国際派日本人養成講座

国際派日本人に問われる Identity

第七号 平成九年十月十八日 九百八十五部

一、国際エリートに求められる歴史の見識

 アメリカは、国防総省、国務省(日本の外務省にあたる)という最も枢要な役所で、人を採用するときに十日間以上、ディベートをやります。ほかの教科をすべて百点取っても、歴史の点が悪いと、国防総省、国務省の役人として入れません。[一、四十一頁]
 国防も外交も、国際社会の中での仕事である。そこで何よりも自国の歴史に関する見識が問われる、というのは、なぜなのだろうか。ここには国際派日本人として、学ぶべき大事なポイントがあるのではないか。
 たとえば、英米国民だったら、次のような歴史を学ぶのだろう。英国の首相、ノーベル文学賞受賞作家、ウィンストン・チャーチルの大著「英語国民の歴史」の冒頭の序文である。
 アフリカ、アジア、そして新大陸の争奪戦が始まった一五〇〇年頃、ヨーロッパの北辺の霧深い小島の住民が、競争相手をうち負かして、すべての大陸とすべての海に、勢力を広げ、諸制度をうち立て、その国民性をふきこんだ、とは誰が予想し得たであろう。
 英語は、アメリカ合衆国とカナダの大平原で、オーストリアの奥地で、そしてトロントやボンベイやヨハネスブルグで使われ、すべての文明国の共通語になりつつある。英国の法体系は、サンフランシスコ、メルボルン、トリニダッド、マルタの判事達に使われている。そしてその議会制度は百カ国もの国々で用いられている。
 なんたる壮観であろう。これに比べればアレキサンダー大王やモハメッド、ナポレオンの偉業すら小さく見える。[二、十三]
 歴史を学ぶことは、この世界の中で自分が何者であるか、すなわち自らの Identity を知ることである。こういう自らの来歴を知った英米の青年は、外交官、ビジネスマン、軍人として、先祖への誇りと子孫への使命感を持って、国際社会の中での仕事に取り組むであろう。

二、日露戦争はどちらが勝った?

 さて、前章の誇り高き英米の歴史教育に比して、我が国ではどうであるか、実態を見てみよう。ある中学歴史教科書の日露戦争に関する記述に関して、次のような逸話が紹介されている。

 一九〇三年(明治三十七年)、ついに日露戦争が始まった。日本軍は苦戦を重ねながらも戦局を有利に進めた。しかし、日本の戦力は限界に達し、ロシアでは革命運動がおこるなど、両国とも戦争を続けることはむずかしくなった。一九〇五年、日本を支持してきたアメリカの斡旋で講和会議が開かれ、ポーツマス条約が結ばれた。(東京書籍)
 この部分を、ある編集者がその細君に読ませたところ、「えっ、日本は日露戦争に勝ったんじゃなかったの?」と叫んだそうです。[三、百四十四頁]
 確かにこの教科書の記述に嘘はない。日本の国力が限界に来ていたことも、アメリカの斡旋で講和にこぎつけたのも事実である。この執筆者が、なんとか「日本が勝った」という一文を入れずに日露戦争を記述しようとする非常なる努力と工夫には敬服する。執筆者はよほど愛国的なロシア人に違いない。
 このように、自説に都合の良い事実だけを並べると、どのような歴史記述も可能なのである。この手法を使うと、たとえば、忠臣蔵などは次のように記述できる。
 浅野匠守は江戸城中で私怨から突如吉良上野介に斬りかかり、その罪により、切腹、お家断絶となった。この事件で浪人となった四十七名の元藩士は、吉良を逆恨みし、その家屋敷を急襲して、家人あらかたを惨殺した後、無抵抗の老人上野介の首を切り落として、槍の上に掲げ、江戸市中を凱旋した。
 これもすべて事実のみの記述である。これを読んだ子供達は、日本人は昔から残虐な物語が好きなのだろう、と信じ込むであろう。これでは、なぜ忠臣蔵が繰り返し芝居になり、映画になって、日本人に愛され続けてきたかが、まったく分からない。そこにこそ日本人のアイデンティティが現れているはずなのに。
 歴史における真実と、事実とは同じではない。国際派日本人は自らのアイデンティティに関して、真実を学ばねばならない。

三、日露戦争の世界史的意義

 日露戦争の真実は、ロシアの南下をくい止めて、当時の帝国主義時代に、日本が国家の安全と独立を保った、という点にあるが、そればかりではない。当時の国際社会で、この日露戦争がどのように受け止められたか、を以下に見てみよう。

・中国の国父孫文

どうしてもアジアは、ヨーロッパに抵抗できず、ヨーロッパの圧迫からぬけだすことができず、永久にヨーロッパの奴隷にならなければならないと考えたのです。(中略)ところが、日本人がロシア人に勝ったのです。ヨーロッパに対してアジア民族が勝利したのは最近数百年の間にこれがはじめてでした。この戦争の影響がすぐ全アジアにつたわりますとアジアの全民族は、大きな驚きと喜びを感じ、とても大きな希望を抱いたのであります。[四]

・インド・初代首相ジャワハルラル・ネルー

 日本の戦捷せんしようは私の熱狂を沸き立たせ、新しいニュースを見るため毎日、新聞を待ち焦がれた。(中略)五月の末に近い頃、私たちはロンドンに着いた。途中、ドーヴァーからの汽車の中で対馬沖で日本の大勝利の記事を読み耽りながら、私はとても上機嫌であった。[五]

