妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
魔女医の闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第一話:降臨
 
 
 
 
 
「お姉さま、紅茶をお持ちいたしました」
 人形娘が、紅茶の載ったお盆を手にして院長室へ入った時、その表情がわずかに変化した。人形だから傍目には分からないが、付き合いのある者が見れば分かるはずだ。
(気が違う。とても…穏やか?)
 どんなに優れた名医でも、限られた標榜科目の中でしかその腕は奮えないし、まして高度医療になればなるほど、その範囲は狭まってくる。
 シビウ病院で、院長であるシビウが最高責任者なのは無論の事だが、シビウはすべての標榜科目に於いて手術を行い、メスを手にする。
 悪魔と契約したとすら言われる所以だが、本人が決して神でも悪魔でもない事は、妹である彼女がよく知っている。
 疲労もストレスも、遙か彼方の存在ではないのだ。
 唯一癒してくれる存在は、あまりこちらに興味がないと来ている。だからこそ、少しでも気の癒しになればと、色々と調合した香を数滴垂らした飲み物を持ってくるのを日課にしているのだ。
 だが今日は違った。
 昨夜からずっとオペ続きの筈なのに、この部屋の気にまったくそれが感じられなかったのだ。それどころか、十分に休養が満ち足りたような感じすらある。
 書類を見ていたシビウが、妖艶な顔を上げてふふっと笑った。
「ご機嫌に見えるかしら?」
「はい、とても」
「とても、ね。そうね、決して悪くはないわね」
 人形娘は、シビウが掌で何かを弄んでいるのに気が付いた。シビウのこんな動作は珍しい。
「お姉さま…その石は?」
 遠慮がちに訊いた人形娘に、
「お守り、だそうよ」
「お守り?」
「ハウメアの守り石、だとか」
「ハウメア…」
 可憐な娘は内心で呟いた。
 聞いた事のない地名だ。
「五精使いのカルテよ――読んでみる?」
 渡されたのは、分厚い書類であった。
 
 
 
 
 
「ツッ!?」
 後頭部への衝撃で、シンジは目を覚ました。
「?」
 さっきまで綾小路葉子の膝枕で昼寝をしていた筈だが、シンジの視界に飛び込んできたのは破壊された壁と、そしてその耳をつんざいたのは鳴り響く銃声であった。
「フェンリル」
 従魔を呼ぶが、応答はない。
「!?」
 シンジの表情が、一瞬で戦闘モードに切り替わる。碇家本邸が襲撃されたと思ったのだ。フユノとミサトは海外だし、自分狙いならメイド達が運び出している。それすらしていないというのは、此処自体の破壊、及び殺戮だろう。
 この本邸に仕えるメイド達はいずれも――若干名を除いて――シンジが認めた者達ばかりだ。どこの賊か知らないが、全員肉塊に変えてくれる。
 ここを襲った事を、いや生まれてきた事を七代に亘って後悔させてくれると、危険な気を帯びて立ち上がったシンジだが、数歩も行かないうちにその足が止まった。
 違うのだ。
 だいたい、聞こえてきた悲鳴はメイド達の物ではない。ただのメイドではなく、シンジ直属の戦闘部隊の構成員である彼女達が、あんな無様な悲鳴をあげる訳がない。
 そもそも、自分をまったく保護した形跡がない上に――いつから碇家本邸は、こんな工場のような壁になったのだ!?
「さてどっち?」
 呟いたシンジが歩き出した先は、銃声の聞こえてくる方であった。とある怪しい知り合いの影響もあり、危険は完全に排除しておくというのがシンジのモットーになっている。
「と、その前に」
 手の平を壁に向けて、
「爆風」
 壁に大穴が開いた。
 満足した。
 機能は停止していないらしい。
 腰まである長い黒髪を揺らしながら、シンジが歩き出した直後、緑色の作業服に身を包んだ男が数名、銃を構えて飛び出してきた。
「劫火」
 呟いた直後、悲鳴を上げる間もなく男達が炎に包まれる。一瞬で炭化した、元男だったものを見下ろして、
「殺気があった。打ち首」
 冷ややかに口にして、また歩き出す。
 と、前方から走ってくる靴音が聞こえ、シンジの手からすうと力が抜けたが、それも一瞬の事ですぐポケットに突っ込んだ。
「なにしてるの!そっち行ったって!」
「なんで付いてくる!そっちこそ早く逃げろ!」
 うん?とシンジが首を傾げた直後、手を握り合った二人の少年が角を曲がって出てきた。
 うげ、とシンジの眉が寄ったのは、少年愛等というおぞましい性癖は持ち合わせていないせいだが、よく見ると片方は手を掴まれており、それにあまり知り合いの風にも見えない。
「『?』」
 二人が怪訝な目をシンジに向ける。
「おいおまえ、こんな所で何をぐずぐずしている?早く逃げろっ」
 金髪の少年の声は、やや甲高い。
「こんな所、とは?」
 シンジは静かな声で聞き返した。
「何を言ってる!おまえまさか、ここをコロニーと知らないで入ってきたボンクラ民間人なのかっ?」
 初対面の少年にボンクラ扱いされ、シンジの眉がピクッと上がったが、ポケットから手が抜き出される事はなく、
「気遣いに感謝する。俺は適当に出るとするよ。そちらこそ急いだ方がいい。どこかへ向かっていたのだろう?」
 シンジの言葉に、手を掴んでいた方の少年が、はっと我に返ったように、
「ほら、急がないとっ」
 急かした直後、シンジの眼に手榴弾を持った男が映った。しかも、ご丁寧にピンを口で引き抜いた所であった。
(……)
 タン、とシンジの靴が地を踏むのと、男の腕が断たれるのとが同時であった。遠隔だから、綺麗にはいかなかっただろうがやむを得まい。
「『え!?』」
 二人は無論、シンジの仕業だなどとは気付いていなかったが、断たれた腕は手榴弾を握っており、腕が地に落ちた直後にそれが爆発し、その爆風が二人をシンジの方に吹っ飛ばした。
 右手はポケットに入れたまま、左手一本で二人を軽く受け止める。
「だいじょう…ん?」
 見ると、金髪の少年がかぶっていた帽子が吹っ飛ばされている。シンジと、茶色の髪の少年が、期せずして目をパチクリさせた。
「『おんなの…子?』」
 ハモった二人の声に、ブロンドの少年――娘はムッとしたような表情で、
「今までなんだと思っていたんだ!」
「い、いやだって…」
「いいから行け!私には確かめねばならぬことがある!」
「行けったってどこへ!もう戻れないよ!」
「……」
「ええと、ほら、こっち!あのっ、あなたもっ」
「俺は大丈夫だから。ほら、ちゃんと男は女をエスコートして…ん!?」
 抱き留めていた二人を柔く引き離したシンジの表情が固まる。
 
