあるのだ。シンジの腕の中にいる心細げな娘が、果たしてそれに耐えられるかどうか。
 一見すると優しさだが、その裏にある物は少しく異なっていた。
(大泣きされると服が濡らされるな…)
 と言う、男女の対等と女性偏向を混同した、精神に異常を抱える昨今のフェミニズム団体が耳にしたら、気違いのように目をつり上げて指弾される事間違いない内容である。
 そんなシンジのろくでもない個人事情とは関係なく、マリューは起動の準備を進めていく。
(それにしても…)
 シンジは内心で呟いた。確かにボタンを押す手はきびきびしている。それは間違いない。
 がしかし、えーととか、確か…とか、小首を傾げながらやっているのが後ろからは丸見えなのだ。
 元々専属パイロットでもなさそうだし、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないが、不安を増大させる呟きや仕草は内心でやってほしいところだ。
 パネルが点灯し、花の絵が映し出された。
 見知らぬ単語が羅列されていく。
「うん?」
 画面が黄色く変わり、数行の文字が並んだ。
 
 General
 Unilateral
 Neuro NEKOMIMI-Link
 Dispersive
 Autonomic
 Maneuver
 
「え?」
 それを見た途端、シンジが反応した。目がキラキラと光り、キラを抱えたまま身を前に乗り出す。
「マリューさんっ」
「な、なに?」
「この機体ネコ耳付いてるのっ?」
「ね、猫耳?何の事?」
「そこにネコ耳と書いてあるでしょ」
「え?」
 画面を見たマリューが、
「ああ、これ違うわよ。開発者の悪戯ね。ネコ耳なんて付いてるわけないで…あら?」
「つまんない」
 完全にやる気の失せたシンジが、もうどうでもいいと言わんばかりに外の光景を眺めている。
(あ、あ…えーとその…)
 こんなモビルスーツにネコ耳を着けてどうするのかと、シンジの精神構造を疑ったマリューだが、さっきは自分とキラの命を救ってくれた事だし、少なくともこの機体を持ち帰るまではその力を借りる事もあるかもしれないと、
「あ、あの…碇シンジ君?」
「…何ですか」
「ちゃんとネコ耳付けるように整備班に言っておくから。迷わせてごめんなさいね」
 なお脳内では、何で私が謝るのよと騒ぐ黒マリューと、静かにしてなさいと叱る白マリューが取っ組み合いをしており、白マリューがなんとか黒マリューをおさえこんだところだ。
「期待してます」
(あちゃー)
 誰が聞いても、どうでも良いのだなと思える口調で返って来た直後、
「ガン…ダム?」
 呟いたのはキラであった。
「ヤマト、今何と?」
 訊ねたシンジに、
「あ、いえガンダムって。ほら」
「ん?ネコ耳って書いてあるぞ。しかも虚偽情報だ」
「そ、そこじゃなくて頭文字を…」
「頭文字?えーと」
 上から読むと確かにガンダムにはなる。
「ヤマトって縦読みするタイプなのか?ネコ耳か、単にGって読むのが普通だろ」
「違いますよ、縦読みでガンダムです」
「ネコ耳だ」
「ガンダムです!」
「ネコみ――」
「うっさい!」
 果てない言い合いを、マリューの一喝が強引に断った。
「『ごめんなさい』」
 シンジが素直に謝ったのは、キラにとっては意外であった。ミサトとよく似ているから、と言うシンジの行動理由をキラは知らない。
 二人を退散させ、なんとかモビルスーツが起動する。その辺にあった鉄柱に掴まって巨体が起きあがる。
 工場の外に出た直後、建物は一挙に崩壊した。
(ヤマト)
(はい?)
(起動したみたいだが…ふらふらしてないか?)
(しーっ、駄目ですよそんな事言っちゃ)
 
 
 
