「事実把握」と「論理的思考能力」
一、日本は人文科学、社会科学分野の後進国
長谷川慶太郎は、国際社会に通用する日本の代表的なエコノミストの一人だ。長谷川慶太郎を読まずして、経営・経済分野で、国際派日本人にはなれない、と言っても過言ではない。最近の著書「情報力」[一]は、長谷川慶太郎自身がどのように、経済を研究してきたか、という手の内が開かされていて、面白い。その中で、こんな一節がある。
二、福島瑞穂氏の事実婚主義礼賛
まず事実把握力のテストである。福島氏の著書にこんな一節がある。事実認識という点で、その妥当性を考えて貰いたい。(事実婚主義とは、事実婚(同棲)と正規の届け出をする結婚との区別をなくそうという主張である。)
三、ロシア革命における家族廃止の試み
以下はニコラス・S・ティマシエフの「ロシアにおける家族廃止の試み」という論文による。
この結果、(一)同居、(二)同一家計、(三)第三者の前での結合宣言、(四)相互扶助と子どもの共同教育、のうちの一つでも充足すれば、国家はそれを結婚とみなさなければならないことになった。これにより、「重婚」が合法化され、死亡した夫の財産を登録妻と非登録妻で分け合うことになった。こうした反家族政策の狙いどおり、家族の結びつきは一九三○年頃には革命前より著しく弱まった。
しかし、彼らが予想もしなかった有害現象が同時に進行していた。一九三四年頃になると、それが社会の安定と国家の防衛を脅かすものと認識され始めた。すなわち、
一、堕胎と離婚の濫用(一九三四年の離婚は三七パーセント)の結果、出生率が急減した。それは共産主義国家にとって労働力と兵力の確保を脅かすものとなった。
二、家族、親子関係が弱まった結果、少年非行が急増した。一九三五年にはソ連の新聞は愚連隊の増加に関する報道や非難で埋まった。彼らは勤労者の住居に侵入し、掠奪し、破壊し、抵抗者は殺害した。汽車のなかで猥褻な歌を歌い続け、終わるまで乗客を降ろさなかった。学校は授業をさぼった生徒たちに包囲され、先生は殴られ、女性たちは襲われた。
三、性の自由化と女性の解放という壮大なスローガンは、強者と乱暴者を助け、弱者と内気な者を痛めつけることになった。何百万の少女たちの生活がドン・ファンに破壊され、何百万の子どもたちが両親の揃った家庭を知らないことになった。
こういう混乱を「素晴らしい」という人はいないだろう。ここで問題なのは、こうした事実を福島氏は知っていたのか、という点である。こういう恐るべき事実を知らないなら、事実婚について専門家として発言する資格はない。また知っていながら発言しているのなら、とんだ demagogue(扇動者、デマを流す人)である。
いずれにしろ、こういう本で疑うことを知らない多くの人が事実婚主義を素晴らしいものと信じ込んだとしたら、恐ろしい事である。無知からソ連社会の失敗を繰り返す恐れがあるからである。福島氏は「すべての常識を疑え」と勇ましいが、まず疑うべきは我々の常識よりも、この人自身の事実把握力である。
六、企業合併と結婚は同じ?
