妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第二話:認識
 
 
 
 
 
「『あ、あなたは一体…』」
 キラと女作業員の声が、期せずして重なった。
 無理もない、敵兵を平然と片づけた挙げ句、アスランを――アスラン・ザラを手も触れずに捕縛してのけたのだ。
 一見すれば端を踏まれた廃材が、バネのように反り返ったかに見えるが、その足が踏んでなどいない事に二人は気付いていた。
「コ、コーディネーターなの?」
「コーディネーター?服飾関係に造詣は深くないが…」
 シンジが戦闘モードにないのは、目の前にいる女が姉のミサトと同じ声をしていたからだ。身体が勝手に制御しているらしい。
 と、
「アスランっ!」
 呆然としていたキラが、我に返って駆け出した。ぶっ倒れているアスランを抱き起こし、ぺちぺちとその頬を叩く。
 そっちをちらりと見やってから、
「ちょっと訊きたい事があるんだが、教えてもらえるかな?」
 シンジは穏やかな声で言った。
「え、ええ…」
 困惑しながらも、女作業員は頷いた。少なくとも、目下敵でない事は間違いなさそうだし、何よりも――到底敵う相手ではないと本能が告げている。
「私の名は碇シンジ。あなたの名前は?」
「私はマリュー、マリュー・ラミアス。地球連合軍の将校です」
「チキューレンゴー?」
 聞き慣れぬ言葉に、シンジは首を傾げた。
 可能性は低いが、もし間違っていなければ字面は地球連合だ。地球上の国家を、乃至は勢力を一つにまとめ上げる事は、古の時代から数多の国家が、或いは軍人達が夢見て叶わなかった事ではなかったか。
「失礼、正確には地球連合軍第八艦隊所属です」
 補足したつもりだったが、シンジの首の角度が更に傾斜したのを見て、女作業員――マリューは内心で首を捻った。
 ナチュラルであれコーディネーターであれ、地球連合軍という名称が分からぬ者はいない筈だ。しかもさっきの能力を見る限り、ほぼコーディネーター、それも相当高い能力を持った部類だろう。
 それが何故自分を助け、しかも地球連合軍の名称すら知らぬげなのか。
「…今の紀元は?」
「コズミック・イラ70です」
「コズミ?イラ〜?」
 もう駄目だと、シンジは内心で頭を抱えた。説明されるまでもなく、ここが紛争地域乃至は戦争時なのは分かる。おまけに紀元はコズミと来た。
 コズミと言えば馬の筋肉痛と、遙か昔から相場が決まっている。
 事ここに至ってシンジは、一つの結論を導き出していた。
 すなわち――自分の居る場所は自分の知らぬところで、しかも世界すら異なっているらしいと。
「何てこった」
 小さく呟いてから、
「碇ミサト、と言う名前に聞き覚えは?」
「無いわ」
 即答に、がっくりと肩を落とす。
 そんなシンジに、
「あ、あの〜」
「何か」
「あなた…コーディネーターなの?」
「どういう職種か知らんが、そんな名称は聞いた事がない。そもそも私は、こんな巨大ロボットなど存在しない世界の人間だよ」
「…え?」
 マリューの顔に?マークが浮かぶ。シンジが何を言っているのか、理解出来なかったのだ。
(平筬がコズミなんとかになって、しかも巨大ロボットが造られている世界か。何の天罰だ)
 シンジは宙を見上げ、やれやれと溜息をついた。ここ最近は綾小路葉子に怒られることもなく、お利口さんにしていた筈だというのに。
 ウェールズの地で、妖狼フェンリルに出会っていた事が幸いした。人間の常識など極めて脆いという事を、身を以て体験しているシンジなのだ。それがなかったら、今頃は取り乱していたかも知れない。
「あ、あの…い、碇シンジ…君?」
「何か?」
「この世界の人間じゃないって…どういう事?」
「言ったとおりだよ。メイドさんの膝枕でお昼寝していた筈だが、目覚めたらここにいた。とりあえず、帰る道を探さないとな」
「でも、どうしてさっき私を助けてくれたの?」
「お礼言われてないけどね」
 シンジの言葉に、マリューの顔がかーっと赤くなる。命を助けてもらっておいて、お礼一つ言ってないと指摘されたのだ。
「ご、ごめんなさい、助かったわ。あなたがいなかったら、きっと今頃は射殺されていたわね。そ、それでその…」
「別に強要する気はなかったんだがな」
 ふ、と笑って、
「姉が…あなたと同じ声をしている姉がいる。咄嗟に助けたのは姉貴かと思ったからだが、なんか見捨てると姉貴に怒られそうな気がした。それだけだ。そのコーディなんとかでもないし、利害など関係ないよ」
「そ、そう…いいお姉さんなんでしょうね」
「無論」
 頷いた時、
「なんで軍服なんて着てるのっ!」
「うん?」
 見やると、キラがアスランの襟を掴んで問いつめてる所であった。
「ほのぼのだな」
(いくら平和な世界の住人だからと言って、さっきのあれは…。それに外の銃声が聞こえない筈はないのにこの余裕。一体どういう生活を送っていたの?)
 マリューの目的は強奪されなかった機体を起動させ、持ち帰る事にあったのだが、そんな事はすっかり忘れていた。あまりにも、シンジのインパクトが強すぎたのだ。
 とそこへ、鬨の声を上げて敵兵が突入してきた。十数名が機銃を乱射しながら、こっちへ向かってくる。
「無粋な連中だ」
 シンジは、キラが娘だと知っている。多分アスランとは幼馴染み、乃至は恋仲だったのだろうと思っているから、キラに問いつめられて困っている図を、うっすらと笑って眺めていたのだが、それを邪魔された。
「キラ」
 シンジの声にキラが振り向いた。キラ、と言うのがラストネームかファーストネームかは知らないが、その単語しか知らないからやむを得まい。
「そいつの頭抱えてちょっと伏せてろ」
「は、はいっ」
