国際派日本人養成講座

「事実把握」と「論理的思考能力」

第六号 平成九年十月十一日 九百二十三部

一、日本は人文科学、社会科学分野の後進国

 長谷川慶太郎は、国際社会に通用する日本の代表的なエコノミストの一人だ。長谷川慶太郎を読まずして、経営・経済分野で、国際派日本人にはなれない、と言っても過言ではない。最近の著書「情報力」[一]は、長谷川慶太郎自身がどのように、経済を研究してきたか、という手の内が開かされていて、面白い。その中で、こんな一節がある。

 残念ながら日本は人文科学、社会科学分野の本に関しては後進国といえる。日本語で出版された本は、内容が偏っているものが、多く、さらに分析が不十分なものが多いのが現実だ。そうなると、やはり外国の本に頼ることになる。[一、百十一頁]
 「内容的に偏っている」というのは、経済学、歴史学、法学、政治学などの分野で十九世紀的なマルクス主義思想に凝り固まった本が多い、という事を意味している。日本の人文・社会科学系の大学研究室では、現実から遊離した象牙の塔の中で、ひたすら恩師のご機嫌を取りながら、その跡目をうかがうことに汲々としている学徒が少なくない。現実に目を向けないので、観念的で事実把握(Fact Finding)が甘く、恩師の学説を批判しないので、論理的思考能力(Logical Thinking)も弱い、そういう知的に怠惰・柔弱・退嬰的な進歩的知識人がいつまでも量産されているのである。工学部出身で、自力で経済を見る目を養った長谷川慶太郎に実力で対抗しうるマルクス主義エコノミストはいない。
 国際派日本人として、国際社会で活躍するためには、この事実把握と論理的思考の能力を磨かねばならない。今回は、東大法学部卒の弁護士という知的エリートであり、夫婦別姓問題などで広告塔的役割を果たしている福島瑞穂氏を取り上げて、諸君の事実把握力と論理的思考力をテストしてみよう。

二、福島瑞穂氏の事実婚主義礼賛

 まず事実把握力のテストである。福島氏の著書にこんな一節がある。事実認識という点で、その妥当性を考えて貰いたい。(事実婚主義とは、事実婚(同棲)と正規の届け出をする結婚との区別をなくそうという主張である。)

 ところでソ連は、一九二六年「婚姻、家族及び後見に関する法典」で、事実婚主義を採用している。その後、一九四四年、ソ連邦最高会議幹部会のウカース(幹部会令)によって、事実婚主義は廃止され、法律婚主義=登録婚主義になった。
 ロシア革命の後、様々な政策が根本から見直され、一時的であれ、事実婚主義がはっきり採用されていたとは素晴らしいことだと思う。まさに、「あらゆるものは、疑い得る」、「すべての常識を疑え」という気がしてくる。
 もちろん、今の日本で、即、法律婚を廃止せよとは言えないだろう。しかし、事実婚という選択肢もあっていいのではないかと思うのである。「届け出婚」や「法律婚」というと、べッドの上でならんで寝ている二人の間に、「国家」がにゅっと出現してくるような薄気味悪ささえ感じる。[二、百七十八頁]
 事実婚(同棲)と、正式に法的な届け出を行う結婚との区別をなくせ、という主張で、それを行ったロシア革命を「素晴らしいことだと思う」と賛美している。「『国家』がにゅっと」などという所は、まさに小説家はだしの表現力だ。
 この文章を読んで、何の疑問も持たず、なるほどと思った人は、国際派日本人失格である。というのは、この素晴らしい事実婚主義が、その後、なせソ連で放棄されたのか、については何も語られていない。こういう点に疑問を抱き、ソ連での事実婚主義が本当にそんなに良いものだったのか、と疑ってみるのが、事実把握力のある人なのである。
 事実は、この事実婚主義によって、ソ連社会は大混乱に陥ったので、政策の見直しが行われたのである。以下、これに関する事実検証を行った研究を紹介しよう。[三、百七十三頁]

三、ロシア革命における家族廃止の試み

 以下はニコラス・S・ティマシエフの「ロシアにおける家族廃止の試み」という論文による。

一、従来、法律婚の要件とされていた教会での結婚式を不要とし、役所での登録だけで婚姻の効力が生ずるものとした。
二、離婚の要件を緩和し、当事者合意の場合はもちろん、一方の請求だけでも裁判所はこれを認めることとした。
三、犯罪であった近親相姦、重婚、姦通を刑法から削除した。
四、堕胎は国立病院で認定された医師の所へ行けば可能となり、医師は希望者には中絶手術に応じなければならないことになった。
五、子どもたちは、親の権威よりも共産主義のほうが重要であり、親が反動的態度に出たときは共産主義精神で弾劾せよ、と教えられた。
六、最後に、一九二六年には、「非登録婚」も「登録婚」と法的に変わらないとする新法が制定された。