・フィンランド大統領パーシキピ

 私の学生時代、日本がロシアの艦隊を攻撃したという最初のニュースが到着した時、友人が私の部屋に飛ぴ込んできた。彼はすばらしいニュースを持ってきたのだ。彼は身ぶり手ぶりをもってロシア艦隊がどのように攻撃されたかを熱狂的に話して聞かせた。フィンランド国民は満足し、また胸をときめかして、戦のなりゆきを追い、そして多くのことを期待した。[六]

・トルコ

 昭和四十四年に、山口康助氏(現・帝京大学教授)がトルコの古都ブルサに泊った時、ある古老が片言の日本語を混えて、「ジャポン! ニチロ、アラガート(日本の人たちよ! 日露戦争に勝ってくれて有難う)」と、呼びかけてきました。続いて古老は、日本が日露戦争に勝った時、トルコ人は狂喜して、息子や孫に「トーゴー」「ノギ」の名前をつけ、イスタンブールの街には、「東郷通り」「乃木通り」ができた事など、語ったそうであります。[七]

・ポーランド

 大戦後、私(加瀬俊一氏)がヨーロッパの大使をしていた時に、東ヨーロッパの状態を見たいと思い、ポーランドを自動車で視察したことがあります。(中略)
 それで、道を尋ねるためにある教会に立ち寄ったんです。年輩の上品な神父が出て来てね、日本人だと言うと、「ああ、いらっしゃい。日本の車があちこち走っているって聞いてました」、そういって喜んでお茶を出してくれたんです。そうしたら傍らに、小さい男の子が来てね。それで私は、「君の名前はなんていうの」って聞くと、「ノギ」って言うの。「えっ。ノギ?」。すると神父さんが言うんです。「ノギ」というのは乃木大将のノギですよ。ノギとかトーゴーとかこの辺はたくさんいましてね。ノギ集まれ、トーゴー集まれっていったらこの教会からはみだしますよ。」「トーゴー」はもちろん東郷平八郎に因んでのことです。
 ポーランドはロシアの悪政に反抗して、独立闘争に多くの血を流した歴史をもっているんです。そのロシアを打ち倒した英雄に因んで名前をつけるわけです。なるほどと思いました。[八]

・アメリカの黒人

 日露戦争当時、黒人新聞各紙は、西洋帝国主義の重圧に苦しむ日本人を「アジアの黒人」と呼び、白人に挑む東郷艦隊を声援したり、一部の黒人社会では驚くことに、日本ブームが起きて、日本の茶器や着物も流行。さらには、黒人野球チームの中から、「ジャップ」(当時、この言葉は日系人に対する侮蔑語ではなかった)を自称するチームも出ていたという。[九]
 日露戦争は非白人が本格的な近代戦で白人をうち負かし、世界中の抑圧されていた人々の希望に火を灯した。二十世紀は、世界の諸民族が自由と独立を勝ち取った世紀として、世界史に記述される。 日露戦争での日本の勝利は、まさにその夜明けを告げる鶏鳴であったのである。

四、自らの来歴を知れば志が育つ

 欧米の国際派エリートが、冒頭の文章のように大英帝国の偉業を誇るなら、国際派日本人はこうした日本の来歴を語らねばならない。それでこそ、政治的独立を勝ち取った世界の諸民族が、今後はさらに経済的にも自立してやっていけるように支援していく事を志す国際派日本人も現れるであろう。
 前章で紹介した歴史教科書では、乃木も東郷も出てこない、日本人がどんな思いで戦ったのか、それを世界の人々がどう受けとめたのか、まったく書かれていない。ここには歴史の事実はあっても、真実はない。こういう教科書では、自らの来歴に誇りを持ち、使命感を持って国際社会で活躍しようという志を持った国際派日本人は育たないであろう。
 日本が成し遂げた世界史的偉業は、日露戦争だけではない。この「国際派日本人養成講座」では、これからも折にふれて、将来の国際派日本人が知るべき具体的な史実を提供していくので、それらを通じて、「自分は何者なのか」を探求して欲しい。

[参考]

一、「新しい日本の歴史が始まる」、新しい歴史教科書をつくる会編、幻冬社、平成九年
二、Churchill's History of the English-Speaking Peoples(編集者による序文を抄訳)
三、「こんな『歴史』に誰がした」、渡部昇一・谷沢永一、クレスト社、平成九年
四、大正十三年十二月三日〜十六日「大阪毎日新聞」連載「大アジア主義」
五、ネルー自伝、上
六、SUOMEN KUVALEHTI、一九八五年三月号「日本海海戦八十周年特集」
七、「世界に生きる日本の心」、名越二荒之助、展転社、昭和六十二年、(「中近東の旅」、山口康助氏より)
八、「大東亜会議とバンドン会議」、加瀬俊一郎、祖国と青年、平成六年九月号
九、「二十世紀の日本人 アメリカ黒人の日本人観 一九〇〇─一九四五」、レジナルド・カーニー、山本伸訳、五月書房
十、「記念艦三笠とニミッツ提督」アメリカ海軍ニミッツ提督は尊敬する東郷元帥を記念するために戦艦三笠の保存を主張した。

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