「それからあなたは俺の後ろに」
「わ、分かったわっ」
 マリューを後ろ手に庇い、シンジは悠然と前に出た。突撃してくる敵兵に向かって、手を開いてから倒す。
「劫火」
 数名を火達磨にしてから、
「風裂」
 残った者達の手と首を吹っ飛ばす。
「水槍」
 あとは、水を浴びせて押し流せば終わりだ。
「片づいた」
 前を向いたままマリューに告げてから、てくてくとキラの所へ歩いていった。
「掃除したよ」
「あ、ありがとうございます」
 ぺこっと頭を下げたキラに、
「私は碇シンジ。君は?」
「キラ・ヤマトです」
「いい名前だね」
「い、いえ…」
 褒めたものの、どちらがファーストネームでどっちがラストネームなのか、見当が付きかねていた。
 日本人なら吉良大和となり、吉良上野之助と戦艦大和から取ったと思われるなかなか濃いネーミングだ。聞いた感じで褒めたのだが、そんな事はあるまい。
「ところでそれ、恋人?」
「いえっ、あ、あのっ、た、単なる知り合いでっ」
 顔を真っ赤にしての否定に、どれほどの説得力があるものか。
「そっか。じゃ、銃を向けられた事だし今の内に始末しておこうか」
「まま、待って下さいっ」
「……」
「あ、あの、いえ…」
 視線を泳がせて狼狽えるキラの肩を軽く叩き、
「冗談だよ、ヤマトお嬢ちゃん。ちょっと話するだけだから」
「あ、はい…」
 シンジはアスランの側に屈み込んだ。
「殺せ」
「俺はお前の敵でもないし味方でもない。お前が死のうが生きようがどうでもいいが、はっきりしているのは、今すぐに五体をバラバラにすると、そこのヤマト嬢が悲しむだろうという事だ。あらぬ怨嗟を買う必要もない。それよりちょっと答えろ。あそこにあるロボットは何だ」
「貴様モビルスーツも知らな…痛(つう)っ」
 不可視の風が、アスランの大腿部を数センチ浅く裂いた。
「敵の捕虜を尋問しているわけではない。単に知らないから訊いているのだ。死体から聞き出しても構わんが、出来れば穏便に済ませたいところだがな」
「あ、あれは…地球軍が…ナチュラルが造っていたモビルスーツだ」
 痛みを堪えて身を起こしたアスランを、キラが慌てて支えた。
「モビルスーツ…ロボットの名称だな」
「そうだ。奴らは口では平和を唱えながらあんな物を…それもこのへリオポリスで建造していたのだ。ナチュラル共は!」
 敵として侵入してきたアスランがそう呼ぶという事は、マリューはナチュラルなのだろう。ちらっと振り向いたシンジと視線が合うと、マリューは横を向いた。
 思い当たる節があるらしい。
「で、お前はそのコーディ…えーと」
「コーディネーターだ。そしてこのキラも!」
「!?」
 背後でマリューの表情がさっと強張った事を、キラもシンジも感じ取っていた。
「良く分からんが、そのナチュラルとコーディネーターというのが戦争中、と言う状況なのか」
「『え?』」
 まったく状況を理解していないシンジに、アスランとキラが驚きの視線を向けた。衝突の衝撃が強すぎて、まだ完全に意識が戻っていないアスランだが、この碇シンジと名乗った者が味方をいとも簡単に始末した事は分かっている。
 状況を把握していない者が、なぜ敵対行動を取ったのか。
「そうだ」
 少し苦々しげな口調で言ったアスランに、
「名前は」
「ザフトの…アスラン・ザラだ」
(これまた難解な)
 どっちがファーストネームでもおかしくない名前は、この世界の流行なのか。
 内心で呟いてから、
「アスラン・ザラよ」
「な、なんだ」
「口では平和を、とさっき言っていたな。だがお前達がしている事はなんだ?銃を持って突撃し、機体を奪取でもしようとしていたのではないのか?機体を奪取して、二度と造られぬよう一切の資料を破壊する気だった、と言うのか?議場で糾弾するならいざ知らず、私から見れば所詮同類だ。戦争には大義など存在せぬよ。皆、己の信ずるものを胸に抱いて戦場に赴き、その命を賭して戦う。その事を否定はしないが、安い正義を振りかざすのは止めておけ。愚にも付かん事だ」
 コーディネーターでもナチュラルでもなく、端から眺めたシンジだからこそ、言える言葉であり、また意味のある言葉であった。
 どちらか一方の当事者であれば、単なる戯言に終わっていただろう。
 無論アスランもキラも、シンジの正体は分からない。
 だがナチュラルとコーディネーターの戦いを見てきた者ではない、と言うのは何となく感じ取っていた。
 平和を求めろ、とも言っていない。シンジ自身、突入してきたザフト兵を何の躊躇いもなく屠って見せた。
 戦争に正義など無く、自分が信じる大義しかないのだと、ある意味では真実であり、ある意味では不条理な言葉でもある。
 アスランが反駁出来なかったのは、シンジが言う通り、これを破壊して二度と使えぬようにする為の奪取ではなかったからだ。
「まあいい、お前達ザフトとやらの戦略など、私にとってはどうでも良い事だ。だがヤマト」
「あ、はい?」
「さっき、何故軍服を着ているのかと言っていなかったか?」
「だってアスランは…ぐ、軍に入るなんて全然言ってなくて…」
「キラ、お前こそ何でこんな所にいたんだ!地球軍にでも志願したのか?」
「私は襲撃があって巻き込まれてここに来ただけ!軍なんて志願するわけないでしょうっ!私は…私はコーディネーターなのに…」
 よくは分からないが、ナチュラルとコーディネーターの間には相当深い溝があるらしい。それはともかく、シンジはキラの眼に涙があるのに気付いた。
「アスラン・ザラ」
 シンジの声が一オクターブ低くなり、アスランとキラが同時にぴくっと反応した。
「私の世界にこういう格言がある――女を泣かせる奴は、馬に蹴られて死んじまえ、とな。いい格言だと思うよ」
 