「アスラン!」
 GAT−X303、通称AEGIS(イージス)に乗って工場を離れたアスランを、仲間が待っていた。
「ラスティは失敗だ…」
「なに?」
「あのモビルスーツには、地球軍の士官が乗っている」
「ハン?」
 このミゲル・アイマンは、元より地球軍、すなわちナチュラルなど下等な生き物だと侮っており、その下等な生き物相手に誰が何をどうしたら失敗出来るのかと、最初から舐めてかかっている。
 それだけに、仲間が討たれたというのが信じられなかった。
 ラスティ・マッケンジー、性格はあまり戦士向きではないが、その実力は折り紙付きなのだ。よほど油断でもしていたのだろうか。
「おいアスラン…」
「うん?」
「そのラスティを討ったやつってのはまさか、あのフラフラしてるモビルスーツに乗ってる奴じゃないだろうな」
「……」
 二人の視界には、工場から出てきたモビルスーツが映っているが、ミゲルの言う通りその足元はあまりにおぼつかない。
「い、いや違うと思う…」
 ラスティを撃ったのは工場にいた整備兵で、そいつは始末したから乗っているはずはない。
 だがそんな者が乗っていた方が――どんなに良かったか。
「そうか。まあいい、俺はちょっくらあの機体を奪取してくるから、おまえはそれを持って先に離脱しろ」
「あ、ああ」
 ミゲルに言われてアスランは頷いた。
 命令は敵モビルスーツの奪取であり、自分の任務は一応成功した。だがフラフラしてるモビルスーツを見ながら、その心はまったく晴れなかった。
 無論戦友を失ったという事もある。
 ただ一番大きな事は、やはりキラの事であった。キラがあんな場所にいるはずはないからあれは別人だ、とそう言い切れるならばいい。
 しかし、正体不明の男に捕縛された自分を問いつめたのは、間違いなく幼馴染みのキラであった。しかも、自分を捕まえて妙な事を口走っていた長髪の男は、これまた桁外れの強さであった。いかにコーディネーターが優秀とは言え、武器も持たずに何十人も葬る事など不可能だ――それも、指一本触れる事無く。
 確認はしていないが、地球軍の士官があの二人を火の海に放置したまま、機体を起動させたとは考えにくい。おそらく、いや間違いなく敵モビルスーツに乗っているのはあの三人だ。
 敵になってしまった格好だが、あのまま中にいれば間違いなくキラは死んでいた。少なくとも焼死した可能性はないだろうが、ただ自分が置き去りにしてしまった事もまた間違いない。
 偶然あそこにいた、と言うのは事実だろう。キラの雰囲気は軍人のそれではなかったし、時々災難に巻き込まれるのは、昔からキラが持つ特技の一つに入っている。
「必ず…かならず迎えに来るからっ」
 アスランは呟いた。本来なら自分があのモビルスーツを行動不可能にしてキラを助け出すべきだが、さすがにこの状況でそれはできない。
 自分は軍属なのだ。
 何よりも、いくら相手が不安定なモビルスーツとはいえ、自分もまた今日乗ったばかりで、これをよく御し得る自信はなかった。だからミゲルに任せたのだが、その瞳はモビルスーツをじっと不安げに見つめていた。
 だがアスランは分かっていない。
 アスランが男でキラが女という事は、雄羊が連れの雌羊を虎狼の群れに置き去りにして自分だけ逃げた後、助けにいくからと言うのに等しいという事を。
 それでも、マリューだけが一緒なら助け出してから言い訳もできたかも知れない。
 しかし今キラと一緒にいるのは――煽動・裏工作を大得意とする危険な知り合いを持った五精使いであり、キラは今その腕(かいな)に抱かれている事など、無論知らないのだった。
 
 
 