次に論理的思考力のテスト。たとえば、こんな一節がある。
七、同一の前提から、まったく別な結論も
夫婦別姓の賛否ではなく、福島氏の主張の論理性に注目して分析して欲しい。福島氏の論理は、
(一)企業の合併と、個人の結婚には、アナロジー(類似関係)が成り立つ。
(二)企業が対等合併の時は、両者の姓をつなげる場合が多い。一方の名前が落ちてしまうのは、力関係が違う場合である。
(三)したがって、九九・七%もの女性が夫の姓を名乗るのは、両者の力関係が極端に違うからである。
この主張になるほどと説得されてしまうようでは、やはり国際派日本人失格である。たとえば、この論法を多少アレンジして、同じ(一)の前提から次のような主張ができる。
(二)企業が対等合併の時は、両者の姓をつなげるか、それが長すぎてわずらわしいと、新しい名前(さくら銀行や、あさひ銀行)をつける場合が多い。いずれにせよ合併した後でも、従業員がそれぞれの出身企業の社名を使っている「別姓企業」はない。
(三)したがって、結婚後は、結合姓か、新しい姓で、夫婦同姓にすべきで、夫婦が別姓のままでいるのはおかしい。
同じ(一)のアナロジーから、夫婦同姓を支持する主張もできる訳で、もともと論理的にきわめて根拠薄弱な主張なのである。
「国家がにゅっと」とか、結婚を企業合併にたとえたように、福島氏の想像力豊かなアナロジーは、漫談として聞いている分には面白いが、この程度の論理的思考力で、夫婦別姓を論じられては、本当は迷惑している本格派別姓論者もいるのではないか。
八、貧困なる精神
福島氏は社民党の出版局から小冊子を出しているので、同党にも関係があるようだが、社民党首のおたかさん、こと土井たか子女史も、PKOを「だめなものはだめ」と切り捨て、見事な非論理的豪快さを発揮した。
いずれにせよ、福島氏やおたかさんのように自らの貧困なる精神に閉じこもって、事実に目を向けず、かつ論理的な思考をしない人々が、政治家、弁護士、その他進歩的知識人を含め、日本の社会・人文科学系の分野には多いことに注意する必要がある。
九、宿題、サザエさんは、別姓家族?
国際派日本人としては、こういう退嬰的似非知識人にならないよう、事実の正確な把握力と強靱な論理的思考力を磨いて貰いたい。そのための宿題を出しておこう。以下は、福島氏のアナロジー的非論理思考の最高傑作である。事実把握、論理的思考の両面でどこがおかしいか、考えていただきたい。
■参考■(お勧め度、★★★★一般向け〜★専門家向け)
一、長谷川慶太郎、「情報力」、サンマーク出版、平成九年
二、福島瑞穂、「結婚と家族」、岩波新書、平成四年
三、小田村四郎、「夫婦別姓大論破」★★★、八木秀次・宮崎哲弥編、洋泉社、平成八年
四、福島瑞穂、福島瑞穂の夫婦別姓セミナー、自由国民社、平成九年
五、長谷川三千子他、「ちょっとまって! 夫婦別姓」★★★★、日本教育新聞社、平成九年
■ おたより
千代子さんより
以下、私の回答です。
(一)「前述した『同姓の方が夫婦、家族の一体感を高める』というが、」の部分は、文章としておかしいです。「前述のように、、、という主張があるが、」とでもすべき所です。論理も飛んでいますが、文章も飛んでいますね。
(二)サザエさんの家は、磯野家の長女のサザエさんがマスオさんと結婚し、タラちゃんを生んで、フクダ家となったものです。そのフクダ家が親の磯野家に同居しているのです。別姓家族ではなく、二家族同居です。
(三)子どもが成人して結婚し、親と別姓になる「親子別姓」と他人が結婚しながらも別姓を続ける「夫婦別姓」とは、明らかに別物です。こういう親子別姓で親子が疎遠でないから、「夫婦別姓」でも夫婦が疎遠にならないという論理は飛躍しています。
ちなみに「夫婦別姓」のもとで生まれた子どもは、どちらかの親とは「別姓」になってしまいます。二人の子どもが、それぞれ片親の姓を継げば「兄弟・姉妹別姓」となってしまいます。「夫婦別姓」を認める人の間でも、こういう「親子別姓」「兄弟・姉妹別姓」は悪影響がある、と心配する人が多数を占めています。
四、 もちろん、引き出せません。「ある孤児が両親を亡くしても、健気に元気にやっている」からと言って、「すべての孤児は健気に元気にやっている」という主張が成り立たないのと同じ事です。
■ 編集長・伊勢雅臣より
千代子さんのお答えはすべて正解です。こういう強靱な論理的思考力を多くの青年が持ったら、わが国の将来も明るいでしょう。