 手に触れた感触のそれは明らかに…乳房。
(二人とも女だったとは。確かにそんな顔立ちしてるか)
 内心で呟き、
「頼りになる方が弱い方をエスコートするものだ。さ、行った行った」
「はいっ」
 シンジの言葉に押されたかのように、ブロンドの娘の手を引いて走り出す。
「ええと、ほら、こっち!」
「離せこの馬鹿!」
「ば…ばか!?」
「こんなことになってはと……私は……!」
「だ、だいじょぶだって!助かるから!工場区へ行けば、まだ避難シェルターが!」
 シンジにぺこっと一礼して走り出した娘に、シンジは軽く手を挙げて応えた。
 二人の姿が消えてから、
「さっき妙な事を言ったな。コロニーとか言っていた。すると…寝ている間にどこかの施設へ連れてこられて、そこを賊共に襲われた可能性が高いか」
 この時点でまだシンジは、自分が日本か、乃至は近隣諸国にいると思っていた。ただブロンドの娘の言葉を聞いて、少し緊張感は増している。
 自宅ならいざ知らず、それ以外ならフユノやミサトが側にいる可能性があるのだ。
「急ぐか」
 一気に地を蹴ったシンジが、銃声の聞こえてくる方に急ぐ。
 間もなく出た先は、巨大な空間であった。
「ほう、広い」
 呑気に呟いたシンジの視線が動き――ある一点で止まった。
「あ?」
 さっき自分に銃を向けた男達と、同じ格好をしている者達が明らかに闖入者で、作業員と思しき者達が応戦していたからでも、オレンジの作業服に身を包んだ女性が銃を手にしていたからでもなく。
 その目に映ったのは、巨大なロボットであった。しかも、どう見てもただの玩具には見えないし、鳴り響く銃声がそれを否定する。
 そのロボットの奪取だと、シンジは一瞬にして見て取った。
 しかし、シンジにとってはどうでもいいことで、何の関係もない。碇家本邸に仕える者達は一人もいないし、とりあえず全員ウェルダンにした後、死体から情報を取り出そうかと思った次の瞬間、
「ブライアン!」
 シンジの耳に聞こえたそれは――ミサトの声であった。
「姉貴!?」
 だがよく見ると、さっきの作業服の女性で、どう見てもミサトではない。
「どういう事?」
 呟いたシンジの目に、銃を構えた男が映る。服は緑で、しかもミサトと同じ声の女性に銃を向けていると気付いた時、身体が勝手に反応していた。
「風裂」
 ピッと指が男の方を向き、上肢が下肢に別れを告げる。その時点では未だ、作業服の女性はシンジに気付いていなかった。妙だと気付いたのは、交戦相手の首が次々と吹っ飛び、或いは弾けていく光景を目にした時であった。
「な…あ…ああっ」
 信じられない光景を、ただ唖然として見ることしか出来ない。
 ただ、黒髪を腰まで揺らした少年が、自分達を援護してくれているのだろうとは、何となく分かる――理由はまったく分からないが。
 と、表情一つ変えぬまま敵を殺戮しまくっている少年の背後から、子供が二人走り出てきた。
「ん?」
「こ、これって…」
「やっぱり…お父様の裏切り者ー!!」
 叫んだ二人に、咄嗟に銃口を向ける。危険人物と判断したのだが、この状況では当然であったろう。
 引き金に銃が掛かった瞬間、銃は手から離れていた。
「この子達は多分敵じゃない。撃つなっての」
「あ、あなた…い、いま何を…」
 呆然と呟いた作業員を余所に、シンジは少女達に振り向いていた。
「仔細は知らんが、ここはちょっと殺伐としてる最中だ。他に避難場所はないのか?」
「む、向こうにシェルターが」
「じゃ、そこまで連れて行ってやれ。ぼやぼやしてると撃たれるぞ」