(全部丸聞こえだっつーの!)
 時折うねる青筋を何とかおさえながら、マリューがパネルを操作する。メインウィンドウの中に小窓が現れる。周囲何カ所かの状況を同時に把握する事が出来るらしい。
 五つ目の小窓が現れた時、キラがあっと声を上げた。
「どうした?」
「サイっ、トール、カズイ、ミリイっ!」
 見ると、四人の男女が必死に走っている。
「ヤマト、知り合いか?」
「私の友人です」
「方角は」
「南南西ですっ」
「……」
 一瞬考えてから、
「マリューさん、進行方向変えられますか」
「ええっ!?」
「何か…まずいですか?」
「ま、まずくはないけど…」
 他人事だと思って、シンジも随分と気楽に言ってくれる。こっちはまっすぐ――正確にはよたよたと――歩くだけでも精一杯だというのに。
 とはいえ、二人を乗せるときに任せろと言ってしまったのだ。技術的に無理と白旗を掲げるのは、マリューのプライドが許さない。
「大丈夫、やってみるわっ」
 きりっと唇を噛んだマリューが、機体を方向転換させようとした時、現れた敵機が突如として銃を乱射してきた。足元に着弾し、ただでさえ不安定な機体が大きく揺れる。
「『ああっ!』」
 シンジは動かなかったが、二人の身体は大きく揺らされ、身を乗り出していたキラを咄嗟に抱き寄せた。
「大丈夫か」
「す、すみません」
「しかし厄介だな」
 まったく厄介と思ってなさそうな口調でシンジが呟いた直後、剣を抜いた敵機がこちらへ突っ込んできた。
「避けるわよっ、掴まっていてっ!」
 振り下ろされたソードを、後方へ飛んで何とか避けた――までは良かったが、そのまあ数歩蹌踉めいてビルに突っ込む。
 その衝撃で、キラの顔がシンジの胸に飛び込んできた。
「ご、ごめんなさいっ」
「大丈夫」
(……)
 頷いてみせたが、シンジは既に、キラを抱いていない方の手をばらりと開いていた。マリューがこの機体の専属パイロットではない、どころか操縦経験すらないのは分かっている。素人のシンジから見ても、撃墜されるのは時間の問題だ。
 どんなに強固な装甲でも、内外からのダメージに強いものはあり得ない。外部からの衝撃には鉄壁でも、内部からはあっさり破られると相場が決まっている。
 いざとなれば壁を吹っ飛ばし、キラとマリューを抱えて退散する位の芸当は、造作もあるまい。
 体勢を崩しているそこへ、敵機が再度斬りかかってくる。
(げ!?)
 当然逃げると思ったら逃げない。いや、レバーを操作しようとはしているのだが、この体勢からさっさと逃げるだけの操作ができないらしい。
 キラがシンジの服をぎゅっと掴み、シンジが壁に向けて手を開くのと、マリューが舌打ちしてボタンを押すのとが同時であった。
(自爆ボタンか!?)
 マリューならやりかねないような気がしたのだが、点滅したのは<PHASE SHIFT>の文字であった。とりあえず、自爆ではないらしい。
 シンジには分からなかったが、無機質な機体が急速に色を帯びていたのだ。
 両手を頭上で交差させたところへ、躍り上がった敵機が剣を振り下ろしてきた。
「『あれ?』」
 モニターには凄まじい火花が映っているが、内部への衝撃はほとんど無い。
 へえ、と感心しているのはシンジだが、敵にとっては無論想定外だ。
「こいつの…こいつの装甲はどうなってるんだアスラン!」
「こいつらはフェイズシフト装甲を持っている。展開されれば、ジンのサーベルなど通用しないぞ」
「ちっ、厄介な」
 ミゲルが舌打ちするのと、アスランの機体が変色するのとが同時であった。全身を深紅の色に変えたところへ、飛来したミサイルを打ち落とす。
 更に突っ込んできた装甲車を銃撃して爆破したところへ、
「後は俺が何とかする。お前は早く離脱するんだ。何時までもウロウロするな」
「…分かった」
(キラ…)
 涙を浮かべて自分を詰っていたキラの可愛い顔が脳裏に浮かぶ。唇を噛んでそれを振り払ったアスランは、機体を発進させた。
「ヤマト」
「はい?」
「あの機体変色しなかったか?なんか赤くなったような気がしたが」
「おそらく、ああ言う装甲なんです」
「へえ、変わった装備だな」
 噛み合ってるのか噛み合ってないのか、よく分からない会話中にも、離脱しなかった機体がこっちに向かって突っ込んできた。
「ちっ」
 マリューのレバー操作で、頭部横のバルカン砲が唸りを上げるが、敵機はさらっとかわした。
「器用と不器用が微妙なアンバランスでリミックスだな」
 シンジが奇怪な事を呟いた時、
「この機体…まだ!?」
「まだってなにが?」
「あ、いえオー…」
 キラが何か言いかけたところへ、
「ふんっ、いくら装甲が良かろうがその程度の腕で――」
 横殴りの一撃を何とかかわしたが、
「そんな動きで逃げられると思ったのかー!」
 タックルをかまされて、たまらず機体が尻餅を付いた。
「くううっ!」
 シンジは軽く足を突っ張らせて防いだし、キラは文字通り人間クッションがあるのでほぼノーダメージだ。一番ダメージが大きいのは、正規のシートに座っていたマリューだったらしい。
(どうしたものかな)
 シンジは内心で呟いた。さっきマリューが何かしたおかげで、さくっと斬られる事はなくなったらしい。とはいえ依然として、勝算はほぼゼロと言っていい現状なのだ。
 このまま嬲られるのは目に見えている。
「ナチュラルがモビルスーツなど生意気なんだよっ!」
 調子に乗って緑の敵機が追い打ちを掛けてくる。
「ああっ…」
 キラの視界には逃げまどう友人達の姿が映っている。わずかでも後ろに下がれば、彼らの上に巨体が落下するのは間違いあるまい。
 キラの双眸が一瞬光を帯び、マリューを押しのけてレバーに手を伸ばす。抱きかかえているシンジごと身を乗り出し、ボタン操作と同時にレバーを引いた。
 機体が一瞬で体勢を立て直す。
「うわあっ!?」
 肩口からタックルをかまされ、敵機は吹っ飛ばされていた。どうやら、基本性能ではこちらの方が上回っているらしい。
「大したもんだ」
 ちょっと窮屈な姿勢にされながら、シンジが感心したように呟いた直後、緑色の敵機が数機、わらわらと湧いてきた。他にもまだいたらしい。
 
 
 
 
 
(第三話 了)

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