 この結果、(一)同居、(二)同一家計、(三)第三者の前での結合宣言、(四)相互扶助と子どもの共同教育、のうちの一つでも充足すれば、国家はそれを結婚とみなさなければならないことになった。これにより、「重婚」が合法化され、死亡した夫の財産を登録妻と非登録妻で分け合うことになった。こうした反家族政策の狙いどおり、家族の結びつきは一九三○年頃には革命前より著しく弱まった。

四、事実婚主義によるソ連社会の大混乱

 しかし、彼らが予想もしなかった有害現象が同時に進行していた。一九三四年頃になると、それが社会の安定と国家の防衛を脅かすものと認識され始めた。すなわち、

一、堕胎と離婚の濫用(一九三四年の離婚は三七パーセント)の結果、出生率が急減した。それは共産主義国家にとって労働力と兵力の確保を脅かすものとなった。
二、家族、親子関係が弱まった結果、少年非行が急増した。一九三五年にはソ連の新聞は愚連隊の増加に関する報道や非難で埋まった。彼らは勤労者の住居に侵入し、掠奪し、破壊し、抵抗者は殺害した。汽車のなかで猥褻な歌を歌い続け、終わるまで乗客を降ろさなかった。学校は授業をさぼった生徒たちに包囲され、先生は殴られ、女性たちは襲われた。
三、性の自由化と女性の解放という壮大なスローガンは、強者と乱暴者を助け、弱者と内気な者を痛めつけることになった。何百万の少女たちの生活がドン・ファンに破壊され、何百万の子どもたちが両親の揃った家庭を知らないことになった。

五、無知か詐術か?

 こういう混乱を「素晴らしい」という人はいないだろう。ここで問題なのは、こうした事実を福島氏は知っていたのか、という点である。こういう恐るべき事実を知らないなら、事実婚について専門家として発言する資格はない。また知っていながら発言しているのなら、とんだ demagogue(扇動者、デマを流す人)である。
 いずれにしろ、こういう本で疑うことを知らない多くの人が事実婚主義を素晴らしいものと信じ込んだとしたら、恐ろしい事である。無知からソ連社会の失敗を繰り返す恐れがあるからである。福島氏は「すべての常識を疑え」と勇ましいが、まず疑うべきは我々の常識よりも、この人自身の事実把握力である。

六、企業合併と結婚は同じ?

 次に論理的思考力のテスト。たとえば、こんな一節がある。

 夫婦同姓の強制の第三の問題点は、男女不平等を助長し、また、「家制度」を温存することに役立っていることである。
 形式的には「夫又は妻の姓」と対等にもかかわらず、実態は、女性の九七・五%(平成五年)が、結婚改姓をしている。
 企業の場合は、「対等合併」の場合は、「太陽神戸三井銀行」、後に「さくら銀行」)、「共和埼玉銀行」(のちに「あさひ銀行」)、「第一勧業銀行」というように、両者の姓をつなげる場合が多い。一方の名前が落ちてしまうのは、両者の力関係が極端に違う場合である。
 企業の対等合併の場合の名前は、姓であると言うことができるのではないか。[四、九頁]
(最後の一文の意味が分からないが、校正ミスか、文章力がもとも とないためか、不明)

七、同一の前提から、まったく別な結論も

 夫婦別姓の賛否ではなく、福島氏の主張の論理性に注目して分析して欲しい。福島氏の論理は、

(一)企業の合併と、個人の結婚には、アナロジー(類似関係)が成り立つ。
(二)企業が対等合併の時は、両者の姓をつなげる場合が多い。一方の名前が落ちてしまうのは、力関係が違う場合である。
(三)したがって、九九・七%もの女性が夫の姓を名乗るのは、両者の力関係が極端に違うからである。

 この主張になるほどと説得されてしまうようでは、やはり国際派日本人失格である。たとえば、この論法を多少アレンジして、同じ(一)の前提から次のような主張ができる。

(二)企業が対等合併の時は、両者の姓をつなげるか、それが長すぎてわずらわしいと、新しい名前(さくら銀行や、あさひ銀行)をつける場合が多い。いずれにせよ合併した後でも、従業員がそれぞれの出身企業の社名を使っている「別姓企業」はない。
(三)したがって、結婚後は、結合姓か、新しい姓で、夫婦同姓にすべきで、夫婦が別姓のままでいるのはおかしい。