 嘘だ。そんな格言は日ノ本に存在していない。
 
 すう、とシンジの手が上がる。この至近距離なら、いかなる攻撃であれ免れまい。
「だ、だめですっ!」
 キラがアスランを放り出してシンジに飛びつき、ちゃっかりキラにもたれ掛かっていたアスランが、アスファルトの床に後頭部を強打した次の瞬間、一際強い衝撃が工場内を襲った。
「ん…ん!」
 彼らの視界に映ったのは、緑色の巨大なロボットであった。
「敵だな…多分」
 シンジが適当に分析するのと、
「ミゲル!」
 アスランが声をあげたのが同時であった。
「ほらやっぱり敵だった…む?」
 キラがシンジに飛びついた事で、隙が出来たのはアスランに取って幸いであった。腹筋を使って跳ね起き、空いている機体へ向かって一目散に走り出す。
「やれやれ」
 この期に及んでまだ逃げられると思っているのかと、半ば呆れながら、シンジがアスランの背に手の平を向けた。
 討ち取る気はなかったのだが、
「やめてお願いっ!」
 身体ごとぶつけてきたキラのせいで力加減が出来ず、ほぼフルパワーの火球が出力される事になった。
 シンジが咄嗟に天井へ手を向けていなかったら、間違いなくアスランの身体は一瞬で消滅していたろう。
 天井に大穴が開き、澄み渡った青空が見えた。
「お前さん…後先考えずに行動するって、よく学校の先生に言われないか?」
「だ、だって碇シンジさんがアスランを殺そうとしたから…っ」
「してない」
 倒れたシンジの上に乗っている格好のキラの額を、シンジは軽く指で弾いた。
「気絶させる程度の火球だよ。ヤマトがのしかかって来たから力加減が出来なくなったんだ。それとヤマト」
「は、はい」
「逃げられたぞ。どうするの」
「や、やっぱり捕まえて下さいっ」
「ロボットに逃げ込んだ奴をどうしろと言う…っ」
 言い終わらぬ内に天井が落下してきた。咄嗟にキラを抱き込み、横に転がって避けたまではいいが、気付くと辺りは火の海になっている。
「厄介だな」
 内容とは裏腹に呑気な口調で呟いた時、
「二人ともこっち!」
 振り向くとマリューが手招きしている。漸く我に返ったらしい。
「乗っていいの?」
「大丈夫、いいから早くっ」
「今行く」
 ひょいと立ち上がったシンジが、子猫でも抱えるみたいにキラを小脇に抱え、
「ヤマトにはあとで小一時間お説教がある」
「ご、ごめんなさい」
「とはいえ、ここで成仏すると葉ちゃんの膝で昼寝出来なくなるし、ここは一旦あれに乗るか。いい?」
「え、ええ」
「行くぞ」
 地を蹴ったシンジが一気に機体まで飛翔した。その距離、およそ十メートル。
 しかもキラを抱えた姿勢である。
「『な…!?』」
 またしても理解不能な芸当を見せられ、呆気に取られていた二人だが、状況は少々切迫してきている。
「マリュー・ラミアスさん」
「な、なに?」
「この手の代物、操縦経験は長いの?」
「任せておいて。ほら早く乗ってっ」
 二人を席に押し込んでから、自分も乗り込む。
「今日が初めてよ」
「『…え?』」
 
 
 
 
 
(第二話 了)

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