「は、はいっ」
 二人が走り出した後、シンジは自分が来た方角を振り返った。
「俺はあっちから来た。あの娘達はさっき向こうに行った筈…引き返してきたのか?」
 首を傾げた時、背後で炎が立ち上ってきた。
 誰かが爆破でもしたものらしい。
「ちょっと掃除してくるか」
 シンジが身を翻した直後、新手の兵がわらわらと突入してきた。
「ちょ、ちょっとっ」
 女作業員が呼んだ時、もうその姿は消えていた。
「ちっ」
 舌打ちして銃を手にする。何をしたかは分からないが、さっき自分の手から銃を落としたのは、間違いなくあの少年なのだ。
 だったら最後までちゃんと面倒を見ろというのだ。
 空になった弾倉を放り出し、新しい物と取り替える。弾倉を押し込んだ時、もう兵はすぐ側に迫っていた。
「あたしを殺ろうなんて、百年早いのよっ」
 猛然と軽機銃が反撃し、男が吹っ飛ぶ。
「ハマダ、ブライアン!早く起動させるんだ!」
 怒鳴った時、
「危ない後ろ!」
 さっきの少年のとは違う声が振ってきた。咄嗟に身体が反応し、振り向きざまに引き金を引く。
 兵が落ちてくるのを確認してから声の主を見ると、さっきウロウロしていた片割れではないか。
「さっきの子が…なんで?」
 怪しい事は怪しいが、少なくとも敵ではあるまいと、
「こっちだ、来い!」
「左ブロックのシェルターに行きます!お構いなく!」
「あそこはもう、ドアしかない!」
「え!?」
「こっちへ!」
 手招きした直後、長髪の少年が消えた通路から、炎が吹き出してきた。一瞬見知らぬ援護者の事を思ったが、そんな余裕はない。
 しかも、
「分かりましたっ」
 十メートル近い高さから、少年がひらりと飛び降りてきたのだ。
「!?」
 今日は何度も仰天させられる日らしい。
「こっちよ」
 とりあえず機体に乗せようとした直後、
「ラスティ!?うおおおおおっ!!」
 赤い戦闘服に身を包んだ敵が突撃してきた。どうやら、味方がやられたらしい。
 さっき、ハマダと呼びかけた作業員が吹っ飛んだ。その胸元は赤く染まっている。
 咄嗟に銃を向けるも一瞬遅く、グリップに被弾した。
「うあ!」
 強烈な衝撃が遅い、血が滴り落ちてくる様子を見て、少年が慌てて駆け寄ってきた。
 更にとどめの一撃を加えようとした敵が、舌打ちして銃を投げ捨てる。銃が壊れたのだろう。
 ナイフを引き抜き、あっという間に距離を詰めてきた。もう、反撃する余力は残っていない。
 まさに死の刃がその身体を襲おうとしたその瞬間、
「ア、アスラン…」
「え?」
 呟いたのは背後の少年であり、その声に敵の足が止まる。
「キラ…!?」
 どうやらこの二人、知り合いだったらしい。
 キラと呼ばれた少年が、信じられないような顔で立ち上がる。
「キラ…」
「アスラン…」
 一瞬出来た隙に、叩き込まれた戦闘本能が反応する。
 銃を取って銃撃しようとして――出来なかった。手が動いてくれなかったのである。
 それでも、知り合いに会った事で動転したのか、敵は身を翻した。
 さっき同様俊敏な動きで退却しようとした直後、突如として廃材がバネのように起き上がってきた。
「『!?』」
 三人が目を見張った次の瞬間、凄まじい衝撃がその顔面を遅い、敵は昏倒した。
「よし、捕縛した」
 涼しい声がして、二人が同時に宙を見上げる。
 そこに浮かんでいたのは、シンジであった。
 
 
 
 
 
(第一話 了)

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