 同じ(一)のアナロジーから、夫婦同姓を支持する主張もできる訳で、もともと論理的にきわめて根拠薄弱な主張なのである。
 「国家がにゅっと」とか、結婚を企業合併にたとえたように、福島氏の想像力豊かなアナロジーは、漫談として聞いている分には面白いが、この程度の論理的思考力で、夫婦別姓を論じられては、本当は迷惑している本格派別姓論者もいるのではないか。

八、貧困なる精神

 福島氏は社民党の出版局から小冊子を出しているので、同党にも関係があるようだが、社民党首のおたかさん、こと土井たか子女史も、PKOを「だめなものはだめ」と切り捨て、見事な非論理的豪快さを発揮した。
 いずれにせよ、福島氏やおたかさんのように自らの貧困なる精神に閉じこもって、事実に目を向けず、かつ論理的な思考をしない人々が、政治家、弁護士、その他進歩的知識人を含め、日本の社会・人文科学系の分野には多いことに注意する必要がある。

九、宿題、サザエさんは、別姓家族?

 国際派日本人としては、こういう退嬰的似非知識人にならないよう、事実の正確な把握力と強靱な論理的思考力を磨いて貰いたい。そのための宿題を出しておこう。以下は、福島氏のアナロジー的非論理思考の最高傑作である。事実把握、論理的思考の両面でどこがおかしいか、考えていただきたい。

 サザエさんのうちだって、家族の姓は一つではない。ワカメとカツオの姓は磯野であり、サザエの姓はフクダである。タラちゃんとワカメとカツオは一緒に遊んでいるけれども姓は違う。しかし、やっぱりひとつの家族である。
 前述した「同姓の方が夫婦、家族の一体感を高める」というが、それでは、結婚をして姓を変えた女性はもう自分の親とは疎遠になるのだろうか。そうではないと思う。サザエさんは、結婚してフクダとなっているが、磯野の姓を名乗る両親とはもちろん仲がいい。[四、七十二頁]
(一)上記の文章は、文法的におかしい所があります。どこでしょう。(「文は人なり」、論理的思考力の弱い人は、文章力もないものです。)
(二)サザエさんの家は夫婦別姓でしょうか?
(三)「結婚をして姓を変えた女性は云々」に関し、親子別姓と夫婦別姓では、アナロジーが成り立つでしょうか。
(四)「あるひとつの家族が別姓でも仲が良い」、という前提から、「すべての別姓家族がそうである」という結論が引き出せるでしょうか。

■参考■(お勧め度、★★★★一般向け〜★専門家向け)

一、長谷川慶太郎、「情報力」、サンマーク出版、平成九年
二、福島瑞穂、「結婚と家族」、岩波新書、平成四年
三、小田村四郎、「夫婦別姓大論破」★★★、八木秀次・宮崎哲弥編、洋泉社、平成八年
四、福島瑞穂、福島瑞穂の夫婦別姓セミナー、自由国民社、平成九年
五、長谷川三千子他、「ちょっとまって! 夫婦別姓」★★★★、日本教育新聞社、平成九年

■ おたより

千代子さんより

 以下、私の回答です。
(一)「前述した『同姓の方が夫婦、家族の一体感を高める』というが、」の部分は、文章としておかしいです。「前述のように、、、という主張があるが、」とでもすべき所です。論理も飛んでいますが、文章も飛んでいますね。
(二)サザエさんの家は、磯野家の長女のサザエさんがマスオさんと結婚し、タラちゃんを生んで、フクダ家となったものです。そのフクダ家が親の磯野家に同居しているのです。別姓家族ではなく、二家族同居です。
(三)子どもが成人して結婚し、親と別姓になる「親子別姓」と他人が結婚しながらも別姓を続ける「夫婦別姓」とは、明らかに別物です。こういう親子別姓で親子が疎遠でないから、「夫婦別姓」でも夫婦が疎遠にならないという論理は飛躍しています。
 ちなみに「夫婦別姓」のもとで生まれた子どもは、どちらかの親とは「別姓」になってしまいます。二人の子どもが、それぞれ片親の姓を継げば「兄弟・姉妹別姓」となってしまいます。「夫婦別姓」を認める人の間でも、こういう「親子別姓」「兄弟・姉妹別姓」は悪影響がある、と心配する人が多数を占めています。
四、 もちろん、引き出せません。「ある孤児が両親を亡くしても、健気に元気にやっている」からと言って、「すべての孤児は健気に元気にやっている」という主張が成り立たないのと同じ事です。

■ 編集長・伊勢雅臣より

 千代子さんのお答えはすべて正解です。こういう強靱な論理的思考力を多くの青年が持ったら、わが国の将来も明るいでしょう。

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